いつものようにハードなスケジュールをこなし、夕食後に風呂に入った後、部屋に戻ったカオルは思った。
「(チノに……チノに会いたい!)」
早い話がホームシック一歩手前であった。今まで忙しく考えることがなかったが、仕事に慣れ出し、昨日コーヒーを淹れてからはその思いはより強くなっていた。
「(あぁ……チノ元気かな。ちゃんとやれてるかな……あの日、前日に用意をしていれば、ちゃんといってきますって言えてたのにな……)」
カオルが思考を巡らせればそれは必ずチノへとたどり着く。空想のチノがカオルに微笑みかける。
「あぁ……ダメだ……」
「な、なにがかな!?」
そして、そんな呟きを部屋を訪れたモカに聞かれてしまう。
「あぁ、モカさん。なにか用か?」
「少し話をできないかなって思って来たんだけど……なにか悩み?」
「……モカさんは、ココアに会いたくなったらどうしてる?」
「えっ? ココアに? うーん……手紙を書いて、今まで送られてきた手紙を見返すかな……?」
「手紙か!」
カオルはモカの言葉を聞き、すぐにスマートフォンを取り出しメールを打ち出す。当たり障りのない自分の報告と、ラビットハウスの状況を問いかける文面を打ち込んだあと、送信ボタンを押した。ほどなくしてカオルのスマートフォンがメールを受信する。浮き立つ心を抑えながらカオルはメールを開いた。
『何も言わずにいなくなったお兄ちゃんなんて知りません。 嘘つきは嫌いです。そして連絡が遅すぎます。どれだけ心配したと思っているんですか?』
「な、なに……?」
カオルはメールを見た途端に膝から崩れ落ち四つん這いになっていた。そのときモカは思った。人とはこうも綺麗に崩れ落ちるのだと。
「き、嫌われた……? チノに? ははは……」
「えっと……カオルくん?」
「教えてくれ、モカさん。俺は、どうすればいいのだろうか? 腹を切れば許してもらえると思うか?」
「お、おちついて、カオルくん!」
カオルはかつてないほどに動揺していた。そして自分の行動を悔いていた。なぜ、一言チノたちに言わなかったのか、なぜ書置きすらしなかったのか。父親が伝えるのと自分で伝えるのとでは、その意味が違うと、カオルは激しく悔いていた。
「もう、いっそここでずっと働こうかな……」
「……カオルくん、逃げちゃダメだよ」
「モカさん……」
「ここにずっといてくれるのは個人的には嬉しいけど、チノちゃんが悲しむよ?」
「でも、俺は嫌われて……」
「ちょっとすれ違っただけだよ! 元気出して? ね?」
「……しかし」
「だけども、しかしも無し! 男の子なんだからウジウジしない! カッコ悪いよ?」
「……仕事以外で怒られたのは、すごく久々な気がする。そうだな、許してもらえるようにもう一度話してみる」
「カオルくん……」
モカの叱咤激励に立ち上がるカオル。再び、スマートフォンを手にメールを打ち込んでいく。なぜ一言言えなかったのか、すぐに連絡しなかったのか、そしてその上で謝罪をする。メールを送信すると、一分かからずに返信が来る。
『言い訳を聞きたいわけじゃありませんし、謝ってほしいわけでもありません。いつ帰ってくるのですか?』
「……すげぇ怒ってる」
「いやいや、カオルくん、これは……」
「返信しなきゃ……」
怒ってるわけじゃないと思うよとモカが言う前にカオルは再びメールを打ち出した。その後もメールを送るたびに即座に返信が来るので十分ほど経過した頃には、カオルは笑顔になっていた。
「モカさん、チノがなんでも言うことを一つ聞くことで許してくれるって!」
「よかったね、カオルくん!」
モカはカオルを見ながら考えていた。カオルの容姿は年齢よりも若く見える。十代後半、二十代前半といっても、誰も疑わないだろう。今のように子どものようなところもあれば、昨日のように大人のような部分もある。不思議な人だと。
「そうだせっかくの機会だし、お互い妹のことを話さないか?」
「ふふっ、私にココアのことを話させると長いよ?」
「望むところだ。俺も、チノの話は長くなるぞ?」
「ココアはね? 私と二人の兄をもつ末っ子で、小さい頃から---------」
「昔は、よく家出をする子で、といっても五時には帰ってくるのだけれど----------」
「その時私は思ったの。いつまでもあの子は子どもじゃないって----------」
「チノが小さい頃はよく俺の後ろをついて歩いてきてな----------」
「一度、コーヒーに砂糖もミルクも何も入れずにブラックで飲んだ時なんかは----------」
といった具合に、お互いの妹についてその生い立ちから今に至るまでを熱く語り合い、お互いが全てを話し終える頃には普段は寝ている時間になっていた。
「……っと、もうこんな時間か」
「あれ? 本当だ……」
「しかし、モカさんは本当にいいお姉ちゃんだな」
「カオルくんこそ、いいお兄ちゃんだと思うけどな、私」
「そうか? 年上の俺でもモカさんは時々、姉みたいだなと思うぞ?」
「私だって、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなって、最近はよく思うけどなぁ……」
「「…………」」
少しの間のあと二人は同時に相手のこと呼んだ。
「カオルお兄ちゃん」「モカ姉さん」
「「……(は、恥ずかしい!?)」」
お互いを兄、姉と呼び、二人は少し顔を赤くさせた。そのまま、何も言えずに黙ってしまう。
「あー……うん、あれだ、姉がいないから、姉さんと呼ぶのは不思議な感覚だった」
「私も、弟二人に妹一人だから……その、不思議な感覚……」
恥ずかしさのあまりお互いの顔を見れなくなる二人。そして同時に同じことを考えてしまう。こうなったら、逆に押してみよう、と。
「「お姉ちゃん(お兄ちゃん)に甘えていいよ(いいぞ)?」」
「「…………」」
再び声が重なり恐る恐ると相手の顔を見る。お互いに同じ行動をしてしまったため、バッチリと目が合い、その顔はどんどんと赤みを増していく。
「あ、あはは……な、何言ってるんだろうな!」
「そ、そうだね、ほんとだね!」
それ以降、お互いに何も言えなくなり、部屋には時計の針が動く音だけが聞こえる。時が止まっているのではないか、そうカオルが考えていると、モカはカオルへと近づき、体重を預けた。
「も、モカさん!?」
「あ、甘えて、いいんでしょ……?」
「そ、それは言ったけど、なんというか、その……い、一度離れて……」
カオルは照れや、戸惑いが混ざり合った複雑な感情からモカを離そうとするが、モカはカオルの背中へと手を回し、しっかりと抱きついた。
「あ、あの、今は、顔見ないで……きっと、すごく真っ赤で、見せられないような表情してるから……」
「ええっと、その、それはどういう……」
「恥ずかしくておかしくなりそうなの!」
「この状況の方が恥ずかしくておかしいのでは!?」
「お互いに顔が見えないからいいの! 絶対に離れないから!」
「なに、その理論!?」
モカの行動に驚きの声を上げるカオルだが、その顔はこれ以上ないほどに、耳まで赤く染まっていた。そのまま五分、十分と経過したあたりで、カオルのスマートフォンからクラシックの音楽が流れ出す。
「で、電話だ!」
「う、うん!」
モカはカオルからサッと離れ、カオルに背を向ける。高鳴る心臓を感じながら、カオルは画面も見ずに応答ボタンをおして、スマートフォンを耳に当てた。
「カオルお兄ちゃん! チノちゃんだけにメールするなんてずるいよ! 私だって待ってたんだからね!」
「こ、ココア!?」
「えっ! ココアから電話!?」
スマートフォンからはカオルの聞き覚えのある、ココアの声が流れてくる。思わずカオルは名前を呼び、モカもそれに反応した。
「あれ? お姉ちゃんの声が聞こえる……お姉ちゃんー!」
「ココア! か、カオルくん、電話貸して?」
「ああ、いいぞ、積もる話もあるだろう」
「ありがとう! もしもし、ココア? ……ココア? あ、あれ?」
「ん? ちょっと貸してみろ。 ……切れてるな」
「えぇーーーーーっ!?」
カオルから受け取った際に、モカは通話終了ボタンを押していたらしい。再びかかってきては切るを繰り返すので、最終的にはカオルがスマートフォンを持ち、モカの耳に当てるというなんともおかしな状態での通話となった。
「あのね、あのね、私ね、こっちでもちゃんと働いてて----------」
「うん、うん……」
「(ほかのやつにも、メールしといたほうが良さそうだな……)」
姉妹の話は極力聞かないようにと意識しながら、そんなことをカオルは考えていた。モカとココアの電話は一時まで続き、その後、カオルもココアと話したあとに、ほかの人にメールを送った。中にはリゼのような返信をして来る人もおり、結局カオルは一睡もすることなく早朝のパンを焼く時間を迎える事となった。
その日は仕事が終わるとすぐに寝てしまうのであった。
ティッピー「今日は心なしか、皆、調子が良さそうじゃた」
タカヒロ「カオルからメールが来たらしいな。今朝、チノが嬉しそうに話していた」
ティッピー「そういう息子は相変わらずじゃの」
タカヒロ「俺には連絡が来なかった……」
ティッピー「…………」
タカヒロ「来なかったんだ……っ!」
ティッピー「何も泣かんでも……」