新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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初代の『残痕』

「重い……」

 

 

 それは床に置かれたファイルを手に取った時に漏れた感想だ。多分、実質的な重さはそこまでだと思う。では何故そんな感想を漏らしたか、それはこの鎮守府の来歴(・・)を考えれば分かるだろう。

 

 ふと零れかけた言葉を飲み込み、俺は手にしたファイルを抱えて私室に入る。相変わらずベッドだけと言う殺風景な部屋だが、生憎そんなことを気にしていられる程余裕はない。先ず何よりも、このファイルを艦娘に見られるのは不味いと思っていたからだ。

 

 

 部屋に入り、ベッドに手にしていたファイルをそっと置く。そしてその横に腰掛け、深呼吸を繰り返した。何度も何度も、深く深く、乱れた呼吸を整えるため、と言うにはいささか大げさな呼吸を繰り返す。やがてある程度呼吸が整ったところで、俺は横に置かれたファイルを手に取った。

 

 やはり、重い。それは物理的な重さではなく、精神的な重さだ。中には少なくはない数の書類が、この鎮守府に所属している艦娘たちに関する書類が収まっている。一覧表だから当たり前じゃないか、そんな言葉で一蹴してしまえたらどれほど気が楽であったか。

 

 だが、それは無理だ。何せ、このファイルは一覧表であってそうではない。ここに配属された艦娘たちを知る上で欠かす事の出来ない第一次情報の塊であるが、同時に()の一次情報を与えてもくる代物なのだ。

 

 

「ッ……」

 

 

 再び漏れかけた言葉を飲み込み、意を決してファイルを開いた。

 

 

 開いた先にあったのは、一人の少女の写真が添付された資料だった。写真の少女は紺色の長髪に薄紫色の瞳、幼い外見でありつつも何処か自信ありげに胸を張っていた。だが、その頭に乗るやや大きすぎな紺の戦闘帽が幼い印象を際立たせている。

 

 

 艦名と書かれた欄に『特Ⅲ型駆逐艦 暁型一番艦、暁』と記されている。つまり、彼女は暁と呼ばれる艦娘なのだ。

 

 そして、もう一つ目を引くのが艦名の下にある名前と書かれた欄。恐らくそこには『真名』が記されていたのだろう。何故、だろう(・・・)なのか。それはこの欄がまるでペンキをぶちまけた様に真っ黒に塗りつぶされているからだ。

 

 大本営との決別を表明した時に金剛の手によって塗り潰されたと推測される。人間だったころの名を塗り潰すことが決別を意味し、それによって自分たちに残された名は艦名と言う兵器の名前だけである、そんなところか。

 

 それよりも、『真名』は特に信頼を寄せる相手にしか教えないモノじゃなかったか。確かに必要な情報だとは言え、これじゃあ『真名』を伝えること自体無意味になってしまう。と、思った矢先によく見たらその欄の横に『任意』と書かれていた。なるほど、『真名』の記載は強制じゃないのか。

 

 

 ……と、此処まで現実逃避(・・・・)を続けてきた。いい加減、現実を直視しなければならない。そう決意し、俺は艦名からずっと下に視線を滑らせ、戦歴の項目を見る。

 

 しばらく、彼女の戦歴を読み続ける。時折、その視線が止まったわけだが、なるべく意識しないように読み進めた。そして、ようやく読み終えた。いや、迎えてしまったと言った方が正しい。そんな後悔を飲み込み、俺は最後の一文をもう一度読んだ。

 

 

 

『第一次バシー海峡攻略作戦にて、戦艦ル級の砲撃により轟沈』

 

 

 その一文を読んだ瞬間、また寒気が襲ってきた。それは先ほどよりも寒く、心胆までも凍えさせる容赦ないものだ。それほどまでの重い一次情報が――――――今は亡き艦娘たちの最期が記されているのだ。

 

 それは最期だけではない。着任から轟沈までの戦績がある。しかも、どれもこれも被害のことばかり。時折、視線が止まったのも、『大破』と言う文字を見つけたからだ。勿論、これは全ての情報ではなく、その中でピックアップされたものだろう。何故ピックアップされたのか、その理由は考えたくない。

 

 ともかく、この一覧表はこの鎮守府に在籍する、もしくはしていた艦娘たちの情報が記されているのだ。それも着任からその最期まで、実際にここに居て、生きていた筈の艦娘たちの情報が記されているのだ。

 

 

「まるで墓標じゃないか……」

 

 

 そう、今まで呑み込み続けていた言葉を吐いてしまった。そう、これは墓標である。今は亡き艦娘たちが確かに存在していたと言う重要な記録だ。裏を返せば、こんな幼い子があの扱いをされ、そして沈んでしまった。俺の手が届かないところで、今までのうのうと過ごしていた鎮守府(此処)で、数多失われた命たちの墓標なのだ。だがこれはあくまで所属艦娘一覧、此処に乗せられている艦娘全員がそうと決まったわけではない。

 

 

 次の頁を開くと見知った顔がいた。響である。同じく艦名には『特Ⅲ型駆逐艦 暁型二番艦 響 Верный』と記されていた。最後の一文は多分前に聞いた彼女のもう一つの名前である『ヴェールヌイ』と読むのだろう。そして、彼女の名前の欄は空白のままである。恐らく『真名』を書かなかったのだろう。

 

 戦歴に目を通すもやはり被害の項目ばかり書かれていたが、その数は先ほどの暁よりも少ない。その中で目に留まったのが、最後の一文である。

 

 

 

『提督の命により、第二改造を行う。以後、呼称を響からВерныйとする』

 

 

 これは第二改造を行ったと言う記録だが、それを指示したのが提督―――つまり初代であると言う点だ。今までの話を聞く限り初代は傷付いた艦娘、特に駆逐艦を盾にしていた。このことから、初代にとって駆逐艦は消耗品であっただろう。その中で響は何故か第二改造を指示している、つまり沈めるつもりが無かったととれる。

 

 何故響だけ……そんな思考に落ちかけるも、あまり時間がないとのことで取り敢えず置いておくことにしよう。

 

 

 次の頁には響達とよく似た艦娘だ。癖のある茶髪のボブヘアーに薄茶色の瞳。左の髪にヘアピンをつけており、とても活発的な表情をしている。

 

 彼女の艦名は『特Ⅲ型駆逐艦 暁型三番艦 雷』、彼女もまた暁同様『真名』を記していたのか、真っ黒に塗りつぶされている。そして、彼女の戦歴もまた着任から始まり、その最期を『南西諸島哨戒任務にて、敵艦載機の爆撃を受け轟沈』と記されていた。

 

 

 此処までで、響は二人の姉妹艦を失ったことが分かった。そしてそれだけで、俺はもうこのファイルを閉じたくなってきた。いや、むしろこれを見る前からこうなることが分かっていた。彼女たちと同列に立って良いのか分からないが、俺だって家族を失っている。姉妹艦が沈んでしまうことがどれほど辛いのか痛いほど分かってしまう。

 

 だが、俺は提督だ。残された彼女達を、沈んでしまった彼女たちもまとめて率いる提督だ。さっき北上に提督らしいことを言えと言われたばかりじゃないか。ここで躓いてどうする、ここで立ち止まってどうする。いずれは知らなければならないことじゃないか。

 

 そう自らを奮い立たせ、俺は次の頁をめくった。

 

 

「あれ……?」

 

 

 めくった時、俺はそんな声を漏らした。次の頁は響たちとは全く別の駆逐艦であった。だが、声を漏らした理由はそこではない。それは雷とその駆逐艦の間に書類が入っていない透明な頁があったからだ。書類が抜け落ちてしまったのだろうか。その空白の頁に居たのは誰なのか見当もつかないし、このことを響に聞くのも酷に違いない。それに時間も押していると言うことで、その空白は飛ばすことにした。

 

 

 その後、俺は一人一人の頁をじっくり読んだ。それ以降の頁は主に駆逐艦がメインだったので、轟沈と言う文字を見かけた。その度に胸が痛み、目を背けたくなるも、己を奮い立たせることで何とか読み進めていく。その中で知っているのは夕立、イムヤ、イク、ゴーヤ、ハチの五人だった。そして、書かれていることも本人たちから聞いたことばかりなので、そこまでダメージは無かった。

 

 だが、それでも少なからず姉妹艦を失っている子は多い。先日の龍田のように、姉妹艦に並みならぬ想いを抱いている子も少なくはないだろう。今後、もしその片鱗に触れるようなことがあれば気を付けなければいけない。

 

 

「……終わったぁ」

 

 

 そうこうしているうちに、ファイルの一つを読み終えた。一つだけで此処まで神経を使うのか。正直、もう一つには手を伸ばしたくはない。だが、これではわざわざ大淀に気を遣わせてまで時間を作ってもらった意味が無いし、何より俺が本当に知りたいことがまだ分かっていない。

 

 

 俺が知りたいのは、金剛が何故このタイミングでこの一覧表を渡してきたのかだ。

 

 

 北上や林道の二人が金剛の様子を口を噤んだ理由は分かった。確かにあのテンションでいきなり来られたらげんなりするのは分かる。だけど俺や北上、大淀は以前の彼女を知っているから余計衝撃を受けたのも分かる。

 

 だからこそ彼女の言い分が、その時浮かべていた笑みが、最後の一言が機械染みていたのが、それら全てがこの一覧表に込められているような気がしたからだ。いや、だからこそ渡してきたのだろう。

 

 何より、今日以外でもいつでも渡せたはずだ。それが今このタイミングで渡したきた、そして同時に彼女は『気持ちの整理がついた』、『吹っ切れた』と言っていた。つまり何かが、確実に何かがあったとみて間違いない。

 

 

 そして、その手掛かりが一覧表(此処)にある。それが彼女が意図したことか、それとも無意識かは分からないが、手掛かりがあることだけは確実に言えた。

 

 

 そう改めて自らの目的を確認し、もう一冊を開いた。

 

 

 最初に現れたのは長門である。今と瓜二つ、と言うか完全に今の長門本人だろうと言えるほど堂々とした態度で映っている。そんな姿にちょっとだけ気持ちが軽くなるも、艦名の欄に視線を移した時に奇妙な一文が目についた。

 

 

『長門型戦艦 一番艦 長門(予定)』

 

 

「予定……?」

 

 

 彼女の輝かしい艦名の後ろにくっついている『予定』との文字。今まで見てきた艦娘の中にこのような表記がある子はいなかった。不思議に思い来歴を見ると、これまたおかしな一文があったのだ。

 

 

『第三候補生訓練所 戦艦型より出向、後に配属』

 

 

 この候補生訓練所とは艦娘に志願した人々が艦娘になるための訓練施設であり、本来、と言うか他の艦娘たちは全員この訓練所を卒業して、そこから各鎮守府に配属されるのが正道である。だから、彼女以外の艦娘は『○○候補生訓練所 ○○型卒業 後に配属』と表記されるはずである。

 

 しかしこの表記を見る限り、長門は訓練所を卒業していないということになる。と言うか、訓練生のまま鎮守府に配属させていることになるのだ。本来、訓練生の彼女を配属させることなどまずありえない。一つ有りあるとすれば、それだけ優秀であったと言うことだろうか。だから体験学習でこの鎮守府に出向し、戦果を上げたため特例で配属になったのか。

 

 更に、一つ気になるのが、今まで見てきた一覧に記された文字、恐らくは初代が書いたであろう文字とは明らかに違う筆跡で書かれていたこと。まるで改めて書き直したかのようであったのだ。

 

 

 いろいろ気になるが、今回は置いておこう。そう思い、次の頁をめくる。

 

 

 開いた先は、あまり接点のない艦娘であった。焦げ茶色のおかっぱヘアーで表情筋が仕事をしていない艦娘。仰々しい艤装の中に特に異彩を放つ軍刀を腰に据えている。

 

 彼女の艦名は『伊勢型戦艦 二番艦 日向』。記憶にないかもしれないが、彼女はあの深海棲艦が襲撃してきた日の演習で、水上偵察機を單寧に磨いていた彼女だ。それ以降、出撃する艦隊の中に何度か名前を見かけたが、直接声をかけたのは演習の時以来である。

 

 さて、次に行こう。と、知らないのであれば日向についてもっと見るべきだろうと思うだろう。しかし、日向についてはこれでいい、これで十分(・・・・・)だ。薄情だと言われるかもしれないことを承知で言おう、彼女はもういい(・・・・)のだ。

 

 

 その答えは、次の頁にある。

 

 

 

 

 

『死神』

 

 

 それが、次の頁をめくった先で真っ先に見た言葉だ。それはその艦娘に頁一杯に書き込まれている。その艦娘の艦名にも『死神』、その下にある名前の欄にも『死神』、来歴、戦歴、果ては出身地からどこの訓練所、何年何月何日に着任した日付の欄、その全てに『死神』の文字が刻まれているのだ。

 

 いや、欄がある部分だけではない。欄以外の余伯と言う余白、ありとあらゆる隙間と言う隙間にビッシリと、『死神』の文字が刻まれている。本来、必要事項だけ記されたほぼ真っ白である筈のその頁は、まさに真っ黒に塗りつぶされていたのだ。

 

 しかも、その一つ一つの筆跡は全て同じだ。辛うじて読める出身訓練所や来歴、その他個人情報と言える類いを記した文字も、それ以外にこれでもかと刻み込まれた『死神』と言う文字も、全てが全て同じなのだ。それはつまりこの頁を書き記したのがたった一人であることを示す。

 

 そして何より、俺はその筆跡に見覚えがあるのだ。

 

 

 

 

「ゆき、かぜ……?」

 

 

 その頁を――――――『陽炎型駆逐艦 八番艦 雪風』の頁を前に、俺はそう呟くしかなかった。彼女からの報告書についてはよく覚えている。正直、初めて受け取った時は、その文字の個性的さに数分ほど唖然としたからだ。そして、今目の前に刻まれている『死神』の文字は、明らかに報告書で見た彼女の特徴をそのままだ。

 

 

 だからこそ、覚えている。だからこそ、分かる。これは雪風本人(・・・・)が書いたのだ。

 

 

 『死神』と言う言葉は、本人の口からきくことは一度として無かった。聞いたのは唯一、北上である。彼女だけがそう雪風を呼んでいた、いや揶揄していた。それを知っているため、この筆跡が北上が書き連ねたものであれば、一応の納得は出来た。しかし、潮や曙、果ては金剛の療養における報告書を受け取っていたため、彼女の筆跡も覚えている。そして、この筆跡は彼女のモノではないことも、すぐに分かった。

 

 つまり、彼女は自分自身を『死神』だと揶揄していることになる。しかし今までの彼女と接してきて、そんな風に自分を卑下する様子はなかった。いつも天真爛漫で、常に笑顔を浮かべている姿ばかりだ。

 

 しかし、彼女は俺の知らない所で自らをそう評し、蔑んでいた。いや、蔑んでいるのかどうかは分からないが、少なくとも『死神』なんて称号を好意的に受け取る奴なんて居ない。蔑んでいるとすれば、今しがた彼女が見せてきたモノ全てはまやかしと言う、幾重にも上塗りされた末に生み出されたもの、逆に残された残骸なのかもしれない。

 

 彼女の戦歴に目を通してみても、『死神』の文字で埋め尽くされているせいで読み取ることができない。むしろ、その戦歴を隠す様にその文字があからさまに密集しているように見えるのだ。まるで、この鎮守府にやってきた、その記録から何まで一切を消し去ってしまおうとしているように。

 

 

 それらの衝撃は凄まじかった。だが、その中で最も衝撃を受けたのが、そこに添付されている写真である。

 

 

 その写真は、そこに映る少女は紛れもなく雪風本人である。だが、それが信じられないほどに写真の中の彼女はやせ細っているのだ。

 

 頬もこけ、髪もボサボサで、いつもの天真爛漫な笑顔も見る影もない、無表情な顔。特にその目は黒く濁っている。まるで全ての希望を捨て去り、絶望の海の中を漂っていたかのような目だ。それが訓練生になったばかりの写真であれば、彼女が辛い境遇の中を死に物狂いで生きてきたと、そんな他人染みた視線を向けられることもできる。

 

 しかし、彼女の艦名には長門のように『予定』などと言う文字はない。来歴は塗り潰されているためハッキリとは分からないが、彼女は訓練生を経て艦娘となったのだろう。つまり、訓練生時代をこの姿で過ごしていたことになるのだ。あるいは訓練生に、艦娘(・・)になってしまったからこうなってしまったのかもしれない。

 

 だが、今の彼女はそんな気配を一切見せない。年相応に笑い、年相応に怒り、そして時に母のような温かさをくれた。もし、これがここに配属されてから変わったものだとしたら。他の艦娘にとって地獄に等しい環境で、彼女だけは良い方向(・・・・)に変われたのではないか。

 

 

 そして、彼女を今のような姿にしたのは、彼女を救い上げたのは、誰だろうか。そんなの、初代(一人)しか考えられない。

 

 

 考えてみろ、初代と言う負の存在を被られたせいでそれ以降着任する提督たちを追い出し、もしくは……壊した(・・・)艦娘たちだ。誰しもが提督と言う存在に好意を向けるはずがない、それ自体おかしい。だからこそ皆最初は冷ややかな目を向けてきて、金剛や潮は直接手を出してきた。何も理由も聞かされず、非道なことを強要され続けてきたのだから、そうなってしまうのは当たり前である。

 

 だが雪風だけは、彼女だけは俺と初めて出会ってから今日まで一度たりとも俺に敵意を見せていない。それどころか率先して俺を守ろうとしてくれた。今までそれに助けられていた身ではあるが、本来なら彼女も俺に砲を向けるべきであろう。

 

 それなのに、彼女は一度としてそんなことをしていない。俺の傍らにいるときは、いつも俺の味方だった。いや、本当に(・・・)俺の味方か? 彼女は俺ではない奴でも同じく傍に居たのではないか。彼女が味方をしているのは、『提督』と言う肩書なのではないか。そして、その肩書を携えて最初に彼女に接したのは、あんなボロボロの状態で着任した彼女を今の状態にまで救い上げた(・・・・・)のは―――――

 

 

 

 雪風にとっての『提督』とは、初代なのではないか。 

 

 

 

 

「やめよう、やめよう」

 

 

 その疑問に行き付いたとき、俺の口から自然とその言葉が零れていた。そして、雪風の頁から目を背けるように無理矢理次の頁をめくる。その時、俺の心はグチャグチャだった。その理由は分からないから、いや分かりたくない(・・・・・・・)からだ。

 

 今まで向けられてきたあの笑顔も、怒り顔も、与えられた暖かさも、向けられた敵意を拒むあの背中も、全てが全て俺ではない。ただ『提督』と言う肩書を持っているだけの俺に、その肩書に彼女を動かせるだけの価値を与えた初代に向けられていたこと、そう分かってしまった事実を分かりたくない。

 

 

 彼女から何一つ向けられていなかったという事実を、分かりたくないのだ。

 

 

 そんな現実逃避に頁を押し上げる俺の手は力が籠っていたらしく、まとめて何枚かの頁を捲り上げてしまう。そして何枚か飛ばした先で俺の目は再び留まった。いや、そこに釘付けにされてしまった。とても不幸な(・・・)ことに、背けていた筈の現実を目の当たりにしてしまったのだ。

 

 

 その頁は、先ほど見た雷の後のように資料を抜き取られた透明の頁を挟んだ向こうにあった。そこに添付された写真には、栗色の短髪に独特な形をした黄色のカチューシャを付け、大胆に肩を露出させた巫女服のような制服を身にまとい、人懐っこそうな笑みを浮かべていた。

 

 彼女の艦名は『金剛型戦艦 二番艦 比叡』。艦名、そして服装の特徴から金剛や榛名、そして霧島の姉妹艦であろう。そして、彼女もまた『真名』を記していたのか、その欄が黒く塗りつぶされている。彼女の戦歴も、やはり被害報告が多数見受けられる。確か、伽の大半を金剛たちが請け負ったと聞いたから、彼女の被害報告もまた、そう言うことなのだろう。そして、その最期はこう記されていた。

 

 

 

『第二次沖ノ島海域攻略作戦にて、駆逐艦を庇い轟ごめんなさい』

 

 

 そう、最後の一文に重なる様に『ごめんなさい』の文字があったのだ。そこだけではない、その『ごめんなさい』と言う文字が比叡の資料の至る所に刻まれているのだ。戦歴などの彼女に関する情報に極力被らないように、細心の注意を払われたであろう、『ごめんなさい』がビッシリと、隙間なく、余白余白を黒く塗りつぶしている。

 

 恐らく、その一文に被せたのはワザとではないのだろう。何故なら、その一文に被る『ごめんなさい』だけ、周りの文字以上に乱れており、よほどの力で刻まれたモノだと分かる。そして、その文字の所々に微塵でいる、また水滴が落ちた跡が見受けられるから、その文字を刻むのに並々ならない感情があったのだと分かった。

 

 

 そして何より、俺はその『ごめんなさい』に見覚えが―――――()が書いたのか、分かってしまったからだ。

 

 

 

「入るよー?」

 

 

 その時、真横から呑気な声が飛んできた。思わず目を向けると、北上が数冊のファイルを抱えて立っていたのだ。突然のことに俺は固まってしまう。いや、固まってしまった。

 

 

 

「居るじゃん……ノックしても返事がな………」

 

 

 呑気な声で入ってきた北上と目が合う。いや、正確には目があった次の瞬間、その視線が俺の手元に落ちるのを見た。だからこそ、彼女の言葉はそこで途切れたのだ。だからこそ、彼女は次の瞬間もの凄いスピードで詰め寄ってきたのだ。

 

 

「見して」

 

 

 瞬く間に距離を詰められた俺は、北上からその一言を向けられる。同時に、見られてはいけないという思いからどうにか隠そうと試みるも、いつの間にか俺の手からファイルは抜き取られ、北上の目には今しがた俺が見ていた頁、とある駆逐艦が懺悔の言葉を書き連ねていた頁が映っていた。

 

 

 ほんの一瞬、彼女はその頁に目を通し、いきなり前の頁へと戻し始めた。俺が読み進めていたことへの配慮を感じず本来なら抗議できる立場なのだが、今の俺にそれを出来る余力はなかった。そして、北上はとある頁で止めた。

 

 それは俺が知らない艦娘の頁である。茶色の長髪に同じく透き通るような茶色の瞳、明るい緑と濃い緑の二色で構成されたセーラー服を着ており、その顔は何処か大人びており、表情からも子供っぽさは見えない。

 

 その艦名は『球磨型軽巡洋艦 四番艦 大井』と記されている。球磨型軽巡洋艦、と言うことは他に姉妹艦が居るのだろう。いや、それよりも注目すべきは彼女が見に纏っている制服が、その写真を眺める北上と同じであることだ。

 

 つまり、大井は北上にとって近しい存在。姉妹艦なのだろう。

 

 

 だが、それも次の頁に進んだことで、気にする余裕もなくなった。

 

 

 

「あたしじゃねぇんだよ!!!!!!」

 

 

 次の頁をめくった瞬間、北上が大声をあげた。それだけではなく、その咆哮と共に今しがた手にしていたファイルを頭上高く掲げ、次の瞬間床に叩きつけていたのだ。両者の音は互いを打ち消し合い、そして打ち消すにはいかず、双方が盛大な音を上げる。

 

 その最中、俺は叩き付けられたファイルを見た。そこには、今しがた目の前で大声をあげ、あろうことかファイルを叩きつけた存在、北上の写真が貼られた、彼女の資料だった。そして、そこであの言葉を見つけたのだ。

 

 

 

『ごめんなさい』

 

 

 

 そう、『ごめんなさい』の言葉が一つ(・・)。彼女の戦歴の下に刻まれていた。その文字もまた一人の駆逐艦が、己の頁に『死神』と書きつけ、比叡の頁に『ごめんなさい』を刻み付けた。

 

 

 死神(雪風)である。

 

 

 

「お前が、お前がその言葉を向けるべきなのはあたしじゃないだろ!! 大井っち(・・・・)だろ、お前が沈めた(・・・)のはあたしじゃなくて大井っちなんだよ!!!! なんであたしに向けるんだよ、なんであの子に向けないんだよ、なんであの子のことを見ない(・・・)んだよォ!!!!」

 

 

 それが後に続いた北上の言葉だ。いや、言葉なんて生易しいモノじゃない。彼女のそれは叫び声だ、悲鳴だ、咆哮だ、何者を貫き、傷付け、いっそのこと殺してしまおうとも思っているものだ。それを何と言うか、一つ見当がついている。それは彼女が、そして雪風が自身を揶揄した『死神』。それは自称でも他称でもあるそれ。

 

 

 双方が望んで(・・・)刻み付けた呪詛だ。

 

 

 

 

「ねぇ、提督」

 

 

 その言葉を発しながら、北上は―――『死神』に姉妹を奪われた彼女は俺に目を向けてきた。そして、その瞬間尋常ではない寒気を感じたのだ。

 

 

「前にさ、あたしと死神が向き合うことを望んでいたよね? でもお生憎様、あたしたちは前々から向き合っているよ。つまり、提督の願いはもう既に叶っていたわけだ。おめでとう、良かったね、君の願いは叶えられた、素晴らしいことだ、喜ばしいことだ。じゃあそんな願いを叶えてやった(・・・・・・)北上と言う艦娘の願いを聞き届けてやってもいいんじゃないか、そうだ、その通りだ、叶えてもらった借りを返す時だ、それがふさわしい、北上はその権利がある、提督にはその義務がある。さて(・・)――――」

 

 

 そこで言葉を切った北上はゆっくりと首を傾げる。まるで今から口にすることはどうなのか、と問いかけるようである。

 

 

「あたしの願いはね? 死神が犯した罪を懺悔して、その代償となった子に――――大井っちに謝らせることなんだぁ。だからさ、どうすればいい? どうすれば死神は自分の罪を認知する? どうすれば死神は犠牲になった人に目を向ける? どうすれば死神の口から謝罪の言葉が出てくるの? ねぇ―――――」

 

 

 

 そこで北上は今日初めてのそれを、今まで見てきた中で最大級のそれ(・・)を見せてきた。

 

 

 

「『死神』に仕立て上げた提督(・・・・・・・・)なら、出来るんでしょ?」

 

 

 自らの願いを口にする北上。その顔には紛れもなく、一片の狂いもなく、正真正銘、まごうことなき『笑み』が浮かんでいたのだ。

 

 

 

 

『提督!!!!』

 

 

 しかし、次に聞こえたのはそんな北上の声でもなく、それを向けられた俺の声でもなく、突如耳元で叫ばれたように鼓膜を揺らす無線の大音量に乗せた大淀の声であった。

 

 突然のこと、そしてその大音量に鼓膜をやられた俺は耳を抑えてその場で蹲ってしまう。突然耳を抑えたかと思うとそのまま蹲ってしまった俺を前に、北上は先ほどの笑みから一変何が起こったのだと眉をひそめているだろう。

 

 

『提督!! 提督!! 聞こえています!?』

 

「き、聞こえてる……聞こえてるからもうちょっと音りょ――――――」

 

 

 なおも響く大淀の声に俺は辛うじて返事をするも、それは途中で途切れた。何故なら、床に蹲る中でとある資料が目に映ったからだ。

 

 その目に映ったのは、北上が叩き付けたファイル。そこからはみ出した一枚の資料だ。恐らく、透明な頁の所に入っていた資料だろう、そしてそれは比叡の前にあったところだろう、と気付いた。

 

 何故気付いたか、それはそのはみ出した資料に添付された写真が、比叡と同じ独特な形をしたカチューシャに肩を大胆に露出した巫女服を模した制服。ブラウン色の長髪を流し、その二房を左右の団子に結った艦娘。しかし、その表情は見えない、いや黒く塗りつぶされていてその表情が見えないのだ。

 

 ただ髪型やその服装から、そして艦名に記された名前からその艦娘が『金剛型戦艦 一番艦 金剛』であるは分かった。ただ、

 

 

 いや、そこではない。俺の目に映ったのはそこだが、その目をくぎ付けにしたのはそこではない。

 

 それは、彼女の戦歴である。彼女もまたもの凄い戦歴、もとい被害報告があった。恐らく、今まで見た艦娘たちの中で一番多いのではないでは、と思ってしまう。そんな彼女の長々と書かれた戦歴、恐らくこの鎮守府の歴史と言ってもいいかもしれないそれはこの一文で締めくくられていた(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

『モーレイ海哨戒任務にて、      により轟沈』

 

 

 その一文、空白になっているところは恐らく後に(・・)書き込めるように敢えて空けておいたのだろう。同時に、その筆跡を俺は知っていた。何故なら、俺が執務を始めてから今までの書類を捌く時、よくよく参考にさせてもらった―――――俺以前に裁かれた書類と共にひたすら読み込んだ文字だったからだ。

 

 

 そんな俺の耳に、先ほどよりも更に大きな声で叫ぶ大淀の声が響き渡った。

 

 

 

 

 

『モーレイ海哨戒部隊に敵艦載機による奇襲を受け、旗艦吹雪及び僚艦金剛が消息不明です!!』

 


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