10分経過して戻ってきた雪ノ下と由比ヶ浜に、俺は"手作りクッキー"を差し出した。形は不揃いで、所々焦げ跡が付いていたりと、見た目がいいとはとても言えない。
「偉そうな事言っといてこれ?」と嘲笑してくるこいつらを解せぬと思いながらも、ぐっと堪えて押し黙る。
実食した2人は、「はっきり言ってそんなに美味しくない」と感想を述べた。
そうだろう。俺ももちろんわかっている。
俺が差し出したのは、先ほど由比ヶ浜が作ったクッキーだからだ。
別に罠にはめて騙したかったわけではない。
これが"本当"の手作りクッキーだと思ったから差し出したのだ。
クッキーとしては決して良いものとは言えなくても、"手作りクッキー"としてはこれで正解だ。
さっきまでの由比ヶ浜の頑張りを俺は知っている。初めはダークマターを生み出した由比ヶ浜が、曲がりなりにもクッキーと呼べる物を作れるようになったのだ。
その頑張りを否定する奴は少なくともここにはいない。
そんな素敵な努力を含めて、手作りクッキーなのである。
「男心ってのは単純だからな。手作りってだけで喜ぶし、自分のために頑張ってくれたって勘違いするんだ。悲しいことに」
ソースは俺、って言うほどでもない。世の中の男子諸君は大概そうだ。
「だから、美味いクッキーより、お前が頑張って作ったクッキーの方が喜ばれる。絶対売り物にはならないこのクッキーなら、手作りだってすぐにわかるだろ」
「ば、バカにしすぎだし!売り物にならないとか言うな!」
いや、なるわけねぇだろ…。
間違ったことを言ったつもりはない。
お金で買えないからこそ、手作りには価値があるんだ。
「まあ、大事なのは味よりもお前の努力だってことだ。……これなら問題ないだろ」
言って、俺はクッキーを1つ摘んで口にした。
焦げが苦いし時々じゃりっとするし美味しくない。けど、食べられなくはない。
由比ヶ浜は俺と目が合うと、うっと喉奥に何か詰まらせたような顔を浮かべ、口ごもりながら俯いた。
「……ヒッキーも、これもらったら嬉しいの?」
そのまま、スカートの裾をぎゅっと握って上目遣いで問うてくる。揺れる視線は不安があるように窺えた。
俺は自信をつけてやるようにきっぱりと答えてやる。
「ああ嬉しいね。お前の頑張りを見てたからな。最初のものと比べたら遥かにクッキーに近付いたぞ。自信持て」
手作りならなんでも喜ぶと言っても、食べられない食べ物はさすがに引く。その段階からよくぞぎりぎりクッキーと呼べるまでたどり着いたものだ…感慨深い。
などと親心のように生温かい目を向けていると、由比ヶ浜はぶすっと不満げな顔を見せる。
「そういうことじゃないし……まあいいや」
ぼそぼそと何やらつぶやき、ぱっと顔を上げた。
「雪ノ下さん、ありがとう。あとは自分で頑張ってみる!」
雪ノ下に頭を下げてお礼を言う由比ヶ浜の表情は、晴れやかな笑顔だった。
「ヒッキーも…ありがとね」
そのまま扉に手をかけて、「また明日ね。ばいばい」と俺と雪ノ下に挨拶してそのまま帰っていった。
「…これでよかったのかしら。私は自分を高められるのなら限界まで挑戦するべきだと思うの」
雪ノ下らしい考え方だ。その思考は正しく、またそれを体現する雪ノ下も正しいのだろう。
「まあ正論だな。努力は自分を裏切らない。夢を裏切ることはあるけどな」
だが世界は正しくない。頑張ったからって報われないことの方が多く、その頑張り自体を「熱血うざい」と馬鹿にされることだってある。
「だから、たとえ結果が伴わなかったとしても、その努力自体が評価されることがあってもいいだろ」
「…甘いのね」
そう言って雪ノ下はくすっと笑い、それ以上何も言うことはなかった。
× × ×
明くる日、教室で由比ヶ浜の様子を窺っていたが、特に変わったところはないように思える。
普段のあいつの様子など知らないが、賑やかなグルーブの中で会話を楽しむ姿は自然な振る舞いなのだろう。
駆け魂はまだ憑いたままらしいが…この様子ならほっといてもいいんじゃねぇの?いまいち駆け魂が悪いものなのかどうか測りかねる。
まあ依頼は一応終わったし、もう俺にできることはない。
あとはこれからの由比ヶ浜次第だ。
駆け魂のことは教室の外で見張ってるハクアがなんとかするだろう。
ホームルームを終え、奉仕部の部室で雪ノ下と2人会話もなく読書を勤しんでいると、どたばたと慌ただしく扉が開かれる。
「やっはろー!」
頭の悪そうな挨拶とともに現れたのは、件の由比ヶ浜だった。
雪崩のように部室に入ってきた由比ヶ浜は、雪ノ下にあれやこれやと絡んでいく。「お礼だから!」ときれいにラッピングされたクッキーを手渡され、さぁっと血の気を引かせて困り果てている。
そんな雪ノ下の様子は見ていて気分がいいし、2人のやりとりは見ていて微笑ましい。
戸惑いながら助けを求めてこちらを見る雪ノ下に、当然俺は応えてやらない。
助けるわけねぇだろ。お前の友達だし。
雪ノ下が真剣に悩み解決に取り組んだからこそ、こいつはこうしてお礼を言うためにここを訪れたのだ。
それはお前が受け取るべき権利であり、義務だ。
俺は2人の邪魔にならないよう「おつかれさん」と口の中だけでつぶやいて、部室を後にした。
× × ×
「ヒッキー!待って!」
部室から続く廊下の突き当たり、曲がり角に差し掛かる所で、後ろから大声で呼び止められた。
声の主である由比ヶ浜は、ばたばたと足音を鳴らしてこちらに駆け寄ってくる。
軽く息を整えると、顔を上げてまっすぐに俺を見据えた。
「あの…これ、ヒッキーにも」
そう言って彼女はクッキーを手渡してきた。…クッキーだよな?どす黒いハート型がこちらを覗いてくる様は、中々に禍々しい。
「が、がんばって作ったんだけど…あんまり上手にできなくて…」
由比ヶ浜は俯き加減でつぶやくように言って、たははと苦笑いを浮かべる。
「でも、一応あたしの気持ち。…受け取ってくれる?」
すぐにその苦笑をしまい、じっと俺の目を見ながら続けた。
そのまっすぐな目から逃げるように視線を逸らして俺は答える。
「…いや、俺は…」
「俺は何もしてない」と続けようとしたが、由比ヶ浜の言葉に遮られた。
「いいのいいの!お礼だから!気にしないで!」
わちゃわちゃと胸の前で手を振り、照れたように笑う。
「ヒッキーも結構頑張ってくれたし……それに、あの時も」
"あの時"。
俺がその言葉に疑問を覚える前に、由比ヶ浜は言葉を紡いだ。
「あたし、頑張るから。これからも見ててね」
はにかみながら浮かべた笑顔は、俺が今まで見た彼女のどの表情よりも、魅力的だった。
× × ×
その直後、由比ヶ浜の身体から何かが"出た"。
どこからどうやって、何が出たのかもわからないが、突然それは現れた。
由比ヶ浜の頭上に漂うそれは、煙のように実態が曖昧で、顔のにも見える模様が浮かび上がり、妖気とでも呼ぶのか不穏な気配を纏っている。
俺が呆気にとられていると、由比ヶ浜の後ろ、遥か遠くからすぐさまハクアが飛んできた。文字通り、宙を舞って猛スピードで駆けつける。
「出たわ!駆け魂よ!…勾留ビン!」
ハクアが両手を上に掲げると、大きなビンのようなものが現れた。ハクアはそのビンを操るように右手を前に突き出し、ビンの口を"それ"に向ける。
そのビンから轟音と共に風が巻き起こり、それ…"駆け魂"は断末魔を上げながらビンの中へと吸い込まれていった。
「やった!やっと一匹捕まえた…!」
喜ぶハクアをよそに、俺は気を失っている由比ヶ浜を気にかける。
あれが駆け魂…あんなものがこいつの中にいたのかと思うと、総毛立つ。
「お前もよくやったわ。たった2日で駆け魂を出すなんてね。さすが私のバディーよ!」
「あ、ああ。いや…」
実際、俺がしたことなんてほとんどない。
結局心のスキマが埋まったのは、由比ヶ浜自身が努力して願いが叶ったから…叶った?
「握手してあげてもいいわよ」
浮かんだ疑問は、ドヤ顔で手を差し出すハクアにかき消された。
お前の握手はどんだけのものなんだよ…。
「…いらねぇって言っただろ」
言いながらしぶしぶ手をとって応えてやると、ハクアは満足そうに笑った。
「これからよろしく」
こうして、由比ヶ浜の駆け魂攻略は無事に終わった。
数々の疑問を残して。
「…で、そいつ食うの?」
「は?食べるわけないでしょ!馬鹿じゃないの!?」