甘兎庵で働いた日の午後、千夜、シャロ、カオルの三人は夕飯の買い出しに食品店を訪れていた。
「夕飯、何にするんだ?」
「私としては今月もピンチなので安上がりなものがいいかなーなんて……」
「シェフの気まぐれで!」
「千夜も一緒に作ろうな?」
千夜の頭を軽く小突いてから、カオルは夕飯を何にするかを考える。第一前提として安上がりというのがあるので、自然と候補は絞られてくる。生姜焼き、焼き魚、うどん、そばなどを考え、どうにも華がないとその候補を切り捨てる。
「うーん……(みんなで食べるにしては盛り上がりそうにないんだよなぁ……)」
「そ、その、言い出しておいてなんなんですけど、そこまで安くなくてもいいですよ……?」
「あっ! あれなんてどうかしら~」
「ん? ……カレーか。しかし、なんだ、あの売り方は……」
千夜が指差すのは「特売!」と大々的に宣伝されているカレールーだった。都会の近代的な店とは異なり、今いる食品店は全ての食材がそれぞれ木のケースに入って販売されており、それ以外の調味料や箱に入った商品も、値札は手書きされており、都会のそれとは一線を画している。それゆえに、その都会的な山積みした売り方がより際立ち、カレールーは異様な存在感を放っていた。
「あれは、発注数を間違えたパターンですね!」
「……あれ、逆に売れないだろう」
「あんまり減っているようには見えないわね~」
目立ちはする。しかしそれだけだ。店員の切羽詰まった様子が見えるようである。不憫に思ったカオルはそれを購入することにした。
「まぁ、半額みたいだし、今日の夕飯はカレーにするか。余っても明日に食べれるだろう」
「わかりました」
「はーい」
カオルはカレールーを手に取るとカゴに放り込む。そして、なんとかこの山積みされたカレールーが売れること祈った。
そのまま他の食材を見て回り必要なものを話し合いながらカゴへと入れていく。そんなことをしていると後ろから声をかけられる。
「あ、あの、カオルお、くん……千夜さ、ちゃん……シャロさ、ちゃん。こ、こここ、こんばん------」
「ど、どうした、チノ。大丈夫か? おなかでも痛いのか……?」
「ち、チノちゃん?」
「トイレでも我慢しているの?」
声をかけてきているのにしどろもどろになり様子がおかしいチノを三人は心配する。カオルが辺りを見渡すと、少し離れた位置にココアの姿が目に入った。カオルに見られていることに気がついたのかココアも三人の方へとやって来る。
「チノちゃん、もう少しだったね!」
「やっぱり、難しいです……」
「何の話だ? チノの様子がおかしかったことと関係が?」
「無理してる感じがすごかったわね」
「でも、可愛らしかったわ~」
俯くチノをココアが励ます。どういうことなのかカオルがココアに尋ねる。
「ココアさんに敬語じゃなくていいと言われたのですが、癖みたいなもので、上手くタメ口で話せなくて……それでたまたま見かけたお兄ちゃんと千夜さん、シャロさんで練習をするようにココアさんに言われまして……」
「ああ、なるほどな。思い返せば確かにがんばってフレンドリーに喋ろうとしていたな。なぜ俺がくん呼びになったのかは疑問が残るところだが」
「そ、その……おにいちゃんのくだけた呼び方が思いつかなくて……」
「んー……チノ、自然体でいいんだぞ?」
「そうよ、チノちゃん。自然体が一番よ」
「無理をする必要なんてないわよ?」
チノの話を聞いた三人は口々にそう言った。頑張るチノは可愛らしいが、自然体のチノが一番だと思っての三人の発言だった。その言葉にチノは安心したようにため息をついた。
「そ、そうですか」
「そうだよ、チノちゃん! 自然体が一番だよ!」
「「言い出したココアがそれを言うの(か)?」」
ココアの手のひら返しにシャロとカオルの声が重なる。ココアは「えへへ」と頬を指でかいた。
「シャロちゃんもカオルさんとリゼちゃんの前だとちょっと固くなるんだから~」
「な、なーなななななにを!?」
「ものすごい動揺の仕方です」
「嫌われてるとは思わないが、それは少し感じるな」
千夜のそんな一言にシャロは狼狽え、カオルに弁明をする。
「違うんですよ? そのカオルさんは大人の男性ですし、リゼ先輩は先輩ですから、お二人には敬意を払っているといいますか、緊張してしまうといいますか……と、とにかく嫌っているわけじゃないです! むしろ好きです、大好きです!」
「わぁ~ シャロちゃん、情熱的ね~」
「シャロちゃんはカオルお兄ちゃんとリゼちゃんが好きなんだね」
「私もシャロさんみたく、自然体で素直に生きていきます」
「あわわわわわ……っ!?」
周りに自分の発言を指摘され、シャロは顔を赤く染め、目をぐるぐると回した。
「その……わかってるから大丈夫だぞ、シャロちゃん。言葉のあやってやつだろ?」
「今はその優しさが複雑ですぅうううううううううう!
「しゃ、シャロちゃん!?」
カオルの言葉を聞き、限界が訪れたのかシャロは叫びながら店の奥へと走っていってしまう。
「わぁ~ シャロちゃんって足が速いんだね!」
「……どうしたのでしょうか?」
「あらあら、カオルさんも罪な人ね」
「お前な……」
ニコニコと笑いながらそう言う千夜にカオルは深いため息をつくのだった。
みんなで話しながら食材を買い揃えていると、自然と夕食の話になり、せっかくだからとココアとチノも誘いシャロの自宅でカレーパーティーをすることになった。食材の量も最初の倍くらいに膨れ上がり、全員が袋を一つは持って食品店を出ることとなった。
「いっぱい買ったねー」
「こんなに必要だったのでしょうか?」
「足りないよりは余ったほうがいいさ。それならそのままシャロちゃんの家に置いておけるし。なぁ、シャロちゃん」
「は、はいっ!? そ、そうですね!」
「(シャロちゃんったら、おもいっきり意識しているわ)」
声が上ずり恥ずかしげに俯くシャロ。今は落ち着く時間が必要だろうと、カオルはそこで言葉を止めた。
「う、うぅ……(千夜が変なこと言うからいつもよりカオルさんを意識してしまう……今なら、この勢いのままリゼ先輩も呼べるかも……きてくれるかな、リゼ先輩……)」
「(シャロちゃん、スマホなんか握り締めて……リゼちゃんを誘いたいのね!)シャロちゃん、リゼちゃんも誘ってみれば?」
「そ、そうね! 千夜がそう言うなら誘ってみるわ!」
千夜に後押しをもらい、シャロはスマートフォンを操作し、リゼに電話をかける。何回かの呼び出し音のあとに、リゼにつながる。
「もしもし? シャロ?」
「あっ、あの、先輩! これからみんなでカレーパーティーをやろうってはなしてて……」
そこまで話し、シャロはこちらを見ている千夜に目を向ける。
「?」
不思議そうに首をかしげる千夜を見て、シャロの頭に千夜の言葉が思い起こされる。「シャロちゃんもカオルさんとリゼちゃんの前だとちょっと固くなるんだから~」その言葉にシャロは次の言葉がなかなか切り出せない。
「シャロ? どうしたんだ?」
「あ、あの、その、い、いまから私の家に来ちゃいなYO!」
「(迷走してるわ……っ!)」
固くならずにフレンドリーに切り出そうと考え抜いた結果、シャロは迷走したのだった。
「(流行っているのか……?)あ、ああ、行くYO!」
「(ノってくれた!)よしっ、よしっ……!」
「シャロちゃん……」
リゼが空気を読んだのか、はたまた純粋にそう返したのか、リゼはシャロに合わせて返答し、シャロは何度もガッツポーズをする。そんなシャロを千夜は心配そうに見つめた。
「あっちの方は賑やかだね、チノちゃん、カオルお兄ちゃん!」
「楽しそうです」
「シャロちゃんがカフェインもない状態であそこまで……」
シャロの様子にチノとココアはにこやかに笑い、カオルはシャロを心配していた。五人はゆっくりとシャロの自宅を目指すのであった。
ティッピー「息子よ、なんじゃその顔は」
タカヒロ「今日はチノもカオルも家で夕飯を食べないらしい」
ティッピー「ほう、めずらしいのう」
タカヒロ「……夕飯はカップラーメンにしよう」
ティッピー「いい大人がふてくされるでない」