どこか高圧的な態度の彼女は、俺の言葉を待っているのか、姿勢を変えずにじっとこちらを見ている。
俺も視線を反らすきっかけを失い、かと言って返す言葉もなく、とりあえず見返していた。
そのまま見つめ合うこと数十秒。
「……」
逡巡した後、俺は無言でその脇を通り抜けることにした。
すると、ガシッと腕を掴まれる。
「ま、待ちなさいよ!お前、比企谷八幡でしょ!」
「………いえ、人違いです」
俺の返答に少女は首を傾げながら、どこからかタブレットPCのような端末を取り出してタン、タンと何やら操作している。
奇妙と称した少女の出で立ちは、私服に身を包んでおり、肩に素材のわからない怪しげなストールをかけ、頭には大きなドクロの髪飾りをしている。
人の服装をとやかく言えるほどファッションに精通しているわけではないが、少なくとも学校で見かける服装ではない。
極め付けに、自身の身長よりも長い鎌である。
こういうのには絶対に関わってはいけない。ばっちり目を合わせてしまったが…まあ相手にしなければどうといことはないだろう。
…ていうかなんで名前知ってんだよ。俺の名前なんてクラスメイトにも知られてないんだけど?
変わらず無視を決め込んで先を行くと、再び腕を強く掴まれて呼び止められた。
「やっぱりお前が比企谷八幡じゃない!どうして嘘つくの!もう握手してあげない!」
そのタブで何を見たのか、俺の嘘を見破った彼女は息巻いて怒っている。
「い、いや…」と誤魔化しながら、掴まれた手を振り解こうとするも、見かけに反してやたらと力強く逃げ出せない。なんだよこいつ…恐ぇよ…。
そうこうしている内に、俺が逃げるよりも早くあちらの方が先に動いた。
背後からしっかりと両脇を抱え込まれ、
「は?な、なんだよ…」
「いいからついてきなさい!」
そして、俺は空を飛んだ。
× × ×
え、なに今の。飛んだよな。どういうこと、どうなってんの?
あれか、プリティーでキュアキュアか。天使なのか。なるほど、納得した。
「私は地獄から派遣された駆け魂隊の悪魔。上級悪魔のハクア・ド・ロット・ヘルミニウムよ!」
そうか、悪魔だったか。なんだそっちか。確かに一理あるな。鎌持ってるし。
「契約通り、今日からお前は私のバディーよ。この私の駆け魂狩りに協力させてあげるんだから、感謝しなさい!」
契約…?なんだ、魔法少女だったのか。猫に契約させられたのか。協力して魔女を退治するんだな。それで魂を集めて…。
「ちょっと!聞いてるの?なんとか言いなさいよ!」
「…あ、ああ。聞いてる聞いてる。そ、それじゃあ俺はこの辺で…」
「待ちなさい!」
立ち上がって歩き去ろうとすると俺の手を両手でギュッと握って呼び止めた。
「き、気をつけないと…そ、その首、取れるわよ?」
何故か頬を赤らめて、その悪魔は恐ろしいことを口にしたのだった。
× × ×
恐る恐る、いつの間にか付けられていた首輪に触れる。
「何の冗談だよこれ…」
どうやっても外せないこの首輪。
これは、悪魔の彼女…ハクアの首にも付けられている。ハクア曰く、この首輪は契約の証らしい。
契約が達成できない場合、破棄された場合、あるいはどちらかが命を落とした場合、2人の首をもぎ取る仕掛けがあるそうだ。なんだそれ。
「だ、だから!お、お前と私は、今日から一心同体よ!」
いや、顔を赤くして言うことじゃないから…冗談は格好だけにしてくれ。
などと心の中で吐きながらも俺は、ハクアの言っていることをまるっきり冗談と思うことはできなくなっていた。
地獄の歴史から始まり、契約がどうのこうのやら、自分は地獄の悪魔だとか、逃げ出した駆け魂だなんだとか、そんな話をいきなりされた所で、当然冗談にしか聞こえない。
しかし、疑いの目を向ける俺の目の前で、ハクアは数々のびっくり技を繰り広げて見せたのだ。空中を飛び回り、素材不明のストール"羽衣"とやらで透明になったり、その羽衣を文字通り変幻自在に操って見せたりと、ただの手品では片付けられないものばかりだった。
実際に空中飛行を経験したこともあり、さすがにすべて幻だとは思えなかった。
ちなみに、渡り廊下から飛んで連れて来られた先は、生徒が出入りできない屋上だった。
一応、人目のない場所を選ぶ良識はあるらしい。
突然の空中飛行で動転していた気も落ち着き、徐々に現状を受け入れはじめる。
瞑目して、ほぼ聞き流していたハクアの話を頭の中で整理した。
「……つまり、お前は俺が契約した悪魔で、地獄から逃げた"駆け魂"を俺とお前で協力して集める、と」
「その通りよ。なかなか賢いじゃない」
いや、言ってて自分でもよくわかってないんだが…。整理しても意味不すぎる。
とりあえず、こいつの話をすべて信じるとするなら、ハクアは"駆け魂"を集めるために地獄から派遣された、"駆け魂隊"なる一員の悪魔であるらしい。
"駆け魂"とは、地獄から逃げ出した悪魔の魂であり、人間の女の体内、"心のスキマ"に潜んでいる。潜んだ駆け魂を捕まえるには、取り憑かれた子の心のスキマを埋め、追い出さなければいけない。スキマを埋める…即ち、心を満たす。
そのスキマを埋めるために、人間の協力者"バディー"が必要となる。人間の心に寄り添えるのは、やはり人間。
駆け魂隊の悪魔は、バディーになった人間と協力して駆け魂を捕まえるのが任務なのだそうだ。
そして、見事俺はそのバディーに選ばれたということだった。
「…ちょっと待て。契約なんてした覚えないんだが」
馬鹿正直にも、俺は確認すべきことを聞いた。
相手が悪魔とはいえ、契約と謳うからには何かしらの手続きがあるのだろう。当然俺には身に覚えがない。
「…おかしいわね。契約書は受理されたと聞いているけど…」
首を傾げながら、ハクアは先ほど渡り廊下でも使っていたタブを取り出した。
さっきはわからなかったが、どうやらそのタブは羽衣を変化させたものらしい。すげぇな羽衣。もはや衣じゃねぇな。ただの羽衣じゃなくて固有名詞でも付けた方がいいんじゃねぇの?
「ほら、確かに受け取っているわよ」
そのタブを数タップほど操作して、ハクアは俺の方に画面を向けて見せた。
「……おい、どういうことだ」
そこに映し出された"契約書”には、確かに俺の筆跡で記名されていた。そして、その契約書には見覚えがあり、書名した覚えもある。
ハクアが契約書というその書面は、今日の昼休みに俺が書名した奉仕部の入部届けだったからだ。
「お前がこの契約書にサインしたんでしょ?」
「いや、それはそうだが…」
「なら契約は成立よ!」
いやいやおかしいよね?確かに書名する時は悪魔と契約するぐらいの気持ちで書いたが、ガチで悪魔の契約なわけなくない?それ、ただの入部届けだよ?
知らない間に机の中に入ってたし、お題目は奉仕部入部届けだったし、「悩める人間に救済を。共に世界を救いましょう」とかちょっと恥ずかしい文言もあったし、なんなら記名欄が契約者名欄だったし、書いたらいつの間にかなくなった普通の入部届けだよ?
…お題目以外おかしい所しかないですね、はい。
まあ俺だって当然普通の入部届けじゃないとはわかっていた。
でもなぁ…平塚先生ならこういうこと楽しんでやっちゃうと思ったんだよ…。あの人契約とか好きそうだし。書かなかったら後が恐いし。
兎も角、書いてしまったものは仕方がない。仕方がないが、諦めるにはまだ早い。
「…それ、間違いだから取り消しってことにならない?」
「は?で、できるわけないでしょ!地獄の契約よ!?ふざけないで!」
「お、おう…すまん…」
ですよねー。わかってました。首輪の説明の時、契約破棄の場合もとか言ってたしな…。
それにしても、そこまで怒らなくてもいいんじゃないですかね…思わず謝っちゃったよ。とりあえずその鎌は下げてください。
偽装された契約書に解約不能、しかも命懸けとかどんな契約だよ。鬼かよ悪魔かよ。悪魔だった。
さすがです悪魔さま!やる事がえげつない!
「ぅぅん!…とにかく!」
どうやら回避できそうにないこの現状を悟って項垂れる俺に、ハクアは喉の調子を整えると、この上なく嫌な言葉を使って追い打ちをかけてきた。
「首を取られたくなかったら、精々働きなさい!」
「野蛮な時代は終わったんじゃねぇのか…」
働けとか言うなよ、死刑宣告かよ…。
× × ×
「…それで、具体的に俺は何をすればいいんだ」
逃げられないのなら、早く終わらせるに限る。目的を達成できれば契約は終わるというのなら、さっさと終わらせて解放されたい。…終わるんだよね?
「バディーのお前は、駆け魂が取り付いた人間の心のスキマを埋めるのよ」
「話聞いてなかったの?」とでも言わんばかりに、ハクアは馬鹿にしたように言う。
具体的にっつっただろうが。その方法を聞いてんだよ。
恐いから声には出さないが。
…心のスキマを埋めるには、心を満たしてやる。
ハクアの説明は無茶苦茶だったが、言わんとすることは分からなくもない。
心に隙間がある状態というのは、虚無感や寂寞感、苦悩や気掛かりを抱えていたりなど、そういった類いのものなのだろう。
それらを解消してやる…あるいは別の事で忘れさせる。
そんな所だろうか。
暫く黙って考えていると、ハクアが口を開いた。
「お前、人間を救う活動をしているんでしょ?そこで人間の悩みを解決して、心のスキマを埋めるのよ」
奉仕部の事を言っているのだろうか。
ろくに活動してないんだけど…まだ入部して3日目だし。
だがハクアが言う方法も、心のスキマを埋める1つの手段ではある。
「…つまり、俺は奉仕部で活動してればいいってことか?」
「そうよ。悩みのある人間が集まる場所…駆け魂狩りにうってつけの場所だわ。私の活躍間違いなしね!」
ハクアはぐっと拳を握りこみ、やる気に満ちた表情を見せている。
…おそらく、そんなに簡単な話ではない。
部員とは言え俺はまだ奉仕部についてよく知りはしないが、誰もが集まるお悩み相談室というなら、もっと大々的に活動していてもいいだろう。しかし実際は、部員は2人…一昨日までは1人で、俺自身存在を知らなかった。且つ人の寄りつかない部屋であり、とても周知されているとは思えない場所に、人が集まるものだろうか。
それに、悩みが解決したからといって心が満たされるほど、人の心は単純ではない。
「さあ!早くそのホウシブに行きなさい。私も羽衣で透明になってついて行くから!」
「いや、でもな…」
二の句を告げようとした俺の言葉を聞かずに、ハクアは背を向けて前へと進んでいく。
その先で、首輪を撫でながら、噛みしめるように小声で呟いていた。
「やった…!やっと、私にもバディーが見つかった…これで活躍できる…!」
「……」
まるで子供のように無邪気なハクアの表情を見て、俺は言いかけた言葉を胸の内にしまっておくことにした。
まあ、やる気になっているやつに水を差すこともないだろう。何か言ってこれ以上話をややこしくするのも面倒だし、今日は相談者が来るかもしれんしな。
…どうにも調子を狂わされる。悪魔なら悪魔らしく振舞ってほしいものだ。痛いのも恐いのも嫌だけど。
そんな微妙な表情をしていた俺が、ハクアには不安がっているように見えたのか、元気付けるようにそっと俺の肩を抱いた。
「恐がらなくても大丈夫よ」
優しく微笑むと、次第に勝ち気な笑みへと表情を変える。
「これでも私、首席で卒業してるんだから!バディーとして光栄に思いなさい!」
自信に満ち溢れたその表情は、同じくどこかの学年首席を思わせた。
…まあなんだ。
極悪な詐欺の手口で契約させられた悪魔だが、こいつ自身は悪いやつじゃないのだろう。
目的はどうあれ人間を救おうとしている悪魔だ。それを悪魔と呼べるのかはわからんが、これがハクアが言う所の理知的な新しい悪魔というやつか。
「頑張ったら、握手してあげるわ!」
「いらねぇよ…」
晴れやかな笑顔のハクアに、俺は苦笑を返して屋上を後にした。