10月8日午後 大洗学園艦
空を眺めると快晴ではないが雲はちらほら見える程度だ。角谷杏は漫然と時間を潰していた。高校3年生は10月を過ぎてから午後は大学入試に向けた特別授業となっている。
しかし、そんなのは推薦で合格が決まっている彼女には関係ない。一応生徒会長の仕事はあるが、同じく推薦で合格した小山がほぼこなしてくれている。今まで生徒会長になってから廃校の緊迫感に包まれていたが、それから思いっきり解放された為かあまりやることが思いつかない。思えばあの時の風紀委員達もこんな気分だったのだろうか。
気がつくとグラウンドの方から履帯の回る音が聞こえる。そういえば他の学年は今の時間必修選択科目の時間か。ならばちょいっとお邪魔しよう。
グラウンドでは6輌の戦車がパンツァーカイルでの走行訓練を行っていた。3年生がいない為ヘッツァーとポルシェティーガーは訓練から外れている。またそど子、ぴよたんもいないのでカモさんチームとアリクイさんチームは砲撃訓練を満足に行えてないらしい。おまけに自動車部が4人中3人抜けた為車輌の整備が大変だとも聞いた。
丁度いい。手伝うとしよう。走行訓練を終えて、車輌が次々とレンガの倉庫の前に集まってくる。その中の一輌から西住みほが顔を見せた。
「あっ…会長さん、どうも。」
キューポラの上から礼をした彼女はすぐに車輌から降り、角谷の前に来た。
「あの……授業は……」
「ああ、私ね、大学決まっちゃったからさ〜、この時間出なくて良いんだよね。ということで練習来てみちゃったわけ。」
「でも、この後は練習を切り上げて車輌整備をしようかと思っているのですが……」
「いーよいーよ。私も手伝うよ。」
「あ、ありがとうございます。」
みほが礼を述べると、他の車輌から出てきた者達も一緒に謝意を示す。各車の操縦手が倉庫の決められた場所に駐車し、みほはその間に各車の車長に改善点を指摘する。
駐車が終わるとそれぞれ工具を持って自分の車輌に向かう。角谷もヘッツァーの前に向かい、様子を確かめる。あの試合で随分と派手な使い方をしたせいでその後自動車部から愚痴を言われたことが思い出される。
まあ、感慨にふける時でもないので履帯の様子を確認し、緩そうな所は適宜締めていく。元が38tだけに締めて損はない。他の車輌の者達もツチヤに指摘を受けつつも基本的には自力で整備する。
この時はまだ気づくはずがなかった。まだ彼女達の戦いは終わっていなかったのだと。
光が、その空間を大きく包んだ。目を瞑るが、瞼を貫通し目を突き刺す。手で塞いでも変わりはない。
どれくらいの時間堪えただろうか、とても長く感じられた。その後光は収まったがチカチカして目を開くことが出来ない。やっと薄く目を開くと、みほの周りに見えたのは目を塞いだまま倒れていた人の姿だった。近くにいた沙織の体を揺さぶる。
「沙織さん、沙織さん。」
「んん……みぽりん、大丈夫だった?」
沙織は目を閉じたまま身を起こす。
「まだ目がチカチカするけど、他は大丈夫そう。」
「それにしても、今の何?」
「何があったの……」
「どうしたのでありますか?」
他の者も身を起こし始める。みほはましになった目で辺りを見回してみると、まだ倒れている人、少しは大丈夫そうな人、様々だがそれ以外に大きく変わったところはない。
「何かは分からないけど、とにかく変わったところはなさそうだけど……」
「いや、そうでもないぞ。」
帽子をはめ直しながらエルヴィンが倉庫から出て空を見上げる。
「今日、あんなに曇っていたか?」
「えっ?」
目がましになった者は倉庫の外に出る。確かに、今の空は青空が殆ど見えない。雲も灰色がかっている。
「確かに……」
「倒れていた間に雲が出たんじゃないか?」
「いや、それはないと思うぜよ。」
おりょうが胸元から懐中時計を取り出す。
「今、2時半ぜよ。」
「!」
練習が終わったのは2時10分過ぎ、その後整備をそれなりの時間やっていたことを考えると、倒れていた時間はどんなに考えても10分もない。その間にあれ程雲が出るはずがない。
「と、とにかくここであれこれ考えても仕方ありません。動ける人は車輌整備の続きを、まだ目がチカチカする人は休んでいてください。」
みほが大きめの声で指示を出す。
「まぁ、そうだな。」
「取り敢えず続きやろう。」
その場にいた者は手放していた工具を手にとって作業を開始した。しかし、角谷はそうはしなかった。
「ごめん、ちょっと用事を思い出したから戻る。」
「は、はい。」
「ありがとうございました〜。」
他の者達からの挨拶を気にせず生徒会室に向けて走り出した。校舎に入り、ノックもせず生徒会室に飛び込む。ふとあの学園廃校を通告された時の感覚が心をよぎった。
「小山、大丈夫か。」
「会長!何とか大丈夫ですが、今の光は……」
「分からない。でも最低でも何かが起こった。それは間違いない。何か連絡はないのか?」
「えっと……あれ?」
小山がケータイを取り出し、直後に不思議そうな顔をする。
「どうした?」
「ケータイ、圏外になってます。」
「そんなはずはないだろう。学園艦で圏外なところなどないはずだ。ましてや学校内は連絡出来ないはずがない。」
「でも、実際圏外です。」
小山が画面を見せる。確かに画面の左上にアンテナは一本も立っていない。
「今の光で基地局でもやられたのか?」
「問い合わせも出来ないし、どうしたら……」
祈るように小山が胸の前で手を組んでいると、ピー、ピーと耳を突く電子音がする。
「この音は緊急無線?」
「私が出るよ。」
角谷は隣の倉庫の中にある無線機のイヤホンを手に取り、会話ボタンを押す。
「こちら生徒会。」
「こちら船舶科の艦長大橋です!と、とにかく急いで艦橋部に来てください!」
「な、何があったんだい?」
向こうの慌てぶりにこちらも思わずたじろぐ。
「実物をお見せしなければ絶対通じません!早く!」
「と、取り敢えず今からそっち行くから、問題あるなら他の艦長とか教官とかに頼っといて。」
イヤホンを外し会話ボタンを切る。
「どうしたんですか。」
「……これは、ただ事じゃないね。艦橋に呼び出された。行ってくる。小山はここに残っておいてくれ。」
胸のざわつきは益々酷くなる。小山の返事を確認し、角谷は上着を一枚羽織って財布片手に生徒会室を飛び出した。
校舎の前を通りかかったタクシーを捕まえて行き先を告げる。その白髪の運転手は返事一つで車を走らせた。車窓から見える大洗学園艦の町の眺めはいつも通りだ。
だが胸に抱えた不安はそれを安心と捉えさせない。艦橋部入り口に着いたタクシーにコイン4枚をちょうど払って階段を駆け上がる。操船室の扉を開くと窓ガラスの向こうに青い海が広がっている。
「角谷会長!お待ちしておりました!」
すぐに白い船形帽を被った女子が一人近づく。
「大橋ちゃん、何があったんだい?」
「こちらに他の艦長も集まっていますので、そちらで説明します。」
大洗女子学園の船舶科は3交代制でこの巨大な船を動かしている。艦長も無論学生だ。その為3グループそれぞれに艦長が指名され、指揮をとっている。その一人大橋がせかせかと答えると角谷は操舵室の隣の部屋に連れていかれる。
「遅くなった。角谷だ。」
「第一班艦長の長坂です。」
「第三班艦長のぉー、井上です。」
それぞれ自己紹介を終えると井上が大きくあくびをする。
「やめてよ井上。」
「仕方ないでしょー。8時まで勤務してて授業受けた後の昼寝中を叩き起こされたんだから。」
「とにかく、大橋ちゃん、何があったんだい?」
席に着いた角谷が身を乗り出す。
「会長、今この艦がどこにあるかご存知ですか?」
「ああ、冬休みに入る前に南の方を回るんじゃなかったっけ?今は八丈島の方じゃなかったかな?」
「そうです。我々はそこからの補給船を2時半に受ける予定でした。」
「2時半って、もう30分はすぎているよ。」
角谷が腕時計を確認する。長針はしっかりゼロを指し、短針と直角を形成している。
「我々はあの光を受けるまでレーダーでその補給船を捉えていました。しかし光を受けた後それが捉えられなくなり、今まだその補給船と連絡が取れていません。」
「補給船が消えたのかい?それはすぐ海上保安庁に」
「いえ、それがどうも違うようなのです。」
「ん?どういうことだ?」
長坂が大橋の顔を覗き込む。角谷の頬を汗が流れる。この状況とあのエルヴィンと小山の言葉が無関係とは思えなかった。大橋は無言で机の上に線の書かれた紙を見せる。
「これは?」
「一番近くて西に10海里ほど離れた海岸線をレーダーで計測してみたものです。」
「海岸……線……」
角谷はそこに見えた曲線に見覚えがあった。
「これは……」
「信じられませんが、これが大洗から日立までの海岸線とほぼ一致しました。少なくとも元々いた八丈島付近の海岸線とは一致しません。」
「……ど、どういうこと……」
井上が驚きではっきりと目を覚ましたようだ。
「補給船が消えたのではなく、我々が姿を消した。そうとしか思えません。」
「大洗港と連絡は?」
「それが、規定の周波数では全く繋がらないのです。周波数変えるときは通達が来るはずなのですが……それと自動操縦が使えなくなったので一応今この艦は手動で沿岸に向け運行させています。」
「……」
4人が無言で腕を組んでいると、船舶科の生徒の一人が部屋に飛び込んできた。
「艦長!」
「どうした。」
「これ以上沿岸には近づけません!」
「は?何を言っているんだお前。」
「ソナーの調査でここから先どこも水深250メートルないことが判明しました!南進する他ありません!」
「そんな馬鹿な!ソナーの結果見せてみろ!」
大橋は椅子を倒して立ち上がると、すぐに隣に向かった。
「……何なんでしょう、全く。」
部屋に残された3人のうちの一人、長坂が顔を伏せる。
「八丈島からいきなり大洗沖に吹っ飛ばされ、かつ連絡がどことも取れないって……」
「大橋ちゃんの答えがイェスなら、見当はつくけどね。」
「会長、この後の航路どうしましょう。」
井上は不安げな顔を崩さない。
「エネルギーを一番消費しない速度で運行してくれるかい?補給船がこないから次いつ補給できるか分からないし。他は任せるよ。」
「分かりました。」
大橋がゆっくり部屋に戻ってきた。
「……マジだ。」
「……そう。だったら答えは一つしかないね。」
角谷は椅子の背もたれに勢いよく身を預ける。
「この世界は『我々がいた』世界ではない。そりゃケータイも圏外になるよ。」
「……別世界か何かということですか?」
「分からない。でも日本があることを考えるとそうそう変な世界ではないと思う。」
「でもそんなこと有り得るんですか?現実的に。」
「でもこの現実を他にどうやって説明する?」
「それは……」
分かっている。私がどれほど馬鹿らしいことを話しているか。しかしそれ以外の説明が思い浮かばない。
「仮にそうだとして、我々は何をすれば良いんですか。」
「取り敢えず援助を求め、生産体制を強化するよ。この大洗学園艦に住む3万人の命を守るのが最優先だからね。あとこの話はまだ確定したわけではないから他言無用で。」
「分かりました。それでは業務に戻ります。」
角谷を除く3人は船形帽を被り直して部屋からぞろぞろと出て行った。角谷も席を立ってドアの方に向かい、開いていたドアから廊下に出た。そして階段を降りようとしたその時、
「繋がった!」
その声が操舵室から上がり、角谷も操舵室に急いで戻った。
「何がだい!」
「あ、いえ、地上のラジオの回線を受信できたようで。」
「つけてみて。」
「はい。」
無線士がヘッドホンを取り、スピーカーに繋ぐ。
「ガガ……ピー……昨日、広田外務大臣が蒋中国大使と会談せり。4日に閣議にて決定された内容を提議する模様。……今月3日にエチオピアに侵攻を開始したイタリアに対し、国際連盟がイタリアを侵略者として制裁を準備する採択を可決す。……」
ニュースと思われる内容がスピーカーから流れてくる。
「日本語だね。」
「やっぱり向こうは日本なんだ。」
船舶科の学生達から安堵の声が漏れる。しかし、角谷はそうではなかった。
「1935年10月……」
「へっ?」
いきなり喋った角谷に対し隣にいた長坂が気の抜けたような声を上げる。
「……これが、我々のいた世界の過去なら、エチオピア侵攻は1935年10月に起こったはず。」
「会長?」
「我々は、過去に飛ばされたのか?」
「……と、とにかく会長、どういうことでしょう?隣で教えてください。」
顎に指をかけながら瞑想に耽る角谷の肩を大橋が叩き、小声で現実に引き戻す。
「ん、ああ。分かった。」
角谷は大橋に手を引かれ隣の部屋に連れ込まれる。扉を音を立てて閉められるとその扉に寄りかかる。
「過去、とは?」
「この世界は多分1935年の10月だ。さっきのニュースで我々の世界でその頃にあったエチオピア侵攻のニュースが流れていたからね。それがあるということは、我々のいた世界とこの世界では大きな差はないと思う。」
「な、なるほど……」
「でも向こうが日本と分かったなら話が早い。何か連絡が取れたら食料とかが得られないか交渉してみて。その辺は任せるよ。」
「……分かりました。他の二人にもそのように伝えておきます。」
「この話もできるだけ他言無用で。あと今後ラジオは受信させないようにさせて。」
「情報統制ですね。分かりました。お任せください。」
大橋は敬礼を返す。
「何かあったらまた緊急無線で頼んだよ。」
「はい。」
「それじゃあ私は戻るよ。」
角谷は大橋に手を振り、階段を降りた。そして艦橋部から適当にタクシーを拾って学校に戻ることにした。来た緑のタクシーに手を挙げて止めてもらい、開いたドアから頭を下げて乗り込む。
「学園前までお願いします。」
「了解。」
扉が閉まると、車は走り出す。角谷は焦りを落ち着かせようと外を眺めるが、一向に収まる気配がない。
「お客さん、そう言えばさっきの光あったでしょう。」
信号待ちの時に中年くらいの運転手が角谷に声をかけた。
「あれに関して前のお客さんから変な噂を聞いたんだよ。」
「何です?」
少し気になり、食いついてみた。
「あの後いきなりケータイが圏外になってテレビが映らなくなったのはなんやらタイムワープしたせいとかなんとか……」
「……」
「まぁ、そんなSFじみたことある訳ないですよね。またどっかの妄想野郎の流した話ですよね?」
「あはは……そうですね……」
私は、妄想野郎なの……か。角谷は苦笑するしかなかった。
車は校門の前に止まり、今度は1000円を払ってお釣りを受け取ると、ゆっくり校舎内を歩き、途中の自販機でさっきの小銭でお茶を一本買い、それを片手に生徒会室にノックをして入った。
「あ、会長。」
「小山、何かあったか?」
「圏外であることの苦情電話が来た以外はありません。」
「そうか。」
角谷は自分の椅子に音を立てて座る。そして机の上にあった干し芋の袋を手に取り、1枚丸々口に押し込む。隣では優勝旗が力なく垂れている。まだこの予想が正しいかは分からない。あまり話はしたくない。ペットボトルを口の前で傾け干し芋に吸われた水分を回復させる。
「会長。」
「なんだい?」
「何を……言われたんですか。」
小山が俯き気味に膝の上に拳を乗せ震わせている。
「……補給船がしばらく来れないそうだ。」
「!」
「つまり、どこかから補給を受けられなければみんな飢え死にする。」
「……やっぱりですか。」
「ああ、これはまずいな……」
「いえ……本当にここは現代ではないんだな……と。」
「!気づいていたか。」
「まだ予想に過ぎませんが。」
「大丈夫だ。私も同じ予想を持っている。ついでに言えばもう少し進んだ予想もあるが、聞いてくれるか?」
「……はい。」
角谷は小山に洗いざらい話した。海岸線のこと、補給船、水深、そしてラジオで聞いたこと。それを聞きながら、小山は何度か頷いたが何も言わなかった。
「最低でも言えるのは、我々が現代にいないことと海の向こうは日本ということだ。とにかく、私たちは安定した補給を受けられるまで今の食料、燃料、日用品で耐えなくてはならないということだ。」
「仮に1935年だとしたら……まだこんな大きな学園艦は造られてませんよね。」
「そう。だからそんな場所を見つけるのは至難の技だろう。しかも、この情報は学園艦の住民にはできるだけ伏せておきたい。」
「どうにもならない情報を与えて不安を煽ったらいけませんし。」
「ということで今回は補給船が来れなくなった、という情報だけ流して生産体制と倹約体制を整えて耐えたいと思う。そして安定した供給を何処からか受け取れるようにする。」
「賛成です。それだけで十分でしょう。」
「それじゃあ小山は学園艦内への放送準備を放送委員にやらせといて。私は船舶科にこの事を伝えとくよ。」
「分かりました。」
二人は立ち上がり、それぞれの仕事を始めた。
次回予告
華の香り