平日の夕方ごろ、ラビットハウスはいつものように営業していた。
「みてみて、チノちゃん! ラテアートでチノちゃんを描いたよ!」
「……そこそこですね」
「手厳しい!」
店内にはお客がおらず、チノとココアがじゃれている。その様子をリゼとカオルは眺めていた。
「ホントにあの二人は仲がいいよな」
「リゼは混ざらないのか?」
「ぐっ……私はいいよ……」
「素直じゃないな」
「す、素直とか素直じゃないとか、そういうことではないだろ」
カオルの言葉にリゼは顔を赤くしながらそっぽを向く。その視線はチノとココアに注がれている。
「……どうだ? ラテアートを描いてみた」
「……カオルも最近、サボることが多くなってきてないか?」
「余裕ができたといってほしいな」
「確かに、ほとんどの作業を一人でやるようになったよな。その……頼られなくなって、少しさみしい……かも……なんて」
「……リゼ、不意打ちは卑怯だ」
「なんのことだ!?」
最後の方は消えかけるような声でリゼは言う。不意なリゼの言動にカオルの心臓が大きくはねた。そんなゆったりとした時間が流れ、そろそろ店を閉めようかというころ、喫茶店の扉が開かれた。
「たのもーーーっ!」
「テンションが高い!」
千夜に肩をかりながら、やけに大きく張り上げた声を上げてシャロが入店した。そのいつものシャロならば考えられない行動にココアが空かさず反応をしめす。
「どうしたの? シャロちゃん」
「わぁたーしは、ぜんっぜん! ふつう、よ!」
「どこが普通なのかな!?」
「これは、シャロさん。コーヒーを飲んでますね……」
呂律のまわらないシャロをココアが席に案内し、チノが冷静に分析をする。
「で、千夜。シャロになにがあったんだ?」
「恥ずかしさに耐えられないって言うから……ヤケコーヒー巡りを勧めてみたの。今三軒目」
「もっと違うものを勧めろ」
リゼは千夜に何があったのかと尋ねる。この日の前日に、シャロはチノ、ココア、リゼに自分が千夜の家の隣の物置に住んでいるということがばれてしまい、一日が経過してもその恥ずかしさに耐えれず、シャロは千夜に相談したのだ。千夜はいっそコーヒーを飲んで忘れてはどうかと提案し、とりあえず目前の事実から逃げたいシャロはそれを承諾してしまった。
「でも見て、あの晴れやかな笑顔」
「んん……?」
千夜に促されるまま、リゼはシャロの方を見る。
「ココアーパンおいしかったーありがとっ!」
「えーっ! ホントに? また作るね!」
「わーい、うれしいー」
「わわっ!」
ココアと手を合わせ、満面の笑顔ではしゃくシャロ。最後にはココアに抱きついていた。
「ね?」
「カフェインでおかしくなってる顔だぞ」
千夜は笑顔で首をかしげながらリゼに同意を求めるが、リゼはそれを否定した。
「シャロさん……コーヒーが好きになってくれて嬉しいです」
「「ちょっと違うと思う」」
そんなシャロを見て、チノは目を輝かせ安堵のためいきをつく。リゼとカオルは声を重ねて否定した。
「そもそも何があってあんなになるまで飲んだんだ?」
「シャロさん、慎ましやかなお家に住んでいらしたのですが……私たちがそれを目撃してしまって……」
「……シャロにお嬢様なイメージ押し付けてたからな」
「「うぐっ!」」
申し訳なさそうに話すチノの話を聞き、カオルは苦笑いを浮かべ言う。その言葉にチノとリゼは気まずそうな顔をした。
「カオルひゃん! キリマンジャロ、おかわりくらさい!」
「……コーヒーも飲みすぎると体に毒だ。ほどほどにしたほうがいいぞ?」
トコトコとカウンターまでやって来て、シャロはカオルにカップをつきだす。シャロの体調を気にして、カオルはほどほどにするようにたしなめるが、シャロはうつむいてしまう。
「う、うぅ……カオルひゃんは、私のことが嫌いなんでしゅね!」
「い、いや、そうじゃなくてだな……」
「う、うわぁぁあああん!!」
「あ、いや、しゃ、シャロちゃん! 落ち着いて、シャロちゃん! り、リゼ! 助けてくれ! リゼ!」
唐突に泣き出すシャロに戸惑い、カオルはリゼに助けを求める。
「あれは、完全に酔っぱらいのそれだな……」
「すさまじいです……!」
そんなカオルの求めは見事にスルーされたのであった。
「シャロちゃんいい子、いい子ー」
「シャロちゃん、いい子~」
泣きはらすシャロをココアと千夜が30分ほどかけて宥めて落ち着かせると、シャロは心地のよい寝息をたて始める。
「嵐のような出来事だったな……」
「でも、なかなか見れないシャロちゃんが見れて、ちょっと嬉しい!」
「ココアちゃんもそう思う?」
「うん!」
「二人はたくましいな……」
満面の笑顔で笑いあう二人にカオルは疲れたようにそう言った。
「あ、そうだわ。迷惑をかけちゃったお礼に、明日映画を見に行かないかしら?」
「映画、ですか?」
「そうなの、うちの常連さんから貰い物だけどっていただいたの。じゃーん、今話題の『うさぎになったバリスタ』よ」
「おぉー! 私、映画って憧れてたんだ!」
「私、小説なら読んだよ!」
「私もです」
「(翠さんの……) 是非ともご一緒させてもらいたいな。明日も仕事だが、早めに切り上げさせてもらうよ」
「決まりねっ! 嬉しいわ~ これ、チケットね」
全員で明日の学校終わりに集まり、映画を見る約束をしてその日は解散となった。コーヒーで酔いつぶれたシャロはカオルがおんぶして家まで送り届け、それを聞いたシャロはまた恥ずかしさのあまりにコーヒーを口にするのだった。
「で、そろそろ映画の時間だが……」
「見事なまでに雨じゃの」
次の日はあいにくの雨模様だった。ラビットハウスから外を覗くと雨が石畳の道を強く打ち付けていた。
「時間的に全員に傘を届けるわけにもいかないな。チノに傘を届けるか」
「チノだけならば、ワシが届けることもできるが?」
「めだってしょうがないだろう。たまには俺の頭に乗ってろ、じいさん」
「ふむ……いつもより高い景色を見るのも悪くはないか」
「タオルくらいは持っていくか」
カオルは手早く用意を済ませ、頭にティッピーをのせると、折り畳んだ傘を片手に傘をさし雨が降る中、チノの中学校を目指した。
中学校につくと、ちょうど下校時間のようで、ぞろぞろと人が校門から出ていく。その様子を見ながらカオルはチノを探した。
「あれ、お兄ちゃん。迎えに来てくれたのですか?」
「おう、傘もってなかったろ?」
「はい……ありがとうございます」
「あれ? カオル兄じゃん」
「こんにちは~ カオルさん」
チノがカオルに気づき、カオルは傘とティッピーを手渡した。すると奥からマヤとメグもやって来て挨拶をする。
「おう、こんにちは。これから帰りか?」
「チノが映画見に行くっていうから、帰りにメグとどっかいこうかなーって」
「よ、寄り道はしないよ!?」
「ちぇー」
「仲が良さそうで何よりだ」
そんな二人を見てカオルは微笑んだ。そのまま二人とは別れ、チノとカオルは映画館を目指した。
「楽しみです」
「そうだな。一時間半という短い時間でどこまでまとめることができるのか……」
「私は、ジャズでお店を盛り上げる主人公の息子さんの子どもが気になります!」
「えぇ!? あの生意気な高校生?」
「でも、最後はおとうさんと一緒にジャズで盛り上げてくれますし。なにより、昔のお兄ちゃんと少し似ていて、好きなキャラクターなんです」
「俺は同じ理由で嫌いだ……」
「(モデルが昔のカオルじゃからな。青山のやつ、よく特徴をつかんでおったわ)」
二人が映画館につくと、すでに他のメンバーは到着していた。その頃には雨は止んでいたが、みんな衣服は雨に濡れていた。
「いやあーすごい雨だったね!」
「私もシャロも傘を持ってなくてな。走ってここまで来たんだ。天気予報もあてにならないな」
「私は、お兄ちゃんとティッピーが傘を持ってきてくれたので……」
「いいなーいいなーカオルお兄ちゃん、私には持ってきてくれなかったなー悲しい……」
「さすがに二人に届けるのは無理だ。ほら、代わりといってはなんだがタオルだ」
カオルは全員にタオルを渡し、ココアには自分が来ていた上着をかけた。
「おぉ?」
「他のみんなより濡れてるからな。寒いだろう? それ、着とけ。あと……下着が透けてる」
最後の方はココアの耳元で囁くように言い、カオルはココアから照れくさそうに離れた。
「……あぅ」
「……なんか、青春してるわね」
「昨日のことが恥ずかしくて、カオルさんの顔を見れないシャロちゃんも、青春してるわよ?」
「う、うるさいわね!」
映画館内に入ると、ポップコーンの匂いがただよってくる。
「この匂い、映画館って感じがするわよね~」
「私の家のシアタールームは火薬のにおいがするぞ?」
「つっこみどころしかない発言だな、リゼ」
「私、ポップコーン買ってくるね!」
「ついていきます」
「ホットドッグ……お腹はすいているけれど……うぅーん……」
わいわいと上映時間まで過ごしながら、一同は期待に胸をふくらます。入場し、席に座り、いよいよ上映が開始されると、開始五分でココアとチノが泣き出した。
『どうしてこんなになるまで焙煎したんだ!?』
『うさぎにコーヒーをいれることなど無理なんだ!』
「(……ほう、最初からなかなか攻めてくるな)」
映画が中盤に差し掛かると、カオルも涙腺が緩くなっていた。
『あんたはいつもじいさんばかりだ! 俺も見ろよ!?』
『……お前にそんな思いをさせていたなんて……お父さん、失格だ……』
「(何でかわからんが、主人公の息子の子どもの心が手に取るようにわかるぞ……そうだよな、そうだよな……)」
その後も二転三転と表情を変えながら映画を観賞し、ロビーに戻ると、カオルとチノはパンフレットを購入した。
「「見てなかったの(ですか)!?」」
「一緒にお話ができないじゃないですか!」
「そ、そうだぞ、わいわいと話そうと思っていたのに!」
「(そうじゃ、そうじゃ!)」
「「「「その、集中できなくて……」」」 」
「(カオルお兄ちゃんの上着で……)」
「(映画館に来たという興奮で……)」
「(お腹の音が鳴らないか気になって……)」
「(メニューに使えそうなフレーズをメモってたら……)」
チノとカオルに申し訳なさそうに言う四人。チノとカオルは残念そうに肩を落とすのだった。
カオル「やはりあのシーンの秀逸さは……」
チノ「ここの表現の改変はなかなかによい味を……」
ティッピー「あえて言葉にせず伝える主人公の渋さが……」
タカヒロ「(映画は楽しかったみたいだな……)」