ハリーとロンはあと一つでも問題を起こせば退校処分となるそうだ。自業自得である。
二年生で新しく始まる教科はない。それどころか飛行訓練がなくなったので一つ減るのだ。授業数は少しばかり増えたが、科目が増えないのなら関係のないことだった。
去年と同じように加点ラッシュの弦にレイブンクローの同輩たちが声をかけてくるようになったのだけは去年と違っていた。
どの授業が最高だったかと聞かれれば答えられないが、どれが最悪だったかと聞かれれば答えられる。そのときは迷わず闇の魔術に対する防衛術だと言うだろう。それほどまでに今期の教師は最悪だった。去年よりもひどい。
去年の担当だったクィレルは授業中にひどい悪臭がして、さらにひどくどもっていたが授業内容は比較的まともだった。
しかし今年の担当であるロックハートはまともじゃない。自分の出した教科書ではない本を教科書とし(この時点ですでにおかしい)、一番初めの授業ではその七冊もの本を読んでいるかのチェックテストが行われた。そのテスト内容はゴミ屑にも劣るので割愛。
ロックハートの容姿に惹かれている女生徒をのぞいてレイブンクロー生の中で彼の信用は地に落ちていた。授業もピクシーを使って失敗してからは(レイブンクローの授業ではなかったのでその事件に関しては又聞きだ)ただの朗読会と変わらないし、勉強にならない。パドマは夢中のようだがリサも弦も決して同意はしなかった。
談話室の片隅でパドマが同様のロックハートファンと盛り上がっている間にリサがそろそろとこっちへ来て弦の隣に座った。
「ユヅルはロックハート先生のこと、どう思う?」
「教師には向いていない」
「ははっ」
テリーが声をあげて笑う。それからよく言ったとばかりに弦にウィンクをした。ロックハートがすると嫌悪感しかわかないのに、テリーがすると普通だ。
「今年も外れだ。七年生と五年生の先輩達はひどいことになるな」
マイケルの言葉にアンソニーは苦笑した。
ホグワーツでは五年生と七年生の学年末に魔法省から試験官が来て学年末の試験が行われる。受験のようなものだ。五年生では通称
先輩方にはご愁傷様としか言いようがなかった。
「でも、これでわかった」
「何が?」
首を傾げる面々に弦は言った。
「防衛術の教師はあてにならない。念入りな自習が必要だ」
「確かに」
ハーマイオニーがロックハートのファンだと知ったのは新学期が始まって一週間目のことだった。図書室で本を物色していた弦にハリーが声をかけたのだ。
「ユヅル!」
「ハリーか。こうやって話すのは久しぶりだな」
「うん」
司書のマダム・ピンスに見咎められないよう棚の陰に隠れつつ、小声で言葉を交わした。
「派手な入城だったみたいだな」
「……ユヅルまでお説教?」
「しないっつの。どうせこってり絞られてるんだろ?」
「ウン、まあね」
「なら必要ないだろ。そんな暇もないしな」
弦が会話の間にも探していた本を手に取り、ぱらぱらとページをめくった。
「暇がないって……忙しいの?」
「ああ、少しな」
防衛術の自習をするなんて言えばハリーたちが興味を示すのはわかっていた。だから内容は言わずただ忙しいと言葉を濁す。
「僕、ユヅルに宿題手伝ってもらいたかったのに」
「ハーマイオニーがいるだろう?」
「うーん……ハーマイオニー、ロックハートに夢中で……」
「……まあ、好みは人それぞれだろ」
意外だったが、本に書いてあることが全てだと信じ込む面がある彼女らしいことだと弦は妙に納得した。
「ああいうのはボロボロとメッキが崩れていくもんだ。ほっとけ」
「でもすごいからまれるんだ」
「自分より目立つ奴を牽制したいんだろ。流せ。相手にしないのが一番だ」
相変わらず容赦のないその性格にハリーは苦笑しつつも「またね」と言って去っていく。
しばらくその棚の前で本の物色を続けていればトントンと肩を叩かれた。今日は来客が多いなと思いながら振り返れば、そこに立っていたのはセドリック・ディゴリーだった。
黒髪に灰色の瞳。ハンサムな顔立ちをしたセドリックはハッフルパフの四年生だ。去年、弦とは廊下でぶつかったという場合によっては最悪の出会い方をし、わざわざそのお詫びに厨房の場所を教えてくれた好青年だ。弦の中で彼は良い人と位置付けられていた。
「やあ、ユヅル。久しぶり」
「どうも、ディゴリー先輩」
「セドリックでいいよ」
「気が向いたら」
つれない返事にもセドリックは穏やかに笑ってる。そんな彼を見て弦は首を傾げた。
「随分、機嫌が良さそうですけど、何かありました?」
「えっ」
「?」
ただの興味本位で聞いただけの弦に他意はない。けれどもセドリックは妙に焦ったようにする。きょとんとする弦にセドリックは誤魔化すように苦笑しながら言った。
「防衛術の本、探してるの?」
「ええ、まあ……今年は期待できそうにないので」
「あー……」
セドリックもそれは思っていたのか、曖昧に頷いた。真面目な彼のことだから先生を悪く言う事などできないのだろう。こういうところはハーマイオニーと共通している。
「自習するってことかい?」
「はい。生徒である以上、教師は選べませんから。足りない分は自分で補わないと……来年も期待できるかはわかりませんし」
持っていた本と新たに抜き取った本を抱えて弦はセドリックを見上げた。
「じゃあ、これで」
「あ、うん。勉強、あんまり無理しすぎないようにね」
「注意します……あなたも、クディッチで怪我しないように気をつけて下さい」
それからすぐに踵を返した弦は知らない。残されたセドリックが頬を赤くして立ち尽くしていることなど。
適当な空き教室に入った弦は、覚えたばかりの防音魔法で教室を隔離し、その中で図書を開いた。目次から目当てのページを見つけ出し、そこを開く。
「ふむ……」
文字を眼で追っていく。
ページに書かれていたのは<守護霊の呪文>だった。去年は習得を諦めたこの呪文は、とても強力で使える気がしていた。なにより自分の守護霊がどんなものかとても気になる。
「よし」
読み込んだところを頭の中で反芻し、杖を握る。必要なのは魔力と幸せな記憶。明確な幸せな気持ちが、魔法をより強くする。
幸せな記憶と考えて、初めて祖母に教えを施されたときのことを思い出した。あのときの成功はとても嬉しかったし、何よりも祖母が褒めてくれたことが幸せだった。
「エクスペクト・パトローナム」
ゆるゆると白い靄のようなものが杖先から出た。それは杖からそう遠くない位置で空気にとけて消えてしまい、守護霊を創りだす気配はない。
もう一度、呪文を唱えればその靄は丸く盾の形を創った。一応、成功はしているらしい。だが守護霊の前段階の盾でさえなんだか頼りない。
幸せが弱いのか。もっと何か別の記憶を、と考える。だがいくら試しても白い靄が盾以外になることはなかった。
「……難しいなあ」
ぼやき、今日は止めようと防音魔法を解除する。魔法を使うための力は問題なかった。幸せな記憶だけが課題のようだ。
「幸せ、ねぇ……」
深く考えこめば考え込むほど哲学的になりそうで、弦はとりあえず夕食のために大広間に向かうことにした。
夜になってベッドに入り、再び幸せの記憶について考えた。
最初の祖母との記憶は四歳になったばかりのころだ。はっきりと言葉が話せるようになったということで調合をやらせてもらい、初歩的な薬を完成させたのだ。その出来がどうであったかはもう覚えていないが、祖母の満足気な笑顔は今でも記憶に残っている。
それ以外の記憶も嬉しいと思い、幸福感に満たされたものだったが足りず、弦はすっかり行き詰った。
「…………寝るか」
思い浮かばないなら仕方ない。他に覚えたい魔法だってあるし、そのうち丁度いい記憶を思い出すかもしれない。他にやりたいことをやろう。
ホグワーツの温室には様々な不思議な植物がある。
「ミス・ミナヅキ。そろそろ朝食に行きなさい」
「はい、スプラウト先生」
温室の管理は薬草学を教えているスプラウト教授がしている。そのスプラウトと薬草について語り合った結果仲良くなり、ときどき温室での世話を手伝うようになった。
今朝もナグリラ草の収穫を手伝ったのだ。あれは早朝に薬効が高まるのでそのときに摘み取れば質のいいものが手に入る。ナグリラ草は精神安定の効果のある魔法薬を材料に使えるし、他の精神系統の魔法薬のレシピとも相性が良く、効能を高めてくれる。温室にあるものの半分はスネイプに渡されるそうだ。
手伝ったお礼にといくつかもらえたので、魔法薬の練習に使わせてもらおう。
大広間はすでに賑わいを見せはじめており、弦はレイブンクローのテーブルに座って手招いているアンソニーを見つけた。呼ばれるがままにそこに近づき、彼の隣に腰かける。目の前にはまだ眠そうなマイケルと、日刊預言者新聞を見ているテリーが座っていた。
全員と挨拶を交わし、弦は今日の予定を考えた。土曜日だから授業はない。ちょうど同じことを考えていたのか、テリーが「今日はどうする?」と言ってきた。
「俺とマイケルはクディッチの練習はねぇし」
そうなのだ。テリーとマイケルはクディッチの選抜試験を受けて見事、ビーターとなった。二人は筋がいいらしく、言い合いをしながらもコンビネーションが決まるのだ。選抜を応援観戦していた弦とアンソニーが二人の口喧嘩に呆れたのは言うまでもない。
「課題も終わっているし、どうする?」
ようやく頭が回るようになったマイケルが、けれども眠気の残る声色でそう言った。確かに課題は昨日までで終わっている。となれば自習だが。
食事を続ける弦にアンソニーが問いかけた。
「ユヅルはどうするつもりだったの?」
「ん? そうだな……読書か自習かな」
「お前に遊ぶという考えはないんだな……」
テリーのうめくような言葉に弦は首をかしげた。
「学校にいる間は魔法が使いたい放題だから。家に戻るとそうもいかないし」
家じゃ、学校でできないことをやっているし。
「ああ、なるほど。確かにそうだね」
未成年の就学中の魔法使いや魔女が学校外で魔法を使うのは法律で禁じられている。だから弦は学校で覚えられるだけの魔法を覚えていた。去年のようなことがあると思いたくはないが、備えあれば憂いなしともいう。
「そういや、ふらっといなくなることあるな。なにやってんだ?」
「魔法の実践。使ってみないとわからないものもあるし」
「俺もやりたい!」
テリーが俄然やる気になった。
「別にいいけど……」
「じゃあ、僕もいいか?」
「あ、もちろん僕も混ざりたいな」
弦が了承の意を込めて頷けば、三人は楽しみだと笑った。テリーなんかは「秘密の特訓みたいだよなぁ」とのんきである。
まあ、ちょうどいい。一人でやるより何人かでやれば楽しいだろう。ゆくゆくは決闘とやらもできるかもしれない。なぜかマイケルがぶるりと身体を震わせた。
「ユヅル!」
食後のお茶を楽しんでいるときに、後ろから声をかけられた。ハーマイオニーとロンだ。ハリーがいない。
「おはよう」
「おはよう。ハリーがいないな」
「クディッチの練習なんだ。ウッドがはりきってて」
ロンの言葉に「ふぅん」と返す。一年のころから期待されている彼は今年も大いに活躍を求められるらしい。ご愁傷様である。
「私たち、今から見学に行こうと思ってるの。ユヅルも来ない?」
「あいにくと、先約がある。それに
弦の言葉に二人は残念そうだが、自分をつれていってあとあと文句を言われる可能性がある。今年からビーターになった二人の友達なのだから、クディッチで熱くなっている者からはスパイと疑われかねなかった。グリフィンドールのオリバー・ウッドはクディッチにうとい弦でも知ってるクディッチ狂だ。
「練習してお腹が空いているだろうから、簡単に食べれるものと、熱い飲み物を持って行ってやったらどうだ?」
「そうね。そうするわ。ありがとう、ユヅル」
「どういたしまして」
「またね」
「ああ」
二人はさっそくグリフィンドールのテーブルに戻って準備を始めた。それを最後まで見届けることなく、弦は立ち上がる。
「さて。私たちもいくか。まずは空いている教室探しだ」
空き教室は割とすぐに見つかり、弦は防音魔法をかけた。その慣れた手つきに三人は感心していた。それを横目に教室内の環境を手早く整えていく。
「ユヅルっていっつもこんなことしてたのか?」
「割とね。できる時間はほとんどあててるよ」
「君は努力してばかりだな」
「できないことを嘆くより、できるようになるまで足掻くほうがいい」
「成程な」
「さ、何から始めるんだい?」
アンソニーの言葉に弦は少し考えた。
「私は好きなところから始めているからなぁ……」
「ちなみに最初に覚えたのは?」
「縛り呪文と縄だし呪文、加えて麻痺と失神呪文」
「物騒!」
「まあ、ユヅルは一年の時にあんなことがあったからね……」
「覚えたのはその一年の時だけど」
「…………」
なぜ無言になる。
「……今は何をしているんだ?」
「とりあえず覚えられるものは片っ端から。一番最初に覚えようとしたものに挫折した」
「ユヅルが?」
「テリー、私をなんだと思ってるんだ。失敗もするさ」
少々むっとした弦に、テリーは笑いながら「だってユヅルができないってところ見たことねぇもん」とのたまった。失礼な奴だ。
「はぁ……守護霊の呪文を覚えようとしたんだ。一年の時にもろもろ調べていて見つけて。そのときは時間の関係で諦めたから今年こそはって考えたんだけど……まあ、うまくいかなかった」
「守護霊の呪文って、できたら七年の先輩もびっくりだよ……」
「あ、やっぱり?」
「びっくり通り越して感心するわ。あくなき探究心。叡智の奴隷。さすが我らがレイブンクローのエースだな」
「まったくだ」
「褒めてんのか貶してんのか……」
深く息を吐き出した四人は、のろのろと練習を始めた。
人に向けての練習はリスクが高すぎるので、弦が一人でしていたように的当てを中心に進めていく。狙い通りにうつというのは難しいようで、三人は競争しては喜んだり悔しがったりと忙しい。
そんな三人にちょこちょこアドバイスをしてやりつつ、弦は自分の課題と向き合っていた。そのために座禅をしている。
靴と靴下は脱いでいる。スカートのまま足を組むといろいろうるさいのがいるので七分丈のスラックスに履き替えていた。ローブとネクタイをたたんでわきによけ、目をつむったまま黙考する。
幸せな記憶とは何か。四歳の時のものは駄目だった。ならば別の記憶を。初めて受けたテストの点が満点だったのも駄目。父に誉めてもらったのも駄目。父の友人たちとの記憶も駄目。
幸せとは何か。生きていくうえで、心があれば感じられる幸福感。それは人それぞれだ。弦にとってそれはなんだろうか。
祖母と過ごした思い出。父と過ごした思い出。母と過ごした思い出。幸福な記憶と聞かれれば家族との思い出が頭に浮かぶ。最近は冷え切ってしまった母との関係を諦めきれないのは、かつての日々があまりにも輝いているからだろう。
ふと思い出したのは、古い記憶だ。おぼろげで儚く、思い出さなければ思い出す方法も忘れてしまいそうな、それでも今まで残っていた記憶。
春の麗らかな日差しが包み込む庭で、弦は祖母と土をいじっていた。植えたばかりの薬草も、父が子供のころから根付いている木々も、庭の植物はすべて祖母が育ててきたものだ。一心不乱に土をいじっている弦に父から声がかかる。縁側で母と共に娘を見守っていた父は、そろそろ休憩が必要だろうと手招いた。素直にそれに従った弦は、水道で手を洗うと両親のもとへと駆け寄る。父はそんな娘を抱きしめあとに両手で抱え上げ、自分の膝の上に乗せた。母はそれを微笑んでみつつ、麦茶の入ったグラスを差し出す。父はそれを受け取り、弦に与えた。父の手に支えられたままグラスを手に取り喉を潤した弦は、残りを祖母に差し出した。ゆっくりと引き上げてきた祖母は笑顔でお礼をいい、グラスを受け取る。庭先の桜からちらちらと花弁が舞い落ち、弦の両掌の中に落ち着いた。
ゆっくりと瞼を押し上げる。遠のいていた周囲の音が急激に戻ってきた。三人の騒ぐ声が聞こえるが、弦はそれに構わず目の前に寝かせていた杖を拾い上げ立ち上がる。
「エクスペクト・パトローナム」
次の瞬間、杖の先から飛び出したのは白銀の大虎だった。
守護霊の形は術者に大きく左右される。自分の守護霊が虎であったこと、しかも普通の虎よりも大きいというのはどう受け止めればいいのかわからなかった。
これは私の内面が虎のように狂暴だということだろうか。喧嘩売ってんのか。
「う、わ……」
テリーは思わずと言ったように声をもらし、アンソニーもマイケルも目を見開いたまま虎を凝視する。
虎は弦の前に行儀よく座ると、その鼻先を近づけてきた。思わず右手でそこを撫でれば、気持ちよさげに目を細めた。
「思ったより大人しいな」
「いやもっと他に言うことあるだろ!?」
君は本当にびっくりさせるな!
マイケルの言葉に頷きつつ、テリーもアンソニーも苦笑いをにじませている。つくづく失礼な奴らだ。
「できたもんは仕方ない」
弦のあっけらかんとした態度に、三人はそろってため息を吐いた。むかついたので虎をけしかけておいた。
誤字報告がありましたので訂正しました。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。