新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

96 / 97
選んでしまった『結末』

「……で、これはなんだ?」

 

 

 客間にて、俺――――柊木 司はそう声を漏らす。額から汗が流れるのを感じた。だが、それ以外は特に変なところはない。脈も正常、呼吸も普通、血色も良好。文句なしの健康体だ。

 

 

 昨日、俺たちが楓の鎮守府に来て奴の左遷を言い渡した後。工廠でどんちゃん騒ぎする楓傘下の艦娘たちとアットホーム交流会、その後榛名の提案によって奴の左遷を賭けた演習をすることになった。

 

 ……そして、楓の左遷に反対である榛名から内通の申し出を受け、深掘りせずに受けたわけだがな。

 

 まぁ、その後は客人としてここの艦娘たちと接しつつ、飯食って風呂入って寝た。伊勢達にも部屋を割り振られておかげで、俺はこの客間を一人で利用している。そのおかげで久しぶりに一人の時間を思う存分楽しんだわけだ。

 

 いつもは何かしらあると誰かが部屋に飛び込んでくるから、たとえ自室に居ても常に気を張ってなきゃいけない。しかし此処に来る前に急ぎの仕事は終わらせ、近海の防衛には他鎮守府にお願い(ゴリ押し)してきた、更に鎮守府の運営は留守居の奴らに丸投げしてきた。

 

 まぁ帰ったら不在時の書類の処理とか鎮守府への謝罪とか、仕事丸投げした上に滞在期間延長による尻拭いのお詫びとか。いろいろ面倒なことがあるわけだが、いつものことだ。構わん構わん。

 

 

 そんなわけで久々のゆったりした朝を迎えることが出来る―――――と、思っていたのに。

 

 

「見ての通りデース」

 

 

 そんな俺の声に、彼女――――金剛型戦艦 1番艦 金剛は柔らかい笑みを浮かべてそう答えた。

 

 彼女と会うのは初めてであるが、彼女の事は此処に来るまでいろいろと聞いている。

 

 初代提督が失踪してからこの鎮守府を牛耳り、大本営に反旗を翻した張本人であり、俺たちが最も警戒すべき存在だ。

 

 中将経由で楓が此処に来た頃の話によると、彼女は提督代理としてここの運営していた。楓が着任した後も、何かと理由を付けて奴の代わりに執務をこなしていたが、楓とある駆逐艦の手によってその座を下ろされたとか。

 

 それ以降はずっと休養しており、楓たちが北方海域の攻略に乗り出した時に戦線復帰。だが、その初戦で謎の深海棲艦に襲われて行方不明、彼女の報告ではキス島に逃れた。

 

 そんな彼女たちを救出するために楓たちが決行したのがケ号作戦、いわゆるキス島撤退作戦である。結果は艦娘たちの尽力により救出され、現在は心を入れ替え第三艦隊旗艦として楓の下で働いているとのことだ。

 

 

 ……と、いうのが楓からの報告である。が、曲がりなりにもここを『提督』として運営してきた存在だ。無能なわけがないし、何より他の艦娘からの信頼は楓の次、もしくは楓以上の可能性がある。

 

 また、影響力は未だに健在であろう。その証拠に、彼女はこうしてほぼ初対面の俺に対して、かつ楓を異動させようとする敵に対してこうも堂々とした態度で立っているわけだ。それは、楓のように遠慮する必要がない、もしくはやすやすと従うつもりはないと言いたいのだろうか。

 

 

 そんな叛意バリバリのオーラをまとう彼女が、突然訪ねてきたのだ。

 

 

『グッッッド、モォーニィーング!!!!!!』

 

 

 と、大声と共にノックもなしに飛び込むという予想外の登場。

 

 うちの艦娘でも流石にノックするよ、なんで昨日初めて会った他人にそんなダイナミックおはようできるの? 楓の教育のせい? それつまりその教育係である俺のせいってこと?

 

 とまぁパニック状態の俺に彼女は特に悪びれもなく、今こうして立っているわけだ。いや、少しは悪びれよ? と注意する間もなく、彼女は次の行動を起こした。

 

 

「いや、だからなんなんだよ、この手紙の山は……」

 

 

 そう言って俺が指を差すのは客間に備え付けられた机、そこに山のように積まれた手紙だ。それは金剛が手に持っている袋の中にあったもの、彼女は部屋に入ってきてすぐに肩にかけていた袋をひっくり返し、その中身を机の上にぶちまけたわけだ。

 

 そして、そのまま何も言わずに笑みを浮かべる彼女に対して、「……で、これはなんだ?」(先ほどのやり取り)へ繋がるわけだのだ。

 

 

 そんな俺を前に、金剛が柔らかい笑みを浮かべたままこう答えた。

 

 

 

「うちの艦娘たちが書いた、テートクの異動取りやめ(・・・・)の嘆願書デース」

 

 

 その言葉を聞いて、俺は再び手紙の山に目を向ける。これ全て、楓の異動を取りやめにしてほしいという旨の手紙、彼女からすると嘆願書なのだろう。

 

 量から察するに、此処に居るほとんどの艦娘が書いたものと思われる。どれだけあいつが此処の艦娘に慕われているか、それを指し示す立派な物差しだ。これを前にして、俺はいかにあいつがこの鎮守府にとって大きな存在であるのかを知れた。

 

 

 とはいっても、これは予想通り(・・・・)だ。

 

 昨日、此処にやってきて楓異動の旨を伝え、さらに噂として鎮守府中に流布したのは俺である。そのため、此処の艦娘たちから何かしらの反応があるのは予想していた。まして、あの駆逐艦たちのように彼の異動を快く思わないものもいるだろう。そのため、異動に関して抗議するものたちがいることは十分に予想できた。

 

 また、上が挿げ替えられても別に問題ないが、現状が変わることを恐れたものもいるだろう。それも、なんだかんだ自分たちの待遇を改善した楓と、一時敵対した大本営からの指令をもって現れた見ず知らずの俺たちだ。彼女たちもまた、楓の異動に異を唱えるだろうとも思っていた。

 

 

 なのでこの異動について、十中八九艦娘たちは反対するだろう。そう予想できた。

 

 故に、彼女たちがその意思表示として何かしらの行動、今回の場合は嘆願書をしたためて俺に送りつけることも朧気であるが予想できたし、納得できた。

 

 

 

 

「これ、見なかったことにして全て燃やしてくだサーイ」

 

 

 だが、この発言は―――――目の前の金剛が発した言葉は流石に予想外だ。

 

 その発言を受けて、俺は思わず金剛を凝視する。その視線に対しても、彼女は笑みを浮かべたままだ。だが、その視線は常に俺を見据え、決して離そうとはしない。

 

 

 互いの視線が交差する。同時に、沈黙が場を支配した。

 

 

 

「……なんでだ?」

 

「これがテートクに見つかるとマズイからデス。あと、今後もこういったものはワタシ経由で集めますので、処分お願いしますネ」

 

 

 俺の問いに金剛は悪びれる様子もなく答え、更に今後もこのようなものは全て持ってくると言っていた。雰囲気的に嘘を言っているようでも、冗談のようでもない。当たり前のように、真面目に、こちらに協力する(・・・・)と言っているのだ。

 

 だが、その言葉を鵜呑みにすることはできない。それは彼女の経歴を見れは明らかであり、この申し出は未だに叛意(その意思)があると表明したも同然だからな。

 

 

「Wo、信用していませんネー?」

 

「……そりゃあ、なぁ」

 

「……まぁ、これも日頃の行いってやつですネー」

 

 

 沈黙する俺の心中を察した金剛は俺の答えに肩を竦める。いや、日頃の行いというか過去の行いというか。そこに深く切り込むのはやめておこう。

 

 

「もう一度聞くが、なんでこんなことを?」

 

「『テートクに見つかるとマズイ』……というのは、納得されませんでしたネー……でも、本当にそうとしか言えないんですヨ」

 

 

 再度の問いに、金剛は考えるように口元に手を置くが、それでも同じ答えを、今度は苦笑いを浮かべながら返してきた。あちらも余計なことを言わないよう警戒しているのだろう。互いに警戒したままだから進む話も進まない。

 

 

「分かった、まず俺の話を聞いてくれるか? その後、君の答えを聞かせてほしい」

 

「OK」

 

 

 俺の言葉に、金剛は即答する。そして幾分か雰囲気が和らいだ。少しは警戒を解いてくれたか。ということは、彼女の目的は俺と敵対することではないっぽいな。

 

 

「まず、俺たちが此処に来たのは君たちを安全に取り込むためだ。敵対する気もないし、させる気もない。それは昨日、君たちに提示した条件がそうだっただろう。そして、それと同時に楓を此処から動かすこと。これはまぁ話せば長くなるんだが、とりあえずあいつに危害を加えようとは考えて……まぁ、うちの山城が速攻危害を加えようとしたけど、もうさせることはない。絶対だ」

 

 

 俺がそう断言する。これは本心であり、隠す必要もない。それは金剛とて同じだろう。その証拠に、彼女は特に表情を変えることはなかった。『予想通り』、という意味か。

 

 だが、同時に彼女は何も発さない。これはまだ納得していないということだろう。今日初めて会ったからそりゃそうだ、と思えばそうだろうが、初対面でこんなやり取りするのは違う気がするんだがなぁ。

 

 

「そして、君の提案に対しての疑問はこの3つだ。まず何故それを楓に見られたらマズいのか、そしてそれをすることで君は何がしたいのか、それは俺にとってどんな影響があるのか、だ。ちなみに、最後の返答によって今しがたいった俺たちの目的は変わるかもしれない。そして、それを君に伝えない。良いか?」

 

 

 俺は問いの最後に釘をさしておく。これで、今しがた言ったことは全て金剛たちの考えによって考える、とけん制することが出来た。

 

 そりゃあな、榛名(彼女の妹)がこちらに内通しているわけで。もしかしたら彼女が送り込んだものかもしれないし、逆に言えば彼女に相談なしで来たかもしれない。そこを推し量れないため、榛名の立場を考えると変に突っ込まない方がいいだろう。

 

 

「……OK。では、ワタシのターンですネ」

 

 

 俺の言葉に金剛は少し考えた後、そう答えた。『合格』ということだろうか。全く、なんで(提督)じゃなくて、金剛(一艦娘)と腹の探り合いしてるんだろうな……

 

 

 

「では、先ほどから聞かれていました質問から……これは本当に単純で、()のテートクに聞かれちゃマズいんですヨ」

 

()の、とは?」

 

 

 金剛の言葉に、俺は気になった点を―――付け加えられた『今』という言葉に引っかかった。それを指摘すると、彼女は少し視線を外す。同時に、腕を組んで何処かイラついた雰囲気を出し始めた。

 

 

「今、テートクは『決断』を迫られていマース。それも、どちらの判断にも支持する存在がいて、そのどちらも彼にとって切り捨てられないものデス。彼にとって同等の価値があり、切り捨てるなら自分の『感情』に従うしかありまセン。そしてそれを迫られ、結局切り捨てられなかったのが先の作戦の失態です(・・)。今後それをされると、()たちがその尻拭いしなければなりません。それこそ私たちの本意でもなく、何よりテートク(・・・・)の本意でもないでしょう」

 

 

 話をするごとに、金剛の片言口調が薄れていく。それが無意識なのか、意識的なのか、それは彼女の表情を見れば明らかだろう。

 

 

「そして、この『決断』はテートクが一人(・・)でしなければいけません。今、現段階でうちの駆逐艦たちがいろいろと動いています。そして此処にある手紙の通り、私たちの総意は『彼が此処に残ること』。それを彼が知れば、彼は此処に残ると言い出すでしょう。でも、それはただ私たちに流されただけであり、彼が選んだわけではありません。そして、その選択(・・)では私たちが憂慮していることを払拭することはできないでしょう」

 

 

 彼女はそういって、一息つく。その様子を見て、俺は近場の椅子を掴んで彼女の横に置いた。それに、彼女は少し驚いた顔をするも、すぐさまその椅子に腰を下ろした。

 

 

「なので、この手紙をテートクに知られたらマズいんですよ。ようやく彼の()なところを直すチャンスなのに、そうやって横やりを入れられたら意味ないじゃないですかぁ。だから、こうやって手紙関係は私のところに持ってくるようにしたんです。管理しやすいですし、誰がどう思っているかも把握できますから……下手に動こうとする子にはストップかけられますしねぇ……あとは――」

 

「分かった分かった、もう十分(・・・・)だ」

 

 

 まだ語り足りない(・・・・)であろう彼女の言葉を遮って、俺は椅子から立ち上がる。それに彼女は、驚いた顔で俺を見る。

 

 

 

「楓が苦労をかけて、すまんなぁ」

 

 

 そんな顔に――――多方に配慮し過ぎて疲れ切った人間(・・)の顔に。俺は労いと感謝の言葉を向けた。

 

 

「……別に、そんなんじゃあり痛っ!? な、なんで叩くんですカ!?」

 

 

 俺の言葉に、そこに座っている金剛(彼女)は不貞腐れたように答える。その様子に、俺は笑いをこぼしながらその背中をバシッと叩いた。それに抗議する金剛を見て、俺は笑いをこらえながら再び椅子に座る。

 

 

「まぁ、これでお互いの腹は割れたわけだ。これからどうする?」

 

「……とりあえず、こちらの艦娘たちはワタシが抑えマス。もし必要そうであれば、そちらの艦娘にも出張ったもらうかもデース。あと、出来ればテートクと二人っきりにさせないようにしてくだサイ。変なこと吹き込まれると、それこそ余計こじれますカラ……」

 

「あい分かった。そこはうちの艦娘――特に伊勢だな。必ず徹底させよう。演習の勝敗はどうする?」

 

「それについては思う存分やっちゃってくだサーイ。こちらは全力で迎え撃つと思いますから、あまり油断はしない方がいいかもですヨ? ワタシは今回不参加なので特に関与できませんから、結果について文句は言わないでくださいネー」

 

 

 互いの腹の内を明かしたことで、その後のやり取りは結構スムーズに進んだ。やっぱり腹を割って、いや吐かせて(・・・・)正解だったよ。

 

 また演習についても聞いたところ、特に関与する気はないと言っている。これを見るに、榛名の独断で動いているだけのようだ。しかも、ただで負ける気はないと思っている。

 

 

「了解だ。てか、()的に楓は残って欲しいのか?」

 

「……言わないとだめですカ?」

 

「おう」

 

 

 割と砕けた口調で、俺は金剛の意志を聞く。その言葉に金剛は露骨に嫌な顔をしながら答える。その表情がもう答えだが、敢えて聞こう。

 

 

「……ワタシは、本当に(・・・)どちらでもいいデス。ただ、残るのならあの『優柔不断』を矯正する必要があると考えてマース。なので、今回骨を折っているわけヨ……」

 

 

 そこで言葉を切り、金剛は深いため息を吐く。なるほどなるほど、残った場合しか(・・)考えていないと。それだけで十分だな。

 

 

「遠回りなやり方だな……いっそ直接言っちまえばいいのに」

 

「……ここまでやってきたワタシの苦労を無駄にする気ですカ? それにその役割の方がもっと遠回りですし、何よりこれ以上テートクに苦労させられるのはごめんデース」

 

 

 俺の言葉に、金剛はイラついた顔を向けてそう答える。まぁ、確かに(あれ)を動かすのは骨折れそうだからなぁ。全く同意見だ。

 

 

「まぁ、それでも俺の目的は変わらんからな」

 

「……へー、それ(・・)は言わないんじゃなかったんですカ?」

 

 

 俺の宣言に、金剛は少し驚い顔をして返してくる。あぁ、あの『彼女の考えを聞いた後のことは教えない』ってやつか。そうは言ったが特に変わってないわけだし、何よりそれだけ暴露してくれたのだからこちらは何も言わないのはフェアじゃないだろう。

 

 

「別に構わんだろう。元々敵対しているわけでもあるまいし、目的もほぼ一緒だしな!!」

 

「……あなた、本当にうちのテートクの師匠ですカ? もし師匠なら、なんで『ああ』なっちゃったんですカ……」

 

 

 俺の言葉に、金剛はジト目を向けてくる。言いたいことは痛いほどわかるが、そこまで矯正した気もつもりもないのでスルーしておく。ニコニコする俺を見て、彼女は何度目かのため息を吐いた。

 

 

「まぁ良いデス。では、それでお願いしますネー」

 

「おう、またな」

 

 

 そう言って金剛は座っていた椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。そして、肩にかけていた袋に先ほどばらまいた手紙たちをしまう。そして、全て納まったそれを俺に押し付けてくる。これ、後で伊勢に見せるか。

 

 

 しかし、これは僥倖だ。なにせ、此処に居る最大の懸念点が払しょくされたからな。このまま俺の下に入ろうとも、万が一に楓が一勢力となっても、ある程度の交渉は出来るわけだからな。

 

 

 であれば、もう一つの『争点』を摘むか。

 

 

 

「うわッ!?」

 

「ッ!?」

 

 

 そう考えている俺の耳に、不意を突かれた金剛の声ともう一つの声が聞こえる。

 

 その方を見ると、驚いた表情の金剛がいた。

 

 

 そして、もう一つの『争点』も。

 

 

 

 

「榛名? どうしたネ……?」

 

 

 金剛は首をかしげながら、目の前にいる『争点』―――――自身の妹に声をかける。

 

 

 対して、妹は何も声を出せないようだ。ただ茫然として、ただ信じられないものをも見るような目で金剛を見るだけだ。

 

 その顔は何処か悲しげであり、憎々しげであり、羨望と哀愁と、とかく全てを飲み込んだ絶望(・・)の色に塗りつぶされていた。

 

 

 

「大丈夫ヨ、榛名」

 

 

 そんな彼女に、金剛は何か合点が付いたようにそう言った。その顔は、まさに妹を見る姉の顔をしている。そして、その手は今なお固まる妹の頬に触れた。

 

 

「ワタシも、貴女と同じ(・・)想いですカラ」

 

 

 そう言って微笑みかける姉に、妹の目が大きく見開かれる。その口が堅く結ばれ、その拳が何度も空を掴み、その視線が姉から自身の足元に落ちた。

 

 

 『何か』、言いたいのだろう。『何か』、言ってしまいたいんだろう。『何か』、ぶちまけてしまいたいんだろう。

 

 それでも、妹はそれを辞めた。諦めた。手放さずに、固く固く握りしめ、その胸の奥深くにしまい込んだ。

 

 

 

 

「ええ、もちろんです」

 

 

 それらすべてを包み込みように、彼女はそう言う。それを受けて、金剛は満足そうに微笑んで部屋を後にした。あとに残ったのは、妹と俺の二人、そしてこの部屋全体を覆う沈黙のみだ。

 

 俺はそれを破る気はなかった。ただ、目の前で立ち尽くし、何処にも向けられない自分の足に視線を落とし、おおよそ予想が付くであろうありとあらゆる感情に打ちのめされ、押しつぶされ、すりつぶされているであろう。

 

 

 そんな榛名(争点)に手を差し伸べる気なんぞ、毛ほどもないからだ。

 

 

 

「――――あの」

 

「今更『降りる』、なんて言わないよな?」

 

 

 やがて何かしらの答えを出したであろう榛名は声を上げ、俺はそれをすぐさま握り潰した。ようやく持ち上がった視線は、俺の手によってふたたび地面に落ちた。

 

 叩き落され、ひしゃげた、ボロボロになったその身体から。ポツポツと、無色透明の液体が湧き出ている。それは上へ上へと持ち上げられ、その瞳から零れ落ちた。

 

 

「これは貴艦(・・)から申し出たことだ。それゆえに、最()まで全うせよ」

 

「はっ」

 

 

 俺の言葉に、榛名は短くそう言って敬礼を向ける。それを受けて、俺も彼女に敬礼を返す。

 

 

 その時、ちゃんと彼女の顔を見据えた。そこには、予想通りの顔がある。そこに、彼女の胸中がありありと現れていた。

 

 何度も言うように、何度も確認するように、何度も振り払う(・・・・)ように。俺は、何度でもこの答えを示すだろう。

 

 

 

「これが、君が選んでしまった(・・・・・・・)結末だ」

 

 

 これこそが、俺が彼女に手向けられるであろう、せめてもの言葉だ。

 

 申し訳ないとも思わないし、思ってはいけない。昨日今日で出会ったばかりの他人であり、大本営(おれたち)を転覆させかねない存在。

 

 例え、その根本的原因が大本営側だとしても。彼女の選択(それ)は見過ごすことはできないし、肯定してはならないし、潰さなくてはならない。

 

 

 例え、それが彼女の『本意』ではなくても。

 

 

 

「はい、榛名は大丈夫です」

 

 

 俺の言葉に、榛名は短くそう答えた。その声色は一瞬の震えもなく、抑揚もない、人間味を感じられないものだ。まさしく兵器だと言えてしまうほど、生気を感じなかった。

 

 

 ただ、そこにある顔は。そこに流れるそれだけ(・・)は。

 

 

 感情の消え失せた顔、その頬に流れる一筋の雫(それ)が。

 

 

 紛れもなく、彼女の『本意』であったとしても。

 

 

 

 何故なら、俺は彼女の――――いや、彼女は俺の艦娘(・・・・)ではないのだから。

 

 

 

「また、お伺いします」

 

 

 榛名はそう言って頭を下げ、足早に出て行った。その後ろ姿を見送った後、俺は深いため息を吐いてしまう。

 

 

 

「素直じゃねぇなぁ……全く」

 

 

 そんな言葉が、独り言が漏れる。どうやら、相当に疲れているみたいだ。起きたばかりなんだがぁ……

 

 

 そう言いながら、パキポキと肩を鳴らす。そのまま、先ほど金剛から渡された嘆願書の入った袋を脇に置く。まぁ、別に見る必要はないだろう。内容は分かっているし、捨てろと言われている。あとで伊勢……は、マズいから、山城あたりに頼むか。

 

 

「さて、今日の予定は……?」

 

 

 そう言って、俺は昨日目を通しておいた書類―――此処に所属する艦娘の名簿を開く。パラパラとめくり、とあるページで手を止めた。それと同時に、目の奥にだるさを感じたので目頭を揉んでおく。

 

 

「さぁて、どう伝えたもんかねぇ……」

 

 

 ある程度マシになった疲れ目を労りながら、俺はそこに書かれている艦娘の名前に視線を落とした。

 

 

 

 

『球磨型軽巡洋艦 3番艦 北上』


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。