新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『刃』と『なまくら』

「腹立たしいわ……」

 

 

 ふと、そんな言葉が漏れていた。

 

 場所は大海原、時間は正午をまわった所、それを漏らしたのは長門を先頭に展開した単縦陣の真ん中、最も内側で目を閉じて静かに航行する私――――正規空母 加賀だ。

 

 

 鎮守府を出撃して数時間。私たちは目立った被害もなく目標海域に差し掛かろうとしていた。勿論、敵が居なかったわけではない。道中こちらの索敵に何回か敵が引っかかるも、接敵することなくこちらの存在だけを示唆する航行に留めたからだ。これはより多くの敵を引き付けるためであり、その結果私たち空母は見た目に反して多忙を極めている。

 

 今こうして目を瞑っているのも視覚情報を締め出し、頭の中にある先発させた索敵機からの情報に集中するためだ。それを一つ一つ確認し、現状に適した情報を選び旗艦である長門に伝える。また選び出した情報を索敵機に付き返し、集めるべき情報、必要な事柄を示すことで溢れる情報量を抑制しつつその質を上げる作業に着手する。どちらかと言うと航行の方がおまけに近い。更に言えば被害は無いが疲労自体は溜まっている。

 

 

 だからこそか、胸中にある不満(・・)を溢してしまったのも。

 

 

 

『大丈夫ですか?』

 

 

 それを拾ってしまったのか、後ろで同じように索敵機を飛ばしている筈の隼鷹からそんな無線が飛んでくる。彼女も私と同じ作業に、着手しており搭載数もそこまで変わらない。故に捌く情報量は私と同じであり、私がそれ以外の作業に手を出せない程の筈だ。

 

 しかし、彼女の声色からそんな重い作業をしているとは感じない程自然であった。まるで、私が必死に裁くこの情報量を片手間で裁きそれでも持て余してるかのようである。

 

 彼女は常日頃から周りの目を気にし、そこに映る自分の姿を一挙手一投足に至るまで完璧にコントロールしてきた。それを可能とするにはまず一度に得る情報量を増やさねばならず、更にそれを捌く処理能力も高めなければならない。そして、処理を終えた情報に対して適した行動を導き出し、それを完璧に演じ切る。彼女の人生はまさに『舞台』と呼ぶにふさわしい戦場だった。

 

 その結果、彼女が有する索敵能力は私や龍驤を軽く凌駕している。そのため私が秘書艦の時に色々と手を回したり、提督に休日をぶつけた時はその表情を読み切って求めている答えを指し示すなど、その高さは行動に現れている。また戦闘に於いては敵の動きを瞬時に察し、即座に対応することで目立たないながらも、その実戦果は私たちの中で最も多い。本人は謙遜しているものの、場合によっては彼女一人で一空母群を相手取ることも可能かもしれない。

 

 その点に関して私は諸手を上げて彼女を称賛し、密かに羨望の眼差しを向けている。しかし、その並外れたものが培われた境遇(土壌)に目を向けてしまうと、それが欲しいとは言えなくなってしまう。人前に出ることを恐れながら常に人前へ出続けた『彼女』、そして望まぬ運命を押し付けられ最後の最後まで走り切ってしまった『隼鷹』。そんな周りの視線や望まぬ運命に振り回された彼女たちにとって、その能力は忌まわしきものかもしれないからだ。

 

 

「ううん、何でもないわ。大丈夫よ」 

 

 

 そんな彼女に無線を通して言葉を向け、気にするなと手を軽く振っておく。しかし、それが不味かった。手を振った時、手首に纏わり付く3つ(・・)のそれを思い出してしまったからだ。

 

 

 

「……忘れてたのに」

 

 

 再び呻き声を上げる私の視線は隼鷹に向けて振った手、正確にはその手首にある三本のミサンガを捉えていた。

 

 

 一本目は未だに新しくまだまだ切れそうにない方。提督と二人で付けあった二本の内、私の願いが込められたものだ。

 

 二本目は私の願いが込めた方よりも擦り切れてはいるがまだまだ切れる見込みは薄い方。提督と二人で付けあった二本の内、私たちの願いが込められたものだ。

 

 

 そして三本目。それは少し時間を遡ること数時間前――――

 

 

 

 

「何、これ?」

 

 

 食堂で行った大号令から数時間後。水平線から顔を出した太陽が母港内を忙しなく照らす中、定刻から数分早く集合してた出撃部隊の面々。その中で私が放った言葉だ。

 

 

「いや、何って……ミサンガ」

 

 

 そんな私の言葉に何処か狼狽えるように身を竦ませながらもそれを――――白と黒の真新しいミサンガを差し出しながら提督は答えた。そして何故かその後ろには彼が持つミサンガを大量に携えて得意満面の笑みを浮かべている夕立がいるのだ。そして、彼女が抱えているミサンガと同じものを出撃する面々の手首にぶら下がっている。

 

 そして私がやってきた時、開口一番に「はい、これ」と言われてミサンガを突き出された。それに面を喰らった後に絞り出した言葉がさっきのだ。

 

 

 要するに私はこう言いたいのだ、この状況を説明しろ、と。

 

 

「提督さんが『この作戦は運に左右される』って言ったっぽい。だから夕立が提督さんに作戦成功を祈願して夕立たちだけじゃなく、鎮守府の皆でミサンガを付けようって提案したの。一人よりも皆で付ければ効果は絶大!! 絶対絶対、ぜぇ~ったい!! 成功するっぽい!!」

 

「そ、そういうわけ……です、はい……」

 

 

 抱えたミサンガを振り回しながら声高に笑う夕立の言葉に、提督はそう言いながら申し訳なさそうに視線を外す。

 

 夕立の言葉がほぼ正解を言っているが、要するに作戦成功を込めたミサンガを鎮守府にいる全員で付けることで運に左右される作戦の成功率を上げようと言うわけか。運に左右されることは提督の口から語られているわけだし、このミサンガも元々夕立が発端であるためこの流れになるのは至極当然のことだ。

 

 しかし、何故彼の語尾が敬語になっているのだろうか。つい先ほど、私がその願いに近いものを込めた彼のミサンガを引き千切ったばかりだからだろうか。今こうして新しいミサンガを付けることが私の行動を無かったこと(・・・・・・)にすると分かっているからだろうか。

 

 いや、そもそもミサンガを付けること自体不本意なのか……いやそんなわけないか。自分の口から運に左右されると語ったし、何よりその運を少しでも引き寄せるために雪風を起用したのだ。彼にとって夕立の提案は渡りに船だろう。

 

 しかし、仮にそうなら彼は夕立と同じように満面の笑みでミサンガを手渡してくるはずだ。だが実際、彼は申し訳なさそうに私から視線を外している。つまり、私の行動を無かったことにすると分かった上で夕立の提案を呑んだということか、いや十中八九夕立の熱意に押し切られたのだろう。

 

 

 決して、『刃』()のことをないがしろにしたわけではないのだろう。そういうことにしておいてやろう。

 

 

 

「加賀さん」

 

 

 そんなジト目を彼に向けている私に、夕立が声をかけてきた。その声色はつい先ほどまでミサンガを振り回していた彼女と思えないほど静かで、そして重みのある声だった。そのことに思わず夕立に視線を向ける。向けた先で、彼女は不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

「必ず、成功させるよ」

 

 

 その言葉、夕立が発したその力強い言葉。それを受けて、私は察したのだ。彼女もまた立派な『刃』の一振りなのだ、と。

 

 

 

「ええ、そうね。でも最初は提督と貴女、二人だけの願い(・・・・・・・)にしようとしたのね? そういうの、抜け駆けって言うのよ」 

 

 

 そんな『刃』に私は冷や水を浴びせる。その話を聞くに、どうやら最初は『彼女たちだけ』でミサンガを付ける話だったのではないか、と。そんな冷や水を掛けた筈なのに、彼女は立ちどころにその顔(刀身)を真っ赤にさせたのだ。

 

 

「ちっ、ちちちちちちちがうっぽい!!!! そ、そんなんじゃないっぽい!!!」

 

「『ぽい』と言うことは、完全に否定するわけではないのね」

 

「それは口癖だもん!!!!! そういう意味じゃないもん!!!」 

 

「お、おい。その辺に――――」

 

 

 ヒートアップする私たちの間に割り込んできた提督の言葉は途中で途切れた。割り込んできた、いやまんまと私が張った罠(・・・・)に飛び込んできた彼の襟首を素早く掴み、強引に引き寄せたからだ。

 

 

「貴方も」

 

 

 そして頬と頬が密着する距離まで彼を引き寄せた時、私は彼の耳元に口を近づけた。

 

 

 

「そう簡単に、流されてんじゃないわよ」

 

 

 そう囁き、そのまま乱暴に彼の襟首を離す。私の手から解放された彼は素早く飛び退き、若干赤くなった頬に手を当てながら茫然と私を見つめてくる。

 

 

「貴方の悪い所よ」

 

 

 そんな彼に柔和な笑みを向けながら毒を吐いておく。それに彼は特に反応することなく、ただ見つめてくるのみ。そんな彼を見る私の視界に、彼以上に茫然とした表情を浮かべている夕立が見えた。その瞬間、私は無意識の内に提督から彼女に視線を移していた。

 

 

 

『―――――そして小指で瞼を下に引っ張り、軽く舌を出した。年甲斐もなく『あっかんべぇ』をしたのだ』

 

「……ちょっと、ねつ造しないで」

 

 

 いつの間にか無線を通じて当時の状況を事細かに実況し始めた旗艦様に、私は容赦なく突っ込む。すると、無線の向こうから複数の笑い声、正確には笑いを噛み殺そうとしたが漏れてしまった声が小さく聞こえてくるのだ。この旗艦様、全員への回線を繋げて先ほどのねつ造話を披露していたのか。

 

 

『何処かねつ造だ。私はほんの少し表現を変えているだけで、語っているのは事実そのものだぞ? 現にお前は舌を出した。それに気付いた夕立が『決闘よ決闘!! 決闘するっぽい!!』と言って艤装を展開させ始めた。それを寸での所で止めたのは、この長門だぞ?』

 

「…………その節はどうも」

 

 

 無線の向こうから「誰?」と言いたくな程に幼い声で夕立の真似をする我らが旗艦、長門の言葉に私は投げやり気味に返答する。その返答に一人が小さく噴き出すのが聞こえたが、もう脱線しかしないと察し早々に無視した。

 

 

『別にいいさ。まぁしかし、加賀の気持ちも分からんでもない。あれだけのことをして、ようやく動いてくれたわけだしな』

 

 

 私の意図を汲んでか、長門はこの話題を早々に切り上げて別の方向に持っていった。あれだけのこと、というのは私が執務室で提督にしたことだろう。そしてそれをした上でのあの仕打ちなのだから、自分で言うのも何だが暴走(・・)してしまったのも仕方がないと言いたいらしい。

 

 

「残念だけど、私じゃないわ」

 

 

 だが、彼女が持っていった方向は、私の真意から微妙にずれていた(・・・・・)。だから私は彼女の言葉を否定した。

 

 

『それは――――』

 

『見つけました』

 

 

 私の言葉、そしてそれに対する長門の言葉を隼鷹の淡々とした報告(・・)が遮った。その途端、艦隊の空気が変わる。

 

 

『隼鷹、そのまま続けろ』

 

『ここから南に下った海域に真っ直ぐこちらへ向かってくる深海棲艦の一群を発見。規模は主力らしき戦艦と重巡とその護衛に駆逐艦、軽巡洋艦を配した中規模艦隊がおおよそ四部隊。そして――――』

 

 

 そこで隼鷹は言葉を切った。後ろを見ると、固く目を瞑って何かボソボソと呟いている。恐らく、頭の中にある情報を整理しているのだろう。

 

 

『件の深海棲艦をその最後尾に確認、それ以外の空母の姿は無し。以上です』

 

『承知した。全艦、集まってくれ』

 

 

 隼鷹の報告を聞き終えた長門がそう号令する。先ほどのおちゃらけた声色から一変、低く重い、威厳に溢れる声になっている。この切り替えの早さ、そして何より誰しもを従わせるその言動、まさにビックセブンであろう。そんな彼女の号令に私たちは少しずつ速度を緩め始め、そう時間が経たないうちに各艦が長門の周りに集結した。

 

 

「隼鷹の報告通り、私たちは敵の目を引くことに成功した。これより艦隊決戦に突入する。私たち一部隊に対し敵は四部隊、四倍の戦力だ。持久戦に持ち込まれたらじり貧だろう。しかし、私たちの任務は敵を引き付け時間を稼ぐこと、故に持久戦は免れない。つまり、私たちが勝てる見込みは皆無に等しい……」

 

 

 集まったのを皮切りに長門が淡々と話し始める。その内容はお世辞にも決戦前にする話ではない。頭ごなしに、勝てる戦ではないと言っているのだから。

 

 

 しかし、それを語る長門の表情は、全くの別もの(・・・)であった。

 

 

「だがそれがどうした? 勝てる見込みがない? 何を馬鹿なことを……大前提に私たちが勝つ必要はない。それに我々(・・)は―――我が鎮守府は現在勝っている(・・・・・)勝ち続けている(・・・・・・・)。敵がキス島北方方面に集結している時点で勝っている、敵が此処に集結し続ければ我々の勝利は揺るがない(・・・・・・・・)のだ。この勝ち戦を何処まで続けられるか、そして誰一人として欠けず母港に帰投するか、それこそが『囮』の役目であり、それこそが私たちの勝利である。各々、その言を心に―――――彼が見つけたその心(・・・・・・・・・)にしかと刻むように」

 

 

 そこで言葉を切った長門は、清々しい顔で誇らしげにこう宣言したのだ。

 

 

「我ら、兵器に非ず。我ら艦娘、明原(・・) ()提督閣下の艦娘なり。あののほほんとした阿呆面に、『(我ら)』が切れ味、存分に見せてやろう」

 

 

 長門の言葉に、それを受け止めた僚艦たちの表情が微妙に緩む。全く、大言壮語を言わせれば右に出る者は居ないのに、そうやって空気を緩ませるからここぞと言う威厳に欠けるのよ。まぁ、だからこそ彼女の周りに人が集まるのだけど。

 

 

『加賀』

 

 

 そんな言葉で各艦を散開させた後、長門は無線を通してこう言ってきた。

 

 

 

『仕方がないさ。何せ彼女はまだ、彼を否定していないのだから』

 

 

 それは先ほどの言葉の続きなのだろう。そして、彼女はどうやら私の真意をしっかりくみ取っていたようだ。その言葉に、私は何も返すことはなかった。恐らく、長門はそれに対する返答を求めていない。むしろ返答があれば困っただろう。

 

 

 何せその答えは私が誰よりも知っているものであり、そして私を惨めにするものだからだ。

 

 

「やっぱり、なれなかったか……」

 

 

 思わず漏れてしまった言葉、それは私の中に燻る不満だ。彼に対しての不満であり、彼女に対しての不満でもあり、その確固たる証拠を自らの口で示してしまったことへの後悔でもある。

 

 

 その後悔とは、彼を呼ぶ時にその言葉(・・・・・)を使ったことだ。

 

 

「……どうか、そのままでいてね」

 

 

 その後悔を、或いはその羨望を、その他大小様々なものを積み重ね、落とし込み、無理矢理ひとまとめにしたそれを、私は無責任にも託したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「雪風」

 

 

 その名を呼んだ時、反応は無かった。それは航行に集中していたからかもしれない、それは全速に近い速度で稼働する艤装の音にかき消されたかもしれない。他にも理由があったかもしれないが、現状それを知る術はない。

 

 

「ねぇ……雪風?」

 

「……はい!! なんでしょう?」

 

 

 もう一度、その名を呼ぶ。すると、今度はちゃんと反応があった。少し遅れ気味ではあったが、ちゃんとこちらに顔を向け、いつものように元気な声を上げる。顔をこちらに向けながらも、その速度は落ちることは無い。前を向いている時と同じように、全速に近い速度で航行しているのだ。

 

 

 

「ごめん……ちょっと、速度落としてくれない? 陣形が崩れちゃう……」

 

「あぁ!? すみません!? 気が付かなくて……資材、重いですもんね? 雪風が持ちましょか?」

 

 

 私の言葉に雪風は慌てた様にそう言って頭を下げ、すぐさま速度を落としてくれた。それだけでもいいのに、申し訳なさそうな顔を浮かべて近づいてきて、私の背中にあるドラム缶の一つを指差しそんなことを言ってくる。

 

 

「あ、いや、もう大丈夫。この速度なら問題ないわ。ありがと」

 

「そうですか? 曙ちゃん、無理しちゃ駄目ですよ?」

 

 

 雪風が速度を控えてくれたおかげで何とか態勢を立て直した私、曙は近づいてきた雪風の手を制しながらお礼を言う。だが、それでも雪風は何処か不安な表情を向けてくる。あんまり弱音を吐いちゃうと、却って不安を煽っちゃうか。今後は自重しよう。

 

 

 母港を発ってから数時間。本作戦の要である救出部隊は現在、キス島南東方面へ進んでいる。陣形は輸送艦である私を中心に輪形陣だ。傷一つついていない艦娘()が艦娘に護衛されるって、何処か変な感じである。まぁ攻撃手段が無いからあれだけど、大部分は私が持っている22号水上電探(マグロ)の索敵範囲を最も有効活用できる陣形がこれなのだとか。

 

 その陣形のおかげか、私たちは母港を発って一度も会敵していない。むしろ、電探にすら引っかかっていない。これは長門さんや加賀さんたち囮部隊が上手く敵を引き付けていると言うことなのだろうか。

 

 

 それか、これも『幸運』のおかげなのだろうか。

 

 

「無理ならすぐに言ってくださいね? 雪風が持ちますし」

 

「いや、これ持たれちゃうと私が居る意味無いでしょ……」

 

 

 何故か妙に食い下がってくる雪風に私はそう言いながら苦笑いを向ける。すると、雪風は「そうですか?」と言いたげに首を傾げてきた。全く、この子も本当に普段と変わらないわね。

 

 

 いや、一つだけ違うことがある。

 

 

「それ、そんなに嫌?」

 

 

 その『違うこと』について、私はそう言いながら彼女の手首を指差した。私が指し示すその手首には、出撃前にクソ提督(あいつ)からもらったミサンガが下がっている。このミサンガは、今輪形陣の一角を担う夕立があいつと何か示し合わせたのか、出撃する面子及び鎮守府内で待機する他の艦娘たちに配っていたものだ。

 

 私と潮も出撃する直前、両腕にそれを大量にぶら下げた満面の笑みを浮かべた夕立から受け取った、もとい押し付けられた。そしてこのミサンガを付ける意味―――作戦が無事成功するように、という理由も一緒に告げられ納得の下に付けた。そして今、それは私の、そして雪風の手首にもぶら下がっている。

 

 

 だが、実は一度、彼女はそのミサンガを付けるのを断ったのだ。

 

 

「雪風には幸運の女神が付いていますから、もうこの作戦は成功したも同然です!! だから、雪風には必要ありません!!」

 

 

 彼女の言い分はこうである。自分が参加する時点で幸運の女神を味方につけたも同然である。だから、今更ミサンガを付ける意味はない、と。普段からやることなすことが自分の都合よく運ぶ彼女にとってミサンガはあってないようなもの、だからそれは別の人に付けて欲しい。そういうことだと。

 

 だが、だからこそ彼女にこのミサンガを、幸運の女神に愛された彼女にこれを付けてもらえば作戦の成功率は格段に上がる、それが夕立の言い分であった。その返答、そしてそのまま勢いに押し負け彼女はミサンガを付けた。その様子は渋々と言った様子ではなく、「もう、欲張りさんですね……」といった感じであったため、そこに嫌悪感は無かった。

 

 

 だが先ほど、私が彼女の名前を呼んでも反応しなかった時、彼女の目は自身の手首に下がるミサンガに注がれていた。そしてもう片方の手でミサンガを、今にも引き千切らんばかりに握りしめて。

 

 

 同時に、その彼女の表情は今まで見たことが無いほど苦痛(・・)に歪んでいたのだ。

 

 

「そんなことないですよ? 雪風には幸運の女神が居ますからあまり意味はないですけど、あまり欲張りすぎるのもどうかな……って、心配になっただけです」

 

 

 だが、彼女の返答にそんな雰囲気は感じられず、どちらかと言えば女神のご機嫌を損ねちゃうかも、という何とも可愛らしい不安であった。正直、こんな状況でそこまで考えを回すことが出来るのは、幸運に恵まれている証拠なのかもしれない。

 

 

「んー……あんた一人ならそうかもしれないけど、これだけ大勢の艦娘が願っていたら女神様も無視できないんじゃない?」

 

「そういうものですかね……そう言えば、ミサンガは自然に切れたら願いが叶うんでしたっけ? 故意に切っちゃうのは駄目でしたっけ?」

 

 

 ……なんだろう、自分でもどうかと思うけどこれから戦場に赴く面子がする会話じゃないわね。まぁ、この子と一緒に出撃すると戦場に居ることを忘れそうになるって聞いたわね。私は遠征がメインだったから一緒に出撃する機会が殆ど無かったんだけど。

 

 

「確か故意に切っちゃうのは駄目だ、って夕立が言ってたはず……でも切れたミサンガはそれっきりだから、敢えてミサンガを解いて別の願いを込めてもう一度結ぶのは有り……だったと思うわ」

 

 

 

「そう、ですか」

 

 

 そこで、私は強烈な寒気に襲われた。その瞬間に背筋を、いや全身を強烈な寒気、そしてとてつもない気持ち悪さもセットで。気を緩めた瞬間、その場にへたり込んでしまうかと思ったほど、強烈な『嫌悪感』だ。

 

 その根源は目の前にいる雪風。彼女が浮かべている笑み(・・)だ。普段の彼女が浮かべているそれと全く同じ、同じなのだ。なのに、その笑みが醸し出す雰囲気、印象、空気、その全てが普段のそれから想像もできないほど、気分が悪くなるほどの『違和感』を。

 

 

 

『こらー、そこの三人(・・)。遅れてるぞぉー』

 

 

 と、思ったのもつかの間。無線の向こうから私たちの旗艦の声が聞えてくる。その言葉に私、雪風、そしていつの間にか私の後ろに近づいてきていた潮が旗艦の方を向く。その先に、こちらに身体を向けながら両腕を頭の後ろに組んだまま後ろ向きに航行する、所謂背面航行をする北上さんのが見えた。

 

 

『曙ぉ? この速度でへばってちゃいざって時に動けないぞぉ? そして潮ぉ……勝手に陣形を崩しちゃ駄目じゃない。すぐに配置に着きなさーい』

 

 

 頭の後ろに回していた両腕を前に、その両手でメガホンを作りながら間延びした声で注意してくる。この作戦の要、そして何より本隊を率いる旗艦と言う最重要地位に居るはずなのに、その声色は普段と変わらない。ハッキリ言うと緊張感に欠けている。

 

 しかし、先ほども言った通り彼女は背面航行をしており、その速度は私たち駆逐艦が正面を向いて全速で進む速度と一緒。更に言えば、私たちを含めた駆逐艦の誰よりも前、最前列を難易度の高い背面航行でこともなげに進むその航行技術は並外れたものではない。普段の様子では分からないものの、彼女もまた鎮守府内トップクラスの練度を誇っているのだ。

 

 そんな能ある鷹は爪を隠すかのようにのんびりとした表情で何事も無く背面航行から正面の航行へと戻る。本来、それだけでも大変な技術、そしてそれをもってしても体勢を崩す筈なのに、彼女の身体はまるで地面の上を歩いているかのように自然に、そして一切ぶれることなくそれを成し遂げてしまう。

 

 

 その中で、彼女の片手が不自然に動く。それは正面を向く瞬間、その片手が人差し指で前方を指したのだ。 

 

 

「分かりました」

 

 

 その瞬間、横に居た筈の雪風がそう声を漏らしたと思うと、いきなり速度を上げて前に進んでいってしまったのだ。

 

 

「え、ちょ」

 

『はい。ボケッとしてないで、とっとと配置に着いて~』

 

 

 私の声を掻き消す様に無線から北上さんの声が聞える。だが、それは私の耳に入ってこない。それは何故か、見えたからだ。前方に向かって離れていく雪風、その頭の上で狂ったように暴れ回る妖精の姿を。その妖精はいつも雪風と一緒に居て、まるで姉妹のように仲良しだった。なのに今目に映るその妖精はそんな過去を一切感じさせないほど、容赦なく雪風の上で暴れ回っている。

 

 

 

 まるで、雪風(この船)から一刻も早く逃げ出そうとしているように。

 

 

 

「曙ちゃん、私の後ろに」

 

「へ?」

 

 

 だが、それも横から現れた潮によって遮られてしまう。いや、遮られただけであれば私の思考は止まらない。だがどうだろうか、潮の手には黒光りする砲が具現化していれば。

 

 

『敵艦隊、発見したよ』

 

 

 それと同時に、無線から響の低い声が聞える。その言葉に、ようやく私は先ほどから激しく点滅を繰り返す電探の反応に気付いた。距離は驚くほど近く、このまま進んでいたら鉢合わせしていたであろう距離だ。

 

 

 

「て、敵がっ」

 

「落ち着いて」

 

 

 不意打ち気味に現れた敵に狼狽える私に、潮が冷静な声を浴びせ掛ける。同時に、電探を握りしめる私の手を彼女が取った。落ち着いて、私がついている、とでも言う様に。

 

 

『……さて、ようやく索敵員さんが敵を発見したところで作戦を説明するよ。先ず、そこの濃霧に紛れる。そして濃霧で身を隠しながら前進する。そして―――――」

 

『やり過ごすっぽい?』

 

『…………まさか(・・・)。いくら隠密行動だとしても、帰りは金剛たちを曳航して帰るんだよ? 出来るなら帰りの分(・・・・)を減らしたいじゃん。そして、やるなら守る対象が少ない(・・・・・・・・)今が良い』

 

 

 無線間でやり取りされる北上さんの作戦。それは作戦と呼べるモノか疑問に思うほど、言ってしまえばお粗末なものだ。しかし、ある意味私たち(・・・)にとってそれは最適なものだと言えた。

 

 

『さて、リハビリですっかり牙を抜かれて愛しの提督さんにご執心な索敵員さんに、思い出させて(・・・・・・)あげようじゃないか』

 

 

 作戦概要を説明し、その締めくくりに索敵員()を弄りながら北上さんが漏らした言葉。その言葉、それは私たち、いや私以外の艦娘たち全員が口を揃えて言っていただろう言葉。もし、今ここに加賀さんが、自分たちを『刃』と称した彼女が今ここにいたら、彼女は僚艦たちをこう称しただろう。

 

 

 

『私ら、なまくら(兵器ども)の戦いをさ』

 


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