新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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なまくらたちの『戦い』

 キス島沖はとても奇妙な海域だ。

 

 複雑奇怪に絡み合った海流により上昇気流が至る所で乱立し、元々の気温が低いために立ち昇った空気は瞬く間に冷やされ、分厚い濃霧に変化する。そのため上昇気流の数だけ濃霧が発生し、その数は両手で数えきれないほど。そんな膨大な濃霧が海域全体へ満遍な広がり埋め尽すその姿は生き物が群れを成すことによく例えられた。

 

 そんな濃霧の群れを体当たりしては消し去ることを繰り返す一団があった。

 

 それは『船団』。恐らく初見であれば誰もがそう認識するだろう、その一団を表現するに適した言葉である。だが、その姿形は到底『船』とはかけ離れているわけだ。

 

 

 先ず、その大きさ。多くの積み荷、大勢の人を乗せるには不可解過ぎる程小さい。せいぜい1人を乗せられる程度、その中にはもっと乗せられるモノも居たがそれでも4、5人が限界である。しかし、中には人を乗せることを目的としないものもあるため、一概にそれを別のモノだと否定することは出来ない。

 

 次に、その船体。のっぺりとした黒色の鋼鉄で作られた船体は潮の流れや波の影響を相殺するために船頭が鋭く尖り、そして重心を低く保つためにどっしりと重いわけではなく、まるでボロボロの鉄屑を無理やりくっつけたように不格好で、何よりその表面は鋼鉄とは比べ物にならないほど柔らかそうな灰色の()が見え隠れしている。しかし、それでも海の上を進んでいるため、これもまた『船』と言う枠組みから外す要因としては弱い。

 

 そして、その立ち姿(・・・)。『船』に立ち姿という言葉を当てはめること自体おかしな話である。この時点でそれが『船』ではないことが分かるだろう。ここでハッキリとした否定とその理由を挙げたわけだが、恐らくそれでも人々はそれを―――――彼女たち(・・・・)を『船』と呼ぶだろう。

 

 それは幾度となくテレビで報道されたその姿、年端もいかぬ少女が重厚な鉄の塊―――艤装を背負ってそれに突撃することを見たのだから。人々は人の形をした『船』を知っているから、同じく人の形をしているそれも『船』と呼ぶのだ。

 

 だが、それは彼らが持つ知識のカテゴリー内にあった言葉を選び出し、無理矢理当て嵌めているだけ。実際にはもっと適切な表現もある。しかし、彼らは最適な表現を敢えて選ばず『船』(この表現)を、自分にとっての最適な表現を用いてしまう。都合の良いことばかりに目を向け、目の前にある現実から目を背けたいが為だ。

 

 では、その現実とは何か――――――相まみえてしまえば、会敵(・・)してしまえば彼らは確実に海中深くに引きずり込まれるから。その小さな船体から繰り出される強力な砲火によって、為す術もなく海の藻屑とされてしまうから。それが目の前に、文字通り『死』が行軍を始めたことを認めたくないからだ。

 

 

 その禍々しい立ち姿、正しく『化け物』とでも言うべき姿で自らに死を叩きつけてくる『船』―――――――艦娘と対を成す存在、彼ら人類の敵、深海棲艦が現れたと、認めたくないからだ。

 

 

 そんな全人類にそれほどの恐怖とトラウマを打ち据えているとはつゆ知らず、深海棲艦の一団はこの奇妙な海を進んでいる。

 

 彼女たちは人間と船を無理やり混ぜ合わせたような艦、大本営が命名した艦名を用いれば軽巡ホ級を先頭に雷巡チ級、駆逐ロ級及びその後期型4隻の順番に単縦陣を形成している。海域が海域のため、そして艦隊の足並みを揃えるために軽量艦で構成された水雷戦隊。

 

 

 彼女たちの情報はそれだけ。ただ、それだけだ。

 

 先ほどの呼称もこちら側が勝手に名付けただけであって、向こうがそれを認識しているかどうか分からない。何故自分たちとの共存を否定し、何の理由もなく砲を向け、何のためらいもなく轟音を響かせ、『死』を押し付けてくる。

 

 それほどまでに何も知らない、何の指標も見当たらない真っ黒な大地に無理矢理目印を付けた程度、その全容は愚か彼女たちが何をもって何のために何をなさんとしているのか、皆目見当がつかないのだ。故に、人々は恐怖を覚える。得体のしれないモノが良く分からないものが、何の目的で動き、何の理由を持って自らを襲ってくるのか、その何もかもが分からないから。

 

 人を始め生き物は未知のモノに対して真っ先に恐怖を抱く、他の感情を抱くよりも先に覚える(・・・)のだ。それは生き残るために必要なもの、生存本能、その中でも先頭を切って現れるアラーム(危険信号)。己の命を奪わんとする者の前に立ちはだかる第一関門、第一にして最も固く、厚い壁。そしてそれ以降の第二、第三の関門はそれほど強靭ではない。ハリボテとまではこき下ろせないモノの、恐怖と比べると一回りも見劣りしてしまう。だからこそ、恐怖と言う感情は生き物にとって重要なのである。

 

 

 不意に航行を続ける水雷戦隊の先頭、旗艦である軽巡ホ級が前方からやや左に逸れた一つの雲海を指差した。それと同時に、一隻の駆逐艦ロ級が隊を離れ、指差された雲海目掛けて進んでいく。ホ級が何かを感じ取り、駆逐艦に哨戒の指示を出したのだろう。

 

 雲海へと突き進むロ級の足は速くとも遅くとも言えない。ただ一定の速度で進んでいく。一歩間違えれば敵の餌食になりかねない筈なのに、そこに微塵の恐怖を抱いていないかのように進むのだ。これらのことからロ級、及び深海棲艦には恐怖と言う感情を覚えない、生き物ではないことが分かる。

 

 

 だが、本当にそうなのだろうか(・・・・・・・・・・・)? と、()は思うのだ。

 

 

 それは何故か、それは―――――

 

 

 

「鴨がネギ背負ってやってきた」

 

 

 そう、()から聞こえた。その瞬間、一発の砲声が鳴り響く。ロ級が目指していた濃霧は内側からはじけ飛び、その大きく食い破られた大穴から黒い塊が飛び出した。そのことにロ級がすぐさま回避行動をとるもその黒い塊は―――――一発の砲弾は旋回途中であったその無防備な側面に突き刺さり、次の瞬間爆発を起こした。

 

 突然のことにホ級以下()水雷戦隊はすぐさま急停止し、偵察に出したロ級が居た場所を、今もこんこんと黒い煙が立ち上る場所を茫然と見つめる。そう、茫然(・・)と見つめているのだ。

 

 何故、茫然と見つめているのか。それはそのこんこんと立ち昇る黒い煙、その腹を突き破る、いや食い破る存在があった、先ほどロ級を沈めた黒い砲弾がその数を更に増やしたそれが自分たち目掛けて突き進んでいたから。

 

 

 文字通り、彼女たちに『死』が襲い掛かってきたからだ。

 

 

「―――――――――!!」

 

 

 ホ級が声と呼んで良いのか分からない声――――()声を上げる。それを受けて、陣形を作り上げていた敵艦たちは蜘蛛の子を散らす様に回避行動をとる。その中で一隻だけ、逃れなかったものがいた。その一隻捉えたのは黒い砲弾ではなく、優雅に踊る髪が光の粒を纏うかのように美しく光る金色(・・)の砲弾。

 

 

 

「さぁ、素敵なパーティしましょう!!」

 

 

 水の滴る黒を基調として白のラインが走る制服を靡かせた駆逐艦―――夕立である。

 

 彼女は声を上げてロ級に突進、その側面に文字通り張り付いた。その瞳に恐怖の色はない。代わりにあるのは『歓喜』、艦娘として敵を殲滅することの出来る喜び。彼女は獰猛な目にそれを宿し、口元は引き裂かれた布のようにつり上げていたのだ。

 

 だが、それを確認する間もなく彼女は自らの主砲をロ級の身体、正確には悲鳴を上げるその口にねじ込んだ。次の瞬間、ロ級が一瞬光ったかと思うとその身体が内部からはじけ飛んだ。彼女の砲が零距離でロ級の内部目掛けて火を噴いたのだ。

 

 ロ級爆発を至近距離で受けた夕立は爆風に乗せられ宙を舞うも、空中で体勢を立て直し難なく着水する。そして、彼女は顔を上げた。次に沈めるべき敵を探しているのだろう。忙しなくあちこちに目を光らせる彼女の顔は、いつもおどおどした様子はない。ただ敵を屠るためだけに己を突き動かし、その結果自身がどうなろうと露ほどにも思っていない、そんな顔をしている。

 

 

 その印象に拍車をかけるのが彼女の翡翠であった瞳が、透き通るような深紅(・・)になっていることだ。

 

 

 だが、そんな彼女も何かを感じ取ったのか飛ぶようにその場を離れる。その直後、彼女が立っていた水面に大きな水柱が無数に立ち上がる。それを横目に夕立は回避した場所ですぐさま砲撃体勢を取り、砲を噴かせた。

 

 彼女が砲を向けるその先―――――その先には先の砲弾を回避したであろうホ級、ロ級の一隻が夕立に対して砲火を交えている。駆逐一隻と軽巡、駆逐それぞれ一隻による砲撃戦。艦数、砲数ともに劣るために瞬く間に夕立の周りに水柱が立ち上がり、対して敵への水柱はまばらになる。

 

 砲撃戦にて優勢となった敵が、少し前進を開始する。砲の精度を上げ、一気に夕立を磨り潰してしまおうと言う算段だろう。その証拠に先ほどまでけたたましく上がっていたホ級は声を潜め、先ほど同様ロ級に指示を出す。それに呼応し、ロ級はホ級同様前進を開始する。

 

 

 

 その後ろ(・・・・)、濃霧を突き破って現れたのが雪風だ。

 

 

 濃霧から現れた雪風は砲を構え、すぐさま砲火を上げた。彼女の砲音に気付いたロ級がすぐさま砲を雪風に向けるも、振り返った瞬間に彼女が放った砲弾がその大きく開けられたロ級の砲に着弾。その瞬間、夕立よりも大きな爆発を起こして果てた。

 

 通常、駆逐艦の砲で敵艦を爆発させることは出来ない。せいぜい着弾させて体勢を崩したり、よくて小破になる程度だ。当たり所さえ考えればほぼ無傷で受け止めることさえできる。それほどまでに駆逐艦の砲には火力がないのだ。

 

 だが、逆を言えば当たり所が悪ければ駆逐艦の砲でも敵を沈めることが出来る。それは先ほどの夕立のように零距離で敵の機関部に叩き込めば、そして雪風のように砲弾を装填した砲身で砲弾が爆発を起こしそのまま誘爆を引き起こした。

 

 前者は己の身を顧みない特攻を背景とした必然であるが、後者は何も天秤にかけずにただそのときおの瞬間に幸運に恵まれるかどうかの綱渡り。ある意味、先の演習中に起きた襲撃の際に艦載機がぶら下げていた爆弾を狙撃したことと同じである。

 

 

 そんな離れ業、ある意味運が良くなければ行えないであろう業を披露した雪風はロ級撃沈を確認すると何故か砲を手放してホ級に急接近する。ロ級撃沈、そしてその骸を踏み越えて近づいてくる雪風を前にホ級も船首を彼女に向けて砲火を浴びせる。それに対し雪風は一切の予備動作なく、そしてその反動による身体のぶれを一切見せずに進路変更、ホ級を中心に円を描くように航行を始める。

 

 ホ級はその動きに呼応して雪風の正面に立ち続けながら同航戦の構えを取った。同航戦の特徴はその砲撃戦の長さである。これは砲の数とその威力によって左右されるため、どちらも上であるホ級が即決するのは必然であった。

 

 

 

 故に、それを予測する(・・・・)のは容易である。

 

 

 

「まあまあか」

 

 

 その姿を眺めながら私から見て左前方――――左手を前に突き出した北上さんがポツリと呟いた。それと同時に、突き出した左手から鋭い音が鳴り、その腕にあった二本の魚雷が海中へと飛び出す。魚雷は海中に白い尾を引きながらぐんぐん突き進む。しかし、海流が複雑なために少しだけ僅かに軌道が逸れていく。

 

 だが、それに呼応するように魚雷の先、そこでホ級と同航戦を繰り広げる雪風は砲撃にかまけて少しずる移動を繰り返した。雪風の動きにホ級はその後ろを追尾し、更に激しく砲撃を繰り返す。砲撃の数が多ければ多いほど周りを支配する音は砲撃音のみに絞られ、雪風を狙い撃とうと躍起になればなるほどその視野は狭く、そして警戒は疎かになる。

 

 

 そして、雪風が突如大きく動いた。ホ級の進行方向とは逆に、である。その動きにすぐさま進路変更をしたホ級は次の瞬間、その動きを止めた。恐らく見えたのだ、自らの背面にまで迫る二つの白い尾を。

 

 直後、二つの大きな水柱が立ちあがる。同時に、周りは何か重いモノが水面に落ちる鈍い音に支配された。更に生暖かい液体があちこちにまき散らされ、それが私たちを軽く濡らす。

 

 

 

「思い出した?」

 

 

 液体が降り注ぐ中、一つの声が投げかけられた。その主は先ほど魚雷を放った北上さんである。彼女は降り注ぐその液体―――――ホ級の血が一筋垂れるその頬を私に――――――駆逐艦 曙に向けながら、更に言葉を続けた。

 

 

「これが、戦いだよ」

 

 

 そう溢す彼女の顔には味方である私でさえ無意識に警戒してしまうほど、獰猛な笑みを浮かべていた。その顔を見たのは三度目だ。一度目は編成発表時に浮かべていた、二度目は濃霧に紛れながらわざと音を立ててロ級をおびき出し、己が主砲で屠った時。

 

 そして三度目が今。彼女の砲撃により火蓋を切った奇襲を瞬く間に終了間近にまで持っていたその手腕、そしてリハビリで勘を鈍らせていた私に戦いとは何かを教えた時だ。

 

 

 これが戦い、確かに戦いだ。敵味方が顔を付き合わせ、その得物を手に全力で衝突する。まさに戦いだ。しかし傍から見れば―――――今の私から見れば、これは『戦い』ではない。

 

 濃霧からの砲撃による奇襲、突然の襲撃に動揺する敵へ畳みかけるように砲弾の雨と戦闘狂と化した夕立を差し向ける。その後夕立を囮として敵の目を引き付け、背後に雪風を回らせてロ級を屠る。後に今度は雪風を囮として敵を動かし、自らの魚雷射程内に誘い込みこれを沈める。

 

 全てが全て、北上さんが発した戦闘経過と合致している。まさに彼女の掌で敵水雷戦隊が踊らされ、そしてこちらの思惑通りに事を進ませ、その身を果てた。こちらが負った損傷は至近距離で爆発を喰らった夕立のみ、しかもその損傷すら軽微に収まるように装甲を位置をいじくったのも、全て彼女の手腕である。

 

 だから、私はこれを『戦い』とは言えない。双方が全力でぶつかり、双方がそれ相応の損傷を受けてこそ、両者の戦力が拮抗してこそ、或いは劣勢に立たされてこそ『戦い』だと、『正念場』だと言える。むしろ、私たち小型艦で構成された水雷戦隊は大体がそう言った劣勢における戦闘を主としている。故に駆逐艦()は彼女の言葉に違和感を覚える。

 

 それはフェアプレーを良しとする『戦い』ではなく、『蹂躙』、『虐殺』、『屠殺』等々、常軌を逸した目に余る残虐極まりない行為だから。

 

 

 だが、それは健全な(・・・)鎮守府から出撃した真っ当な(・・・・)水雷戦隊だけに適応される、とても狭い範囲での意味合いなのだ。

 

 私たちの鎮守府は健全とは程遠い、劣悪と言う言葉すら生ぬるく感じるほどの環境であった。補給も入渠も休息すらなし、ただ鎮守府と海域を往復し、ただ敵を屠り、その度に夥しい数の味方を磨り潰し、壊し、身体も心も散々に打ち据え、踏みにじられ、ボロボロにされた。

 

 そんな状況で私たちは戦わなければならなかった。いや私たちは戦っていたのではない、必死に生き残ろう(・・・・・)としていた。動こう(・・・)としていたのではなく、生き残ろう(・・・・・)とした。

 

 

 生き残るために、私たちは何でも(・・・)した。言葉では言い尽くせないほど沢山、表現できないほど残忍なことをし続けた。ひとえに生き残るために、生き残るために必要なことを、命を脅かす存在の排除を、それ一辺倒に私たちが持ちうる全てを注ぎ込んだ。

 

 如何に敵を屠るか、如何に敵の戦力を削ぎ、如何に敵の作戦を乱すか、如何に敵の通信手段を滅茶苦茶にするか。全ては立ち向かった敵、囮になった敵、撤退する敵、それら全てを一隻残らず海の藻屑に沈めるために。殺られる前に殺る、見つけ次第皆殺し、『見敵必殺(サーチアンドデストロイ)』を完遂するために動き、そしてその一点だけに己の身を捧げ続け、そして生き残ってしまった残骸が私たちだ。

 

 

 故に、私はこれを『戦い』ではないが『戦い』だと言える。私たちにとっては紛れもなく『戦い』だ、傍から見れば『蹂躙』、『虐殺』、『屠殺』等々、常軌を逸した目に余る残虐極まりない行為だろうが。

 

 

 これがなまくら(私たち)の『戦い』なのだ。

 

 

 

 

「―――――――――!!!!」

 

 

 そんな思考を断ち切ったのは北上さんでも、夕立でも、雪風でもない。少し離れた場所で奇声を、いや悲鳴を上げる雷巡チ級であった。その身体はボロボロで、その右腕は肘から先が無く、その先からは夥しい血が垂れ流しであった。雷撃か、砲撃か、はたまた腕を引き千切られたのか、とにかく満身創痍のチ級は今も無傷で佇む私たちに向けて悲鳴を憎悪で塗れた汚い言葉を盛大にぶつけていた。

 

 

 ここで話を戻そう(・・・・・)

 

 生き物は恐怖と言う危険信号を持っており、それはどんな生き物にでも備わっている。そして、ロ級が何の躊躇もなく突き進んできたことから、深海棲艦たちはこの危険信号を持っていない。故に、彼女たちは生き物でないと。

 

 

 だが、私は本当にそうなのか、いやそんなわけがない(・・・・・・・・)と思うのだ。

 

 今こうして金切り声を上げるチ級を見ろ。あんな必死に泣き叫んでいるじゃないか、あんなに痛がっているじゃないか、あんなに怖がっているじゃないか。

 

 

 あれ程盛大に、必死に、全力で『恐怖』を表現しているじゃないか、あれ程必死に生きよう(・・・・)としているではないか

 

 

 

「っさいな……」

 

 

 そんなチ級を見ながら、北上さんが吐き捨てる。その言葉を糾弾する気は無く、むしろ敵対している故に当然の反応だと思う。だがそれでも、それでも思ってしまうのだ。それでも疑問に、ふと疑心暗鬼に陥ってしまうのだ。

 

 あれ程必死に恐怖しているチ級を見て吐き捨てるしかしない、いや出来ない、出来なくなってしまった(・・・・・・・・・・・)私たちは。本当に、本当に、本当に、生きているのだろうか。もう既に何処かで死んでいて、その骸が自分の死を知らずに今もなお動き回っているだけではないのか。

 

 今こうして目の前で泣き叫ぶ深海棲艦を見据え、血まみれの恰好でただ殺戮する立場の私たちがよっぽど『化け物』じゃないか。人間であった筈の私たちが、最も『化け物』に近い存在なのではないか。

 

 

 人間が最も恐れる『化け物』とは、今の私たちではないか、と。

 

 

 

 

「回避ぃ!!」

 

 

 その思考は北上さんの怒号によって断ち切られた。同時に、そう遠くない海面に巨大な水柱が立ち上がる。それは他の海面に衝撃と大きな波を生み出し、私たちに襲い掛かった。大きなうねりにより私たちは体勢を大きく崩す。それはチ級も同様であり、その体勢もまた大きく崩れた。

 

 

「曙ちゃん!!」

 

 

 危うく海面に頭から突っ込みそうになったところを寸でのところで潮に腕を掴まれ何とか回避した。そのまま潮に引かれる形で大きくその場を旋回する。その直後、先ほどと同じ大きさの水柱が――――――とても駆逐艦や軽巡洋艦、ましてや重雷装巡洋艦の雷撃でも立ち上げられないほどの水柱が無数に現れたのだ。

 

 

「何処からの砲撃!? 敵影は!?」

 

『砲撃……だったらどれほど良かったか』

 

 

 次々と立ち上がる水柱、その轟音を撥ね退けるように大声で吠える潮、そして無線の向こうから渋い声色の響きがそう溢す。その言葉に私は足元に目を向け、そしてそこで黒い小さな影が無数(・・)に動き回るのを見た。次に頭上を仰ぐ。それと同時に頭上から眩しい日の光で目を貫かれるも、それは次に現れた黒い影の正体によって遮られた。

 

 

 

 そう、濃霧の隙間を縫うように、夥しい数の敵艦載機が飛び回っていたのだ。

 

 

『く、空母が―――んて聞――――いっぽい!!』

 

『黙―――な、夕立。各艦、回避――――――念。濃霧を見つ――――そこに退避を』

 

 

 無線の向こうから途切れ途切れの通信が届く。その声は夕立と北上さんであり、途切れる度に聞こえるのは爆弾の炸裂音だ。勿論、それは無線の向こうだけではなく現在進行形で周りでも起きている。艦載機から落とされた爆弾で生み出された水柱は私たちの視界を奪い、体勢を崩し、そして大量の潮水を頭上から降り注いでくる。

 

 

「あけ、ぼ、ちゃん!! 絶対に、絶対に離れないで!!」

 

 

 潮水を被り、濡れ鼠となった私の手を必死に握りしめ、決死の回避行動をとる潮。だが私を、それも燃料と鋼材、バケツを詰め込んだドラム缶を背負っている私を曳航しながらの回避行動はハッキリ言って無茶だ。現に、避け切れずに少しだけ傷付いている。

 

 そこに運命のいたずらか、絶対に回避できないであろう爆弾が迫ってきた。あの位置、そしてその距離では絶対に避け切れない場所に。あれに当たればただでは済まない、駆逐艦の装甲など簡単に抜けるであろう強力な爆弾が。

 

 

 だが、それを前にして彼女は決してあきらめなかった。

 

 

 

「うぁぁああッ!!!!」

 

 

 そう獣のような声を上げて潮は片腕を頭上高く、その迫りくる爆弾目掛けて思いっきり振り上げた。その手には彼女が愛用しているピンク色の主砲が有り、それを頭上の爆弾に向けたのだ。艦載機や敵艦とは違い、爆弾は上から下へ一直線に動くのみ。故にその軌道と落下速度を予測し、爆弾を狙撃するのは比較的容易であった。

 

 次の瞬間、潮の主砲が火を噴き、同時に頭上に迫っていた爆弾が盛大な音を立てて爆発を起こす。爆発は爆風を、衝撃波を、そして爆弾の残骸を辺り一帯にまき散らした。残骸はまるで弾丸のように私たちに降り注ぐも、潮が高々に掲げた主砲を盾に辛うじてやり過ごす。

 

 勿論、全てを防ぎきれるわけではなく、彼女の身体は傷付き、太ももにある魚雷発射管はたちどころに撃ち抜かれ使い物にならなくなり、彼女の制服も破片によってびりびりに引き裂かれてその白い肌に無数の切り傷が刻まれる。

 

 そしてその盾は、そして衝撃波に意識を取られた潮は、私までもを守ることが出来なかった。ただでさえ表面積の広いドラム缶、そこに大量の資材を詰めて重くなったそれが爆風に攫われ、私たちの手は離れてしまったのだ。

 

 

 

「――――!!」

 

 

 

 視界の中で何かを叫び、必死に私に手を伸ばす潮。その手は辛うじて、寸でのところで私の手を捉える。が、それも間近に落ちた爆弾、それがもたらした大きな水柱によって離れ離れになってしまう。

 

 潮の手を離れた私は、空中から容赦なく海面に叩き付けられる。水切りの石のように海面を何度も跳ね、その度に意識を飛ばしそうになった。だが、それでも私は何とか保った。それは自らの背にあるドラム缶が海面を跳ねる度に身体を打ち据え、その痛みで意識を辛うじて繋ぎ止めたからだ。

 

 だが、その代償に全身を激しく打ち据え、足腰に力が入らない。ようやっと止まった海面で、私は全身をはいずり回る痛みに呻き声を上げるしか出来なかった。今この時、立ち上がらなければ敵に狙われてしまう。恰好の的、獰猛な獣の目の前に現れた獲物となってしまう。

 

 

 そんな私の顔に、再びあの影(・・・)がかかる。

 

 目を向けると、一機の艦載機が頭上高くを漂っている。そして、その艦載機から黒い点が現れた。紛れもなく、私を狙って落とされた爆弾である。

 

 ふと、その爆弾から目を離し、先ほど泣き叫んでいたチ級に目を向ける。彼女は前に目を離した時と全く変わらない場所に居た。ただ、その表情は先ほどと全く違う。先ほどは恐怖が浮かんでいた。生き物が抱くことのできる恐怖を、奇しくもそれを表現していた。

 

 だが、今はどうだ。彼女は笑っている(・・・・・)。笑みを浮かべ、まるで歓声を上げているかのように、獰猛な笑みを浮かべている。そしてその胸部にはぽっかりと大きな穴が穿たれ、そこから右腕と比較にならないほど夥しい血が噴き出しているのだ。

 

 そんな彼女も、次の瞬間に木っ端みじんになってしまった。その頭上から爆弾が落とされ、さく裂したのだ。その最後、爆弾が落ちるその最期まで、彼女は笑っていた。何故か笑っていた。

 

 

 死の間際、その最期の一瞬でさえ、その『生き物』は笑っていたのだ。

 

 

 それを垣間見て私は再び頭上を、こちら目掛けて落ちてくる爆弾を、迫りくる『死』と向き合った。生き物とは最期の瞬間、どうやら笑うようだ。では私は、『化け物(私たち)』は笑えるのだろうか、迫りくる『死』を前にして本当に笑えるのだろうか。

 

 

 それが指し示す答えを私は今ここで、この身を持って知ることとなった。

 

 

 

 


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