新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『強者』たるもの

 この世で最も強い者は何か。

 

 炎、水、風、光、空気、重力などの無機物に始まり、人、怪物、化け物、鈍器、火器、銃器などの有機物。果ては道端に転がる石ころ、屋根から垂れる雫、容易に跨いでしまえる水たまりでさえ、それを前にした存在にとっては等しく強い者となる。

 

 ではこの途方もなく続く潮水の溜まり場――――海において強者とは何か。先ず挙げられるのは鮫、鯱に始まる肉食動物、次に徐々に熱を奪い、間断なく体力を奪い、最期は静かに、誰にも看取られなく水面の底に誘う海そのもの。だが少なくとも、彼女(・・)はそのどれもこれもが強者となり得ない。

 

 まず動物に襲われることはない。もし襲われればその強靭な装甲が防ぎ、両腕に携えた砲門が火を噴くからだ。それ以前に生気の無い彼女を襲おうとする動物もそういないからだ。

 

 まず海に飲み込まれることはない。大しけにあっても、たとえ機関部が停止してもこの船体は浮き続ける。浮力と言う自然の摂理に則って、沈むと言う選択をしない限りは漂い続けるからだ。

 

 

 では、彼女にとって(・・・・・・)強者とは何であろうか。

 

 彼女は並大抵の衝撃なら容易く跳ね返してしまうほどの装甲を持ち、並大抵の存在なら瞬く間に火だるまに変えてしまうほどの砲火を持つ。強いて言えば彼女の砲火が届かない空からの襲撃、海中から現れどてっぱらを食い破る忌まわしき鉄の魚、彼女の装甲をものともしない超巨大戦艦(・・)、それぐらいだ。

 

 それが彼女自身『最強』の言葉を背負えるほどの存在ではないが、少なくとも『強い者(それ)』の中ではなかなかの上位に食い込めるからであろう。

 

 

 そして今、彼女が対峙するのは弱者たちだ。

 

 彼女から離れた場所に一人の駆逐艦。震える足で立ち、息も絶え絶えで、立っているのもやっとな状態な弱者(それ)。次にもっと離れた位置で水面を走るもう一人の駆逐艦。それもまたボロボロの恰好で動き続けている、ほうほうの体で逃げ続けている。彼女の目に映るそれらは、ただただ己の砲火に蹂躙される獲物でしかない。

 

 

 単艦、それも大破状態で航行する駆逐艦を見つけ砲火を交えてどれほど経ったか。

 

 

 途中、中破状態の駆逐艦が乱入しロ級、ホ級を沈められはしたものの、戦況は相変わらずル級たちに傾いている。無傷の戦艦1隻、重巡2隻、駆逐艦1隻に対し、向こうは駆逐艦2隻それもどちらも大破している。

 

 現状、彼女たちからの砲撃による損傷は皆無。無傷の駆逐艦が放つ砲撃など、彼女にしてみれば蚊に刺された程度だ。逆に言えば、向こうはこちらの攻撃を避けるので手いっぱいなのだ。最初の損害は奇襲によるもの、ただの砲撃戦に持ち込んだ今、駆逐艦たちに勝機は無い。

 

 

 贔屓目に見ても、どれほど屁理屈をこねても、ル級たちが敗北する未来は起こり得ないのだ。

 

 

 その意思を、確固たる意志を噛み締め、呑み込み、腹に落とし込み、彼女は再び砲門を前に向ける。次こそ(・・・)その弱者を葬り去るために、今度こそ(・・・・)灰燼に帰すために。照準を合わせ、腰を据えて反動によるブレを抑え、あらん限りの力を込め、引き金を引いた。

 

 次の瞬間、耳をつんざく爆音が、全身を襲う衝撃が、突風が、『砲撃した』と言う事実が様々な形を持って彼女に降りかかった。そして、事実は黒い砲弾となって弱者へと襲い掛かる。距離は1000mを切っており、到達時間は数秒、いや数える暇もないだろう。そして満身創痍のそれに避ける余裕も、耐える余力もない。彼女から吐き出された砲弾によって、爆炎を上げて水面に沈むのみ。

 

 宣告通り、砲弾は瞬く間に距離を詰め、遂にその眼前へと肉薄した。次の瞬間、辺りは爆炎に包まれるのだ。それを持って、これとの対峙が終わる。残るもう一人に襲い掛かるのだ。それが道理だ、運命だ、自然の摂理に準ずる結果だ。

 

 

 だが次の瞬間、いや何時まで経ってもそれらはやってこなかった。爆炎も、黒煙も、衝撃も、轟音も、何も来なかった。辺り一面何処を見回しても、目を皿のようにしても、血眼になっても何も見つけられない。ただ弱者(それ)が立ち尽くすのみ、何も変わっていないのだ。

 

 ようやく、待ち望んだ変化があった。それは遥か彼方で立ち上がる大きな水柱だ。その大きさからして、恐らくは彼女が放った砲弾が起こしたものであろう。そう、彼女が起こした事実がもたらしたのは、ただ何もない場所に水柱を立ち上げただけ。要するに、『無駄弾を放った』ということだ。

 

 照準が狂った、手元が狂った、ブレが大きかった、そもそも砲弾があらぬ方向へ飛んでいった等々、考えらる原因はある。しかしそのどれもこれも、既に目を通した(・・・・・・)ものばかりである。もう何発も放っているのに、その数だけ修正と改善を行ったはずなのに、もたらされる事実は『無駄弾を放った(それ)』ばかり。どれだけ標準を合わせ、修正し、ブレを抑え、万全を喫した上での砲撃を、そのどれもこれもを無駄弾になってしまうのだ。いや、されてしまう(・・・・・・)のだ。

 

 

 その時、駆逐艦の身体が揺れた。

 

 腰まで伸びる金髪を翻し、両手にあらん限りの黒い筒―――――魚雷を持ち、鮮血のような真っ赤な瞳を、刃物のような鋭い光を宿した眼光を、おおよそボロボロの駆逐艦が浮かべることが無いであろう笑みを浮かべて。まるで獲物を前にした強者のような面構えで。

 

 

 

「夕立、突撃するっぽい」

 

 

 そう淡々と、懇々と、これから起こす『事実』を宣告するかのように口を開く。次の瞬間、彼女の身体はフルスロットルによる超加速によって舞い上がる水しぶきと共に空中へと踊り出た。

 

 

 その顔に、圧倒的強者の顔――――余裕の笑みを浮かべて。

 

 

 それを前にして彼女――――――戦艦ル級は負けじと咆哮を上げ、まだ再装填のままならない砲門を構えた。次の瞬間、先ほどとは比べ物にならない程小さな砲声が立て続けに上がる。主砲ではなく、その側にある副砲による連続砲撃だ。照準なんて無視しただ弾の続く限り砲声を上げ、大量の鉛玉を吐き出させる。

 

 大量に吐き出された鉛玉は鉄のカーテンとなって駆逐艦に襲い掛かった。それを前に、彼女は臆することなく真正面からカーテンに突っ込む。傍から見れば無謀ではあるが、カーテンとの接触面積が少ない小さな体躯、眼前に迫る顔ほどの砲弾を敢えて(・・・)ギリギリで避ける反射神経と胆力、超人的な身体機能の前に鉄のカーテンは彼女の頬を撫でる程度のモノでしかなかった。

 

 その速力もそうだ。1000mという距離を瞬く間に縮めてくる。800m、700m、600m、ついに500mを切った。それに呼応するように駆逐艦の瞳が爛々と輝き出す、その艤装からはけたたましい唸り声が上がり、黒々とした魚雷の先端が一瞬静かに光る。

 

 

 確実にこちらの命を刈り取りに向かってくる。

 

 

 だが、それよりも先にル級の主砲が声を上げた。砲弾の装填完了、砲撃可能の合図だ。それを受け、彼女は硝煙を燻らす副砲を下げ、その代名詞たる主砲を押し出す。絶え間ない発砲で熱を帯びた副砲をそのまま下げたため、密かに彼女の肌は焼かれた。そんな痛みをものともしない彼女は迫りくる駆逐艦に向けて照準を合わせる。

 

 対して夕立は主砲を向けられたにもかかわらずそのまま突撃を、いや艤装の唸り声が更に高まったことからスピードを上げて突撃した。真正面から主砲の砲撃を受ける覚悟か、それともこの超至近距離の砲撃を避け切る自信を持ってか、その真意をル級が知る由もない。

 

 

 その姿に、ル級は驚愕した。それと同時に、凄まじい恐怖(・・)を覚えた。

 

 主砲の砲撃がこの駆逐艦に命中するのか、幾度となく避けられたこの主砲が、この駆逐艦に命中することに対しての信頼が皆無の役立たず(デカブツ)が、万が一に命中したとしても至近距離による爆風で自身に何らかの被害を被らないか、むしろ命中をもってしてもこの駆逐艦を止められないのではないか――――

 

 様々な想定、想像、妄想、幻想、ありとあらゆる事象を瞬く間に想起させてしまったル級の動きは、ほんの一瞬、止まってしまった。その一瞬の静止が、一つの迷いが、一滴の恐怖心が、後に迎える己の運命を決定付けると悟ったが、既に遅かった。

 

 

 ル級が気付いた時、彼女が弱者と格付けていた駆逐艦は強者の顔で目の前にいたのだ。獰猛な笑みを浮かべ、嬉々とした様子で、真っ赤に染まる瞳を輝かせた、そんな『強者』が居たのだ。

 

 そしてもう一つ、彼女は間違いを犯した。その強者を前にして、目を瞑ってしまったのだ。強者に命を刈り取られる弱者のように目を、恐怖から目を背けたのだ。

 

 

 だが、不思議なことに彼女に『恐怖』は訪れなかった。ただ自身の砲門を踏みしめられる感覚があったのみ。それ以外は何も無い。何も来ない、何も起きない、ただ真っ暗な視界が広がるのみ。

 

 ル級は目を開ける。そこには大海原があった。先ほどまで目の前に迫っていた駆逐艦は何処にもいない。彼女が水面に刻み付けたであろう航跡があるのみ。それも、先ほど駆逐艦が居た所で途切れていた。ただ、その途切れた先が、どうも大きく乱れていた。

 

 その乱れ様は、まるで踏みしめた様に―――

 

 

 

「おーい」

 

 

 その時、背後から声が聞えた。ル級はすぐさま振り返る。そして見た、強者(・・)の姿を。

 

 

 

 彼女は立っていた。ル級の背後、そこから10mも進んでいない位置に。やはりボロボロだった。しかし、その姿勢は損傷を感じさせない。何事も無く、ただ立っている。手にした魚雷は沈黙を保っている、ひしゃげた主砲も同じ。そして嬉々とした様子も、獰猛な笑みも無く、ただ冷たい視線を向けている。

 

 

 

 次の瞬間、彼女はその表情のままチロリと舌を出す。それが何を表すか、何を意味するか、何と彼女が言っているのか。少なくとも、ル級はこう捉えた。

 

 

 

 

 『当ててみせろ』―――――そんな宣戦布告と。

 

 

 

 次の瞬間、ル級の主砲が火を噴いた。今度こそ、今こそ、この糞生意気な駆逐艦を沈めようと。その小さな体躯を木っ端みじんにしようと、その遺骸を残さぬよう、文字通り灰塵に帰すために。

 

 だが、それは叶わなかった。火を噴く直前、艤装の金切り声と共に駆逐艦が海原へ飛び出したからだ。ル級が吐き出した砲弾は、ただ彼女が巻き上げた水しぶきを食い破るに留まった。

 

 

「――ァ!!」

 

 

 それにル級はすぐさま副砲を前に押し出し、こちらに背を向ける駆逐艦目掛けて砲撃を開始する。照準なんて一切無視、ただ弾をばら撒く。無駄弾だと分かっていても、ばら撒かずにはいられなかった。当たるわけがないと分かっていても、照準を合わせる気は無かった。

 

 

 ただこの目に焼き付く、この瞳にこびりつく弱者の顔を。戦艦(弱者)に向けられた駆逐艦(強者)の顔を掻き消すために。

 

 しかし、やはり無駄弾は無駄弾か。踊る様に水面を走る駆逐艦を掠めることなく、ただただ小さな水柱を上げるのみ。それを背に、駆逐艦はすました顔でこちらん視線を送り、そのまま前を向く。まるで興覚めのように、興味の対象からル級を外したかのように。

 

 

 もう、獲物と言う枠組みからさえ外されてしまったかのように。

 

 

 だがその時、その駆逐艦の体勢が大きくぶれた。彼女の片足が引っ張られるように後ろへズレ、それに呼応するようにその身体全体が大きく横へ倒れる。恐らく艤装のエンジントラブルだろう。普通の船であればスクリューの一つが止まろうが航行になんら支障はないが、人の身であり全身を支える2本の片割れが止まれば大きく体勢を、勿論航行に致命的な支障となるのは当然だ。

 

 そして、それはル級に巡ってきたまたとない好機である。すぐさま彼女は副砲を押し出し、無数の薬莢を吐き出して発砲準備を整える。その間、体勢を立て直そうとする駆逐艦の顔が見えた。驚愕と焦りが浮かぶ、そして次の瞬間苦痛に歪むであろうその顔を。

 

 

 

 だが、またもやル級の視界から消えた。横からの衝撃により、ル級自身の視界がブレたのだ。

 

 

 だが、それは砲撃ではなかった。砲撃音も爆炎も黒煙も、言うてしまえば真横から殴られただけ。そんな小さな衝撃だけ(・・)なのだ。不意に足元に何かが当たり、ル級は足元に視線を落とす。

 

 そこにあったのは水面に浮かぶ双眼鏡。片側のレンズにひびが入っており、本体にも所々傷やへこみが目立ち、千切れかけているバンドには焼け焦げの他に握りしめた後らしき血の跡がある。しかし、それは決して沈むことなくゆらゆらと漂っていた。

 

 そして視線を上げると、ル級からそう遠く離れていない場所の水面に航跡らしき白波。そして、その白波の先に立つもう一人の駆逐艦。一人で笑いながら先行していた、ル級の砲撃を間一髪で避け、その後泣き叫びながら逃げ惑い、ロ級に食らいつかれ、それでも叫び声を上げながら逃れようとしていた。

 

 

 『死ぬ』ことを恐れていた弱者だ。 

 

 

 彼女は血まみれの腕を庇い、その顔には苦痛に歪んでいる。だがその下に恐怖はなく、何処か安心したような穏やかな表情があった。そしてその身体が真横に流れ、その背後から彼女に―――――こちら(・・・)に砲口を向ける我が僚艦たちと、それらが放ったであろう無数の砲弾が現れた。

 

 

 

 避ける間もなく、砲弾の雨はル級を捉えた。目の前が爆炎に、黒煙に包まれる。体内に流れ込む熱、身体を軋ませる衝撃。『着弾』の事実を告げるありとあらゆる事柄が彼女の身体を媒介にして現れたのだ。それも大破状態の敵が放ったなけなしの砲撃ではなく、重巡洋艦2隻の明確な殺意による誤射。

 

 

「あーーーっ……取ったぁ!!!!」

 

 

 その直後、ル級はそんな声を真下から拾う。同時に視界の下に乱れる金髪と水しぶきが映り、何かが足元を通り過ぎた。振り返ると先ほど体勢を崩した駆逐艦の後ろ姿が、その高々に掲げられた手に双眼鏡を握りしめた姿があった。

 

 

「ちょ、何やってんですかぁ!?」

 

「『みんな』で帰るんだもん!! 双眼鏡(これ)だって立派な『みんな』っぽい!! 一切合切、漏れることなく、全て、全部、全員……全員(みんな)一緒に帰るのぉ!!」

 

 

 焦ったように怒声を浴びせ、それにしたり顔で答える駆逐艦(強者)たち。戦場に、それも絶望的な戦況に身を投じているとは思えないほど、彼女たちから絶望の色が見えない。まして、じゃれ合うだけの余裕を見せる。

 

 その直後、リ級たちから報復とばかりに砲撃が放たれる。が、それを察した彼女たちは表情を引き締めて回避行動をとる。そして、案の定(・・・)リ級たちの砲撃は彼女たちの身体を掠めることなく、ただ何もない水面に無様な水柱を上げるのみだった。

 

 戦況はル級たちに傾いている。現にこちらの損害はリ級たちの誤射のみ。それ以外は無い、何も無い、何も無いのだ。被害は愚か戦果(・・)も無いのだ。

 

 金髪の駆逐艦に砲撃を喰らわせて以降、一切の損害を与えていないのだ。これほど圧倒的な状況で、弱者を磨り潰すだけの状況で、何の戦果も挙げていないのだ。

 

 

 

 弱者の皮を被った強者たち、戦線の膠着(彼女たちが望む壇上)でただただ踊らされているだけなのだ。

 

 

 

 

 

 その時、()が響いた。

 

 

 同時に、強者たちは空を仰ぐ。先程まであった余裕の表情を消し、驚愕に近いものに変えて。その直後、双方が舵を切ってその場から逃げるように移動する。

 

 

 次に現れたのは小さな水柱。ル級、リ級、ロ級でさえ起こすことができないほどの小さな水柱だ。それは音楽に合わせて立ち上がる噴水のように規則正しく、等間隔に、水面に線を描いていく。

 

 直後、ル級は黒い影に覆われた。それは瞬く間に消えるも、すぐに別の影が、また別の影が彼女を覆っては消えていく。

 

 

 今度こそ、ル級は空を見上げた。その先にいたのは何処までも続く青空の中に現れた黒い点―――艦載機である。それも艦娘たちのではない、深海棲艦(彼女たち)のものだ。

 

 

 それだけではない。今度は遠くから腹のそこに響く砲声が。直後、駆逐艦たちの回りに大きな水柱が立ち上がる。砲声の先を向くと無数の小さな黒い点―――重巡リ級に率いられた艦隊が見えたのだ。

 

 

 こちら側の援軍。この拮抗した戦況を揺さぶる、この茶番劇を終わらせる、起承転結の『結』がようやく現れたのだ。

 

 

 艦載機たちが餌に集るハエのように駆逐艦たちに襲いかかる。それに対し、2隻はジグザグに航行をすることで機銃掃射を掻い潜るも、無数に立ち上がる水柱は同時に彼女たちの視界を悉く奪っていく。

 

 そこに援軍たちからも砲撃が加えられ、その周りは一瞬にして地獄と化した。地獄を掻い潜る駆逐艦たちの顔に先程の余裕はなく、一心不乱に砲弾、弾丸の雨中を動き続ける。

 

 

 

「あああっ!!!!」

 

 

 その中で、金髪の艦娘が雄叫びを上げながらひしゃげた主砲を頭上に向けた。無造作に掲げられた腕、威嚇するように声を上げたところを見るに、目的は艦載機の撃墜ではなく威嚇射撃だろう。

 

 

 

 だが、示し合わせたようにその掲げられた腕を機銃掃射が撃ち抜いた。

 

 

「あ、ガッ」

 

 

 駆逐艦の悲鳴とも呻き声とも言えない声と共に、鮮血を飛び散らせながら力を失ったその腕から主砲が溢れ落ちる。直後、追い討ちとばかりに主砲の本体に無数の弾痕が刻まれ、それと同時に駆逐艦の肩、太股にも掃射の猛威が襲いかかる。

 

 

「ゆうだちさぁん!!」

 

 

 その姿にもう片方が金切り声をあげる。声を上げる彼女の身体にも無数の傷があったが、それは全て掠めた程度の軽傷ばかりだ。重傷度、痛み、全てにおいて金髪の艦娘に及ばない筈なのだが、その顔に刻まれた『苦痛の表情』は他の誰よりも険しく、深く、悲壮感に満ちている。

 

 心臓を握り潰されたのか、四肢のどれかを、その全てを消し飛ばされたのか、はたまたそのどれもこれもを一度に、同時に、一辺に被って漸く浮かべることのできるであろう『表情』をしている。

 

 

 しかし、そんなことなどこちらには関係ない。この駆逐艦たちを屠れさえすれば、ル級はどうでもいい(・・・・・・)のだ。茶番劇に終止符を打てれば、それで良い。そして、ようやくその時が訪れるわけだ。

 

 連合艦隊による駆逐艦2隻の撃沈ーーーーそんな当たり前の結末を迎えられるわけだ。今まで何度も何度も迎えてきた、どう足掻いても覆しようのない、残酷なまでに刻み付けられた、予定調和とも、テンプレートとも、ありとあらゆる物語で起用され続けた凡例とも。

 

 

 

 『宿命(さだめ)』とも、言うのだ。

 

 

 

 だが、不意に『宿命(それ)』は水を指された(・・・・・・)

 

 

 

 駆逐艦に群がっていた艦載機、その一つが突如爆発したのだ。その爆発に巻き込まれ他の艦載機も爆発、もしくは火を上げながら水面に落ちる。それ以外は蜘蛛の子を散らすように駆逐艦たちから離れていく。

 

 当の駆逐艦たちも何が起きたのか分からないという顔だ。状況、そしてその表情から艦載機を狙撃したとは思えない。

 

 ではまたもや誤射か、と疑うも機銃先は全てを眼下の駆逐艦たちに向けられている。その中でわざわざ砲口を上げ、味方しかいない方向へ発砲するとは考えられない。

 

 

 次に考えられるのは、援軍艦隊からの砲撃に巻き込まれた。駆逐艦目掛けて砲撃を加えている、そして艦載機たちは射程の短い機銃掃射のため至近距離にいる。状況的に妥当であろう。

 

 

 しかし、次の瞬間この結論すら否定された。

 

 

 艦載機爆発を受け砲撃をやめていた艦隊。その中の1隻、駆逐艦ロ級後期型が突如、爆発炎上したからだ。

 

 突然のことに周りは陣形を無視して炎上するロ級から離れ、残されたロ級は断末魔を上げながら沈んでいく。しかし最期まで沈むことすら許されず、先程よりも大きな爆発を起こしてその身を果てた。

 

 

 突如、立て続けに起こった原因不明の爆発。いや、原因不明ではない。原因自体は既に突き止めている。艦載機は分からないが、少なくともロ級轟沈の原因は誤射ではない。

 

 

 問題は、その原因が何処にいるか(・・・・・・)

 

 

 不意に、またもや爆発が起きた。

 

 

 ル級は爆発が起きた方向を見る。そこには火だるまになって落ちていく艦載機、その近くに浮かぶ濃霧。よく見るとその上部は何か(・・)が飛び出したのか、不自然な形をしていた。

 

 新たな被害に、何かを察したであろう艦載機の1機が濃霧へと突っ込んでいった。その腹には戦艦であろうとも沈めかねない巨大な爆弾を携えている。それを投下し、濃霧を消し飛ばそうと言う算段だ。

 

 羽音を響かせながら、艦載機はぐんぐん濃霧に近付いていく。近付くにつれてその音は大きくなってなっていくので、確実に察せられそうなのだが、濃霧は沈黙を保っている。

 

 その姿を前に、ル級たちは砲口をその濃霧に向ける。艦載機の接近に呼応して、何らかの動きがあると感じたからだ。同時に散らばっていた艦載機たちも濃霧から距離を取りつつ集結していく。

 

 艦載機の斥候、そして背後に控える艦隊の一斉射、そして艦載機群の弾幕という三重の構えを以て、ル級たちは来るであろう次の攻撃に備えた。

 

 

 遂に斥候の艦載機が濃霧に到達、その頭上に爆弾を投下した。爆弾はぐんぐん落ちていき、やがて爆弾は濃霧に吸い込まれ、次の瞬間濃霧を消し飛ばしてしまうだろう。

 

 投下を果たした艦載機はくるりと向きを向け、こちらに帰ってくる。

 

 

 だが、それは軽い発砲音とともに一瞬にして火に包まれる(・・・・)

 

 同時に(・・・)、濃霧目掛けて落下していたはずの爆弾が不意に向きを変え、濃霧から大分手前に外れた海に落ち、大きな水柱を上げる(・・・)

 

 同時に(・・・)、正に砲撃しようとしたル級の背後ーーーー同じく砲口を向けていた援軍艦隊の旗艦が砲撃される(・・・・・)

 

 

 

 

 

 その直後(・・・・)、濃霧から3()の艦娘が飛び出したのだ。

 

 

 

「対空砲用意ッ!!」

 

 

 その中の一人、黒髪のお下げを振り乱した軽巡洋艦らしき艦娘が吠えた。それに呼応するように、銀髪を棚引かせた駆逐艦が対空砲を頭上高くに向ける。その対空砲は、何故か従来の武骨な灰色ではなく淡いピンク色をしていた。

 

 

「てぇー!!」

 

 

 軽巡洋艦の号令と共に対空砲が火を噴き、同時に集結していた艦載機群から火の手が上がる。それも対空砲は尚も放たれ、火を噴く毎に1機、また1機と火だるまとなっていく。

 

 その恐ろしいまでの正確性に周りが狼狽える中、僚艦である重巡リ級が雄叫びを上げながら砲口を向ける。

 

 

 だが、次の瞬間その姿は爆炎に包まれた。

 

 

 突然のことに辺りを見回すル級。すると、先程号令をかけた軽巡洋艦がこちらに砲口を向けているのが見えた。距離は10000m。かの軽巡が持つ主砲は5か6inch程度の連装砲、射程もせいぜい20000mが関の山である。距離が延びれば命中率も下がり、尚且つトップスピードでの航行である。その状況で砲弾を当ててきたその手腕は並外れたものだろう。

 

 そんな感想を抱く間もなく、その向けられた鋭い砲声とともに砲弾が放たれる。ル級は直ぐ様砲門を盾とし、その砲撃を受けた。衝撃、爆発を起こすも威力自体は軽巡洋艦の砲撃である。ル級の装甲を抜かれる事はなかった。

 

 しかし、旗艦が砲撃されたという事実は艦隊に混乱を招く。僚艦である重巡リ、駆逐ロ級は突然の奇襲に狼狽えたように砲口を世話しなくあちこちに向け、援軍艦隊は統率する旗艦が撃沈されたせいで、混乱を極めていく。

 

 その混乱を他所に、艦娘たちは砲撃を加えながらこちらに突進してくる。混乱の中でも砲撃をする僚艦もいたが、そのどれもこれも照準も定めずブレも構わず、ただばら撒くだけの砲弾だ。そのどれもこれもが掠めることなく、艦娘の接近を許した。

 

 

 しかし、艦載機群の建て直しは早かった。群の中から数機が飛び出し、向かってくる艦娘たちに向け機銃掃射を放つ。対して艦娘たちは対空砲を放つも混乱から立ち直った艦載機を仕留めることは難しく、徐々に彼女たちの周りに水柱が目立ってくる。

 

 その中で、銀髪の駆逐艦が突如砲撃を止めた。その対空砲が火を噴く度に艦載機が落ちる、それほどの射撃技術を持った彼女が止めたのだ。その代わりに彼女の航行スピードがぐんぐん上がっていき、最高速度(全速)となる。その突出に艦載機の多くが彼女に群がっていき、弾幕は分厚くなっていった。

 

 流石に分厚い弾幕の中を無傷で駆け抜けることは叶わず、少しずつその身体にも損傷が増えていく。しかし、彼女はなおも砲撃を行うことはなく、淡々と弾幕を避けながら航行を敢行する。

 

 

 そして、艦載機の殆どが彼女に群がった時ーーーーそれはちょうど、彼女がポカンとしていた(・・)艦娘達の真横を通り過ぎた時だった。

 

 

 

(теперь)

 

 

 突如、銀髪の駆逐艦がそう声を漏らす。同時に通り過ぎた艦娘たち、その内の一人である金髪の駆逐艦が艦載機群目掛けて何かを放り上げた。

 

 それは彼女が手に握り締めていた魚雷である。それは一直線に艦載機群へ近付いていき、それを待っていたと言わんばかりに銀髪の駆逐艦が腕をーーーーその先に携えた対空砲を艦載機群に向けた。

 

 

 一発の砲声が鳴り響く。直後、それは帯びた強い数の爆発音によって掻き消されたのだ。

 

 

 目の前には黒煙に撒かれながら1つの火だるまが―――否、小さな火だるまがいくつもいくつも重なりあって大きな塊となって落ちていく。火だるまの中でも小さな誘爆を起こし、周りの空気を盛大にかき乱していく。乱高下する空気によって濃霧が起こり、その巨大な火だるまでさえも包み込んでいく。しかし、濃霧に包まれてもなおその輝きを奪い尽くすことは出来ず、その輪郭をぼやけさせるのみ。

 

 

 さながら、その姿は朝もやに包まれた日輪のよう。

 

 

 その神々しいまでの光景は、その見惚れるほどの光景はこちらに残酷な事実を突き付けた。こちら側の航空戦力の喪失を意味していたのだ。

 

 

 

「――――ァ!!」

 

 

 

 しかし、その光景にようやく立ち直った僚艦、援軍は雄たけびを上げながら砲撃再開した。敵に技術はあれど、所詮砲撃戦の優劣は弾を吐き出す砲の数に、砲の数は艦の数に比例する。艦の数はこちらが圧倒的、艦種の数、規模もこちらが圧倒的だ。

 

 

 そして何より、向こうの奇襲(・・)が終わった。

 

 

 艦娘たちは先ほどの突進をやめ、こちらから距離を取る様に迂回に務め始める。先ほどの一気呵成に攻勢がなりを潜めたのがそう意味していた。敵にこれ以上の策は無い、そう判断するに安い。事実軽巡1隻、駆逐艦4隻の水雷戦隊もどき、戦艦、重巡を中心とした連合艦隊に為す術があろうか。そこに半数以上が中大破の損害を抱えている、負ける要素が見つからない。

 

 

 

 ―――――――と、無能な馬鹿(・・・・・)は思うだろう。

 

 

 

 ル級は目を、その一人に向けた。

 

 

 その先に居たのは先ほど飛び出した3人の内、最後の1人。他の2人が果敢に砲声を上げる中、一発の砲声を上げず、ただ黙々と回避に専念した艦娘。

 

 クルリと跳ねた前髪を靡かせ、ボロボロの兵装のまま、使い物にならないであろう魚雷発射管も、身を守る唯一の術である主砲をも捨て去った、それでもなも進撃(歩み)止めない――――そして、他の2人と違う鋭さを持った目を浮かべる駆逐艦である。

 

 

「――――――、――――――」

 

 

 その駆逐艦はこちらの砲撃を掻い潜りながらも、いや掻い潜るように見せかけてその実何か(・・)を伝えている。耳に手を当てながら、口元に何かを近づけながら伝えていた。

 

 恐らくは、この戦況を伝えている。こちら側が混乱から立ち直った時、真っ先に迂回航路を取ったのが彼女だ。通信の精度が悪いのか、それとも騒音による通信妨害を嫌ったのか、或いは他に理由があるのか。ともかく彼女が何かを伝えているのは確実である。

 

 

 それを受け、ル級は無線を起動させた。耳にはノイズが走り始め、それはチャンネルを回すごとに形容し難い音をヘと変わっていく。だが、次の瞬間それはノイズではなく、人の声(・・・)に変わった。

 

 

 

 

『―――――左20、上40、距離20000……』

 

 

 それは命令でもなく、激励でもない、ただの座標(・・)。この大海原において豆粒ほどの小ささになる敵艦を砲撃する際、無駄弾を避けるために、一撃必殺を実現するために必要とされた指標である。

 

 声の主が指し示す座標が何を表しているかは分からない。しかし、その後に砲撃中の僚艦が一隻、砲撃を受けた。撃沈はしていないためにそこまで動揺はなく、艦娘たちは変わらず意味の無い(・・・・・)砲撃を繰り返すのみ。

 

 

『目標、ホ級。響、右20、上15、距離6000……』

 

 

 そして呼応するように、闇雲に砲撃を繰り返していた銀髪の艦娘が主砲を掲げた。その砲口は無線にあった軽巡ホ級に向けられ、それに気づかないホ級は雄たけびをげながら他の艦娘たちを追い散らしている。やがてその砲口から火が噴き出し、ホ級は被弾する。

 

 

『次』

 

『目標、リ級。北上、左40、上20、距離4000……』

 

 

 なおも無線の彼女は淡々と座標を示す。それに呼応し艦娘たちは砲火を上げ、その度に僚艦たちから火が上がり、もしくは挟夾弾を生み出し、その次は必ず命中する。その正確性に僚艦たちはまたも狼狽え始め複数被弾する艦もいるが、損害自体はやはり軽微である。故に、ル級はその損害を無視して分析を続けた。

 

 

 

 ル級が導き出した答えは、『弾着観測射撃』。

 

 砲撃の方角、角度、距離、実際の着弾した地点、そのズレを元に照準を修正する砲術。手垢塗れの戦術だが、今もなおル級たちや艦娘たちの中で用いられるほど、その効果は折り紙付きである。

 

 そしてそれを用いるに必要なのは砲弾を吐き出す主砲、着弾地点を観測する水上偵察機。電波の跳ね返りによって敵の座標を示す電探がある。

 

 しかし、偵察機を射出するカタパルトが必要である。そして現在交戦中の艦娘達に偵察機を飛ばすことができる者は見受けられない。彼女たちと遭遇するまでに得た情報にも、偵察機を飛ばしていたとの報告もない。

 

 であれば、考えられるのは偵察機ではない後者、電探を用いた場合だ。この場合、『弾着観測射撃』ではなく、『レーダー掃射射撃』となる。

 

 一件最新鋭の技術を用いたハイスペックに思えるが、実は精度はこちらの方が低い。確かに敵の位置は瞬時に分かるが、それが敵なのか味方なのかの判断が付かず、誤射する可能性が高いからだ。特に現在の乱戦でその欠点は足枷にしかならず、下手すれば味方を轟沈しかねない。

 

 だからこそ、肉眼で把握する必要がある。レーダーに引っ掛かったのが敵か味方かを判断するために。それがあの駆逐艦だ。一切砲戦に参加せず、ただ敵の位置を、それが敵か味方かを判断する『目』だ。

 

 

 そう結論付け、ル級は『目』である彼女に向けて砲撃を開始する。単艦での砲撃ゆえに着弾は難しい。しかし、目的は妨害なので問題はない。無線の向こうからのこちらの砲撃が聞こえてくる。同時に『目』は回避行動に気を取られてまともな通信を出来ていない様子だ。

 

 

『ごめ―――あけ―――』

 

 

 無線から『目』の悲痛な声が聞こえてきた。これで向こうの強みである正確性を奪い、同時に僚艦たちへの砲撃も目に見えて衰えた。元々消耗しきった部隊であるため、唯一の強みを奪えば後は烏合の衆と化す。

 

 こちらもある程度撃ち減らされていたが、烏合の衆を磨り潰すには何ら問題ない。幸いあの爆発以降、巨大な濃霧は発生していない。つまり、地形は何ら変わっていないということだ。

 

 

 さて、『目』は潰した。次は『本体(・・)』だ。

 

 

 ここでレーダー掃射射撃の性質をもう一度おさらいしよう。レーダーから放たれた電波の跳ね返りで座標を測る。そしてそこに敵味方の判別が付かない。故に『目』を置いていたわけだが、もっと簡単な対策もある。それはレーダーの正面に立たないこと、電波が放たれる場所にいないことだ。これなら引っ掛かることもなく、仮に『目』が潰されたとしても誤射の可能性を押さえられる。至極単純な理由だ。

 

 そして今、艦娘たちは不意に航路を変更(・・)した。『目』を潰されたタイミングで、今までの航路よりも()へ向けて、まるで道を開ける(・・・・・)ように、だ。そんな艦娘たちの動きによって、目に見えない筈だった1本の道が浮かび上がった。

 

 

 その先には1つの濃霧があった。規模としてはそこまで大きくない、砲撃の衝撃で消し飛んでもおかしくはないほどの濃霧。しかし交戦開始から今まで、ずっと僚艦たちの正面にあったもの。乱戦の中、唯一艦娘の砲火に、そしてこちらの砲火にも晒されなかった濃霧。

 

 

 

「ーーーー!!」

 

 

 ル級が声を上げる。それに応えるように僚艦たちは闇雲な砲撃を止め、全ての砲口を濃霧に向けた。

 

 

 

『曙――――』

 

 

 無線の叫びを掻き消すよう轟音が。それと共にル級の砲口から、無数の轟音と共に僚艦たちの砲口から夥しいしい数の砲弾が放たれた。砲弾は分厚い弾幕となり、間髪入れず濃霧に突っ込む。その瞬間、濃霧を食い破るように火の手が上がった。

 

 同時に轟音が、衝撃が、それによって濃霧は一瞬に消滅。残るは過剰砲撃による爆炎のみ。最低でも一個艦隊の一斉射だ、例え戦艦だろうが陸上型だろうが、それを耐え抜く存在はいないだろう。まして水雷戦隊の1隻、とてもとてもーーー

 

 

 

 

『ーーー健在なり』

 

 

 そう思った矢先、そんな言葉が無線から聞こえた。それに思わずル級は爆炎に目を向ける。そこにあるのは先程と変わらない光景、もうもうと立ち上る煙のみ。

 

 

 だが、次の瞬間そのカーテンを潜り抜けるように1人の艦娘が、紫髪の駆逐艦が現れた。

 

 

『損害、軽微ならざれど……航行に支障……なし』

 

 

 その艦娘は口許に手を、無線のマイクに向けて何かを呟き、同時に無線の向こうからそんな言葉が聞こえた。その言葉通り、彼女はボロボロだった。制服も髪も、手足も艤装も。全てがボロボロ何一つ無事なところはない。言葉通り、『計り知れないほどの損害であるが、辛うじて航行は出来る』と言ったところ。

 

 

 だがおかしいことに、恐ろしいことに、彼女の顔に『絶望』の色がない。

 

 

 

 

『上等ぉ……』

 

 

 無線に向けてそう言い放つその顔には、不敵な笑み(・・・・・)があったのだ。

 

 

「ーーーーーァ!!!!」

 

 

 その笑みに、その言葉に、ル級は再び砲撃を加える。それ呼応し、僚艦たちも一斉に砲撃を始めた。再度襲来した夥しい砲弾を前に艦娘は臆する様子もなく、ただ片方の手首に手をーーーーーそこに下がる花の装飾をあしらったミサンガに触れた。

 

 

 

『飛翔……ね』

 

 

 無線の向こうで彼女はそう呟く。その言葉が何を意味するか、次の瞬間彼女はその身体を以て証明した。

 

 

 盛大に水飛沫を上げ、彼女は大海原へと飛び出したのだ。

 

 

『左30!! 上34!! 距離18000!!』

 

 

 背後に巨大な水柱が上がる中、彼女は無線に向けてそう声を張り上げた。彼女は全速で航行しながら座標を提示した、次に来るのは砲撃である。その宣言通り、他の艦娘たちが砲を向けてくる筈だ。

 

 だが次の瞬間、僚艦の1隻であるリ級が爆炎に包まれた。周りにいる艦娘、その誰一人として砲声を上げていない(・・・・・・・・・)のにだ。

 

 

 突然のことに呆然するル級。突然の砲撃、そして無傷(・・)であったリ級の轟沈に、僚艦たちも動きが止まった、止まってしまった。

 

 

戦場(ここ)で止まるなんて、自殺行為だよ』

 

 

 無線の向こうからそう聞こえた。耳元で囁かれるような声、そしてそれは死の宣告。

 

 

 それを提示したのは呆然とする僚艦のホ級ーーーーーの背後に立ち、その頭に砲を突きつけた黒髪の軽巡洋艦だ。

 

 次の瞬間無線の向こうから鋭い砲声が聞こえ、視界の向こうでホ級の頭が吹き飛ぶ。それと同時にそう遠くない場所にいたロ級も、いつの間にかその背後に回っていた銀髪の駆逐艦の砲撃によって爆炎に包まれた。

 

 

『右15!! 上20!! 距離15000!!』

 

 

 再び無線の向こうで紫髪の駆逐艦が吠える。そして、間を与えず砲撃に襲われる。今回は誰にも当たらなかった、しかし着弾点から僚艦、ル級までの距離はほんの僅か、狭叉弾だ。次は当たる、当てられる、誰かが沈む。

 

 ル級の中でそんな恐怖が沸き上がった。それを掻き立てるのは他でもない、謎の砲撃である。同時に狭叉弾が立ち上げた水柱が、どう考えても駆逐艦、軽巡洋艦では起こし得ないほどの大きさなのだ。

 

 

 ル級は艤装も鞭打って回避行動を、絶えず地点を変え続けながら思考に走る。

 

 謎の砲撃、いやもしくは魚雷か。しかし、座標を示して着弾までのタイムラグが短すぎる。であれば、先に魚雷を発射し到達地点へ誘導したのか。無線での座標は魚雷到達地点の確定情報、砲撃は魚雷攻撃を隠すためのカモフラージュか。しかし実際に砲撃されている、仮にそれ折り込み済みのダミーだとしても、只でさえ不利な状況において無駄弾をばら蒔くだけの行為は首を絞めるだけ。その線も無い。

 

 思考に落ちれば落ちるほど、訳が分からなくなってくる。同時に砲撃が激しくなり、僚艦たちも次々と落とされていく。ル級以外、装甲の薄い艦ばかりなのが災いした。せめて空母の1隻、あるいは戦艦の1隻でもいれば状況は違っただろう。

 

 

 そう行き着いたとき、ル級の中にある仮定(・・・・)が生まれた。

 

 

『ーーー上15!! 距離8000!!』

 

 

 同時に、無線の向こうから座標が聞こえた。それに、ル級は顔を上げる。今度は顔を上げると同時に僚艦ーーーーー最後の1隻が撃沈された。残るはル級1隻のみ。

 

 

 その事実が、ル級を動かした。

 

 

「ーーァァ!!!!」

 

 

 ル級は叫び声を上げて突撃を敢行する。狙いは紫髪の駆逐艦、『本体』だ。同時に副砲を彼女目掛けて放つ。副砲の弾幕を受け、無線の声が途切れる。彼女が座標を指し示せなくなる。ル級は絶えず副砲を撃ち続け、主砲の次弾装填を待つ。

 

 そして完了と同時に流れるような装備換装、主砲の一斉射を放つ。砲弾は紫髪の駆逐艦を捉えはしなかったものの、座標を提示する時間をさらに奪った。

 

 

「曙ちゃん!!」

 

 

 すると、『目』の駆逐艦が声を張り上げた。同時に砲をル級に向けてくるも、再び換装した副砲を以て黙らせる。それをこなしながら、ル級は紫髪の駆逐艦に迫る。

 

 結論から言えば、ル級は紫髪の駆逐艦を沈める選択をした。理由は彼女の存在がこの流れを握っているからである。彼女を落とせば、あとはボロボロの艦隊のみ。単艦だけでも撤退できる可能性がある。

 

 

 そして、何より時間がない(・・・・・)のだ。

 

 

 ル級は絶えず砲火を紫髪の駆逐艦に向ける。その絶え間ない弾幕に彼女は回避行動で精一杯、それも距離を詰めればこちらが有利になる。今はただ近付くことに全精力を傾けなければならない。

 

 

 

『右40、上35、距離6000』

 

 

 だが、次の瞬間無線の向こうから座標が届いた。同時にその通信を最後に、今まで回避行動に腐心していた彼女が突如こちらに突撃してきたのだ。彼女もこれ以上距離を詰められての通信は危険と判断、ならいっそ距離を詰めて混乱を誘うつもりなのだろうか。

 

 しかし、ル級はその突撃に臆することなく淡々と砲火を激しくする。一度決めた、それも腹を括ったものにとって、その程度のことなど毛ほどにも思わないのだろう。

 

 

 ル級は副砲による絶え間ない砲撃を加える。

 

 

 対して、彼女は減速、加速、方向転換、緩急織り混ぜた複雑な回避行動で副砲をかわしていく。

 

 

 ル級は神速の装備換装を以て、完了と同時に主砲の一斉射を放つ。それも敢えて各砲身を僅かにずらした広範囲及び時間差を狙った砲撃だ。

 

 

 対して、彼女は初撃の着弾を飛び上がるように回避。なおも広範囲に降り注ぐ砲弾を両足の接水地点転換、重心移動、無理な体勢での回避など、極力自身の座標を動かさない最低限の回避行動でこれを凌いだ。

 

 

 ル級は弾幕の継続を放棄し、主砲と副砲の換装タイムラグを利用し弾幕の複雑化を図る。あるときは一定の間隔で吐き出す砲弾を敢えて撃たず、あるときは無尽蔵に弾をばら蒔く、これを織り混ぜることであちらの回避タイミングを崩そうとしたのだ。

 

 

 対して、彼女はル級の砲撃が無尽蔵になると、正面航行から背面航行に切り替える。今までは耳のみを頼りに回避していたが、今度は目を伴ってル級の無差別砲撃を寸でのところでかわしていく。

 

 

 だが、流石に無理があったのだろう。副砲の一発が紫髪の駆逐艦を捉えた。彼女の身体から爆炎が上がり、その体勢が大きく揺れる。

 

 

『ーーー?』

 

 

 無線の向こうで声がした。彼女に向けられたものだろう。しかし、ル級には関係ない。何故ならこのタイミングで、最高のタイミングで主砲の装填が完了したからだ。

 

 神速の装備換装を以て主砲を向け、そのどの照準もを彼女に向ける。そして、全てが揃ったと同時に全砲弾の尻を叩く。

 

 

 天地を揺るがす轟音が鳴り響く。同時にソニックブームが巻き起こり、水面を激しく揺らす。それを生み出した砲弾の雨は真っ直ぐ彼女へと向かう。未だに、彼女は体勢を崩したまま。回避は絶望的。

 

 やがて、その身体も再び巻き起こる轟音、爆炎、無数に立ち上がる水柱の林の向こうに消えた。直撃弾、それも戦艦の一斉射、無事では済まない。

 

 

 

 

 その、はずだった。

 

 

 

「あぁあああああ!!!!!!!!」

 

 

 突如、獣のような咆哮が上がる。同時に、無数に立ち上がる水柱。その腹を何かが突き破った。それは勢いよく海面に着水、そのまま転がるようにして海面を進む。

 

 やがてそれはーーーーー、いや彼女は立ち上がった。ボロボロの身体で、なおもずぶ濡れになりながら。その両の足で、しっかりと水面を踏みしめて。

 

 

 その顔に、不適な笑みを浮かべながら。

 

 

 次の瞬間、鋭いモーター音と共に彼女はその場を踏みしめ前進を開始した。その身体からは糸のように水がこぼれ、その後ろには大量の水飛沫が舞い上がる。

 

 その姿に、ル級は再び砲撃を加えた。無茶な突撃、無謀な突貫、自殺行為。その筈なのに、何故かル級の砲弾は彼女を捉えない。掠りもせず、その航行に一切の影響を与えず、ただ離れた場所に水柱を立ち上げるのみ。

 

 

「ーーーーァ!!!!」

 

 

 ル級の口から絶叫が漏れた。それは何を以て引き起こされたものか、少なくとも勝利を確信した雄叫びではない、僚艦に警戒を促すものでもない。

 

 

 強者を前にした、弱者の悲鳴である。

 

 

 そして強者はついに弱者を捉えた。距離にして既に50mを切った。瞬く間に40、30、20、10mとなる。同時に、彼女は両手を大きく後ろに振り上げた。

 

 次の瞬間、鋭いモーター音と共に盛大な水飛沫が彼女の前方に舞い上がる。それは目の前にいるル級に襲い掛かり、またしてもル級は目を閉じてしまった。

 

 

 それは次に来る砲撃、自身を死に追いやる一手を前に、女々しく目を背けたと同義だ。その愚かな行為に対する裁定は、もうすぐそこに迫っていた。

 

 

 

 

 だが、どうだろうか。いつまでたっても『(それ)』はやってこない。

 

 

 ル級は目を開けた。そして前方を見て、そのまま固まった。

 

 

 目の前には確かに彼女がいた。先ほど振り上げた両腕の片方をル級に突き出し、片手をその腕を支え、腰を低く据え、上体を支える足に力をいれた。まさに砲撃体勢でだ。

 

 だが、肝心の砲身がなかった。かわりにあったのは突き出された、親指と人差し指を立てた手。拳銃を模しているようなその手だけだ。砲撃体勢をとっているのに、その実その手には砲門がない。

 

 

 何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

発射(fire)

 

 

 あった(・・・)のは声。無線の向こうから初めて聞こえた声、違和感を与えない自然な、流暢な発音の英語(・・)である。

 

 同時に、背後に強い衝撃を受ける。次に爆発音、爆炎、灼熱が身体を蝕み、鋭いものが全身に突き刺さる。

 

 次に視界の端に黒煙が映り混む。同時に喉の奥から何かがこみ上げ、吐き出すと共に足元が赤に染まった。

 

 

 それと共に視界が揺れ、腹部から飛び出す赤く染まった鉄片が見えた。

 

 

 

『次弾、装填完了。5(five)4(four)3(three)

 

 

 無線の向こうから、カウントが聞こえる。それを受け、ル級は自身の身体を貫く鉄片から再び視線を上げた。その先には彼女だ。爆炎に巻き込まれないため(・・・・・・・・・・・・)か、先ほどよりも離れた場所に立っている。

 

 

 だが、その顔には先ほどの不適な笑みはない。あったのは何処か悲しむような、哀れむような、そんな表情だ。

 

 その表情のまま、彼女は片手ーーー右手を上げた。先ほど拳銃を模していた手を解き、軽く指を伸ばし、親指だけを折り畳み、それを額の前に持ってきた。

 

 

 

 所謂、敬礼ーーーー挙手の敬礼である。

 

 

 

 それを受けたル級は、自然の表情が変わったのを感じだ。自身の顔がどの様になっていたのか、それを浮かべている彼女には分からない。

 

 

 そして再び爆炎に包まれる彼女の耳に残った言葉は、これであった。

 

 

 

2(two)……おやすみ(good night)


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