案外時間はないかもしれない。
「パゾ美、そっちはどう?」
「何とか手配に成功したよ。」
「後は秋山さんを待つだけね。だけど会長が帰ってくる時間が分からないのは問題ね。」
「それは調査班に任せようよ。でも秋山さんへの見返りも用意できてないからね……」
「戦車関連で何かあるかしら?」
「風紀委員で用意できるものはないと思うよ。」
「そうよねぇ……」
2人が揃ってため息をつくと、扉からノックが聞こえてきた。
「……誰?」
「ヤボク、じゃないよね。秋山さんにしても早いし。」
「ちょっとパゾ美出てくれる?」
パゾ美は扉をゆっくりと開いた。
「どちら様ですか?」
「すみません、五十鈴です。金春さん、後藤さんはいらっしゃいますか?」
扉の前ですっと立っていたのは、華だった。
「は、はい。いますが?」
「少しお話しが有りますので、申し訳ありませんが生徒会室までご足労願えないでしょうか?」
「生徒会にですか?分かりました。少しお待ちください。」
パゾ美はすぐに中のゴモヨに呼びかけ部屋を出て、華の案内のもと生徒会室に向かった。生徒会室まではそこまで遠くはない。
入ると部屋の中では忙しなく生徒会の者が働いている。華に案内されて入ったのはさらに奥の会長室だった。部屋では小山が叩いていたパソコンから手を離して待っていた。
「すみません。お2人とも急に来てもらってしまって。」
正面に向いて二人に向かって深く礼をしながら挨拶する。華は部屋の端に寄り口を挟まずに待っていた。
「いえいえ。ところで案件とは?」
「前にお話ししました権限強化のお話です。会長からの許可も得ましたので前にお話ししました内容を認めたいと思います。こちらの内容でいいか確認をと。」
ゴモヨとパゾ美は揃って差し出された書面の中身を確かめるが、問題はない。問題はなかった。
「大丈夫です。これでお願いします。」
「現状でもかなりの仕事をお願いしていますのにさらに増やすことになってしまってすみません。」
「いえいえ、学園と学園艦の風紀と治安を守るのが私たちの役目ですから。」
座ったままながら頭を下げてくる小山にはむしろ礼を言いたい。
「……そういえば、角谷会長はどちらに?」
「風紀委員はやはり真面目でしたね。」
「ありがとうございます。ですが、どういうことでしょう?」
「今朝深夜見張りの担当の方にお伝えしたのですが。」
「聞いてませんね。」
「いえ、内密にしてくださいと言ったもので。」
「……私たちを試したと。」
「今回の権限強化は過激すぎと取られても仕方ない内容です。ですからそれを行う風紀委員は私たちが信用できる存在であって欲しいのです。」
画面の方に視線をそらせつつ小山はそう口にした。
「……それで、ご信用頂けましたか?」
「ええ、勿論。」
柔かな笑顔をお互い交わす。
「それで、角谷会長は?」
「少し艦外に出かけてらっしゃいます。」
「今回の件などでお話ししておきたいのですが、いつ頃お戻りになりますか?」
「今夜遅くと聞いてます。ですから明日いらっしゃるのがいいかと。」
「分かりました。ではそうさせていただきます。」
「お話しは以上です。」
「では、私たちも仕事に戻ります。失礼します。」
ゴモヨはパゾ美より少し深めに頭を下げて、その後二人は小山に見送られて書類を手に生徒会室から去っていった。
「……最高の呼び出しだったわね。」
生徒会室から離れたところでゴモヨはそうぼそりと呟いた。
何時も通りの混雑を見せる食堂で作られた今日の昼食には白身魚のバター焼きとパン、そしてスープと付け添えに粉チーズをかけたサラダが付いていた。
「……このパンちょっと硬い。」
四人で机を囲んでいた中で沙織が1口齧られたパンを握って不満げに言う。
「乾パンよりはマシであります。」
「ゆかりんの食事の基準が気になる。」
「それ言ったら米軍のレーションよりは何でもマシだと思うぞ。」
「ま、まぁ、魚とスープ美味しいからいいんじゃない、かな?」
華を除くあんこうチームの者たちは日曜日も学校で昼食にありついていた。
「そういえばさ、いつもゆかりん日曜は家で昼食摂ってるじゃん。何で今日は食堂に来たの?」
「それがですね、今朝急にクラスの風紀委員の人がウチに来まして、昼食後に風紀委員会室に来るようにと言われたんですよ。あまり面識は無かったのですが。」
「風紀委員に?優花里さん何かあったの?」
「私自身も心当たりはないのですが、何か用事でもあるのでしょうか?」
「風紀委員か……」
「どうしたの、麻子?」
「いや、最近遅刻の取り締まりが厳しくなったな、と。」
「いつも時間通りに来るのが普通なの!」
「日曜日まで8時に配給受け取りに行くとか何の苦行だ……」
「で!今日は行ったの?」
「何とか終了ギリギリには、そのせいで今もとても眠い。帰ったら寝る。」
「明日もちゃんと起きなさいよ!」
「……多分無理。戦車道には行くから。」
「戦車道は午後でしょ!」
既に片目を閉じつつある麻子の前です沙織が注意している光景。
「……西住殿。何時も通りでありますな。」
「うん……華さんがいれば、ね。」
「生徒会ですか。倹約体制はまだ続くのでしょうか?」
「戦車道の練習も戻して欲しいし、今後もあるから練習試合も組みたいけど……これじゃあ。」
注意はまだ続いている。ちょうど昼食を終えた優花里は皿を纏めて席を立った。
「じゃあすみませんが皆さん。ここで失礼させていただきます。」
「気をつけてね、優花里さん。」
「大丈夫ですよ。」
優花里は笑顔で手を振りながら食堂を去り、皿を所定の位置に片付けて軽いカバン片手にに風紀委員室に向かう。悪いことをした覚えはないので不安がる必要もない。廊下ではすれ違う人も無い。ただ、1人だ。
まもなく風紀委員室にたどり着いたが、人の気配が無い。ノックしてみたが返事もない。暫く待ったが扉から出てくる人も無い。呼び出しておいて失礼とは思ったが、いらっしゃらないなら仕方ない、と元来た道を戻ろうとした。
「あっ。」
しかし戻る必要はなかった。横を向いた優花里の視線の先には、ともに戦車道の練習をやっている者の内の2人がいたのだから。
「秋山さん、すみません。お待たせして。」
「い、いえ。私も今来たばかりですので。」
「早速で悪いけど、中に入って貰える?」
「は、はい。失礼します。」
少し駆け込むような形で入った2人を追って優花里も部屋に入る。部屋の幾つかの机の上には資料が無造作に載せられている。ゴモヨはそのうちの一番奥の唯一何も載ってない机の前に腰掛け、パゾ美はその前に優花里を案内する。
「えっと、それでお話というのは……」
「秋山さんには風紀委員から1つ仕事をお願いしたいのだけど……」
「仕事、ですか?」
「学園艦の輸送船ドックに潜入してもらいたいの。」
「輸送船ドックですか?なぜでありますか?」
「……これからは風紀委員が入手した機密だから誰にも話して欲しくないのだけど、いいかしら?」
ゴモヨは机に肘をのせて目元を隠す。
「……誰にも、ですか?」
「そう。誰にも。」
「……それを聞いてこの案件を断ることはできますか?」
「ええ、勿論。秘密にしておいて貰えば構わないわ。」
「……お聞きしましょう。」
優花里は唾をひとくち飲み込んで正面に向き直る。
「現在の倹約体制が補給船が来ないことによるものということは知ってるわね。」
「ええ。」
「それについて私たちが入手した情報によると、角谷会長が補給を受けられるように輸送船に乗って交渉に向かわれたらしいの。そして、その角谷会長は今夜ドックに帰っていらっしゃる。」
「……」
「そこで秋山さんにはドックに潜んで貰って生徒会が行き先や結果などを漏らすでしょうからそれを聞いてきて欲しいの。」
「生徒会相手、ですか。」
エルヴィンが言っていた輸送船はおそらくこれのことであろうと判断できた。
「生徒会はさらなる規制強化を行おうととしているわ。統制体制、というね。」
「統制体制?」
「これよ。」
ゴモヨはパラパラと生徒手帳をめくると、あるページで止めて優花里の前に突き出す。
「えっと、食糧と燃料だけでなくすべての物流を生徒会が一手に握るのでありますか。」
「そう。これが導入されるということは今でさえ大きな生徒会の権限がさらに拡大されるということ。それを認めるならこちらも生徒会を信用できるだけの情報が欲しいのよ。」
「ではなぜそれを外部の私に頼むのでありますか?風紀委員の方から出す方が安心だと思いますが。」
「風紀委員に潜入の技術のある人なんていないわ。下手に潜入してバレるより上手な人に頼みたいのよ。」
「……」
確かにここで潜入して情報を得られればエルヴィンが言っていた事を解くカギになる
しかし、時間もないし危険を冒してまで行くべきか……
だが人に会わないように潜入する訳であるから、作戦会議に出席したサンダースとか人前を歩き続けたアンツィオの時よりはマシかもしれない。
「生憎十分なお礼として渡せるものはないけれど、やってもらえないかしら?次の寄港日に月刊戦車道最新刊を差し上げることくらいならできるけど……」
「やりましょう。」
優花里は一瞬目の色を変えると、すぐさまゴモヨの前の机に手を乗せ、身を乗り出しながら答えた。
「えっ!いいんですか?」
「はい!ぜひ!」
「……ではお願いします。今夜遅くとしか聞いていないので長時間ドックにいてもらうかもしれませんが…」
「大丈夫です!なんとかなるであります!」
「あとこれ、船舶科の制服を手に入れておきましたのでよろしければ……」
「はいっ!この秋山優花里、全身全霊をかけてこの任務を全うします!」
その後2人はテンションが急上昇した優花里の勢いに押されつつも手に入れた情報の一部を伝えた。
「ありがとうございます!失礼いたしました!」
次の月刊戦車道はおまけ付きであります!イャッホウウゥゥゥウ!と心で叫びつつ、カバンに制服をしまった優花里は敬礼を決めると風紀委員室をスキップしながら出て行った。
「……ほんと?」
「いや、ほんとだね。」
「……半分やけくそだったけど、まさか月刊戦車道で釣れるとは……」
「……ま、まぁ、やってくれてよかったじゃん。明日の朝に報告くれるそうだから、それを待とうよ。」
「そうね。そしたら私たちは自衛道具の点検をしましょう。使えなかったら意味がないわ。確か裏の倉庫にあるのよね。」
「使用訓練をしなくちゃいけないし、忙しくなりそうね。」
「そうね。風紀委員全員に一通り教えるわよ。そのために私たちが使えるようにならないと。」
風紀委員室に残っていた2人も間もなく嬉々とした顔で部屋を飛び出していった。
ゴモヨたちが去った後も小山と華は必死でキーボードを叩き、統制体制導入に向けた準備に励んでいた。学園艦内のすべての物流を管理するのだ。ただならぬ準備が必要になる。まぁ、今まで管理してきた燃料と食糧が一番大変なのだが、それ以外にも学業に必要なペン、ノート、ルーズリーフ、チョーク、その他云々までも管理下に入れるので教師陣との関係悪化の可能性もある。
中華民国との交渉に失敗した今、不満を与えない程度に備蓄を削らなくてはならない。その塩梅が難しい。隣の者達の一部は昼食を取りに行ったが小山と華は少し遅れていくのが通例となっている。住民の不満の矛先となるのは自分たち生徒会幹部だからだ。
だが、そろそろ食堂での配給がひと段落つきそうな時間になってきた。小山は1回キーボードから指を離し大きく伸びをした。
「んんー。とりあえずここまでかな?」
「小山先輩、どこまで進みましたか?」
「学業関係のものの流通方針まで。」
「結構進みましたね。」
「今夜に会長が帰ってこられるから早めに終わらせないとね。しかし、これだと統制体制導入は明後日からになっちゃうね。」
「量が量ですから仕方ないと思いますよ。」
「と、そろそろ昼ご飯だね。」
「もっと食べたい、というのは贅沢ですよね……」
「流石にね。私たちだけ贅沢する訳にはいかないでしょう?」
「……そうですね。」
「こればっかりは会長にお願いするしか……」
その暗くなりつつあった空気をノックの音が打ち壊した。
「はい?」
「冷泉さんがいらっしゃってます。」
向こうからは生徒会の者の声がする。
「麻子さんが、ですか?」
「入ってもらってください。」
「分かりました。」
間も無く、その声の主に連れられて麻子が入ってきた。
「あなたは仕事に戻って。区切りが付いてたら昼ご飯食べてきていいわ。」
「分かりました。」
声の主は一礼して部屋を去った。
「……失礼する。」
「麻子さん、どうしました?」
「一つ気になることがあったから報告しに来た。」
「なんですか?」
「……秋山さんが風紀委員に呼び出された。しかも風紀委員を家に送ってまで。」
「……普通に風紀指導では?」
「秋山さんはルールを破る人じゃないし、そもそもなぜ明日普通に学校あるのに今日呼び出したんだ?」
「……さぁ?」
「考えられるのは一つだけ。風紀委員から秋山さんに今日頼みたいことがあると考えるのが自然だ。」
「風紀委員からですか?」
麻子は立ったまま少し腰に手を当て頭をひねると、恐る恐る言い出した。
「……まさかとは思うが、会長さんが帰ってこられる日は?」
「今夜よ。」
「⁉︎今夜だと!」
「それがどうかしたのですか?」
「今すぐ到着を明日に繰り下げてもらってくれ!」
二人の机に手を乗せて麻子が珍しく大声を出す。
「えっ?どういうことですか?」
「秋山さんに我々を偵察させるつもりかもしれない。」
「偵察!まさか!」
「風紀委員がこちらの動向を掴むために秋山さんをスパイとして使うかもしれないということだ!」
「で、でも風紀委員が何の為に?」
「小山先輩!前にも風紀委員らしき人物が配給後に偵察に来た件があったじゃないですか。向こうがなにを考えているかは分かりませんが、警戒はしておくべきです。いくら今協力関係にあるといっても。」
「でも、秋山さんが風紀委員に同調して偵察なんてするかしら?」
「秋山さんはすでにこの世界を疑いつつある。無論それを知っているだろう我々も。その為の情報が得られるならば同調するとしてもおかしくはないな。」
「貴女たちは戦車道での同じチームの仲間を疑うの?」
「それとこれは話が別です。学園艦を守るためなら私たちは何でもやると決めたじゃないですか!」
華は席の向かいにいる小山に向けて力を込めた言葉を投げつける。
「……それと一つ矛盾があるわ。冷泉さん、秋山さんが風紀委員に呼ばれたのっていつ?」
「昼ご飯の後だが。」
「そうじゃなくて、風紀委員が秋山さんの家に行ったのは?」
「今朝だな。時間までは分からない。」
「風紀委員はついさっき呼び出した時に初めて会長が艦外に出てらっしゃると知ったのよ。それで今朝我々を調べる為に秋山さんを呼び出せるかしら?
仮に夜に会った風紀委員から情報が上がってきていたとしても、携帯電話の使えない今そこまで急速に情報を幹部に伝えられるかしら?」
「しかし、風紀委員の能力を侮る訳には……」
「……だったら、現在情報を得てはいないけど存在の可能性がある反生徒会の者たちへの情報漏洩を避けるため、出来るだけ情報を漏らさないように会長にお願いするわ。それならいいでしょう?」
「……情報漏洩を避けてくれるなら良いが。」
「そうですね。」
「それじゃあそれを船舶科を通じて伝えておいて貰うわ。」
「……分かった。それじゃあ失礼する。」
「今後も何かあったらお願いしますね。」
麻子が部屋から立ち去ると、華がじっと小山の方を見つめている。その視線に気づき視線を返すと、華は口を開いた。
「小山先輩。」
「どうしたの?決定に不満?」
「いえ……わざわざ日程を繰り下げてるのは輸送船側としても厳しいと思いますので妥当な判断だと思います。それよりも、なぜここまで風紀委員を信頼なさるのですか?疑うだけの要因は出てきていると思いますが。」
「……風紀委員がただの委員会の1つに過ぎなかったら私も疑っていたでしょうね。だけど風紀委員はそうじゃない。風紀委員がいたからこそこの半年間混乱は無かったのよ。」
「……どういうことでしょう?」
「学園の廃校。その情報を学園艦の人々に知らせないように風紀委員には情報統制して貰っていたの。だから、貴女も桃ちゃんがプラウダ戦でこぼすまで廃校について知らなかったでしょう?」
「ええ……」
「ニュース、ネット、新聞、そして噂に至るまで風紀委員は内部、外部問わず徹底的にやってくれたわ。廃校を知るものを最小限に抑えてね。
お陰でこちらは戦車道による廃校阻止に全力を傾けることができた。そして戦車道に最高幹部を参加させて人員補充にも役立ってくれた。私たちだけでは廃校は阻止できなかったのよ。」
「……そんなことが。」
「そして、今回も倹約体制の導入を受けて治安を守ってくれている。信頼しない理由がないわ。」
「……」
「確かに私も全く疑っていない訳ではないわ。だけどそれを断定し、対策するにはまだ情報が不足している。私は、最後の一片までそうでない可能性がなくならない限り、風紀委員を敵視しない。」
「……分かりました。その意向に従いましょう。」
「ありがとう。でも会長が風紀委員への対策するとおっしゃるなら私はそれに協力する。学園の、大洗女子学園の為に。」
「私も出来る限り協力します。」
小山は1口水を飲むと、肘掛に手を乗せてゆっくりと立ち上がった。
「……さて、そろそろ食堂が空いてきた頃でしょう。行きますか?」
「ええ、そうしましょう。」