奉仕部の部室へと向かう道すがら、ハクアと打ち合わせをしていた。打ち合わせと言っても、ハクアが一方的に喋ってるだけだが。
「駆け魂が近づいたら、このセンサーが反応するわ」
ハクアは頭についているドクロの髪飾りを指差した。これが駆け魂センサーというものらしい。
「反応したら教えるから、お前はその人間の心のスキマを埋めなさい」
俺は声を出さず、軽く首肯する。
今隣を歩いているハクアの姿は、俺以外の人には見えていないらしい。
そのため、俺は声を出さないようにしている。今の所周囲には誰もいないが、万が一誰かに見られでもしたら、1人で何かに話しかけている危ないやつになってしまう。それは危険だ。俺の立場とか。
ハクアもそれはわかっているのか、俺が黙っていても文句は言わずに話を続けている。この悪魔、意外と空気が読める。飽くまで意外とだが。
「私は部屋の前で待機しているから」
いくら姿が見えないとは言え、密室に入るのはさすがにバレる危険があると考えたのだろう。それには俺も同意だ。雪ノ下、なんか勘鋭そうだし。
再び首肯で返し、俺は先へと進んだ。
部室の前まで来ると、くいくいと袖口を引っ張られた。
何か用かとハクアの方を見やる。
「そ、その……が、頑張って」
…頑張ろうにも相談者が来なければどうしようもない。
けどまあ、出来ることくらいはやってやるか。
ハクアのエールに軽く手を上げて答え、部室の扉に手をかけた。
× × ×
俺が部室に入ると、読書をしていた雪ノ下はぱっと顔を上げ、じーっとこちらを見てきた。
え、なに。不審者じゃないよ?
「…うす」
「……こんにちは」
挨拶だけ交わすと、雪ノ下は直ぐに手元の文庫本へと視線を落とした。
俺も何も言わず所定の椅子に座り、鞄から小説を取り出す。
そのまま会話もなく、室内にはページをめくる音だけがしていた。
「…ずいぶん遅かったのね」
静寂の中、雪ノ下は視線を本に向けたまま尋ねてきた。
「………ああ、まあちょっとな」
「そう」
まさか悪魔と契約してましたと言うわけにもいかない。
適当に返すと、深く問い詰めてはこなかった。今はこいつの関心のなさがありがたい。
「…今日こそはもう来ないのかと思ったわ」
そこで会話は終わりかと思いきや、雪ノ下は会話を続ける。相変わらず目線は本に向けられているが。
「…まあなに。サボったら後が恐いからな」
「平塚先生が?」
「あとお前も」
「私は何も言わないわよ。あなたに興味はないもの」
「…そうかよ」
ほんと可愛くねぇなこいつ…。だから友達出来ねぇんだよ。(ブーメラン)
そこでふと、思いつく。
相談者の前に、雪ノ下自身もまた、心にスキマを持つ1人ではないのだろうか。別に友達がいないからなどと言うつもりはない。
世の中は正しくないから、人より優れた雪ノ下には生きづらい。平塚先生の言葉だ。彼女は強いのだとしても、思い悩むこともきっとあるだろう。或いはずっと苦悩を抱えて生きているのかもしれない。
そんな雪ノ下に、駆け魂が憑いている可能性は十分にありえる話だ。
俺は、そうであって欲しくはないと、切に願った。
だってこいつの心を満たすとか絶対無理でしょ…。
『ドロドロドロ…』
そんな考えが過った時、廊下から不可解な音が聞こえてきた。
直ぐに音は止んだが、何事かと思い顔を上げる。同じように雪ノ下も訝しむような表情で廊下を睨んでいた。
機械音のようにも、肉声で「どろどろ」と言っているようにも聞こえる奇妙な音。
聞き覚えはないが、俺にはその音の正体に心当たりがある。
「まさか…」と思わず雪ノ下に視線をやると、その直後、遠慮がちに扉をノックする音が部室内に響いた。
「……どうぞ」
雪ノ下ははっとして表情を戻し、落ち着いた声で扉に向かって返事をした。
「し、失礼しまーす」
緊張が伝わるような声とともに、恐る恐ると言った様子で1人の女生徒が部屋に入ってくる。彼女は探るように教室内を見渡し、俺と目が合うとひっと小さく悲鳴を上げた。
「な、なんでヒッキーがここにいんの!?」
なにそれ。ヒッキーって俺のこと?その前にお前誰?
× × ×
「ヒッキーまじでキモい!マジありえない!」
俺のことを勝手にヒッキーと呼ぶ、このビッチくさい彼女。
彼女と話してわかったことは、予想通りアホの子であり、見た目に反して彼女はどうやら処…いやそんなことはどうでもいい。
名前は、由比ヶ浜結衣。
俺と同じ2年F組に所属しているらしい。
…いや知ってたよ?いつも男女でやかましい連中の中にいた気がしないでもないし。ただ名前と顔を知らなかっただけだ。
そして、平塚先生に紹介されてこの奉仕部を訪問した、相談者であった。
…本当に来ちゃったよ。今日はもう帰りたいんだけど…。
それに、俺の推測が正しければおそらく彼女は…。
そんな考えに耽っていると、雪ノ下と由比ヶ浜は依頼内容の話へと進んでいた。
しかし、由比ヶ浜はちらちらと俺の方を気にして、話しづらい様子である。女子同士でしか話せない内容なのだろう。
それを察した雪ノ下に顎で廊下の方を指し示されたが、それぐらい言われなくてもわかっている。…言われてはいないか。
まあ、一度外に出ようと思っていたところだ。ちょうどいい。
俺は「飲み物買ってくるわ」と伝えて立ち上がり、部室の扉に手をかけた。
× × ×
扉を開けると目の前には、前のめりになって目を輝かせるハクアの姿があった。お前は餌を待つ犬か。
俺はそんなハクアの姿を見て、「やっぱりそうか…」と落胆する。
とりあえずここで話すわけにもいかないため、先ほど雪ノ下がやったように顎でくいっと行き先を示し、先を歩いた。
尻尾を振るように興奮しているハクアだが、声は上げずに大人しく付いてくる。
人目のなさそうな場所に着いたところで、周囲を確認してから、俺は声を発した。
「…よし」
飼い犬なら上手に待てできましたねー、と撫でてやりたいところだが、生憎相手は悪魔なのでやめておく。
「いた!いたの!駆け魂!さっきの人間!」
「わかった。わかったから、少し落ち着け。近ぇよ」
飛びついてくるハクアを、どうどうと落ち着ける。そういうのどきどきするからやめてほしい。あと、今時の悪魔はなんかいい匂いがする。
ハクアの言葉を聞くまでもなく、確信していた。
部室内に聞こえてきた「ドロドロ」という音は、駆け魂センサーの音だったのだろう。俺の知らない地獄の不思議アイテムの可能性もあったが、その直後に人が入ってきたことで、前者だと察しはつく。
加えて、やる気に満ちたハクアを見れば確定だ。こいつマジで仕事好きなんだな。信じられん。
赤面して「ごめん…」とぼそぼそ謝るハクアに、俺は先を促した。
「ぅぅん!…と、とにかく、駆け魂が見つかったわ」
「ああ」
「…お前、落ち着いてるわね」
「まあ、まだよくわかってないからな」
センサーが鳴ったタイミングから見て、奉仕部に訪れた依頼人、由比ヶ浜結衣に駆け魂が取り憑いているということなのだろう。しかし、俺から見て特に変わった所はなかった。
「…それもそうね。スキマに潜んだ駆け魂は目に見えないし…なら、実際にスキマを埋めればわかるわ」
それしかないのか。まあいい。どうせやらなきゃいけないんだろうし、そこに異論はない。
だが、念の為1つだけ確認しておきたいことがある。
「…駆け魂が居るのは、俺の後に部室に入ってきたやつなんだな?」
「間違いないわ。あの人間が近づいた時に反応があったから」
それを聞いて俺は、ほっと胸を撫で下ろした。
雪ノ下じゃなくてよかったー。いきなり詰んだかと思ったわー。
それに、相談者の依頼を解決するということであれば、部長である雪ノ下の協力も得られる。…いや、一応俺と雪ノ下は勝負しているんだったか。まあこの際それは置いておこう。この契約から解放される方が大事だ。
「あいつの悩みが解消されればいいんだよな?」
「そうね。それで心のスキマが埋まれば、駆け魂が出るわ」
それなら、誰がやるかは関係ないのだろう。
雪ノ下が解決してくれれば、駆け魂を捕まえられるかもしれない。つまり、俺は働かずに成果を得られるということだ。
「わかった。任せろ!」
「な、なによ…急にやる気になって」
そうと決まれば善は急げ。早く終わらせて早く帰ろう。
まだ由比ヶ浜の依頼内容はわからないが、まあ優秀な雪ノ下なら何とかするだろう。たぶん。
「…まあいいわ。人間の方はお前に任せるから、頼んだわよ」
「おう」
名目の飲み物を忘れずに買った後、俺はハクアを引き連れて部室へと向かった。