長く書くようなもんでもないかなと
目を覚ましてから、ことりはずっと普通ではない。流れ込んでくる思考のかけらは、もうずっとたった一人の人間の事で埋め尽くされていた。
他者に興味を抱かないように、何かに執着しないように。そんな風にあった事の代償のように、ことりはたった一人だけの事を考えている。
それは恋に良く似ていた。けれどそんなに甘く優しいものではない。繋がった心から流れ込んでくるのは憎悪と嫌悪と、怨みと殺意と、強い執着と。
ことりはたった一人の人間を殺したくて殺したくて殺したくて堪らないのだ。
この世界にいるかどうかも分からない、ことりを殺したたった一人。ことりが殺したたった一人。ことりがこの世界に生きている所為で、ことりの心を縛り付けるもの。
ことりが何もかもを棄てて、いるかも知れない一人を探しに飛び出すのも時間の問題だった。その手で殺す事、それだけを夢見て。
白昼夢のようなそれから醒めたねねこは、傍らのことりを見上げた。楽しそうに笑うことりは、つい先日出来た友達(主観)を相手に忙しそうだ。
ナザリック内のことりの自室に運び込んだベッドの上で、アイテムボックスから種族変更用アイテムを持ちうる限りばら蒔いている。
特に拘らなければそこそこの数があるようで、クレマンティーヌにあれやこれやと説明している姿は楽しそうだ。
「ねえ、クレマンティーヌはなんでそんなに畏まっちゃったの? そんなキャラじゃなかったよね? へんなの」
「……ご主人が怖いんだと思うニャ」
ことりの気分を損ねないようにと気を使うクレマンティーヌに、不思議そうに気を使われる彼女は首を傾げた。脇で見ていたねねこが思わず口を挟んでしまう程度には不憫に見えた。
「えーっと、私がクレマンティーヌを殺すかもってこと? なんでそんな事しなきゃなんないの?」
本当に心底分からないと言わんばかりのことりの態度が、ねねこにはことりの本心であると理解できた。故にねねこはクレマンティーヌに向かって口を開く。
「言い方はアレですが、ご主人は先日の貴女をどうとも思っていなかったんでしょうニャ。今は貴女を意識しているので、どんな態度でも害することはないかと。自然体で大丈夫ですニャ」
「……すっごく腑に落ちないけど、分かったわ」
本当に納得しかねるといった表情で呻くクレマンティーヌに、ねねこは同情した。これは話し合いを奨める方がよさそうだ。
「ご主人、一昨日の彼女について思った事を素直に話すニャ」
「え、それって言っていいの? 言わない方がいいヤツじゃないの?」
「いいから話すニャ」
有無を言わさぬねねこに圧されるように、ことりは言葉を紡ぎ始める。
「……えっと、すっごいドSっぽい」
「他には?」
「主犯っぽいし、やっつけたらクエストクリアかなって」
「あとは?」
「ええ? ジットさん仲間にしちゃったから、ボス役押し付けちゃえ?」
ねねこの知っていたことりの計画性のなさと、特に何も思うところの無さが露呈する。
「今は?」
「んー、お友達になれたらいいなって」
そこまで話させた所で、ねねこは改めてクレマンティーヌを見た。物凄く複雑そうな表情でことりを眺めている。
「本人はこう申しておりますニャ」
「……本当になんとも思われてなかった訳だ。じゃあなんでそんな相手を友達になんて思った訳?」
「似た者同士でいいんじゃないって。あ、私は別にいじめっ子じゃないからね!」
思わず尋ねたクレマンティーヌに、ことりはなんとなしに答えた後、慌てて左右に手を振って否定した。
「じゃあ何が似た者同士なの?」
「私のお父様がちょっとね……まあ、苛めっ子みたいな感じだから」
「なにそれ」
「……お父様、私の友達選ぶから。実際リアルのお友達は何人かいなくなっちゃったし。ここにはお父様いないから、安心してね? でも、誰彼構わず消しちゃう私と、ほら、ちょっと似てるでしょ?」
少しばかり自嘲気味に言ったことりに、クレマンティーヌはそのお父様がいないという事実に心の底からほっとした。そのお父様とやらががいれば、クレマンティーヌは確実に消されていただろうと思ったからだ。
「それで、本当に私と友達になりたいって言うの? あんたにとって嫌なことする相手みたいな感じがするって、言ってたでしょ」
「PKしそうってヤツかな。でもまあ、私も必要ならするし、異形種って理由で殺しにかかってこないならいいかな」
あと返り討ちに出来そうだしと続けられた言葉に、クレマンティーヌは脱力した。これは本当に能天気なだけではないだろうか、そう思った所為である。
「警戒してた私が馬鹿だわ」
「大分お可哀想でしたニャ」
ポツリと漏らした本音に、ねねこが素直な感想を述べた。
「あんたも相当失礼よね」
「ご主人の使い魔ですからニャ」
「ちょっと私の事ディスるの止めてくれるー?」
さらっと原因を擦り付けたねねこに、ことりが抗議の声を挙げた。ぎゃいぎゃいと遣り合うことりとねねこに、変に怖がっているのも馬鹿らしくなってくる。
「で、あんたと友達になったらどんなメリットがあるって?」
「えっ、友達ってメリットありきでなるものなの?!」
「だって私、あんたの事よく知らないし。他に見るところがないじゃない」
「ひ、人柄とか性格とか見るもんじゃないの?」
「それはこれから見ていくの! ほーら、アピールしなさいよー」
困ったように一生懸命に考えることりを見て、クレマンティーヌは思う。レベル差を考えなければ案外チョロいのではないだろうか。
そんなクレマンティーヌの考える事を何となく察したねねこは思うのだ。可哀想なクレマンティーヌが、ことりにその手を精々離されないようにと、願うのだ。
「悩むねー」
「当たり前でしょ」
「止めとく?」
大量のアイテムを前にうんうん唸っているクレマンティーヌに、ことりがそっと気遣う。
「悩むんならやめた方がいいと思うけど」
「人間辞めるのに抵抗はないわよ。ただ選択肢がないって言ってた割りに多いから悩んでるだけで」
「少ないと思うけどなー」
撒かれたアイテムは二十を少し越えたくらいなので、取れる種族が倍以上と考えれば少ないくらいだ。だがそれはことりの感覚である。
「取り直せない事もないけど手間だからあんまりおススメはしないかな。ピンと来るのがないなら止めとくのも手じゃない?」
『ご主人はこう言っておりますが、無理をしてでも選んでおいた方が宜しいかと』
突然
『控え目に言って、ご主人は
多分善意からもたらされた情報は、クレマンティーヌの予想から遠くは外れていなかった。メイドに対する振る舞い方も、彼女に向けられている視線も、完全に上位者に対するものだった。逆に連れられていたクレマンティーヌに対する視線には、隠しきれない羨望が入り交じっていたのも覚えている。
「んー、アンタのおすすめは?」
「えー……クレマンティーヌって
「そうよ。スティレット使って、早さ勝負に持ち込むの」
クレマンティーヌが話を振れば、ことりは嫌な顔をせずに悩んでくれた。職を確認してくる辺り、真面目に考えてくれるらしい。少し意外に思いながら、クレマンティーヌは唸ることりの横顔を眺める。
「シーフとかアサシンとか、どっちかと言えばそっち寄りな感じなのね。あー……ちょっと違うかも知れないけどコリとかはどうかな。シーフとかアサシンとか、後はマジックキャスターとかに向いてた筈なんだけど。前衛職だとやっぱり体型とかは人型に近い方がいいかなって思ったんだけど、どうかしら。一応亜人寄りの獣人に成れるから」
「コリ?」
「そ、コリ。センコとセンリとフウリに派生するんだけど、キツネとタヌキとネコの妖精らしいよ」
某設定厨に聞かされた色々の中にあった筈だが、詳しいことは記憶の彼方である。アイテム使用の効果の事だけ、覚えていたのはきっとましな方だろう。
ことりのストレートな説明に、クレマンティーヌも吟味する。細かい気遣いもあるようだし、これと言って拒否する理由もない。のだが。
「どれがキツネでどれがネコなの?」
「センコがキツネで、フウリがネコ……だったような……? センコがキツネなのは確実なんだけど」
教えてもらった漢字で覚えていた所為で、余計に分からなくなっているジレンマである。因みに順に仙狐、仙狸、風狸、となる。
「成る程、でタヌキって何?」
「そこからかあ……画像なんてあったかなぁ」
アイテムボックスからフォトアルバムを取り出して捲りながら、ことりは呻いた。かつてネットの海で漁った画像は大体ここに入れてあるからだ。
タヌキと言われてピンと来ないのは仕方のない事だろう。ことりの嘗てのリアルでは見なくなって久しいし、例えいたとしても東アジア圏固有種なので海外在住者には馴染みも薄かった。
暫くアルバムを捲っていたことりであるが、それっぽい画像はなかったようで。唸りながら口を開いた。
「ええと、アナグマ?っぽい動物なんだけど、アナグマは分かる?」
「間抜けっぽいやつよね。ちょっとタヌキは遠慮したいんだけど」
「私は可愛いと思うのだけど。でもそうなるとキツネしか自信ないわ」
アルバムを閉じて思い出すようにことりが紡ぐ。分からなかったらどう説明すればと地味に悩んだが、杞憂だったようだった。控え目に言って可愛さを説明出来る気がしなかったので助かったのだが、最終的な評価は結局『間抜け』であったようである。
クレマンティーヌは少し考えて、妥協する事にしたようだった。
「なら、そのセンコっていうので」
「ならこれね」
そう言ってことりは、目の前に転がったアイテムの中から赤橙色の木の実を手に取った。
「はい、どうぞ」
それをクレマンティーヌに差し出して微笑むことりに悪意は無さそうだ。それを受け取ろうとしたところで、不意にねねこが口を挟んだ。
「ああ、そうニャ。ご主人の名前はことり様と仰いますニャ」
パタパタと尻尾でシーツを叩きながら、クレマンティーヌを見つめる瞳は読めないものだった。だが彼の発する空気が、『次にアンタなんて呼んだら分かってるな?』と如実に語っているのだった。
タブラさん側:長話も面白がって聞いてくれるので気に入ってた
ことり側:知らない話とかいっぱいしてくれるすごい
クレマンちゃんのキツネ耳は趣味です。似合いそう