しんと静まり返った部屋の前、俺は扉に手をかける。
「…うす」
「お邪魔するわ」
奉仕部の部室に入って挨拶すると、雪ノ下と由比ヶ浜が顔を上げてこちらを見た。
…なんで由比ヶ浜がいるんだ。
「あ、ヒッキー。…とハッちゃんも。やっはろー」
由比ヶ浜は呟くように言うと、小さく手を振ってくる。
俺は視線だけで答え、ハクアはややぎこちなく手を上げて返した。
ハッちゃんてハクアのことか。いつの間にか仲良くなったんだな。一瞬、八幡のハッちゃんかと思っちゃっただろ。紛らわしいな。
…こいつは前と何か変わったのだろうか、と考えそうになったところを雪ノ下の言葉が遮ってくれた。
「…どちら様かしら?」
俺とハクアを交互に見やって尋ねる雪ノ下に、俺はハクアのことを説明する。
「ああ、悪い。こいつは…」
「…どちら様かしら?」
なんだよ、俺に言ってたのかよ…お前も記憶消されちゃったの?お前は攻略してねぇんだけど。無理だし。
「…俺は一応ここの部員だ。いくらぼっちのお前でも部員の顔ぐらい覚えてるだろ」
「失礼ね、名前も覚えてるわよ。確か、ひき…ひき…」
「比企谷よ。比企谷八幡」
雪ノ下が俺の名前をもじって罵るべく趣向を凝らしていると、ハクアがピシャッと遮るように答えた。
突然の介入で呆気にとられる雪ノ下に、ハクアは勝ち誇ったような表情を向けている。
そんなハクアに決して悪気はなく、ただ純粋に「私は知ってるわよ」とでも言わんばかりだ。
こいつ、雪ノ下を黙らせるとは中々やる。
「…それで、貴女は?」
雪ノ下は仕切り直すように喉の調子を整えると、改めてハクアに問うた。
「ハッちゃんはね、ヒッキーのお義姉さんなんだって。今日うちのクラスに転校してきたの」
その問いには、なぜか由比ヶ浜が明るく答えた。
こいつが知ってるってことは、俺の知らない間に義理の姉設定はクラスに伝わってたのか。それ間違ってるけどな。本当は義理の叔母だ。ハクアおばさんだ。
もっと言えば悪魔だけど。
由比ヶ浜の説明に雪ノ下は首を傾げている。無理もないだろう。説明が悪いとは言わないが、内容が突拍子なさすぎる。
顎に手をやって考える仕草をする雪ノ下に、ハクアは歩み寄って勝ち気な笑みとともに手を差し出した。
「比企谷ハクアよ。お前は雪ノ下雪乃ね。握手してあげてもいいわよ」
「……なぜ、私のことを知っているのかしら?」
スキンシップに慣れていない雪ノ下が当然その手を取ることはなく、代わりに訝しんだ目を向ける。
「お前、ここの長でしょ?中々よくやっているわね。だから握手」
「…言っている意味がよくわからないのだけれど」
ハクアに向ける雪ノ下の目がさらに鋭くなる。
俺にもよくわからんが、雪ノ下のことを認めてるってことなのだろう。質問の答えにはなってないけどな。
「これからは、私もここの活動を手伝ってあげてもいいわよ」
「…比企谷くん。彼女は相談者ということでいいのかしら?」
ふふんと笑うハクアから雪ノ下は遂に視線を外して、俺に尋ねた。
どうやらハクアを問題有りと認定したらしい。今のやり取りじゃ仕方ない。こいつやっぱりコミュ障なんじゃねぇの?
「あー、あれだ。こいつ、海外暮らしが長かったから。許してやってくれ。…で、俺から奉仕部の話を聞いて興味持ったんだと。だから見学に連れてきたんだ。悪いな急に」
適当に話を作って説明する。
なんで俺がこいつを擁護しなきゃならんのだ…まあ俺の名誉にも関わるし、しゃあないけど。
「あたし握手してもらってない…」と落ち込んでる由比ヶ浜は放っておく。
「…私のことも彼女に?」
「ああ、いやまあ、名前ぐらいだけどな」
「そう……あなたの義姉、というのは本当なの?」
丸っきり信用してねぇな…しかも質問が鋭い。さすが雪ノ下、侮れない。ていうか普通に恐い。
「まぁな。いや、俺もそれは今日知ったんだが…まあ、なに、なんかいろいろあって、そういう事らしい」
「…その割には随分仲が良いように見えるのだけれど」
先ほどハクアに向けていた時よりも更に鋭く、冷たい視線を俺に向けてくる。
恐ぇよ…視線ももちろんながら、見透かされてる感じで超恐い。論破寸前なんですけど…誰か助けてくれませんかね…。
とハクアに視線をやると、由比ヶ浜と握手を交わして「お前中々いいやつね。よろしく、結衣」なんて仲良くやっていやがる。
おい、話聞けよ。お前のことだろうが。
「…成り行きでちょっと前に知り合ってな。そんだけだ。別に仲良くはない」
「…そう。あなたにも複雑な事情があるのね。…まあいいわ」
雪ノ下はハクアに視線を戻すと、優しい笑顔を浮かべた。
「ハクアさん…と言ったかしら。あれと義姉弟なんて大変でしょう。心中お察しするわ。奉仕部のことはいいから、お互いがんばりましょう」
その納得の仕方は俺が納得いかねぇんだけど…しかもやんわり断ってるし。さすが雪ノ下、伊達にぼっちをやっていない。
そんな雪ノ下の意図をわかってないと見えるハクアは、満足気に笑うと改めて手を差し出した。
「よろしく、雪乃」
「…え、ええ。よろしく」
雪ノ下はわずかに笑顔を引きつらせながら、おっかなびっくりといった様子でハクアの手を取った。
…こいつ、なぜか雪ノ下にも強気だな。あれか。ぼっちには強いのか。
× × ×
普段なら足取りの軽い帰り道、思うように進まないペダルを俺はあくせくと漕いでいる。
中々進まないのは、2人分の体重を運んでいるという理由だけではないだろう。
まあどちらにせよ、荷台に座るこいつが原因であることに違いはないのだが。
「…なあ、お前空飛んで行けよ。重いんだけど」
「お、重いってなによ!失礼じゃない!」
「じゃあ体重軽くしろ。悪魔ならできるだろ」
「できるわけないでしょ!?」
知らねぇよ…悪魔結構なんでもできるじゃねぇか。
なら取り敢えず飛べよめんどくせぇな。背中に手とかいろいろ当たってこっちは困るんだよ。
「知ってるか。2人乗り見つかると、お巡りさんに捕まるんだぞ」
「…透明になってるからばれないわよ」
そこは悪魔の力使うのかよ…。
ていうかハクアが見えてないなら、今の俺独り言ぶつぶつ言ってるやばい奴じゃねぇか。内容もあれだし。
こいつマジで家までついてくるんだけど…帰るのがこんなに嫌な日が来るとはな…。
家の前に着き、ハクアはうちの外観を興味深げに眺めて小さくうんと頷いた。満足していただけて何より。別にお前の家じゃないけどな。
玄関のドアを開けて靴を脱いで家に上がると、ハクアも俺に習って慌てて靴を脱いで付いてくる。どうやら日本の作法を1つ覚えたらしい。
リビングには、ソファーでうつ伏せになってくつろいでいる俺の妹、小町の姿があった。
「ただいま」と声をかけると、小町はその体制のまま首だけをこちらに向けた。
「んあ、お兄ちゃん。おかえ、り…」
俺の横に立つハクアに気づいたのか、小町は目を丸くして言葉を詰まらせる。
ギギギと一層こちらに首を傾け、恐る恐ると言った様子で言葉を続けた。
「お、おに、お兄ちゃん…こ、こちらの方は…?」
なんだ、小町も聞かされてなかったのかよ…うちの親どうなってんだよ。ハクアの事を知らない分、小町は俺よりも混乱しているだろう。
兄として妹を傷つけないよう、ここは慎重に説明してやるとしよう。
「ああ、あのな。落ち着いて聞いて欲しいんだが、実は…」
「はっ!小町としたことが!…はじめましてー、私この愚兄の妹をしております、小町と申します。よろしくお願いします。今後とも、末長く!」
小町はそんな俺の気遣いを無視して、俊敏な動きでハクアの下へとたどり着き、しなを作りつつ深々と頭を下げた。
やめろ。ハクアがちょっと委縮してるだろ。
「このお兄ちゃん、目もこんなだし中身もあれで他にもいろいろあれなんですけど…でも!悪い人じゃないんです!意外と!なので、長い目で見てあげて欲しいなぁと……できればお嫁さんになるまで、なんて」
「お、おおお嫁さん!?」
「妙な気回してんじゃねぇよ…」
結婚の話はもういいっての…3回目だぞ。
小町にいきなりまくし立てられて赤面しているハクアはとりあえず置いといて、小町への説明を仕切り直す。
「あのな。こいつは…」
「…お前のことはちゃんと調べてあるわ。八幡の妹の小町ね」
…俺に話させる気ねぇのかお前ら。
ハクアは直ぐに気を取り直したのか、ずいっと俺の前に出ると、小町の目を見てはっきりと告げた。
「私、今日からここの家族になるの。よろしく。私のことはハクアでいいわ。握手してあげる」
「…へ?」
だから簡潔すぎるっての。俺の気遣い台無しにしやがって…。
どうフォローしたものかと悩んでいると、小町はハッと気づいたような表情を見せ、ハクアの手を両手で取った。
「あなたがおじいちゃんの隠し子さんでしたかー!まさか高校生だったとは!つい兄なんかの彼女さんと勘違いしてしいまして、とんだ失礼を…。どうも改めて、小町です。よろしくお願いします、ハクアさん!」
あ、そう、知ってたのね…。なんだよ心配して損したわ…まあ俺に言って小町に言わないわけないもんな。わかってる。小町超大事。
「よろしくね、小町」
「はい!」
「…まあ、そういうことだ」
言葉をすべて奪われた俺は、よくわからない相槌を打つだけだった。
いや、別にいいんだけどね…なんだこの感じ。一応俺を中心に起きてる事なんじゃねぇのか、これ。
「どうぞこちらへ」なんて言いながら家の中を案内する小町は、ハクアに対して何の疑問も持ってないように見える。
この子大丈夫かな…将来心配なんだけど…。隠し子って意味、ちゃんとわかってる?
適応力が高いのはいいことなんだが、少しぐらいは人を疑うってことも覚えような。実際嘘だし。まあ俺ほど疑わなくてもいいけど。
「小町、中々いいやつね」
いそいそと歩き回る小町を眺めながら、ハクアは俺の隣に並んで笑みをこぼした。
「…中々?何言ってんだ。超いい子に決まってんだろ。ぶっとばすぞ」
「な、なによいきなり…」
人の妹を悪魔が上から物言うんじゃねぇよ。小町は天使だから悪魔より上位だろ。天使と悪魔の位付けとか知らんけど。
俺の妹愛にドン引いたハクアは、一旦表情を戻してこぼすように言った。
「…楽しくなりそうだわ」
「…駆け魂狩りが終わったら出ていってもらうからな」
「わ、わかってるわよ!」
一体いつ終わるのかはわからんが…。
仕事好きのハクアなら勝手に頑張るだろう。あと雪ノ下とか。俺のために是非とも頑張っていただきたい。援護は任せろ。
ハクアは大袈裟な咳払いを一つ入れ、顔を逸らしながら口を開いた。
「そ、そう言えば…お前にも、ちゃんと言ってなかったわね」
「何だよ?」と目だけで促すとハクアは少し頬を赤らめ、昨日と同じように手を差し出してきた。
「家族として、これからよろしく…八幡」
…まあ、いずれ終わる形だけの家族ではあるが、小町のためにも家の中でギスギスするのは得策じゃない。小町のためならなんでもできる。契約の間だけ、家族として受け入れてやるとしよう。
俺はハクアの手を取り、自然と笑みを返していた。
「おう。…よろしく、ハクアおばさん」