広西大洗奮闘記   作:いのかしら

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どうも井の頭線通勤快速です。
今回は解説編です。物語本編の流れとは関係しませんが、参考程度に読んでいただけるとありがたいです。


広西大洗奮闘記 生徒会+αと学ぶ戦間期中国史講座 上

生徒会+αと学ぶ戦間期中国史講座

 

小山「……て、いきなり何ですかこれ?」

 

角谷「いやーこの小説って歴史物っぽいからさ、やっぱり歴史とか何とか分かってないと読者の方もつまんないんじゃね?ってことで作者が書くことにしたんだって。」

 

冷泉「まぁ歴史上の人物とかも出てくるからな。説明した方がいいだろう。」

 

五十鈴「……というわけで始めるのですが、ご注意です。

 

作者からこの変な設定だらけの駄文を読んでくださる心の広い読者様への注意

・WIKI参考にしてます。

・キャラ崩壊。

・独自見解が混じります。(思想的な寄りはできるだけ抑えるつもりです。)

・解説にネタを混ぜますが、実際の歴史とは一寸たりとも関係はございません。

・これで歴史を勉強した気にならないように、特に受験生!こんなの読むなら資料集や教科書見ろよ!受験に関係ない話も載せるから!

・これも歴史上のいかなる人物、出来事、思想を評価、賞賛、非難するものではありません。

・変なところあったらコメよろし。てか絶対あると思う。

・物語本編の流れとは関係しません。

 

登場人物

解説 小山柚子(メイン)

補足 冷泉麻子、角谷杏(ツッコミ)

疑問提示 五十鈴華(?の提示とか)

その他多くの歴史上の人物のみなさん

 

小山「何で私が解説なんでしょう?」

 

角谷「簡単。私だと軽い感じになるし、冷泉ちゃんは説明苦手だし、五十鈴ちゃんよりは小山の方がいいでしょ、て訳。」

 

五十鈴「私まだ世界史の授業でそこまで習っていませんので、小山先輩お願いします。」

 

小山「……分かりました。」

 

角谷「作者から辛亥革命の辺りからよろしくだって。」

 

小山「辛亥革命からですか。ではうだうだやっても何ですし、早速始めましょう。」

 

清末期と軍閥時代

 

小山「ではその前の清についてはサクッとやります。満州族により成立した国家、清はアヘン戦争、太平天国の乱、アロー戦争、清仏戦争、日清戦争など多数の戦争に敗北を続ける中で弱体化していきます。

無論ただ侵略を受け入れたわけではなく、曾国藩、李鴻章らによる洋務運動が展開されたり、康有為、梁啓超らによる変法運動が展開されたりして近代化を進めようとはしましたが、戦争による挫折、保守派の弾圧などにあい、いずれも失敗に終わります。」

 

冷泉「李鴻章は下関条約での清国全権だったことでも知られているな。因みに洋務運動と変法運動の違いは前者は清の政治体制は維持した上での近代化を目指したのに対し、後者は立憲君主制を目指したことにあるな。」

 

小山「そして度重なる戦争の敗北により、また賠償金の担保として清領のあちこちに欧米列強は租借地や鉄道利権を得ます。」

 

角谷「租借地っていうのは期限付きでの領有権譲渡または売却のことだね。イギリスが得た香港とかが有名かな。日本もロシアが得ていた南満州鉄道の利権を日露戦争で手に入れてるね。」

 

小山「そして度重なる賠償金を背負わされた清を更にズタズタにする出来事が起こります。1901年、欧米人への不満が高まった清の北部で義和団と呼ばれる宗教結社が暴動を起こし、当時の権力者である西太后は気でも狂ったのか義和団を支持し列強に対し宣戦します。これにより北京の列強の大使館は義和団に包囲されます。」

 

五十鈴「暴動を起こしている人たちを支持しちゃったんですか!」

 

冷泉「義和団が唱えていたスローガンが扶清滅洋といってな、つまり欧米を追い出して清を栄させようということだ。だから清としても弾圧するのは気が引けた、という訳だ。これを義和団事件と言う。」

 

小山「が、軍事力で勝てるはずもなく間もなく8カ国共同出兵により義和団事件は鎮圧され、清は賠償金として4億5千両、日清戦争の倍以上の賠償金を支払うことになります。」

 

西太后、義和団「やってやーるやってやーるやーってやるぜ♪きーらいな列強(あいつ)をぼーこぼこにー♪戦争(けんか)はすーるもの堂々とー♪」

 

英米独澳日露伊仏「するわけねぇだろぉえぇ!そんな訳ねぇじゃん!」

 

西太后「^o^」

 

角谷「まぁこんな感じだね。こーゆーのもやるからよろしく。」

 

小山「その後流石にこれはまずいと保守派も含め光緒親政と呼ばれる改革が行われます。しかしこれは最初に言った辛亥革命により清が滅ぼされ終わります。

辛亥革命といえば、孫文の名を思い浮かべる人も多いでしょう。孫文(孫中山、実は中国ではこちらの呼称の方が有名。)は革命を志し1894年ハワイで興中会を結成。その後革命運動を行っていた華興会、光復会などの団体を纏めた中国同盟会の総理として、華僑の援助を受けてその後何度も失敗しつつ革命運動を続けていきました。この時の孫文が唱えた方針を民族の独立、民権の伸長、民生の安定の3つから三民主義と呼びます。

この辛亥革命の契機となったのは、1911年に清政府が民間資本で建設しようとしていた幹線鉄道を国有化しようとしたことです。しかしこの国有化は借款のタネ、つまり借金の担保にするためだったので、建設地の四川省で暴動が起こります。この流れの中で、長江流域の武昌にいた清軍の革命派が蜂起し、清からの独立を宣言します。そして長江以南の各省がこれに続きました。

当時アメリカにいた孫文はこれを機に帰国し、翌年1月1日、南京で中華民国臨時大総統に就任します。」

 

角谷「武昌は今の武漢の一部と思ってくれればいいよー。」

 

小山「ですが、成立したばかりの中華民国に清を倒すだけの力はありませんでした。そこに目をつけたのが清の軍人で近代的な新建陸軍を設立した袁世凱でした。彼は中華民国と交渉し、清の皇帝を退位させる代わりに自分が中華民国大総統になることを提案します。

近代的な軍事力を握る袁世凱と戦うのは不利だと孫文は袁世凱と手を結び、袁世凱は当時の清の皇帝の宣統帝を退位させました。これにより清王朝は滅亡、袁世凱を大総統とする中華民国が成立しました。」

 

冷泉「案外ここまで長いな。」

 

小山「とにかく続けます。孫文は宋教仁とともに国民党を結成し、議会での戦いを始めようとします。これに対し袁世凱は首都を北京に移し、国民党を弾圧して議会を解散させ、実質的な独裁政権を樹立します。これを北京政府と呼びます。これに対し孫文も武装蜂起を起こしますが、これは失敗に終わります。

その翌年の1914年、サライェヴォでセルビア人がオーストリア、ハンガリー二重帝国の皇位継承者を銃殺したことをきっかけに同盟国と協商国に分かれて第一次世界大戦が勃発します。日本の当時の大隈政権もこれに乗じて協商国側に加わりドイツに宣戦布告、ドイツが租借していた山東省青島や南洋諸島を占領します。そして中華民国北京政府に対し二十一ヵ条の要求を突きつけ、袁世凱はこれを受け入れます。」

 

角谷「これを受け入れた5月9日を中国では国恥記念日として反日感情を強めたんだよね。まぁ内容が満州利権の存続、旧ドイツ利権の譲渡、さらに工業や内政の運営に日本を干渉させろって言っているものだから仕方ないけどね。」

 

冷泉「でも実際要欲しかったのは満州利権の存続、できれはドイツ権益の譲渡くらいで、あとは断ってくると日本が読んでいたという話もあるけどな。あとは交渉で削る気だったらしい。」

 

角谷「最後通牒しといてそれはないでしょう。」

 

小山「まあとにかくこれを受け入れた袁世凱は皇帝を名乗ろうとしますが、これに対し孫文は第三革命を行い、これにそれまで袁世凱に協力していた軍人も加わって袁世凱の帝政は取り下げられ、その後すぐに袁世凱は病死します。

彼の死後、北京政府では各地の軍閥が近代化を進める中で覇権を狙って争いが続けられます。最初に実権を掌握した段祺瑞は協商国側に加わり同盟国に宣戦し、また寺内政権の秘書から借款を受けます。この際に払われた1億4500万円は今の約3兆円に当たります。」

 

五十鈴「すごい金額……」

 

冷泉「ちなみにこの段祺瑞政権はそう長く持たなかったから貸した金は全然帰ってこなかったけどな。」

 

五十鈴「」

 

小山「ほかの軍閥は後で纏めて名前だします。とりあえずこんなところでしょうか?」

 

角谷「おっけー。この調子でよろしく。」

 

小山「ではこれからもやっていきましょう。」

 

 

北伐と国共合作

 

小山「第二革命の失敗時に、孫文は日本に亡命し、中華革命党を結成します。また第一次世界大戦は協商国側の勝利に終わり、パリで講和会議が行われヴェルサイユ条約などが結ばれます。このパリ講和会議で中国は二十一ヵ条の要求の破棄と山東省の租界の回復を要求しましたが、日本の要求を受けたこともありこれは拒否されます。

これを受けて1919年5月4日、五、四運動とよばれる抗議運動が北京で発生し、それは全国に拡大し、ストライキなども起きました。これによりパリの中華民国の使節団は条約に調印しませんでした。五、四運動を受けて孫文は武力革命から民衆の力による革命へと方針を転換。名前も中華革命党から中国国民党に改めます。

のちにドイツとは国交を回復し、国際連盟の原加盟国、非常任理事国として国際的な地位を向上させていきます。」

 

五十鈴「前の国民党とは別なんですか?」

 

小山「はい、また別にです。また同時期、北のロシアで二月革命、十月革命によりロシア帝政、その後にできた臨時政府は崩壊し、社会主義国であるソヴィエト共和国が誕生します。ソヴィエト共和国がカラハン宣言を出し、中国に持っていた利権の放棄を宣言したことを受けて中国国民党はソ連寄りの立場を取り始めます。

同じくソ連の影響を受けて1921年、上海で陳独秀らの若い知識人の呼びかけのもと中国共産党が成立。これには毛沢東なども加わっていました。

孫文はソ連支持だったこともあり、1924年、中国国民党第1回大会を開催し、『連ソ、容共、扶助工農』のスローガンのもと、対北京政府のために共産党員の中国国民党への個人入党が許され、第一次国共合作が成立します。この後、内戦を終結させたソ連の支援のもと中国国民党は軍事力を増強させます。

その頃、北京政府はワシントン会議で山東問題や二十一か条問題について一定の解決を行えましたが、清の時代に奪われた関税自主権の回復については上手くいかず、財政が破綻。統治能力が低下します

。翌年に孫文は病死しますが、その二月後に当時租界地であった上海の労働争議を外国軍隊が鎮圧したことをきっかけに五、三◯運動という反帝国主義運動が勃発。そのさらに2ヶ月後に中国国民党は広州国民政府を樹立し、翌年1926年7月に中国統一のために孫文の死後実権を握った蔣介石(中正)を司令官として広州から北伐(出師北伐)が開始されました。これには民族資本家、特に蔣介石の妻の一族である浙江財閥が後押しし、翌年一月には武漢を占領、蔣介石の反対はあったものの中国国民党左派が武漢に汪精衛(兆銘)を首班に国民政府を遷都します。」

 

角谷「ちょいと小山ストップ。寸劇混ぜるよ。」

 

小山「さっきみたいのですか?」

 

冷泉「文字の羅列だけじゃ面白くないしな。」

 

小山「はぁ。」

 

角谷「それじゃ、始めるよー。」

 

冷泉「軽い感じだがまぁ許してくれ。」

 

〜簡単北伐劇場〜

 

蔣介石「孫文先生の意思を継いで中国統一するゾ!」

 

馮玉祥(甘粛省の軍閥)「おう協力してやるよ。」

 

蔣介石、馮玉祥「殺っちゃうよ!殺っちゃうよ!ほらほはほらほら。」

 

周蔭人「ぐはっ!」

 

孫伝芳「うぎゃ!」

 

閻錫山(山西省の軍閥)「俺も協力させてよ頼むよ頼むよ。」

 

蔣介石「おk。」

 

蔣介石「南京、上海占領!」v

 

上海の人「やったぞ!これで帝国主義をぶっ潰せる!」

 

上海の人「資本家や地主も追い出しちまえ!」

 

蔣介石(……共産党支持やばいな。)

 

資本家「共産党は先祖代々の財産や土地を取り上げるそうです。」

 

地主「このまま中国が共産主義国家になったらどうするのです。」

 

蔣介石「わかりました。何とかしましょう。」

 

1927年 4月 上海クーデタ 第一次国共合作の崩壊

 

蔣介石「共産党員は犯罪者だ!厳罰に処せ!」

 

毛沢東「井崗山に逃げろ!蔣介石、今に見てろ!」

蔣介石「アカは害悪、はっきりわかんだね。よし、南京国民政府も立てたし、それでは統一再開だ!」

 

汪精衛「すみません左派追い出したんで合流させてください。」

 

蔣介石「……まぁいいか。」

 

呉佩孚「あべし!」

 

張宗昌「ぎゃあぁ!」

 

田中義一(当時の日本首相)「やい山東に来るんじゃねぇぞ!来たら戦争な。」

 

蔣介石「ちょっ!日本と軍閥との2正面とか無理ゲ!山東はどうぞどうぞ。山東は避けて進撃だ!」

 

(実際済南で武力衝突が起こっている。)

 

張作霖(満州の軍閥、当時の北京政府の実権を握っていた。)「逃げろー!日本さん助けてー!」

 

関東軍「だが断る!」

 

張作霖「」

 

張作霖、奉天で爆殺。

 

張学良(張作霖の子)「国民党に合流しまーす。」

 

蔣介石「北平(今の北京)占領!北伐完了ー!」

 

 

 

角谷「ざっくりこんなもんだね。」

 

五十鈴「なぜ一部の軍閥の方しか場所を紹介してないんですか?」

 

冷泉「軍閥はちょこちょこ本拠地変えてたりするから、一箇所ここだと言うのは難しいんだ。」

 

五十鈴「なるほど。」

 

角谷「じゃ、小山続けて。」

 

第一次国共内戦と第二次国共合作

 

小山「上海クーデタでは5000人以上の共産党員、労働者が殺害される痛ましい事件となりました。国共合作を行った共産党は北伐に協力するとともに各地に党員を送り込み、解放区と呼ばれる地域を中国各地に建設していきます。

上海クーデタののち、毛沢東一行は湖南省で武装蜂起(秋収蜂起)を起こすも失敗し井崗山に逃れ、党の中心からは失脚したもののそこで朱徳率いる軍と合流してソヴィエト政権を樹立します。彼らは井崗山を根拠地に中国の江南地方で地主の土地や財産を没収し貧農に分配する土地改革を行っていきました。しかし、共産党も一枚岩ではなく、農村での運動を重視する毛沢東らに対し、党の主流派はソ連により設立された各国共産党による組織のコミンテルンの支持を受け都市での活動を重視していました。

毛沢東は1931年に江西省瑞金に建設された江西ソビエトに移動し、中華ソビエト共和国臨時中央政府の樹立を宣言し、主席に就任します。」

 

角谷「これと同じ年に日本が柳条湖事件をきっかけに満州事変を起こして満州国を建国するんだよね。」

 

小山「蔣介石を中心に中国を統一した南京政府は北京政府が出来なかった諸外国との条約改正を行って関税自主権を回復。さらに当時の硬貨の主体だった銀貨の流通を禁止して統一貨幣制度を導入し財政的基盤を確立します。また社会生活の近代化を推進し、総動員への基盤を築こうとしていました。

この蔣介石政権は安内攘外、すなわち国内の安定を抗日よりも優先するとして日本と1933年に塘沽停戦協定を結び満州国建国を実質承認します。そして5度にわたり瑞金のソビエト政権に対する侵攻を行い、約3年後ついに瑞金から毛沢東ら一行を追い出すことに成功します。」

 

五十鈴「……共産党はどうやって4回も国民党軍を撃退したんですか?」

 

冷泉「徹底したゲリラ戦だな。先ほど言った朱徳将軍がゲリラ戦こそが有効だと大学で論文を書くほどの人物で、国民党軍が50万人を動員した第4次侵攻も撃退している。因みに紅軍は10万ちょっとだ。」

 

五十鈴「みほさんの遭遇戦に通じるものがある気がします。」

 

冷泉「この朱徳将軍は日中戦争時も共産党の軍の八路軍の司令官として日本軍を苦しめたからな。」

 

角谷「でも1933年に上海にいた共産党の本部が瑞金に移転してきて、この人達は無論都市での活動を重視する人たちだから毛沢東の農村重視路線に反対して軍と政治から追い出し、朱徳らの唱えるゲリラ戦から積極攻勢に路線を変えたんだよね。

そしたら国民党軍にいたドイツ人の参謀のゼークトが唱えたトーチカ包囲戦法で補給が止められてさらに爆撃をくらいまくって完敗。瑞金を放棄せざるをえなくなるのさ。」

 

小山「そして瑞金を放棄した共産党は新たな拠点を求めて長征と呼ばれる大移動を開始します。これは距離にして12500キロメートル、日本の北から南を二往復、東京から博多を6往復半する距離に相当します、もの距離を進み、瑞金から西安の北の町、陝西省延安までの二年がかりの大移動に成功しますが、国民党からの追撃や山地、底なし沼などの厳しい自然を前に犠牲者が相次ぎ、瑞金を出る時に86000人いた軍勢が延安に着いた時には6000人に減っていたそうです。」

 

角谷「これは酷いね……」

 

冷泉「おまけに毛沢東は出発する時マラリアの病み上がりだったそうだ。よく生きてたな。」

 

小山「この長征の最中の1935年、長征途中立ち寄った数少ない都市の一つ遵義で会議を開き、毛沢東は共産党の主流派を瑞金陥落の原因と非難して追い出し、指導権を確立します。またその年の8月に八一宣言を出し、内戦停止と抗日民族統一戦線の設立を訴えます。

これに対し蔣介石は変わらず共産党打倒を訴え、延安に根拠地を定めた共産党を追撃します。」

 

冷泉「この間にも満州国を建国した日本は上海に侵攻したり熱河地方に侵入し、さらに塘沽停戦協定で定められた非武装地帯に冀東防共自治委員会(のち政府)を樹立して華北分離工作を進めていたな。」

 

小山「そしてついに事件が起きます。共産党征伐に向かっていた国民党軍の将軍となっていた張学良が八一宣言の支持と抗日民族統一戦線の樹立を求めて1936年末に西安に来た蔣介石を捕らえて軟禁します。

これの解放に共産党の周恩来が協力し、1937年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発したのを受けてやっと蔣介石も共産党との協力を許し、第二次国共合作に成功。抗日民族統一戦線を設立します。」

 

角谷「こんなところかなー。」

 

小山「ふぅ。」

 

角谷「小山おつかれー。」

 

小山「やっぱりきついですね。」

 

五十鈴「でもおかげでいい勉強になりました。ありがとうございます。」

 

冷泉「だがこれからが本題なんだがな。」

 

角谷「そーだねー。タイトルに関する話を次はしなきゃいけないからね。今回はその準備に近いからね。」

 

小山「……まだまだきつそうですね。」

 

五十鈴「メイン料理の前に腹に溜まるものを食べさせられた気分です…」

 

角谷「まー次も頑張っていこうよ。」

 

冷泉「そうだな。」

 

 

五十鈴「今回は広西大洗奮闘記の解説編をご覧いただき誠にありがとうございます。今後も投稿して参りますのでどうぞよろしくお願いします。最後に前作で出てきた人物をさらっと紹介します。」

 

角谷「ググった方が早いかもね。」

 

小山「それは言わないでください……」

 

 

蔣中正(字 介石)

 

中華民国の軍人、政治家。第3代、第5代国民政府主席、初代中華民国総統。北伐を完遂させ中華民国の最高権力者となる。日中戦争には勝利するものの、共産党との内戦に敗北し台湾に逃れる。

公式な場では派手な軍服などを着たが、プライベートでは質素で生真面目な性格だった。余談だが陽明学が好き。

 

戴笠(字 雨農)

 

中華民国の政治家、軍人。満州事変後に蔣中正の指名で藍衣社特務処長となり、親日、共産、民主勢力の弾圧、指導者の暗殺などを行う。西安事件後の張学良の収監、護送なども担当している。1938年に藍衣社が解散されると軍事委員会調査統計局(軍統)の副局長になり、人数を増やしてさらなる弾圧、暗殺などを展開。日本軍に対しても撹乱工作を仕掛けている。

蔣中正からの信頼は厚かった模様。

 

 

 

 




調べるのがキツかったから次が遅れても許してね。

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