にんぎょひめはおぼれない   作:葱定

3 / 11
にゃんにゃんにゃんの日に間に合いませんでした。






 モモンガがアインズ・ウール・ゴウンと名乗るようになって暫く経った頃。アインズの自室の更に奥の、扉に区切られた先にある寝室。

 限られた者しか立ち入ることの出来ない空間に、ねねこは居た。死んだように眠ることりから少し離れた場所に丸まり、尻尾を大きく上げてはシーツを叩くことを繰り返している。左耳は絶え間なく動き、微かな音に反応するのを止められないでいた。

 そんな様子で必至に本能を押さえ込むねねこの目の前では、アインズが白く細い指で摘まんだ猫じゃらしを大きく動かしてはねねこを釣ろうと画策しているのだ。

 

「ギルマス殿、休憩の度に構いに来るの、止めて頂きたいのですがニャ」

 

「どうした、つれない事を言うな。お前だって愉しんでいるのだろう? ン?」

 

 目を閉じて必死に飛び付くのを堪えているねねこに、まるで煽るようにアインズは猫じゃらしをねねこの直ぐ目の前で動かす。毎度本能に打ち勝てず黒星を伸ばすねねこの耳が、堪えきれない様子で更に早く動き、パシンと音を立てて尻尾でシーツを叩きつけた。

 

 ギルドマスター殿と呼ぶのは長くて呼びづらそうだと、既にアインズからダメ出しを受けていた。それを「いいのですかニャ? 正直長いし呼び辛いと思っていたのですニャ」と嬉々として受け入れたのを見て、すっかり気に入ってしまったようだった。

 このナザリック内で尊重しつつもボコスカ言ってくる存在は他にいない。最初に醜態を晒しているので気負うつもりもない。

 構えば構う分、此方に対する対応がおざなりになってくる所も面白かったというのもある。だがねねこからすると「何この骨うざい」になる訳であるのだが(因みに既にうっかり口も滑らせている)。

 

「はぁ……そんなに構って欲しいなら守護者統括殿の所にでも行ったらどうですかニャ」

 

「それじゃ休憩になんないだろう」

 

 表情は皆無に近いが極めて真剣な声で返されて、ねねこはもう一度深い溜め息を吐いた。

 

「つまりギルマス殿はマゾヒストとか言う奴なのですかニャ?」

 

「どうしてそうなった」

 

 心底愉快と言わんばかりの声音で返すアインズに、ねねこは色々と諦めた。ねねこからすると自分からご主人を取り上げる憎い仇であるのだ。

 で、あるからして邪険な態度でいれば離れるかとも思ったのに、それを楽しいと思われてはどうしようもない。

 

「全く仕方ありませんニャ。ボクの質問に答えていただけるなら、構って差し上げても構いませんニャ」

 

「うん? なんだ?」

 

 それでも諦めきれずに出た憎まれ口すら気にも止められないと、無我の境地に至れそうな気さえしてくる。だがそんなものはどうでもいいのだ。

 

「ギルマス殿はご主人の事がお嫌いなのですかニャ?」

 

「……どうしてそう思った?」

 

 いきなり飛び出した唐突とも言える疑問に、正直に言ってアインズは面食らった。その疑問に至った過程も、至るところの結末も予想できないからだ。

 

「ご主人はギルマス殿に好かれる事はないと思っておられたようですからニャ。あれだけ追い詰められて漸くとは、ご主人とはいえ情けない限りですが……」

 

「おまえ、口が悪いのは知ってはいたが、ことりさんにも容赦ないのか……」

 

「ボクはご主人の良き友にと創られたのですニャ。その辺のペットと一緒にせんでいただきたいですニャ」

 

 ツン、と誇らしげにねねこが語る。ねねこと話して把握した彼をして良き友と思った辺り、やっぱりことりさんは変わってる人だとアインズは改めて思うのだ。

 

「で、実際の所はどうなのでしょうニャ?」

 

「あー、正直な話。そう言う対象として考えた事はなかったが、嫌いだと思ったことはないぞ」

 

 高嶺の華、と言うのがアインズがことりに対して抱いていた印象である。

 芸能人に対して全く興味のなかったモモンガですら知っているレベルのアイドルだったのだ。オフ会で会った時の衝撃たるや、である。

 話こそすれど、基本的にPKも進んで行わなかったし、ぷにっと萌えなども大きめなGvG位にしか誘わなかった。その辺り暗黙の了解のようになっていたのもあってか、割と個人行動の多目なメンバーだったのである。

 オフ会後にことりがアイドルの小鳥遊妃朔であるというのが非公式の事実だったと知って、妙に納得したものだった。

 

「逆に聞きたいんだが、ことりさんはどうしてそう思っているのか分かるか?」

 

 普通に話もしたし、狩りの誘いも都合が合えば乗ってきていた気もする。尤も主立って誘っていたのはモモンガや、ぶくぶく茶釜が中心になっていたように思えたが。

 そこまで考えて、もしかしたらそう言ったものの積み重ねが好意を抱かれた要因なのかも、そうアインズは夢想する。

 けれど何故ことりに自分が彼女を好きにならないと思われていたのか、考えても思い当たる所が見当たらないのだ。

 

「ボクには良く分からんのですが……ご主人に全く興味を抱いていなかったので好みではない、のですかニャ?」

 

 紡がれた言葉に一瞬固まったアインズは、沈黙と共に言葉の意味を吟味する。

 意味の分からない言葉の羅列をもう一度考え直して、それから『小鳥遊妃朔というアイドル』の事を言っているのではないかと思い至った。それを前提にして考えてみると、確かに可愛いなとか歌上手いよな位は思っていたが、好きかと問われればあまり興味がないと答えただろうと思う。

 そう思うと納得すると共に感嘆の声が漏れた。

 

「……良く見ている、いや、見ていたんだな。そうか……いや、悪いことをした」

 

 オフ会で会う前は話題作りの一環でチェックしていた程度で、何の感慨も抱かなかったのだ。完全に中の人在り来りの興味が相手に筒抜けであったのだと、それが分かってしまってなんとも気不味い。

 アインズのその返事に、ねねこはそのまま言葉を重ねた。

 

「それはやはりそう言う事なのですかニャ」

 

「いや、そうでなくて……その言葉には俺たちのリアルが係っていてな。リアルでことりさんは世間的にかなり有名な職に就いていたんだが、俺は彼女に全く興味がなかったんだ。多分その事だろうな……俺はユグドラシル先行でことりさんに興味を持ったから、決してことりさん事態に興味がないという訳ではないんだが……」

 

 言葉を紡げば紡ぐだけ言いたい事が解らなくなっていく。話せば話すほど言い訳染みていき、やがてアインズは口を閉ざした。もやもやと燻る感情が、がらんどうの胸を焼いていく。

 

「……ことりさんと話がしたいな」

 

 彼女をどう思っているか、未だに答えは出てはいない。けれど、自分が原因のこの思い違いは解いてあげたいと思うのだ。

 

「完全に眠り姫ですからニャ。いやはや、いつ起きるものやら……」

 

 大袈裟に溜め息を吐いて、呆れた視線を投げるものの慈愛を含んだ色をしている。そんなねねこを見ながら、アインズはふと以前聞いたねねこの特殊能力を思い出した。

 

「そう言えばおまえ、プレコグニションを使えるんだったよな。いつ起きるのか分からないのか?」

 

「ボクの予知(プレコグ)は微弱なものと定められておりますニャ。自力では精々戦闘において二瞬三瞬先を見る程度、あとは予期せぬ瞬間に未来を垣間見る程度ですニャ。少なくともこの直ぐ後は起きませんニャ」

 

 元々は使い魔がプレイヤーの行動パターンを学習する為の、プログラミング初心者を補助する為のスキルらしいと聞いたような覚えがあった。身近で使い魔を使っていたのはことりだけだった為、きっと彼女が言っていたのだろう。

 随分と変化したらしい能力に、アインズは感心するやら飛んできた毒に苦笑するやらである。

 

「まぁ、休むのは良い事ですニャ。ギルマス殿は根を詰めすぎなのですニャ。その内精神が参ってしまいますニャ。ボクはもう寝るので、手を出さないと誓うのならご主人に添い寝するのを許して差し上げても宜しいですニャ」

 

「それは駄目だろう」

 

 くぁ、と 欠伸をしてから丸まってねねこが爆弾を放ってくる。しかし何時もの事なので、一言突っ込んでアインズも流したのだが、ふと眺めたことりの寝顔に思わずぼやいた。

 

「しかし、なんと言うか……元々綺麗な顔だとは思っていたが、こう……目を離せない魅力のようなものが一層強烈になっている気がするな」

 

 放っておいたら何時間でも眺めてしまいそうな、そんな怖さのある美しさをことりは撒き散らしている。アンデットになっていなければ本気で危なかったかも知れないと、思わずそう思ってしまうような何かがあるのだ。

 

「あぁ……ご主人のスキルと装備の所為ですニャ。ご主人の魅了判定成功率、ご存知ではないですかニャ?」

 

「……数字は知らないな」

 

「では驚いて下さいニャ。なんとスキルだけで九割ですニャ」

 

「…………スキルだけで?」

 

「スキルだけですニャ。装備にも魅了効果上昇が附与されておりますので、それも相俟ってそういう事態になっているものと予測されますニャ」

 

 お触りはご法度ですニャと笑いながら告げてくるねねこに、ことりが絶対魅了するウーマンだった事実に戦慄する。

 それから、さも思い出したように、ねねこが口を開いた。

 

「暇なら外に出ればいいですニャ。気分転換にもなりますし、今なら援護射撃も期待できるでしょうニャ」

 

 

 

 

 アインズがナザリックの外へと出掛けてから、アルベドはモモンガの自室へと足を踏み入れた。アインズ本人に許可を得ているので、何かを言うものは誰もいない。

 愛するアインズの自室に昂る心を押さえきれないまま、アルベドは普段アインズが執務を行っている椅子へと掛け机を撫ぜた。それだけでだらしなくも口元がにやけてしまうのを押さえられず、くふふと声を漏らしながら机に突っ伏して頬を押さえる。

 アインズの事を思うとそれだけで、抑えきれない想いが胸の内に込み上げてくる。自分ですら上手く制御できない感情が、漣立つ胸のうちを塗り潰していくのが、どうしようもなく欣快だった。

 暫くそうやって独り悶えた後、漸くアルベドは身体を起こす。

 

「そう言えば、ことり様はアインズ様のお部屋にいらっしゃるのだと仰られていたわね」

 

 ことりの部屋にベッドがないのと、いつ目覚めてもいいように。そう言ってアインズがことりを部屋に招いたと言っていたのをアルベドは思い出す。それだけことりを心配しているのだと思うと少し胸が苦しくなるが、同列に立つ至高の存在だからだと自身を納得させる。先日思わぬ所でことりの想いを知ってしまったが、自分の想いはアインズから与えられたものなのだと胸を張って自分を納得させた。

 継ぎ接ぎだらけの心を見ない振りをして、アルベドは客用寝室を目指した。

 

 客用寝室の扉を開けて、その部屋に誰もいないのを確認した瞬間、アルベドの芯がキュゥッと冷える。冷たくなっていく指先に、荒い息を吐き出した。

 さっきまでの高揚が嘘のようだ。嘘だと言って欲しいのに、認めろと囁く自分自身を自覚する。

 確かめたくないのに、確認しない方が恐ろしい気がする。どうしてと泣きたい自分と、こうなる事を冷静に予想していた自分がいる。

 マーレに問い掛けて確信した時から、もしかしたらと思わないでもなかった。敢えて目を逸らせていたものを、これから突き付けられに行くのだ。

 胸を焦がす激情に身悶えそうになりながら、アルベドは主寝室を目指し、扉を開ける。

 

 果たして、一番居ないで欲しいと願っていた存在がそこにいた。

 俯せている横顔は、女性のアルベドをして目が離せなくなるような、色香とは違った魅力を持っている。微かに上下する胸に安堵のような優しい気持ちと、同じくらいの絶望感が去来する。

 縋り付きたいのに、どうしようもなく泣き叫びたかった。

 白い顔を更に白くさせて、立ち尽くすアルベドに、部屋の中から声を掛ける者がいる。

 

「これは、守護者統括殿ではございませんか。どうなさったのですかな」

 

「…………あなたは、確か……」

 

 ベッドの上の、ことりの脇から顔を上げてアルベドを見るねねこに、真っ白になった頭を働かせて思い出す。

 

「ことり様の、使い魔ね……?」

 

「ねねこ、と申します。宜しくはせんで構いませんぞ」

 

「何故あなたが此処にいるの?」

 

 返された言葉の毒に、思わず態度が刺々しいものになってしまったのを自覚する。こんな問い掛けなど聞かなくても分かる事なのに、思わず口を吐いて出てしまった。

 

「これは異な事を。ことり様がいらっしゃるのに私が居らんなど、それこそ使い魔の名折れと言うものですな」

 

「そうね。変な事を聞いて悪かったわね。アインズ様が連れていらっしゃったのでしょう? それを咎めるなどと出過ぎた真似だったわね。忘れて頂戴」

 

「ふむ……確かに私を連れてきたのはギルマス殿ですが」

 

 煽ってくるねねこに乗せられそうになるものの、アルベドは努めて冷静に返した。だが、それに何かを感じたらしいねねこの一言に、アルベドの導火線に火が着いた。

 

「至高のお方の使い魔とはいえ、アインズ様をその様な呼び方とは。気を付けなさい」

 

「可笑しな事を申されますな。敬意は十二分に払っておりますぞ」

 

 アインズ本人がいればどの辺がと突っ込む所だが、生憎今は不在である。つまり間に入るものがいないと言うことだ。

 

「使い魔風情が。言葉に気を付けなさいと言ってるのよ」

 

「ははっ、先程から守護者統括殿は可笑しな事ばかり申されますな。何故私が貴女に従わねばならぬのですかな? 先程貴女も申されたよう、私はことり様の使い魔。私が従うのはことり様ただお一人。故にもう一度問いましょう。何故貴女に従わねばならぬのか」

 

「あなたそんなに捻り潰されたいの?」

 

「それはことり様への敵意と言うことですかな?」

 

 レベル100であるアルベドに、ねねこは絶対に敵わない。だが存外口の悪いねねこは、相手の急所を知っていた。そして、絶対に確かめておかなければならない部分も分かっていた。

 

「隠しきれておりませんぞ、守護者統括殿」

 

 アインズに構い倒される合間に、ねねこは情報を聞き出すことを怠らなかった。

 故に主の恋敵であるアルベドを警戒していたのだが、それ以上に膨れ上がった敵意を見たのだ。敵意というのには相応しくない、それは最早増悪にも近い何かだろう。

 

 アルベドが口を開こうとした時、このタイミングで小さく呻き声が上がった。ねねこもアルベドも、争うのを忘れて声の上がった方を見る。

 もぞもぞと、眠っていた筈のことりが身動ぎ、やがてごめん寝と呼ばれる態勢まで縮こまる。

 更に小さくうーと呻いてから、フラワーアレンジメントも斯くやと言わんばかりの花々しい翼を、伸びをするようにぐっと広げた。ふわりと花の香りが広がった所で、力尽きたように翼は広いベッドの上へと頽れた。

 

「ご主人、ことり様。起きてくださいニャ、ことり様ぁ。寝ーなーいーでーくーだーさーいー」

 

 最早アルベドなど眼中に無いと言わんばかりに、ねねこはことりの元へと駆け寄った。そして懸命に耳元で声を張り上げて覚醒を促す。もう随分と寝ているのだから、此のまま二度寝など許すものかという内心が透けて見える必至っぷりである。

 そんなねねこの努力の甲斐あってか、ことりはやっぱり麗しい声で呻きながら顔を上げた。

 

「だぁれぇ……」

 

「ご主人、ねねこですニャ」

 

「ねねこぉ……?」

 

 明らかに低血圧過ぎて頭に血が通っていない様子のことりに、ねねこは一生懸命になって話し掛けた。放っておけば明らかに寝落ちる事請け合いである。

 

「……ねねこ? わたしの、へや……べっど……?」

 

 漸く身体を起こしたことりは、そのままペタりと座り込む。そうして半分閉じた海色の瞳に、ぼんやりとねねこを映す。

 眠そうと言うか、血が足りていない感じのぼぉっとしっぷりに、ねねこは少し焦った。まだ寝かせておくべきだったのだろうか。

 

「……ここ、どこぉ」

 

「ギルドマスター殿のお部屋にですニャ」

 

 首を傾げた拍子にさらりと髪が音を立てて流れる。重たそうな目蓋を何度か瞬いて、ことりが疑問をぶつければ、焦りなど何処かに置いてきたように透かさずねねこが答える。それにもう一度、長い睫毛を瞬かせて、ことりは蕩けるように笑った。

 

「モモさんのベッド……えへへ」

 

 その事実を大切に確認するだけのように呟いてから、ぐっと大きく伸びをする。ふわりと翼の形をした髪が宙に浮き、花の連なった翼が擦れてさわさわと音を立てた。

 

「んー……ん、あれ、あなた、確かタブさんの……白……二番目……白化…………えっと、アルベド、かな? あれ、でも玉座の間に据えてなかったかな? なんで此処にいるの?」

 

 ぶつぶつと呟きながら考えて一人で答えに辿り着くと、今度はアルベドを見て心底不思議そうに呟いた。

 黒い感情を向けていた筈の相手だったと言うのに、その胸を焦がしていた黒い炎も何もかも一瞬で消し飛んでしまう程、名前を呼んで貰えた事実が嬉しい。喉を焼くような涙の痛みにアルベドが即座に応える事が出来ずにいる間に、ことりは一人で納得した様に頷いて違う問いを投げ掛けた。

 

「あ、モモさんは? お出掛け?」

 

「はい、アインズ様はエ・ランテルへお出掛けになっております」

 

「アインズ様?」

 

「モモンガ様がアインズ・ウール・ゴウンと名を変え、名乗っておられるのです」

 

 熱さをぐっと飲み込んで、アルベドが今度はきちんと答えれば、ことりが鸚鵡のように繰り返す。それに補足を加えれば、ふーんと気のない返事を返してから、ことりは何度か知らない地名を口の中で転がした。新しいマップだろうかと辺りをつけて、モモンガがいないならどうするかを頭の中で決めていった。

 それから回りを気にも止めず、ベッドからふわりと降り立ってねねこを呼ぶ。

 

「ねねこ、おいで。出掛けるよ」

 

「はいニャ」

 

 そのまま出掛けようとしたことりに、慌てたのはアルベドだ。病み上がりの身に何があるか分からないし、何よりアインズから頼まれたのだ。これで何かあったら、本当に申し訳が立たないではないか。

 

「お、お待ち下さい! 長らくお眠りになっていたのです、直ぐに動き回っては危ないです!」

 

 出掛けることに付き従ってはいたが、アルベドの言葉にねねこは概ね同意のようだ。だが振り返ってアルベドを見たことりは、不思議そうな顔をして首を傾げる。

 

「ねねこもいるし大丈夫でしょ、ね」

 

「はい、ですニャ」

 

 全幅の信頼に、ねねこはそれ以外の返事を持たない。例え本心にそぐわなくとも、頼りにされた事を否定出来るシモベなどいないのだ。

 それを感じ取ったアルベドは、尚も止める為に言葉を募る。

 

「ならばせめて、ねねこ以外にも供をお付け下さい」

 

「どうして? 何時も一人でお出掛けしてるのに。そもそも誰を連れてくの?」

 

「デミウルゴスをお付けしましょう」

 

 咄嗟にまだナザリック内にいて、空を飛べる守護者の名を出せば、ことりは困ったような顔をした。

 

「デミウルゴス? なんでデミウルゴスを連れてかなくちゃいけないの?」

 

 ことりの中ではそもそもナザリックのNPCは固定であり、連れ歩くという考えに結び付かないのだ。

 ナザリックのNPCはナザリックを守る為に配置されているのだから、連れ歩けたとしても自分の勝手な判断で連れ歩いても良いものでもないだろう。そう言った意図からの言葉だったのだが、否定の意味を含んだ言葉は、自分ですら感情を制御しきれなかったアルベドの心を決壊させるには十分だった。

 

「貴女も! 私たちを! 捨てるのですか!」

 

 それは悲鳴だった。抑えて、抑えきれなかった溢れ落ちた心の欠片だ。煮え滾る悲しみが溢れ出る愛情と入り乱れて、どうしようもなくなってしまったアルベドの嘆きだった。

 叫ぶつもりもそんな言葉をぶつけるつもりもなかったアルベドは、これ以上言葉を打付けないように口を閉ざす。何か言えば、もっと酷い事になる気しかしなかったのだ。

 

 アルベドの悲鳴を聞いて、ことりの顔が驚きから困ったような悲し気な表情へと変化する。少し迷ってから、ことりは口を開いた。

 

「誰かやめたの」

 

「……アインズ様以外の御方々は、私たちを捨てて行かれました」

 

 俯いたままアルベドは答える。座り込んで泣いてしまえたらどんなに楽だろうか。

 そんな思考を守護者統括であるという誇り(プライド)が押し込めてどうにか顔を上げると、ことりが寂しそうに自分の指先を見詰めている。それから、小さく長く声を漏らして、アルベドを見ないまま呟いた。

 

「あー……それは、寂しいね。悲しいよね」

 

 本当に心から漏れた言葉だと分かるそれに、アルベドの良心がちくちくと痛む。ことりも置いていかれた側の存在なのだと分かってしまったからだ。不慮の何事かで戻って来れなかったのだと、捨てていった者の反応とは思えないくらい、悲嘆に満ちた呟きだったとアルベドは思う。

 そんな相手になんという言葉を打付けてしまったのだろう。謝罪を口にし掛けた時、ことりがぽつりと問い掛けた。

 

「あのね、アルベドは眷族召喚とか出来たっけ。まぁ、出来たとして、召喚した眷族と血を分けた子供と、どっちを選ぶ?」

 

 何を問われたのか一瞬理解出来なかったが、問われた意味に気がついてアルベドの血が引いていく。選んではダメだと、心が叫ぶ。けれど見つめたくないものを、ことりはアルベドへと突き付ける。

 

「選ばなきゃどっちも失くしちゃうなら、どっちを取る?」

 

 そんなもの、決まっている。

 

「こ……子どもを…………血を……分けた、子供を……選ぶとっ……選ぶと、思います……ッ」

 

 知りたくなかった。認めたくなかった。自分達を一番愛していると、そう信じていたかった。

 

「だよね。私もきっと、そうするよ。でも今、どんな気持ちで選んだのか、それだけ忘れないで。そうじゃなきゃ、悲しすぎるもの」

 

 最後は掠れたような声で囁いて、ことりは部屋の入口に向かって歩き出す。その途中で止まって、少し震えた声を張り上げた。

 

「タブさんからアルベドの設定を見せてもらった事があるんだけど、すっごい作り込まれてた! もうね、どんだけ愛込めてるんだってくらいの完成度でね! 私に分かるくらいなんだから、タブさんはアルベドのこと、すごく愛してたと思うよ!」

 

 わざとらしく明るい声でそう言って見せて、そのままことりは駆け出した。後ろは決して振り返らない。

 

「…………ッ! ぅぁあアあアアアあぁ!」

 

 アルベドは力の限り慟哭した。叫ばなければ、心が引き裂かれてしまいそうだった。今更、そんな事知りたくなかった。知りたくもなかった。愛していただなんて、今更言われてもどうしたら良いのか分からないし、分かりたくもない。恨みで塗り潰した哀しみで、心が砕けてしまいそうだった。

 

 頭を腕で覆うように抱え込み、その場にアルベドは座り込む。垂れる髪の隙間から漏れる微かな啜り泣きを聞きながら、ねねこはそっと声を掛けた。

 

「ご主人は守護者統括殿を慰めて差し上げたかったようです。不器用な方故、傷つけるような物言いになってしまった事はご主人に代わってお詫び申し上げます。後ろ向きな意見ですが……守護者統括殿はタブラ・スマラグディナ殿の大切な物を守る事が出来たのだと。それは慰めにはならないだろうかと、ご主人はそう仰りたかったのです。大分言葉が足りませんでしたが…………今は沢山泣いておしまいなさい。少しはすっきりすると思いますよ」

 

 アルベドの不穏な感情を警戒はしていたが、こうなってしまってはとても人事とは思えない。ことりもいっぱいいっぱいだったのは分かったが、足りない言葉を付け足しつつ言葉が足りなさ過ぎるだろうと本気で思う。誤解してくれと言わんばかりならいざ知らず、あれでは恨んでくれと言っているようなものではないか。

このクソ面倒臭い守護者統括に死亡フラグなど、そんな勇気(笑)などいらないのだ。本気で死ぬ。

 

 お座成りなフォローも付け足しつつ、まだ泣き続けているアルベドに背を向けてねねこはことりを追い掛けた。(仮にも)女性の泣き顔を眺めると言うそんな高尚な趣味は、生憎と持ってはいなかった。

 追い掛けつつ、ギルドマスターのアインズに伝言(メッセージ)を入れる。

 

『ギルマス殿、唐突に失礼しますニャ。ご主人が起きましたが、早速守護者統括殿を泣かせましたニャ』

 

『えっ……?』

 

『ご主人がアグレッシブ過ぎてつらい。ご主人も泣いてるっぽいしそっちのフォローに回りますので、守護者統括殿のフォローを適当にお願いしますニャ』

 

『まって。ねえ、なんでそんな事になってるんだよ!?』

 

『こっちが聞きたいくらいですニャ! あとユグドラシルの続きみたいに思ってるっぽいので、それっぽく振る舞って下さい、ニャ! 伝えましたからな!』

 

 悲鳴の上がる伝言(メッセージ)を強制的に打ち切って、ねねこはことりの部屋へと向かう。ご主人を放っておいて骨に(かかずら)っている暇などないのである。

 

 ねねこが漸く追い付いた時、ことりは自分の鳥籠の中にある、花で出来た塒の中で丸まっていた。凹んだ時に此処に引き籠もるのは変わっていないらしい。

 

「ご主人」

 

 声を掛ければ、ことりはのろのろと顔を上げた。泣いてこそいなかったが海色の瞳は海原の様にうねっており、時間の問題と思われた。

 

「ちゃがさんも、やまさんも、もっちーさんも、タブさんも、ウルさんも、みんな止めちゃったって」

 

 すんっと情けない音を立てて鼻を啜り、ことりはねねこを抱き締めた。

 

「ねねこは私を置いてかないでねぇ」

 

 そう言ってすんすん泣くことりに、ねねこは黙って抱き締められる。こんなクソ面倒臭い主であるが、ねねこにとっては無二の主なのだ。そんな所も愛おしい。

 

 上手くやって下さいよと内心でアインズにエールを贈りつつ、ねねこはことりを慰める為にことりの涙を舐めとった。猫の舌はざりざりしている。ねねこ痛いと言って引き剥がされるまで、あと少し。

 

 




シリアスだと思った?シリアルだよ!


遅くなりましたが、この話は
知ってる地雷(ことりの)と、うっかり見つけてしまった地雷(予知の所為)を回避しようとしつつ、爆発したフォローに奔走するねねこがメインの話です

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。