ラビットハウスのパティシエさん   作:森フォレスト

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お客は有名人でした

 お泊まり会の翌日、チノたちは一度解散し、そのあと千夜の店に集まり、遊ぶことにしたらしい。カオルも誘われたが、店の営業のため、その申し出を断った。

 

「カオルはついていかなくてよかったのかのう?」

 

「一応は社会人だし、仕事があるからな」

 

「息子は土日は休みといっておったじゃろ」

 

「それも、完璧に仕事をこなせるようになってからだな……向こうにいた頃とは考えられないくらい楽だし」

 

「ほう、向こうでの仕事はどんな感じだっだんじゃ?」

 

「朝早くから一日中お菓子作りだな。しかも見習いだから、下準備なんかは全部やって、あとは先輩の作ってるところを見て、手伝ってって感じだった」

 

「大変そうじゃの……」

 

「まあ、おかげで見た目もそれなりのものつくれるようになったしな。時間と材料さえあれば芸術的なお菓子も作れるぞ。まあ、模倣だけど……」

 

「一度見てみたいもんじゃのう」

 

「機会があればな。ところで、チノたちはもう出かける準備してるが、いいのか、ここにいて」

 

「なぬっ!? チノ、ワシをおいていくでないー!」

 

 

 

 その日は珍しくカオルが一人で喫茶店を営業していた。いつもいるティッピーも今日はチノとココアと一緒に出掛けている。

 

「考えたら、一人は初めてだな……じいさんがいないと客がいない間は特に暇だな……本でも読むか」

 

 カオルは一通りの準備をあらかじめしておき、いつでもお客の対応ができるようにしておき、本を取り出した。一時間近くたった頃、客が来たことを知らせる鐘が鳴る。

 

「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

 

「はい~、おひとりさまです」

 

「こちらのテーブルへどうぞ」

 

 すこし間延びしたゆったりとしたしゃべり方が特徴的な女性だった。めったにされない返しをされ、不思議に思いながらも、カオルはその女性を席へと案内する。

 

「ブルーマウンテンを一つお願いします」

 

「ブルーマウンテンですね。承りました」

 

 カオルが注文表に書き込むと、女性は机の上に原稿用紙と万年筆を取り出した。

 

「……(この感じ、どこかで……)」

 

「あの、どうかしましたか?」

 

「っ! す、すみません。失礼しました」

 

 気がつくとカオルは女性を見つめていた。女性に指摘され、あわててカウンターへと戻る。

 

「(……ブルーマウンテンに、原稿用紙……そうだ、確か俺が高校に入ったばかりの頃、じいさんによく会いにきていた学生も、ブルーマウンテンを飲みながら小説を原稿用紙に書いていたな。元気かな……あの人……)」

 

 思いがけない形で昔を思い出し、カオルはコーヒーを挽きながら、昔を懐かしむ。

 

「(あの人は、じいさんの淹れるコーヒーとじいさんの作るコーヒーゼリーが好きだったよな……)」

 

 本来はしてはいけないことなのだが、カオルは気まぐれで、コーヒーゼリーを作り、ブルーマウンテンと一緒に女性のもとへと持っていく。

 

「ブルーマウンテンと、試作品のコーヒーゼリーです。メニューに入れるかどうか決めかねておりまして、感想をいただければ幸いです」

 

「まあ……! ではありがたく……」

 

 もっともらしい理由をつけてカオルがブルーマウンテンと一緒にコーヒーゼリーを渡すと、女性はお礼を言い、そのままコーヒーゼリーを一口すくいあげ、口へと運んだ。

 

「……おいしい」

 

 女性は一瞬、驚いたような表情のあと昔を懐かしむような表情にかわり、最後には笑顔でそう言った。

 

「っ! あ、ありがとうございます……」

 

 その笑顔がカオルの記憶の中の学生と重なる。

 

「(そうだ、俺は……この笑顔をみてパティシエになりたいと思ったんだ……)」

 

 不意にカオルの口からその学生の名前がこぼれ落ちた。

 

「……翠、さん……」

 

「はい?」

 

 その名前に反応するようにカオルの目の前の女性は不思議そうに首をかしげた。

 

-----

 

 カオルが高校生になったばかりのころ、特に部活にも所属していなかったカオルは、よく祖父の喫茶店の手伝いをしていた。手伝いと言っても、注文の聞き取りと出来上がった注文を運ぶだけの簡単なものだ。

 

「また来たのか、青山」

 

「マスターに勧められるまま、小説を書き出したのはいいのですが、煮詰まっちゃいまして……」

 

「注文は?」

 

「ブルーマウンテンを一つ……」

 

「だとさ、じいさん」

 

「聞こえとるわい」

 

 コーヒーみたいな苗字だな。それが、カオルの青山にたいする第一印象だった。カオルが毎日、学校終わりに祖父の手伝いをしていると1週間に5回は彼女が喫茶店に訪れる。注文するのは毎回、ブルーマウンテンだった。

 

「今日はどうしたんじゃ、青山。いつもより疲れておるの」

 

「凛ちゃんに捕まっちゃって……」

 

「あんたら、毎回、毎回、よく話題がつきないな」

 

「常連じゃからな」

 

「マスターとのお話は楽しいですから……」

 

 青山は喫茶店に訪れる度に違った表情をしていた。気分がよかったり、落ち込んだときはブルーマウンテンの他にコーヒーゼリーを注文していた。

 

「カオル、実はワシは魔法使いなんじゃ」

 

 ある日、青山が来店するなり、祖父はカオルにそういい出した。

 

「はっ? ついにボケたのか、じいさん」

 

「失礼なことを言うでない! とっとと注文をとってくるんじゃ」

 

「はいはい」

 

 その日、青山はブルーマウンテンとコーヒーゼリーを注文した。それをカオルが祖父に伝えると同時に祖父はコーヒーゼリーを取り出した。

 

「今日はどっちだ……?」

 

「落ち込んどるのう」

 

「よくわかるな……」

 

 カオルは青山をみる。コロコロと表情を変える彼女だが、カオルには落ち込んでるようには見えなかった。

 

「話しは戻すがな、ワシは魔法使いなんじゃ」

 

「まだいってんのか?」

 

「このコーヒーゼリーを青山にもっていってみろ。笑顔になるはずじゃ」

 

「コーヒーゼリー、一つでか?」

 

「いいから、早く行かんか!」

 

 祖父に急かされ、カオルはコーヒーゼリーを青山に持っていく。

 

「……おいしい」

 

「…………」

 

 青山は一口、コーヒーゼリーを食べると、そう言って微笑んだ。その笑顔がカオルの脳裏へと焼き付く。

 

「貴方もいかがですか?」

 

「後でじいさんに作らせて俺も食うからいらない」

 

 青山はスプーンにのったコーヒーゼリーをカオルへとつきだすが、カオルはそれを恥ずかしく感じ、それを断った。

 

「どうじゃった? ワシの魔法は?」

 

「……コーヒーゼリー自体で笑ったわけじゃないだろ」

 

「生意気い言おって……」

 

「……自分で作ったもので人が笑顔になる……この仕事はじいさんには合ってるのかもな」

 

「! ……そうじゃな」

 

「なあ、じいさん」

 

「なんじゃ?」

 

「作り方教えてくれよ。コーヒーゼリーの」

 

「……ははっ、カオルに覚えられるかのう?」

 

「余裕だよ、余裕」

 

 嬉しそうに笑う祖父から目をそらしながら、カオルは答えた。そのあと、ブルーマウンテンを青山へと運ぶとき、カオルは青山に尋ねた。

 

「あんた、名前は何て言うんだ?」

 

「私ですか? 青山ですが……」

 

「違う、苗字じゃなくて名前だよ、名前」

 

「すみません、私ったら……私は翠と申します」

 

「じゃあ、翠。いつか、今度はじいさんの代わりに、俺が笑顔にしてやるよ」

 

「……はい?」

 

-----

 

 そんな過去の出来事をカオルは走馬灯のように思い出していた。

 

「(はっずかしい! なにいってんだ俺! あぁ……中学から上がったばかりでなんか、こう、何でもできるって、よくわからない錯覚に陥ってたんだよなあ……しゃべり方から何から何まで恥ずかしい……! 思い出すまでは、けっこうステキな思い出みたいだったのに、中身は黒歴史だった……あぁ、思い出したくなかった……おまけにパティシエ目指したきっかけがコーヒーゼリー!)」

 

「……あのー?」

 

「はいっ!?」

 

「いきなり、喋らなくなられたので……」

 

「す、すみません……最近ボーッとすることが多くて……」

 

「それはいけませんね……私もボーッとすることが多くて、よく怒られますから……ところで、なぜ私の名前を?」

 

「あー、いや……あははっ……」

 

「……?」

 

「(何て言えばいいんだ……恥ずかしすぎて、名乗れないぞ!)」

 

「あのー……?」

 

「じ、じつは去年まで祖父が、ここを経営しておりまして」

 

「ええ、よく存じております。ということは、マスターのお孫さん?」

 

「そうなんですよ。それで、祖父から翠さんの話をよく聞かされてまして」

 

「マスターが? まあ、嬉しい……」

 

「ははは……では、ごゆっくり(な、なんとかごまかせたはず。確かじいさんは俺のことを孫とはいってなかったはずだし……)」

 

「うーん……カオルくん?」

 

「うへぇ!?」ゴンッ

 

 なんとか誤魔化し、早々に退散しようとしたカオルは背を向けた瞬間に名前を呼ばれて動揺し、足を滑らせて転んでしまった。

 

「あら~大丈夫ですか?」

 

「あ、あははー……(コレハ、バレテーラ……)」

 

 今さらどうあがいても取り繕えないと判断したカオルは開き直り、青山の向かいに座る。

 

「その、お久しぶりです」

 

「お互いに、大きくなりましたね~」

 

「翠さんの身長はそんなに変わりませんよ?」

「歳をとった、とはいいたくありませんからね~」

 

「それは心から同意します」

 

「お元気でしたか?」

 

「それはもう。元気すぎて困るくらいです」

 

「それはいいことですね~」

 

「その、俺のことどれくらい覚えてます?」

 

「それはもう詳細に……」

 

「そ、そうですか……」

「もう、翠とは呼んでくれないのですか?」

 

「か、勘弁してください……」

 

「うふふ……」

 

 昔の恥ずかしい言動を否応なしに思い出してしまい、カオルは自分の顔が熱くなるのを感じた。

 

「マスターはお元気ですか?」

 

「あ、その、先ほど去年まで祖父が営業していたと言いましたが、つまり、祖父は……(去年うさぎになったんだよなあ……)」

 

「そうですか……マスターが……この、コーヒーゼリーは、カオルくんが?」

 

「そうです。祖父から教わった唯一のデザートですね」

 

「この、コーヒーゼリーの味……マスターのものと同じでした。まるで、高校生に戻ったような感覚……とても、おいしかったです」

 

「きょ、恐縮です……」

 

「もっと、自然体でいてくれた方が嬉しいです。昔みたいに」

 

「あ、あれは、その、まだ精神的に今より未熟で、それゆえの言動といいますか……」

 

「ふふっ、あのころのカオルくんは可愛いかったですよ?」

 

「一応、高校生だったので複雑ですね……言動が可愛いということでしたら、今すぐ首を吊りかねませんが……」

 

「容姿も、精神的に背伸びしていたことも、含めて可愛いかったです」

 

「……いっそ殺してください」

 

 必死に堪えてはいるがカオルはすでにノックダウン寸前でだった。一人になればすべてを投げ出し、部屋に戻り、ベッドの上で枕に顔を埋めていることだろう。

 

「……約束、守ってくれましたね」

 

「はい?」

 

「私は笑顔になれましたから」

 

「っ! そ、その、覚えてて……」

 

「忘れるわけありません」

 

「なぜまた……」

 

「とても可愛らしかったので……」

 

「もう勘弁してください、翠さん……」

 

「ふふっ、クセになっちゃいそうです」

 

 そう言って微笑む青山に、カオルは半ば諦めぎみにもう一度だけ、「勘弁してください」と言った。昔話にも花を咲かせ、気がつくとコーヒーが冷たくなる程度には時間が経っていた。

 

「もう、こんな時間……名残惜しいですが、おいとましますね」

 

「わかりました。まさか会えるとは思っていなかったので、驚きました」

 

「ふふっ、私もです。あ、よかったらこれを……映画化も決まって、そろそろ上映されます、『うさぎになったバリスタ』です。もらってくれますか?」

 

「これは……翠さん、小説家になったんですね」

 

「はい~」

 

「……サインしてくれますか? 今度、祖父にみせます」

 

「……よろこんでっ!」

 

 青山が名の知れた小説家になっていたことに驚きながらも、映画が公開されたら観に行こうとカオルは心に決めたのだった。




カオル「あの青山さんが小説家に……」

ティッピィー「わしが勧めたんじゃぞ!」

カオル「しかし、この小説……」

ティッピー「……何じゃ?」

カオル「主人公はじいさんがモデルみたいだな」

ティッピー「ほほう!」

カオル「まぁ、親父がモデルの主人公の息子の方がかっこいいけど。ほんとに親父がいないと潰れてたんだな……」

ティッピー「なんじゃと!?」

タカヒロ「……」

ティッピー「息子も顔を赤らめるでない!」


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