まったく異なる世界からやって来た二人。
二人が出会ったのは、暑い夏の季節。
すべてを受け入れる理想郷である“幻想郷”に“奈落”の魔の手が迫る。

アルシャードガイア~夏の奇跡~

二人の出会いはただ一度限りの奇跡。

この作品はPixiv様にも投稿しております。

1 / 1
アルシャードガイア~夏の奇跡~

 男性の視界に映っているのは、世界だった。

 上を見上げれば、まるで海と映し鏡になっているかのように透き通った青色の空がどこまでも、どこまでも際限なく広がっている。空にある海を悠々と航海している船のような白い雲がいくつも風の流れに身を任せるようにしてある。さんさんと輝いている太陽の光はそんな空の下にある地上へと降り注いでいる。見下ろした地上は青々とした草木が大部分の大地を覆っており、その内側には太陽の光を宝石のようにきらきらと反射する水が流れる小川のように圧倒的な存在感をもっている山から細く伸びるようにしてある。同じように、曲がりくねったカーブを描くようにして茶色の土が顔を出している農道があった。縛られることもなく、自由に渡る風が、大自然の澄みきった香りを乗せて吹いて、そっと肌をなでる。

 心地よい風が吹き、見る者を圧倒させるような大自然の光景をもつ世界であるが、一見して平和そうな雰囲気に包まれている。しかし、実際にその世界の現実というものを目の当たりにすれば、そんな雰囲気は一瞬で霧散する。もともとこの世界は人間のためにあるものではない。時代の流れによって、人間たちは科学を発展させてきたが、逆に“人間の恐れ”というものを糧にしている神や妖怪という存在は迷信と認識され、否定されるようになっていた。そのため神や妖怪という幻想の存在は滅亡に追いやられる危険性があり、隔離される以前のこの世界も崩壊寸前だった。そんな時、とある“妖怪の賢者”がとった策として、この世界と外の世界の間に“非常識”と“常識”という明確な境界を敷いて、それらを分け隔てるような結界を張り、崩壊寸前であったこの世界を“非常識の内側”の世界とすることで、外の世界の発展した科学が幻想を否定するということを逆に利用して崩壊を食い止めるというものだった。

 さらに、“常識の結界”が張られていることでこの世界は外部から隔離された閉鎖空間、つまりは箱庭となっていた。しかし、この世界に問題が何一つ残っていないわけではなく、閉鎖された世界となったため、この世界に住んでいる人間と妖怪の間に数やバランスというものが必要となった。人間にとって妖怪が増えすぎてしまうのは問題であるが、逆に減らしすぎて外の世界と隔離した意義がなくなってしまうのもまた問題であった。妖怪にとっても、妖怪に対する“人間の恐れ”というものが存在を保たせるため、同じように増えてしまうのは問題であるが、減りすぎてしまい存在を保たせるものがなくなってしまうのもまた問題であった。そのため人間は必要以上に妖怪を退治しなくなり、また、妖怪も人間をほとんど襲わなくなった。 だが、それによる代償も大きく、この世界の妖怪などの外の世界では幻想となったものたちは存在意義を失ってしまったことにより次第に気力も衰え、弱体化してしまっていた。

 つまり、この世界は非常に危ういバランスを何とか保ちながら存続していた。

 男性が立っている参道の上空を物凄い勢いで飛ぶ何かがいた。それが通過するのと同時に、強い風がごうっと駆け抜けていった。色素が抜けきってしまったようにも見えるが、まるで生糸のように細く繊細に見える男性の白髪が風にあおられて大きくなびき、それからふわっと元の位置に戻る。その白髪とは対照的に漆黒の闇で染まっているかのように見える魔術師が着るようなローブ。手にしている長めの杖の先には、不思議な力を秘めた、色とりどりの宝石のように見える石がはめ込まれていた。

 男性は視線を風が吹いていった方角に向けられた。

 視線の先には山の麓にある小さな人里があった。それはこの世界に住んでいる人外から身を守るようにするために寄り集まるようにしてできているように見える。外の世界と分け隔てられ、閉鎖された箱庭の世界、“幻想郷”での唯一人間が生活している場所、“人里”。周りを草木がうっそうと茂っている森に囲まれており、そこから現れる妖怪などの人外の侵入を防ごうとして高い塀を築いていた。人間たちは、その内側で生きている。生活している。けっして安心しきることはできないが。

 その人里のある方角からなにやら雑音のような耳障りな音が聞こえてくるのを、彼の鋭敏な感覚がとらえていた。それは騒然としている人々の叫びや悲鳴、怒号といった騒音が爆発的に膨れ上がるようにしている。なにやら逃げ惑う人々や彼らとは反対側に武器を持って走る人々の姿が見える。さらに、彼らが向かっている先にある人里を取り囲むようにしてある塀や森の木々がなぎ倒されており、そこには巨大な体躯を持ち、全身を黒い体毛で覆われ、口や手足には鋭く尖った牙や爪を持つ熊のような妖怪が数体現れていた。自分たちの生活場所を守るために勇ましく妖怪に立ち向かっていく人々の姿がある。

 だが、それを十数キロ以上離れた山にある参道から見ている男性の顔には怒りや悲しみといった感情は見られず、むしろ愉悦を感じているのか、口元をつりあげるなど歪んだ笑みを浮かべていた。黒曜石のような深い色をした瞳は、まるで実験室の中にいる実験体を観察しているように遠くの騒動を見ている。空間に溶け込むかのように、ただ静かに。

 その騒動が治まるまで男性はその場を一歩も動くことなく、ただ見つめ続けていた。

 

                    *

 

 中性的な顔立ちの青年が、やや薄暗い部屋の壁を背もたれにして畳張りの床に座り込んでいた。なにをするわけでもなく、片膝を立てて、彼自身の武器である鞘に収められた件を抱くようにしている。強い意志を秘めている瞳は、ただ窓の開けられた外に見える空を見上げているだけだ。黒く艶のある髪は肩辺りで短くぞんざいに切りそろえられている。

 ここは”幻想郷”と呼ばれる閉鎖的な箱庭のような世界にある、唯一多くの人間が身を寄せ合うようにして住んでいる人里と呼ばれる場所である。この世界には人外である神や妖怪といった存在がおり、それらと比較してあまりにも無力である人間は、あちらこちらに散在して住むよりも、こうして身を寄せ合うようにし、団結していなければ安心することができなかった。人里と呼ばれているが、それほど広大な面積をもっているわけでもなく、華があるような特徴的なものもないため、非常に質素なものだった。建ち並ぶ家屋同士の間は非常に細く、密接しているようにも見える。しかし、彼の住んでいた場所、つまり、故郷とどことなく雰囲気が似ているためか、居心地がよく、嫌いではなかった。協力し合い、一致団結して生きているためか、そこに住む人々はとても義理堅く、温かい。それに、なんでも受け入れてしまうように懐が深いためか、気兼ねなく付き合えた。

 開けられた窓からは涼しい風が吹いてくる。この世界には四季というものが存在しており、今はそのうちの夏にあたる時期だという。そのためか日中にはうだるような暑さになり、一歩も動きたくなくなるという気分になる思いには同意したい。そんな暑さの中でも朝からセミたちによる生命の響きが辺りから聞こえてくる。青年がこの世界に来てから数日が経つが、初めは賑やかな生物がいると珍しがっていたが、連日聞いているとただの喧騒にしか思えなかった。

 青年が視線を向けている外からはさきほどから人里の住民たちのものと思われる声がやたらと騒がしく聞こえる。それが爆発的に広がる前には、何かなぎ倒されるような音が、大地を揺るがす衝撃とともに聞こえていた。

 一羽の鳥がちちちっと鳴きながら窓を横切るようにして飛んで行くのが見えた。それから一拍の間を置いて、

 

「アイク!」

 

 青年の名前を呼ぶ声が、部屋の外にある階段の下から聞こえてきた。

 それからすぐにドタドタという階段を上ってくる足音が聞こえた。閉められていた襖が勢いよく開かれ、その奥に階段を上がってきた本人である一人の高齢男性の姿があった。

 彼は青年が利用しているこの部屋を提供してくれた人物で、この家の主でもある。人里において二階建ての家屋というのは数少ないが、彼が道具店を営んでいることもあって、一般のものに比べると屋敷とも見てとれる大きなものだった。この家に居候としてお世話になり始めたのもまた、数日前であり、その以前は青年の身なりがあまりにこの世界の住人と不釣合いであったために牢屋に入れられていた。害はないということで、後に解放されたはいいが、行く当てもなかったために途方に暮れていた。そんな時に声をかけてくれたのが彼だった。道具店を営んでいるということで珍しいものには非常に興味があるということだった。そこでアイクの右手首にあるブレスレットを詳しく調べさせてくれるのならば、生活の場を提供しようという破竹の条件を提示してくれた。

 

「一体どうしたんだよオヤジ。そんなに慌てて」

「これが慌てずにいられるか。妖怪だよ。妖怪が里を襲ってるんだ」

 

 青年は肩を大きく上下させ、慌てた様子を見せている男性とは対照的に、努めて落ち着いた態度で対応する。しかし、男性のほうはそれどころではないと、相変わらず慌てた様子で事態のことを教えてくれた。

 青年の腕を取って、無理やりに立ち上がらせ、窓際に連れて行く。そこから男性の指差す方角に目を凝らして視線を向けてみると、確かに熊のような妖怪が数体、人里を守るようにして囲んでいる塀を破壊し、侵入している姿が見えた。何とかこれ以上人里内に入られないようにと、武器を持った人々が応戦している姿が見える。だが、戦力が足りないためか、防衛に当たっている人々は鋭い爪を持った妖怪の攻撃の前に次々と、風の前の木の葉のように吹き飛ばされていく。

 

「妖怪なら人里の自警団がいるだろう。そいつらに任せたらいいんじゃねえか?」

 

 妖怪から自分たちの命や家族、生活場所を守るために自ら武器を取って戦う者たちの集まりが人里にはあり、それを自警団と呼んでいた。さらに自警団に協力するという立場にいる寺子屋の女性教師もいたはずだ。話によれば、彼女自身半分は妖怪の血が流れているという、いわゆる半人半獣で、人里の守護者であるという。彼らがいれば十分対応することができるのではないかと、男性を落ち着かせるように言う。

 

「今まで通りならだがな。だが、今回は違う。最初に襲ってきた妖怪の対応に慧音先生たちみんなが出張って手薄になったところを別のやつらが襲ってきたんだよ。だから、みんなが戻ってくるのにまだ時間がかかるんだよ」

 

 基本的な誘導作戦にまんまと乗ってしまったのだろう。男性の言葉からして、これまでにはなかったことなのだろうと分かる。

 

「いつもはどうなんだ?」

「あの妖怪は熊が年月を経て凶暴化した妖怪だ。力は強くても、知能はそれほど高くはない。いつもなら数で正面突破をしてくるような猪のようなやつらだ。そんなやつらが、今日に限っては頭を使っていやがる」

 

 また一人妖怪の振るう凶刃の前に倒れていく。それを見ているしかできない男性は悔しそうに唇をかみ締めている。別の場所でも戦闘が起きているようで、激しく建物が崩れるような音が聞こえてくる。相当離れた場所であるのが、ここからでも見て分かる。このままでは圧倒的な力の前に押し通られるのも時間の問題だ。この世界にやって来てまだそれほど日が深いわけではないが、居心地のよさを感じさせてくれるこの人里を見捨てるようなことはできない。

 アイクは青みがかった瞳をスッと細める。

 右手首にあるブレスレットもわずかに淡い光を放っている。まるでアイクに危機を知らせているかのように。

 それから窓に背を向けて、壁に立てかけている武器に近づいて、それを手に取る。

 部屋を出てから階段を下り、家を出る。

 

「あの感じ、まさか……“奈落”?」

 

 そう小さく呟くと、アイクの瞳に鋭さが生まれる。その瞳には、さきほど部屋の窓から見ていた妖怪の姿が映っている。“奈落”。世界を汚し、無に帰そうとする、あらゆる存在にとっての敵であるそれ。世界を形成する力であるマナを貪り、浪費することで、それをなそうとしている。男性にはあれが妖怪に見えたようであるが、アイクには“奈落”に見えた。もしかすると“奈落”になにかしらの感情につけこまれている妖怪なのかもしれない。おそらく人間を襲いたくとも襲えないという抑圧された感情につけこまれてしまったのだろう。家屋をなぎ倒す轟音が響き渡り、それに掻き消されることなく逃げ惑っている人々の阿鼻叫喚が聞こえる。人々が妖怪のいる方角から反対に逃げてくるのに対し、アイクは妖怪のいる方角へと地面を蹴って走る。

 

「このまま侵入されちゃあ、壊滅しちまうな」

 

 そう呟きながら、ドミノ倒しのごとく次々と音を立てて崩れていく家屋が瞳に映った。

 一刻を争う事態だ。アイクは手にしていた剣の収まっている鞘を腰に紐で括りつけると、風を切るかのように現場へと走った。

 

                    *

 

 彼女の前にいるのは、誰が言おうとも彼女自身だった。右手を上げれば、左手を上げるなどと鏡に映った自分を、彼女は見つめていた。

 彼女のいる部屋は質素なもので、周りは木造りの壁に覆われ、床は一面畳張りになっている。そこには唯一の照明代わりになる行灯と小さな机とテーブル、衣服を収納しておく小さなタンスが置かれているだけだった。

 そのタンスの近くに置かれている、やや大きめの鏡に映っている彼女が着ているのは神に使える女性の着る巫女服だった。しかし、それには彼女なりのアレンジが加えられており、大きく脇を露出させた白と青を基調としたものだ。長い緑色の髪には蛇とかえるをあしらったような二つの髪飾りをしている。幼さの残るかわいらしい顔立ち。青みがかった瞳には強い意志や自信に満ち溢れている。

 ――急がなければいけませんね。

 彼女はじっと目の前に映っている自分を見つめながら、そう胸中で言い聞かせる。妖怪退治、これまで何度も経験してきたことである。何も心配する必要はない。よほどの油断さえしなければ、いつも通りうまくいくだろう。

 彼女は机の上に置かれている白い紙と紐のついた棒、払い串を手に取り、机の引き出しを開けるとその中には何枚もの御札がきれいに重ねられるようにしてあった。それを取り出す。払い串と御札は妖怪退治をする上での彼女の武器である。

 彼女が妖怪が現れ人里を襲っていると聞いたのはつい数分前のことだ。この神社が建っている“妖怪の山”に住んでいる烏天狗の少女が教えてくれた。

 本来この世界に来るまで妖怪退治とは彼女と同じ巫女の立場である別の少女が行なっていたことだ。外の世界でほとんど信仰されなくなり、存在が危ぶまれたという理由からこの世界にやって来て、消滅は免れたがやはり弱体化は免れなかった。最盛期の力を取り戻すためには、やはり人々からの信仰が必要だった。そのため、彼女が人々の脅威となる妖怪を退治することで、信仰を得ようとしていた

 家族同然の二柱の神々は居間でくつろいでいるだろう。普段は神様らしいことはしていないが、彼女のことを守るようにしてある加護は二柱の神々からもたらされるものだ。姿は見えないが、そばにいて支えてくれていることは分かる。

 

「準備が終わったところで、急ぎましょう」

 

 この世界において人間は自分を含めてごくわずかしか存在していない。人でありながら現人神という神としても存在している彼女にとっては、人里に住んでいる人々はみんな、信仰を抜きにして大切な存在である。

 きりっとした真剣な表情を顔に浮かべ、気合を入れるように払い串を握り締めながら、彼女は自室を後にした。

 

 

 人間と幻想となったものたちが住む世界――“幻想郷”。

 結界によって閉鎖された箱庭のような世界で、非常に危ういバランスを保ちながら共生している。

 お互いにまったく異なる世界からやって来た二人。彼らはまだお互いのことを知らないでいるが、出会いはすぐそこまできていた。

 そして、この世界に存在する者たちはまだ知らない。

 この世界に“奈落”の脅威が迫っていることを。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。