ハリー・ポッターと曇天の大鷲   作:adbn

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一九九二年、秋。ホグワーツ、あるいは友人という救済の可能性。

 ホグワーツ城の内部構造はひどく複雑である。百をはるかに超える階段、その殆ど全てに仕掛け。廊下と廊下を繋ぐ隠し通路。見えない隠し扉。余程運に恵まれていないかぎり新入生は誰しもが授業間に移動を終えられず、一週間は苦しむことになる。アルテア=レストレンジもまた例外ではない。三日目の魔法薬の授業には、始業だけでなく教師の入室にも間に合わなかった。

「初回から遅刻とは随分と余裕があるようですな、ミスター・レストレンジ」アルテアが息も荒く地下牢にも似た教室の扉を開くと同時、そんな嫌味が教壇から飛んできた。

「始業から七分と二十四秒の遅刻。それでは繰り上げて……レイブンクローは八点減点。どうした、早く席に着きたまえ」入学後一週間と経っていない新入生相手にしては随分多い減点を課しつつ、常磐色の刺繍が施された濡れ羽色の詰襟の教師が着席を促す。黒髪の男性教師──セブルス=スネイプの言葉に従い、アルテアは空いていた窓際、中ほどの席に腰を下ろす。

 スネイプが告げる。

 魔法薬は一見魔法らしくないと思えるかもしれない。

 だがそれは、最も高きに辿り着ける方法。栄光を醸造し、死に蓋をする術である、と。

 不意にスネイプの声が鋭くなる。

「マクベイン!」

「は、はい!」ブロンドをおさげにしたハッフルパフの女子生徒が返事をする。

「ベゾアール石を見つけてこいと言われた場合、どこに探しに行くかね」

「え、えーと、ベゾアール石、ベゾアール石はたしか……羊の心臓……?」

「ハッフルパフの新入生としては上出来の部類だろう。雄山羊の胃だ。稀に小腸や排泄物からも見つかる。ではレストレンジ。レイブンクロー生であるからしてベゾアール石の効能が解毒であるというのは先刻承知と思う。故に……ふむ。ベゾアール石を構成物とする解毒剤以外の魔法薬を挙げよ」

真実薬(ベリタセラム)魅惑万能薬(アモルンテンシア)が挙げられます。どちらも強力な原材料を多く使う為、ベゾアール石無しでは毒性が強くなるからです。」

「その通り。レイブンクローに二点。ただし毒性の強い魔法薬に必ずベゾアール石が使われる訳ではない。例えば誤解されがちではあるが先日発表された鳥兜脱狼薬(ウルフズベイン・ポーション)は強い毒性を持つものの中和にはベゾアール石ではなくマンドレイクを使用する。薬効成分そのものに人狼にとっては低いとは言え毒性があり、ベゾアール石を用いると薬効成分まで消してしまうからだ。さて諸君一体何をしている。ぐずぐずしていないでノートを取ったらどうかね」

 一通り生徒がノートに書き込み終わった頃合いをみて、二人一組にして単純な薬を造らせる。席の大幅な移動をスネイプが認めなかったこともあり、アルテアはすぐ前の席に座っていたハッフルパフ生徒と組んだ。

 相手生徒──エドワード=カートリッジが生の角蛞蝓にナイフを入れようとすると、アルテアが声をかける。

「違う」

「え?」話しかけられるとは思わず手に力の入るカートリッジ少年。

「角蛞蝓は丸のまま茹でて、それから切る。体液も必要だから」

「え、あ、ああ。けどもう……」哀しげに血が流れ出し始めた蛞蝓に目を落とす。

「一匹使って良いぞ」

「あ、ありがとう。思ったより好い人だね」

「……思ったよりってのはどういう意味だ」半眼になって睨むアルテア。

「あ、ごめん」

「いや、気にしなくていい。親が親だからな。こういう扱いは慣れている」諦観の混ざった声音。

 その日は特に鍋が溶かされるような騒ぎも無かった。

 しかし、慣れている?レストレンジ邸から出たことも数えるほどしかないのに。

 

 薬草学の授業は二寮の合同。グリフィンドールとハッフルパフ。レイブンクローとスリザリン。スリザリン寮には、純血の旧家の子弟の七割方が入寮する。魔法族の純血は年々減っており、彼らの価値観ではより格式高い一族の人間と学生時代に繋がりをつくれるよう努力するのは当然。当代当主ロドルファス=レストレンジとその妻ベラトリックスにより一般からの評価は地に落ちたといえども家柄、すなわち血統としてのレストレンジの価値は健在。つまり、今ポモーナ=スプラウトが四人から六人組を作れと指示を出したことで、アルテアの周辺にスリザリン生徒が集まったのも宜なるかな、ということだ。

「レストレンジ!僕たちと組んで欲しい!」

「私たちのグループに入ってくださいませ!」

「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」我先にと詰め寄る生徒達をにべもなく切って捨てるアルテア。そもそも顔も知らない相手なのだから仕方あるまいが。

「ミスター・アルテア=レストレンジ」物静かな声がかかる。灰色に近い髪の男子生徒。動きやすい軽量仕様のローブを着ている。傍には十一にしては背の高い黒髪の男、赤毛に碧の眼をしたふっくらとした背の低い男子生徒、そして栗毛に近い金髪を後ろ手に纏め、銀縁の眼鏡を掛けたた女子生徒。

「はい。なんでしょうか」アルテアが男子生徒の方を向く。

「僕はアシュトン=ブラッドウェル。この背丈が一番高いのがウィリアム=リルバーンで赤毛のまるいのが──」

「アッシュ貴様!誰がまるいのだ!すいませんミスター・レストレンジ。パーシヴァル=スペンサーです」

「ガブリエラ=ティンバーレイクと申します」眼鏡の少女。

「今日だけでも班を組んでいただけますか」再びブラッドウェル。

「構いませんよ、ミスター・ブラッドウェル」先刻の慇懃無礼な態度が嘘のように対応するアルテア。血筋でなく目的意識で選ばれたスリザリン生徒が知性と勤勉を尊しと成すレイブンクロー生と合わない筈も無く。この五人組は薬草学を中心に見ることのできる組合せとなるのだった。

 

 フィリウス=フリットウィックは小鬼(ゴブリン)の血を引いている。故に小柄だ。しかし、だからといって彼を侮るのは入学間もない一部の人間だけであろう。フレッド=ウィーズリー曰く生徒全員を試験に合格させてくれるとの評だが、それはその通り。彼は出来ない課題は与えない。だが甘い教師というべきではないだろう。生徒の八割近くが呪文学のO.W.L.に通る事実にその優秀さが垣間見える。そんな彼がレイブンクロー・グリフィンドール合同授業の始めに先ずしたのは警告であった。

「いいですか皆さん。妖精の呪文、三年生からは呪文学と呼ばれることになりますが、これは魔法薬や変身術ほど如実な差違は産まれません。ですが、それは真面目に取り組めばの話しです。故にあまり楽観視しないよう願います。また、魔法の呪文は非常に多彩なもので、少しの違いが簡単に失敗に繋がります。このとき、単に何も起こらないのならこんなに嬉しいことは有りません。一年生、二年生の内は生死に関わる失敗に繋がることは少ないですが、油断は禁物です。確かにこの三百年呪文学及び妖精の魔法の授業内で死者は出ていません。ですが逆に言えば三百十二年前の二月、死者が出たということです。もう一度だけ言います。油断は禁物です」

 妖精の魔法では入学後最初の一ヶ月は実際に呪文を使うことはない。先に理論と危機意識を叩き込むのだ。学生に限らなければ実例は豊富に存在する。

 

 アルテア=レストレンジが変身術の教室に足を踏み入れると、教卓の上に一匹の虎猫が載っていた。

 始業のベルが鳴る。その時には全員が揃っていた。虎猫が教卓から勢い良く飛び下りる──その姿が空中で変化。虎猫から黒縁眼鏡の女性へと。動物擬き(アニメイガス)、ミネルバ=マクゴナガル変身術教授。魔法省の記録を調べれば判明するとはいえ、一般に知られているわけではない。生徒達も揃って驚愕の表情を浮かべている。そこにマクゴナガルが一言。

「何時まで魚のような口をしているつもりですか、呆けていないでしゃっきりなさい」レイブンクローの生徒は総じてプライドが高い。無理矢理にでも意識をマクゴナガルの方へ向ける。

 マクゴナガルもまた、警告から入った。二時間続きの授業の前半は基礎理論のさわりの座学。後半は実践である。最も初歩の変身術は変化の過程と結果を意識することで発動する為、知識を得るのと同程度には杖を振って感覚を掴むことも重要なのである。

 教室のあちこちで想像力を駆使し、教わったばかりの呪文を呟く声がする。

 尤も如何にレイブンクロー寮とはいえ、成功者は中々出ない。

 羊皮紙の上で計算していた羽ペンが止まる。杖をローブの内ポケットから取り出し、配布された燐寸に向ける。

 「姿を変えよ(ミューテイシオ)

 燐寸の縁が削れて細く尖った輪郭に変わる。爪楊枝のような状態に成り、そこで変化は止まる。

 「ダメか」

 もう一度呪文を唱えれば糸を通す穴もでき、色も銀に変わった。

 しかしそれでは不満らしく、アルテアの表情は晴れなかった。

 

 魔法史の授業担当、カスバート=ビンズは此岸に残った霊魂、幽霊(ゴースト)である。それは生前の記憶を繰り返す自動機械。その授業は一本調子の上、遅く、溜めがない。確かに教科書以上のことを話す時もあるが、十回の授業の内に一度、それも五分程度で終わってしまう。その上期末試験には出ない。ここまで揃えば如何に勤勉なレイブンクロー生といえど、否、だからこそ授業など聞く筈も無い。故にレイブンクローの生徒にとっての魔法史は、寝るか読書の時間でしかない。

 

 この年の闇の魔術に対する防衛術(DADA)の担当教員は小説家兼冒険家のギルデロイ=ロックハート。教員経験は無く、更に初日の二年生の授業が散々な結果に終わった為に彼の授業は彼の書いた自伝の再現に終始している。新学期開始から一月せずにレイブンクローの寮監に苦情が寄せられたのも無理はない。しかしそもそもロックハートが採用されたのは本人の自信と、他に人員が居なかったというのが大きい。換わりの教員が見つけられない以上、ロックハートを据え置く他なかった。

 

 青と銅を基調とした高価そうなカーペット。群青の布地に銀で星座をあしらった天井。ホライゾンブルーに薄い銅の縦縞模様の壁紙。四隅の内三つに置かれたスタンド以外に照明は無いが、不思議と部屋の中で暗いと思うことはない。レイブンクロー寮塔、談話室。暖炉の向かい側の壁に掛けられたコルクボードに、一年生が群がっていた。飛行訓練の予定日が発表されたのだ。ハッフルパフとの合同訓練。

 曇り空。イギリスの基準ならば良い天気。問題はむしろ強い風。

 芝生。円形の広場。地面から空へ伸びた計六本のゴールポスト。クィディッチ競技場。等間隔で並べられた箒。流れ星(シューティングスター)。その前に仁王立ちする女性、ロランダ=フーチ。生徒が競技場に足を踏み入れるやいなや、鋭い声音を飛ばす。

 ぼさぼさしないで箒の横に立て。

 手を箒の柄の真上に出して「上がれ」と言え、と。

 あまり飛び上がった箒は多くない。

 痺れを切らして怒鳴る生徒。何度も何度も繰り返し言い続ける生徒。

 無言でプレッシャーをかける生徒。諦めて拾い上げる生徒。

 全員の手に箒が握られると、フーチは跨がらせて箒の握り方を修正する。結局のところ飛べれば何でも良いという実も蓋もない言葉が付いてきた。

 その日は四メートルほど上がっただけだったが、回を追うごとにアルテアの飛行能力のなさが露呈し、寮生からのからかいに拍車がかかることになる。

 




おまけ
一九九二年、秋・冬。友情、あるいはハッフルパフとレイブンクローの外れ者。

 「ミスター・カートリッジ、そうじゃない。マンドレイクの葉は主な葉脈を取り除くと黒板にあっただろう」
「え、あ!ありがとう、ミスター・レストレンジ」
「アルテアで良い。というか名字は止めてくれ」
「あ、うん。じゃあ僕のこともエドワード、いやエドで良いよ」
「ところでカートリッジ、」
「僕の話聞いてた?」
「カートリッジ、吹き零れるぞ」
「うわわわわ」(慌てて火を弱める)

「ねえ、Altair(アルテア)って少し呼びにくいんだけど、渾名で呼んで良い?具体的には最初の音節。Alt(アルト)って」
「別に構わない」

「だーかーらー、箒を信用しなくちゃだめだってば」
「そんなことを言われてもな。別に信用していない訳ではないのだが、気にしなくてはならない範囲が広すぎて」
「今、授業中だよ?」
「どうしても癖でな......」
「もう!そんなんだからいつまで経ってもまともに飛べないんじゃないか」

「アルトは口調が堅い!いまだに名前(ファーストネーム)で呼んでくれないなんて」
「あー、努力はしよう」

「カートリッジ、黒板を読めと何度言ったら解るんだ」
「へ?」
「良いからその手に持ってる瓶を下ろそうか。そして黒板を見るんだ」
「え、何かおかしかった?」
「沸騰してるところに入れるなというのが見えないのか?」
「何処にさ」
「一番下だよ。注意事項のとこ!」
「おー。ところでこれ入れたらどうなるの?」
「知るか」
「フム、五年前は爆発して三人ほど医務室に運び込まれましたな」
「本当ですか、スネイプ教授(プロフェッサー・スネイプ)
「嘘を吐いて何になると言うのかね」
「......カートリッジ、頼むからちゃんと説明文は読んでくれよ?ってちょっと待てってば!」
「何ー?」(だばだば)
 (どーん)
「鍋は買い直しだなこりゃ」
「......ハッフルパフは五点減点」

おまけのおまけ:“アルト”はアクセントが“A”にあって最後の“t”が小さいので“アル”にも聞こえる。

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