新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

62 / 97
『汚れ役』と『語り部』

 『汚れ役』―――――本当に、何故今まで気づかなかったのだろうか。今の俺に、いや俺と言う人生そのものにこれほど適した言葉があるだろうか。

 

 そうだ、俺は、今まで生きてきた俺の人生は、ただ『汚れ役』への軌跡だったのだ。

 

 

 我が国に軍隊が創設されてから今日まで、軍の要職を歴任し続ける軍人の名門。歴史ある一族の主家、更にはその長男として生まれた。幼いころから受けた教育によって軍人の心得、振る舞い、教養を思う存分吸収し、心身ともに我が国に捧げる覚悟を獲得した俺。周りは次期当主として一族を、そして国を背負う軍人として多大な期待を向けられ、同時に俺自身もそれに応えるつもりであった。

 

 互いの利が一致し、それを実現するだけの器量も機会も十二分にあった。それ程までに恵まれた環境に置かれているのだ、今、そしてその先には数多の名誉と敬意を集め、最上位に君臨すると言う華々しい人生が約束されていた筈だった。

 

 しかし、それは深海棲艦の登場により早々に頓挫した。理由は簡単、奴らに我が国が保有する最新鋭の兵器が通用しないからだ。俺たち人間は弱い生き物である、弱い故に身を守るために手にする武器を血眼になって発展させてきたのだ。そんな国家の基盤として精力的に開発、時には他国から技術の導入を駆使して作り上げた最高傑作は、奴らの前には只のガラクタに成り果て、残された人間は身を守る術を失ってしまうことを意味する。

 

 突如として、人間は消費する(・・・・)側から捨てられる(・・・・・)側に転落したのだ。何故、消費される、ではなく捨てられる、なのか。それは、奴らが生き残るためや誰かを守るためなどの正当な、或いは気に入らないや目障りなどの個人的な理由でさえも感じないからだ。

 

 ただ目の前に放りだされた己たちを淡々と屠る、その理由の片鱗すらも分からないまま。奴らどのような存在なのかも、何故襲われるのかも、何が目的なのかも、何もかも知らないまま。理由もなく、それを知る術もなく、ゴミのように捨てられるのだ。

 

 そして俺は、俺たち軍人はそんな中でも奴らに相対しなければならない。軍人は国家を、国民を守ることが役目であり、使命であり、そのために命を投げ出さなければならない。勝てない、敵わない、どうすることも出来ないと知っていても誰一人としてそれを口にせず、通用しないと分かっている兵器を片手に戦々恐々とそれに―――『死』の前に躍り出なければならない。一度出てしまえば、たちまち奴らの砲火に吹き飛ばされ、その巨体に押しつぶされ、その獰猛な牙にズタボロにされるだけ、まさに死への(・・・)行軍だ。

 

 その行軍で数多の人間が海で、陸で、空でその命を散らした。歴戦の猛者も新兵も関係なくその命を刈り取られた。だが奴らの戦力を削ったわけでもなく、その目的を知ったわけでもない。一つだけ挙げるとすれば、襲われた地域の国民を避難させたことだ。しかし、奴らの支配する海に比べれば避難できる土地など微々たるモノである。いずれ駆逐される、それが少しだけ遅くなっただけ、結果は何も変わらない。

 

 そう、何もない。誰がどう見ても、どれほど贔屓目に見ても、『無駄死』に以外の何物でもないのだ。

 

 

 そんな絶望的な状況で、俺は何時上から出征せよと申し付けられるか期待(・・)していた。俺は名門の跡取り、今後軍部にて自由に指揮を執っていくには周りを押さえるだけの実績が必要である。しかし、以前の海ではその実績を挙げられる機会が殆ど無く、更に軍人としては後方にて前線の維持に腐心するよりも部隊を率いて敵陣に突撃、撃破と言う目に見えた戦果が無性に欲しかったのだ。

 

 今思えば、若気の至りだと言える。だが、その覚悟は今も変わらず本物である。それが行き過ぎた当時は完敗の知らせが届くたび軍に志願した、そのために通用しないと言われた兵器の扱いを徹底的に学び、いくつかの策を考え、実際に前線にて振るうシミュレーションもした。

 

 勿論、周りは必死に止めた。当たり前だろう、脈々と受け継いできた伝統を受け継ぐ者が死に向かって一歩を踏み出そうとしてるのだから。その言葉を、俺は上手く丸め込み続けた。いつ何時前線に放り込まれてもいいように、常に最悪の場合を想定していると周りを言いくるめながらその実、個人としては最高の場合を想定していると言う矛盾を孕みながら。

 

 

 だがその中で一人だけ、周りとは違うことを言った存在が居た。

 

 

 

「出来れば敵も……助けて下さいませんか?」

 

 

 そう漏らしたのは、妹である。時は深海棲艦との戦闘で殉職された親戚の葬儀、告別式を終えた後に催される食事会にて、再び俺が父上に直談判した時だ。俺の直談判が退けられた後、おずおずと妹は父上にそう言ったのだ。

 

 この妹、軍人の名門に生まれなのかと疑問に思うほど弱かった。初対面だろうが顔見知りだろうが先ずは誰かの陰に隠れる引っ込み思案で、暗い所から高い所、時には小さな犬にまで距離を取る怖がりで、少し突くとすぐ涙目になる泣き虫で、とにかく弱かった。しかし、その裏返しに誰よりも人のことを慈しみ、愛し、敬意と尊敬の眼差しを向け、誰かのために涙を流せる、ひたすらに優しい存在だった。

 

 同時に、彼女を含め俺たちは妖精が見え、且つ彼女だけ彼らと意思疎通が出来た。しかし、妹はそれを誇ることすらせず、親しい友人のように接し、時には喧嘩をし、いつの間にか仲直りしている、そんな日常を、それを可能とした能力(それ)を愛していた。

 

 そしてそんな妹を、俺は家族として愛していた。いや、それを『愛』と呼ぶのかは分からない。ただ、守らなければいけない存在であるとは思っていた。ある意味、守らない程弱い存在であると下に見ていたともとれるが、ともかく愛していた。

 

 

 そんな妹の言葉に、一同は目を丸くした後口々にその理由を問うた。身内を殺した相手に情けをかけろと言うのだから当たり前である。更に言えばつい先ほど、妹自身もその死に涙を流していたわけで、説得力は愚かその考えを口にすること自体あり得ないに等しい。そのためか親類の一人、殉職した人の妻は怒りを露わにして詰め寄った。

 

 それに、妹は怯えながらも『何故か』こう続けたのだ。

 

 

「だってあの人(・・・)たち……」

 

 

 妹の言う『あの人』とは、話の流れ的に深海棲艦のことだろう。しかし、妹は深海棲艦を生で見たこともなく、辛うじてニュースで放送された映像しか見ていないはずだ。そして、同時にあの化け物たちを『人』と称した。その時点で、その場にいる全員は妹をまるで気が狂った者を見るかのような目を向けていた。

 

 

 だが、それは次の一言によって変わった。

 

 

帰りたい(・・・・)、って叫んでいるから……」

 

 

 そう言った。妹は、いや後に艦娘となる彼女はそう言ったのだ。その言葉の意味を当時の、今の俺でも理解できない。『帰りたい』――――何処へ? むしろ何処に? お前たちがやってきたのは海だ、であれば帰る場所は海だろう。しかし、奴らはひたすらに陸へと侵攻を繰り返している、その理由が『帰りたい』とは。

 

 そしてもう一つ、当時理解できないのが、その一言で変わったのは彼女ではなく、周りの親類たちでも、俺でさえもなかったこと。その言葉を、その前に向けられた「敵を助けて欲しい」と言う哀願を向けられた父上であったことだ。

 

 

「分かった」

 

 

 その証拠に、父上はそう言ったのだ。その目は気狂いを憐れむものではなく、光明が開けたかのような真っ直ぐな目をしていたことだ。

 

 今思えば、当時の父上は艦娘の存在を知っていたはずだ。だから妹の発言にそのうちに眠る艦娘の存在を見出したのかもしれない。その証拠に、父上の態度は一変した。前までは妹のたわいもない話に慈愛に満ちた笑顔を向けていたのに、その日以降その顔は険しく、覇気に溢れ、一字一句聞き漏らさまいとする、その背中に数多の命を背負い、時に背負った命を捨て去る覚悟を携えた、まさに軍人の顔をしていたのだ。

 

 

 その頃からだ、父上の視界から俺が消え去ったのは。そこからだ、俺が『主役』の座から転げ落ちたのは。そして、俺を消し去った妹に向ける目から愛が消え、嫉妬に変わったのは。

 

 

 その後、いよいよ艦娘の存在を軍が発表した。同時に、その素質とそれを持つ女性に対して大々的に召集令を発布したのだ。艦娘の存在をいち早く見出したのが父上であるため、妹には真っ先に令状が届くはずであったが、実際に来たのは少し時間を置いてからであった。これも『軍人』として娘を戦場に送る父上が示した、『父親』としての抵抗だったのかもしれない。

 

 その令状を受け取った妹に、周りは諸手を上げて喜んだ。その中に妹に詰め寄った人も居た。そして、彼女はあの時乱暴に掴み掛った妹の手を今度は縋り付くように包み込み、その手に額を押し当て、絞り出すような声で仇討ちを懇願した。

 

 そんな彼女に妹はその手を握り返し、何も言わずに微笑み返した。それを承諾と取るか、否定と取るか、そのどちらを明言せずお茶を濁したと取るか、人それぞれであった筈だ。彼女はそれを承諾と取ったのだろう、その笑顔に嗚咽を漏らし始めた。

 

 

「本当に殺せるのか?」

 

 

 そんな妹に、俺は問いと言う石を投じた。その笑顔に隠れた彼女の意志を曝け出させるために。その俺に、周りは驚きの目を向けてきた。その直後、それは『侮蔑』へと変わった。これから戦場へと赴く妹に兄がかける言葉か、兄として妹を心配する気は無いのか、中には役立たずが何を言っているのかと思っていた奴も居たかもしれない。とにかく初めて向けられるモノばかりだった。

 

 初めて向けられたそれらに俺は特に何も感じなかった。それらを向けてくる周りも、結局は俺と同じ役立たずなのだと下に見ていたからだ。同じ穴の狢にどう思われようが、結果何も変わらないのであればどうでも良かったからかもしれない。むしろ、目の前にいる嫉妬の対象以外眼中になかったのだ。

 

 

「お前が助けて欲しいと、『帰りたい』と叫んでいたと言った。そんな奴らを、弱い(・・)お前が殺せるのか?」

 

 

 今まで下に居た筈だった、守らなければならない筈だった、守らなければならないほど弱い筈だった、故に愛していた妹の筈だった。それらをひっくり返され、『主役』の座を奪われた俺の悪あがき。そして託された懇願を笑顔で誤魔化した妹へのアンチテーゼ。それらをひっくるめ、彼女がこれから背負い続ける大きな矛盾と共に突きつけた。

 

 それは期待していたから。どれだけ取り繕ってもやはり弱い妹であり、弱い彼女は今までと同じように俺の後ろに隠れるのを、俺に助けを求めるのを。再び彼女の上に立てるのことを期待していたからだ。

 

 

「行ってきます」

 

 

 だが、それは妹の一言で脆くも崩れた。いや、一言ではなくその顔だ。今しがた自らの手に縋り付き、望まぬことを懇願した彼女に向けたそれ。万民に分け隔てなく向ける故に誰一人として注視しないこと、お前なんか眼中にないと言い放つことと同義であるそれ。『優しさ』と言う先入観に包まれた最も残酷で卑怯な、最も簡単に犯してしまうそれ――――――

 

 

 偽り(・・)の『笑顔』だ。

 

 そして父上が用意した車に乗り、それが俺たちの視界から消え去るまで。妹は必死に(・・・)それを浮かべ続けたのだ。

 

 

 程なくして、艦娘による深海棲艦撃退の報が上がってきた。国民はそれにお祭り騒ぎ、中には艦娘を主として崇める怪しげな宗教団体も出現するほど、とにかく国民たちは浮かれに浮かれた。だが連戦連勝などと上手く事が運ぶわけもなく、時には深海棲艦に敗北したとの報も上がってくる。その報に殆どが意気消沈する中、お門違いにも敗北した艦娘を非難する者も少なからず現れ始めたのだ。

 

 深海棲艦と言う脅威に対抗できる唯一の存在、そして宗教が出来てしまうほどの存在。故に完璧でなければならない、敵に負けるなんて有り得ない、許されない(・・・・・)。自らに襲い掛かる深海棲艦と言う『悪』を、艦娘と言う『善』が必ずやっつけてくれる、これは不変であり、こうあるべきなのだ、こうならないとおかしい、と。まさに『勧善懲悪』を最大限に悪用した考えである。恐らくこれが艦娘ではなく只の兵士ならば、此処まで極端な考えは出なかっただろう。自分と同じ生き物が出来ることを把握するのも、そこに下手な希望を抱かない方が良いと思うのも容易だからだ。

 

 しかし、これが艦娘だとどうだろうか。自分たち人間とは違う存在であり、与えられた情報は深海棲艦に対抗できる唯一の存在であると言うこと。恐怖に塗れた未来に突如現れた唯一の希望、そこにありとあらゆる期待を好き勝手に詰め込んでしまうのは人間の性だ。そして、それを損なった存在を激しく糾弾してしまうのも、人間の醜い性だ。

 

 唯一の救いは、その危険思想が大部分を占めていないことだ。その理由は艦娘は元人間だという事実があるからだろう。特に艦娘として出征していった娘や妻を持つ家族は一定数存在し、今後も増え続けるのもそれらに歯止めをかけることに繋がっている。

 

 しかし、その均衡もいつ破れるか分からない。長期化による物資不足、延々と好転しない戦況、一度遠ざかった筈の襲われると言う恐怖、そしてほんの一時深海棲艦の恐怖から解放された、そんな甘い汁を啜ってしまった事実。それらを養分に少ないながらも、そのスピードは緩やかながらも、ガン細胞のように広がり続けているからだ。

 

 

 そんなガンに侵された人を見た。妹に詰め寄り、その手に縋り、そして目の前でテレビに向かい艦娘へ罵詈雑言を浴びせ続けるその人だ。

 

 

「何してるのよ……仇を取るって、必ず殺す(・・・・)って言ったじゃない!!」

 

 

 彼女はそんな言葉を吐き続けていた。誰もそんなことを、少なくとも妹は一言も言っていない。ただ、笑顔を向けただけだ。約束も確約もしていない、全て彼女の妄言だ。いや、妄言ではない。少なくとも、『殺す』と言う言葉はあの時あった。そう、()が漏らした。

 

 

 彼女は、俺が初めて『最悪の結果』に変えてしまった人だった。

 

 

 その罪悪感に苛まれることは、いや苛まれる暇すらなかった。妹が出征した直後、父上から士官学校へ、それも艦娘たちを指揮する司令官候補生として入学するように言われたからだ。

 

 艦娘は深海棲艦に対抗できる唯一の存在ではあるが元は人間、しかも民間から召集した女子供である。いくら戦艦の記憶を引き継いだと言っても実際の戦場でうまく立ち回れるはずもなく、彼女たちを指揮し勝利をもたらす提督が必要だ。故に俺が危惧していた軍人の需要自体は無くならず、逆に艦娘の登場と共に急増した背景があった。

 

 更に言えば艦娘を見出した父上、その子息であり器量も能力もあると言われていた俺だ。軍部が傘下に組みこもうとするのは自然であろう。そのことを告げた父上は何処か渋い顔をしていたが、その理由を問う間もなく俺は家を離れ全寮制の士官学校へと進んだ。

 

 

 そこで、俺は今までの鬱憤を晴らす様に勉学に、戦術に、艦隊指揮に打ち込んだ。元々練っていた策を披露し、教官からは名高い父上の子息である、と太鼓判をもらった。周りの生徒からも尊敬の眼差しを向けられ、嫉妬に駆られたヤツは真正面から対峙し、そして心服させた。

 

 妹の、艦娘の上に立つ提督として教養と実力を培い、更に同胞たちを心服させ、それらを伴ってやがて実際に艦娘たちの上に立つ、まさに当初の俺が想定していた最高(・・)の場合だ。そして、この時期はまさに全盛期であったわけだ。

 

 

 だが、これもそう時を待たずに崩れ去った。そう、明原 楓(主役様)の登場である。

 

 

 兵棋演習の一件以降、父上はヤツのことを気にかけ始めた。俺と顔を合わせた時も、何処かで必ずと言って良いほどヤツを話題に挙げ、時にはちょっとしたことから俺が知るわけがないだろうとぼやいてしまう程踏み込んだことまで、ともかく様々なことを聞かれたのだ。時にはヤツにこんな言葉をぶつけてみたらどうだ、と嗾けられたこともあった。逆にヤツはこうではないか、と答え合わせのようなこともあった。

 

 

 そう、いつの間にか、父上の視界にヤツが躍り出ていたのだ。そして、妹以上に嫉妬の炎を燃やした。

 

 妹の時は嫉妬しつつも一応の納得はしていた。妹は艦娘であり、俺は人間である。この戦況を鑑みて、どちらを優遇すべきかは断然前者であろう。そして俺が嫉妬していた妹―――艦娘たちを下に置き、彼女たちを導いて勝利を手にする提督になる、その道筋を完全に捉えていたからだ。それがあったから、多少の不満はありつつも満足はしていた。

 

 だが、ヤツはどうだ。兵棋演習で醜態を晒し、周りからの評価も低く、落第の一歩手前を踏みとどまっていた。落ちこぼれ、恥さらし、帝国海軍きっての汚点だと揶揄されていた、そんなヤツが父上の視界に躍り出て、今もなおそこに立っているのだ。

 

 その事実に納得出来ようか、満足できようか。否、絶対に無理だ。どれほど譲歩しても無理だ、寛大な心をもってしても無理だ、百歩は愚か千歩、万歩譲っても無理だ。

 

 だから、父上から嗾けられたと察していてもわざとそれに乗ってヤツにぶつかったこともあった。時には父上に言われたことを理由に何もしていないヤツに突っかかりもした。子供の我が儘だと知っていた、理不尽だと、傲慢だと、全て分かっていた。でもそうせずにいられなかった、それが無意味であると分かっていても、逆にヤツの報告とかこつけて父上に面会を求めることもした、その度に惨めになり、その鬱憤を再び奴にぶつけた。

 

 今になって思う。この頃に、俺が生まれた時から掲げていた目標であった『家と国を背負う軍人となる』ではなく、『ただ父上に見てもらう』と言う我が儘にすり替わっていたのを。

 

 

 同時にここからだ。俺が『脇役』から『汚れ役』に舵を切ったのは。

 

 

 舵を切り、そのまま士官学校を首席で卒業した俺に、父上は憲兵に異動しないかと言われた。冷静に考えれば、ただの左遷もしくは用無しだと言われているようなものだ。しかし、提督の立場で父上の視界に入ることが出来ないことに陰鬱としていた当時に俺は憲兵なら父上の視界に入ることが出来る、と言う単純な思考に支配され、その申し出を二つ返事で受けた。

 

 そして嬉々として憲兵に異動し、そこで真っ先に考えられるそれを聞かされた。当初、俺はそれを否定した。そんなことは無い、父上は陸の治安を守るために無理を言って憲兵に異動させたのだ。父上が望んだから、必要だと言ったから、心の何処かにそんなわけがないと言う冷めた自分を抱えつつも、盲目と言う言い訳を掲げてその言葉たちから背け続けたのだ。

 

 

 そして、父上に大本営に来るようにとのお達しがあった。あの落ちこぼれが大本営に召集される、その護衛兼監視を仰せつかったのだ。正直、此処でヤツが出てきたことが癪に障ったが、ヤツが問題視されている鎮守府に放り込まれ、先日鎮守府に深海棲艦の侵攻を許し甚大な被害を受けたことをまた聞きしていた。そのため、この招集はヤツを断罪するためのモノだと勝手に解釈し、そのお達しを引き受けた。

 

 しかし、実際は逆だった。召集の内容自体はその後に聞いたが、当時はただ父上が自らの懐を切り崩してまでヤツを支援すると明言したと聞かされただけだった。その時、俺の胸中がどれほど荒れ狂っていたか、想像するのは簡単だろう。そして、極めつけはヤツとの話が終わった後、父上が漏らしたこの一言だ。

 

 

「……彼で良かった」

 

 

 その一言を父上は、あろうことか俺の目の前で漏らしたのだ。既に嫉妬でグチャグチャだった俺はその言葉に過敏に反応し、父上に激しく抗議した。何が、どうして、どういう理由で、そんなことを吐いたのか、自分に分かる様に、理解できるように、納得できるように言って欲しい、そう猛抗議したのだ。

 

 

 そして、返ってきたのがあの言葉――――――「私には、彼のような人間(・・)が必要なんだ」だった。

 

 同時に俺は理解した。父上はヤツを、軍事的な面で買っているのではなく人間的な面で買っているのだと。それは、俺が今まで培ってきたモノでは覆せない、絶対不変のものである、と。

 

 

 今、これを言葉にするならばこうだ。『俺の物語から、ヤツの御伽噺にすり替わっていた』。

 

 

 そこにスルリと入ってきたのが、『あの方』だ。俺の胸中を察し、俺の望みが成就するかもしれない道を示してくれた。あの鎮守府を潰す、極秘任務と言いながらもそれは大本営の上層部が、つまり父上を含む全員が一致している目的であり、その片棒を担いではくれないかと言う、なんとも甘い甘い言葉だ。それに乗った、乗ってしまった。利用されているかもしれないと分かっていても、その甘言に縋り付くことしか他に方法が無かったのだ。

 

 

 甘言に縋り付き、鎮守府(ここ)に派遣され、ある程度引っ掻き回し、語り部に煽られ、一度向けられながらも逃げ、また『最悪の結果』を生み出した俺は―――――――『汚れ役』は今、ようやく晴れ舞台に立てたのだ。

 

 

 

「いい加減にしろよ、お前」

 

 

 その晴れ舞台で、主役様の口からそんな言葉が零れた。それは何度も何度も言われたこと、学生時代に時と場所を共に過ごす中で何度もぶつけられた言葉だ。

 

 それは廊下だったかもしれない、それは食堂、或いは浴場、もっと言えば顔を合わせれば俺が突っかかり、ヤツもそれに乗っかってくる。今思えば、何とも餓鬼っぽいことだろう。軽くあしらえばいいのに、受け流せばいいのに、ヤツは決まって真正面からぶつかってきた。馬鹿の一つ覚えのように、そこから口論に発展し、酷いときは取っ組み合いの喧嘩にまで至ったこともあった。

 

 

 そんな懐かしい言葉を、主役様はまたぶつけてきた。だけど、それは言葉だけである。それ以外は、まるっきり違っていたのだ。

 

 ヤツの恰好は大本営指定の真っ黒な学生服ではなく真っ白であっただろう軍服だ。所々くたびれて、シミも綺麗にとっておらず、着れれば良いを体現した、何ともみすぼらしい軍服だ。

 

 ヤツの帽子は大本営指定のこれまた真っ黒であった学生帽ではなく、これまた真っ白であっただろう軍帽だ。そのくたびれ具合は軍服よりもマシではあるが、その唾は肩程で軽く折れており、奴の目の半分以上を覆い隠している。

 

 そしてヤツの目は、絶望に染められていた筈のその目は真っ直ぐな光を宿し、その下に静かな憤怒を燻らせた、そんな目。

 

 それを、俺は初めて見た。だけど何故か、初めて見た筈なのに何故か既視感があった。それもヤツではない他の人物が浮かび上がったのだ。

 

 

 

 

 朽木 昌弘(父上)だ。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 しかし、主役は俺に向けていた目を瞬く間に離し、その傍でへたり込んでいた艦娘、俺が詰め寄った艦娘にそう声をかけた。それを受けた艦娘は呆然とした顔をヤツに向けながらも次にはその表情一杯に感情を募らせてその胸に飛び込んでいた。

 

 

「大丈夫、大丈夫だ」

 

 

 それを受け止めたヤツは胸に顔を押し付けて声を漏らす艦娘の頭を撫で、そう言い聞かせる。その目は先ほどの憤怒を消え去り、とても暖かい目をしていた。まるで泣きじゃくる子供をあやす父親のような光景であり、これまた既視感を覚え、またもやあの人が浮かんできた。

 

 

 俺ではない人(・・・・・・)にその目を向ける父上だ。

 

 

「何が大丈夫だ」

 

 

 それを前にして、俺はそう吐き捨てていた。同時にヤツの目がこちらを向き、先ほどのものに戻る。それを向けられた俺は胸の奥が少しだけ苦しくなった。何故かは分からない、だって俺はこの場を――――脇役以下の俺には明るすぎるほどの退場劇を前に心を躍らせている筈だからだ。だけど、その苦しさはそのどれにも当てはまらなかった。

 

 

「お前……自分が何をしたか分かっているのか?」

 

 

 そんな思いを飲み込み、俺は台詞(・・)を吐いた。同時に、周りの艦娘たちの視線が変わる。それは恐怖であった、それは敵視であった、それは殺意であった。艦娘と言う兵器に向けられれば身も竦むような鋭さや冷たさ、或いは感覚すらも奪われかねないその視線を一身に受けた筈なのに、微塵も恐怖を感じない。

 

 これは退場劇、汚れ役が最後に無様な姿を晒し物語の外へ叩き出される一幕、最後の晴れ舞台である。そこは汚れ役に向けられた敵視と言う名のスポットライトで溢れているからだ。

 

 

「お前は俺を殴った。憲兵である俺を非があるくせに謝罪の一つもしない艦娘を庇って……明らかな公務執行妨害だ。これを上に報告すればどうなるか、分かるよな?」

 

 

 俺はそう捲し立てた。勿論、これはただ事実のみを淡々と綴っただけだの文章に過ぎない。そこに各々がどんな対応をしたか、何故そうなったのかと言う状況の一切を無視し事実のみを記した記録と変わらないのだ。

 

 

「黙れ」

 

 

 だが、主役様は俺の記録をあっさり切り捨てた。拾うこともせず、その辺にある紙くずのように踏み付けたのだ。それに、胸の奥が更に締め付けられた。息苦しくなり、圧迫感を十二分に受け、額からいくつかの汗が流れる。本来であればそれに歓喜するのだが、どうもそんな感情は浮かばなかった。

 

 それは主役様の目がおかしかったからだ。確かにその目には怒りがあった、忌々しいモノを見る目であった。だが何処か、何処かその中にそれではないものがあった。それを言葉にすると―――――――これだろうか。

 

 

 『焦り』、と。

 

 

「お――――」

 

「黙れ」

 

 

 その違和感に思わず漏れた言葉を、主役様は無理やり遮った。同時に抱きしめていた艦娘から離れ、立ち上がり、歩き出した。しんと静まり返る食堂に、ヤツの靴底が床に接する音だけが響いた。誰一人としてその歩みを止めるモノも、その先を遮るものもなく、ヤツは目的の場所に―――――俺の前に達した。

 

 立ち止まると同時に、俺の胸倉に手を伸ばし、力の限り握りしめ、容赦なく引き上げた。引き上げられた俺の目の前は主役様の顔で――――――今度はちゃんと、しっかり、その目に怒りを携えて。

 

 

「撤回しろ」

 

 

 その顔のまま、ヤツはそう俺に言葉を向けてきた。しかし、その意味が分からない。何を撤回すれば良いのか、何が気に入らなかった、いや、俺がやったことの大半は気に入らなかった筈だから、正確には何が一番気に入らなかった、だろうか。ともかく、その言葉の真意をくみ取れなかった俺はただ呆けた顔を向けるしかなかった。

 

 

「こいつらを『汚れ』だって言っただろ。この場で、今すぐ、撤回しろ」

 

 

 それをくみ取ってかくみ取らずか、ヤツは更にそう捲し立てた。どうやら、主役様は俺が艦娘たちを『汚れ』だと吐き捨てたと勘違いしているようだ。本当は自分のことを『汚れ役』だと言ったのだが、用意された晴れ舞台を台無しにしないため、敢えて俺はその勘違いに乗っかることにした。

 

 

「何故だ? こやつらは大本営の傘下にいながら反旗を翻した汚点、恥晒しも良いところだ。『汚れ』と言って何が悪い?」

 

「黙れ」

 

 

 俺の言葉に主役様はそう続けた。先ほどよりも語気が強く、怒りを携える目が更に見開かれる。先ほどの焦りが何処かへ行ってしまったかのようだ。このまま続ければ、再び主役様は拳を振るうだろう。正義の味方が、悪の下っ端を懲らしめる、言葉通りの『勧善懲悪』を完遂するために。そのために振るわれる拳は『正義』と言う言葉が全肯定してくれる。

 

 だからほら。とっとと振り下ろしてこい、もっと罵ってこい、俺の最期に豪勢な花を手向けてくれ、誰もが目を見張る、お前の御伽噺における最初の山場にして最大の見せ場にしてくれ。

 

 

 もっと俺を見てくれ(・・・・・・)。なぁ、()よ。

 

 

 

 

「汚したのは誰だ(・・)

 

 

 その口から漏れたのはそれだった。今度こそ、俺の頭は真っ白になった。次に出てくるであろうと信じていた俺に対する罵詈雑言ではなかったからだ。

 

 

「こいつらが大本営にしたことは重々分かっている。だから『汚れ』と吐き捨てるのはまだ理解出来る。じゃあ、こいつらをそうさせたのは誰だ? そこまで追い込んだのは、見捨てたのは、過度な期待を、敗北の責任を、戦火に巻き込まれた原因を、生き残るための犠牲を……それら全てを背負わせたのは一体誰なんだよ?」

 

 

 そう捲し立てる、いや正確には絞り出すようにぽつりぽつりと溢し続ける主役様。その言葉は、その顔はこの伽噺の主役とは思えないほど、憔悴しきっていた。それは俺がかけ続けた負担から来る疲労かもしれない、もしくは俺が来るまでに此処で起こったこと、分かる範囲は襲撃事件に背負った気苦労かもしれない、それとも此処に来る前、士官学校時代に俺がぶつけた矛盾かもしれない。

 

 

 

「誰が殺したんだよ!!」

 

 

 ――――――それはもしかしたら、主役様が士官学校に入学する理由かもしれない。

 

 

 そう叫んだ今の主役様は、いやその煌びやかな衣装に身を包んだだけの、士官学校時代から落ちこぼれの烙印を押され続けた劣等生、本来ならこんな所に立つべきではない、ただ一人の人間だった。

 

 

「それが俺たちだろ? 俺たち人間だろ? 勝手な理想を押し付け、身勝手に権利を掲げ、都合よく形作った継ぎ接ぎだらけのそれを見せつけてこれを果たせ、これが艦娘の責務だと言ったのは俺らだろ? その責務とやらを全うさせるために沢山沈めてきたのは、沈めたくせに何も憂うことなくお門違いに罵ったのは、全部全部人間(俺たち)がしたことだ。それらがこいつらを汚したんだよ、ただ国のために、俺たちのために戦場に立ってくれた彼女たちにそんな仕打ちをしたのは俺たちなんだよ、()が殺したも同然なんだよ!!」

 

 

 それは心の底から沸き上がった咆哮かもしれない。ただ最後の最後にそれが飛び出した時、視界の端に居た車椅子の艦娘が弾かれた様に顔を上げるのが見えた。

 

 

「だから、こいつらを汚したのは俺たちだ。それをさも他人事のように、安全な場所から投げつける野次のように、権利という盾の後ろから当然のように、軽々しく罵るな。他の言葉ならまだ許せる、俺に対する罵声はむしろ大歓迎だ。だがその言葉だけは、俺たち人間に返ってくるその特大のブーメランだけは……直ちに、今すぐ、今この場で撤回しろ。そして今後一切、それを口にするな」

 

 

 先ほどの咆哮から一変、静かな声色でそう締めくくった。しかし、その声色の裏にはとても重く、冷たい何かが、楓の胸中に蔓延る何かを感じさせた。それは言葉にすることが出来ない、むしろ言葉にしてはいけないのではないかと思わせるようなものだった。少なくとも、それを他人が触れてはいけない(・・・・・・・・・・・)ものである気がした。

 

 そしてその感覚は、つい先ほど金剛に、そして楓と初めて出会った時に開いてしまったモノによく似ていた。

 

 

「それだけだ」

 

 

 だけど、そんな気遣い(・・・)もその一言で掻き消された。そう溢した楓は、俺から目を、胸倉を握りしめていた手を離し、背を向けたのだ。それは、この見せ場が終わったことを示していた。俺の華々しい幕切れがとうとうに終わりを告げたのだ。

 

 

 そのことに俺は、『汚れ役』の俺はまだ満足(・・)していなかったのだ。

 

 

 

「知るか、そんなこと」

 

 

 舞台に降ろされた幕を巻き上げ、舞台袖に引っ込もうとした役者たちを引き留め、次の場面に向けられたスポットライトを無理やり呼び戻した。まだ終われない、終わりたくない、こんな中途半端な終わり方じゃ満足できない。

 

 

 まだ、俺の退場劇は―――――『御伽噺』は続いているのだ。

 

 

「そんな個人的な戯言はどうでも良い、そう言った筈だ。此処は軍隊、軍隊と言う集団が全てだ。集団で取り決めたことが正しいのだ、上が右向け右と言えば全員右を向かねばならんのだ。その中で右ではなく左を、もしくは微動だにしない者が居れば弾かれるのは当然なんだよ。そしてお前たちは微動だにしなかった、弾かれても文句は言えまい」

 

「だか―――――」

 

「いかなる理由があるにせよそれがこの組織の善であり、それに従わないものは悪となる……単純明快だろ? 悪は疎まれる存在である、それもまた道理であろう? 善と悪がハッキリしている且つ『勧善懲悪』が道理として成立している……どうだ、それ以外に答えは無い」

 

 

 楓の言葉を遮りながら、俺は台詞を吐き出す。しかし、これではまだ満足しない。違う、これが言いたいわけじゃない。これ以外にもっと、もっと言うべきことが、言いたいことが、ぶつけたい言葉があるのだ。それは揶揄、『汚れ役』として『主役』に向ける、『悪』として『善』に向ける、今しがた口にした『勧善懲悪』を真っ向から無視した言葉をぶつけたいのだ。それこそが『汚れ役』の本懐であり、去り際に相応しいことである。

 

 

 そこに更に重みをもたせるなら、こうすればいいか。

 

 

いい加減話を戻そう(・・・・・・・・・)。で、どう落とし前を付けるつもりだ?」

 

 

 俺が投げかけた言葉に、険しかった楓の顔が呆けたものになる。それは奴だけでなく、周りの艦娘たちも同じであった。いや、一人だけ。その中に紛れていた長門だけは何故か真剣な顔を、何処か寂しそうな顔をしていた。しかし、今そんなことに気を掛けられる程、俺は出来てはいない。

 

 

「先ほどお前は俺を殴り、更にその艦娘も俺にぶつかって制服を汚した。この落とし前をどう付けるつもりだと聞いている。まさか、このまま何もしないわけはないよな?」

 

 

 俺の言葉を理解したのか、楓は顔を引き締めた。そう、引き締めたのだ。焦りもなく、後悔もなく、腹に決めたものを見せつけるように、引き締めたのだ。そしてその直後、ヤツはその場に腰を下ろした。

 

 それだけでなく、両膝を折りたたみ、両手を前の床に、その少し前に額を付けた姿勢――――――要は土下座の姿勢を取ったのだ。

 

 

 

 

すみませんでした(・・・・・・・・)

 

 

 そう、顔が見えない楓の言葉が聞こえてきた。それは主役が見せるべき姿ではない、そして『汚れ役()』なんかに向ける姿でも、周りの艦娘たち(脇役)に見せるべき姿でもない。

 

 だけどそれは此処では、俺の御伽噺では通用しない。何故なら此処では俺が主役で楓が脇役だからだ。『汚れ役』の御伽噺――――最大にして最高の散り際における主役は楓ではなく俺である。だからこそ、ヤツがこんな醜態を晒すのは当然と言えよう。

 

 横暴なことだと? 当たり前じゃないか、都合の良い(・・・・・)御伽噺なのだから。

 

 

 

「何の真似だ?」

 

「先ほど殴ってしまったこと、そして今までうちの艦娘たちが犯した粗相に対する謝罪です」

 

 

 俺の言葉に楓はそう答えた。一切の迷いもなく、一切の躊躇もなく、そう言ってのけた。その言葉に動揺が走ったのだろう、周りの艦娘たちが息を呑んだ。その中で数人の艦娘の顔に俺への敵意に満ちた目を向け、前へ進もうとするのが見える。

 

 なるほど、これがお前が被ってきた『汚れ』たちか。これがお前の制服に染みついた汚れ、(流水)じゃ落ちることのない『頑固な汚れ』、片時も離れず、認識されまいが関係なくお前の傍に存在し続ける、お前のために存在を主張し続ける者たちか。

 

 全く、何処が『汚れ』だ。その言葉と真逆に、正反対に位置する存在じゃないか。汚れ役()に頭を下げる主役()にはもったいない程に美しく、強く光り輝いているではないか。こんなに近くに居るのに認識されないのはとても忍びない、同じ『汚れ』の名を冠する俺なんかと同列にするのはふさわしくない。

 

 

 では、彼女たちに手向けを。『汚れ役』らしい、いや『悪役』らしい手向けを贈ろう。

 

 

 

「それで済むと……思っているのかァ!!」

 

 

 そう俺は言った、叫んだ。言いながら(・・・・・)前に一歩踏み出した、歩いた、楓の前で止まった、叫びながら(・・・・・)その頭を横殴りに蹴り上げたのだ。

 

 周りから悲鳴が上がる、無理矢理吐き出された楓の声が、その身体が床を転がる音が聞こえた。だがそれを境に、俺の周りから一切の音が消えた。

 

 あるのは視覚だけ。俺の足元で顔を抑え蹲る楓、視界の端で固まっている艦娘たち、そして今しがた蹴った俺の靴に付いた赤い血、それだけだ。

 

 

『貴様がやったのは反逆罪だ。貴様のみならず、此処にいる艦娘全員が罪人だ。それを下賤な人間一人の土下座で済むと本気で思っているのか』

 

 

 それは俺の口から飛び出した言葉だ。実際は叫んでいたのかもしれない、或いは冷ややかに口にしていたのかもしれない。ただ俺の視界では、その中の俺は蹲る楓に近付き、その身体に再び蹴りを入れている。何度も何度も、蹴りが入る度にヤツの身体が浮き上がり、その顔に浮かぶ苦痛の色が濃くなる。

 

 だが、そこまでされて楓は何もしてこない。ただ身を固め、降りかかる蹴りを耐えるだけ。それを良いことに、俺は容赦なく蹴りを浴びせ掛ける。その度に楓は苦痛に身体を、顔を歪ませ、それでも耐えるだけ。

 

 

 

『     』

 

 

 また、俺の口から言葉が飛び出した。だが、それがどのような内容であったか分からない。むしろ、それは言葉だったのだろうか。何の意味を持たない喚き声だったのではないか、言葉から程遠いただの音だったのではないか。

 

 

『     』

 

 

 また、俺の口から言葉が飛び出し、何を言ったのか分からなかった。分からない、分からないのだ。

 

 

 俺が何を言っているのか、分からないのだ。

 

 楓が何もしてこないのか、分からないのだ。

 

 周りの艦娘たちが何をしているのか、分からないのだ。

 

 この最大の見せ場が、最高の散り際が一体何処まで続くのか(・・・・・・・・)、分からないのだ。

 

 これが何時終わるのか(・・・・・・・)、分からないのだ。

 

 

 

 

「はい、ストップ」

 

 

 それは唐突に聞こえた。音が消えた筈なのにその言葉だけは、一切の感情を感じさせない声は聞こえたのだ。

 

 

 同時に襟首を掴まれ、後ろに引っ張られる。その力は強く、地に付いていた筈の俺の足を軽々と引き剥がした。空中に浮かぶ感覚、背中から空気を切り裂く感覚、重力に従って落ちていく感覚。それはほんの一瞬だけだったが、その間で俺は理解した。

 

 

 ようやく、俺の御伽噺が幕を閉じたのだ。

 

 

「ッ!?」

 

 

 そう理解した瞬間、背中に強い衝撃を受けた。床に叩き付けられたのだ。痛みで熱を帯び、口からそんな声が漏れる。だが、それらは目を開いた瞬間、何処かへと消え去ってしまった。

 

 

 何故なら、開かれた視界の大半が黒光りする二つの筒状のモノで占められていたからだ。

 

 

「ストップやぁ、言うたやろ?」

 

 

 筒状のモノで視界の端から先ほどの声が聞こえた。同時に、筒状のモノに遮られていた周りの光景が見えた。

 

 

 場所は食堂、そこで使われているであろう机と椅子があちこちに倒れている。いや、正確には退けられたのだろう。何故なら、俺を中心にぽっかりと空間が出来ているからだ。

 

 そして、そのぽっかりと空いた空間には艦娘たちが立っている。俺を取り囲むようにぐるりと、そして俺の方を向いていた。その顔にあったのは大小さまざまな感情があっただろう。『恐怖』もあり、『怒り』もあり、『焦り』もあった。だがちゃんと共通項もあった、その殆どが俺に片腕を差し出しているのだ。その差し出された片腕に黒光りする筒状のモノを携えているのだ。

 

 

 そして目前にあるそれを―――――――砲門(・・)を携えているのは二人の艦娘。

 

 

 一人は先ほど俺にぶつかり、制服を汚した艦娘だ。表情は詰め寄った時と変わらない、涙でグチャグチャである。だかそこにあったのは『恐怖』では、いやそれだけ(・・)ではない。頑なに浮かべ続けた『恐怖』を押し退けて、新たな感情が―――――――『憤怒』があったのだ。

 

 もう一人は昼間に出会った駆逐艦、雪風である。その表情は隣の艦娘とは違い、表情が無い。『無』表情である。昼間に俺が引っ張り出した『怒り』も『驚き』もない。使い手の意のまま、一切の躊躇なく、容赦なく、目の前にいる対象が善か悪かなど微塵も考えていないであろう、まさに兵器の表情だ。

 

 

 そして、そんな二人の間に一人の艦娘が立っていたのだ。

 

 

 

「離して下さい」

「離すっぽい!!」

 

 

 次の瞬間、俺に砲門を向けていた二人が同時にそう言った。その言葉に温度差はあれど、その向きは一緒であった。

 

 

「阿呆、これ以上事態を悪化させたいんか」

 

 

 その言葉を向けられた艦娘は、そう吐き捨てた。彼女は昨日、俺を執務室から叩き出した艦娘だ。見た目は雪風とそう変わらないが軽空母だそうだ。常に笑みを浮かべ、周りに冗談を飛ばし、そこに居るだけで空気が幾分か和らぐ、そんな存在であると、その姿を見る度に思っていた。

 

 だけど、今の彼女は違う。その顔は雪風と同じように感情を感じさせない無表情、その声も同じく抑揚の無い無感情。その眼力だけで敵を縫い留め、次の瞬間その命を刈り取る存在、『兵器』と言う言葉すら生ぬるく感じるほどに危険な目であった。

 

 

「下がれ」

 

 

 軽空母は、先程と変わらない声色と共に冷ややかな目を向けた。その言葉に、その目に雪風は特に何の感情を示すことも無く、逆にもう一人の艦娘は悔しそうに顔を歪めながら渋々とその言葉に従った。だが、その二人の目は片時も俺から離れることはなく、その砲門も常に向けられたままであった。

 

 

「いやぁ、すまんかったなぁ」

 

 

 だが、それすらもどうでもよくなる程に能天気な声色で軽空母は俺にそう言う。その顔にあるのはいつもの笑みだ。その声色もいつもの柔らかいものだ。全てが全て、いつも通りであった。何時、何処で、誰であろうと、どのような状況であろうと、彼女はそうなのであろう。常に『いつも通り』なのだろう。

 

 

「せやけど君も悪いで? あんな一方的に司令官をボッコボコにしたんやからなぁ。こうしてうちが入らんかったら、今頃木っ端みじんになってたかもしれへん……ま、ぶっちゃけそれがちょっち延びた(・・・)だけやけど」

 

 

 そう言い、軽空母は歩き出した。その顔はいつも通りの笑みを浮かべながら。だが、それは最後に濁した言葉と共に少しだけ変わった。いや、笑み自体は変わっていない。変わったのは、いや現れた(・・・)のはその『目』だ。

 

 

「さてさて、今回は出血大サービスや。誰の出血か? なんてつまらないことは置いといて、単刀直入に聞くで?」

 

 

 そこで言葉を切った時、軽空母は俺の前に居た。俺の前で膝を折り、俺と同じ目線になり、いつも通りの笑みを浮かべながら、薄く開かれた目で俺を見据えながら。

 

 

 

「『此処から逃がしてもらう』か『此処で殺される』か、選べ(・・)

 

 

 そう、俺に選択肢を投げかけた彼女の目が、尋常ではないほど冷たく、刃物のように鋭く、呼吸を忘れさせ、心臓を握りつぶせそうな、生命活動を停止させてしまう、見た者を殺してしまう(・・・・・・)目をしていた。

 

 そんな目を持つ者を、人は何と呼ぶだろうか。分からないだろう、何せそれに相対した存在は皆死んでしまうのだから。そしてそれを向けられ、それが最期の光景であろう俺は、こう呼ぼう。

 

 

 

 ――――――『化け物』と。

 

 

 

「今少し、時間を与えてはどうだろうか?」

 

 

 だが、それが最期の光景とはならなかった。そう言って、軽空母の肩を掴んだ者がいた。俺はその姿を呆けた顔で、軽空母は俺に向けていた表情のまま自らの肩を掴んだ者を見た。

 

 

「長門、義理立てする気か?」

 

「生きるか死ぬかの選択肢だぞ? すぐに答えれるわけないだろうが。龍驤……そう急かすのはお前の悪いところだぞ。そして……」

 

 

 肩を掴んだのは長門だった。俺に進むべき道を示し、俺の背中を押した、ある意味今この状況を作り出した張本人だ。そんな彼女に龍驤と呼ばれた軽空母は噛み付くも、長門はどこ吹く風と言う感じで受け流し、逆に彼女を窘める。

 

 その表情はとても穏やかだった。この場に、一歩間違えれば一人の人間が肉塊に変わってしまうかもしれない、そんな場でだ。そして彼女は場違いな程穏やかな表情を、この場で向けられるはずがない俺に向けてきた。

 

 

 

「君も、答えを出すのはまだ早いぞ」

 

 

 そして、そう問いかけたのだ。それは、語り部(・・・)としての言葉だろう。それも主役()ではなく汚れ役()の御伽噺の語り部として、更に言えば今しがた終わった御伽噺の続きを始めようとしているのだ。

 

 

「今まで君は色々と見てきた、それらを踏まえた答えが先ほどの暴挙だろう。だが敢えて言おう、まだ法螺話は終わっていない(・・・・・・・・・・・・・)と。だからもう少しだけ付き合ってくれないか? それを踏まえてもう一度考えてくれないか? もう少しだけ――――――」

 

 

 そこで言葉を切った長門の表情は穏やかであった。だがほんの少しだけ、その表情が変わる。

 

 

 

語らせて(・・・・)はくれないか?」

 

 

 それはとても悲しげな、決して御伽噺に登場することができない(・・・・・・・・・・・)語り部だけが浮かべる、語り部と御伽噺を繋げる唯一の手立てを続けさせて欲しい、そう懇願する(・・・・)表情だった。

 

 

 その言葉に、俺は何も返さなかった。思いついた言葉が全て陳腐で、ふさわしくなく、どれを選んでも彼女を惨めにさせるだけだと、彼女を傷付けるものばかりだったからだ。

 

 無言で立ち上がり、歩き出す。長門の横を通り過ぎ、龍驤を、雪風を、艦娘たちの横を通り過ぎる。誰しも殺意を込めた目を、携えた砲門を向けてきてはいたが、俺が食堂を後にするまでその引き金が引かれることはなかった。

 

 

 

「ぁ……」

 

 

 そんな中でただ一人、場違いにも声を上げるモノが居た。つい先ほど俺が散々に痛めつけた存在である、チラリとその姿を見る。ヤツは数人の艦娘に介抱されていた、その艦娘たちは俺に砲門を向けていなかったのだろう。ヤツは彼女たちに介抱されながらも、その目は俺を見ていた。

 

 

 そして可笑しなことに、その目は語り部(・・・)と同じ色をしていたのだ。

 

 

 それを見て、それは主役(お前)が浮かべていい色ではない――――そう心の中で呟きながら俺は食堂を後にした。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。