ラビットハウスのパティシエさん   作:森フォレスト

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お菓子作り

 カオルがベーカリー保登に来てから6日が経ち、日曜日が訪れる。そしてそれは、カオルが帰宅する日でもあった。この日ばかりは人気パン屋のベーカリー保登も休みになる。本来であればカオルもゆっくりと眠っているはずなのだか、カオルはいつもと同じ時間に厨房に立っていた。

 

「まさか、コレが売ってるとは……タルト型! 考えたら都会から戻ってきてからは欲しいとは思っても買いに行こうとはしてなかったからな……」

 

 昨日の配達の際、眠気のピークから自身を一瞬で覚醒させた道具を見ながらカオルは昔を懐かしんだ。

 

「タルト台が印象を分けるからな。型があるとないとでは大違いだから、一からつくるなら必須なんだよな!」

 

 カオルは冷蔵庫から昨日の夜に作っていた生地を取り出し、状態を確認する。

 

「これってなに? パン生地じゃないよね?」

 

「よくぞ聞いてくれた。これはバターに砂糖、卵、薄力粉を加えて作る、サックリした食感の甘いクッキータイプのタルト生地だ。通称『パート・シュクレ』と呼ばれる。『パート』ってのは小麦粉にバター、卵、砂糖、水なんかを混ぜて作る生地のことで、『シュクレ』ってのが、フランス語で砂糖を意味する。他にも『パート・ブリゼ』という甘み控えめな生地もあって……ん?」

 

「お休みの日まで早起きなんだね、カオルくん」

 

「っ!? ……モカさんこそ早いな、驚いた。できればいきなり話しかけるのはやめてほしい。心臓に悪い」

 

「ご、ごめん、楽しそうだったから、つい……」

 

 カオルは心臓を必死に落ち着かせながら、いつの間にか後ろに立っていたモカに注意をする。モカはカオルの方を気にしながらも謝罪した。モカが気になっているのはカオルか、生地か、それとも両方か。カオルは生地だと考え、作業を進める。

 

「都会で働いているときはタルト台は業者から量産したものを買っていたんだけど、やっぱり自分で作れば美味しさも倍増する気がするんだよな……」

 

「わかるよ! 私も街のお店の食パンよりも、自分で焼いたパンの方が美味しく感じるもん!」

 

「それは多分、手間とか思い入れだけじゃないと思うけどな。モカさんの技術とか材料とか焼き加減とか」

 

「それなら、カオルくんのもそうなんじゃないのかな?」

 

「……その考えはなかったな」

 

 カオルは話しながら生地を伸ばしていく。きれいな円形に、かつ薄くなりすぎないよう注意しながら徐々に生地は大きくなっていく。

 

「こんなもんか」

 

「手馴れてるね~」

 

「結構久しぶりだったから、不安ではあったんだけどな。あとはパイローラーかフォークでピケをする」

 

「ピケ?」

 

「あー……、フォークの先やパイローラー、あとは専用のピケローラーなんかで、底や側面の生地を指して空気穴を開けることをピケをするって言うんだ。これをすることでタルト生地を焼いたときに底面の生地が浮きあがりにくくなるんだよ」

 

「へぇ~ 私もやっていい?」

 

「もちろん」

 

 フォークを手渡し、モカが生地に空気穴を空ける。しかし、間隔や力の強さなどにムラがあるのかしっかりとできない。

 

「モカさん、こうやるんだ」

 

「うひゃあ!?」

 

 カオルがモカの手と一緒にフォークを握り、空気穴を開けていく。モカの手からはどんどんと力が抜けていき、顔は赤く染まっていく。

 

「こんな感じで……あれ? モカさん!?」

 

「う、うへへ……」

 

「(な、なにがあったんだ……?)」

 

 カオルに下心はなく、純粋なアドバイスとサポートだっただけにこのときはモカがどうしてこうなったのか、まるで理解ができていなかった。無意識とは罪である。モカが立ち直るまで待った後に作業を進めていく。

 

「で、いよいよ、こいつの出番だ」

 

 カオルはタルト型を手に取ると、型のへりにしっかりと生地を敷き込んでいく。そして、生地は綺麗にタルト型に収まった。

 

「おぉー!」

 

「よし、そして作っておいたアーモンドクリームを詰めて焼くだけだ。あとは焼けるまでは暇だな」

 

「わーい!」

 

 なぜかモカとカオルはハイタッチを交わす。

 

「こんなゆっくりとした早朝五時は久しぶりだ」

 

「普通は早朝五時には起きないけどね」

 

「この6日間で、すっかり生活リズムが変わったよ」

 

「でも、この生活続けてると、身長が伸びるんだよ?」

 

「早い時は八時には寝るからな……」

 

「……カオルくんはもう帰っちゃうんだよね」

 

「ん? まぁ、そうだな。もともと一週間程度の予定だったしな」

 

 こっちに来てからのことを思い出しながら、長いようで短かったなと、カオルは思わず笑った。

 

「その……どうだった……?」

 

「最後にゆっくりできてるから、俺としては最高の形だな」

 

「そういうことじゃなくて!」

 

「ははっ、来てよかったよ。たのしかった。パン作りは新鮮だし、ココアの姉にも母親にも会えたしな」

 

「そっか……私も、カオルくんと一緒に働けて楽しかったよ」

 

「最初じゃ考えられないな」

 

「も、もう!」

 

 カオルの軽口にモカは恥ずかしそうに顔を背けるのだった。そんな会話をすること三十分、生地が焼きあがる。それをさらに三十分ほど置いて冷まし、フルーツを盛り付けていく。

 

「タルトの代表。フルーツタルトだ」

 

「お店で売ってるのみたいだね!」

 

「お店で売ってたからな。適当に盛り付けるのはそれはそれで、家庭的でいいんだが。少しでも綺麗に見えるように盛り付けしなきゃ売れないからな。スイーツとは、芸術でもあるんだよ」

 

 昔の修行を思い出しながら、大変ではあったが、それも無駄ではなかったとカオルはしみじみと思った。

 

「大変なんだね……」

 

「どんなことでもゼロから覚えるのは大変さ。よし、これで完成」

 

「わーい」

 

「これは、モカさんとお母さんに作ったんだ。もらってくれるか?」

 

「もちろん。カオルくんも一緒にね!」

 

「……コーヒーも淹れるか」

 

「お願いします!」

 

 カオルはモカの言葉に思わず微笑みながら、一緒にタルトを食べながらコーヒーを飲むその時を想像するのであった。

 厨房を出ると外はうっすらと明るく、パンが一つもない朝の店内にカオルは違和感を感じ、若干染まったなと苦笑した。

 その後焼いたタルトと、カオルが淹れたコーヒーと一緒に朝食を食べた。

 

 

 

 ハードなパン屋の仕事だが、休みとなるとすることがないとカオルは気がついた。とりあえず帰りに備えて荷物の整理をした後に、軽く部屋を掃除することにした。とはいえ、使っていなかった部屋とは思えないほどに綺麗に管理されていたので、掃除といってもすることはほとんどなかった。

 

「あのハードなスケジュールでいつ掃除してるんだろうか……」

 

 ささやかな疑問を抱きながらも、作業を進め、わずが十分程度で終わる。カオルが帰宅する時に乗る予定のSLは昼の十一時の便だ。そして、今の時刻は朝の九時。そろそろ頃合いだろうとカオルが立ち上がると、それと同時にドアがノックされる。

 

「カオルくん、荷物の整理は終わった?」

 

「あぁ、モカさん。今しがた終わったところだ」

 

 初日と同じ会話。しかし、その距離は確実に近づいており、その事がお互いを少し意識させた。

 

「……なんか、懐かしいね」

 

「最初も同じ会話だったよな」

 

「あなたにココアは渡さないわ!」

 

「んー、もうちょい敵意ある感じだったな」

 

「今はもう言えないかも」

 

「それは嬉しい限りだ」

 

 少し恥ずかしそうに頬をかくモカにカオルは微笑む。初日からは考えられないほどに親しくなれたことを嬉しく思っていた。それと同時に少し、仲が良くなりすぎた気もしていた。何故ならば……

 

「どうかした?」

 

「……いや、なんでもないよ、モカさん」

 

 こんなにも別れが惜しく感じるのだから。そう、カオルは思っていた。

 

 

 

 荷物をまとめモカのお母さんに挨拶をした後、徒歩で駅までいこうとするカオルをモカはスクーターで送ると言ってくれた。カオルはその好意に甘えることにした。

 

「こうして、カオルくんと街にいくのも今日で最後かぁ……」

 

「しばらくはそうだな。今度は遊びに来るよ」

 

「カオルくん……一つ、お願いがあるんだけど、いいかな?」

 

「俺にできることなら」

 

「いつもより、強く私に掴まって欲しいの。ダメ?」

 

「……世間一般じゃ、多分逆だよな」

 

「っ! ふふっ、そうだね」

 

 カオルはそんなモカの提案をはぐらかすように言い、その願いを行動へと移した。後ろに座っているカオルからはモカの表情は見えない。しかし、モカの声は嬉しさと寂しさが混じりあったものだった。

 

「ははっ」

 

「どうかした?」

 

「いや、なんでもないよ」

 

「……?」

 

 別れが惜しく感じているのは自分だけではないのだと気がついたとき、カオルは思わず笑ってしまった。いつもより、安全運転をするモカの運転で街につき、軽くお茶をすると、とうとう時間になった。

 

「じゃあ。しばらくはお別れだな」

 

「……うん」

 

「今度はモカさんが、ラビットハウスにきてくれ。ココアも喜ぶ 」

 

「……うん」

 

 次第にモカの声が震えだす。カオルはモカに近くと優しく頭を撫でた。

 

「正直言うと、別れるのが少し惜しいと思ってるんだ。きっとココアが実家に帰るってときも同じ気分になると思う。それくらいにモカさんと仲良くなれたと思ってる」

 

「うん……」

 

「俺も思ってることは言った。我慢はしなくていいぞ? それは、不公平だ」

 

「っ!」

 

「うおっ!?」

 

 優しく話しかけるカオルにモカは正面から体当たりをするように抱きついた。突然のことにカオルは驚きの声をあげる。

 

「カオルくんは、ズルいなぁ……寂しいに決まってるのに……」

 

「……そうか」

 

「ふふっ……また、お願いしてもいいかな?」

 

「無茶なことじゃなければ」

 

「今度会ったら、デートしよ?」

 

「……仕事がなければな」

 

「えぇー、そこで引くかな、普通」

 

「女性に迫られると、冷静に対処できないんだよ……」

 

「意外な弱点発見! もっとくっついちゃおっ!」

 

「も、モカさん!」

 

 カオルはモカを強引に引き剥がすが、そのとき、モカの寂しそうな表情が目に入る。

 

「その……今度モカさんが木組みの街に来たら、一緒に街の中をある歩こう」

 

「デートってことだよね?」

 

「……まあ、そうだな」

 

「約束ね!」

 

「あぁ」

 

「それじゃあ、カオルくん。またね!」

 

「……あぁ、またな、モカ」

 

「っ!?」

 

 ささやかや仕返しをした後にカオルは駅のホームへと入っていく。

 

「ふ、不意打ちは卑怯だよ、カオルくん……」

 

 その後ろ姿が見えなくなっても、モカはしばらくその方向から目をそらせなかった。




モカ「お母さん、一緒に服を買いにいかない?」

モカママ「あら、どうしたの?」

モカ「その、新しい服がほしいなって……」

モカママ「どうしていきなりほしくなったのかしら?」

モカ「う、うぅ……」

モカママ「ふふっ、それじゃあ、明日一緒に行きましょうか」

モカ「う、うん!」

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