新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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綺麗な『花』

「おやすみ……」

 

 

 目と鼻の先で赤々と燃える鉄屑に、私はその言葉を手向けた。

 

 炎の中で鉄屑はもがき苦しむことも無く、泣き叫ぶことも無く。ただ淡々と自らが朽ちていくのを待つかのように、懇々と沸き立つ泉のように、静かにその身を水面に沈めていった。

 

 その煙の向こうにはボロボロになった僚艦たち。軽傷の者は誰一人としておらず、皆何かしらの重傷を負っている。今この時敵が現れたのなら、間違いなく殲滅されてしまうほどの損害を被っている。

 

 だが彼女たちの顔には悲壮など無く、安堵の表情が浮かんでいた。誰一人として絶望など無く、希望に満ちていた。激痛に顔を歪める者も、泣き叫ぶ者も、怒りに身を任せる者もいない。

 

 

 そんな彼女たちに向けて、私は―――――――曙は片腕を頭上高く掲げた。

 

 無数の火傷、切り傷、擦り傷で埋め尽くされた細い腕。今にも倒れそうな程に弱弱しく震える四肢。激しい頭痛に襲われ朦朧とする意識。

 

 それら全てを抱えながら、私は腕を掲げた。その手首で揺れる細い紐の輪――――ミサンガを見せつけた。

 

 

 『ケ』号作戦、通称『キス島撤退作戦』。

 

 同名を冠した先の作戦が『奇跡の作戦』と謳われ、それにほぼ同一の状況故にそれにあやかって名付けられた本作戦。

 

 一度頓挫の危機に瀕し、同時に艦隊内での分裂、僚艦一隻の独断専行を許し、なし崩しに大破進軍と言う最悪の選択を取ってしまった本作戦。

 

 一度の失敗を経て挑んだ二度目。大損害の危険を孕み、もはや成功は絶望的と思われた本作戦。

 

 

 

 ―――――――その『成功』を宣言したのだ。

 

 

 

 二度目の進撃。その発端は私が抱えている電探が捉えた一つの反応(・・)だった。

 

 その時雪風が単艦にて大破進撃を断行、北上さんの指示で夕立が彼女を追跡。黙りこくった提督《あなた》に向けて、私が無責任極まりない言葉を届けた後だ。

 

 その反応は私たちが居た場所から北へ35kmほど。驚くほどゆっくりな速度で南西へ進んでいた。どう考えても敵であることは明白、考えられるのは敵の輸送隊、哨戒隊、追撃部隊、侵攻部隊等々。隊が分断された上に敵襲か、と身構えるのが普通である。

 

 

 しかし、おかしなことにその反応は『一つ』―――つまり単艦(・・)だった。

 

 支配海域とは言え侵攻を受けている現状、単艦で航行するのはリスクである。ましてただでさえ複雑奇怪な海流なのだ。大型艦が満足な回避行動をとれるはずもなく、かといって小型艦だとしてもただ襲撃にリスクを跳ね上がるだけ。把握しているか分からないが、現状窮地に陥っているのはこちらであるためそのリスクを取る理由もない。

 

 

 では、それが『敵』ではなかったら?

 

 

 それを受けて、私はすぐに無線のチャンネルを変えた。

 

 出撃前に哨戒部隊が用いていた周波数を教えてもらっており、そして一度目の最中も時折それに合わせては声が拾えないかを試していた。そしてこれまでその周波数からはホワイトノイズ以外何も聞こえず、数分程それに切り替えてはまた戻してを繰り返していたのだ。

 

 しかしその時は一抹の希望ではなく、一つの確信を以て変えた。そして次に聞こえたのは、ホワイトノイズではなかった。

 

 

 

応答せよ(over)応答せよ(over)!! ……お願い、誰でも良いから返事してぇ……』

 

 

 切羽詰まったような、行き止まりを前にして泣き崩れるような、縋れるもの全てに縋ろうと手をばたつかせる子供のような。そんな、みっともない声。同時に金切り声を上げる艤装の音、水面を切り裂く風の音、今にも消えてしまいそうなほどか細いもう一つの呼吸を拾っていた。

 

 

『こちら曙……こちら曙……貴官は何者か、返答願―――』

 

『曙?! 曙ですカ!? 曙なんですカ!!!!』

 

 

 念のためあちらの素性を問いかける。それに喰いかからんばかりに返答が、答えるまでもなくあの片言英語(・・・・)が帰ってきた。

 

 

 

 今作戦の目標(ゴール)―――――金剛さんたちを発見したのだ。

 

 

『あッ、あけ、曙ォ!! い、今何処ですカ!? 何処に居ますカ!? すぐ、今すぐ来てください!! 急いで来てくださぁい!! でないと吹雪が……吹雪がァ!!!!』

 

 

 無線の向こう、金剛さんは酷く取り乱していた。恐らく吹雪が危険な状態であるからだ、そう読み取るのに時間はかからない。そして、何故か冷静でいられた私は彼女を落ち着かせることを優先した。

 

 

「落ち着いて、金剛さん。『大丈夫』、ちゃんと聞いているから。『大丈夫』、『大丈夫』……」

 

 

 私はあいつと『大丈夫』(同じ言葉)を彼女に向けた。努めて柔らかく、努めてゆっくりと、呼吸を整えるかのように間を置きながら、言葉を繰り返す。そのおかげか彼女の声は次第に落ち着いていき、ひっくり返っていたその声も元通りになった。

 

 その間、私は目と手を使って潮と響にこのチャンネルに合わせろと伝える。それを受けて、二人はすぐさま無線に手を置く。同時に、無線の向こうから二人の声も聞こえてきた。

 

 

『金剛さん!! よく無事で……』

 

『金剛。私だ……響だ。無事でよかったよ……』

 

『あぁ……潮ォ、響ィ……』

 

 

 二人の声を、特に響の声を聞いた金剛さんは悲鳴みたいな弱弱しい声を上げる。その後二人の力添えもあって

、金剛さんは何とか落ち着いてくれた。

 

 

「大丈夫、ね? じゃあ、そっちの状況を教えてください」

 

『Ok、OK……』

 

 

 砕けた口調を敬語に戻し、報告を促す。その言葉を受けて、金剛さんは少し早口に話し始めた。落ち着いてはいるもののその声色には焦りがある。言わずもがな、吹雪の容態は酷いのだろう。

 

 

 彼女の話はこうだ。

 

 金剛さんが目を覚ましたのは、キス島周辺に浮かぶ島々の一つ。名前も名称も分からないが、比較的海流の弱いところだ。彼女が意識を失っている中、吹雪が先導してあの戦艦を振り切ってたどり着いたらしい。

 

 そこに潜伏していた彼女たちはドラム缶を曳航した駆逐艦を発見。それを中破状態であった吹雪が襲撃してこれを奪取した。その時、吹雪は襲撃した反動で中破から大破となり、ドラム缶を曳航して島に上陸した際に意識を失ってしまった、と。

 

 それを話す彼女の声が何故かつっかえつっかえになったが、私はそれを指摘せずに促す。指摘する気も起きないし、そのメリットもない。ただ『その時』何かがあったのだろう、そう捉えることにした。

 

 

 その後は吹雪がくすねてきた応急修理要員と奪取した資材を駆使し、何とか自分の艤装を大破状態から中破まで修復することに成功。余った資材は荷物になるからと全て放棄し、彼女は未だに意識を取り戻さない吹雪を連れて島を脱出した。

 

 因みに気絶している吹雪はドラム缶を輸送船代わりに金剛さんが曳航している。島を出る前に燃料と鋼材を無理やり摂取させて『補給』まがいをしたおかげか息はあるようだ。しかし大破状態、更には金剛さんの曳航に素人ながらも彼女の艤装を修復など、金剛さんの生命維持に全てを賭けた彼女にどれほどの力が残されているか分からない。

 

 

 『もしかしたら、鎮守府まで持たないかもしれない』―――――それが金剛さんの見解だ。だからこそ、あの悲痛な声だったのだろう。

 

 

『随分、無茶なことをしたね……』

 

『えぇ、本当に……』

 

『こっちの状況は以上デス。で、今何処に居ますカ? どのくらいで合流出来ますカ? 教えてくだサイ』

 

 

 こちらの話は終わったとばかりに金剛さんはそう捲し立ててくる。彼女からすればようやく開いた光明なのだ、是が非でも掴み取りたいのだろう。

 

 

「了解、そちらの状況は理解しました。そして、私たちはそちらから見て南に35kmほどに居ます。互いが全速で向かえば1時間もかからずに合流できそうです」

 

『OK、南ですネ? わか――――』

 

「ええ、ですが一つお聞きします」

 

 

 そこで一呼吸置いた私は、はっきりとこう問いかけた。

 

 

 

「砲撃は、出来ますか?」

 

 

 その問いに、無線の向こうから3つの息を呑む声が聞えた。次に視界の外から視線を感じた、同時に無線の向こうから強烈な敵意も。

 

 

 

『何……馬鹿な事言ってるネ、この状況で戦うなんて、そんなの出来――――』

 

「雪風が単独で大破進軍したんです」

 

 

 当然拒否しようとした金剛さんの言葉を、私はこちらの状況を伝える形で叩き斬る。それを受け、無線の向こう彼女が小さく「ぇ……」と声を漏らした。

 

 

「ついさっき、たった今です。それを追って夕立と北上さんが続きました」

 

『何で……そんなこと……』

 

 

 彼女はそんな問いを漏らす。それに応えることを、私は思わず憚った。いや、彼女自身もどことなく自分(・・)が原因だと察しているだろう。彼女のその発言は、その事実から目を背けるために敢えて溢したモノのように思えた。

 

 

 

『無論、貴女()を助けるためです()

 

 

 そして背けられた目を事実を突き付けたのは、私といつの間にか傍にいた響だ。それを受け、私は響を見る。そこに居た彼女はいつもの飄々とした顔ではなく、今にも泣きそうな程に顔を歪めていた。

 

 

「私たちと通信が繋がった時点で、君は自分を救出にきたのだと分かったはずだ。そして雪風が大破進軍する理由も同じ――――()を探し出すために、自分の命よりも君の命を優先したと。君ならそう分かったはずだ、いい加減とぼけるのはやめろ」

 

『……』

 

 

 続けられた響の何処か責めるような言葉に、無線の向こうは沈黙に包まれる。微かに歯ぎしりが聞こえるが、特に声を上げる様子はない。それを受けて、響は泣きそうな顔のまま私に話を続けろと言いたげに視線を向けてきた。

 

 

 

「……もう一度、お聞きします。砲撃は可能ですか?」

 

『……Yes』

 

「どの程度? 主砲の状態は? 稼働砲数は? 照準の歪み、そこから生じる誤差は? 修正可能な範囲は?」

 

『諸々調べてない上に突貫修復ですカラ……良くて普段の半分程度だと思いマス』

 

 

 普段の半分となると―――――――最大船速は14ノット、射程は約18000mぐらいか。射程は駆逐艦(私たち)と同じだが、普段は倍以上の射程で撃ち合いしているから有効射程はほぼ同じだろう。

 

 そして先行した面子も濃霧の中を進むからそんなに速度は出せない。出せても10ノット程度、敵に遭遇しようものならそこで止まる。追いつくこと自体は難しくない。

 

 勿論会敵せずに合流出来ればそれが良い。しかし此処は敵地、更に艦載機群を逃げ切っただけで殲滅したわけではない。敵が増援を送るのは確実だ。だからこそ敵に遭遇した場合、この状態で戦闘になった場合を考える。

 

 どうすれば全員生還と言う戦略を完遂できるか。その時、今の私たちが取れる最適な戦術は何か。何が私たちに足りなくて、私に何が出来るのか。

 

 

 

 どうすれば、(あいつ)の『願い』を叶えられるか。

 

 

 

「……もし、私が指定した座標に砲弾を叩き込め(・・・・・・・・・・・・・・・・)って言ったら、出来ますか?」

 

 

 その答えを導き出すための一手を、私は求めた。

 

 

『……what?』

 

 

 だが、返ってきたのは一手の説明を求める声だった。無線と同時に横から、響は怪訝な顔を、潮は不安げな顔を向けてきた。その顔を受け、私は頭の中で朧気に浮かんでいたものを口にした。

 

 

「電探で特定した座標を無線で共有し、其処に金剛さんが砲弾を叩き込む。要は電探を用いた『弾着観測射撃』もどき(・・・)、レーダー掃射砲撃です」

 

 

 駆逐艦以上―――特に戦艦たちが空母勢と一緒になった時、よく用いられたのが『弾着観測射撃』。それは偵察機が着弾地点を測定、修正し後の砲撃の命中率を上げるもの。そう聞いたことがある。

 

 しかし私たちには偵察機を発艦できる艦が居ない。唯一可能性のあるのが軽巡洋艦だが、生憎北上さんは偵察機を飛ばせない。では金剛さんが発艦すれば……となるが、そもそも砲撃する上に中破状態で大破した吹雪を曳航している彼女にを強いるのは酷だ。

 

 しかし中破とは言え戦艦の火力をこのまま遊ばせておくことはもったいない。それもこの海域は海流のお蔭で重量級の敵はそこまで現れない、と踏んでいる。元々ボロボロの私たちが水雷戦隊を相手取るなら、戦艦の火力は魅力的な材料である。

 

 

 そこで現れるのが、私が持つ電探である。

 

 電波探測儀――――電波を放出し、波長によって障害物を認知する。ようはレーダーである。これを使えば、電波の届く範囲に居る全てのものを感知できる。それは距離、方位、高さまで、ともかく砲撃に必要な情報は粗方収集できる優れものだ。

 

 短所を上げるなら、関知したものが『何』であるか分からないことだ。又この濃霧であり、目視の精度は期待できない。戦況を俯瞰できる偵察機が居て、初めてできる戦術である。

 

 しかし、それは全てを一人(・・)で行った場合だ。一人で不可能なら、役割を分担すればいい。主に電探で情報を集める私、その情報が敵か味方かを見極める『目』を誰かに。これらを分担して行えば弾着観測射撃のようなものが可能ではないだろうか。

 

 私が得た情報を元に『目』が確認。その情報を元に私が座標をはじき出し、それを金剛さんに送る。情報のやり取りに時間がかかりそうだが、無線を自在に操れれば時間もかからない……はず(・・)

 

 

 これが、私が絞り出したものだ。そしてそれを提示した時、返ってきたのは真面目に思案する響と潮の言葉だった。

 

 

「電探による座標の共有、ね……そこから射角や砲の向きを定めるには時間がかからないかい?」

 

「……じゃあ私が決める(・・・)。私が飛ばした照準に向けて砲撃すればいい。どう?」

 

「なるほど……じゃあ私は君たちが狙われないように敵の目を引き付けよう。可能なら私たちの照準も用意してくれないか? 万が一、無線を傍受される場合があるからね」

 

「……OK、出来る限りやってみるわ」

 

「なら『目』は私がやる。響ちゃんの照準計測も、やるよ」

 

 

 二人との会話で着々とそれが詰められていく。正直、最初に向けられるのは否定や非難、怒号や罵声だと思っていた。『そんなの出来っこない』、『ふざけるな』、『何を考えているんだ』、など、口汚い言葉の雨だと思っていた。

 

 

 当たり前に投げかけられていた『否定(それ)』だけだと思った。

 

 

『ちょ、ちょっと待つネ?』

  

 

 だが誰もがそのようになれるわけはなく、その一人である金剛さんは困惑した声を上げる。

 

 自分が鍵を握る作戦の詰め合わせに参加できないからだろう。それもようやくここまで逃げ出してきたのに此処から反転して敵地に突っ込んでいく。反論したくなるのも分かる。

 

 それに対して、響は柔らかい口調でこう諭した。

 

 

「大丈夫、勿論君たちへの砲撃も引き付けるつもりだ。そのために私たち用の照準を用意し、この砲撃は()が起こしていると錯覚させる。それで、ある程度敵の目は誤魔化せるだろう」

 

『そ……それについては問題ないネ。遠方からの砲撃なら多分見つからない、最悪見つかっても接敵まで時間がかかりますカラ……ワタシが言いたいのは、吹雪のことデス』

 

 

 響の弁論を踏まえた上で金剛さんが溢した懸念。恐らく、彼女が渋る理由であろう。

 

 先ほどの取り乱し様、そして彼女の話を含めて考えると吹雪は本当に虫の息だ。正直、今から全力で撤退したとして間に合うかどうか分からない。そんな彼女を引き連れてさぁ敵地に進撃だ、とは絶対ならないだろう。私もその懸念があったが、すぐにでも動きたいがために敢えて話題に挙げなかった。

 

 

「正直、それはもう吹雪ちゃんの力に頼るしか……」

 

『で、でしたらまず合流しませんカ? そして曳航を誰かに代わってもらって、その後進撃すれば―――』

 

「この作戦は距離がある劣勢を逆手に取ったもの。それだと遠方射撃(君の強み)が消えてしまうから、出来れば避けたいところだ。そして大前提に私たちは合流が目的で、これはその間にもし戦闘があったらの話さ。本筋ではないから後々変更が効くし、会敵さえなければまず発生しない。だから……」

 

 

 そこまで指摘した上で、響は言葉を濁した。その指摘をされた今、何とか回避する術を提示しなければ彼女は動かないだろう。目的は一緒なのに、何故こうも道筋が違うのか。互いの落としどころがまるでない、悪く言えば言いくるめられなかった私たちの落ち度だ。

 

 このままでは一歩も動けず、ただ時間だけが過ぎていく。このままでは雪風は疎か先行した夕立、北上さん、更には私たちに金剛さんたち、諸々全員が沈んでしまう。そんな最悪の展開が目に見えた。

 

 

 こんなとき、クソ提督(あいつ)はなんと言うのだろうか。 

 

 

 

 

 

「怖い、ですよね?」

 

 

 その一言、金剛さんの気持ちを表した言葉を吐いた。それは私でも声を以て彼女の安心をもたらした響でもなく、そこから最も遠いと思われる存在―――――潮が発したのだ。

 

 

 そしてその言葉をかけられた金剛さんが無線の向こうで言葉を詰まる。それと対照に、潮は更に言葉を続ける。

 

 

 その姿が、何処となく『明原 楓(あいつ)』に重なった。

 

 

「分かります、分かりますよ。どちらも取りたい、どちらも捨てられない、分かりますよぉ……それを一人(・・)で背負うのが辛いのも。私も同じ(・・・・)でしたから」

 

『え……あ……』

 

「だから、分かるんですよ。分かっちゃうんです、分かっちゃったんですよ。私も同じですから、(おんな)じです、同じでした(・・・・・)から。だからどうしたい(・・・・・・)かも分かっちゃうんですよ、だから(・・・)

 

『そ、それは関係ありま―――』

 

なら(・・)、私たちにも背負わせてくださいよぉ。関係ないなら、余計背負わせてくださいよ? 多分……いや、きっと、吹雪ちゃんだってそうだったでしょ?」

 

 

 潮は、まるで金剛さんの言葉を笑い飛ばすかのようにう言葉を紡ぐ。一見すれば彼女の意志を、心配を無視した無責任な発言のように見える。だが、金剛さんの背負うものを知り、背負う辛さを享受する彼女が発したそれは全くもって見当違い(・・・・)だ。

 

 

「貴女が守りたいものは、貴女だけ(・・)のものではないんです。貴女のように、吹雪ちゃんのように、私のように、曙ちゃんのように、提督さん(・・・・)のように。『誰か』が発して、『誰か』が受け止め、『誰か』が動き出して、『誰か』が掴み取って、最後に『皆』で笑い合えればいいんです。『皆』で、守っていけばいいんですよ。だって――――」

 

 

 何故ならそこに浮かんでいたのは呆気からんとした笑顔だ。心労なんぞ何処かへ吹き飛ばしてしまうほど、底なしに明るい笑顔だった。

 

 

 

「貴女は、一人じゃないんですからぁ」

 

 

 

 それはとても軽い言葉だった、軽口だった。他人事のように軽く、その程度かとタカを括り、項垂れるその肩に手を置き、俯いたその頭をそっと撫で、持ちあがった視線に微笑みかけるような。

 

 

 そんな、『優しい』言葉だった。

 

 

 

 それを受け、無線の向こうで息を呑む音、唸り声、そして何か(・・)を諦めた様なため息が聞こえた。その後、続いたのは二人の掛け合いである。

 

 

 

『……ますカ』

 

「ん?」

 

『助かりますカ?』

 

ええ(・・)

 

『『誰』も沈みませんか?』

 

勿論(・・)

 

『『誰』も傷付きませんカ?』

 

はい(・・)

 

「……『皆』、『皆』笑顔で帰れますカ?』

 

 

当たり前ですよ(・・・・・・・)。だから……」

 

 

 

 そこで言葉を切った潮は、底抜けの明るさを孕んだ声でこう伝えた。

 

 

 

「帰りましょう、『皆』で」

 

 

 戦場に居るとは思えないほど明るく、死と隣り合わせでいることを忘れてしまうほど暖かい、優しい笑みを浮かべた潮。いつもの彼女からは想像も出来ないほど力強く、頼もしい姿。無線の向こうにいるのに、目の前で語り掛けているような、そんな距離感で。

 

 

 『近くに居るよ』―――――そう、微笑みかける様に。

 

 

 

 

『……曙、どっちに迎えば良いですカ?』

 

 

 その次に聞こえてきたのは、いつもよりも低い金剛さんの声だった。そこには重みがある、深みがある、今から紡ぐ言葉を一言一句聞き漏らすなと言いたげな、彼女の言葉。

 

 

 

 私たちを信じてくれた、彼女だった。

 

 

 

「今進んでいる方角から南東へ、最大船速でお願いします。恐らく1時間はかかるかと」

 

『……OK、45分でそちらに向かいマース。その前に、敵艦全ての座標を送ってくださいネ?』

 

「分かりました、ではこれが私たちの周波数帯です。以後、こちらで連絡」

 

『OK』

 

 

 私の答えに、金剛さんは短くそう答えて通信を切った。それを受けて、私は息を吐く。それを受けて、響は静かに頷く。それを受けて、潮は「よしっ」と小さく声を上げて私たちにこう言った。

 

 

 

「行こう」

 

 

 彼女は北上さんが消えていった方向を指差し、真っ直ぐな視線を私に向けて、そう力強く言った。それを受けて、私たちは進撃した。

 

 

 その後私たちは進撃を続け、北上さんに合流したのはそれから10分後ぐらいであった。その直前、電探に彼女らしき反応があり、それを受けて私は無線を飛ばすと案の定彼女と繋がった。

 

 

「駆逐艦曙から旗艦北上へ。本艦は救出対象である金剛、及び吹雪を発見。2名は現在北東へ35kmほどの地点に居り、そこから反転して本艦のところの合流を図っている。おおよそ45分で合流可能と予想、以上(over)

 

『旗艦北上から駆逐艦曙へ。まず金剛たちの発見、感謝する。本艦は現在、駆逐艦夕立を追って進撃中、そのまま進撃を続ける。貴官はそのまま進撃、こちらに合流願う。以上(over)

 

 

 目標である金剛さんの発見、救出部隊(私たち)にとっては手を叩いて喜ぶ筈の吉報を、北上さんは片手であしらうかのように適当に受け流し、そのまま合流するよう指示を下して一方的に通信を切る。そして、その有無を言わさない態度に違和感を覚えたが、先ずは彼女との合流を優先した。

 

 

 やがて彼女と合流、その時北上さんは濃霧が開けた場所に一人立っていた。だけど、その艤装は忙しなく水面に白波を立たせており、フル稼働状態で待機している。まるで、無理矢理のその場に足を縫い留めているかのように、ことが終われがすぐにでも進もうとしているかのようであった。

 

 

 そこで、私は彼女が焦っていることを確信した。

 

 

「北上さん、よく無事で」

 

「あぁ、皆もね。それで、金剛とは無線で話せる?」

 

「えぇ。それ――――」

 

『「金剛、聞こえる?」』

 

 

 北上さんは私の言葉を遮る様に、というよりも金剛さんとの通信手段を知った瞬間。その手が無線に伸び、目の前と無線の両方から彼女の声が聞えてきた。

 

 

「金剛、今から作戦を伝える。こちらから敵の座標を送るから、そこ目掛けて砲撃して。多少の誤射は構わない、むしろ夾叉弾の方があたしたち的に動きやすくなる。遠慮せず、ガンガンぶっ放して。座標は曙の電探で算出し、潮がその補助を担う。その間、あんたの存在を悟られない様あたしと響が徹底的に隠蔽する。艦載機もこっちで何とかする(・・・・・・)。無理も無茶も、理不尽極まりないのも全部承知の上で頼む」

 

 

 早口に捲し立てるように、彼女は『それ』を口にした。目を忙しなく動かしながら、両手を強く、固く、握りしめながら、その額に汗を滲ませながら。この場に居る誰よりも焦っていた、悔しがっていた、憤っていた(・・・・・)

 

 

『き、北上? 落ち着くネ。もう、そう(・・)動いていますカラ』

 

「え? あ、そう。そっか、ならいい(・・・・)

 

 

 一瞬、北上さんは驚いた顔をしたが、私と同じように金剛さんの返答を待たず一方的に通信を切った。その直後、何処か安堵したような顔を浮かべる。だが、すぐにそれは刃物のような鋭い視線となり、私たちに向けられた。その後、彼女は淡々と言葉を吐いた。

 

 

 

「……潮。あんたの主砲、響に渡しな。『目』のあんたに必要ないはずだ」

 

「……はい」

 

「響、それで艦載機を出来る限り撃ち落して。どうやるかはあんたに任せるし、あたしをどう使っても構わない」

 

「……了解(Хорошо)

 

「曙、あんたはさっき言った通り電探(それ)で敵の座標を特定して。それを金剛に伝えるの。とにかく早く、一つでも多く、無駄だろうが無意味だろうが構わない。それで―――」

 

「北上さん」

 

 

 一方的に放り投げられる言葉を、私が塞き止めた。その瞬間、彼女の目が光る。なんていうことは無い、『殺意』だ。到底味方に向けるものではない、殺意に満ち満ちた目だ。

 

 

 同時にその目には恐怖(・・)があった。その中身は『轟沈される(・・・)』こと、これだろう。

 

 そして憤怒(・・)もあった。その中身は『轟沈する(・・)』こと、これだろう。

 

 それら全てをひっくるめ、凝縮し、煮詰めた末の感情が焦り(・・)だ。その中身は『轟沈されまい(・・・・)』、これだろう。

 

 

 彼女の感情を総括する。彼女は轟沈されることを恐れ、轟沈することに怒り、轟沈されまいと焦っている。

 

 

 

「まさか、『撤退する』とか言わないよな?」

 

 

 だから、北上さんはそんな言葉を向けたのだ。

 

 自身が求めるものを手に入れるために。その道筋を描き、明らかにし、協力を取り付け、或いは強引に引っ張り、出来なければ殺す(・・)ことも厭わない。

 

 喉元に突き付けた刃物のような危険な言葉を。

 

 

「勿論、言うわけないわ」

 

「……そう」

 

 

 私の言葉に北上さんはそう漏らし、興味を失ったかのように視線を外した。いや失ったのではなく、戻った(・・・)のだ。彼女が最も関心を寄せる、とある艦娘に。

 

 まるでその身に迫る結末を全力で否定するために、誰かに降りかかる最期を奪い去るために、最期を迎えてしまうことを極端に恐れているのだ。

 

 それを前に、私は否定しなかった。無論、否定するために遮ったわけではない。彼女のと私のに、大して変わらなかったからだ。

 

 

 それと同時に確信した。このままでは、双方(・・)とも失敗すると。

 

 

 

 彼女の『それ』と私の『それ』。

 

 電探によるレーダー掃射、囮を用いた金剛さんの隠蔽、更に彼女の方は一歩踏み込んだ艦載機への危惧。多少の過不足はあるがほぼ同じである。しかし、その根幹は正反対である。

 

 私の根幹は『希望』。私たちの願いを成就させる、叶えてみせる、救ってみせる。そんな単純(・・)なものだ。

 

 彼女の根幹は『恐怖』。そこまで切羽詰まる程焦り、その手から自ら離れようとするものに怒り、その手から離れてしまうことを恐れている。それほど複雑(・・)なものだ。

 

 根幹の不一致、行動原理の不明瞭、もとよりバラバラな思想思考。どれほど完璧なものを生み出したとして、そこに齟齬があるだけで致命的な欠陥となってしまう。響の話した『奇跡の作戦』も、数多の手段を用いながらもその根幹は揺るがない司令官の判断(一つ)だった。

 

 まぁ、現状は一度伺いを立てたことで引き起こされたわけで。今、誰しもが彼に失望しているだろう、侮っているだろう、無能の烙印を押しているだろう。残酷なことを言うが、今クソ提督(あなた)が何と言っても根幹にならないだろう。だからこそせめて、せめて私たちの中だけでも一致させなければならないのだ。

 

 しかし、今目の前にあるのは同じ殻(・・・)を被ったものだけ。それで動くわけにはいかないし、何より味方にさえ殺意を向けてしまうほど焦る片割れが冷静な判断を下せることすら怪しい。もしこれが頓挫すると分かってしまえば、彼女が次に起こす行動が読めない。それこそ、誰もが恐れる最悪の結末かもしれない。

 

 この状況で、やはり成否を左右するのは『幸運』か。いや、今ここまで道筋を辿ってこれたことも幸運なのだ。金剛さんを発見できたのも、私が電探を持っていることも、その打開策を導き出せたのも、全て幸運だったからだ。

 

 その中で金剛さんは自力でキス島から脱出し、潮はその金剛さんを動かし、北上さんは私たち3人がかりで立てたそれを一人で成し、響は厄介な艦載機の対処を任された。

 

 

 あぁ、なんだ、本当に。艦娘(仮)()に出来ることって、本当に無いんだなぁ。

 

 

 

『―――』

 

 

 その時、無線からノイズが走った。同時に全員が無線に耳を傾ける。誰一人として例に漏れず、皆一様に無線に耳を傾けた。無線の向こうから聞こえてきたのは絶え間ない砲音、空気の叩く音、誰かの息遣い、誰かの悲鳴。

 

 

 そして、こんな言葉だった。

 

 

『みんな好き勝手に言いたいことを言ってやりたいことをやって……皆自分のことばかり。誰も周りを、誰も『あの人』を見てない。その中で私もお利口さんのフリをしている、フリで我慢(・・)している。そんなの釣り合わないもん、我慢するだけ損だもん、それで『あの人』を守れないなんて本末転倒だもん。だから私も好き勝手に動くことにした。私のやりたいように、したいように、動きたいように、望むように、叶うように、守りたいものを守るために』

 

 

 それを発したのは夕立だ。何かの拍子に無線が起動してしまったのだろう。本人は気付いていないが、その口調は明らかに誰か(・・)に向けての言葉だ。

 

 

 

『みんな好き勝手に言いたいことを言って、やりたいことをやって。皆自分のことばかり。誰も周りを、誰もあの人を見てない』

 

 

 だけど彼女の言葉はまさに私たちを指して(・・・)刺して(・・・)いた。賛同者、反逆者、傍観者、その他諸々、私たちを表す言葉(もの)全てを揶揄していた。その中で、特に顔をしかめたのが北上さん(傍観者)なのは言うまでもない。

 

 

『その中で私もお利口さんのフリをしている、フリで我慢(・・)している。そんなの釣り合わないもん、我慢するだけ損だもん、それで『あの人』を守れないなんて本末転倒だもん」

 

 

 これは彼女だから吐けた言葉だろう、彼女だから口に出来た言葉だろう。誰よりも何よりも、今成すべきことを、今成さんとすることを、今成したいものが見えている彼女だからこそ、手向けられた言葉だろう。

 

 

『だから私も好き勝手に動くことにした。私のやりたいように、したいように、動きたいように、望むように、叶うように、守りたいものを守るために』

 

 

 これは彼女の願いだろう。彼女は同じだから、彼女は変われたから、彼女は手を差し伸べられたから、彼女は触れたから、触れてくれたから、ちゃんと自分の手で触れてくれたから、ちゃんと私の言葉を受け取ってくれたから。

 

 

 

 ちゃんと、あいつを見てくれたから。

 

 

 

 

『提督さんが、好きだからだよ』

 

 

 その次に飛び出した言葉は、私の中で一つの変化をもたらした。それはずっと、私の中で引っかかっていた違和感、それを綺麗さっぱり洗い流してくれた。ずっとずっと心の隅でチクチクと蝕んでいた感情、いや、目を背けてきたもの、その正体を現してくれた。

 

 

 彼女の言葉は、今私がこうしている理由(わけ)そのもののように思えた。

 

 

『それに提督さんは私を、夕立(・・)を見てくれた。最初は出来ないことを出来るようになるまで待ってくれた、出来たときは目一杯に褒めてくれた、日々頑張った夕立を認めてくれた、ちゃんと()を見てくれた。あの悪夢に紛れて薄くぼやけてしまった夕立を、過去と現在の境目でもがいていた私を、『二人』ともをしっかり見てくれた。そんな提督さんは今、出来ないこと(・・・・・・)に襲われている。海を駆けることも、砲を撃つことも、貴女を守ること(・・・・)も出来ない。それらに襲われ、脅えて、泣いている。だから、私たちがそれをする(・・)んだ。提督さんの代わりに、提督さんの守りたいものを……』

 

 

 その後、夕立の口から漏れた言葉。なんだろ、もう、私の感情(これ)を代弁しているようで、ちょっと恥ずかしくなってきた。でも、それでも、そうだとしても、彼女が羨ましかった。本当に、羨ましかった。

 

 

『そして提督さんを――――明原(・・)()さんを守る。それが私たち(・・・)の――――『駆逐艦 夕立』と『私』の願いだから』

 

 

 何処までも真っ直ぐな、果てしなく綺麗な、羨ましいぐらい素直な、彼女は『願い』を口にした。

 

 

 

 

 

『――――――そっか、なら俺も好き勝手に言わせてもらおうかな』

 

 

 そして、あろうことか本人に届いたのだから。

 

 

『え、さっきの聞いてた? 本当ぉ!?』

 

『あぁ……バッチリ、聞かせてもらった、よ? いやぁ、その、しかし、なんだ……あ、ありがとな』

 

『えッ、あ、うぇぇ……』

 

 

 突然現れたあいつ、そして自分の秘めていた想いを思いがけない形で知られてしまった夕立。二人の間に妙な空気が流れる。戦場に居るはずなのに、どこか緩い空気が流れる。

 

 

『まぁ、いいや。それで、ご用はなぁに?』

 

『あぁ、いや、ちょっとお前たちに言いたいことがあってな……』

 

 

 だが、それも夕立の言葉で一気に引き締められる――――わけもなく、どこか緩い空気のまま、状況は続く。だがしかし、やはりというべきか、その空気が異様に居心地よかった。どうやら、私も既に染められていたようだ。

 

 

 そんな緩い空気の中、あいつは一つ咳払いをしてこう言った。

 

 

『これから撤退時のルート確保と護衛を担う部隊を送り、退路を確保する。だから、皆はそのまま行ってくれ、金剛たちを、雪風を……そして、必ず皆で戻ってきてくれ…………俺は、戻ってきて欲しい。誰一人欠けることなく戻ってきて欲しい、皆帰ってきて欲しい。無茶かもしれない、無理難題かもしれない。だけど……だけどこれは嘘偽りない俺の――――明原(・・) ()の言葉だ。俺の想い、俺の願いなんだ』

 

 

 うん、知ってる、知ってる。知っているよ、知っているんだから。だからあの時取り乱したんでしょ? だからあの時何も言えなかったんでしょ? だから今、そんな震えた(・・・)声なんでしょ?

 

 今さら、なんて言わない。分かり切っている、なんて言わない。あんたがずっと閉じ込めていた想いを、秘め続けた願いを、こうして口に出したんだ。それを否定するなんてしないし、誰にもさせないし、なるべく多く、沢山、出来る限り受け止めるつもりだ。

 

 

 

『そして、曙』

 

 

 そう、腹を括った筈なのに。そう、覚悟を決めた筈なのに。あいつは、私の提督は、明原(・・) ()は。あっさりと、悠々と、楽々と、私の覚悟を越える言葉を寄こした。

 

 

 

『信じている』

 

 

 無線の向こうから、そう聞こえた。その瞬間、身体が震えた。それは、すぐに消えた。いや、全て消えたのではない。あるもの(・・・・)を残してくれた。

 

 

『お前の言葉を、そう言ってくれたお前(・・)を俺は――――――明原 楓は、信じている』

 

 

 続けられた言葉――――贈られた言葉を、私は受け取った。

 

 『信頼』をくれた。『信用』をくれた。何も無いくせに大見得切った私に、根も葉もないことを嘯いた私に、嘘偽りによって散々に貶され、辱められた駆逐艦 曙()に。

 

 あいつはまたしてもくれたのだ、送ってくれたのだ、授けてくれた、残してくれた。

 

 

 

 私だけの『理由』を、唯一無二のそれを。

 

 

 

『――――じゃあ、母港で待ってる(・・・・)

 

 

 そう言って、あいつは通信を切った。皆で戻ると、私が何とかすると、そんな都合の良い言葉を信じて、彼は待ってくれる。

 

 他の子がそれをどう受け取ったのかは分からない。だけど私はその言葉で、その言葉だけで。

 

 

 

 艦娘(仮)()は、十分だった。

 

 

 

今更(・・)、何だよ……」

 

 

 それと同時に、言わせまいとしていた言葉を吐いた()が居た。その方を見る、やはり北上さんだ。その顔には先ほどの複雑な感情は無かった。あったのは一つ、一つだ。それも、どうやら私と同じもの(・・・・)だった。

 

 それは『呆れ』、そして『諦め』。今更そんなことを言うのかという『呆れ』と、此処でじっとしていても仕方がないという『諦め』。

 

 これで動けるようになった、という小さな『喜び』。

 

 これを以て、キス島撤退作戦の第二次作戦行動。奇しくもそれは『奇跡の作戦』と同じく一人の男(・・・・)によって整えられた。いや、同じではないか。

 

 

 一度作戦の根幹を揺るがした筈の明原 楓(一人の男)が整えたのだから。

 

 

 

 北上さんから旗艦の全権を譲渡してもらい、そのまま夕立の元に急行。向かう道中に彼女が雪風と接触したことを聞き、それに返す形で『それ』を伝えた。

 

 

『何それ、面白いっぽーい』

 

 

 砲音と共にそんな感想が返ってきた時、誰しもが苦笑したのは言うまでもないだろう。そのまま、夕立は私たちがやってくるまで敵を押し留めておくことを了承してくれた。更に無線を捨て去った雪風にもそのことを伝えてもらう。

 

 

『やります、だってさ』

 

 

 すると、すぐ夕立から雪風の了承を得た言葉が返ってきた。どうやら彼女は既に腹を括っていたよう、いや既に腹を括らされていたのかもしれない。正直これ以上押し問答を続ける気は無かったから、非常に有難かった。

 

 

 夕立たちが時間稼ぎをしている間にその元へ向かい、電探が複数の反応を拾ったところで潮に斥候を頼み慎重に近づく。同時に、金剛さんに無線を飛ばし互いの位置関係を確認しておく。

 

 潮から二人の姿と敵艦隊を目視したとの報告を受け、すぐ彼女と合流。濃霧に紛れながら進む道中、やがて無数の砲音や艤装の金切り声が聞こえ始める。

 

 

 それと一緒に、あの忌々しい羽音もだ。

 

 

「予定通り、艦載機()は私に任せてもらおう」

 

 

 それを聞いたとき、真っ先に声を上げたのは響だ。同時に彼女は艦載機を撃墜する策を提示した。艦載機を一か所に集めてそこに魚雷を投擲し狙撃、誘爆を以て一網打尽にするというものだ。そして、その魚雷投擲を夕立に任せるというのだ。

 

 

「空中に飛ばせる且つ投擲の衝撃で誘爆しない魚雷って、手で握りしめても平気な彼女のしかないじゃないか」

 

 

 無茶では……という目を向ける一同に、響は説得らしき言葉を吐く。説得力皆無ではあるが、何故かその言葉に納得してしまった。それに彼女がやると言ったのだ、こちらとしてもやってもらわなければ困る。ここまでやって来てしまったのだ、考え付くことは全て試すしかない。と、いうことでその案に乗った。

 

 

 そして、無謀極まりない『それ』は始まった

 

 

 響、北上さんによる艦載機の撃墜を皮切りに、二人は濃霧を飛び出して更なる砲火を上げる。そんな二人と一緒に飛び出した潮は『目』として私に視覚情報を送ってくれる。

 

 私は電探に引っかかった反応と潮の情報を照らし合わせ座標を特定。それを無線に乗せて金剛さんに送る。それを受けた金剛さんが主砲を遠方射撃を敢行。初撃は幸運にも敵二個艦隊旗艦の片割れ、重巡リ級に命中、そのまま撃沈させた。

 

 次に響によって艦載機が一網打尽にされる。響と夕立が通信した様子はなく、どうやら夕立は天性の感で響の狙いを見抜き、それに合わせたようだ。彼女の戦闘に対する驚異的な嗅覚に驚きつつも、私は自身の役割を淡々とこなすことに集中する。

 

 電探があるとはいえ、座標の計測から金剛さん用の砲撃地点座標をはじき出すのは困難を極めた。レーダー射撃が重宝されないこと、そして駆逐艦(私たち)が行えない理由はこの膨大な情報量だと思う。これは駆逐艦ではなく、一度に複数の艦載機を操る航空母艦たちの方が得意とすることだ。

 

 そんな畑違いの役割はそのまま私への負担となる。血管がはち切れそうな程頭をフル回転させ、ゆで上がるのも構わず計算を続ける。正直、回避行動と並行するなんて無理だ。もし濃霧が無ければ、私は誰かに護衛されていただろう。ある意味、この戦場であったことも『幸運』だったのだ。

 

 

 だが、途中で戦艦ル級の動きが変わった。彼女は砲口を囮たちから『目』に変えたのだ。

 

 

 そのせいで潮からの情報が妨害される。それまである程度敵の数を減らしていたが、この状況で一度のミスは致命的だ。すぐに座標の伝達を止め、自力で得れる情報を集める。

 

 

『曙ちゃん!! 逃げて!!』

 

 

 唐突にやってきた潮からの無線。それと私目掛けて迫る無数の砲弾を感知したのは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 襲い掛かる砲弾の雨がもたらした爆風、衝撃、熱風に身体を焼かれた。息も出来ないほど、助けを求めることすら出来ないほど、私は砲火に晒された。髪留めが吹き飛び、制服が焼き焦がされ、艤装の装甲部分がはじけ飛ぶ。皮膚が焼かれ、髪も焦げた。

 

 

 だが、沈まなかった。

 

 

「ぁ……」

 

 

 砲火が過ぎ去っても、私は水面に立っていた。何もかもがボロボロで、傷だらけで、四肢の一つも吹き飛んでもおかしくない砲火だったのに。五体満足で、私は立っていた。

 

 

 そして幸運なことに、艤装、無線、電探――――全て生きていたのだ。

 

 

「曙……健在なり……損害、軽微ならざれど……航行に支障……なし」

 

 

 無線にそう語り掛ける。僚艦たちに向けて自分は健在であると、伝えた。すると、無線の向こうからこんな言葉がやってきた。

 

 

 

『強い意思……もう、ここまでくると執念だねぇ』

 

 

 それを向けたのは北上さん。その声色は冗談っぽくやはりどこか呆れていた。だが、彼女が溢した言葉は冗談ではない。私に向けた、れっきとした称賛だった。

 

 

 『強い意思』―――――それは花言葉だ。

 

 私の髪留めに付いている花――――――ミヤコワスレの花言葉だ。よく上げられる『別れ』や『しばしの慰め』ではない、ミヤコワスレ()の花言葉だ。

 

 そして私は今、立っている。幸運にも五体満足で、いや、これは幸運(・・)なんかじゃない。私が今、こうして立っているのは、こうして圧倒的戦力差で抗っているのも、全部幸運なんかじゃない。そんな軽い言葉で片づけられたくない。

 

 これは私たちが強く望んだ(・・・・・)からだ、私が全員帰ると固く誓ったからだ。全員が帰ると、同じ目標を掲げたからだ。

 

 

 全員がそれを達成させようとしたから、その中でも私が最も『強い意思』を持っていたからだ。

 

 

 

「上等ぉ……見せてあげるわ」

 

 

 見せてやろう、正してやろう、証明してやろう。ただ運が良かっただけじゃない、幸運だったわけじゃない、幸運の女神に愛されたわけじゃない。

 

 私はただ、ただずっと続けてきただけだ。何があろうと、どんな状況に陥ろうと。決してブレることなく、決して脇目を振ることなく、ひたすらに続けてきた。その積み重ねがようやく芽吹き、こんなにも綺麗な花を咲かせたのだ。

 

 その花に女神というヤツが見惚れただけ。見惚れるほどの美しさだったのだ、女神が目を奪われるなんて当たり前だったのだ、必然だったのだ。『幸運に恵まれただけ』、なんて言葉は見当違いだ。恵まれるだけのことをひたすらに続けて、必然的に実ったのだ。幸運艦(あんたたち)もそうだったはずだ。

 

 『強い意思』()がどれほどのものか、どれほど執念深い(・・・・)か、諦めが悪いか、往生際が悪いか。改めて、思い知らせてやろうじゃないか。

 

 

 その時、私の目に映ったのはミサンガ。オレンジ色の紐にヒロハノハナカンザシがあしらわれた方だ。そして、それを指し示す存在を、彼女(・・)が持つ花言葉を思い出した。

 

 

「飛翔……ね」

 

 

 彼女の言葉は『飛翔』。そして文字通り、彼女は飛翔した。このミサンガを送られてから、彼女はずいぶんと高く飛べるようになったようで、その証拠を先ほど私は見た。彼女は高く飛べるようになった。そして私は彼女の傍に居ると約束した。どうやら、置いてけぼりを喰らっているのは私のようだ。

 

 

 じゃあ、私も一緒に(・・・)飛んでみようじゃないか――――そう心の中で溢し、私は大海原へと飛び出した。

 

 

 

「左30!! 上34!! 距離18000!!」

 

 

 先ほど出来ないと言った回避行動と並行して座標特定、それをがむしゃらにこなしていく。はじき出した座標を無線に吠える様に飛ばし、その数秒後砲弾が降ってくる。それは私が指し示した座標ぴったりに、そこに居た重巡リ級を吹き飛ばした。

 

 なんだ、案外出来るじゃん。そんな軽口を心の中で叩きながら、私は続行する。その後、私が送り続ける座標に次々と砲弾が降り注ぎ、時に夾叉弾を、時に命中弾を出しながら着実に敵艦を減らしていく。

 

 その間私を狙ったル級も混乱しているようで、ひたすら回避行動に務めている。しかし、その視線は忙しなく動いており、その思考もまた回っているのだろう。

 

 恐らく、いや、確実にあのル級はこちらの魂胆を見抜いてくる。見抜かれるまでにどれだけ向こうの数を減らすかが勝負だ。

 

 

 そしてル級以外の敵艦を沈めた時、その動きが変わる。私への弾幕を分厚くしたのだ。それは回避行動に専念しなければ避け切れない程に。それを以て、私は魂胆が見抜かれたと悟った。

 

 

「右40、上35、距離6000」

 

 

 そして、その座標を金剛さんに伝えた。それは今まで向けていた方角とは違う、言ってしまえば出鱈目な座標だ。金剛さんの砲撃まで時間がかかる。その時間はせいぜい1分もない。この1分で、勝負を決めようと言うのだ。

 

 

 私は座標を伝えた後、ル級目掛けて突撃した。理由は単純、今しがた送った出鱈目な座標にル級を誘い込むためだ。

 

 ふと、私はあの時のことを思い出した。それは潮と一緒に行った航行演習だ。あの時私が見せた航行方法が、そっくりそのままル級との戦況に似ていた。だから行うべきこと、成すべきことが手に取る様に分かった。恐らく、夕立が縦横無尽に立ち回った時も、こんな感覚だったのだろう。

 

 だけど、やはり無理があった。全てをかわし切れず、ル級の副砲を喰らってしまう。一瞬、体勢が崩れる。だがやはり、いや当然と言ってしまって良いだろう。私は沈まなかった。

 

 そして、それを待っていたと言わんばかりにル級は全ての砲門を向け、砲撃を敢行した。先ほどは食らいながらも何とか踏みとどまった、だが今回直撃すれば無事では済まないだろう。

 

 だが当然、砲弾は私に当たることは無かった。ただ周りに水柱を上げただけだ。そしてそれを前にして、私がやるべきことは一つだ。

 

 

「あぁああああああ!!!!」

 

 

 叫び声を上げながら、目の前に立ち上がる水柱に突っ込む。一瞬身体が上に引っ張られるも、その感覚は水の壁を抜けると同時に消え去った。当然、私は水柱を突き破ってすぐに立ち上がる。

 

 そしてル級の位置を見る、先ほど私が指し示した場所にいた。それを見て、私は思わず笑みを溢す(・・・・・)

 

 どうだ、どうだ。こうも上手くいったぞ、こうも上手く事が運んだぞ。これが私だ、これが『強い意思』だ。見直したか、気付いたか、どれほど綺麗か思い知ったか。

 

 

 さぁ、これで終わりだ――――そう最後通告を向けて、私は再び突撃した。

 

 

 ル級は尚も金切り声を上げて砲撃をするも、その全てが見当違いだ。無意味に弾をばら撒き、ただ水柱を上げ、自身の思考を陥らせていく。

 

 私は悠々と彼女に接近する。その距離は瞬く間に縮み、目前となった。その瞬間、私は急ブレーキをかけてル級目掛けて盛大な水しぶきをかける。目くらましであり、これから私が成すことを悟られないように。

 

 水しぶきでル級が見えなくなってから、私は体勢を低くした。腰を据え、右手を前に突き出し、左手でその腕を支え、両の足で衝撃に備えるように踏ん張る。右手の先は親指と人差し指を意味有り気に立て、そのまま静止する。

 

 やがて水しぶきが消え、目を瞑っていたル級が現れた。その目はゆっくりと開かれ、そして私を見て目を丸くした。

 

 

 

発射(fire)

 

 

 そして無線の向こうから金剛さんの声が聞え、ほぼ同時にル級の背中から爆炎が上がった。それを受け、私はすぐにル級と距離を取る。そして、彼女に向けて敬礼した。

 

 理由はない、意味もない。ただ何となく、何故か申し訳なく感じたから。敵である筈なのにそう感じるんは可笑しいだろうか。そうかもしれない、何せ私は艦娘ではないのだから。

 

 

『次弾、装填完了。5(five)4(four)3(three)2(two)……お休み(good night)

 

 

 無線の向こうから、金剛さんのカウントダウン、そして同じような言葉が聞こえてきた。それと共に贈られた砲弾は悉くル級の身体に突き刺さり、その目から光が失われた。

 

 

 

 これにてキス島撤退作戦、その第二次作戦行動は完遂された。

 

 なんてことは無い。私が立案した作戦がそのまま採用され、こうして敵艦隊を撃滅した。複数の中破艦を伴った進撃であったために損害は甚大だが、辛くも轟沈者は出なかった。なし崩しに始まったとはいえ、よくここまで上手く事が運んだものだ。

 

 

 勿論、それは賭けた代償のお蔭だ。

 

 この作戦には敵を撃退する方法しかない。言い換えれば身の保証はノータッチなのだ。沢山の命を天秤にかけた、色んな想いをふるいにかけた。人を、モノを、天候を、時を、それら全てに手を出したのだ。

 

 決して一つにならないであろうありとあらゆる事柄を無理やりくっつけ、強引に縫い付け、つぎはぎだらけのちり紙に。鉛筆、ペン、クレヨン、筆、果ては刃物など何かを記し、刻み付けるものを用いて走り書いた、殴り書いた、塗りつぶし、絵具を落としただけ、刃を突き立てただけの。

 

 

 そんな『作戦(落書き)』なのだ。

 

 

「疲れたっぽーい……」

 

 

 緊張感皆無、脱力感全開の声を上げたのは夕立だ。足と肩、腕に痛々しい弾痕が見え、そこから少なくない血が見える。艦載機に撃ち抜かれたのだろうか。そんな彼女は両脇を北上さん、響に支えられながらこちら近づいてきていた。

 

 

 夕立―――『作戦(落書き)』における一投目だ。

 

 僚艦の中で最大戦力と言っても過言ではない存在。駆逐艦にはあるまじき高火力、動物並みの反射神経、強靭な体幹と絶妙なバランス感覚、他の追随を許さない圧倒的士気の高さ。彼女が備えていたもの全てを発揮してくれた。

 

 それに彼女は一度目の頓挫時、真っ先に動いた。真っ先に動いてくれて、そして時間を稼いでくれた。そのおかげで私たちは間に合った。同時に奇襲と言う最高の舞台を用意してくれた。非常に有利な戦況に持っていく光明となってくれた。

 

 

 彼女は、最大の功労者だ。

 

 

 北上さん―――――『作戦(落書き)』を整えてくれた人。

 

 本来の旗艦であり、私に旗艦権限を譲渡してくれた。そして私がぶち上げた作戦(・・)の色を選び、配色を決め、適量を持って現実味を帯びさせてくれた。

 

 大破進撃を上げる雪風に真っ向から反対、最後まで対立姿勢を崩さなかった。そして真っ先に動ける夕立に指示を飛ばし、なし崩しに始まった進撃を途中まで進めてくれた。彼女の中の理由はどうあれ、譲渡後は私のサポートに呈してくれた。私の指し示した座標へ的確に砲撃を加え、同時にデコイ(・・・)としても役立ってくれた。

 

 

 彼女は、影の立役者だ。

 

 

 響――――『作戦(落書き)』における最大の障壁を取り除いてくれた人。

 

 それ(・・)を実行する上で最大の壁であった艦載機の存在。大量に引っかかる(・・・・・・・・)であろうそれらを堅実な対空戦闘をこなしながらその砲撃を持って一網打尽にしてくれた。同時に彼女も北上さんと同じく的確な砲撃とデコイも担ってくれた。

 

 

 潮――――『作戦(落書き)』を描く私の『目』になってくれた人。

 

 唯一の自衛手段であった主砲を北上さんの言葉で響に譲渡し、自らは私の『目』になってくれた。己の身一つで敵前に飛び出し、砲撃も出来ない状態ながらもしっかり、正確に情報を送り届けてくれた。

 

 

 そんな皆が居て、私が居て、そしてあいつが『信頼』をくれたから。皆が同じ思いを抱き、それを私が指し示し、その思いを信じてくれたから。

 

 

 そんな『強い意思』を、何者にも負けない美しさを持った願い()を咲かせたからだ。

 

 

 

 そして、その向こうに目を向ける。そこに、彼女が立っているからだ。ボロボロの身体で、私たちから最も離れた所に立っているからだ。

 

 その顔には力ない笑みを浮かんでいる。まるで物語のハッピーエンドを見る読者のように、舞台上で幕を下ろす活劇を見る観客のように、自分には関係ないことだと諦めているように、他人事だと嘯くように。

 

 

 

 そして、その背後に大きな腕を振り上げるボロボロのリ級が見えた。

 

 

「雪風!!」

 

 

 私はそう叫び、艤装の速度を全速にした。トップスピードで飛び出した私の身体は驚くほどスムーズに海面に着水、そのまま雪風に迫る。だが、それと同時に深海棲艦の腕が真横に振り切られ、鈍い音と共に雪風の身体が真横にふき飛んだ。

 

 水切りのように海面を跳ねる雪風、その身体から無数の金属片が飛び散る。同時に真っ黒な液体、真っ赤な液体も。どれもこれも彼女の命を繋ぎ止めるものだ、辛うじて残されていたであろう、彼女の命そのものだ。

 

 

「ッ!?」

 

 

 私の叫び声に周りも反応し、いち早く砲口を向ける。が、雪風とリ級との距離が近過ぎるせいで撃つことが出来ない。それを受け、誰しもが私と同じく雪風に近付く選択をした。だがその遅れが致命的であり、彼女たちはこのレース(・・・・・)から早々に脱落した。

 

 

 参加者の殆どが脱落したこのレース。そこでデッドヒートを繰り広げるのは2つの影。

 

 1つは追撃せんとその腕を高らかに振り上げるリ級。その手には禍々しい魚雷があった。恐らく、先ほど振り切られた腕にも握られていたのだろう。殴打による衝撃で自分もろとも雪風を吹き飛ばそうとしたのだろう。運悪く起爆しなかったため、今度こそ己が使命を全うせんと猛然と向かっていく。

 

 もう1つは私だ。相対するリ級とは違い、私には何もない。リ級を屠る砲も、雪風を守る盾も、あるのは己が身一つだけだ。このまま突っ込んだところで、何が出来るわけもない。ただがむしゃらに、猛然と、無策で突っ込む馬鹿だ。

 

 

 だが、それがどうした(・・・・・・・)

 

 

 無策でどうした、馬鹿でどうした、敵を屠る術も持たず、雪風も助けられず、あいつの願いも叶えられない、何もすることが出来ない。そんな私だ、私だ、私なんだ、艦娘じゃない艦娘(仮)()なんだよ、『曙』なんかじゃない私なんだよ。『曙』の名を冠して艦娘になった、ただの人間(・・・・・)なんだよ。

 

 だけど、今この時、この状況、この瞬間、『私』がすることなんて、決まっているじゃないか。例え砲を持とうが、例え大破していようが、やることは、為すことは、出来る(・・・)ことは、もう既に決まっているじゃないか。

 

 

「っぁ!!」

 

 

 やがて、たどり着いた。先に着いたのは私だ。いや、着いたのではない。リ級とは別のゴールを見つけただけだ。雪風ではなく、雪風とリ級の間。猛然と雪風(ゴール)に向かうリ級の行く手を阻んだのだ。その間に割り込み、両手を広げ、迫りくるリ級の前に立ち塞がったのだ。

 

 リ級は死に物狂いで獣のよう叫び声をあげ、勢いよく腕を振り上げた。その手には魚雷が、私の命を刈り取るそれがある。振り下ろされてしまえば最後、私は木っ端みじんにされてしまうだろう。

 

 

 これが『私』の最期なら、潔く受け入れよう―――――そう思えた。

 

 

 

 

 だがその瞬間、奇妙な光景が見えた。

 

 

 そこは晴れ渡った空。清々しいほど青く、欠伸が出てしまうほど穏やかな、麗らかな日中の1コマ。そして、そんな晴れやかな空の下で佇む男が一人。あいつである。

 

 晴れやかな空に反して、その顔は無表情だ。無表情で、視線だけを下に落としている。その先にあるのは地面に突き立てられた石、その前には花が手向けられていた。そして、手向けられた花は全て同じ――――ミヤコワスレだ。

 

 不意に、あいつの顔が苦痛に歪み、そして顔を隠す様に帽子の深くかぶる。だが、隠せなかったのだろう。その頬には一筋の雫が流れる。

 

 

 あぁ、もう、なんでよ。ただ私がいなくなっただけじゃない、ちょっと願いを叶え切れなかっただけじゃない。私だけ戻れなかっただけじゃない。

 

 

 ―――――だから、もう、さぁ。

 

 

 

「そんな顔、しないでよ」

 

 

 無意識にそう漏れていた。そしていつの間にか私は片腕を前に突き出し、もう片方でその腕を支え、腰を低く据えていた。

 

 そして突き出した片腕に、黒く光る金属の塊(・・・・)があった。同時に、『ガコン』という音がその塊から聞こえた。同時に私は片眼を瞑り、狙いを定めていた(・・・・・・・・)

 

 

 

 次に私は――――――『曙』は大きく息を吸っていた。

 

 

 

「いっけぇー!!!!!」

 

 

 喉が、肺が、心臓がはじけ飛ぶかのような大声を張り上げ、()は叫ぶ。同時に、黒い金属の塊―――――『曙』の砲門が轟音、硝煙、爆風を起こしながら砲弾を吐き出した。突然の砲撃、何より回避という選択肢を放棄していたリ級にその砲弾を避ける術はない。

 

 やがて、まるで刈り取られたかのようにリ級の頭部が消えてしまった。その後方で海面に落ちる何か、そして頭部を失ったリ級の身体はフラフラと数m進み、やがて海面にその身を伏した。

 

 

 

 その後、静寂が訪れた。私の耳に聞こえるのは自身の荒い息遣い、そして潮風に吹かれて海面を滑る白波の音だけ。

 

 

「雪風ぇ!?」

 

 

 不意に背後から聞こえた声。北上さんだ。彼女は今しがた私が守った艦娘の名前を叫んだ。彼女が追い付いたと言うことは、他のメンツも同様ということだ。そして、彼女は駆け寄ってきたのだろう。その言葉を受け、私は後ろを振り向いた。

 

 確かに、そこに北上さんはいた。彼女だけではない、潮や響、夕立も。レースに出遅れた面子は全てそこにいた。

 

 だが、それだけ(・・・・)。出遅れたメンツだけ(・・)、彼女たちだけ(・・)だった。

 

 

 

 

 そこに居るはずの、雪風が居なかった。

 

 

 

「え」

 

「くそ!! 届けぇ、とどけぇ!!!!」

 

 

 私の声は必死の形相でそう叫ぶ北上さんの声で掻き消された。彼女は今、海面に這いつくばっている。這いつくばり、片腕を必死に海中に伸ばしている。そして、何か(・・)を掴もうとしている。

 

 

 その何かを私は海面の向こう側で――――下へ黒く、深く、何もかもを飲み込んでいく深海で見た。

 

 

 

 

 満足そうな笑みを浮かべながら沈んでいく(・・・・・)、雪風を。


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