新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『優しい』提督

「んで、ぶっ倒れてそのまま寝込んだってか」

 

「そうでち」

 

 

 溢したのは提督、ぶっきらぼうに返したのはゴーヤである。彼女の後ろに控えるのは苦笑いを浮かべたハチ、そして()だ。

 

 

 私たちは今、執務室に居る。と言うのも、昨日私たちは提督にお願いして出撃を延期にしてもらっている。なので、翌日である今日は朝から夜まで出撃だ。だけど、私たちは今、こうして執務室に居る。

 

 いや、私たちではない。私とハチとゴーヤだけ、イムヤは此処に居ないのだ。うちの鎮守府の出撃体制は、執務室に旗艦がやってくるだけでよく、私たち僚艦は此処に来る必要は無い。だけど、今私たちは此処にいる。

 

 

 その理由は、とあることを提督にお願いしに来たからだ。

 

 

「そこでお願いが……」

 

「今日の出撃も取り止めて欲しい、だろ? 大淀」

 

 

 ゴーヤが私たちの『お願い』を口にする前に彼はそれを口にし、傍に控えていた大淀さんの名を呼ぶ。すると、大淀さんは何も口にすることなくファイルをパラパラとめくり始めた。まるで、あらかじめ用意していたかのようにテキパキと動く二人を前にゴーヤとハチは目を丸くし、そんな彼女たちを私は見つめた。

 

 

 昨日、私たちはようやく元に戻れた。誰しもが待ち望んだ、元の私たちに。そのことに、そしてようやく手にした居場所に緊張の糸が切れたのだろう。イムヤは私たちに『あの言葉』を発し、そのまま倒れてしまったのだ。

 

 倒れた彼女をゴーヤが真っ先に助け起こし、ハチはその身体に触れて顔をしかめる。その時、イムヤの身体は信じられないほどの熱を帯びていたからだ。すぐさまイムヤをベッドに寝かせ、私は北上さんと間宮さんを呼びに走った。夜も更けた頃だったが二人はすぐに私たちの部屋へと来てくれたのは本当にありがたかった。

 

 そんな北上さんの診察の結果、イムヤは過労からくる熱であるとされた。それを聞いたとき、私たちの顔が渋くなったのは言うまでもない。その後、間宮さんに水に濡らした手ぬぐいと洗面器を用意してもらい、その夜は三人で交代しながら看病を行い、今に至る。

 

 その中で一番長く看病したのはゴーヤだ。彼女自身、今まで自分がやってきたことを悔いるようにイムヤの傍を離れようとしなかったのだ。いや、多分悔やむ以上に別の感情があったと思うが、それは彼女だけでなく潜水艦(私たち)もだろう。

 

 

 特に、私はそうだ。

 

 

「北上から潜水艦隊員の休養要請を受けている。期間は一週間、既に出撃も他の艦娘と交代済みだ。ただ、そのうちの一日だけは食堂の手伝いをしてもらうが、そこは頼む」

 

「い、一週間もでちか?」

 

 

 大淀さんから手渡された書類を見ながら漏らした彼の言葉に、ゴーヤは声を漏らした。勿論ゴーヤだけではなく、私を含めた全員だ。確かに、執務室にやってきたのは出撃の延期をお願いするためだったが、それはイムヤのみだ。私たちは問題なく出撃できるし、イムヤが抜けた穴を三人で補うつもりである。逆に昨日、変わって貰った分を今日取り返そうと思っていたからだ。

 

 そこに降って湧いた休養命令、それも期間は一週間と破格の待遇である。更に言えば、イムヤだけでなく私たち全員だ。いくら北上さんが要請を出したからと言って、出撃出来る私たちまで休養を問うと言うのは虫が良すぎる。だからその理由を欲した、故にゴーヤはたどたどしく声を漏らしたのだ。

 

 

 

「あぁ、話をする(・・・・)には十分だろ?」

 

 

 彼はそれを、いとも簡単に言ってのけた。『話をする』―――たったそれだけのために彼は一週間も休養を与えてくれた。ただ、『話をする』ためだけに。その答えに、私たちは唖然として彼を見つめることしかできなかった。そんな私たちを見て、彼は一瞬驚いた顔をするも、すぐに笑みを浮かべてこう続けたのだ。

 

 

「やっと向いてくれたんだ、今まで溜まったことを好きなだけぶつけてやれよ。そして、『傍に居る』って教え込んでやれ。アイツの耳に胼胝ができるほど、それこそ忘れさせない(・・・・・・)ようにさ。それとも、一週間じゃ足りないか?」

 

 

 提督は最後にそう付け加え、私たちの答えを待った。それに私たちは誰も声を発しない、いや発せないのだ。それは彼の言葉が信じられないのではなく、その言葉を受け取るだけで精いっぱいだったから。

 

 

 話をする、それは言葉を交わすこと。私たちは長らくそれをやってこなかった。言葉ではなく『行動』でそれを補ってきた。その期間が長かったためか、私たちは『行動』で意思を伝えることに慣れ、逆に『言葉』を用いることに不慣れになってしまった。だから、彼の言葉を受け止めるだけで精いっぱいだったのだ。

 

 それを特に痛感したのが、昨日のことだ。誰しもが言葉足らずで、段階をすっ飛ばして、己の内に秘めていた『想い』を吐き出した。ゴーヤだって、ハチだって、勿論私だってまだまだ言いたいこと、伝えたいこと、言われたいこと、知って欲しいことがたくさんある。恐らく、それらを全て伝えるためには膨大な時間がかかるであろう。

 

 

 だから、彼の言葉は渡りに船だった。だから、私は思った。やっぱり、この人は『優しい』と。

 

 

「『足りない』って言えば、伸ばしてくれるの?」

 

「いや、それ以上は無理だ。後は飯とか寝るときとか、出撃と哨戒以外の時間にやってくれ」

 

 

 今も固まっているゴーヤを尻目に私が更にお願いの上乗せ(・・・)をするも、あっさりと拒否されてしまう。彼の言葉通り、話をすること自体は何時でも出来る。今回は不慣れな私たちに敢えてそう言う時間を用意してくれたのだ。それ以上を望むのはおこがましい。だから、私はすぐに引き下がった。

 

 

「それと手伝いの時でいいから艦娘(みんな)にお礼を言っといてくれ。特に、潮にさ」

 

「何ででちか?」

 

 

 次に彼が溢した言葉に、ゴーヤが質問を投げかける。彼女がそう思うのも無理はない。皆にお礼を言うのは私たちの出撃を肩代わりしてくれたからだが、何故敢えて潮ちゃんを名指ししたのか、その理由が分からないからだろう。そうだよね、ゴーヤは知らないんだっけ。

 

 

「昨日、お前らの部屋に届けた絵。あれ、潮が描いてくれたんだ」

 

「あれを…………す、凄いでち」

 

 

 提督の言葉に、ゴーヤは感嘆の声を漏らし、感心したように小さく頷く。昨日見たときはそこまで感心できなかったけど、実際にあの絵は凄い。絵心が無い私でも『スゴイ』という感想しか浮かべないほどに素晴らしいものだ。正直、あれを一週間程度で描き上げたと知った時は本当に驚いた。

 

 

「な、凄いだろ? だから、潮には特に――――」

 

「ありがとうございました」

 

 

 得意満面の顔で潮ちゃんを褒める提督の言葉を、今まで黙っていたハチが遮った。彼はその言葉に面を喰らった顔を浮かべてハチを、お礼の言葉を発して深々と頭を下げている彼女を見た。その顔が、若干引きつっている。

 

 

「えっと……ハチさん? 絵のお礼は潮に―――――」

 

「なぁーに、とぼけてるんですか。描いたのは潮ちゃんでも、描かせたのは提督ですよね? 後、届けてくれたのも」

 

 

 ハチの言葉にゴーヤはもの凄い早さで顔を提督に向け、彼自身は顔を思いっきり引きつらせた。何も隠す必要は無いと思うんだけど……まぁ、やったことがやったことだから仕方がないか。

 

 

「なな、何を言ってるんでしょうか……?」

 

「あの言葉を教えたのは私ですよ? 分からないわけないじゃないですか。じゃあ聞きますけど、何で絵のことを知ってるんです? それにその絵が昨日届けられたことも。もっと言えば、さっき『届けた』って言いましたよね? 後―――」

 

「すみません、そこで勘弁してください……」

 

 

 流水のようにハチが彼のドツボを突き倒したせいか、彼は顔を覆って苦々し気に言葉を吐く。若干だが、その隙間から覗く彼の顔は赤みがかっていた。

 

 

「残念でしたね、提督」

 

「うるさい」

 

 

 そんな提督に隣の大淀さんはニヤニヤ笑いながらそう声をかけ、彼はぶっきらぼうに返す。何だろう……今の提督になってから一番楽しんでいるの、この人じゃないだろうか。

 

 

「そういうことは個人的に言って欲しかったなぁ……」

 

「絶対に駄目です。ほら、イクとゴーヤも」

 

 

 ポツリと漏らす提督の苦言をピシャリと撥ね退け、私とゴーヤにお礼を言う様に促す。それに従って私たちが頭を下げると、彼は苦笑いを浮かべながらもそれを受け取ってくれた。その間も、大淀さんがずっとニヤニヤ笑っていたのは言うまでもないだろう。

 

 

「と、とにかく!! お前ら全員、一週間の休養だ。そしてこのことをあいつに伝えること、これは提督命令だ。その後は、その、まぁ……ゆっくりしてくれ」

 

 

 空気を引き締めるためか彼はわざとらしく大きな声を出すも、恐らく言うことを考えていなかったためか何とも締まらない言葉で終わってしまう。その様子に、誰しもが微妙な顔を浮かべ、当の提督も苦笑いで誤魔化そうとしていた。

 

 

 だけど、次の瞬間、その空気は一変した。

 

 

 

 

「あぁ、イク(・・)は残ってくれ」

 

 

 そんな誤魔化し笑いのまま、彼がイク(私の名)を口にしたのだ。その瞬間、周りの空気が一変する。同時に、ゴーヤの目つきがあの時(・・・)のように変わる。

 

 

「理由は?」

 

「ちょっと聞きたいことがあるからだ。出来れば、二人っきりで話したい」

 

 

 あの時と同じようにゴーヤが凄味を効かせた言葉に、提督は意に介さないようにサラッと答えた。だが、何気なしに付け加えられた新たな情報に、ゴーヤの表情が更に険しくなる。

 

 

「二人っきりになる理由は?」

 

「その方が聞きやすいからだ。俺が、そしてイクも」

 

 

 再び投げかけられた問いにも、提督は同じように答える。まるであの時のことをもう一度見ているような、まさに既視感(デジャブ)だ。だが、そこで二人は言葉を噤み、執務室は沈黙が支配した。だけど、それはつかの間に過ぎない。いつか二人の押し問答が始まるのだろうか、あの時と同じように私が割り込めばいいのか。

 

 いや、あの時とは違う。あの時は何も知らずに理不尽な理由を擦り付けられ、意に介さないままに渦中に放り込まれた。だけど今回は前提が違う、私は最初(・・)からこの渦中に放り込まれることを知っており、必ずこの状況になることを覚悟(・・)していたからだ。

 

 

 

「りょーかいね」

 

 

 だから、私はその沈黙を破った。あの時と同じように、私自らゴーヤを止めるのだ。私の言葉に、ゴーヤは険しい顔のまま私の方を向く。あぁ、本当にあの時と一緒じゃないか。またそんな顔させちゃって、本当にごめんね。

 

 

イクが(・・・)……行くの(・・・)

 

 

 そう、あの時と同じ言葉を溢す。すると、同じようにゴーヤの顔が歪む。この後、彼女は提督に殴られてしまう。そして蚊の鳴くような彼女の声を聞きつつも、振り向くことなくこの部屋を後にする(・・・・)のだ。ごめんね、また痛い目に遭わせちゃって。ごめんね、本当にごめんね。

 

 

 だけど、そうはならなかった。

 

 

 

「行こ、ゴーヤ」

 

 

 そう溢したハチが、私に詰め寄るゴーヤを引き剥がしたからだ。突然のことにゴーヤは、そして私は驚愕する。だって、あの時と同じようにハチは動かないとばかりに思っていたからだ。ゴーヤも、恐らく彼女に引きずられるとは思っていなかったのだろう。だが、すぐに我に返ると掴まれるその手を振りほどこうとする。

 

 

 

「信じても良いんですよね、提督」

 

 

 だけど、それよりも前にハチが問いかけた。それは私でもゴーヤでもない、提督に。突然の言葉であったため、ゴーヤも固まっている。そんな彼女と同じ筈だが、彼は先ほどのゴーヤと同じように意に返さず、まるで既に決めていたことを言うかのようにこう溢した。

 

 

 

「あぁ、お前の色(・・・・)に誓って」

 

 

 その言葉に、ハチは小さく微笑む。そして、未だに固まっているゴーヤを引き連れて扉へと進み、そのまま出て行った。気になることと言えば、途中で我に返ったゴーヤに何かを呟き、それ以降ゴーヤもおとなしくなったぐらいだ。その後に大淀さんも続く。先ほどのニヤニヤ顔から一変、いつものすまし顔で。だけど最後、彼女の顔が見えなくなるその直前、小さくため息を吐くのを見た。

 

 

 三人が出て行った。執務室には私と提督だけ、あの時とは場所が違うが状況はほぼ一緒だ。途中、ハチが動くと言う予想外の出来事があったが、おおむね予定通り(・・・・)だ。

 

 

「さて、イク」

 

 

 不意に、提督の声が聞こえる。その方を向くと、先ほどのごまかし笑顔を完全に消し去った彼が居た。その顔は真剣と言うよりも何処か私を責めるような、まさに初代提督()と同じだ。さてさて、次に飛び出すのは何だろうか。私が残された理由だろうか。

 

 

「何で残されたか、分かるか?」

 

 

 そう思ったら、本当にその質問がやってきた。あぁ、やっぱり同じなんだな……そう心の中で呟き、その質問に答えた。

 

 

 

 

「イクが、今回のことを仕向けた(・・・・)からなのー」

 

 

 そう、いつも通りに答えた。これはあの時と違う。あの時はこんな風に答えてなんか、むしろ答えることすら出来なかったのだ。だけど、今回はハッキリと分かっている。だって、私が一連の騒動を仕立て上げた張本人だからだ。

 

 私の発言に、今まで意に介さなかった提督の顔が僅かに歪む。多分、こうも簡単に自白するとは思わなかったからだろう。しかしすぐに咳払いと共に先ほどの顔に戻し、彼は言葉を――――私の『罪』を述べ始めた。

 

 

 

「先ず昨日、イムヤに相談することなく出撃を取り止めてもらおうと最初に提案した。合ってるか?」

 

 

 最初に投げかけられた『罪』。それはイムヤに黙って出撃を取り止めてもらおうと提案したことだ。正直、傍から見ると仲間想いの素晴らしい提案だと思うだろう。だけど、私にとってこれは『罪』だ。だって、この提案でイムヤが更に傷付くと、そして付き添いのゴーヤがなんらかの痛い目に遭う可能性があると、その危険が十分に在ると分かった上で強行したからだ。彼の言葉は間違っていない、だから何も言うことなく頷いた。

 

 

「……次、執務が終わってからだ。どういう理由か分からないが、執務室から出てきた俺の後をつけた。合ってるか?」

 

 

 次に投げかけられた『罪』。それは執務が終わった彼の後をつけたことだ。私の中では完璧な筈だったが、何処かでバレたみたいだ。大方、幸運艦コンビと出会った時だろう。二人とも提督と喋りながらも時折私の方を見ていたし、二人が立ち去った後で彼も私の方を見たから間違いない。でも、理由までは分からなかったようなので、此処でバラしちゃおう。

 

 

「合ってるのね。いつ提督を襲おうか、虎視眈々と狙っていたのー」

 

 

 そう悪びれも無く返すと、彼の顔がまた強張った。面と向かって襲おうとしていたと言われれば当たり前だろう。まぁ、私の場合は命を奪おうとかそう言う物騒なものではなく何とかして彼が一人になる状況(・・・・・・・)を作り出すためではあったし、そのおかげで海に落ちた彼をすぐに助けることが出来たわけだが、今更言う必要もないことだ。

 

 

「……そうか。じゃあ、次。俺が入っているドックにイムヤをけしかけた(・・・・・)…………合ってるか?」

 

 

 最も低く、長い間を置いて投げかけられた『罪』――――恐らく、彼がそんな顔を向ける最大の理由だろう。それを受けて私はちょっとだけおかしくなった。何故なら、ここまでのやり取りがまさにあの時、そして今まで繰り返してきたことと同じだったからだ。

 

 

 淡々と投げかけられる言葉に、何も言えずにただ首を振る私。

 

 一つのことを投げかけられる言葉に、自らが身体を差し出すと言い張って返答を待たずにコトに及んだ私。

 

 数えきれないほどに浴びせ掛けられる言葉と拳に、抵抗することなく全てを受け入れる私。

 

 

 今までやってきた初代()とのやり取りと何ら変わらなかったから、むしろ予想通りに事が運び過ぎておかしくなったのだ。

 

 

「えぇ、そうなのね」

 

 

 そう、そうなのだ。提督の言う通り、イムヤに黙って昨日の出撃を延期にさせ、彼を一人にさせ、そこにイムヤをけしかけた――――――全て、私が仕組んだことなのだ。

 

 

 この計画を思いついたのは、ハチが提督から花を探して欲しいと頼まれたと知った時だ。

 

 当時の私は試食会の一件以降彼が今までの提督たちとは違うとは感じていたが、まだ彼との距離が測れずにいた頃である。同時に、その件で少しだけ緩んでいた空気がイムヤとゴーヤのやり取りで元に戻ってしまった頃でもあった。

 

 なので、その時に私はほんの少しであるが緩んだ空気に一抹の希望を見出し、必死に出来ることを模索していた。そこにその話が舞い込んできたのだ。同時にハチが彼にイムヤを助けて欲しいと伝え、彼がそれを承諾してくれたことを聞いた。

 

 そこで私は思った。彼ならこの状況を変えてくれるのではないか、彼ならイムヤを救ってくれるのではないか、と。

 

 

 そして、朧気ながら今回の計画が浮かんだ。だけど、それには二つの障害があった。

 

 先ず、彼は試食会の時と違って本格的に業務を開始した。故に、一日の殆どをその時間に割かれる。それ以外の時間は食事に入浴、就寝と必要不可欠なものであるため、その中で無理矢理イムヤとの時間を捻出してくれるのか疑問であった。

 

 また、計画では長時間イムヤと彼を二人っきりにする必要がある。初めて会った時に彼は何もしないと言い、試食会の朝も何もしてこなかった。だが、それは周りの目があったからであり、それが取り払われてしまった場合に本当に何もしないのか、それが気がかりだった。

 

 これらの障害、特に後者は特に重要である。もし仮に彼が手を出したなら、けしかけた私、そして私たちは絶対に元に戻れない。ただ同じ傷を受けただけで根本的解決にならず、且つそこで終結してしまうことが目に見えていたからだ。

 

 

 それだけは回避したい、だから彼に対する態度を大きく変えた。ちょうど彼と接する口実がある。それを使って、彼が本当に手を出さないのかを試したのだ。

 

 自慢するつもりではないが、私の身体は潜水艦(みんな)の中で一番良いだろう。だから初代も私を指名したのだ。つまり私の身体で、それも明らかに誘っていると分かるように接することで大抵の男性は受け入れるだろう。もし彼が受け入れたらこの計画は頓挫、次の機会を待つだけだ。それに彼は既に榛名さんに言い寄られ、頑なに拒否している。勝算はあった。

 

 

 そして、彼は予想通りに拒否した、それも何度も。最も危惧していた障害を取り除くことが出来た。そこからは、ただ二人っきりにさせる状況を作り出せる機会を伺った。そして昨日、その機会が巡ってきたのだ。

 

 後は、今しがた提督が言った通りだ。真っ先に出撃の延期を提案し、彼に直談判で通す、そして彼を一人にさせるために後をつけ、運よく(・・・)海に叩き落された彼をドックに放り込み、彼の状況をイムヤに伝えた――――直接イムヤに言ったわけではなく、私が他の子に話している内容を敢えて盗み聞きさせる(・・・・・・・)ように彼女の近くでわざとらしく声を張った。

 

 

 正直、イムヤが彼の元に行くかどうか、そしていざ彼女を目の前にした彼が本当に手を出さないか、これらは賭けだった。前者は彼女の気質を、後者は今までの経験を踏まえてだが、どちらも絶対ではなかったからだ。故に、イムヤの後ろ姿を見届けてから彼女が部屋にやってくるまで、気が気でなかった。

 

 だからイムヤが帰ってきた時、彼女が鼻血を流していたことよりも計画が上手く行ったかどうかを優先してしまった。彼女を気遣う言葉をかけず、いきなり出撃のことを話し始めた彼女に心の底から落胆し、ハチやゴーヤのお蔭で上手くいったことに安堵の息を漏らし、誰しもが涙を流す場面で流さなかった。

 

 あの絵の言葉を見た時に浮かびはしたものの、その言葉を素直に受け取る資格が私には無いこと、そして今の状況が頭に浮かんだことですぐに引っ込んでしまった。勿論、その直後にイムヤが倒れたこともそうだが、とにかく全てが計画通りに済んだ。

 

 

 だから、いとも簡単に答えられた。それも若干の笑いを含みつつ、今目の前に居る彼から見ればおかしく、酷い奴だと映るだろう。だけど、事実(・・)だからしょうがない。そう意図して行い、実際にそうなった『結果』がある時点でその過程はどうでもよくなるのだ。

 

 

 『結果さえあれば後はどうでも良い』―――――――それは、()が最も心得ている事だ。

 

 

 私の言葉に彼はただ黙っている。こうもあっさりと『罪』を認めたことに呆れているのか、私が分かった上で行った事への憤りか、はたまた私からコト(・・)に及ぼうとするのを待っているのか。いや、彼が今どんな思いでいるかなんて、あまり重要ではない。だって、私の計画はまだ終わっていない(・・・・・・・)から。

 

 

 

 さぁ、『総仕上げ』といきましょう。

 

 

 

「提督ぅ……」

 

 

 彼の名を、正確にはその役職名(・・・)を呼ぶ。その際なるべく艶っぽくするよう意識し、彼にそういうコト(・・)に及ぶという意志を伝える。同時に、肩にかかっている水着を持ち上げ、外した。その瞬間、押さえつけてられていた胸の圧迫感が幾分か小さくなり、水着が重力に従って落ち始める。

 

 それを目の前で見せつければ、彼もいつも通り動き出すだろう。後はそのまま、いつも通り始めればいい。それで終わりだ。始まったばかりで終わりなんて考えるなんておかしい。だけど『終わる』のだ、ようやく。やってきたことが、やらされてきたことが、受け入れざるを得なかったことが、やっと終わるのだ。

 

 

 もうしなくていい、これが最後、これさえ終われば、もう、これ以上―――――――

 

 

 

 

 

「アホ」

 

 

 だけど、終われなかった。終われもしなければ、始まりもしなかった。ただ一言、今までかけられたことのない、何とも間抜けな声色の言葉を、同時に額に受けた衝撃と鋭い痛みだけだった。

 

 

「痛ったぁ……」

 

 

 仰け反る程の衝撃とギリギリ我慢できないぐらいの微妙な痛みに、今まで意識していた艶っぽい声を忘れ、思わず素の声が出てしまう。不味い、このままでは終われない、そう頭では分かっていながらも、ある意味一番厄介な痛みのせいで行動に起こせない。順調に落ち始めていた水着も額を抑える腕のせいで止まっている。

 

 だが、いきなり私のものではない力が現れて今にもずり落ちそうな水着を支え、あろうことか外したはずの肩へと持っていくではないか。

 

 駄目だ。これじゃあ終われも始まりもしない、この状況がまだ続いてしまう。だから早く始めないと、終わらせないと。あと一歩、あと一歩で終われる。

 

 

「だから――――」

 

「誰がそんなコトやれって言ったよ」

 

 

 そんな私の言葉を遮って、彼はそう言った。同時に頭を触れられる。その瞬間、私の身体は動いていた。

 

 

 

「嫌ぁ!?」

 

 

 

 頭に触れている彼の手を思いっきり払いのけたのだ。だけど、その手に触れることは無かった。払いのける瞬間、彼は離れたのだ。そのおかげで、彼の手を払ったことで私の視界は前を、彼の方を向いた。そして、彼の顔を見た。

 

 

 そこにあったのは先ほどの責めるような顔でも、驚くような顔もでも無い。何故か、とても悲しそうな(・・・・・)顔だった。

 

 

 

 

 

「『無理』、するなよ」

 

 

 そんな彼の口から、その言葉が飛び出した。それはただの言葉である。だけどその一言は、私の感情を大きく揺さぶった。

 

 

「な、何……言ってるの?」

 

「もう良いんだよ、『無理』しなくてさ」

 

 

 私の言葉が聞こえてないように、彼同じことをもう一度呟いた。それに、また感情が大きく揺さぶられる。こんなこと、昨日は無かった。皆と散々に泣き合った時にも浮かばなかったものが今、こんなところで、しかも()の前で。

 

 

「俺が潜水艦隊の失態を口にした時、お前は額を擦り付けるほど必死に弁明した。本当は身体を差し出すことが嫌で嫌で堪らないんだろ? だから、『無理』して身体を差し出さなくていい」

 

 

 次に現れた彼の言葉。その言葉は、まさしく今の私を体現してい――――――いや、していない。私は『無理』して身体を差し出しているわけじゃない。『必要』だから、そう『必要』だから差し出しているのだ。終わらせるために喜んで(・・・)差し出しているのだ。

 

 

「俺に触れる時、お前はいつも後ろ(・・)からだった。そして俺から触れようとした時は離れて、今は手を払いのけた。本当は触れられるのが怖くて怖くて堪らないんだろ? だから、『無理』して俺に、()に触れなくていい」

 

 

 また現れた言葉。いや、違う。『必要』だから彼に触れてきたのだ。イムヤの安全を少しでも確保するために、そのために『必要』だから触れてきた。さっきのは『必要』じゃなくなったから拒否しただけ、決して『無理』をしているわけじゃない。

 

 

「俺が『無理』をするなって言ったら、お前は今そんな顔(・・・・)をしている。本当は辛くて、泣きたくて堪らないんだろ? だから、『無理』して笑わなくていい」

 

 

 またもや現れたそれ。違う、『必要』だから笑っていた。潜水艦隊内の空気を少しでも明るくするために、そして私の感情を悟らせないように、『無理』していること(・・・・・・・・・・)を悟らせないように、そのために『必要』だったから。そう、弁面しなければ。

 

 

 

「ち、ちがぁうぅ……」

 

 

 だけど、私の口から漏れたのはハッキリとした言葉でもなく、怒気を孕んだ言葉でもなく、ただただ弱弱しいかすれ声だった。その時、私の視界に映る彼は輪郭の殆どが()によってぼやけていた。

 

 

「俺の言ったことを否定する時、今の声だった。本当に弱音を吐きたくて、泣き叫びたくて堪らないんだろ? だから、()は『無理』して堪えなくていい」

 

 

 

 ぼやけた彼の顔が微妙に変わる。どう変わったのか、それは分からなかった。が、次に現れた言葉で、それがどのような顔であるのかが分かった。

 

 

 

 

 

「今までずっと、アイツらのために『無理』してくれて、本当に『ありがとう』」

 

 

 

 その言葉に否定しようとしたのか、肯定しようとしたのか、判別付かなかった。だって、私の口から漏れた言葉(それ)は泣き声だったから。

 

 

 

「あ、あぁぁ……ぁぁっ、あぁぁぁぁあああっ……」

 

 

 今までずっと、ずっと堪えてきた泣き声が漏れてしまう。

 

 今までずっと、ずっと溜め込んできた涙がこぼれてしまう。

 

 今までずっと、ずっと抑え込んできた感情が溢れてしまう。

 

 

 こんな姿、人に見せちゃいけない。こんな姿、晒してはいけない。頭はそう言ってる、でも身体は、感情は、心は、思考以外の全てがその命令を拒否した。拒否をして尚も、思考は見せるな、晒すな、いいから隠せ(・・)と喧しく捲し立てる。

 

 

 

 

 

「イク」

 

 

 だけど、それは聞こえてきた彼の言葉、そして視界の中で彼の顔が消え、代わりに視界一派に広がる白い何か―――――軍服の背中が現れた。

 

 

「背中、空いてるぞ」

 

 

 彼の言葉、その中に『背中』と言う言葉が聞こえた。そして、目の前に現れた真っ白な背中。

 

 

 つまり、提督は()、私に背を向けている。

 

 つまり、彼は()、後ろを向いている。

 

 つまり、彼は()の私を見ていない。

 

 

 そう理解した。その瞬間、あれ程喧しかった思考が掌を返したように他の後を追ったのだ。

 

 

 

 

「いッ」

 

 

 頭上から、提督の呻き声が聞こえる。それは昨日、彼の背中に突撃した時のものと同じだ。だけどそれ以降、彼は何も言ってこない。いや、私の耳に聞こえないのだろう。だってそれを掻き消すほどの大音量が、私の口から飛び出しているのだから。

 

 

 しばらくの間、私の耳には同じ声ばかりが聞こえ続けた。それは時折止み、嗚咽を交えながら途切れ途切れにひたすら響いた。まるでしまっていた感情を一つ一つ拾い上げて確かめるように、その一つ一つに込められた全てを曝け出した。

 

 視界は真っ暗だ。提督の背中に顔を押し付けているのだから当然であろう。そして、押し付けている背中がいつの間にか湿り気を帯び、そしてそこからポタポタと水滴が落ちていく。それは私の中に刻み込まれた痛みや苦しみ、それを帯びた記憶や感情の殆どを攫い、何処かへと持ち去っていくようであった。

 

 視界を暗くする背中は、力の限り抱き付き、抱き締め、身体を押し付ける私を良く支えてくれた。大きくて、広くて、しっかりして、暖かくて。まるで、ずっと傍に居てくれるかのような、そんな安心を与えてくれた。

 

 

 

 

「なぁ、イク」

 

 

 そんな中、提督の声が聞こえてきた。それに返事をする余裕は、今の私になかった。だから、彼の背中を握りしめる手に力を込めた。

 

 

 

「イムヤが差し出した手を握らなかったって聞いたけど、何でだ?」

 

 

 彼の声色は責めていると言うよりも、単純に疑問に思っていたことを問いかけているようであった。そうであったからか、はたまた今の私にその答えを止める術を持っていなかったからか、その答えはスルリと言えた。

 

 

「だ、だっ、て……い、イクの、手が…………イク(・・)が、汚かったからぁ……イムヤのせい(・・・・・・)だって思ったからぁ……」

 

 

 

 あの時、私の手は汚れていた。初代提督によって、汚されていた。その手でイムヤに、汚れていない彼女に触れることが出来なかったから――――――いや、違う。

 

 

 その時、ほんの少し、ほんの一瞬だけ。イムヤのせい(・・・・・・)だと思ってしまったから。そんな、汚い(・・)私だったから。

 

 

 

「だからぁ……みんなが、ああなっちゃったのは……イクの、イクのせいなのォ!!!!」

 

 

 それがあったから、イムヤはああなってしまった。それがあったからゴーヤも、ハチも、ああなってしまった。

 

 皆の仲を壊したのは私、私なのだ。だから私が何とかしないと、私が『無理』しないといけないのだ。その責任を、その業を、全て私が背負わないといけないのだ。

 

 

 

 

「しょうがないさぁ、それは」

 

 

 だけど、彼の言葉はそんな私を否定せず、むしろ肯定した。そのことに、あれだけ喚き散らしていた声が止み、あれだけ怖がっていた提督に目を向けた。

 

 

「全く、お前もイムヤもなぁ……状況が状況なんだから、そう思うのもしょうがないだろう。それに、今はそれを悔いているんだろ? だから、ずっと『無理』をしてきたんだろ? そして、その結果(・・)何とか元に戻った。今はそれでいいじゃないか? だけど、それは今日までだ」

 

 

 背中の向こうから、彼の言葉が聞こえてくる。その口調は柔らかく、まるで面と向かい、手を握られながら、目を見て言われているような、そんな感覚であった。

 

 

「これからは『無理』をする前に誰かに言ってくれ。俺でも良いし、イムヤたちでも良い。一人で抱え込まず、皆で頭を捻って答えを出せばいい。誰か一人に押し付けず、皆のせいにすればいい。あの時言っただろ、『これは一人の責任ではなく、艦隊全員の責任だ』ってな」

 

 

 彼の言ったあの時とは、初めて会った時だろう。でも、あれは今と状況が違う。だから、皆のせいになんて出来ない。そう言おうとするのを、彼の言葉が止めた。

 

 

お前のお蔭(・・・・・)で元に戻れたんだ。少しぐらい、我が儘言っても受け入れてくれるはずだ」

 

 

 彼が溢した、『お前のお蔭』。その言葉に、私は驚きや嬉しさよりも何故か可笑しさが込み上げてきた。だって、彼は先ほど『結果が良ければそれで良い』と言った。でも今、彼は『私のお蔭』だと、そして私がやってきたことを認めてくれた。

 

 

 彼は『結果』と『過程』、そして『理由』も認めてくれたのだ。これは、今まで(・・・)の中で初めてだ。初めてその三つを――――――私の全てを認めてくれたのだ。

 

 

 

 

 

「『優しい』、提督なの」

 

 

 ふと、漏れた言葉。それは彼に聞こえたのだろうか、頭上から小さく噴き出す声が聞こえた。そして、次にやってきた言葉から、彼が苦笑いを浮かべているのだと分かった。

 

 

「そうだよ、あんなこと(・・・・・)しなければ『優しい』提督だよ」

 

 

 そう、何処か茶化す様に彼は言う。その言葉に、私も思わず声を――――笑い声を漏らした。それは久しぶりに出せた、何もかもを取っ払った本当のイク()なのかもしれない。

 

 

 

「あ、一つ聞きたいことがあるのー」

 

「ん、何だ?」

 

 

 私の言葉に提督はそう言って、顔の代わりに耳を向けてくる。多分、私のことを気遣ってのことだろうが、()の私にはいらぬお世話である。そう心の中で溢しながら、別の言葉を投げかけた。

 

 

 

「何で、イクが『無理』しているって分かったの?」

 

「そりゃ、今までのお前を見てたからだよ」

 

 

 私の問いに、至極当然のように提督は答えた。だけど、その中にある『お前を見ていた』に、ちょこっとだけ引っかかったけど、おくびにも出さないように努めた。

 

 

「さっきも言ったけど、お前が抱き付くときは決まって後ろからだったし、俺が触ろうとした時に避けてただろ。それも一回や二回じゃなくて毎回だ。まぁ決め手はイムヤの話を聞いたからだけど、あれ結構傷付いていたんだからな? それに……」

 

 

 最初は世間話でもするような軽い口調であったが、言葉を切る直前からその雰囲気は一変した。同時に、私に向けられていた彼の耳が離れ、何故か天を仰ぐようにその頭が上がる。

 

 

 

 

「ここ最近、ずっと『無理』してる奴を見てきたからなぁ」

 

 

 天を仰ぐように、彼はポツリと漏らした。恐らく、その『奴』と言うのは私ではないだろう。だけど、それが誰を指すのか、それまでは分からなかった。ただ、『最近』と言う言葉からその『奴』がこの鎮守府に存在し、そしてこの鎮守府に所属する艦娘の内の誰かであることは分かった。

 

 

 そう分かった瞬間、何処からかそのことを不愉快(・・・)に思った。そんなお門違いなそれの名を、私は知っている。

 

 

 

 

 ―――『嫉妬』だ。

 

 

 

「ふーん、そうなのー」

 

「あぁ、そうだな……」

 

 

 若干の感情を込めつつ、返事をすると、お返しとばかりに生返事がやってくる。勿論、彼が意図したわけではなく、恐らくその『奴』を考えるので一杯なのだろう。そのことに、ますます私の『嫉妬(それ)』は大きくなった。

 

 

 そして、とある計画(・・)を思いついたのだ。

 

 

 

「もう一つ、聞きたいことがあるのー」

 

「んぁ、何―――」

 

 

 もう一度彼にそう言うと、彼は先ほど同様顔の代わりに耳を近づけてきた。だけど、その言葉は先ほどと違い、最後まで行くことなく途切れた。

 

 

 何故なら、私が無防備に晒していた彼の襟を掴んで引っ張り、これまた無防備に晒していた彼の頬に()を押し付けたからだ。

 

 

 

「ばッ!?」

 

 

 今までののんびりした彼とは思えない野太く、明らかに焦った声、そして私の唇と手から勢いよく離れる彼の頬と襟、同時に勢いよく立ち上がる彼の身体、そして今まで抱き付いていた背中が消え、今しがた唇を押し付けた頬を抑える真っ赤に染まったその顔が現れた。

 

 つい先ほどまで恐怖の象徴であった提督。そんな彼が与えてきたのは、恐怖でも悪寒でもない。

 

 

 顔を見てくれたと言う嬉しさと、何物にも代えがたい暖かさだ。

 

 

 

「何すんだよォ!!」

 

「『優しい提督』だから、何しても怒らないのー」

 

 

 悲鳴にも近い提督の言葉に、私は少しも悪びれることなく言ってのけた。それに、ただでさえ赤い顔を更に赤く染めて、何か言葉を吐き出そうとした。

 

 

 

「我が儘言っても、きっと受け入れてくれるのー」

 

 

 だけど、それは私が言い放った言葉、正確にはついさっき彼が言った言葉をぶつけられ、吐き出そうとした言葉を留めたのだ。勿論、それは彼にではなくイムヤたちだ。だけど、それを言った張本人が破ることは出来ない、少なくとも『優しい提督()』なら破らない。

 

 その言葉通り、『優しい提督』は言葉を飲み込んでからあちらこちらに視線を飛ばし、口をモゴモゴさせ、表情筋をフル稼働させて心の葛藤を曝け出してくれる。その様子に、思わず笑い声を上げた。その笑い声に、彼は様々に変えていた表情をただ一つ――――諦めた表情にした。

 

 

「そういうことは……ちゃんと、大切な人のために取っておけよ」

 

「分かったの、じゃあ大切な人になれる(・・・)ように頑張るの!!」

 

 

 肩を落とす彼に、笑いながら更に『我が儘』をぶつける。すると、また顔を真っ赤にさせて何か言いたげな顔をするも、すぐに何所か諦めた様な表情になった。どうやら観念したようだ。

 

 

「あぁ、もう……頑張れよ」

 

「頑張るの!!」

 

 

 ため息とともに向けられた言葉に、元気よく応える。それに、彼は疲れながらも少しだけ笑みを溢してくれた。それだけ、嬉しかった。

 

 

 

 

「ちょ――――――は、―――――ます」

 

「――――か、―――――だ」

 

 

 

 しかし、その空気は遠くから聞こえる言い争いによって消え去った。それに提督は表情を引き締めて、廊下へと続く扉の方を見る。私も同様に扉へと目を向け、そして耳を澄ませる。

 

 その言い争いは、段々と近づいてくる。その途中でおかしなことに気付いた。大きくなっていく二つの声、そのうちの一つが明らかに男性(・・)のものなのだ。

 

 だけど、この鎮守府には提督以外男性は居ない。なので、ここで彼ではない男性の声が聞こえるのは有り得ないのだ。ふと提督を見ると、彼は訝し気な顔をしている。私同様、聞こえてくる声のおかしさに気付いているようだ。

 

 

 だけど、いきなりその顔から感情が消えた。

 

 

「まさか……いや、でも」

 

 

 彼の口から漏れた言葉。その言葉、そしてそう漏らしてから現れた、明らかに焦っている顔。その声の主が誰なのか分かったのかだろうか、それともその答えに確証が持てないのか、彼はブツブツと考え事を続ける。

 

 

 

「だか―――――、こ―――ます!!」

 

「うる――――、さっさと――――ろ」

 

 

 なおも外から聞こえる声は大きく、そしてここに近づいてくる。ここで、私は男性では無い方の声が誰なのか分かった。仮に男性が鎮守府外から来たとすれば、今日の秘書艦である彼女が対応するのはもっともだろう。しかし、その()が問題なのだが。

 

 それを十二分に理解しているだろう提督は、その瞬間に顔を上げた。そこにあったのは先ほどの訝し気な表情ではなく、やってくる何者かが誰であるかが分かり、その事実に焦っている表情であった。

 

 

 

「嘘だろ」

 

 

 そう漏らして、彼は勢いよく扉に走り出した。しかし、走り出す前にそこまで近づいていたのだろう。提督が扉のノブに触れる前に勝手(・・)に動き、扉は勢いよく提督目掛けて開け放たれた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 迫りくる扉を、提督は間一髪の所で避けた。そして、改めて開け放たれた扉の前に立つ。彼の足が落ち着く床、その向こうに見知らぬ黒いブーツが見えた。

 

 

「す、すみません、提督ぅ……」

 

 

 その時、男性ではない声――――申し訳なさそうな榛名さんの声が聞こえた。だけど、提督はその声に応えない。何も言わず、ただ目の前に立っているであろう黒ブーツの人物を見ているのだ。

 

 

 

「全く、素直に案内すればいいものを……」

 

 

 次に聞こえたのは、提督ではない男性の声、つまりは黒ブーツの人物だ。いや、黒ブーツと言っていたが、私はその人物を、少なくともその役職名(・・・)を知っている。それはずいぶん昔、まだ初代提督が居た頃、彼と手を組み、艦娘()たちを道具のように扱った存在。

 

 

 

 ――――憲兵である。

 

 

 

「何でお前がここに……」

 

「事前に資料を送らせた筈だぞ……まぁ、いいだろう」

 

 

 腹の底から絞り出すような声を、提督が漏らす。すると、その憲兵は鼻で笑った。まるでその問いを受けて、提督を見下す様にわざとらしく。

 

 

 だけど、次に聞こえた憲兵の言葉。それは普通の鎮守府において当たり前であろうが、私たちの鎮守府では絶対にありえない事であった。

 

 

 

初めまして(・・・・・)、提督殿。本日付けで当鎮守府に配属となりました、憲兵の花咲(はなさき) 林道(りんどう)と申します」

 


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