大変おまたせしました
異世界での一日は、基本的に夜を迎えればそこで終わる。魔法の灯りは高価なので、裕福な家庭などにしか普及していない。そうなれば一般的な家庭の灯りは火を起こしてのものになり、火は油を必要とする。油とて只ではないし、そうなると必然的に夜は早くなる。
日没から一時間もすれば夜も深くなって、農村などは出歩く人もいなくなる。そんな時間になっても、ことりはまだ
要因は沼地がなくなっていてかつ、墳墓が半分程隠されて見つかりにくくなっていた事だ。が、原因は明らかに何も考えずにやらかした鬼ごっこである。
最初は呑気に構えていたことりだが、完全に日が暮れた辺りから不安が全面に押し出され、今や既に涙目だった。ねねこの言葉も耳に届かなくなっており、べそべそしてはぐすぐす鼻を鳴らしている。自業自得である。
心細くなり完全に視野狭窄に陥っていることりを見かね、ねねこはアインズに<
『ギルマス殿、宜しいですかニャ』
『漸く戻ってきたのか? もう日も暮れて大分経っていると思うんだが』
『残念なお知らせという奴ですニャ。まだナザリックに辿り着けておりませんニャ! 聞いて驚け、絶賛迷子中ですニャー』
呆れたように返された言葉に、ねねこは「ドヤ」と付きそうな声音で現状を返す。それに暫しの沈黙の後、アインズは細い声を上げる。
『……ぱーどぅん?』
『ご主人が迷子ですニャ。空は現在地がとても分かり辛いですからニャ』
ねねこの反応からアインズはしっかりと彼らの現状を把握し、痛まない筈の頭痛を感じた。お分かり頂けただろうか。彼は現在地不明と自己申告したのである。
『どうしてそんな事に』
『守護者殿の配下の悪魔と鬼事をされまして、ニャ。あ、全速力で撒いたので叱らないで差し上げてくださいニャ』
あれはねねこから見ても同情するに値するものだ。嫌な事件だった。彼らに非はなく──かと言ってことりに非がある訳がないとねねこは思っているが──寧ろ圧倒的被害者だ。そこを叱責されたら、泣きっ面に、蜂は蜂でもオオスズメバチである。
アインズもことりの逃げ足は知っているので、責める気にもならない。どうして自分が出来ない事を叱れるだろう。
レベル100の自分ですらこうなのに、100に満たない悪魔では手も足も出せなかったに違いない。どんな気持ちでことりを見送ったのか、考えただけで沈静化が引き起こされそうだ。可哀相すぎる。
『相手が悪かっただけじゃ……いや、いい。どの辺にいるとか分からないのか?』
『見渡す限り草原ですニャあ……視界の端の方に森とか山が見えなくもないですニャ』
『全然絞れてないだろそれ……ああ、何か持ち物とかないか?』
『ご主人が着けてる指輪くらいですかニャ?』
『着けて出たのかそれ』
そんな危険な事をと言おうとして、アインズは口を噤んだ。ゲームと認識しているなら、着けていて当然のアイテムだ。ちょっとぶらつくのに、態々着けて外すようなものでもない。
出発点と終着点での労力を考えれば、着けていないとか考えたくないレベルなアイテムなのだ。
『〈
『分かりましたニャ。「ご
アインズからの要請に了承を示したねねこはそのままことりに伝えたのだが、筒抜けである。アインズに対する以上に砕けた物言いに、思わず突っ込みが入りそうになった。慇懃無礼な敬語すらログアウトとは予想外だ。
『切ったそうニャ。宜しくお願い致しますニャ』
『お前、キャラブレ過ぎじゃないか?』
『まだ猫は剥がれておりませんがニャ?』
『まだって……おま……うん。まあ、いい』
露骨に猫を被っていると告白され、突っ込もうかと思った。だが昼間に思わず剥がれた猫を思い出して、深追いは止めにする。
昼間に街で買った大雑把過ぎる地図を開いて、ことりのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを探知する為の
『随分とナザリックを通り過ぎているようだぞ』
『なんと。ご主人は何時も<
ユグドラシルのナザリックを指定して転移すれば、それは外れるはずである。そもそも世界からして違うのだ。
ねねこの言葉を深く考えずに了承して<
目があったことりは、可憐だった。ねねこを胸に抱き締めて、深海を塗り込めたような瞳に涙を滲ませて眉を寄せている。何度か長い睫毛を瞬かせる度、月明かりが瞳を宝石のように煌めかせて、そこに訪れた変化は劇的だった。
アインズを認識するのと同時に溢れんばかりに目を見開いて、それから安心したように浮かんだ微笑みと涙が零れ落ちる。正しく迷子の子供のような反応をして、そのままねねこを
「もっ、モモさぁんっ!」
「ぅわっ!?」
咄嗟に抱き止めたが、予想外の事態に思わず声が漏れる。そんな二人をねねこは自力で浮かびながら、笑っているようなそんな顔で眺めた。
腕の中の塊が安堵の余り泣き出した事で、アインズは我に返り事態を把握する。そしてねねこの言った颯爽との意味を理解した。
「ぬ、沼地見つかんないしゲート繋がんないしもうデスルーラするしかないかと思った!」
泣き付いた台詞はお世辞にも色気の無いものだったが、中身は空洞の腹がきゅっと絞られるようなもので。
「ちょ?! 色々吹っ飛ばし過ぎじゃないですか?!」
デスルーラを考えるより先に<
この異世界でデスルーラなど、ちょっと所ではなく洒落にならない。
本当にことりがゲームの延長戦のように認識しているのを理解して、ない筈の肝が冷える思いだった。このままでは危険にも躊躇せずに突っ込んでいって、呆気なく命を散らすのは目に見えている。
その危険を過不足なく認識したアインズが口を開こうとするのを、ねねこの<
『ご主人にここが現実であると伝えるのはお待ちくださいニャ』
『何でだ。この認識は訂正しておかないと其れこそ簡単に死ぬぞ』
『それでもですニャ。ここででは本当に不味いのですニャ』
ねねこがことりを最優先にしている事実を、アインズは認識している。そのねねこが危険である事を承知した上で、待ったを掛けてきた。何かないという方が不自然だ。
『訳は話すんだろうな?』
『後程話すとお約束しましょう』
茶化さずに言うねねこに、アインズは敢えて溜息を吐く事で了承とした。
「余り心配させないで下さいよ、ことりさん」
アインズのローブにしがみ付くことりの頭を見下ろしながらそう宥めれば、彼女は小さく鼻を啜りながらアインズを見上げて目を瞬かせる。
「私のこと、心配してくれるんですか?」
「そりゃ心配ぐらいしますよ……駄目ですか?」
「い、いいえ! そんな事ないです! ……ごめんなさい、うれしくて」
頬を染めて、照れるようにことりは顔を綻ばせた。柔らかいその笑みは、心から嬉しいと伝わってくるもので。ない筈の心臓が跳ねたような錯覚を覚えた所で、アインズは自分がことりを強く意識している事を自覚した。
自覚した瞬間、恥ずかしいようなむず痒いような衝動と、そんな衝動をもて余す強い動揺を覚えたが、カッと膨れ上がった所で強制的に沈静化される。動揺が鎮まれば、後に残ったのは緩やかな感情で。アインズは自分がことりの反応に対していじらしいとか可愛らしいだとか、そんな風に感じた事を強制的に自覚したのである。
「駄目って言われなくてよかったです……あと、ねねこを放り投げるのはちょっとどうかと……」
「ねねこ、猫だし羽生えてるしだいじょぶですよ?」
話を逸らして指摘すれば、ことりは不思議そうに首を傾げた。それに反応したのは、全力で見守る体勢に入っていたねねこ本猫である。
「ご主人は基本ボクの扱いが雑ニャ」
「えっ、それくらいでねねこどうにかなっちゃうの?」
吃驚したことりがアインズの腕の中でねねこに振り返る。それを受けてアインズはそっとことりから手を離した。
ねねこから一瞬強烈な視線を受けた気がしたが、意識してしてしまった以上アインズには抱き締めている事などできなかっただけである。恋愛初心者には些かハードルが高かった。
「厚い信頼に涙が出そうだニャ」
「泣くの? ねねこ泣いちゃうの? かわいそー」
「はっはっは! マジでクッソムカつくニャ」
軽快なやり取りを見ながら、アインズはふと思った。本当はことりはねねことそっくりなのではないか。そうなると口の方もかなり悪い事になりそうだったが、そこはそっと蓋をしておく。
で、あるなら、昼間にデミウルゴスが濁していた含みもなんとなく理解出来た。要は格好つけたい心理(女版)みたいな感じなのだったのだろう。しかし今に来てそれが剥がれた理由も分からない。
「楽しそうな所に水を注すのも申し訳ないんですが」
「別に楽しくはないのでどうぞですニャ」
少しむすっとした声で答えたのはねねこである。それに軽く笑って返しつつ、アインズは改めてことりに言うのだ。
「おはようございます、ことりさん。それから、お帰りなさい」
「! はいっ、おはようございます。あと……ふふっ……ただいま、です」
目を見開いてから、ふんわりと笑ってことりは応える。細められる瞳を眺めながら、アインズは思うのだ。
あ、駄目だ。かわいい。
「守護者たちに挨拶、ですか」
ことりを伴って帰還したアインズは、一先ず円卓の間へと腰を据えた。立ち話も何だし、兎にも角にも話をして今後を決めなければと思った為だ。
そして兼ねてから考えていた守護者達との対面の場は、ことりがひと言でバッサリといった所為でどうにも流れそうであった。
「する必要ってあるんです?」
不思議そうながら何処と無く漂う乗り気の無さに、アインズはなんとも言えない気持ちになる。
ゲームとして捉えるなら、改めてNPCに挨拶はする必要性はないだろう。なんでそんな事をと目で語ることりに、アインズはそうそうに匙を投げた。
『認識の訂正はまだ駄目なのか?』
『気持ちは分からなくもないので理由を簡潔に申し上げますと、ご主人が死にますニャ』
<
「……しなくちゃ駄目ですか?」
物凄くしたくないと雰囲気で語りながら、ことりがアインズに強請る。机に張り付いた駄々っ子の体勢の所為で、完全に見上げる形になっていた。そんな風に自分の感情を素直に全身で語ることりを初めて見たアインズは、衝撃を受けつつ説得しようという気力を根刮ぎ奪われた。
『後で。説明。絶対』
『いえっさ、ニャ』
「仕方ありませんね。何かの時に一緒にやりましょう」
「えー」
片言になりつつ<
「ご主人は長いこと帰ってなかったニャ。皆が忘れてると大変ニャ。顔見せは大事ニャ」
「忘れられると大変なの? 会わないのに?」
「思わぬところで守護者統括殿に会ったニャ。もし忘れられて攻撃されたら大変ニャ」
「でも私、逃げ切れる自信はあるわ」
見かねたねねこが助け船に入ったが、ふんす!とことりがどや顔で言い切る。それを聞いたねねこが<
『ムリぽ』
『ですよね』
実際、倒すのは無理でも逃亡くらいなら出来るであろう事をアインズは知っている。最初から逃げる気のことりを捕まえておくのは、実際アインズでも難しいだろう。
「直ぐじゃなくてもいいので、お帰りなさいぐらいさせてあげてください」
「はァい」
お帰りなさいと伝えた時に嬉しそうにしていたのを思い出して、言葉に気を遣ってそう告げる。そうすれば今までの駄々っ子っぷりが嘘のように、ことりは素直に首肯いて見せた。何が彼女の感性に訴えたのか分からないが、一先ず言質もとれた。
「そうだ。今俺、モモンガじゃなくてアインズ・ウール・ゴウンを名乗っているんですが……止めた方がいいですか?」
「うーん、モモさん以外に止めちゃったんでしたっけ? ならお好きにしたらいいんじゃないんです?」
「ことりさんがいるじゃないですか。ことりさんは嫌ではないですか?」
話題が一段落した所で、そう言えばとことりにアインズを名乗っている事を告げれば、ことりはあっけらかんと判断を投げた。その言葉には明らかに自身が含まれていない。それをアインズが指摘すれば、ことりは不思議そうに首を傾げる。
「モモさんがそうしたいなら、私は構わないです」
「ええと、本当にいいんですか?」
余りにも頓着なく返されて、逆に不安に駆られたアインズが訊く。それにことりは少しだけ気不味そうに目を逸らす。
「ギルドに思い入れはありますけど、ね。もうモモさんの持ち物だと思うので、モモさんのしたいようにして構わないと」
まるで自分を除外するような言い様に、思わずアインズが反論しようとした所でねねこから<
『ギルマス殿、アウトー』
『ええ……? 引っ掛かるの、コレ』
言おうとした事を察したねねこのジャッジを潜り抜けられなかったアインズは、そのまま口を噤んだ。それから改めて口を開く。
「分かりました。このままアインズ・ウール・ゴウンを名乗らせて頂きますね」
「はぁい」
緩い返事をことりが返すのと殆ど同じタイミングで、きゅうっと間抜けな音が鳴る。その音の正体が何か分からなかったアインズだが、ぱっと顔を染めたことりを見て悟った。
「ことりさん、
「私の種族の耐性嘗めないでくださいぃ。補うのとギルドの付けたらもう余りないんですよ?」
何故か恨めしそうにそう語ることりに、アインズは少し楽しくなってきた。小さくふふっと笑って、アインズは扉の方へと向かいながら言った。
「何か食べるものを持ってこさせますね」
扉の向こうに待機していたユリに声をかける後ろで、「ふぁあぁぁ……」と羞恥に身悶えることりの声と「ははは、ワロス」と煽るねねこの声がする。主従というには随分と距離が近い気がして、少し羨ましくなる。
ナザリックの者たちとああいう距離感で話せるようになれば……という僅かな希望が、我に返ったことで無理だろうなと泡と散った。
ことりにご飯を食べさせてから、彼女視点での「新しいワールド」の話とアインズが今日、人間の街で冒険者なるものの登録をした話をした。そうすれば当然のようにことりは明日の街へと同行したいと言う。
昼間の事もあって正直な話、ことりをナザリックに……というかアルベドの側に置いておくのが少しばかり不安でもあったので、余り大勢に知られていないのを良いことに連れ出してしまう事にした。そもそもゲームの続きと認識していることりが、例え守護者たちが引き留めたとしても振り切って出掛ける事は予想出来る未来なのも確かで。それなら皆のメンタルを彼女が割る前に、連れ出してしまうのが多分一番平和だろう。
「人間の街のイベント、私達でも出来るんですね」
「見た目が異業種ってばれない格好ならですけど」
「モモさんめっちゃ骨ですけど、どうやって入ってるんです?」
運営主催の新しいイベントか何かだと思っているらしいことりの尤もな疑問に、アインズはその言い分に苦笑しながら応える。
「いやまあ、確かに骨ですけどね……<
「随分緩いんですね……でもそれなら私も人の姿になった方がいいですか?」
「……
「はい、そうです。まあ使うのは殆ど初めてなんですけど」
そんなに人気のない種族だったのかと問い詰めたい気持ちに駆られたが、そんなものだろうとも思った。見た目の華やかさとは裏腹に、かなり良く言って全体的に控えめな種族値と掲示板で名高いトップツーを抱き合わせて「種族レベル十五お得!」とか馬鹿にしているのかと小一時間、である。
因みにことりにはセイレーンの知り合いは一人しかいない。マーメイドに至っては見た事もなかった。知り合いが矢鱈と多いことりでそれなので、最早お察しである。
人気の筈の人魚というモチーフがどうしてそんなことになったかと言えば、性別によって違う外見(男は
余談だが半魚人は二足歩行出来るので、見た目に目を瞑れば人魚より優遇されていると言えるだろう。
レベルが上がっている状態とはいえ、マーメイドを貰って使うかと言えば否である。取り合えずとアバター二種(人魚と人間だ)の設定はしたが使う機会なぞ終ぞなかった。プレイヤーとしてもかなり有名だったので、そんな姿でうろうろすればあっという間に狩られるからだ。
よって、精々ナザリック内での着せ替えごっこの人形役位にしか役には立たなかった。
「モモさん、モモさん。全身鎧着るって魔法の制限入りませんでしたっけ? 大丈夫なんです?」
「大丈夫だと思いますよ」
アインズからすると、この世界のレベルは全体的に、控えめに言っても高くはない。だからこそ戦士の真似事を出来るのである。その辺を踏まえて軽く返す。
「んー……ガチめで行けば、大丈夫かな……?」
真顔で呟くことりに、アインズは逆に不安になってくる。一体どんな装備で固めてくるつもりなのだろう。
「いや、本当に大丈夫だと思いますよ?」
「私のステータスで半分になるんですよ。私の、この、ステータスで、はんぶん! ですよ?」
大事な事なので二回、ことりは力説した。ことりは自身のステータスの薄さを理解している。尖りすぎていて、それ以外が優しく言っても貧弱なのだ。特に防御力は装備で補えと言わんばかりのペラペラさを誇っている。それを更に半分と言えば、吹けば飛ぶ勢いで紙である。このアバターと長く付き合っていることりはそれを一番理解していた。
「そうですが……いざとなったら俺がことりさんの盾になります」
アインズから見て、現状そこまで脅威のある存在はいない。ガゼフ程でかなりの強者になるような塩梅なので、全身鎧のアインズでもことりの壁になる位は出来る筈だ。そう思って言った台詞に、ことりは目を驚いたように瞬かせた。
「モモさんが守ってくれるんですか?」
「あ、えっと、俺が壁だとやっぱり不安ですか?」
意外と言うようなニュアンスに、どちらもガチの後衛である事に思い至る。自分の壁では安心して任せられないだろうかと不安になり、そう問えばことりは照れたように笑った。
「や、えっと……その、モモさんが私を庇ってくれるって思ったら、うん……他意はないの分かってるんですけど、でも、嬉しくて……ちょっときゅんってしました……」
ことりの言葉を瞬間、アインズの中で何かが カッと熱くなった。だがそれが何かをアインズが理解しきる前に、その何かは沈静化される。
(……なんだ今の!)
燻るような嬉しさだとか恥ずかしさだとかのそう言った感情の残滓に、アインズはこの姿になっていなければ確実に醜態を晒しただろう事を自覚する。絶対に真っ赤になって
「そう言って貰えると嬉しいです……気になっていたんですけど、俺の呼び方はモモさんのままなんですね」
むず痒く心を炙る照れ臭さに、アインズは分かりやすく話題を変えた。そうしてことりに水を向ければ、ふわりと表情が変化する。
「? モモさんはモモさんですよね?」
どうしてそう聞かれるのか本気で分かっていない様子のことりに、アインズはどう言えばいいのかと困惑した。何をもって俺は俺と言われたのか、アインズは分かり易く言葉に詰まる。
「ご主人、ギルマス殿はどうしてその問い掛けに落ち着いたのかを聞きたいのだと思うニャ」
微妙な沈黙をことりの膝で丸まっていたねねこが破った。
「え? あぁ……呼び方というか、徒名って名前を変えると変えるものなんですか? ごめんなさい、そういうの、良くわからなくて」
「いえ、こちらこそ困らせてしまってすみません。でも言われてみれば、どうなんでしょうね……?」
問われてかつてリアルで友達のいなかったアインズは言葉に詰まった。苗字が変われば呼び方は変わっていたが、苗字由来の徒名はどうなるのだろう。というか、あれは徒名だったのか。咄嗟に答えられず悩んでしまった段階で、
アインズはこの話題の失敗を悟った。そして分からないなら分からないで、こだわる必要もないのだと気が付いた。
「無理に変えて欲しいという訳じゃないんです。単純に気になっただけなんで、呼びたいように呼んで貰って構いませんし」
「はい、じゃあ此のままで」
特に食い付いてくる訳でもなく頷いて返すことりに、思い出したようにアインズは口を開く。実際に下手な話題で思い出したので少し複雑な気持ちもある。
「名前と言えば、冒険者の登録で名前を登録するんですが、登録名考えておいて下さいね。万が一、って事もあるので」
「うえぇ、まじですか。ことりがダメならひのりじゃもっとダメですよね……」
ぼやかれた内容にアインズは突っ込みたいのをぐっと堪えた。なんで其処で本名が出た。だが一応駄目だと認識しているようなので何も言うまい。
「何か考えておきますー」
「是非そうして下さいね。あと明日なんですが、余りきらびやかで目立ちそうなのは控えて頂けると有り難いです」
「ごめんなさいどの辺までOKです? 今着てるのはアウトになりますか?」
きらびやかと言われ、ことりが真顔で問い掛ける。今着ているのはナイルブルーのカクテルドレスで、正面は膝上迄で背面が長いフレア状の、人外の脚を強調して見せるハイ&ロータイプのデザインである。シルク生地で光沢があるので、派手と言えばかなり派手に見えるだろう。
「言い方に語弊がありました。冒険者に見えるような方向性でお願いします」
「冒険者というと、皮の鎧とかそういう感じですか?」
「極端ですね。でも方向性はそんな感じで、歩き回るとかの動きやすさ重視な感じですかね」
そう伝えればことりは眉を寄せて、真剣な様子で呟いた。
「じゃあ舞台衣裳系とかパニエ系とか、かな」
広がったミニスカートをイメージして貰えれば間違いはない。のだが、本当にそれは動きやすいと言えるのか。
「ええと、それは動きやすい服装……なんですか?」
「ちょっとモモさんが何言ってるのか分かんないですね」
アインズの言葉に、ことりは怫然とした様子を隠しもせずに言い放った。
「そんなの言ったら女の子の衣装、全部駄目に決まってるでしょ? 動きやすいとかじゃなくて、動くんです」
当然のように言い切られて、今度こそアインズは口を噤んだ。そうして思い出すのだ。彼女は、プロであったのだと。
それからことりにアインズの自室内の客間を勧めたり、寝るのに不便だと人間に化けてみたり、ことりがガチでお世話を焼かれ慣れていたりとそれなりに色々あったのだが割愛する。
漸くことりを寝付けてからねねこを回収した自室で、アインズはねねこと二人で向かい合った。当然、人払いは済ませている。
「で、ことりさんが死ぬというのはどう言うことだ」
「どう言うこと、と申されましてもそう、としか」
その返答でアインズはなんとなく悟った。
「
「ボクが見たのは『ご主人が溺れて死ぬ』姿でした。どういった過程でそうなるのかは分かりませんが、どうして溺れてしまうのかは推測出来ているかと思います」
ねねこはアインズの問いを肯定はしなかった。だが、彼の答えがその予測を肯定している。アインズは無言でその先を促す。
「ボクは『ご主人はユグドラシルの延長と思っている』と伝えましたが、それは正確ではないのです。正しくは『ご主人は今際に、或いは死期に見た夢の続きだと思って』いらっしゃる」
「なんだ、それ」
「ご主人はご自分の事をお亡くなりになっているのだと疑っていないのです。これは
「ある、大いにあるぞ」
淡々と、努めてそうある様に話すねねこの耳は寝ており、その内心を如実に表していた。答えるアインズもまた、穏やかな心では聞いていられない話であった。沈静化は起こっていないものの、なんとも言えない不快感が胸中に墨のように広がっていく。
そんな内心を感じ取ったのか、ねねこはひとつ瞬いてから口を開く。
「ご主人は今、ご自分は水の中にいると認識していらっしゃる。どうしてそうなのかは口に出すのも癪なので言いませんが、兎に角、本人にとっては
「思い込みで死ぬ、と……そんな事が起こりうるのか?」
「プラシーボ効果と言うのをご存じですかな? 沈痛効果のない薬でも思い込んで服用すれば実際に沈痛作用が現れるというアレですが。病は気からとも申しますが、その逆もまた起こりうる……ボクはその未来を変えたい」
其処まで話して、ねねこはしゃんと背筋を伸ばしアインズを見た。そして人も欺くやと言わんばかりのぴしゃりとした礼をとって懇願したのだ。
「ご主人を、ことり様をどうかお救いください」
普段の態度は何処へやったのかというその姿に、アインズは彼の話に嘘はないのだと強く感じた。尤もねねこと話していて感じていた、ことりを信仰するその姿勢から、ことりに関する事で嘘など言うとは思えなかったと言うのもある。
「俺が協力すれば助けられるんだな?」
「ボクはそう信じております」
「幾つか尋ねてもいいか?」
「答えられる事ならば」
助けられるという確信はねねこにもないのだろう。それを正直に言った彼を信用出来ないなどという意味は、最早ないだろう。アインズの問いにも、嘘はつかないと言外に示しすねねこに、アインズは問いを重ねていく。
「お前の
「今でも離れた未来を自在には不可能ですが、日に日に不特定の未来を視る回数は増えておりますな。ですがやはり視る未来は選べませんし、自ら望んで視るのはやはり数秒後までが限度です」
「今日、ことりさんと話していた時に飛んできた<
「そうです。ご主人に『夢ではないと気づかせる』発言を遮らせて頂きました。お二人が話されている間、常に視ていましたので」
「具体的に、俺は何を求められている?」
ねねこの答えはことりを最優先にしていると言うのが分かるもので、アインズは核心を問い掛ける。それにねねこはアインズを見つめてから瞬きし、小さく頭を下げて答えた。
「ことり様との絆を深めて頂きたい」
「その解は?」
「言いたくありません」
きっぱりと言い切ってねねこはそっぽを向いた。答えられなくはないが、答えたくないと、そういう意思表示なのだろう。
「言い切ったな」
「そもそも、本当はギルマス殿にこの話をするつもりはなかったのです。ですが、辿る未来が多すぎて望む未来を見つけられなかった。それを絞り混む為に知っていただいて、序でに協力して貰おうと思ったのです。ボクは貴方を利用しているだけだ。なので貴方もボクを大いに利用して頂いて結構ですよ」
そのつんとした言い種が自分の知っていることりに少し似ていて、NPCは
「調子が戻って来たじゃないか」
「貴方はボクが血反吐を吐く思いでご主人の仲を推しているのをもっと理解すべきですぞ。何が悲しくてこんな骨とご主人を……ぐぐぐ、背に腹は代えられないと言うべきか……!」
「お前はほんとに俺に当たりが厳しいよな、知ってたけど」
「このナザリックでご主人の未練になれるのはもう、ギルマス殿だけですからな」
心底無念と言った様子で、ねねこがぼやいた。その言葉の不体裁さにアインズがねねこを見遣ると、ねねこもアインズを見つめて言った。
「ご主人はボクたちに未練を残しては下さいません。きっとこの世界の、他の何にも」
「……お前は何を視ているんだ?」
確かにねねこはアインズを見ていた。けれどその視線はアインズを通り越して、何か違うものを見ているように感じられる。それを問えば、ねねこは途方に暮れたような声で呟いた。
「もう何を答えればいいかも、解らないのです。ギルマス殿は…………これは、例え話ですが、眠り続けていたとして、例え目が覚める事がなかったとしても、それは生きている事だと思われますか?」
「何を……」
「例え話です。でも、ボクは……それは死んでいるのと同じなのではないかと、そう思うのです」
温度を感じさせないような声音でそう漏らしたねねこは、まるで迷子の子供のようにも見えた。
「助けるんだろう、ことりさんを」
そう言って頭を撫でれば、ねねこは小さくニャアと鳴いて、そのまま小さく丸くなった。
暫くねねこを撫でていれば、喉をゴロゴロ鳴らした彼も少し落ち着いてきたようだった。耳の後ろを掻いてやりながら、アインズはふと思い出したように尋ねた。
「そう言えば、語尾は付けなくていいのか?」
「別にそういう風に定められた訳ではありませんからな。ご主人がニャアニャア言ってる方が可愛いと思っていらっしゃるのでそうしているだけです」
つまり接待という奴ですな。幾分か明るい声でそう言うねねこに、アインズはなんとも言えない気持ちになった。清々しく言われたけれど、語尾が消えたのを憂うべきか喜ぶべきか、如何せん判断がつかない。
「共犯者になったのです。もう恩遇はいらんでしょう?」
「共犯者とはまた物騒だな」
言いながらアインズが撫でる手に頭を擦り付けて、ねねこは笑うように目を細めた。それから低く小さく、ゴロゴロと機嫌が良さそうに喉を鳴らして見せたのだった。
心が折れかけましたが俺は元気です
6/16 追記+手直し
悪夢の大書き直し前はもっと軽いノリで淡々と詰んでた筈なのになんでこうなってるんでしょうね?
真綿で首が絞まるようにSAN値ガリガリされながら詰む直前って感じになってる気が
誰も要らない用語解説
プラシーボ効果の反対→ノーシーボ効果
思い込みで人は死ぬ。やばい
知人にタキシード仮面はヒロインだと思うんだけどどう思う?って聞いたら「ばかなの?」と素で返された件
ドッジボール止めよ?
更にどうでもいいですがヒロアカに嵌まりました。
推しはグラントリノですが今の所誰の同意も得られてません
一番萌え転がったキャラなんですが……世の中間違ってる