赤い煉瓦の舗装。珍しく燦々と照りつける天上の光。足早に行き交う背広の群れ。イギリス、ロンドン。其処に一人の少年が座り込んでいた。年の頃は十四、五ほど、どこかの
「ミスター・レストレンジで間違いないでしょうか?」
五十代と思われる女性。薄く色の付いた七分袖のブラウスに黒のロングスカート。首元にはスカーフ。きつく結んだ黒髪には心なしか白いものが混じっている。
少年──アルテア=レストレンジによる首肯という形の返答。
「
「ええ、そうです。では、余り長居してマグルに不審がられても厄介ですし早速向かうとしましょう」
女性──ミネルバ=マクゴナガルと立ち上がった少年が歩き始める。駅に向かってではなく、人気の無い路地裏の薄暗がりへ。他の人間が見えなくなったところで、マクゴナガルがアルテアに彼女の腕を掴むよう指示する。少年が女性の腕に触れるやいなや、二人の姿が回転し、掻き消える。
姿眩まし。
一瞬の内に彼らは再び姿を現す。だがそれはこの駅前にではない。ダイアゴン
大理石の壁の中。魔法界にて金貨の管理を任される人の子供ほどの背丈をした生物──小鬼。その一匹──クルヌゴンがマクゴナガルとアルテアを先導する。高速のトロッコに乗り、地下の深く、レストレンジ家の金庫へ。水に触れることの無い滝と微かに響く竜の咆哮を越えて飾り文字で724と書かれた扉の前へ。クルヌゴンが扉に指を這わせると、それは霧か霞であったかのように消え失せる。扉を潜った奥には金貨銀貨の山と大量の宝飾品。立ち並ぶ古の武具達。
「現金はどのくらい持てば良いのですか、
「学用品を揃えるだけならば五十ガリオンもあれば十二分でしょう」
言葉を受けて少年は金銀銅貨を合わせ百ガリオンほどを先程小鬼から渡された袋──曰くグリンゴッツ公認の貨幣以外は入らない代わり、相当量入れることができるのだとか──に入れ、ついでとばかりにクルヌゴンに二十ガリオンほど非魔法族──マグルの通貨への両替を依頼する。
「では、まずは制服を揃えましょうか」
ガリオン―ポンド両替窓口から離れたのを見てマクゴナガルがレストレンジに声をかける。
「マダム・マルキンの洋装店に行きましょう」
グリンゴッツを出れば、買い物客で賑わう店の群々。ダイアゴン横丁、イギリス魔法界最大の商店街である。記憶の限り初めて屋敷から出る少年にとっては驚き以外の何物でもない
「此方です」
マクゴナガルの指示に従って進むと、件の店が見えてきた。大きなショウウィンドウの中、エジプシャンブルーのローブ。如何なる仕掛けか“あのギルデロイ=ロックハートが絶賛した新色!今なら二割引!”の文字が
「あらあらこれはマクゴナガル先生。お隣の子は?見慣れない方ですが……」
「新入生です。一通りの制服を仕立ててやってください」
「新入生!ウィーズリーの子でもあるまいに。少し大きめに仕立てましょうか。坊っちゃん、此方へどうぞ」
現れた女性─店主マダム・マルキンに言われるままにレストレンジ少年の採寸が始まる。飛び回って明らかに仕立てには不必要な部分まで体の各部位を測るメジャーへの不快感をおくびにも出さず、かといってマダム・マルキンの話に付き合うこともせず、アルテアは黙って立っている。制服と言っても、ホグワーツのそれは余り厳密ではないようで、マダム・マルキンはレストレンジ少年に好みのデザインを聞いている。最終的に、ローブはフードの付いた腰元をベルトでとめる前開きの物、三角帽はつばが小さく高さも低いカジュアル仕様、マントは比較的薄手の襟付きとなった。インバネスコートの可否を聞いて却下されたのは余談である。安全手袋は魔法薬やその原料の取扱店の方が良質な品があるとマクゴナガルは言う。
「そういえばミスター・レストレンジ、鞄の類いはあるのですか?」
「……そうですね。失念していました」
という会話を経て、今しがた彼らが扉をくぐったのはビュットナー皮革鞄工房。工房と名が付くとおり、商品の並びは見栄えや販売促進効果よりも空間の有効活用に重きを置いているように思える。入って五秒としない内に店主らしき中年男性が出てくる。
「ようこそ、ビュットナー皮革鞄工房へ。お客さん、一体何が欲しい?」
愛想という物を知らないとみえるぶっきらぼうな態度で男性が問う。そんな接客態度に戸惑い一つ見せず、
「ホグワーツの学用品が一通り入るトランクの類いと、教科書類を持ち歩く為の鞄を一つづつ」
此方もまた必要最低限のやり取りで済ませたいという意識が透けて見える淡々とした声音で少年が応える。
「あいよ。トランクならこいつだな。ちょいと値は張るが拡張呪文が掛かってるんでこのサイズでも全部入る。箒やら大鍋やらを含めても、だ。軽量化は掛かって無いんで気ぃ付けろ」
バーントアンバーの革にシナモン色のベルトとくすんだ金色の金具の小型トランクを奥まったところの棚から持ってくる男性。
「保証書も書いてやる。よっぽど妙なこと、まあ呪いかけられるとかだな、がなけりゃ五年に一回かけ直せば十分だ。んで鞄は正直どれでも大して変わらん。好きなの選べば良い」
「ならこれを。合わせて幾らだ」
「三十四ガリオンと十二シックル」
マチの広い、非魔法族の会社員が使うような鞄と例のトランクと引換に、躊躇いなく全額を支払う少年。
「まいど」
店主の声を背後に出ていく少年をマクゴナガルが追い掛ける。
魔法薬の原料を売る店で、黒いドラゴン革の安全手袋と銀製と鋼鉄製の小刀も購入。梟便での宅配サービスの登録。レストレンジの名は悪名高い。危うく拒否されかかる。しかしマクゴナガルがホグワーツの正規教員として仲裁し事なきを得た。
大鍋の店はその直ぐ隣、錫製であることに加え、直径まで決まっているためこれは指示通り購入。授業中に調合を間違えて溶かしたと思われていたが、余談である。
大鍋店の向かい、総合魔法道具店とも言うべき場所にて秤とクリスタル製の魔法薬保存用小瓶、小型で高性能な真鍮の望遠鏡、それに伸縮自在な真鍮の物差し。望遠鏡は横のツマミで倍率を変えられるもの。この辺りは魔法の面目躍如である。
インク、羽ペン、羊皮紙。ホグワーツに通うとなれば必須の物。羽ペンを思考対応の自動筆記用と通常の物を同数買い、インクを消せる消しゴムを購入。別段ピンクの羊皮紙を買ったりはしない。
教科書を購入しようと向かったはずの書店だが、出てきた時少年が抱えているのはその他の本の方が多い。そればかりか他学年の指定教科書まで購入する始末。理解出来るのかとマクゴナガルに呆れられる少年の図。
「残るは杖だけですね。オリバンダーの店に行きましょう。英国随一の杖の店ですよ」
マクゴナガルが告げ、即座に歩きだす。ダイアゴン横丁本通りの奥の奥、古びた店住まいの小さな店。ショウウィンドウには色褪せたクッションに杖がたった一本だけ。とても英国で最高の店には見えないが、本通りに店を構えるなら、相応に稼がねばならない。なれば確かに良い物を売るのだ。マクゴナガルは店の前で待つと言う。杖を手に入れると言うのは神聖な儀式にも等しいとか。アルテアが入店する。外観と同じく古びた内装。壁一面に積み上がった細長い箱。アルテアが眺めていると、音もなく一人の老人が店の奥から現れた。老人──オリバンダーがアルテアに声をかけたところで初めて彼はオリバンダーに気が付いたようだ。挨拶代わりかオリバンダー翁はロドルファスとベラトリックス=レストレンジの杖について話す。レストレンジ少年に杖腕を出すよう言い、測定を始めた。マルキンが用いた物と同じ浮遊するメジャー。杖についての説明。芯はドラゴンの心臓の琴線、ユニコーンの尾あるいは鬣、不死鳥の尾羽。一つとして同じ杖の無いこと。一通り測った後、一面の箱から無造作に一つ引き抜く。
「楡にユニコーンの鬣、二十六センチ。柔軟で妖精の魔法に向く」
そうオリバンダーは評し、アルテアに手に取るよう促す。しかし彼が手に取るやいなやオリバンダーは杖をもぎ取り、合わなかったようだと次の箱を抜き出す。紫檀に不死鳥の尾羽。次々と。百日紅に竜の心臓の琴線。柿にユニコーンの尾の毛。杉に不死鳥の尾羽。桜に不死鳥の尾羽。マホガニーに竜の心臓の琴線。
「李にドラゴンの心臓の琴線、三十七センチ。強靭。呪術に向き、攻撃的」
今度は取り上げなかった。
オリバンダーからの忠告。ややもすれば狂気を孕む。悪に堕ちないことを願う。
杖の代金は七ガリオン。
店から出れば、マクゴナガルが。ロンドンからダイアゴン横丁に入る正規の方法を教えた後、別れを告げる。九月に会いましょう、と。
李(すもも)の木言葉は忠実、困難、独立、疑惑、変わらない信仰。はてさてどうなることやら。
なおこの杖は致命的なレベルで“