相棒 アナザーエピソード 藤色の秘密【相棒×源君物語】   作:十宮恵士郎

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ドラマ『相棒』と漫画『源君物語』のコラボレーション。
どちらの作品も好きなので書いてみました。

どちらかしか知らない人も読める仕様になっていると思います。
どちらかのファンの人が、もう片方を好きになってくれると嬉しいです。

「源君物語」の作中世界が2011年と思われるので、相棒側の登場人物も
2011年、つまりシーズン10の設定に合わせています。
なので右京さんの相棒はまだ神戸君です。
ご了承ください。



前編

 

「だして!!! だしてぇ!!!! …………だれか!! たすけてぇ!!!!」

 

 

 

 

 

 

「…………ん……んん…………?」

 

 耳障りな金属音。

 それが、何度も何度も、まるで何者かを脅迫するように鳴り響く。

 まったくもって不快な音と、重たい空気。

 そんな場所で、藤原香子(ふじわら かおるこ)は目覚めた。

 

 

「……さっきから、なんだ……?」

 

 

 重たい頭を振りながら、香子は頭を上げる。

 ……どうも胸が苦しいと思ったら、どうやら自分はうつ伏せの状態で倒れていたらしい。

 目の前にうっすらとだが、木製の床が見える。

 ……妙だな、と香子は感じた。

 一体全体なぜこんなところで、私は倒れている。

 ……そもそも、自宅でも何でもないところで、倒れているなんて不自然ではないか。

 

「……いた……っ」

 

 なぜか痛む頭を振りながら、香子は周りを見渡す。

 ……とても殺風景な部屋だ。見慣れた大学の講義室によく似ているが、

壁は荒れ果て、床にはホコリが降り積もり、長い時間使われていないようだ。

 なぜかそんな部屋に自分はいて、しかも、幼い女の子が間近に見える。

 パニックに陥って、壁か何かを叩いて泣きわめいている、そんな感じだ。

 …………そうだ。ここは勤め先の大学の、旧校舎の中。

 なぜ自分は、そしてすぐ傍で錯乱している彼女は、ここにいるんだ?

 

 

「……お、おい君……私たちは一体……」

「ああああぁぁん!!! いや! いやぁあ!! たすけて!! たすけてよぉ!!!」

 

 

 少女に呼びかけてみたが、まったくこちらに反応しない。

 よほど気持ちが動転しているのだろうか。

 …………だが。

 答えない彼女の代わりに、何やら別の物音が香子の耳に聞こえてきた。

 どたどたという騒音。何やら叫んでいる男の声。

 ……これは足音? そして…………誰かを呼んでいる?

 しかも…………この部屋に、だんだん近づいているような、

 

 

 

 バァァン!!! と大きな音を立てて、少女とは反対方向にある扉が弾け飛んだ。

 

 

 

「……いたぞ!! いたぞぉぉ!!!」

「そこだ!! 保護しろ、急げ!!!」

 

 そして扉のあった場所から入りこんでくる、複数人の男たち。

 ……警官?

 自分たちを助けに来たのか?

 と、香子が訝しがった、その瞬間。

 

「……おとなしくしろ!!」

 

 突然男の1人が、大声と共に香子に飛びかかってきた。

 わけもわからぬまま組み伏せられ…………カチャリ、と不吉な音がする。

 ……刑事ドラマなどでよく聞く、しかし現実世界ではなかなか聞く機会のない音。

 まさか…………

 

「藤原香子!! 誘拐事件の重要参考人として、身柄を拘束する!!」

 

 

 

 

 

 

「それでぇ? 准教授さん、あんた何であんな時間に、旧校舎なんかにいたんですかねぇ?」

 

 目の前に座った、非常に特徴的な顔をした刑事が、ねっとりとした口調で問いかけてくる。

 ……この男、苦手だ。と、香子は何よりもまず感じた。

 文学の主役になるどころか、文学のぶの字も感じられない。

 源氏物語に「伊予介」という男が出てきたが、まさにあの男のような感じ。

 なぜそんな男に、しかも取調室で、話しかけられねばならないのか。

 目を閉じて溜息をついていると、別のもっと若い声が聞こえてくる。

 

「藤原さーん? このまま黙っていても、何も始まりませんよー」

 

 実際その通りだろう。犯行を認めず黙秘している、などと思われても困る。

 シャクな気分だったが、香子は目を開けて男たちを見、口を開いた。

 

「そんなこと、私が知りたいぐらいだ。なぜあんなところに気を失って倒れていたのか、

 あの少女は誰なのか、何もわからないんだ」

「とぼけないでくださいよ、准教授先生」

 

 特徴的な顔の男――伊丹(いたみ)とか言ったか――が、顔をしかめたままどこか得意げに、言う。

 それに続いて、彼の隣に控える若い男が話し出す。

 

「あなたと一緒にいた女の子ね。監禁されてる間のことを、思い出して話してくれたんですよ。

 ……犯人はね、一緒にいる間、ずっと彼女に囁いていたんですって。

 源氏物語の『若紫』。当然、知ってますよね?」

「あんたが研究対象以上の愛情を源氏物語に注いでるってことは、もう調べがついてんだよ」

「……それで? 警察はそれだけで私を、犯人扱いするのか?」

「残念だがね、女の子を拘束してた布や縄からも、あんたの指紋がバッチリ出てんだ。

 どうあがいても、あんたが一番の容疑者ってことは変わらないんだぜ」

「……………………」

 

 つとめて無表情に、しかしどこか焦りを感じさせるような仕草で、香子は横を向く。

 そんな香子の様子を、二人組の刑事は疑わしげな目つきで眺めていた。 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ怪しいぜ、あの女は」

「センパイも、そう思います?」

 

 先程まで香子を尋問していた二人の刑事が、廊下を歩いていく。

 今度はその後ろに、年配の刑事も連れていた。

 

「だけどよ伊丹、今のままじゃ証拠は全然足りてないぞ」

「わかってるよ三浦(みうら)さん、だがあの女が事件の手がかりになることだけは間違いねぇ」

「何か隠してそうでしたもんね、あのヒト」

「それもある。あと現場にいたってこともな。

 紫雲大学准教授、しかも大学内でのカリスマ的存在ときたもんだ。無関係の奴が誘拐事件に巻きこむとも思えねぇ」

「犯人が別にいるにしろ、彼女の関係者である可能性が高いですね」

「そういうこった。よし、行くぞ!」

 

 三人組の刑事たちは廊下の先へと歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 

 一方、警視庁本庁舎の前では――

 

「……困ったな…………どうしたらいいんだろ、オレ……」

 

華奢な身体つきの少年が、呆然と立ち尽くしていた。

 少年、と言っても、それは彼の服装でそうとわかるに過ぎない。

 彼の顔立ちは極めて中性的で、しかも少女と見まがうほどに可憐だった。

 さっきから数分間、ひとつところから動かない彼を、何人かの通行人が好色な目で振りかえっている。

 

 

「そんなところで、どうしました?」

「……うわぁっ!!」

 

 

 不意に声をかけられて、少年は思わず驚いてしまう。

 声のした方を見ると、いつの間にか、そこには二人組の男が立っていた。

 何だか奇妙な二人組だった。

 一人は――紳士然とした雰囲気を漂わせる、初老の男だった。

 眼鏡の奥からのぞく視線はとても柔らかくて、優しそうで……それなのに、

どこか観ているこちらを不安にさせるような真っ直ぐさを持っている。

 そしてもう一人は――初老の男より、ずっと若い男だった。

 細い目をして、どこか上品な顔立ち。

 シャレたスーツが、色の薄い肌によく似合っている。

 香子さんが見たら、興味を持ちそうだ、と少年は思った。

 

「すいません……えと……オレ……源光海(みなもと てるみ)って言います。

 叔母さんが、事件に巻きこまれて……」

「叔母さん? 君の?」

「はい……藤原香子。何か聞いてませんか?」

「ああ。誘拐事件の参考人の」

「詳しいことは何とも言えませんが、まだ中にいると思いますよ?」

 

 初老の男の言葉に、少年は表情を曇らせる。

 

「…………やっぱり、香子さん、疑われてるんですか。

 犯人が、源氏物語の話をしてたってことで」

「あれ。その情報は、まだ公表されてないはずだけど」

「幼い女の子ですからねぇ。どこかで口を滑らせてしまったのかもしれません」

「……よくわからないんですけど、大学で噂になってるみたいで……」

「……それは……辛いだろうね」

 

 若い細目の男の言葉に、少年は顔を伏せる。

 ……しかし、何かを決意した表情で顔を上げると、二人組に向かって言った。

 

「みんな言ってます……女の子を若紫に見立てて、さらったんじゃないかって。

 でもオレはそうは思いません。

 香子さんにとっての若紫は、あの子じゃないと思うんです」

 

 それ自体は弱々しい、少年の精一杯の主張。

 しかし、それが「何か」を動かした。

 初老の男が目を閃かせ、少年に返答する――

 

「……どうして、そう思うのでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

相棒 ten

アナザーエピソード「藤色の秘密」

 

 

 

 

 

 

 

 

 澄み渡った空に、軽やかなチャイムの音が響きわたる。

 時間は、午後3時頃。働いている大人にとっては、一日もまだまだ半ばというところだが

子供にとっては、窮屈な時間から解放され遊びに興じはじめる時間でもある。

 その時間に――彼らは、小学校にやって来ていた。

 チャイムの音が鳴り終わると、三々五々、小学生が校舎から出てきて帰宅の途に就きはじめる。

その多くが、元気いっぱいで、これから始まる自由な時間を前に胸を膨らませているような様子だった。

 そして、その中に――

 

「……光海、お兄ちゃん!?」

 

目的の少女がいた。

 少女は、当初こそ光海がいることに目を丸くして驚いていたが、

すぐに晴れやかな笑顔を浮かべて、軽やかな足取りで光海の下までやって来る。

 

「やあ……紫亜(しあん)ちゃん。久しぶり」

「お兄ちゃん! お兄ちゃん、どうして学校にいるの?」

「あ……うん、それは……ちょっと、紫亜ちゃんに、話をしてほしい人がいるんだ」

「はなし……してほしい、人?」

 

 光海のその言葉を待っていたかのように、気配を抑えていた後ろの2人が

光海の隣に並んで、紫亜と呼ばれた少女を見下ろす。

 

「どうも、紫亜ちゃん。こんにちは。僕は、特命係の杉下右京(すぎした うきょう)と言います」

「僕は、神戸尊(かんべ たける)。僕たちはね、警察官なんだ」

「けーさつかん……お巡りさん、ってこと?」

「そういうことになります」

「じけん……起こったの?」

「ううん、違うよ。僕たちは、ちょっと調べものをしているだけなんだ」

 

 そう言って、神戸と名乗った端正な顔の男が、光海に目配せをする。

 光海は一つ頷いて、話し出した。

 

「紫亜ちゃん。この人たちに、香子さんのことを教えてあげてくれないかな」

「香子……お姉ちゃんの?」

「そう。香子お姉ちゃんと紫亜ちゃんは、どういうカンケイなのかな」

「えっとね!」

 

 紫亜は、少し緊張した様子で、けれど嬉しそうに言葉を紡ぐ。

 

「香子お姉ちゃんはね! すっごいきれいで、やさしい人!!

 頭もよくてね、紫亜に『げんじものがたり』のこと、たくさん教えてくれるの!」

「そうですか……香子お姉さんのことは、好きですか?」

「うん! 大好き!」

「紫ーー亜! 何してるのー? 行っちゃうよー!」

「ごめんーー! 今いくーー!」

 

 話の途中だったが、友達に声をかけられてしまったようだ。

 おずおずと光海を見上げる紫亜だったが、光海が優しく頷くと、

友達に向かって手を振った。

 

「じゃあ紫亜ちゃん、さようなら」

「うん! じゃあね、光海お兄ちゃん! けーさつかんのおじさん!」

 

 そう言って、手を振りながら、紫亜は友達が集まる方へ帰っていく。

 しばらく、そんな彼女の微笑ましい姿を見送っていた3人だったが、

彼女が別の方を向いて行ってしまうと、小学校に背を向けて歩きだし、

一転して真剣な表情になって話しはじめた。

 

「……これで、わかってもらえましたか? 紫亜ちゃんのこと……」

「確認するけど……彼女が、そうなんだよね。

 藤原香子さんにとっての、本当の“若紫”」

「はい。香子さんは本当にすごい源氏物語マニアなんです。

 誰かを源氏物語のキャラクターに見立てるときにも、すごく相手を細かく観察して、

 本当に“合っている”と思った相手にしか、そういう扱いはしないんです」

「つまり……近くにいる小学生を、勝手に若紫に見立てて

 誘拐するなんて真似は絶対にしないと」

「……はい」

「光海君の言うことは、一理ありますねぇ。それに……

 あれだけ懐いてくれている子供がいるのに、それを無視して

 別の子供を無理やり若紫に見立てようとするのは、合理的な判断とは言いがたい」

 

 杉下と名乗った初老の男と神戸が、共に自分の考えに同意してくれたとわかり、

光海の顔から緊張が解けていく。

 だが対照的に、杉下と神戸は難しい顔のままで話を続けている。

 

「……しかし、だとすると誘拐事件は、どういう経緯で起こったことになるんでしょうか」

「考えられるのは……犯人に、誘拐された少女と、藤原香子さんのそれぞれに対する

 執着があった、もしくは……藤原さんに少女誘拐の濡れ衣を着せるために誘拐した、

 この2つの内の、どちらかでしょうか」

「現時点だと、ちょっと絞るのが難しいですね」

 

 そこまで話が進んだところで、軽快な電子音が鳴り響いた。

 杉下と神戸が振り向き、音の鳴る方を見る。

 音源は――光海のポケットだった。

 

「す、すみません!!」

 

 光海は慌てながらも、素早くスマホをポケットから出し、耳に当てる。

 

「もしもし……あ、夕さん! この間はどうも……

 え? 今度の場所?

 すみません! ちょっといろいろあって、まだ決めきれてなくて……

 今考えてる候補は……」

 

 そんなことを言いながら、何やらメモ帳を取り出して頭を抱えている。 

 電話をしながら少し杉下たちから距離を取ったが、相手の声も少しだけなら聞こえてくる。

 どうやら話し相手は女性らしかった。

 

「……すいません、話の邪魔しちゃった上に、お待たせしちゃって……」

「ああ、いいのいいの、どうせ僕たちは……」

「ヒマですから、ねぇ」

「ところでさっきの電話の人は? 知り合い?」

「あ……えーとですね……」

 

 さっきまでずっと緊張していた光海の顔が、これまでと違う表情を見せた。

 どこか気恥ずかしそうで、しかし嬉しそうで、誇らしそうでもある、緩んだ表情。

 そんな表情で、少し頬を染めながら彼は言う。

 

「オレの……彼女、です」

 

 

 

 

 

 

「……え? 最近の、香子さんの様子?」

「はい。それを是非、教えていただきたいと思いまして」

 

 場所は変わって、大学の構内。その休憩スペース。

 杉下、神戸、光海の3人は、2人の女子大生と向き合っていた。

 2人とも、歩いているだけで人目を引きそうな美人だ。

 そのうちの1人、童顔でショートカットの方の女性に光海が頭を下げる。

 

「頼むよ朝日(あさひ)。今、香子さんが無罪か、そうじゃないかが決まる大事なとこなんだ。

 何でもいいから、何か思い当たることがあったら……」

「そう言われても、特に何も……あ、光海! あんた、寝グセついてるわよ」

「え、本当!?」

「本当よ。……ったく、しょうがないわね」

 

 そう言いながら、朝日と呼ばれた少女は光海の髪に触れ、寝グセがついているところを

直していく。

 二人がとても親密な関係らしいということが見てとれる。

 

「お二人は、随分仲がよろしいんですねぇ」

「ふぇっ!?」

「あ……いや、オレたちは従姉弟同士なんですよ。言ってませんでしたっけ」

「おや、そうでしたか」

「何だか、付き合ってるみたいにも見えたけど」

「つっ……付き合うだなんてそんな! 誰が光海と!」

「お、おい朝日、それはないだろ……」

「別にいいでしょ。気を遣うような仲でもないし。

 ……ああそうだ、ねえ月子(つきこ)、あんたは何かないの。

 最近の香子さんの様子で、気になること」

「ねえ朝日。…………あたしは今本当に、現実世界(リアル)にいるのよね」

「…………はぁ??」

 

 朝日が怪訝な顔つきで、横にいる長い髪の少女――月子を見る。

 だが月子は、朝日の方など見ておらず、

その視線は、目の前に立つ神戸の顔に釘付けになっていた。

 

「今まで……現実世界の男なんてダメ、って思ってたけど、

 よくよく考えると現実世界も結構――」

「ちょっと、何言ってるのよ月子! しっかりしなさいよ!」

 

 朝日が月子の肩を握って激しくゆする。

 本人たちは至って真剣なのだろうが、傍から見るととてもおかしな光景だった。

 神戸も、杉下も苦笑いしながら2人を見ている。

 

「光海君は、なかなか面白いお友達をお持ちですねぇ」

「うーん、いつもはもっとまともなんですが」

「ちょっと光海! さりげなく私をダメな側に混ぜるんじゃないわよ!」

「こらこら、乱暴はよくないよ……あ」

「…………あ」

 

 朝日が光海に向けてげんこつを振り上げ、コミカルな乱闘が始まろうとしたその時、

神戸が何かに気づいたように、休憩スペースの向こうの廊下を見る。

 そして、廊下の方からも応じるように、声。

 神戸以外の4人がそちらを見ると、そこには黒スーツを着た3人の男が立っていた。

そのうち1人が神戸を見て、残りの2人はその様子に気づき、

一番前に立つ方の男が頭を抱える。

 

「何で特命がまたいるんですかねぇ!」

「おやおや伊丹さん。ご苦労様です」

「へ? お知り合い? ……うわっ、強面!」

「ちょっと月子! 失礼でしょ!」

 

 伊丹刑事の特徴的な顔立ちに驚いた月子が、遠慮のない発言をかます。

 しかも神戸の顔と見比べるような動作付きなので、破壊力は倍増だった。

 

「……センパイ、若いコって残酷っすね」

「うるせぇ! ……もういいだろ、ホラ行くぞ!」

「ああすみません! 皆さんここに、どんな用事で来られたのでしょう」

「決まってるじゃないですか! 誘拐事件の捜査ですよ!

 藤原香子のセンを洗ってたら、近衛っていう怪しい奴が出てきたんです」

「おい芹沢(せりざわ)! 余計なこと喋ってんじゃねぇ!」

「……近衛?」

「近衛って言ったら、近衛教授のことだよね」

 

 芹沢という刑事の一言を聞いて、朝日と月子が反応する。

 

「お二人とも、ご存じですか」

「まあね。いろいろな意味で有名な人だよ。

 理事長の息子で、イケメンで、女子学生から評判で……

 でも学生と不倫したり、美人の同僚を狙ってるなんて黒い噂もあったり」

「それは、なかなか興味深い情報ですねぇ」

「チッ! まあいい、行くぞ芹沢! 三浦さんも!」

「……どうも」

「……どうも」

「……どうも」

「……どうも」

 

 微妙な距離で、杉下と神戸と会釈を交わしつつ、

伊丹たち3人は建物の出口の方へ歩き去っていった。

 

「何か、感じの悪い人たちだったね」

「ねー……うわっ! もうこんな時間!

 朝日! そろそろ次の授業行かないと!」

「あ! ホントだ!! ……すみません、杉下さん、神戸さん!

 今日はこの辺でお邪魔してもいいですか」

「ええ、構いませんよ」

「何か思い出したら、さっき渡した連絡先まで連絡してね」

「……はい!」

 

 微妙に上気した顔で、月子は頷いて走り去っていく。

 朝日も申し訳なさそうな表情でそれに続いた。

 

「とりあえず、彼女たちからは今のところ、収穫なしってところですかね。

 どうします杉下さん、次はどこへ行きましょう」

「それは考えどころですが、その前に。

 ――そこのあなた! 何か我々に御用ですか?」

 

 唐突に、そんなことを言いながら、杉下は振り向き

休憩スペースの端にある柱を指さす。

 ――いきなり何を!?

 そんな表情で、杉下の指す方を見た神戸と光海は、次の瞬間納得する。

 柱の陰から、彼らの方を見ている女性がいたのだ。

 先程の朝日と同じようなショートヘア。だが顔つきは断然大人びている。

 身体つきから見ても大人の女性という感じで、学生ではなく、教える側であるようだった。

 そして――

 

「!!?」

 

彼女の姿を認めた光海が、何とも言えない表情で硬直する。

 だが、彼女はそんな様子もおかないなしに、光海に向けてにっこりと微笑んだ後、

杉下と神戸に向けて頭を下げる。

 

「……すみません、何だかあやしい真似をしてしまって。

 私、そこの光海君の知り合いなんです。挨拶しようかなと思ったんですけど、

 何だかお取込み中みたいだったんで、声をかけづらくて」

「光海君、知り合いなの?」

「……ええ。その……オレと、香子さんの、共通の知り合いっていうか…………」

 

 やはりぎこちない光海の表情。そしてそれと対照をなす、女性の笑顔。

 それを見て、神戸は警戒するように目を細める。

 

 

 

 

 

 

「六条美也子(ろくじょう みやこ)さん。この大学の、チューターでいらっしゃいましたか」

「ええ。この大学に来て日は浅いですが、先輩がたのご厚意のおかげで何とか、やっております」

「それは何よりですねぇ」

 

 杉下が、にこやかな表情で、六条と名乗った女性に話しかけていく。

 が――六条の方は対照的に、何だか素っ気ない様子だった。

 視線を、あくまで微妙にだが、杉下の顔から逸らし続けている。

 

「光海君と、藤原さんのお知り合いということでしたが」

「香子さんとは、仕事のこともあっていろいろお世話になってます。光海君とは……

 5年前、彼の中学に教育実習生として行ったんです。

 そこで面識ができたんですが、その後この大学で再会した、というわけで」

「なるほど。そういうことでしたか」

「藤原さんの今回の一件については、知っていました?」

「……ええ。ひどいですよね。香子さん、誘拐なんてひどい真似する人じゃないのに」

「源氏物語に関する噂を聞いても、そうお思いですか?」

「ええ。……ご存じだと思いますけど、香子さん、すごい人気でしょう?

 きっと、子供にも好かれてると思うんです。

 もし香子さんのお目当ての子供がいたら、ちゃんと仲良くなりに行くと思います」

「……なるほど。貴重なご意見、ありがとうございます」

 

 杉下がフレンドリーに接し、六条が適当に受け流す。

 そんな流れの中で、神戸が一歩踏みこんだ質問をする。

 

「じゃあですね……例えば、大学の中の人で、藤原さんと何かトラブルがあったとか、

 そういう話は聞いていませんか」

「私が知る限りでは、特に何も……あ、でも。近衛先生とは何かあるみたいですよ。

 トラブルってほどじゃないけど、食事に誘ったことがあるとか、ないとか」

「近衛先生が、藤原さんに対して好意を持っていると」

「そう受け取ってもいいんじゃないですかね。……香子さん本人は、人当たりがよくて、

 トラブルとは無縁の人ですけど、近衛先生は違うと思います。

 学生と関係を持ったなんて噂もありますし……

 あと、そもそも元恋人がこの大学に勤めているっていうこととか」

「それは初耳ですね。……ちなみに、その方のお名前は?」

「山吹澪生(やまぶき みお)。心理学を教えておられるベテランの方です。

 あくまで噂ですけど、近衛先生が学生だった時代に、山吹先生と関係を持ったとか」

「それが本当なら、なかなかのスキャンダルですねぇ」

「本当にね。まあ私としては、無難に生きていきたいところなので、

 あんまりそういうトラブルには関わりたくないんですけど」

「……………………」

 

 光海は、六条の発言に何か思うところがあるようで、警戒した表情で彼女を見ている。

 六条は、そんな光海に微笑を向けると、杉下と神戸に向き直る。

 

「そろそろ、よろしいですか。明日の授業の準備があるものですから」

「ええ。お時間をとらせてすまい、すみませんでした」

「じゃあ、失礼します。……またね、光海君」

「……!」

 

 六条は最後に光海を一瞥すると、三人に背を向けて颯爽と歩き去っていった。

 言葉なく彼女の後姿を見ている光海を尻目に、右京と神戸は顔を見合わせる。

 

「山吹澪生教授、ですか。事件に関係あるかどうか、いまひとつ確信はないですけど、

 とりあえず行ってみますか?」

「……実は、気になることがもう1つありましてね。それを調べておきたいのです。

 神戸君、そちらは君にお願いしても構いませんか」

「……ええ、構いませんよ」

「ありがとう。……ではここで、一旦解散としましょう。

 光海君、君のおかげでいろいろと見えてきました。感謝します」

「いえいえ! そんな……お礼を言いたいのはオレの方です!

 はっきりと証拠もないのに香子さんの無実を信じて、調べてくれて……

 本当にありがとうございます!!」

「もし君の叔母さんが本当に無実なら……大丈夫、

 きっとその内、真実が明らかになりますよ」

「はい!!」

 

 そう言って、杉下は光海に一礼して歩き去った。

 ……“解散”と言われたからには、もう自分が行ってしまっても構わないのだろう、

と光海は判断した。

 ……だが、

 

「あの…………神戸さん、何か?」

「いや……そうだね、最後に1つだけ、質問をさせてくれないかな」

 

 神戸が、時折用心深そうに周囲を見回しつつも、意味深な厳しい視線を光海に送ってくるので

彼はその場から動けないでいた。

 神戸の意図をはかりかねるが、黙っていたところでどうにかなるものではなさそうに思える。

 光海は神戸の要望を受けることにした。

 

「……いいですよ。何です?」

「夕さん、って言ったよね。君が今付き合ってる彼女なんだっけ」

「……はい。それが何か?」

「君が今付き合ってる女性は、彼女だけじゃないんじゃないかな」

「……!!?」

 

 六条がいた時とは比べものにならないほどはっきりと、光海の顔が引きつる。

 

「……か、神戸さん? どうして……そんなこと」

「いいから、もう少し聞いて。……君は今、複数の女性と関係を持っている。

 だけどそれは、今の彼女が気に入らないとか、そんな軽薄な理由じゃない。

 君の叔母さん……藤原香子さんが、君自身を光源氏に見立てて、

 複数の女性との交際を促しているんだ」

「……あ…………え……!」

「紫亜ちゃんは、その内の1人。もちろん君の今の彼女もそうだ。

 それからさっきの……六条さん。彼女もその内に入るんじゃないかな。

 はっきりと表に出さないけれど、恋人に強い執念を向け続ける、

 そんな六条御息所(ろくじょうみやすどころ)に、彼女はとてもよく似ているしね」

「…………あ、ああ…………」

 

 光海の動揺は、目に見えて明らかなレベルになっていた。

 膝をがくがくと震わせながら、落ち着きなく視線を彷徨わせている。

 そんな光海を見て、神戸はやるせない表情で溜息をついた。

 

「……やっぱり、そういうことだったんだね」

「や、やっぱりって……!」

「正直、確信はあんまりなかった。でも、推測を裏付けるようなものがあまりに多いんでね、

 カマをかけさせてもらったんだ」

「……お……オレ……自分で墓穴掘って……!」

「……ごめん、悪かった。別に君を責めるつもりはないんだ。

 君の今の女性関係をどうこうしようなんて気はないから、落ち着いて」

「……は、はい…………」

 

 光海の動揺は少し収まったようだった。

 相変わらず表情はこわばったままだが、呼吸や視線の行く先はだいぶ落ち着いてきた。

 その間、神戸は無言で光海を見つめている。

 やがて、光海の方から口を開いた。

 

「……や、やっぱりおかしいですか……その……

 女性を股にかけるなんて……それも、源氏物語になぞらえて、なんて……」

「僕も別に、聖人君子なんかじゃないからね。他人の交際の仕方に口を出せるほど偉くない。

 ただ……そういうやり方が、いいことづくめじゃないことは、ちゃんと知っておいた方がいいと思う」

「……いいことづくめじゃ、ない……」

「対応の仕方を間違えて、相手を傷つけたり、逆に自分が傷ついたり……

 たった1人と付き合っているだけでも、そんなことになるんだ。

 複数の女の人と付き合えば、そういう問題もずっとずっと増えるはずだよ。

 ……まあ、君ももう実感しているのかもしれないけど」

「…………はい。そうかもしれません……」

「一度、落ち着いてゆっくり考えてみればいいと思うよ。

 このやり方を続けるのか、それとも続けないのか。

 叔母さんが君に求めるものはあるだろうけど、決めるのは君なんだよ。

 君の人生なんだからさ」

「…………はい。ありがとうございます」

 

 光海の表情に、恐れや不安はもうなかった。

 だが憂いのある表情で、無言で、深く考え込んでいる。

 そんな光海の様子を見て、神戸は小さく溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

「――では、状況を整理してみましょう」

 

 翌日の午前中。

 特命係の部屋に、杉下と神戸の二人は揃っていた。

 彼らの目の前には、大きなホワイトボード。

 そしてその上に、今回の事件に関する情報が所狭しと貼りつけられていた。

 その内の1つ、「早乙女すみれ」という名前の付けられた写真を指差して、

杉下は話しはじめる。

 

「……事件が起こったのは、3日前の夕方。

 友人宅に遊びに行ったまま、帰ってこないすみれさんを心配した母親が

 娘さんを探していたところ、道に落ちているすみれさんの私物を発見。

 事件に巻き込まれた可能性を危惧して、警察に通報」

「そして一昨日の夜、誘拐現場と思われる場所から数キロほど離れた場所、

 紫雲大学の旧校舎で、すみれさんは発見された。

 その場には藤原香子さんもいて、彼女はそのまま警察に連行――

 ってあれ、何で彼女はこの時点で、もう重要参考人扱いになってるんだ?」

「それについて、現場に踏みこんだ警官の方に事情を聞いてきました。

 ……誘拐現場にすみれさんの私物が落ちていたことは、先程話した通りですが、

 そこからほとんど離れていない場所に、藤原香子さんの定期券が落ちていることが

 通報からほとんど時間を置かずにわかったそうです」

「ありゃ、それで関与を疑われることになったのか……」

「一方の藤原さんの方は、4日前の金曜の夕方から、行方がわからなくなっていました。

 同居人である光海君は、そのことをさほど不審にも思わず過ごしていたようですが、

 警察からの連絡を受け、彼女の行方を探してみたもののどこにも見つからない」

「そのことで、彼女への疑いはかなり強まってた。……現場で少女と一緒に見つかった時点で、

 警察に連れてこられるだけの材料は揃ってしまってたわけだ」

 

 神戸が腕を組み、難しい顔で香子の写真を見つめる。

 杉下はそんな彼の様子には頓着せず、説明を続けた。

 

「ところで、すみれさんが住んでいる地域で最近、

 児童を狙って声をかける不審者が目撃されていた、という話も聞けました」

「不審者……って、それはまた、今回の事件と関わりがありそうな人物ですね」

「捜査一課は、この不審者と犯人は同一の人物と見ているそうで、

 彼らからその不審者に関する情報も聞き出していたようです」

「その不審者が、この誘拐事件の犯人でもあり、その正体が藤原香子さん、ということなんですかね」

「そう考えたいところなのでしょうが、まだ確証はないようですね。

 近衛教授にも疑いを持っていたのがその証拠でしょう。

 ……神戸君、そちらはどのような様子でしたか?」

「あ、はい。こちらの山吹教授ですけど――」

 

 神戸が、今度は藤原香子の写真の斜め上に貼られ、真下に「山吹澪生」と書かれた

年配の女性の写真を指差す。

 

「何だか、怪しい態度でしたね。

 警察の介入を嫌がっているようだったし、藤原さんとの関係については言葉を濁すような感じだった。

 何より……事件当日どこにいたかを訊いても、頑として話そうとしないんです。

 これって変じゃありませんか」

「確かに……アリバイを証明できないことをごまかそうとするのならともかく、

 話すこと自体を拒否するというのは、事件と無関係の人間の態度とも思えない」

「ちなみに近衛教授の方は、その日家族といたというれっきとしたアリバイがありました。

 こうなると、俄然山吹教授があやしく見えてきますね」

「確かに。藤原さんを取り巻く人物の中で、最も疑わしい人物という意味ではそうでしょう。

 ……しかし。どうも引っかかりますね。

 仮に山吹教授が犯人だとして、なぜ彼女は、少女を誘拐し『若紫』を聞かせるなどという真似をしたのでしょう」

「なぜって……犯行が藤原さんのものだということを、はっきりさせておきたかったからじゃ……」

「いいですか。そもそも、山吹教授が藤原さんに何らかの恨みを持っていたのだとしても、

 その恨みを晴らす方法はそれこそいくらでもあります。

 その中で、なぜ彼女は少女の誘拐などという、非常に回りくどい手段を選んだのでしょう?」

「……言われてみれば、確かに、他の考えられる手段と比べてかかる労力が段違いですね」

「そうです。だから、わからないのですよ。

 真犯人が、わざわざ少女の誘拐と、『若紫』の朗読という手段を選んだその理由が……」

 

 杉下が、もどかしさをにじませる様子でそう呟き、

神戸は、それにつられるようにして首を傾げる。

 二人の沈黙が、部屋にしばしの静寂をもたらす。

 だがその静寂を破るように――

 

「……いやぁ、面白いことになってきたぁ……お! お前らいたのか」

 

 底抜けの陽気さを感じさせる声が部屋に響く。

 それは組対五課の課長・角田のものだった。

 角田はいつものように緊張感のない、草食動物を思わせる表情で部屋に入ってきて、

コーヒーメーカーをいじり始める。

 

「課長、おはようございます。……ところで何が“面白いことになってきた”のでしょうか?」

「ああ、それな。お前ら、美人の大学准教授が引っ張られてきた件は知ってんのか?」

「知ってるも何も、今、その事件について調べているところですけど」

「ありゃ、相変わらず手が早いねぇ……じゃあ、もう知ってんのか?

 その美人さんが、ついさっき解放されたって話も」

 

 角田が何気なく漏らしたその一言が、部屋の空気を一変させた。

 杉下と神戸は顔を見合わせ、先に角田の方を向いた神戸が角田に尋ねる。

 

「えっ!? それじゃあ藤原さんはもう……?」

「何だ、そっちは知らねえのか。何でも別の、有力な容疑者が現れたんだってさ。

 年配の女らしいぜ」

「その方の、名前は」

「何つったっけな……ヤマブキ、だったか? あの様子だと、多分美人さんの同僚ってとこだろ。

 美貌に対する同僚の嫉妬、ってとこかもな。ああ、怖い怖い」

 

 容疑者の動機を妄想して能天気に笑う角田を尻目に、

杉下と神戸は苦い表情で、視線を交わすのだった。

 


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