広西大洗奮闘記   作:いのかしら

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どうも井の頭線通勤快速です。
思ったより長くなったなぁ。


広西大洗奮闘記 オリキャラなどの紹介回

今回も広西大洗奮闘記をご覧頂きありがとうございます。今回は読者様からご要望を受けまして、自身の確認も兼ねましてオリキャラを紹介すると共に、前回の紹介後に出た歴史上の人物を紹介する回です。

所属ごとに紹介していきますので、ごゆるりとご覧ください。

 

オリキャラ紹介

 

船舶科

 

艦長

 

長坂 馨(ながさか かおる) 高校2年

船舶科第一班艦長。

9月に先代の引退を機に副艦長から昇格。高1から副艦長を務めていたこともあり、部下からの信頼は厚い。一応船舶科を束ねる存在だが、実際は他の2人の担当の時間は業務をそれぞれに委任している。

3艦長の中では一番女っぽく、化粧にも興味はあるが、時間がなくて出来ていない。

成績は船舶科内では上位。髪は黒いセミロング。好きなものはマシュマロ。

家族はシングルマザーに兄1人。

 

大橋 明(おおはし あかり)高校2年

船舶科第二班艦長。

元々第二班の物品搬入係を担当していたが、先代の引退を機に艦長に昇格。性格は艦長の中で一番真面目で、融通が利かないことから一部生徒からは堅物と呼ばれている。

成績は船舶科内では中程。髪は薄い茶髪で短め。メガネをかけている。

元々物品搬入係だった為風紀委員会の資材検査担当と面識があり、船舶科の情報統制の際に風紀委員会との中継役を担っていた。

好きなものは煎餅。家族は父母のみ。

 

井上 佑月(いのうえ ゆずき)高校2年

船舶科第三班艦長。

元々第三班の操舵係を担当していたが、先代の引退を機に艦長に昇格。性格は艦長の中では一番ズボラで、部屋も控えめに言って綺麗ではない。が、天気の予測と操舵術に於いては船舶科の中でも群を抜いて優れており、大万山島への第一波の輸送船船長も務めている。

成績は赤点ギリギリ。髪は黒い短髪。海藻が苦手。背が146cmと低め。

家族は父母に兄2人に姉1人、弟1人。

 

一般乗組員

 

山本 礼子(やまもと れいこ)高校2年

長坂班にの操舵係に所属。

角谷会長が上海に行く時の輸送船の乗組員の一人。

操舵に関しては非常に優秀である。髪は黒い短髪。仕事では真面目だが、普段は快活な性格。他学年とも広い交友関係を持つ。成績は上位。

中学の時に父を喪い、高校に上がる時家計のために学費の無い船舶科に転科した。そのことを話されることを嫌がる。

麻子の中学時代の友人で、麻子のことを「レッちゃん」と呼ぶ。

甘いものは自分からはあまり食べないが、麻子と出かけた時はよく食べた。

 

田中 凛(たなか りん)高校2年

長坂班にの操舵係に所属。

角谷会長が上海に行く時の輸送船の乗組員の一人。操舵に関してはそこそこ。

髪は茶色の肩にかからない程度のストレート。成績は中程。

実家は大洗の漁師だが兄がいる為、水産科ではなく船舶科に進学した。夢はクルーズ船の船長。

 

有馬 正奈(ありま せいな) 高校2年

大橋班の無線係に所属。

角谷会長が香港、広州に行く輸送船の乗組員の一人。黒の短髪。

成績は赤点になるのが一教科だけで留年を堪えているレベル。好きな船は空母「翔鶴」。手先は結構器用で趣味は兄に影響されプラモデル。実家はシングルマザーに兄2人。

 

永野 美南子(ながの みなこ)高校2年

大橋班の操舵係に所属。

角谷会長が香港、広州に行く時の輸送船の乗組員の一人。黒のロングでメガネを掛けている。

成績はそこそこ優秀。犬好き。

将来の夢は学園艦への輸送船の乗組員。それ以上になる気は無い。実家は離婚しており父のみ。

 

古賀 峯香(こが みねか)高校1年

長坂班のドック運用整備係に所属。

角谷会長が再度広州に行く時の輸送船の乗組員の一人。一時期操舵係に所属していた為、操舵も一応できる。黒髪の短髪。

気さくな性格で、船舶科では珍しく他の学科との交友関係も広い。高1の纏め的立場でもあり、次期艦長の一人と目されていた。

両親は離婚後それぞれ再婚しており、実家は祖母宅。

 

三川 和江(みかわ かずえ)高校1年

長坂班の入港手続き係に所属。

角谷会長が再度広州に行く時の輸送船の乗組員の一人。茶がかったロングヘア。

物静かであまり喋らないが、仕事は的確にこなす為信頼されている。成績は中の上。

家族は父母と姉1人。

 

 

工学科

 

鹿島 穂花(かしま ほのか)高校2年

学園艦からの鉄鋼切り出しに関するグループのグループリーダー。背は華と比べても高い。

 

清水 亜紀(しみず あき)高校2年

学園艦からの鉄鋼切り出しに関するグループのサブリーダー。背は華と比べても高い。

 

 

風紀委員会

 

江戸川 夢華(えどがわ ゆめか)高校2年

あだ名はエドム。中学治安維持担当長を務める。おかっぱの長さはそど子より少し長め。

中1から風紀委員会を務め続ける根っからの風紀委員で治安維持担当に入り、先代の引退を機に担当長に就任する。

正統風紀委員会の蜂起を主導した一人で、正門からの突入隊の指揮を執るが、M3を中心とした猛砲撃の前に撤退。翌日に自室で確保される。

趣味は読書。両親は共働きで弟と妹がいる。

名前の由来は聖書に登場するヨルダン南西部の地域名エドムから。

 

嘉沢 南美(かざわ なんみ)高校2年

あだ名はカナン。高校治安維持担当長を務める。おかっぱの長さはそど子とほぼ同じ。

中2から風紀委員会に入るが、違反摘発で功績を認められ、高1の時に高校治安維持担当に入り、先代の引退を機に担当長に就任する。担当長就任後も校則違反者や問題生徒を自ら摘発するなど率先して行動し、肝っ玉の強さは折り紙付きである。また裏工作なども得意。

正統風紀委員会の蜂起を主導した一人で、演習場、グラウンド突入隊の指揮を執るが、IV号を中心とした戦車道部隊や、佐渡が指揮する風紀委員会の部隊に撃退され、最後にみほに対して特攻を仕掛けるが失敗し、確保される。

モンブランが好き。家族は父母に姉1人。

名前の由来は聖書に登場する「約束の地」カナンから。

 

浜 公子(はま きみこ)高校2年

あだ名はハマコ。学園艦治安維持担当長を務める。おかっぱはそど子より短め。

中1からこの担当に付き続け、先代の引退を機に担当長に就任する。元はそこまで仕事のある担当ではなかったが、風紀委員会の権限強化に伴い鉄の棒の運用など重要な地位を担うようになった。

正統風紀委員会の蜂起を主導した一人で、蜂起時は嘉沢の家で連絡の統括を担当していた。蜂起の失敗を受けて即座に身を隠し、支持者の支援も受けつつ17日まで逃亡を続け、再度蜂起の機会を狙っていた。

習字が得意。家族は両親と弟2人。

名前の由来は聖書に登場するカナン王国の都ハマトから。

 

矢暮 久子(やぐれ ひさこ)高校2年

あだ名はヤボク。店舗運営補佐担当長を務める。おかっぱは風紀委員の中でもかなり短めで、黒眼鏡を掛けている。

風紀委員らしくなく生活態度、学習成績共にお世辞にも良いとは言えない。あまり敬語で話さず、文末に「っす」と付けるのが口癖。よくそれをそど子やゴモヨに注意されたが、治す気はさらさらない。

だが機転が利き、情報を正確に理解する能力に長けており、思わぬところで風紀委員会を救ったりする。仕事も一応こなす為、なんだかんだ周りから注意されながらも、一定の信頼を置かれている。

中2から風紀委員会に入るが、理由は「ここにいれば留年は避けられそうだから」。だが他に店舗運営補佐担当の高2が居なかった為、担当長に就任した。

趣味は釣り。家族は両親と兄1人、妹2人。

名前の由来は聖書に登場するヤボク川から。これは現在のヨルダン西部を流れるヨルダン川の支流、ザルカ川(青い川の意味)に同定されている。

ちょっと頭の良さげなペパロニをイメージしてキャラを作った。

 

佐渡 暁美(さど あけみ)高校2年

あだ名はサド美。小学校風紀補佐担当長を務める。おかっぱはそど子より短め。

中1から風紀委員会に入り、高1から小学校風紀補佐に移りそのまま担当長になるが、実績がなかった為あまり目立たなかった。

しかし正統風紀委員会の蜂起時にグラウンド突入隊から学園を守った功績を買われ、第2次そど子体制の副委員長に抜擢される。

ホラー映画が好きで、上陸した時はよく見に行く。家族は両親のみ。

名前の由来は「ソドム百二十日または淫蕩学校」を書いたフランス人作家マルキ・ド・サドから。

 

 

生徒会

 

峠 美津子(とうげ みつこ)高校2年

生徒会の一人。肩までかかる黒髪に黒眼鏡を掛けている。

中2から生徒会に所属し、生徒会の実務を担い続けた。物静かで自分から何かする性格ではないが、実務能力においては信頼されており、角谷会長が廃校回避後の安定した運営を狙って次期生徒会長として指名した。

現在は動員人員管理班に入っている。

成績は上位。趣味はジョギング。家族は両親と姉1人。

 

丹波 那月(たんば なつき)高校2年

生徒会の一人。髪は茶がかったロングヘア。

中1から生徒会に所属し、生徒会の実務を担い続けた。実務能力は中程だが、物怖じせず意見を言える性格から、この先峠を支える存在として期待されていた。

現在は動員人員管理班に入っている。

成績は中程。山菜が苦手。家族は両親のみ。

 

三崎 結衣(みさき ゆい)高校1年

生徒会の一人。髪は黒髪の短髪で、茶色の眼鏡を掛けている。

中2から生徒会に所属し、生徒会の実務を担い続けた。実務能力は高く、高1にして物資総合管理班の班長を担っている。

成績は優秀。好きなものはマグロ。家族は兄1人、弟1人。

 

流山 遥(ながれやま はるか)高校1年

生徒会の一人。髪は黒髪のロングヘア。

中2から生徒会に所属し、生徒会の実務を担い続けた。実務能力は普通より上程度だが、人を説得する力は優秀である。

成績は中程。好きな花はツツジ。家族は弟1人。

 

 

選挙管理委員会

 

岩城 昌(いわき まさ)高校2年

選挙管理委員会委員長。黒髪の肩までのセミロングで、眼鏡を掛けている。空気は読める。

 

 

先生

 

松阪 忠良(まつざか ただよし)36歳

大洗女子学園英語科教員。体格はスラッとしており、スーツが似合う。

一時期台南と北京にそれぞれ住んでいたことがあり、お陰で一応簡体字、繁体字が書け、北京語を話せる。

基本的には生徒の自主性を重んじる教育を支持しており、今回の件についても教員に角谷会長を主導に行うことを認めるよう説得した一人。

ソフトボール部の顧問を務めており、部活がある時は指導に加わる。独身。

 

 

官僚

高谷 正嗣(たかや まさつぐ)54歳

文部科学省の官僚で、辻の上司にあたる高等教育企画課長を務める。

省内エリートの一人であり、上り詰めるために悪どい手も厭わない。今回も文部科学省の失敗を潰すため、研究開発基盤課に手を回し、バミューダの使用権を手に入れた。

一応天下りには絡まなかった模様。

 

 

実在の人物

 

張群(ちょう ぐん)字 岳軍

中華民国の政治家。蔣介石の側近。

四川省成都の役人の家に生まれ、軍人を志し蔣介石らと共に日本に留学した。辛亥革命にも参加するが袁世凱の軍に敗れ日本に亡命、陸軍士官学校に入学した。

帰国後は一時期北京政府に加わることもあったが、北伐後は蔣介石と行動を共にする。その日本語能力を買われ、特に日本との交渉に従事した。1935年末に汪兆銘狙撃事件を受けた組織改編で、その後任として外交部長に付いた。

終戦後、国共内戦を経て台湾へ逃亡。国民政府の要職を務めると共に、日本との交渉も務める。

1990年、台北にて病没。102歳。

 

繆培南(ぼく ばいなん)字 経成

中華民国の軍人。粤軍(広東軍)出身。

広東省嘉応の生まれで、辛亥革命後に軍人を志し、保定陸軍軍官学校で学ぶ。北伐に参加し、一時期広東省での内乱に加わるも、蔣介石に屈服し、北伐に再び参加する。

後に病気療養の為香港に行くが、回復後陳済棠に招聘され、両広事変までこれに従う。

日中戦争中は国民革命軍の軍人及び政治家として働くが、終戦後1949年に職を辞して家族と香港に移住する。

1975年、香港九龍で病没、76歳。

 

李桂丹(り けいたん)字 不明

中華民国の空軍パイロット。日中戦争初期に活躍したパイロット「四大金剛」の一人とされる。

遼寧省新民で生まれ、7歳で父を亡くし母の手で育てられる。中央軍官学校に入るが、優秀だった為中央航空学校に転学し、卒業後も教官として止まる。

日中戦争開戦後すぐに日本の空軍機を1機共同で撃破、1機共同で大破させ、一躍英雄となる。

しかし翌年武漢での航空戦で撃墜され死亡。24歳。

1935年に大校飛行場にいたかは確証が持てない。

 

孫科(そん か)字 哲生

中華民国の政治家。

孫文の子として広東省広州に生まれる。4歳の時からアメリカに渡り、現地で教育を受ける。若い時から中国同盟会に加わり、その一員として孫文を支え、臨終を看取る。

北伐時は国民政府の一員として手腕を振るうが、1931年に胡漢民が軟禁されると汪兆銘らと広州国民政府を樹立し反蔣介石運動を行う。後に満州事変を機に大同団結し行政院長となるが、一カ月で失敗に終わる。

1933年に立法院長となり、中華民国憲法の策定作業を進める。当初総統が権力を有しない議院内閣制の統治機構を志向していたが、蔣介石の反対で総統が実質的権力を握るように改めさせられた。この憲法は1936年5月5日に公布されている。

日中戦争開戦後はソ連との関係構築に力を尽くし、中ソ相互不可侵条約の締結と援助、借款取得に漕ぎ着ける。

国共内戦の最中蔣介石が下野し李宗仁が代理総統となるが、馬が合わず下野。フランス、アメリカに移住する。

後に台湾へ移り、1973年心臓病により病没。81歳。

 

何応欽(なん おうきん)字 敬之

中華民国の軍人。蔣介石の片腕とされる。

貴州省興義の生まれ。軍人として貴州、武昌で学んだ後、日本に留学し蔣介石と知り合う。

北伐時は蔣介石を支える立場としてその勝利に貢献し、北伐完了後も総参謀長としてこれを支える。

満州事変後は北京に赴任し、蔣介石の安内攘外路線を守りつつ、日本との交渉にあたる。

日中戦争開戦後は軍制、計画、指揮の責任を負う形で中国軍の指揮を執り続け、日本降伏後は中国内陸部の日本軍の帰還を遂行した。

その後は軍内の対立で敗れ罷免され、後に復帰するも台湾へ逃亡し、その後も蔣介石を支える。1987年、台北で病没。98歳。

 

閻錫山(えん しゃくざん)字 伯川

中華民国の軍人。山西派の指導者とされる。

山西省代の地主の家に生まれ、軍人を志し日本に留学、孫文と知り合う。

辛亥革命に参加し、その後袁世凱から山西都督に任命され、軍権を握る。この山西省での閻による支配は中華人民共和国成立直前まで続く。

その間閻は保境安民(山西モンロー主義)を唱え、豊富な資源を元に工業化を進め、山西省を模範省に育て上げる。

北伐時は当初は中立であったが、後に国民政府側に加わり討伐に参加。これにより閻の勢力圏は一時華北一体に広がる。

しかし蔣介石と対立し中原大戦を起こすが敗北。再び山西省のみに勢力圏が縮小する。

日中戦争では地盤の山西に共産党、日本軍、国民政府軍が入り動揺する。日本とは停戦する一方、共産党との衝突は続いた。

国共内戦では残留日本軍も使って人民解放軍と戦うが、敗れ台湾に逃亡。

台湾では反共記述に専念し、1960年台北で病没、78歳。

 

アレクサンダー=フォン=ファルケンハウゼン

(Alexander von Falkenhausen)

ドイツの軍人。

プロイセン王国のシレジア地方のユンカーの生まれ。探検家を目指したが、軍人の道を歩むことになる。

日露戦争を機に日本を研究し、1910年から第一次世界大戦勃発までドイツ大使館で駐在武官を務めた。

第一次世界大戦では西部戦線、東部戦線、トルコ戦線の各地で参謀を務める。終戦後もヴァイマル共和国の陸軍に残留。1931年まで残るが、退役に追い込まれる。ナチスには加入しなかった。

1933年に蔣介石の軍事顧問として推薦され、東アジアでの日本の覇権は揺らがないと考えつつもこれを受け入れ。翌年中国に渡る。

中国では軍事顧問団の団長となり、中国軍の育成と基礎づくりに従事した。しかし塹壕戦を教訓に作った南京防衛用のゼークトラインは日中戦争で突破され、ヒトラー政権による中独合作の放棄によりドイツへ帰国する。

第二次世界大戦では北フランス、ベルギーでの軍政を管轄し、ユダヤ人の迫害に務めるが、その遅延も試みた。

戦争末期にはヒトラー暗殺計画に加わるもこれに失敗、起訴はされなかったが強制収容所に送られる。

戦後はベルギーで軍事裁判を受けるが、ユダヤ人を救おうと試みたことや、それまでの強制収容所での拘留を考慮して3週間で解放。余生を西ドイツで過ごし、1966年、ラインラント=プファルツ州ナッサウで病没。87歳。

戦後も蔣介石との交流は続き、手紙の交換や蔣介石による経済的援助が行われた。

 

今までの参考文献一覧

 

 

客家アイデンティティー形成過程の研究 : 中華民 国初期の著名政治家・軍人の出自をめぐる議論を中心に

 

https://tohoku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=51116&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=33&block_id=38

 

 

1930年代における国民党党内権力闘争の一側面 : 寧粤対立の中の蒋胡合作構想

 

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60543/1/15_003_cheong.pdf

 

 

欧米よりも日本に万事を学ぶが最善だ

 

広西を模範省に盛り建てた李氏建設の苦心を語る

 

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10106342&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

 

ゼークトの中国訪問 一九三三年 ――ドイツ側の政治過程および中国政治への波紋――

 

http://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-077-005.pdf

 

 

2,国民党重要大会・会議

 

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7906/2-4-2.htm

 

 

日中戦争と中国空軍

 

https://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf

 

 

支那陸軍の全貌

 

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10186344&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

 

中華民国時期海南島の調査・開発について

 

http://www.shihoukai-innter.com/chuukaminnkokujikikainanntounochousakaihatsunitsuite.pdf

 

台湾政府文書から見た冷戦期台湾の民間航空

 

http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/52_4/oishi.pdf

 

村嶋英治 著・訳: ウォラサック・マハッタノーボン 共訳・編集シャム華人の政治: タイ国における華僑の政治運動 1924年-1941年チュラーロンコーン大学アジア研究所中国研究センター, バンコク, 1996年

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sea1971/1997/26/1997_26_144/_pdf

 

南京政権の鉄道建設と対外関係(下) 一一号漢鉄道への日本の対応を中心に一一

 

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31685/1/35(1)_P125-143.pdf

 

西南支の現状

 

(1) 広東の人事一新 中央色に塗り替え 幣制改革に宋子良氏の辣腕 広東本社特派員 辻衛

 

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10105817&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

中関における紙鰐乱行の状況

 

https://muroran-it.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7306&item_no=1&attribute_id=24&file_no=1

 

『日中戦争の諸相』軍事史学会 綿正社 1997年発行

学校にあった日中戦争関連本。かなり分厚いので李宗仁関連とドイツ軍事顧問団の所だけ目を通した。

 

神戸大学は偉大




次回予告

中国語、頑張ります!

そういえば最近KOKIAの「たった一つの思い」を聞いてて、なんか今作と合ってる気がした。

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