にんぎょひめはおぼれない   作:葱定

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な~む~(-人-)
1/21 誤字、表現等一部修正





 ナザリック地下大墳墓の九階層にある、至高の方と呼ばれる者の私室の一つ。ねねこと名を与えられたNPCは、寝床にと誂えられた手編み調の籠の中で身体を丸めていた。ねねこは一日のほぼ大半を此処でこうして過ごす。

 彼は自分の役割が守人であると自覚していた。また自らが存在し続ける限り、彼の主たる至高の存在を悼み続けるのだ。それは彼が自分へ課した役割であり、己の存在理由を喪った時に自らそうであると誓った為でもある。

 しかしその静寂は、鳥篭に響いたまるで人が倒れるような音によって破られたのである。

 

 この部屋へと立ち入る者は、この部屋の主も含めて既にない。主への祈りを捧げる己を妨げる者は誰だ。ねねこは不信を隠さず耳をぴくぴく動かしながら、片目を薄く開いて音のした方へと目を向ける。

 そして次の瞬間、ねねこは目を見開いた。彼の視線の先にあったのは、床に俯せに身を投げ出し、腹部辺りから血を流した彼の主たる存在がいたからである。

 

 一瞬停止しかけたねねこの思考は、次の瞬間には高速で回り始める。

 一体何が起きたのか。主の状況はどうであるか。自分に癒せる程度の傷であるのか──じわじわと広がる血溜りに、ねねこは全力を持って部屋を飛び出した。

 彼の使える治癒魔法はあくまでも簡単なもので、意識を失くすような状態を回復させるのは難しいとの判断である。

 ねねこが目指したのは、ナザリックの誇るメイド長たるペストーニャ・ワンコの下だった。

 

「ペストーニャ殿! ご主人を、ことり様を、どうかお助け下さい!」

 

 毛色と同色の翼を羽ばたかせて弾丸の如く翔んできた翼猫の台詞に、メイドたちは蜂の巣をひっくり返したような騒ぎに陥った。

 喪われた至高の一人の帰還に、そしてその現状に、如何に対応をするかというものである。

 

 そしてこの騒ぎは直ぐ様、ギルド長たるモモンガの耳へと届く事となる。

 

 リアルでの名を小鳥遊妃朔(たかなしひのり)、プレイヤーネーム「ことり」。

 現実世界で命を落とした筈の、至高の存在がナザリックへと帰還を果たした、記念すべき瞬間であった。

 

 

 

 

 

 モモンガの下に一般メイドの一人が駆け込んで来たのは、アルベドに階層守護者たちを集めるよう命じた直ぐ後の事だった。

 

「御前に失礼致します。早急にご報告申し上げたい事がございます! お叱りは後に承けますので、不躾をどうかお許し下さい」

 

 息を切らせて一息に告げたメイドに、口を開きかけたアルベドも口を噤んだ。

 メイドの罰をも辞さぬ覚悟と剣幕に、相応の事態を悟った為である。

 アルベドは黙ったままモモンガを伺い、指示を待つ。そんなアルベドの視線を受けて、モモンガもまた首肯いて見せた。

 

「火急の用件という事ね。言ってご覧なさい」

 

 それを受けたアルベドが用件を促せば、メイドは上がった息を少しばかり整えるように、ひとつ深く息を吐いて声を張り上げる。

 

「申し上げます! 至高のお方が一人、ことり様がご帰還なさいました!」

 

「……なんだと!?」

 

 メイドの言葉に、思わずモモンガは玉座から腰を浮かせた。同時に驚愕の感情が精神の鎮静化によって鎮まるのを感じとる。

 

 帰還を告げられた相手であることりが、もう何年も前にリアルで命を落とした事をモモンガも知っていた為である。

 

「ただ、ご帰還に際して深く傷を負っていらっしゃるようで……ご自身のお部屋にて、ペストーニャ様が回復魔法を掛けていらっしゃいます」

 

「ことりさんは無事なのか!? …………いや、ペストーニャが治療に当たっているのなら最善であるのだろうな」

 

 言い難そうにしながらも報告したメイドは、自分の事のように心痛な表情をしていた。それを見たモモンガも再度再燃するが、蛍色の燐光を放ち冷静になる。

 ナザリックに於ける治療役であるらしい。ペストーニャという名前も聞き覚えがある気がする。そんな回復役が太刀打ち出来ないのであれば、何か方法を考えなければならないだろう。

 

「アルベドよ。守護者たちを集めるのは二時間後とする。良いな」

 

「はっ!」

 

 モモンガの言葉にアルベドは声を上げ、頭を垂れる。その同意を受けたモモンガは、直ぐ様玉座の間を後にした。そして急ぎ告げられたことりの部屋へと向かったのである。

 

 ことりは嘗てアインズ・ウール・ゴウンでもかなり知名度のあったプレイヤーであり、そして一番最初にアインズ・ウール・ゴウンを去ったプレイヤーでもあった。

 尤もアインズ・ウール・ゴウンのメンバーにことりを責める者はいなかったし、悲しくはあったがモモンガも彼女との別れは受け入れていたのだ。

 彼女の訃報を知ったのは、一重に彼女のリアルが余りにも有名であった為である。

 

 そんな突然の離別を経た相手に、再び見える事になるなど一体誰が予想しえただろうか。

 その人は本当にことりなのかという不安と、一縷の希望を抱いて、モモンガはことりの部屋の扉へと手を掛ける。

 異性の友人の部屋へと無断で入るなど、普段なら考えもしなかっただろう。だが、この緊急事態である。モモンガは一息にドアを開き、中へと身を滑り込ませた。

 

 そこで見たものは、ペストーニャに抱えられて床に身を横たえる、血の気の失せた一羽の海妖婦(セイレーン)だった。

 また明日、そう言ってログアウトしていった何時かのアバターのままで、ことりが確かにそこに存在していたのである。

 

「! モモンガ様!」

 

「構わない、ペストーニャ。ことりさんの容態はどういった状況だ?」

 

 こちらに気付いたペストーニャが姿勢を改めようとするのを片手で制し、モモンガはことりの顔を骨の白い指先で触れた。

 青を通り越して最早白いその肌は、青白い色に相応しい程に冷えきっていた。辛うじて上下する胸が、彼女が未だ生きているという事を伝えてくる。

 

「多量の出血で体温の低下と体力の減少が起きていると予想されるのですが、傷自体が見当たりません。回復魔法で体力の回復を続けておりますが、体力の減少が治まらない状況です。それ以外のステータス異常はなく、原因は不明のままです。幸いと言えるのは出血自体は現在治まっている事でしょうか」

 

 回復魔法をかけ続けながら答えたペストーニャが、定められた語尾を出せない程に切羽詰まった状況のようである。

 

「何らかの状態異常を受けていると、そう言う事か?」

 

「状態異常回復の魔法が効かなかったので、ただの状態異常ではないかもしれません。それから、意識が一向に回復しないのです」

 

「そうか……ことりさんは私が支えよう。ペストーニャは魔法に専念してくれ」

 

 回復魔法をかけ続けているペストーニャから消耗を感じ取り、彼女の腕からことりを抱き上げる。同時に何故ペストーニャが抱えていたのかをモモンガも悟った。

 背中の翼が邪魔をして、仰向けに寝かせる事が出来ないのだ。傷が見当たらないと言っていたが、腹部には出血の形跡があり俯せにするのは憚られる。

 意識のない体は弛緩しきっており、常より重く感じるものだ。だが今はその重たさが不安を煽ってくる。

 このまま目覚めないのではないか。そんな疑念を抱いたところで、ペストーニャの脇に座っていた翼の生えたぶち猫が鳴いた。

 

「ギルドマスター殿、どうかご主人を呼んでくださいニャ。今、ご主人は自分が死んだと認識している状態なのですニャ。だから目も覚めんのですニャ……ボクでもペストーニャ殿でも無理でしたが、ギルドマスター殿のお声ならご主人にも届きましょうニャ」

 

「お前は確か……」

 

「ねねこと申しますニャ」

 

 小さな頭を軽く下げ、簡単にねねこは挨拶をする。

 

「ことりさんを呼ぶというのは、何か確証でもある事なのか?」

 

「確証はないですが、勝算はありますニャ」

 

 確証がないと言う割に、ねねこは自信を持って断言した。他に手立てもなく、真摯な言葉に後押しされてモモンガはことりを呼び始めた。

 

「ことりさん! ことりさん!」

 

 ねねこの言葉に従って、ひたすらに声を張り上げる。今になって彼女の名前をこんなに必死に呼ぶことになるなんて思いもしなかった。

 そも、誰かの名前をこんなに必死に呼んだ事があっただろうか?

 そんな事を考え始めた所で、漸く変化が訪れた。

 

 

 

 

 

 自分の名前を呼ぶ声に、ことりの意識は深い場所から浮上する。

 ぼんやりと覚醒していく意識で、ことりはこれが夢であるのだと思う。ことりは自分の死に様を覚えていたし、何より自らあの汚泥のような水に身を踊らせたのだ。

 余程の悪運が重なっても、自分は生きてはいないだろう。

 

 懐かしい呼び声に重い目蓋を持ち上げれば、そこには心残りであった骸骨を神器級(ゴッズ)アイテムで固めた姿の、愛しい人のアバターが己の名を呼んでいるではないか。

 これが死後か、はたまた今際の際に見た夢か。それは己には分からない。

 けれど、自身の入り浸ったDMMORPGの中にいるのだというのだから、なんと幸せな夢なのだろうか。

 きっと自分の心残りが見せた幻なのだと、そう確信してことりは彼の名前を呼んだ。

 

「モモさん」

 

「ことりさん? よかった、目が覚めたんですね」

 

 この夢が何時覚めるのか分からない以上、迷っている時間はなかった。鉛のように重い手を伸ばして、自分を抱き止めるように抱える愛しい人の、その顔に触れる。

 

 そしてことりは囀ずるのだ。

 

 

「ずっとあなたが好きでした」

 

 

 夢の中だと言うのに思うように動かない手足がもどかしい。もっと近づきたいと両腕を伸ばせば、ずきりと刺された筈の腹部が痛み、意識もまた飛びそうになった。

 余りの痛みに思わず涙が滲んだが、自分を抱えたまま動かない死の支配者(オーバーロード)にどうにか抱き付くように身体を起こす。

 

「ずっと伝えたかった。愛してます、モモンガさん」

 

 どうにか彼の骨の歯に口付けて、痛みと全身の血が下がる冷たさに今度こそことりは意識を手放した。

 それでも、彼女の心は温かく、そして何よりも満たされていた。

 

 

 

 

 

 一連の流れに何が起こったのか分からなかったモモンガであったが、ことりの腕から力が抜け傾いた所で我に返り、慌てて頽れる彼女の身体を抱き止めた。

 それから数度の鎮静化とことりの体の冷たさに冷静さを取り戻し、側に控えていたペストーニャとメイドに指示を出す。

 

「ペストーニャ、回復魔法をもう一度だ。それから何か暖めるものを」

 

 ベッドのないこの部屋で、流石に床に寝かせるのも憚られる。そんなことりをもう一度抱え直して、モモンガはメイドから毛布を受け取りながら呟いた。

 

「もう一度死ぬなんて止めてくださいよ、ことりさん」

 

 まるで熱に浮かされたように愛を告げ、そのまま意識を落としたことりに言いたい事は色々あった。でもそれは彼女がもう一度目を覚ましてからだ。

 相変わらず冷たい身体を毛布で包みながら少しだけ戻った顔色に安堵して、傍らに控えたねねこに視線をやれば、ねねこも張り詰めさせた空気を少しだけ和らげて告げた。

 

「普通に眠られたようですニャ。峠は越えたと思っていいと思いますニャ」

 

 それからペコリとモモンガに向かって小さな頭を下げて言った。

 

「一先ずご主人を助けて下さり、本当にありがとうございますニャ。なんとお礼を申し上げれば良いか……」

 

「……そうか、お前はことりさんの使い魔だったな」

 

「はいですニャ」

 

 自分をギルドマスターと呼ぶねねこに違和感を感じていたが、少し考えれば彼がナザリックのNPCではない事を思い出した。

 ねねこはことりが作ったことりの使い魔NPCなのだ。

 

 ことりに回復魔法を掛けるペストーニャを眺めながら、古くなって久しい記憶を掘り起こして、モモンガはねねこに尋ねる為に口を開く。

 

「確か……ことりさんのエンパシストだったように記憶しているが、合っているか?」

 

「その通りですニャ」

 

 エンパシストは相手を指定してMPを共有するというような技能を有する職業だった。

 ただ指定した相手を変えるのにレベルを取り直さなければならない、互いに共有できる訳ではない等、使い勝手に欠けるところが多い。

 それ故、専らNPC専用職業となっていたマイナー職業である。誰が搾取されるだけを許容すると言うのだろう。やはり運営はちょっと頭がおかしかった。

 

「……言いたくなければ言わなくて構わないが、お前はことりさんとどこまで共有している?」

 

 MP共有のスキルの名前は精神感応だった筈だ。もしかしたらと言う期待と、少しの後ろめたさを感じながらも、モモンガはねねこに訊ねた。

 ことりの言葉を信じない訳ではないのだが、何故という疑問ばかりが先に出てしまうのだ。

 

「ご主人の感情も、大体共感していますニャ」

 

 ねねこは賢い使い魔なのだろう。モモンガが何を聞きたいのかを察し、言葉を返してくる。

 それはカンニングの肯定であり、モモンガから見て、ともすれば彼がことりを裏切るとも取れる行為だ。

 それを強いる事に罪悪感を感じたが、それでもモモンガは問いかけた。

 

「ことりさんは、何時から──」

 

 問いかけて、その問は最後まで紡がれる事なく喉の奥へとかすれて行く。それを聞いてどうするのだと、冷静な部分が囁いた。

 ねねこは小さな羽を羽ばたかせ、モモンガの言葉を静かに待っている。

 

「……そもそもどうしてオレなんだ」

 

 それは紛れもなく、零れ出た本音だった。

 ギルドのメンバーの中にはもっと格好いい人だって、もっと強い人だっていたはずなのに。その中でどうして自分だったのか、それが唯ただ不思議だった。

 年の差だってあった、草臥れたサラリーマンだった自覚もある。

 少し考えただけでも次から次へと出てくる欠点に、何かの間違いではないのかと、そう聞き返したい気持ちが大きくなっていく。

 そんなモモンガの問いに、ねねこはつぶらな瞳を瞬かせて鳴いた。

 

「惹かれた端緒など細々とありますがニャ……それを答えた所でギルドマスター殿のお心は晴れんでしょうニャあ。ふぅむ……ご主人ならきっとこう答えるでしょうニャ。『貴方を好きになるのに理由が必要なんですか?』」

 

 愛らしい所作の癖に、返された言葉は逃げ道を塞ぐようなもので、今度こそモモンガは口を閉ざした。

 確かに、自分の何処を好きになったのかを言われても納得出来たとは思えない。だがその問いかけに対する答えも、モモンガは持ってはいなかった。

 

「ボクはご主人の味方なので、ギルドマスター殿の味方になる事はせんのですニャ」

 

 長い尻尾でパタリと床を叩きつつ、ねねこは回復魔法を掛けられることりを眺める。

 視線を追って同じようにことりを見れば、青を通り越して白くすらなっていた顔色は、仄かに赤みすら感じさせる程に戻ってきた。減り続けていた体力も、無事に回復しているようである。

 すっかり健やかな様子で眠ったことりの上に軽い動作で飛び乗って、ねねこはその場で丸まりながら独り言のように囁いた。

 

「然れども受けた恩は返すのが道理というもの、ニャ。相談事くらいなら乗って差し上げても良いですニャ」

 

 それは善意だけでなく、多分に下心を含んだ提案だった。

 けれどもそれは主を思っての可愛らしいものに入るだろうと、ねねこは勝手にそう括る。当のご主人が聞いたら全然可愛くないと言うだろうが、そんなもの、ねねこは知ったこっちゃないのである。

 因みにねねこが飛び乗った時にことりが小さく呻いたが、ねねこはそれも気に止めなかった。

 

 

 

 

 

 

 完全に寝る体制に入ったねねこを、モモンガは呆然と見下ろした。随分と恩着せがましい猫である。

 そしてそのまま視線を上げると、微笑ましいものでも見るような顔をしたペストーニャと目があった。尤もペストーニャは何時でも笑っているように見えるので、実際にどんな表情をしているのかは分からないが。

 すっかり剥がれていた支配者ロールを思い出し、モモンガは頭を抱えたくなった。自分で決めた方向性だというのになんという事だ。

 だがことりを抱えているためにそれも出来ずに、もう一度ねねこを見下ろした。呑気に寝息を立てているねねこをぶん投げたい衝動にかられるが、それも即座に鎮静化する。

 

「……ここで見たものは他言無用だ。良いな」

 

 たっぷりの沈黙の後に絞り出したのは、どうにか取り繕った支配者な台詞だ。正直取り繕えた気は全くしない。

 ねねこからぐふっと鈍い息が漏れた。猫の癖に狸寝入りか。モモンガは胸の内で罵った。

やっぱり笑ったような顔をして、ペストーニャは首肯く。しかし動作が神妙な雰囲気を醸し出しており、正直違和感しか仕事しない。

 

 ペストーニャがことりに回復魔法をかけ終えるのを待ってから、モモンガはこの後の予定を思い返して思わずため息を吐きたくなった。

 やらなければと思っていた事が何一つとして終わっていないのだ。然もありなん。

 

「もう俯せに寝かせても大丈夫そうか?」

 

「実質傷もありませんし、寝苦しい以外は問題ないと思います……ワン」

 

 自分よりもそう言った事に詳しいと踏んで尋ねて見れば、大丈夫そうな答えが帰ってきたではないか。ついでに語尾を付ける余裕も出てきたようで何よりである。

 

「この部屋はベッドがないからな……ひとまず私の部屋へと寝かせるつもりなのだが、付き添いを頼む」

 

 ロールプレイという拘りの結果、ことりの部屋にはベッドが無い。あるのは花塗れの鳥籠だけだ。

 何もそこまで拘らなくてもとも思っていたが、此処にきてその思いは強くなる。同じ鳥人間スタイルのペロロンチーノ自室には普通にベッドもあるので余計にだ。自分の事はもはや棚上げである。

 

「承りました……ワン」

 

 そう言って頭を下げたペストーニャを伴って、モモンガはことりを抱いて立ち上がる。

 人外になってこうやって異性と触れ合う事になろうとは、人生何があるか分からない。と言うか、この年で初めて異性を抱き上げたと言うのも悲しい話である。

 その事実に気づいてしまったモモンガは悲しいような虚しいような気持ちになって、強制的に沈静化してから考えるのをやめた。

 涙も出ない体に、今は感謝である。

 

 途中で自室に連れていかずともよかったのではと気付いたが、此処まで来て他の部屋へと言うのも可笑しな話だ。

 思った以上に混乱していたと今更になって自覚する。もうどうにでもなれ。

 そんな投げ遣りな気持ちで自室のベッドの脇に立つと、ことりの上で丸まっていたねねこがベッドの上へと舞い降りた。

 

「お前、寝たんじゃなかったのか……」

 

「寝るとは言っておりませんニャ」

 

 単にこれ以上話すつもりはないと言う意思表示だったらしい。何とも言葉にし難い思いを飲み込んで、モモンガは溜め息を形だけ吐いた。

 

「しかし寝ているご主人を自室に連れ込むとは……ギルドマスター殿もなかなか隅に置けませんニャぁ」

 

「うむ、ねねこよ。あれだ、黙れ?」

 

 この猫、煽りよる。楽しそうに尻尾を左右に振りながら、ねねこはモモンガを見上げて鳴く。これ以上、彼に構っても墓穴を掘り進むヴィジョンしか見えない。

 黙るかは分からないが、取り合えず黙らせるつもりでそう言ってから、モモンガは出来るだけそっとことりをベッドに横たえた。

 横顔にかかった、翼のようにまとまった髪を梳くように流してやる。髪が頬を掠め落ちる際に小さく呻いたが、それでもことりが起きる様子はなかった。

 

 そんなことりの仕種に、モモンガはまじまじとことりを見てしまった。

 ユグドラシル時代に6桁近く注ぎ込んだと言っていたアバターは、そのままに実体を持っている。いや、細かい所の造形は命を得た分瑞々しい美しさを感じるようになった。

 全部を花に置き換えた翼の容量がヤバイことになっていたのは、黒歴史(パンドラ)を作った時に思い知っている。何らかのプログラムで出来るだけ自然な動きを演出していたと言う話だから、その拘りには畏敬すら覚えた。

 因みにゲーム時代はスペックの低いマシンだと、彼女が同じエリアに入るだけで挙動が可笑しくなったという話だから恐れ入る。畏怖を込めてマシンキラーなどとも呼ばれていたが、彼女には大層不評であった。

 そんな色取りどりの花と、毛先が羽のような形の髪から覗く彼女の寝顔は、何処か彼女のリアルの面影を写しているように見える。

 寝顔だから余計に幼く見えているのを差し引いても、アイドルの小鳥遊ひのりにそっくりだった。

 本人は似ないように作ったと言っていたし、実際然程似ていないと思っていたアバターだ。それだけにどうしてそう見えるか不思議で、思わずじっと見つめてしまった。

 

「随分とお熱い視線を送られている所ですがニャ、何か用事でもあったのでは無いのですかニャ?」

 

 自分から付き添いを辞しつつ場所を移した事から、その後の予定を推測して相手を促す。然り気無く気をつかっているように見えるが、要約すればさっさと行けである。

 あからさまな裏の意味が読めない程鈍くはないモモンガも、これには流石に沈黙する。

 

「なんでこんなに当たりが強いんだ……」

 

 モモンガとて理由は分からなくもないが、余りの塩対応に思わずぼやいてしまった。不測の事態の対応に追われっぱなしなのだ。それもまた仕方ない事だっただろう。

 だがそれはモモンガ側の理由だ。

 ことりの横で既に丸まっていたねねこは、半眼で座り直した。相変わらず尻尾は楽しそうに大きく左右に振れている。

 

「ご主人に左右する大問題に対して当たりが強くないとでも思ったのですかニャ?」

 

 直球で食らったストレートに、流石のモモンガも理解した。あの尻尾は全然楽しそうなんかじゃなかった!

 

「大体まだなにも解決しておりませんしニャ。今はやれる事から初めれば宜しいのですニャ」

 

「解決していない? 何の事だ?」

 

「残念ながらギルドマスター殿はお聞きになる資格を有しておりませんニャ」

 

 含んだ言葉に訊ねれば、ツンと尖った言葉が返される。

 完全に目の敵にされてるじゃないかと内心でぼやくが、自分がねねこの立場ならと考えれば仕方ないと思わなくもない。ねねこから見ればモモンガは自分の主を取っていく存在かも知れないのだから、決して穏やかではいられないだろう。

 それに、とおいてねねこが小さな声で鳴いた。

 

「告げればボクが殺されますニャ」

 

 一体何を告げればそんな事になるのだろう……。飛び出した不穏な台詞に少々動揺するが、ひとつ咳払いをしてモモンガは聞かなかった事にした。主従関係に突っ込んでも良いことはなさそうである。

 

「まあ、その、なんだ。お前に改めて言う事でもないのだろうが、ことりさんを頼む」

 

「……承りましたニャ」

 

 嫌味の一つも覚悟して言えば、予想外に慎ましやかな了承の返事が返された。

 それに思わずねねこを見れば、彼は可愛らしい顔でモモンガを見上げて小首を傾げる。それに思わず心の柔らかいところが刺激されて、モモンガはねねこの頭をそっと撫でた。

 しかし幻想はかくも崩れるものである。

 

「撫でるのはご主人にしたらいいですニャ」

 

 ついでに間に合ってますとも付け足され、それを受けてモモンガは自室を後にした。さっき刺激された柔らかい部分が、少し抉れたような気がする。

 思わず溜め息を吐きながら、モモンガはアンフィテアトルムへと向かったのである。

 

 部屋を出るモモンガを見送って、ねねこは重い溜め息を吐いた。それから眠る己の主に目をやって、もうひとつ溜め息を吐く。

 取り合えず一命は取り留めたが、まだ問題は山積みだった。

 自身の持つプレコグがねねこに告げるのだ。まだ何も解決はしていないのだと。

 

 

 暖かい吐息を溢すことりの寝顔を見て、ねねこは改めて己に誓うのだ。今度こそ、今度こそ主を守るのだと。

 それがたとえ彼女の意に反しようとも。

 ねねこを創造したのはことりで、ねねこの世界はことりが全てだった。だがそれはもう過去の話だ。

 今、ことりは手の届く所にいる。前とは違う。

 ならばお節介と知りつつも、やれる事をやるしかないのだ。

 愛しい愛しい主の為に、翼猫は奮起する。

 ニャアと一声鳴いてから、もう一度彼は体を丸めたのだった。

 

 




修正ついでにルビも振ってみたけどらしくなったかどうか……漢字考えるのは厨二気分で楽しいですね

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