たぶん
「な、何をしやがった!?」
溶けていく防具。溶け落ちていく数々のプレート。
露わになりそうな胸を必死に隠しながら、クレマンティーヌはシコシコを睨んだ。並みの人間なら恐怖に慄くほどの威圧感だったが、精神力の強い彼にとっては、子猫が威嚇している程度にしか感じていなかった。
「強力な酸の壺でやんす。ああ、人体を溶かすことは無いんで安心したまへ。ま、証拠隠滅ってやつですな。そのプレートを纏った装備は、拙者にとって都合がよろしくないゆえ」
シコシコがクレマンティーヌの防具を溶かした理由は、スパルタカスに彼女を組合につき出させないためだった。彼女があの装備を纏ったままだったなら、彼はその装備を証拠に、彼女を冒険者殺しの犯人として連行するだろう。そして、それをきっかけに冒険者組合との交流を図るだろう。
スパルタカスは一人の女の命よりも、大勢の人間や組織とのコネ作りを優先する。シコシコとは、真逆のタイプの男だ。だから、彼にとってはあの装備は都合が悪かった。
「でゅふ。では、下の方も溶かしましょうぞ」
「ま、待って! じ、自分で! 自分で脱ぐから!」
新しい壺を取り出したシコシコを見て、クレマンティーヌは顔を引き攣らせて言った。彼女は腰鎧諸共、下着と武器まで溶かされてしまうことを嫌がったのだ。
なにやらあの壺の酸は特殊らしい。人の装備品だけを溶かす性質。ふざけた特性の酸だと思った。
クレマンティーヌはシコシコたちに背を向けると、腰鎧を脱いだ。背中越しに感じる男たちの視線が、彼女は不快でしょうがなかった。
「おほー……」
色白で、シミ一つないクレマンティーヌの背中に、シコシコが感動の声を零した。
「……これでいいでしょ」
胸を隠して、正面を向く。クレマンティーヌは羞恥心で顔が真っ赤だった。
「黒パンでござんすか……おうふ」
僅かに頬を上気させ、股間を覆う布をごそごそと漁り始めるシコシコ。
クレマンティーヌは、これからされるだろう行為に鳥肌が立った。彼女は自分を掻き抱くようにして、嫌悪感を表した。
「さあ、これを身に着けるでやんす」
だが幸いに、クレマンティーヌの恐れた事態にはならなかった。
シコシコは腰巻から女性物のような防具とスカート、ロンググローブを取り出すと、それを彼女の足元へと投げた。それを着ろということらしい。
彼女はその装備の、一目でわかる質の高さに目を瞠った。
「なんで……?」
同時に、クレマンティーヌは敵からの施しに戸惑った。
「下着一丁で、王の前に行くわけにはいかないでやんすからね。あっ。その装備は拙者には必要ないんで、プレゼント! フォー、ユー!」
なぜこの変態は、国が国宝に指定しそうなほどの女性用防具を持っていたのだろうか。わけがわからないが、変態だからだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいいか――。
クレマンティーヌはその女性用防具――砂の魔術師シリーズ(フードを除く)を手に取ると、再びシコシコたちに背を向けた。
まずは上衣を身に付け、次にスカートを履く。ロンググローブを手に通し、振り向く。
『おお~!!』
湧き上がる男たちの感嘆の声。
クレマンティーヌは顔を顰めると、下を向いた。
次はどんな問が飛んでくるのだろうか? 一体何をされるのだろうか? 全く予想ができなかった。
胃がきりきりと痛む。
彼女がストレスに押し潰され、げんなりし始めた時だった。
「うっせえっすよ、あんたら! 寝れないじゃないっすか!」
ばんっ! と背後の扉が開け放たれた。
びくっと肩を震わせたクレマンティーヌが振り返ると、そこには眉間に皺を寄せた美少女がいた。
◆
3人の戦いは三日三晩も続いていた。
周囲の木々は戦いの余波でなぎ倒され、所々、地面も抉れている。
決着は着かず、誰かの勝利で終わったわけではない。
「ヴォアア……」
銀色の甲冑を着たプレイヤー――アルトリウスは左手に持った“栄華の大剣”を引き摺りながら、小高い丘の周囲を徘徊している。
彼は自分が何者なのか、なぜここにいるのかも忘れてしまった。死に過ぎて亡者化が進み、記憶と理性を失ったのだ。
彼と戦っていたオーンスタインと、彼らの戦いに巻き込まれたユースケも同様だった。彼とは逆回りで丘を徘徊している。
ばったり出会えば最後の一人になるまで殺し合い、死んだ場合は丘の頂で復活する。そして、丘を少し下って、死ぬ前と同じルートを徘徊する。そうしてまた会ったら、間髪を入れずに殺し合う。
彼らはこんなことを一日中繰り返している。
「どうしますか、ニグン隊長?」
「……各員、まだ動くな。奴らに気付かれたら、その時点で全滅は必至だと思え」
カルネ村で敗走したニグンと陽光聖典の面々は、一端トブの大森林方面へと逃れた後、法国へと帰るため、カルネ村の南方にあるこの小高い丘の麓まで来ていた。
3体の亡者に出くわしてしまったのは、ただ単に運が悪かっただけだった。剣戟の響きを怪しく思い、その丘の上を覗いた時、これらに遭遇してしまったのだ。
ニグンはこの亡者たちの戦いに度肝を抜かれた。遥かに人間を超越している身のこなしに、木々をなぎ倒すほどの衝撃波を生み出す膂力。騎馬はそれに巻き込まれて死んでしまった。かくいうニグンらも、落馬による怪我を負っており、満足に走ることができない状態にあった。
幸運な事に、亡者側はまだニグンたちには気付いていない。隙を見て、ここを離脱する。それが現在のニグンらの、高度な任務だった。
「ヴァ……オオオオアアアア……」
左手側から、槍を持った騎士がやってきた。どういうわけか、この騎士らはお互いに顔を合わせた途端に、殺し合いを始める。その隙にここを離れる。ニグンはそう考えた。
丘の中腹辺りで、騎士たちが顔を合わせた。2体とも、武器を持った手に力が込められる。どうやら、お互いを認識したようだった。
亡者と化したアルトリウスが、同じく亡者となっているオーンスタインへと飛びかかった。
オーンスタインが避けたことによって、アルトリウスの大剣は地面へと突き刺さる。地が爆ぜた。
地面を抉った大剣、その切っ先を地面から抜くと、アルトリウスはそれを肩に担いだ。そして再び行われる跳躍。
「ヴォアアアアア!!」
「オオオオアアアア!!」
雄叫びを上げながら殺し合う亡者たち。
斬撃によって発生した衝撃波が、ニグンの頬を打った。
「くっ! 化け物どもめっ……」
衝撃波と共に飛んでくる土に、ニグンは片手で顔を覆った。
「た、隊長!」
「ええい、狼狽えるなっ」
軽い恐慌状態になった隊員を叱責する。ここで奴らに気付かれ、襲われでもしたら、せっかく生き残ったことが無駄となってしまう。それに、ニグンは死ぬつもりなど毛頭ない。
彼らが戦いを繰り広げる2体に注意を向けていると、突如後ろの茂みが揺れ、小さくない音が立った。
「っ! だ、誰だっ?」
驚愕したニグンが振り返ると、陽光聖典らの隊員の目もそちらへと向く。
「ようやく見つけましたよ、ニグン隊長」
捨てる神あれば拾う神あり。
茂みから現れたのは、白い鎧をまとった黒髪の少年と、彼率いる漆黒聖典の面々だった。
「あ、貴方は……」
ニグンは漆黒聖典の隊長がここにいることに疑問を浮かべたが、同時に、安堵感が心の内から湧いてくるのを実感した。
「ニグン隊長、貴方は隊員たちと共に法国へと帰還してください。護衛として、セドランらを付けます」
「護衛を……? すまない、感謝する」
脇腹を押さえるニグンを見て、隊長は眉を寄せた。おそらく、ニグンは歩くのすら困難な状態なのだろう。
厳しい撤退戦になりそうだ――。
隊長は丘の上で戦っている者たち、一直線にこちらに向かってくる亡者を見据え、槍を構えた。
■
「いやあ……。災難だったっすねえ、クレマンティーヌさん。平気っすか?」
「へ、平気……だけど……」
自分の顔を覗き込んでくる薄着の美少女に、クレマンティーヌは息を飲んだ。
あの後。一室に男3に女1という状況、しかも女性の方は辛そうな表情をしていることから、ヨロイは勘違いしてキレた。シコシコの股間を蹴り上げてダウンさせると、彼女はクレマンティーヌの手を引いて、隣の借り部屋へと逃げて来た。そして、クラーゲにそのことを報告し、彼らを制裁してくるよう頼んだ。
ヨロイは椅子にどさっと腰掛けると、クレマンティーヌも座るように促した。
クレマンティーヌは目の前の少女を警戒しながら座った。この少女も“ダクソプレイヤー”なのだろう。自分が手も足も出なかったシコシコを、一発でダウンさせてしまったのだ。
「そういえば、クレマンティーヌさんは見かけなかった顔っすけど……ダクソプレイヤーじゃないっすよね?」
ヨロイの質問に、クレマンティーヌは首を縦に振った。
「ふうん。ダクソプレイヤーを知ってるんすね。まあ、どうせあの変態さんが口走ったんだろうけど……」
ヨロイの予想は外れていたが、クレマンティーヌはわざわざそれを正そうとは思わなかった。
ヨロイはテーブルの上に置かれたティーカップに、ポットから紅茶を注ぐと、それを差し出した。
「どうぞ」
「……どうも」
「お説教が終わり次第、クラーゲさんも帰ってくるっすから」
クラーゲという名前にクレマンティーヌは反応した。
この部屋へと連れてこられる直前にいた、あの黒髪の美女がそうなのだろう。たしか、彼女が“ダクソプレイヤーの王”なのだったか……。
射抜くような怜悧な目つきに、堂々とした佇まいと風格。言われずとも、その存在自体が上位者であることが窺えた。
目の前の少女を見る。ティーカップに口を付けるその姿は、可憐でいながら隙がない。クレマンティーヌには、彼女が歪な存在に思えた。
「飲んでどーぞ」
ヨロイの言葉に、はっとする。いつの間にか俯いていたらしい。
クレマンティーヌは顔を上げると、ティーカップに口を付けた。
渋すぎる。これ以上飲むのは遠慮しておこうと思った。
ヨロイがクレマンティーヌを連れ去った後、クラーゲはシコシコらから事情を説明されていた。
クレマンティーヌが猟奇殺人犯だということを聞いて、彼女は身を乗り出した。
「ちょっと待って下さい。なら、彼女と二人きりのヨロイさん危ないですよね?」
ヨロイ同様に、クラーゲは今は薄着だ。身を乗り出した際の彼女の胸元を見て、シコシコは、おうふっ、と喜色ばんだ声を上げた。
「ま、まあ……マリーたんなら大丈夫でしょうぞ。クレマンティーヌたん、ぶっちゃけ弱いんで」
この世界でいうならば、クレマンティーヌは最強の戦士なのだが、変態にとっては欠伸が出るほどの雑魚だった。それに、ヨロイは防具を身に付けていないとはいえ、プレイヤースキルだけでいうならば、ドラングレイグ王国騎士団内においては、彼の見立てでは上から2番目の実力だ。負けるわけがない。
「はあ……、弱いんですか。よくそれで、なんて言いましたっけ? ユースケさんでしたっけ? 彼を倒せましたね」
「弱いとはいっても、プレイヤースキルが高くてレベルもカンストしてるシコシコさん基準ですから……。彼から聞いた限りで言えば、そこらのプレイヤーからしてみれば、十分驚異だとは思いますけどね」
ウザベルが苦笑して言った。実際、彼の言っている通りだろう。
一瞬で距離を詰めて刺突攻撃を行ってきたり、確定反撃として不落要塞によるパリィを行ってくるクレマンティーヌは、並みのプレイヤーからすれば、ボス以上の相手だったことだろう。基本的に回避能力の高いクレマンティーヌは、待ちゲ―をして刺突攻撃時にパリィをしない限り、プレイヤーが有利をとることは不可能だ。
「そういえば、ユースケさんはどうなりましたか? こちらの街へ帰ってきましたか?」
「我々みたいに、エ・ランテル近郊に篝火を作っていたというわけではなさそうですので、わかりませんね」
「そうですか。まあ、ユースケさんの件に関しては、明日の騎士団定例会議で決定することとしましょう」
騎士団定例会議とは――クラーゲを議長とした三日に一度行われる、今後の方針を決定・調整する会議である。
彼女は、
「クレマンティーヌはこちらでしっかりと監視しておきますので。……では、明日」
と言って、踵を返してドアノブに手をかけた。
「おふっ。ちょっとタンマですぞ、クラーゲたん」
シコシコに呼び止められ、振り返る。
クラーゲが不審に思い、首を傾げると、彼は手のひらに指輪を載せ、それをこちらへと差し出してきた。
「退魔プラス1に鉄加護プラス2、竜印に古い獅子……これらをなぜ私に?」
「クレマンティーヌたんに渡して欲しいですぞ。ぐふふ……」
(うっ、き、気色悪い!)
賤しい笑みを浮かべたシコシコに、クラーゲは顔を引き攣らせた。
「わ、わかりました。渡しておきます……。――ああ、言い忘れてました。ウザベルさんとハゲピカさん。貴方がたも明日の定例会議への出席、お願いしますね。場所はこの宿で借りた一階のホールの奥、大部屋になりますので」
クラーゲの要請に、二人は頷いて了承した。
部屋を後にし、廊下へ出た後、彼女は脱力した。
めんどくさい事押し付けてきやがって、あのド変態め――。
明日の騎士団定例会議でクラーゲは、クレマンティーヌをシコシコの監視管理下に置く、という提案を出すようにと彼に頼まれているのだ。
王として、できる限り配下の頼みは聞いてやらねばなるまい。それにしても、王というのはやたらと気を遣うし、疲れるな――。
彼女は隣室へ入ると、勢いよくベッドへと腰掛けた。
クレマンティーヌ New
装備 右手:鎧貫き、スティレット3種 左手:夜の短剣
防具 兜:なし 胴:砂の魔術師の上衣+10 籠手:砂の魔術師の手袋+10 具足:砂の魔術師のスカート+10
指輪:すべての退魔の指輪+1、鉄の加護の指輪+2、静かに眠る竜印の指輪、古い獅子の指輪
追記22:08
誤字報告ありがとうございます。
感想返しに関しましては、本作がある程度進むorストックが溜り次第、時間のある時に反したいと思います。
すみませぬ