ラビットハウスのパティシエさん   作:森フォレスト

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お姉ちゃんの思惑

「これは、すごいな……」

 

 こちらに滞在する間はここを使ってとカオルがモカの母親に案内された二階の部屋はココアの兄二人が使っていた二人部屋だった。部屋の真ん中に線を引いていたのではないかと言うほどに、それぞれのものが左右でキレイに別れていた。右は法律関係のものが、左は科学系統の参考書やそれに準ずるものが目立つ。また、そのいずれもが専門的なものが多く、基礎的なものは少ない。カオルには理解ができそうになかった。

 

「優秀なんだな、ココアのお兄さんたちは……前にココアが楽しそうに話していたのを思い出すな……ほとんどは姉のモカさんの話だったけど……」

 

 カオルは苦笑いをしながら、楽しそうに家族について話すココアを思い出していた。それと同時に、自分はチノにとって誇れる兄なのか、どんな兄なのかと考えた。しかし、その思考は部屋をノックする音で打ち切られる。

 

「香風さん、荷物の整理はおわった?」

 

「ええ、保登さん。今しがたおわったところだ」

 

 初対面の際、「よろしくモカさん」と手を差し出したカオルだったが、モカは苦しそうな表情をしたあとに、それを隠すように90度でお辞儀をしたのだ。「よろしく、香風さん」と。そして、カオルは思い至った。モカの母親に望まれて来たとはいえ、ココアの姉であるモカには歓迎はされていないのだと。それでも敬語は使わず、相手に不快な思いをさせないようにと畏まったお辞儀をすることで表情を隠したりと、モカの根の人のよさを感じ取ったカオルは、「こちらこそよろしく、保登さん」と優しく微笑んだのだった。それから一時間、モカはカオルのいる部屋を訪れた。

 

「お母さんが話があるからあなたを呼んできてって私に……」

 

「わかった。すぐに行くよ。伝えてくれてありがとう」

 

「あっ……」

 

 モカにお礼を言い、カオルは一階へと降りていく。その後ろ姿をモカは複雑な気持ちで見送った。

 

「むむむ……」

 

 モカは悩んでいた。その一端はココアの手紙にあった。ココアと手紙をやり取りしているモカはココアから送られて来た『新しいお兄ちゃんができたよ!』という手紙で、カオルの存在を知っていた。

 

「(妹のチノちゃんはいいわ……でも、兄! ココアがカオルお兄ちゃんと呼ぶほどになついている……私のココアが……それにあの男、ココアを狙っているだけかもしれないわ!)」

 

 早い話がモカはカオルに嫉妬していた。それと同時にココアの心配もしていた。姉として、いや家族として、その心配は当然だろう。大切な妹の近くにいきなり知らない男が現れたのだ。心配しない方がおかしい。

 

「(でも、あの態度……)」

 

 それ故に、初対面でのあの対応だったのだが、カオルは嫌そうな顔一つせず、微笑んだ。その事がモカの頭の片隅に引っ掛かっていた。いっそ、あれで嫌われていればどんなに楽だったか……と考え頭を振ってその考えを外へと追い出す。

 

「(ココアが懐いているのなら、悪人ではないのかもしれないけれど……あの子、人を見る目はあるから……でも、万が一もありえる。私が見極めないと……それには、あまり親しくなっちゃダメよ、モカ! 嫌われるくらいの心構えで事務的にいかなきゃ! でも、やっぱり……)」

 

 自分から嫌われにいくような人間関係は少し寂しい。そう、モカは感じていた。

 

 

 

「お話ってなんですか?」

 

「はい、これから明日のパンの仕込みをします!」

 

「……はい?」

 

「明日のパンの仕込みです!」

 

 呼ばれて、モカの母親のところへとやって来たカオルは唐突な宣言によくわからないと言う表情をする。そんなカオルにモカの母親は同じことを二回言った。カオルは何か意味があるのだろうと納得した。

 

「見せてもらっていいんですか?」

 

「もちろんよ!」

 

「では……」

 

 二人で厨房に入ると、まずカオルの目についたのは大きな窯だ。そして離れた位置にオーブンがおいてある。

 

「焼くときは、この窯とオーブンを使うの。今するのは、明日のパンの仕込み……生地の用意よ。明日の朝は今作る生地を型に入れて焼くの」

 

「なるほど」

 

「まずは材料を……」

 

 モカの母親は小麦粉、ドライイースト、食塩、砂糖、スキムミルク、油脂などの材料をどんどんとテーブルの上にあげていく。

 

「じゃあ、作っていきましょう~」

 

 小麦粉をふるいにかけドライイーストを加え、水と食塩、砂糖を加え、混ぜて、ある程度まとまりになると捏ねていく。この作業を15分ほどこなすと、生地が滑らかになっていく。この段階で生地全体に刷り込むように油脂を塗り、艶のあるしなやかな生地になった辺りで、モカの母親は手を止めた。

 

「生地の完成!」

 

「なんか、あっという間ですね……」

 

「数えきれないほどやって来た作業だもの。さて、発酵させましょう」

 

「発酵……」

 

「昔はこれも全部自分でやっていたのだけれど、今はこの子のおかげでやることがなくなっちゃった。たまには自分でもやるけどね」

 

 そう言い、モカの母親は大きな縦長の機械の前へと移動する。カオルもそれに続いた。

 

「なんですか、これ?」

 

「ドウコンディショナーよ。発酵はこの子が全部やってくれるわ」

 

 機械を手早く操作するモカの母親にを見て、カオルは技術の進歩は著しいと実感した。

 

「こんな感じね。あとは……明日の朝!」

 

「なるほど……生地作りだけでも素人には難しそうですね」

 

「ふふっ。見ていてどうだったかしら?」

 

「大変そうでした。でも、どんなことをやっているのか知れたことは大きいですね。少しですけど、近くに感じることができました」

 

「うん……カオルくん、私はね、仲良くなるには、その相手のことをよく知ることからはじまると思うの」

 

「……それは」

 

「ふふっ……頑張ってね」

 

 どういうことですかと聞こうとするカオルから背を向け、モカの母親は厨房を出ていってしまった。

 

「……そういえば、パティシエになったときは同期みんなとお菓子っていう共通の話題があったよな。保登さんとは……そういう話す話題がないな。あと、なにも知らないぞ、彼女のこと。そもそもとりつく島もない感じだし……パン作りか……」

 

 先ほどの生地作りを最初から思い出しながら、カオルは街へと向かった。必要なものを買い揃え、帰ってくる頃にはすっかりと日がくれていた。夕飯にはモカの母親の手料理に舌鼓を打ち、一番最後にお風呂に入ると、疲労からか、カオルは寝てしまった。こうして一日目は終わった。この日、モカとカオルが話すことはほとんどなかった。

 

 

 

 朝と呼ぶには早すぎる深夜三時、カオルは厨房に立っていた。事前にモカの母親からは許可をもらい、道具を使わせてもらう許可をとっていた。

 

「懐かしいな……こんな時間に起きたのは都会でパティシエやってたとき以来だ」

 

 てきぱきと用意をしながら、昨日買ってきた材料をテーブルの上へとあげていく。

 

「えぇーっと……小麦粉をふるいにかけて……」

 

 昨日の生地作りの工程を思い出しながら進めていく。何度か詰まり、思い通りに進まないがなんとか生地を作り上げることに成功する。

 

「……見てるだけじゃその難しさは、なんにもわからないな。捏ねれる段階までもってくだけでも地味にきついかった……たしか、滑らかな生地になったら、油脂を塗るんだっけ……」

 

「あっ、そんなに一気に入れたら!」

 

「え?」

 

「あっ!」

 

 カオルの後ろから声がする。何事かとカオルが振り返ると、モカが自分の口を手でおさえていた。

 

「……えぇーっと、おはよう。保登さん」

 

「お、おはよう……」

 

 そのまま二人は押し黙ってしまい、沈黙が訪れる。カオルが時計を確認すると時計の針は四時を指し示していた。

 

「……起きるの早いな、保登さん」

 

「パンを焼かなきゃいけないから……」

 

「そっか……」

 

「うん……」

 

 再び押し黙る二人。なんとも気まずい空気が流れていた。

 

「あ、あの、香風さんはこんな時間からなにをしてるの?」

 

「あー……その、パンの生地を作ってたんだよ。安心してくれ。材料は自分で買ったものだから」

 

「……なんでそんなことをするの? こう言ったらキツイ言い方かもしれないけど、香風さんには関係ないよね?」

 

「うん、だからかな」

 

「えっ……?」

 

 カオルの返しは予想していなかったのか、モカの表情が驚きに染まる。

 

「もっと、知りたいと思ったんだ。保登さんのこと。そのためには、自分でパンの生地を作って、焼いてみたらなにかわかるかなって。保登さんが毎日やっていることが、自分にとって関係ない他人事のままだと、保登さんを何も理解できないと思ったんだ」

 

「……その為だけにこんな時間から?」

 

「うん。一度見せてもらって、手順なんかも覚えてはいたんだけどな。自分でやったら難しいのなんのって……やっぱり、簡単なことじゃないな。身をもって知ったよ」

 

「…………」

 

「あー、その、気持ち悪かったら、そういってくれ。そうしたら、言われたことだけやりながら、ここに来た本来の目的を果たすからさ」

 

「…………」

 

「あの、保登さん……?」

 

 俯き、押し黙るモカにカオルは恐る恐るといった感じで呼びかける。誰だって拒絶されるのは怖いし、辛い。そしてカオルは、そうなると予想していた。

 

「……ご、ごめんなさい!」

 

「……へっ? え、いや、どういうことだ……?」

 

 しかし、そのカオルの予想は外れた。出会ったときとは意味の違う、きれいな90度のお辞儀でモカはカオルに謝った。予想していなかったモカの行動にカオルは戸惑いの声をあげた。

 

「その……香風さん……いえ、カオルくんに私……私、嫉妬していたの!」

 

「な、なんで嫉妬……?」

 

「ココアをとられた気がして……子どもっぽいよね、私……」

 

「い、いや……ごめん、ちょっと頭が追い付いてない」

 

「最初は、どこの誰かも分からない男の人がココアの近くに現れて、気が気じゃなかった……」

 

「それは、うん。家族なら当然だと思う」

 

「でも、そんな人がうちに来ることになって……ココアのためにも、私が見極めないとって思って……」

 

「あ、あぁ……」

 

「だから、あんまり親しくならないように接して、その上で、どんな人か観察しようとしてたの」

 

「……どうだった?」

 

「カオルくんを見てると、ココアとカオルくんが仲良くしているイメージが頭の中にちらついちゃって……ほとんど観察ができなくて……つい、態度も……」

 

「ココアのことが大好きなんだな」

 

「もちろん! でも、ココアのためって言いながら私、嫉妬して、見極めるどころかカオルくんを理解しようともしていなかった……私、最低だよ……」

 

「……その、俺も似たような経験があるよ」

 

「……カオルくんも?」

 

 自己嫌悪で今にも泣き出しそうなモカに恥ずかしそうにカオルが言う。

 

「都会から帰ってきたら、妹のチノがすごく楽しそうだったんだ。周りに人も増えて、友達もいて……全部、ココアのお陰だと気がつくのに時間はかからなかった。近くでココアを見ることができていたから、すんなりと受け止めて、ココアに感謝することができた。だけどもし、メールや手紙なんかで、チノや親父からその事だけを聞いていたのなら、やっぱり嫉妬して、モヤモヤを抱えることになっていたと思う。近くで見てても少し、寂しかったからな……」

 

「カオルくん……」

 

「まあ、だから、その……気にするな! そんなことは誰でも思うし、考えることだ! ……と、思う」

 

「ふふっ、カオルくんは、優しいね」

 

「そんなことは……」

 

 目尻の涙を指で拭き取りながら、モカは微笑む。カオルは笑ったモカを初めて見たこともあり、頬を少し赤らめた。

 

「(笑うと……こんなに良い表情になるんだな……)」

 

「よしっ! 湿っぽいのは終わり! カオルくん、パンを焼こう!」

 

「俺は焼くところは見たことないぞ?」

 

「もちろん優しく教えるよ? お姉ちゃんに任せなさい!」

 

 腕捲りをしながら、気合いをいれて見せるモカ。あのままなにもしていなければ、こんなに表情も、ポーズも見ることはなかったんだなと思いながら、カオルは小さく笑った。

 

「お手柔らかに……その、改めてよろしく。保登さん」

 

「むー……」

 

「えっと……嫌だったか……?」

 

 よろしくと再び手を差し出すカオルの手を取らず、モカは頬を膨らませた。その様子にいきなり過ぎたかとカオル自分を責めた。

 

「モカって……よんで?」

 

「……っ! その、不意打ちは卑怯だ……」

 

「ふふっ、よろしくね、カオルくん!」

 

「……あぁ、こちらこそよろしく。モカさん」

 

 こうして二人は出会って初めての握手を交わしたのであった。




モカ「ところでカオルくん、発酵のさせ方って知ってる?」

カオル「? ……あの機械に入れればすぐなんじゃないのか?」

モカ「あの機械、今使ってるから……」

カオル「ということは……」

モカ「今から休みなく焼かなきゃいけないし、発酵を見る余裕がないから、この生地を直ぐに焼くのは無理かな」

カオル「……やっちまった」

モカ「ふふっ」

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