ラビットハウスのパティシエさん   作:森フォレスト

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パン屋さんは大忙し

 時刻は八時ちょっと前、朝に並べる最後のパンが焼き上がり、カオルはモカから手渡されたパンを並べていた。

 

「……腹が減るな、これは」

 

「朝ごはん食べてないからなおさらでしょ?」

 

「……お腹がならないか心配だよ。時間があればなんか食べたんだけど、次から次へと焼かなきゃいけなかったし……」

 

「そんな、カオルくんに食パンのおすそ分け! パンの基本は食パンからだよ! カオルくん!」

 

 そう言い切った食パンをカオルに手渡すモカ。モカがこんなにも表情豊かな人物だということを昨日までなら知る由もなかったなと思いながら、カオルは手渡された食パンを受け取る。

 

「それにしても、朝から忙しいな……」

 

 食パンをかじりながらカオルは朝からの作業を思い出していた。モカの母親が書いたと思われるメモの指示にしたがいオーブンの操作をし、釜を使って焼く際にはモカに教わりながら二人でパンを焼いた。釜の熱気で厨房は蒸し暑くなり、二人は汗をかきながらようやくすべての工程を終わらせ、パンを販売する用意を整えたのであった。カオルがパティシエをやっていたときは朝から晩まで厨房に立ちっぱなしであったが、それとは違う辛さがあった。

 

「ふっ、ふっ、ふっ……カオルくん。忙しいのはここからだよ? お店が開店すると、私たちは接客、お母さんが厨房でパンを焼くの」

 

「接客でいいのか? 」

 

「うん。午前中の売れ行きを確認しながら……だいたい、10時くらいかな? その頃になるとお母さんが追加のパンを焼くの」

 

「ハードだな……」

 

「パン屋は体力勝負! 頑張ろうね、カオルくん!」

 

「任せてくれ。やれることは全部やる」

 

 モカの笑顔にカオルも自然と微笑み、そう言った。ベーカリー保登では朝と昼の二回に向けてパンを焼く。前日に焼く生地を作り、朝の売れ行きから、昼に追加するパンの種類と量を判断している。多大な売れ残りはそのまま不利益に直結し、個人経営ともなればそれが続くと、店への打撃はそこそこ大きい。

 

「うん! それじゃあ開店だよ! カオルくん、外のプレートをopenに変えてきてくれるかな?」

 

「わかった」

 

 カオルが言われるまま店の外に出ると、すでにお客が何人か並んでいた。

 

「(……すごい人気なんだな)」

 

 その様子に驚きながらも、カオルは言われた通りに『close』となっている札を裏返し、『open』に変える。すると、並んでいたお客がカオルに話しかけてくる。

 

「始めてみる人ね……新人さん?」

 

「あー……はい、そうですね。少しの間ですが、ここで働かせてもらうことになってます」

 

「そうなの……大変だと思うけど、頑張ってね?」

 

「ありがとうございます」

 

 これだけの会話だけであったが、カオルは、如何にこの『ベーカリー保登』がお客に愛されているかを感じた。

 

「(常連の人かな……? 普通は、店員が増えても話しかけようなんて思わないよな……それだけ、お客に愛されているってことか……)」

 

 カオルは気合いを入れ直し、お客で賑わう店内に入っていった。

 

 

 

 カオルが想像していた以上にパン屋の仕事は忙しかった。お客が選んだパンの値段を即座にモカが判断し、カオルに伝えながら一つずつ袋に詰めていく、それをカオルがレジに打ち込み、全てのパンが袋に詰められると同時に値段の合計がでる。それを伝えお金を受け取り、お釣りとレシートを渡し、商品をお客に渡すという一連の流れを何度も繰り返した。二人体制になり、回転率が上がっているにも関わらず、開店から昼にかけてほとんどお客は途切れることがなく、朝に置いたパンはほとんどが売れていた。

 

「……短時間にこれだけのお金がレジに詰まると、なんかすごく稼いだ気分になるな」

 

「それ、私も思ったことあるなぁ」

 

「パンもほとんどが残ってない……」

 

「この時間が休憩時間なの」

 

 カオルが時計を確認すると、針は10時を回ったところだった。開店から二時間で八割のパンが売れていた。

 

「せわしく働いていると、時間がたつのはあっという間だな……」

 

「休み時間もあっという間だよ? これ、私が余分に焼いたパンなんだけど、よかったら……」

 

「ありがとう、モカさん」

 

「う、うん!」

 

 モカから手渡された袋に入ったパンを受け取り、カオルはお礼を言う。交代で居間でお昼を食べ、二人が店内に戻ると11時になっていた。

 

「パンが焼けたわよ~」

 

「うん、並べるね、お母さん」

 

「俺はレジを……」

 

 モカの母親が厨房からパンを渡しに店内に入ってくる。それをモカが受け取り並べていく。

 

「モカと仲良くなれたみたいで、お母さん嬉しいわ」

 

「お母さんからアドバイスをいただけたからです」

 

「私はカオルくんと仲良くなりたかっただけよ? だから、パンの仕込みに誘ったの」

 

「……ありがとうございます」

 

 ニコニコと笑うモカの母親。彼女の存在なくして、今のモカとの関係はないだろうと、カオルは心からお礼を言った。

 

「カオルくん、そっちのパン並べて!」

 

「わかった」

 

 お客がいなくなったことを確認して、カオルはモカを手伝いに向かった。パンを並べ終わると、再びちらほらとお客が目立つようになりお昼のピークになると、開店直後以上の賑わいを見せた。昼の入店ラッシュを捌ききり、昼過ぎにようやく落ち着き、それ以降はお客もあまり来なくなった。

 

「乗り切った……」

 

「お疲れ様! カオルくん!」

 

「カオルくんは、レジ打ちが早くて助かっちゃうわ~」

 

「レジ打ちは毎日してますからね」

 

 早朝の三時から作業をしていたカオルは労働時間が十時間を越えていた。また、そのほとんどは休みなく動いている。流石に疲労の色が見えはじめていた。

 

「よし、じゃあお姉さんが気分転換につれてってあげる!」

 

「……はい?」

 

「ふふっ……」

 

 突然立ち上がり、モカはカオルにそう宣言した。カオルはここに来て何度目かになる、疑問の声をあげた。そんな二人を見てモカの母親は優しく微笑んだ。

 

 

 

「嘘つき! モカさんの嘘つき!」

 

「えー? ツーリングだよ?」

 

「配達だろ?」

 

「気分転換ができて、お仕事もできる。最高でしょ?」

 

「仕事が絡むと気分転換にはならないだろ……」

 

 モカの運転するスクーターに二人で乗り、街の方へと配達に向かう。配達は街に住んでいれば無料で訪問販売を行うというものだ。一度注文すると配達に来た際に、次の注文をすることもできる。

 

「……これだと注文する人、どんどん増えていかないか?」

 

「んー……毎日買う人はそんなにいないからね。だいたい、一日に五件くらいで、それがずっと続く感じかな?」

 

「根強い人気だな……」

 

「あっ、ちゃんと掴まっててね? 危ないから……」

 

「あ、あぁ……」

 

 カオルはモカのお腹の辺りへと腕をまわし、スクーターから落ちないように掴まる。なんとも言えない恥ずかしさを感じるカオルを知ってか知らずか、モカは上機嫌でスクーターを走らせた。

 

 

 

「……これ、サボりじゃないのか?」

 

「いーの、いーの、気分転換だからね!」

 

 配達を終わらせた二人はモカの「ちょっとお茶していかない?」という提案でカフェで紅茶を飲んでいた。

 

「……美味しいな」

 

「アフタヌーンティーだね! スコーンとか食べたくなっちゃう。今度作ろうかな……」

 

「……ジャムは多めに用意しなきゃな。あと、アフタヌーンティーというには少し早いぞ」

 

「? カオルくん、ココアみたいなこと言うのね」

 

「ココアがアフタヌーンティー……想像でき……すぎるな、なんにもわかってなさそうだけど」

 

「同意だけど、そっちじゃなくてスコーンの方! ココアもジャムをいっぱいつけて食べてたの……懐かしいなぁ……」

 

「ははっ……(前にココアがすごい味だっていってたからな)」

 

 他愛ない話をしながら、飲む紅茶はカオルに染み渡った。モカもどこか楽しそうだ。

 

「こんなにのんびりしてていいのか?」

 

「うん、後は残ったパンが売れるのを待つだけだから。売れなくても五時には閉めて明日の仕込み……なんだけどいつも三時には閉めちゃうの。嬉しいことに、二つとかしか余らないから……」

 

「仕込みはお母さんの仕事か?」

 

「そうなの、前日に明日の仕込みをするのがお母さんの仕事、朝に早起きして焼くのが私の仕事!」

 

「朝っていうか深夜だよな。母親思いなんだな」

 

「お母さんの負担を減らしたいって思いもあるんだけどね? ……実は機械が苦手で……あの、発酵させる機械がよくわからなくて……」

 

「パン職人としてどうなんだ、それは」

 

「ま、前にね! 携帯をココアと一緒に買ったんだけどね、よくわからなくて……ココアとも手紙でやり取りしているの。それくらいに機械が苦手で……」

 

「あぁ……なるほど」

 

「ぶ、分担はしているけれど、やろうと思えば仕事はちゃんと全部できるよ?」

 

「わかってる」

 

「う、うん……」

 

 焦りながら弁明するモカにカオルは思わず微笑んだ。モカは照れくさそうに紅茶に口をつける。

 

「そういうわけで、夕飯の用意は基本的には私です。ここでカオルくんに質問! 夕飯、何が食べたいかな?」

 

「ん……そうだな……ハンバーグが食べたい」

 

「よーし、お姉ちゃんに任せなさい!」

 

「……それ、気に入ってるのか?」

 

「ち、小さいときからの癖みたいなものなの! へ、変かな……?」

 

「ちょっとドキドキした。姉がいたらこんな感じなのかなーって」

 

「う、うぅ……嬉しいけど、ちょっと残念なような……なんか複雑かも……」

 

「?」

 

 コロコロと表情を変えるモカを見ながらカオルは不思議そうに首をかしげた。その日の夕食はモカの手作りハンバーグだった。食事中、ココアも好きだったと楽しそうにモカは話すのだった。




ティッピー「息子よ」

タカヒロ「何だ、親父」

ティッピー「いつまで同じグラスを拭いとるつもりじゃ?」

タカヒロ「……考え事をしていた」

ティッピー「チノもココアも今日も心ここにあらずといった感じじゃった。リゼもどこか寂しげじゃし……」

タカヒロ「いままでおかえりと迎えてくれていた人がいなくなったんだ。気にするなという方が無理だろ」

ティッピー「かくいうワシも、少し寂しい」

タカヒロ「親父……」

ティッピー「早く帰ってくるといいのう」

タカヒロ「そうだな……」

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