新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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重ねてしまった『姿』

 目を覚ました。きっかけは頬に落ちてきた水滴。頬に落ち、そのまま顔を伝って下に落ちていった。

 

 

 ぼやけた視界のまま、目だけを動かす。視界に広がるのは目一杯の緑、そしてその隙間から降り注ぐ白くか細い線のようなもの。頬を撫でる風に揺られることなく、一直線に引かせたそれは陽の光だと分かった。

 

 今度は顔ごと動かしてみる。目一杯に広がっていた緑はその途中で途切れ、現れたのは眼前に積まれた黒い砂の壁、その隙間から覗く白い砂浜、その先に広がる青い海だ。頬に付く砂粒の感触でそれらが砂だと分かった。

 

 

 それらの情報を元に、ワタシ――――――金剛は状況を整理した。

 

 

 モーレイ海哨戒に出撃したワタシは吹雪が発見した艦載機をきっかけに敵主力部隊の接近を許すもその不利を逆手にとって待ち伏せ作戦を指揮、損害を出しながらもこれを壊滅させた。しかし、その直後に現れた夥しい艦載機の急降下爆撃を受けて意識を飛ばしてしまい、今に至る。

 

 肌に感じる砂と降り注いでくる陽光に、鎮守府ではない何処かの島にいると思われる。恐らくあの艦載機群に艦隊は四散し、運よく何処かの島に流れ着いたのだろう。北方海域は海流の流れが複雑であるも、それらは総じて鎮守府方面に向けては流れていない。であれば、少なくとも今ワタシがいるこの島はモーレイ海よりも奥にある場所だ。

 

 頭の中に北方海域の資料を呼び起こし、この島と合致するものを探す。モーレイ海よりも深く、海流が入り乱れ、その往き付く先にある島―――――――――キス島と思われる。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 そこまで整理したところで、ワタシは思考を止めた。状況を把握した、そこがワタシのゴールだ。今のワタシにすることなんてそれぐらいしかない。出来ないわけではないが、もうゴールに辿り着いているのにその先を見る必要なんてないはずだ。敢えて考えるなら、あの遠くに見える海へ進むことぐらいか。

 

 

 艤装を装着せず、生身のまま海に進み、足を踏み入れ、波に攫われ、そのまま海中に身を投げ、意識を手放す。

 

 

 総括しよう、ワタシは沈みに来た(・・・・・)のだ。

 

 

 

 

「気が付きました?」

 

 

 不意に横から声が聞えた。本来聞こえるはずない、いや聞こえてはいけない声が聞えた。それに思わず目を見開き、すぐさま声の方を向く。

 

 

 そこに居たのは吹雪。制服の所々が焼け焦げ、破けて、その下から覗かせる腕や足には軽いながらも切り傷、擦り傷、打撲が沢山伺える。そんな生傷だらけの彼女はワタシに背を向けて座り込んでおり、顔だけをこちらに向けている。そしてこちらに背を向ける彼女の向こうには、曲がりなりにも原型をとどめている大きな鉄の塊――――――ワタシの艤装が見えた。

 

 

「吹雪……なんで……」

 

「私がここまで曳航してきたんです」

 

 

 ワタシの問いに吹雪は簡潔に答え、そのまま顔を前に戻した。その直後、奇天烈な金属音が鳴り響き始める。その音が、その後ろ姿が、何より今この場に吹雪が居ることを信じられなかった。

 

 確かに目を覚ました時、ワタシは海岸から離れた陸地にいた。もし流れ着いたのなら海岸に打ち上げられている筈であり、また艤装が外れていることも同様の理由で。その事実から、『意識を失ったワタシが海流に乗せられて運よく島に流れ着いた』よりも『吹雪がワタシを曳航して戦線を離脱、キス島に逃げ込んだ』という方が現実的だと言える。だが、それだけの判断材料を得てしてもワタシは信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 

 ワタシは元々沈みに来た。帰る当てもなく、むしろ帰る気すらなく、その必要性すら感じていない。だがそれはワタシ一人だけ、という条件がある。一人だけで、我が儘を言えば誰にも看取られることなくひっそりと沈みたい。勿論鎮守府と言う組織に居る時点でそれは夢物語ではあるが、一番は沈みにきた、沈む場を、死に場所を求めてやってきた。

 

 ある意味、この状況はワタシにとって最高の結末(・・)なのだ。敵に襲撃され、艦隊から落伍し、救援の見込みは0、ワタシ自身は大破、航行も戦闘も出来ない案山子状態。鎮守府の皆には必死に捜索隊や救援部隊を派遣するかもしれないが、もしくはそこに貴重な労力を割く時点で申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、それでも私の願いが成就するのであれば無視できてしまう。

 

 だが、今目の前には吹雪が居る。大破して意識を失ったワタシを曳航し、キス島に引っ張りあげ、身を隠している。この状況で――――――助かる筈の無い状況に、轟沈しかない道はないこの状況に彼女を巻き込んでしまった。我が儘の正反対―――最も避けたかった事象が起きてしまった。

 

 

 彼女の存在一つで、ワタシの最高の結末(ハッピーエンド)最悪の結末(バッドエンド)になってしまったのだ。

 

 

 

「それより、これを」

 

 

 そこでワタシの思考を断ち切ったのは吹雪。彼女はワタシに身体を向け、所々機械油にまみれた一枚の大きな葉を、そこに包まれた鋼材と小さな缶に満たされた燃料を差し出してきたのだ。それらは鎮守府でよくよく目にした代物であり、ほんの少し前まで舌で慣れ親しんだ資材(食事)であった。

 

 

「これ、何処で……」

 

「補給艦から強奪したんです。それで補給を。艤装(これ)が航行可能な状態になるまでに済ませて下さい」

 

 

 差し出されたそれをワタシの手に押し付け、吹雪はそう言いながら再び背を向け、ワタシの艤装に向き合った。すると、再び場違いな金属音が鳴り始める。彼女の後ろ姿、そして資材を差し出してきた油まみれで傷だらけのその手を見て、彼女が何をしているのかを察した。

 

 

「直しているんデスカ? ワタシの艤装を?」

 

「えぇ、そうです。とは言っても応急処理程度ですがこの子達が居れば少なくとも航行可能まで持っていけますし、時間もそこまでかかりません」

 

 

 その言葉と共に吹雪の肩からひょこっと妖精が顔を出した。ワタシたちが良く見る戦闘服に身を包んではおらず、白のヘルメットをかぶり、工兵の恰好をしている。彼女は艦娘や艤装が負った外傷を修復する妖精、『応急修理要員』である。

 

 だが彼女たちは偶発的に現れる他の妖精たちとは違い、テートクが艦娘に装備の一つとして渡さない限り現れない妖精たちだ。つまりあのテートクがもしもの時のために吹雪に渡したということになるが、いつの間に渡したのだろうか。

 

 

「因みに黙って持ち出したんで、他の人には内緒でお願いします」

 

「……悪い子デスネ」

 

 

 その答えは自分の肩に乗る妖精を摘まみ上げ作業に戻らせる吹雪の背中から聞こえていた。その言葉に思わず笑いが漏れる。先ほどは最悪の結末に転がり落ちたと思っていたのにワタシは笑ってしまった。それは彼女の場違いな発言に面を喰らったのもそうだが、一番の理由は打開案を―――――

 

 

 

 最高の結末(ハッピーエンド)へと伸びる光を見出したからだ。

 

 

 

「吹雪、貴女の艤装は大丈夫デスカ?」

 

「……資材(これ)を強奪した時に中破になってしまいましたが、航行は出来ます」

 

 

 ワタシの問いに、吹雪は先ほどと同じように答えた。若干返答が遅れたのが気になったが、この状況でそれを追求するのは時間の無駄だと判断する。そして、次にその光に手を伸ばす。

 

 

「ワタシのはいいから先ず貴女の艤装を―――――」

 

「嫌です」

 

 

 だが、伸ばした光は吹雪の一言で遮られてしまった。驚きのあまり固まるワタシを他所に、吹雪は何事も無かったかのように手を動かすのみ。いや、心なしかその手が早くなったような気がした。

 

 しばし、辺りは吹雪が鳴らす金属音だけになる。その間、ワタシは一言も声を発することが出来ず、吹雪もワタシに顔を向けることは無い。ただただ、ワタシが再起動を果たす時間のみが過ぎていった。

 

 

 

「ふ、吹雪……? よく考えるデース」

 

 

 ようやく再起動を果たしたワタシはもう一度光に手を伸ばしてみる。それに対し、吹雪は即座に否定することなく、ただ黙って手を動かすだけだった。取り敢えず振り払われなかったことに安堵しつつ、ワタシは更に手を伸ばした。

 

 

「現状ワタシは大破、そして吹雪は中破。手元に有るのは応急修理要員のみ、これではどちらも完全に修復するのは不可能デース。選択肢としてはワタシの艤装を航行可能な状態まで直すか、貴女の艤装を小破状態まで直すか、この二択だ――――」

 

「ですから、金剛さんの艤装を修復しているんです」

 

 

 ワタシの話を敢えて遮る様に吹雪はそう答える。その時、あれ程忙しなく動いていた彼女の手は止まっていた。恐らく、彼女も私が言わんとしていることを察したのだろう。だが彼女がそれを拒む理由までは分からないが、それを考慮する余裕はない。それはワタシだけでなく彼女も――――今この状況をよくよく理解していれば、誰だって余裕がないことぐらい分かるのだ。

 

 

「大破した戦艦の艤装を入渠施設も無しに修復するのにどれだけリソースがかかるか分かっていますカ? どう考えても中破状態の貴女を修復した方が良いに決まってマース。それにワタシの艤装を修復したとして、どうやってこの島を脱出するんデスカ? 辛うじて航行が出来る大破した戦艦と中破した貴女と小破した貴女、どちらが生存率が高いか分かりますカ?」

 

「私一人が脱出したとしても、道中で敵に見つかればお終いです。それに一度は金剛さんを曳航してこの島に入り込めたんです。それを考えたら、航行出来る貴女を護衛して脱出する方が遥かに生存率が高いです」

 

 

 ワタシの言葉に吹雪は言葉巧みに反論を向けてくる。互いに的を射ている上にどちらも譲る気配がない。この感じ、まさに食堂でテートクとやり合った時とそっくりだ。あの時はこちらが感情(ボロ)を出してしまったせいで打ち負けた。ここはあくまで冷静に、論で丸め込むしかない。

 

 

「であればこうしましょう。吹雪の艤装を修復し、先にこの島を脱出する。そのまま鎮守府に帰還し、救出部隊を要請するのデース。それまでワタシは此処に潜伏。貴女の艤装なら残る資材の量も多いですし、3日は持ちますからその間に救援に来れれば――――」

 

「その間に沈むつもりでしょう?」

 

 

 ワタシが出した折衷案を無視して、吹雪は問いかけてきた。残念ながらその顔は見えない。ただ、その問いを投げかけてきた時、僅かにその身体が震えたのが分かった。それが何を意味するのか、ワタシはそれを理解しようとすることを放棄する。現状必要ないことであるし、何より彼女はワタシが言わんとしていたことを理解した上で拒んでいると。要は分かった上でワタシの最高の結末(願い)を邪魔していたことに、少しだけ腹立たしく思ったからだ。

 

 

「最初から沈むために出撃したんですよね。執務室で見せたあのカラ元気は私たちにそれを悟らせないため、司令官に私たちの名簿帳を渡したのは元あるべき場所に返した――――――と見せかけて自身の最期を司令官に書かせるため、今こうして私の艤装を修復させようとするのも私を沈ませないため、一人で沈むため……違いますか?」

 

 

 そんなワタシを尻目に、吹雪は早口に言葉を続ける。そこまでお見通しだったら、いや元々隠す気なんてなかったから察されて当たり前だが。だからこそ何故その選択肢を、ワタシだけが沈む選択肢を頑なに拒むのか。それが理解できなかった。

 

 

「そこまで分かっているなら尚更デス。さぁ、早――――」

 

「嫌です、絶対に嫌です」

 

 

 またもや吹雪はワタシの言葉を遮った。先ほどと違うのは食い気味に挟んできたこと、そして『嫌』、『絶対』と言う感情を入れてきたこと。論を捨てて感情に頼り始めた証拠と言えよう。流れはこちらに傾いてきた。

 

 

「嫌と言われても困っちゃうネ。現状、ワタシが上げた折衷案が最適デショウ? ワタシを修復してもリスクが減るだけでメリットが無い。それなら貴女の方がどちら(・・・)も生還できる可能性は有りマース」

 

 

 先ほど沈むつもりだと言ったくせに、と自分でも思う。しかし感情に流され始めた吹雪にその矛盾を指摘できることは難しい。悲しきかな、これも経験上の賜物である。

 

 

「その間に沈むと言った人が何言っているんですか。ともかく私は何が何でも金剛さんの艤装を選びます。修復を終わらせて、二人で一緒に脱出するんです」

 

 

 だがまだ感情に支配され切っていないのか、吹雪は的確なツッコミを持ってワタシの言葉を否定する。流石に早計過ぎたか、だがそれでも流れはこちらにある。現状、論理的に見てもワタシの案の方が理にかなっているからだ。

 

 

「……先ほども言った通り、その選択はリスクが大き過ぎマス。だから折衷案を―――」

 

「それでみすみす貴女が沈むのを黙認しろと? 沈むと知った上で放置しろと? そんなの『死ね』と言っているようなもんじゃ――――」

 

「そう言えばいい」

 

 

 今度はワタシが吹雪の言葉を遮う。思わず感情が、否このまま水掛け論が進むのが避けたかったから敢えて感情を放り込んだ。そう投げかけた瞬間、吹雪の身体が人一倍震えた。これで彼女が論で勝負する可能性はなくなった。

 

 

「ワタシに『死ね』と、そう言えばいいネ。貴女は旗艦、ワタシは僚艦。旗艦にはテートクに戦果を報告する義務が、帰還する義務がある。それを妨げるのは大破して動けない僚艦が一隻、切り捨てるのは妥当な判断ダヨ。別に雷撃処分しろとは言ってないネ。ただ義務を果たすために僚艦を切り捨てるのは何ら問題ないってこと。違いマスカ?」

 

 

 ワタシの論に、吹雪は何も言えずに押し黙ってしまった。論で丸め込み、その上で論理武装した言葉を持ってそちらを選択する理由を悉く奪い取っていく。非常に姑息で卑怯な手だと思う。だが、その効果は折り紙付きである。しかし、これではまだ足りない。論で押しつぶそうとしたところで、向こうの土俵である感情でも打ち勝たなければいけないからだ。そしてワタシは既にそちらの一手がある、決定的な一手が、王手が。

 

 

 さぁ、これで終いだ。

 

 

「それにね、吹雪……()はもう――――――」

 

 

 その言葉(王手)を口にする直前、()は今までを振り返った。

 

 

 艦娘になり、此処に配属され、あいつに踏みにじられ、あの子を救おうとして、救えなくて、二人が居なくなってからテートクの座に居座り、やってくる奴らを追い落とし、零れそうなものを掬い上げ、閉じ込め、何とかしがみついてきた。

 

 今のテートクがやって来て、私は追い落とされた。しがみついてきた、握りしめてきたものを奪われ、何も持っていない私に彼は時間だけ、いや時間だけではない。ある程度の自由を与え、一人になれる場所を与え、胸に燻る思いを、言の葉に乗せる、乗せられるだけの時間を与えてくれた。

 

 その時間で色々考え、後悔し、懺悔し、同時に彼がこの鎮守府で存在感を増していく姿を見て、あろうことか周りに(・・・)嫉妬した。全ては自分が招いた結果なのに、自分が起こした行動のツケが回ってきただけなのに、それら全てを棚に上げて嫉妬したのだ。

 

 それでも何とか自らを繋ぎ止めていた。あの日から、あの瞬間から。感情の全てを、自分自身を押し殺してなお噴き出してくる感情を抑え込んで、それでも優先し続けたことが私を繋ぎ止めていた。しかし、つい先日それすらも無いモノと―――――逆に踏みにじり続けていたことを指摘されてしまった。自分の首を絞め続けてまで行ってきたことが、いとも簡単に崩れてしまった。後に残ったのは何の価値も持たない抜け殻の()だ。

 

 

 これが私の、金剛の人生(・・)だ。こんなしょうもない、もったいない、何も残すことなく、忘れ去られてしまう、そんなつまらないものだ。こんなものに未練を覚えるだろうか、こんなものを手放すのに躊躇するだろうか。

 

 否、否だ。未練も躊躇もない。『仕方がない』――その一言で諦められる人生だ。その程度のものだ。だからこの言葉は偽りのない、外聞の何もかもを取っ払った私の本音である。

 

 

 

 

 

「沈みたいの」

 

 

 そう本音を口に出した。それだけで終わる、終わって、終わらせてしまえた。そんな私の人生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 の、筈だった。

 

 

 

 それは唐突だった。いきなり胸倉を掴まれ、勢いよく引っ張られる。視界が一気に変わった。ずっと向けられていた吹雪の背中は消えてしまい、代わりに現れたのはボロボロになった吹雪の制服、正面から見た彼女の制服。同時に現れたのは、大きく振りかぶられた彼女の腕と渾身の力で握りしめられた彼女の小さな拳。

 

 

 

 そして鬼のような形相を浮かべ、血が出んばかりに歯を食いしばり、大粒の涙を止めどなく流す、そんな泣き顔の吹雪だった。

 

 

 直後、ワタシは頬に強い衝撃を受ける。思いっきり振りかぶられた彼女の拳は、真っ直ぐ私の頬に吸い込まれたのだ。その衝撃に思いっきり上体を崩すも手負いの駆逐艦に戦艦を殴り飛ばせる力はなく、私は何とか倒れることなく踏みとどまれた。

 

 それに対して、吹雪はワタシを殴った勢いを殺しきれずにその場で盛大にこけた。質量のあるものが落ちる音、震動、盛大に散らかされた鋼材、なぎ倒された燃料が宙を舞い、音を立てて地面に落ちていく。仰向けに倒れた彼女の周りは鋼材、零れた燃料、弾薬、様々な資材で散乱した。

 

 そのどれもが地に落ち、音を立て、やがてそれすらも聞こえなくなった。残ったのは二つの荒い息遣い。一つは吹雪に殴られ、放心状態で倒れる彼女を見るワタシ。もう一つは仰向けに倒れ、燃料まみれの手で目を覆い、歯を食いしばりながら呻き声を――――込み上げる何かを飲み込もうと必死に口を噤む吹雪。

 

 

 それ以外、音は無かった。

 

 

 

「金剛さん」

 

 

 それも唐突に終わりを告げる。さきほどと打って変わり冷静な口調でそう漏らした吹雪が上体を起こしたからだ。彼女はそのまま私に背を向け、何事も無かったかのように再び金属音を鳴らし始めた。起き上がった際、その顔を見ることは出来なかったため、今彼女がどんな表情を浮かべているかは分からない。

 

 

「司令官が貴女を代理の座から引きずり降ろした件あったじゃないですか? あれ、私が司令官にお願いしたことなんですよ」

 

 

 世間話でもするかのように軽く振られた言葉は、まさに青天の霹靂である。ワタシが今の状態に陥れられたあの事件、その発起人が自分であると暴露された。自分を追い落としたのが今目の前に、無防備な背中を向けている。普通なら激昂し、その背中目掛けて鉛玉をぶち込んでもいいだろう。むしろ暴露した本人がそれを望んでいる節が見えるなら、なおさら非難されるいわれはない。

 

 

「理由は単純、貴女が敷いた体制が嫌だったからです。何であんなものを続けているんですか、何であんなものに縋っているんですか、何であんなものを引きずっているんですか。それも自分だけでなく、私たちにも強いるんですか? 貴女はいいかもしれない、でも巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃないんですよ。せっかく自由になれたのに、何で貴女の我が儘に付き合わなければいけないんですか。可笑しいでしょ? たかが一艦娘である貴女が、秘書艦代理(・・・・・)しかしてこなかった貴女がいきなり司令官代理なんて……納得できると思っているんですか?」

 

 

 だが、今のワタシは彼女の背中に鉛玉をぶち込む術を持っていない。大破しており、艤装も彼女を挟んだ向こう側だ。出来るとすればこの拳で殴り掛かることぐらい、先ほど殴られた吹雪のようにだ。

 

 

「だから貴女を引きずり落とし、彼をその位置に着けました。元の体制に戻っただけですから、誰も文句はありません。因みに彼も望んで貴女を引きずり降ろした訳ではありません。私に頼まれ、仕方がなく(・・・・・)強硬手段に出ただけです。だから彼を恨むのは、引きずり降ろされたことを黙認した周りの人たちを恨むのはお門違いです。恨むなら私を――――反旗を翻した反乱分子である私だけ(・・)を恨んでください」

 

 

 いや、生憎そんなつもりはない。仮に全快だとしても、望まれても(・・・・・)、そんなことをするつもりは毛頭ない。何故って、貴女はそれを望んでいるわけではないからだ。鉛玉を受け入れる気はあるが、受け入れたい(・・・・・・)わけではないからだ。

 

 

「もっとも、そんな身体じゃ私を殴ることも出来ませんよね。今の金剛さんなら小指でつつくだけで倒せちゃいそうですもん。だからほら、演習場で決闘しましょう。お互いに万全の状態で全力でやりましょう。そこで盛大に私をボコボコにして下さい。沢山の観客を集めて、盛大な舞台で、全力で私を辱めてください。それなら溜飲も下がるでしょう。だから、ね…………」

 

 

 そこで吹雪の言葉が途切れた。そうだろう、もう限界だろう。そうやって取り繕うのも、憎まれ役を買うのも、心にもない言葉を口にするのも、何もかも限界だろう。

 

 

 

 

 

 

「帰り、ま、しょうよぉ」

 

 

 次に聞こえた声、泣き声、心の声、あらゆる外聞を取っ払った吹雪の声。彼女の本音。それを溢した彼女はどんな顔をしているか、見えなくても分かった。

 

 

「そんな、そんな……『沈みたい』、とか……『死ねと言え』、とか……そんなこと、言わないで下さいよぉ……わた、私は、私は貴女にどれほど、どれほど助けられたか……どれほど救われたか!! 分かっているんですかぁ……知っているんですかぁ……? あ、あな、貴女が居たから、貴女が居てくれたから!! わた、わたひ、私は今、ここに居るん、で、す……そんな、そんな人に、そんな酷いこ、ことを、言えるわ、け、ないじゃないですかぁ……」

 

 

 途切れ途切れに、つっかえつっかえ、吹雪は本音を吐き出していく。正直、彼女にそこまで想われるようなことをした記憶はない。だが憎まれ役を買ってでも私を連れ戻そうとし、それに耐えきれず今こうして本音をまき散らしている彼女の背中だけで、そんな些細なこと(・・・・・)などどうでもよくなった。

 

 

「……知っ、て、ます。あな、貴女にとって、『あの子』がどんな存在か……全てではありませんが、知っているつもりです。いま、今も貴女の後ろにあの子がずっと……ずっと居ることを、あの子のため動いてきたこと、あの子のために生きてきたこと、誰かは分かりませんがそれを否定され、『生きる理由』を失ったこと……なんとなく、なんとなくですが、知っています。でも、それでも、私は貴女に―――――」

 

 

 そこで言葉を切った吹雪は今まで本音を溢していた顔を上げ、大空を仰いだ。

 

 

「生きて、欲しいんです」

 

 

 そして、その口から願いを溢した。その言葉は先ほどの泣きじゃくりながら吐き出したモノとは違う。しっかりと芯の通った、力強い言葉。

 

 

「傍に、居たいんです」

 

 

 その願いは成就を願っているだけでは終わらせない。ただ享受するだけでは叶わないことを知っている、分かっている。だから彼女は動く、行動する、立ち回り、それを手中に収めて見せる、そんな確固たる意志を惜しげもなく掲げる。

 

 

 

「貴女の『生きる理由』に、なりたいんです」

 

 

 

 空を仰ぎながらそう宣言する彼女の背中。それがほんの一瞬重なった。いや、重なったなんておこがましい、無理矢理重ねてしまった。それはワタシ(・・・)金剛(ワタシ)だ。

 

 

 『金剛型戦艦1番艦 金剛』その名に恥じぬ堂々とした、()が出来なかった金剛(ワタシ)の姿だ。

 

 

 

 そこに、ふと小さな音が聞こえた。それは遠く、遠く、海の向こうから聞こえた微かな音―――――エンジン音だ。それに気づいたワタシと吹雪は同時に音の方を見る。

 

 何処までも続く水平線にポツリと現れた黒い点。目を細めてそれが何なのかを確認する。点は徐々に大きくなっていき、やがてそれは2隻の深海棲艦、駆逐イ級の姿に変わった。

 

 イ級は真っ直ぐこちらに向かってきている。脇目も振らず、一直線に、まるでワタシたちの存在を認識しているかのように。

 

 

 その直後、真横から音が聞こえた。それは先ほど吹雪が鳴らしていたものよりも重く、重量感をある。まるで何か重いモノを背負ったかのような。

 

 

「行きます」

 

 

 そう漏らした吹雪はいつの間に立ち上がっていた。否、それだけではない(・・・・・・・・)

 

 

 つい先ほどまで凝視していたその小さな背中には、所々損傷した艤装が。

 

 つい先ほどまで裂き出された油と傷だらけだった小さな手には、そこに納まらないほど大きな魚雷が。

 

 つい先ほどまで涙に塗れていたであろうその小さな顔には、同世代の少女が浮かべることまずないであろう刃物のような鋭い視線を携えた軍人の顔が。

 

 

 

 彼女は今、あの駆逐艦を襲撃しようとしているのだ。

 

 

「駄目、行っちゃ―――」

 

「相手は駆逐イ級だけ、後ろの黒いのはドラム缶です。恐らく何処からか物資を奪ってきた帰り、狙わない手はありません」

 

 

 ワタシの言葉を遮り、吹雪は淡々と事実を述べる。それはワタシを安心させるためのものか、単純に状況整理するためか、分からない。いや分かりたくない。

 

 

「嫌――――」

 

「金剛さんは此処に居て下さい。すぐに帰ってきますから」

 

 

 また()の言葉を遮ってくる。吹雪の言葉は私を安心させようという意思が伝わってきた。だが、分かりたくない。そんな言葉を向けて欲しくない。帰ってくるなんか()だ、また嘘をつく(・・・・)つもりなんだ。

 

 

 

「お願―――」

 

「問題……ないのです」

 

 

 また遮って、いや遮ったのは彼女の声(・・・・)ではない。吹雪はただ進んでいくのみ、遮ったのは私にだけ聞こえた声、私が遮られた声、遮られてしまった声。どれほど手を伸ばしても、どれほど声を上げても、決して届かない、届くことのない、あの子の声。

 

 

 やがて彼女は波打ち際に到達した。

 

 

 その瞬間、彼女の艤装が動き始める。

 

 その瞬間、手にしている魚雷を握りしめる手に力が籠る。

 

 その瞬間、海風によってその茶髪(・・)が揺れる。

 

 その瞬間、所々破けたタイツ(・・・)に包まれた小さな足に力が入る。

 

 その瞬間、艤装の稼働によって発生した風によって、上着の裾に付いている『Ⅲ』のバッチが光る。

 

 

 その姿を見た瞬間、私はあらん限りの声で、その名を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「電ぁ!!!!!」

 

 

 あらん限りの声で叫んだそれは彼女に届いた。それに彼女はこちらを振り向く。そこに在ったのは笑顔だ。取り繕っている節も、無理矢理浮かべている節もない。純粋に、心の底から、満足した笑みを浮かべていた。

 

 その笑みを浮かべ彼女は、彼女たち(・・・・)はこう言った。

 

 

 

 

『ありがとう』


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