新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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掲げた『建前』

 白い雲がゆったりと漂う青々とした空。そんな空の青さを産み出すのは、眼下に広がる青々とした海と風に吹かれて海面を滑る白波。

 

 

 そんな中にポツリ、波に揺られながら海面に立つ人影。海面に人が立ってるなど、本来であればあり得ないことなのだがその人影―――いや、艦娘である曙はあり得るのだ。勿論、その背中と足に艤装を装着すれば、と言う条件付きではあるが。

 

 そんな彼女は両手をだらりと垂れさせ、軽い前傾姿勢で俯いている。一見眠っているようにも見えるが、足の艤装は低い音を立てながら絶え間なく稼働している。その姿は項垂れているよりも耳を澄ませているような、何かを待っているような、そんな雰囲気であった。

 

 

 そんな曙の姿を離れたところから見るのは、潮。彼女もまた背中と足に艤装を装着し、その手にはストップウォッチが二つ握られている。それは演習の際に艦娘の個人タイムを計測するモノで、それを彼女が持っていることは今しがた演習が行われていると言うこと。

 

 それを更に裏付けるのが、俯く曙の前に広がるロープと浮きで作られたコースだ。

 

 

「それじゃ、行っくよー?」

 

 

 声を張り上げ、曙にそう呼び掛ける潮。その言葉に曙は俯いていた顔とともに片手を上げ、すぐに下ろした。それが準備完了の合図であり、それを受けた潮は両手にストップウォッチを構え始めた。

 

 潮が準備を終える間、そして掛け声を出すまで、曙は刃物のような鋭い視線を目の前に向けている。食堂の時に見せる柔らかい表情とのギャップに驚きつつも、艦娘(本来)の姿なのだろうとも思えた。

 

 

「スタートォ!!」

 

 

 そんな思考を断ち切るように、潮の口から開始の合図が放たれ、同時に曙の真後ろへ彼女の身の丈は優に越す程の水しぶきが上がった。

 

 

 水しぶきの中から飛び出した曙に、まず現れたのは複雑に湾曲したコースだ。湾曲は小さいモノから大きいモノとその差が激しく、進行方向、または加減速の切り替え、そしてそれらをスムーズに行うための絶妙なバランス感覚が求められるのだろう。前に見た演習でもそれらに悪戦苦闘する艦娘も多く、求められるレベルは非常に高い。

 

 だが、曙はそれをスムーズに、流れる水のように滑らかな動きで次々に突破していく。それは進んでいると言うよりも、まるで踊っているようである。

 

 

 次に現れるのは、二本のロープで作られた大きな一本道。一見すれば何もないように見えるがその水中には網が幾重にも張り巡らされており、誤ってその上を通ると脚に網が引っ掛かってしまう。引っ掛かったら最後、頭から海面に突っ込むため、如何に海中に潜む障害物を見つけ避けるか、広い視野と瞬発力が求められる。

 

 そこを曙は先程よりもスピードは落ちているものの、引っ掛かることなく進んでいく。途中、一度だけ片足を上げたが、それ以外は危なげなく突破した。

 

 

 次に現れたのは、最初よりもやや緩やかな湾曲のコース。それはこの演習における難所―――背面航行で抜けなければならないからだ。しかもなるべく後ろを見ないように進まねばならず、ここでは一目見ただけで距離感、進行方向などの状況を把握してそれを元にどのように動けばいいかを推測、実行する力が求められる。勿論それは並大抵のものではなく、多くの艦娘はここで減速を強いられることとなる。

 

 そして、曙も例に漏れず減速をしつつ背面航行で進んでいく。その航行はやや蛇行しているが航行スピード自体はそこまで落ちておらず、他の艦娘よりも早くそこを突破した。

 

 

 その先に現れたのは細長いコースから一転、大きく開けた場所。そこにはロープも網も無く、ただ無数の浮きが漂っている。だが、それはただの浮きではない。その一つ一つには小型の爆弾が取り付けられており、半径10m以内に熱源を察知すると起爆する仕組みになっている。勿論、その威力はせいぜい水柱を上げる程度であり、主な役割は音と衝撃、そして水柱による視界の制限など、実際の戦闘に近い環境を作り出すこと。ここでは戦闘下でいかに冷静に、そして素早く動けるかが鍵となる。

 

 曙はその広場に入ると、先ず減速した。浮きの位置を確かめ、自らが進むべき道を探しているのだろう。やがて、道筋が見えたのか彼女は一気に加速して浮きの群れに突っ込んでいく。両者の距離がどんどん縮まり、遂に10mを切った。

 

 その瞬間、小さくはない爆音と激しい突風が海上を襲った。それらは同時に起爆したモノ、或いは時間差で起爆したモノのどちらと判断することは出来ず、ただただ大きな水柱が無数に立ちあがったと言う事実だけしか把握できない。しかし、そんな水柱の真横をすり抜ける形で曙が突き進んでいく。

 

 すかさず轟音と共に水柱が立ち上がる。立ち上がるまでの間隔はどんどん短くなっていき、いつの間にか曙が最初にいた場所から半分ぐらいのところまで水柱が上がっている。なおも次々に水柱が上がり、やがて最後にして最大の水柱が上がる。その大きさは戦艦のそれと同等であり、曙の姿を隠すには十分だ。故に、彼女はその陰に隠れてしまった。

 

 

「え、ちょ!?」

 

  

 不意に、潮が声を上げた。手に持ったストップウォッチを取り落しそうになりながらも前を、曙の姿を隠している水柱を見ている。その表情は驚愕と言うよりも、何処か焦りが窺える。彼女が立っている場所から何が見えるのか。

 

 

 その答えは、すぐに現れた。

 

 

 

 それはモーター音。一気にアクセルを踏み込んだ車のような激しく大きな音だ。だが、それは一瞬だけ消えた。いや、消えると同時に立ち登っている水柱の中腹がいきなり突き破られ、その中から顔の前に腕をクロスさせ、身体を丸めた曙が飛び出したのだ。

 

 

 弾丸のように水柱を突き破った彼女はそのまま転がるように海面に着水、全身がずぶ濡れになりながらも素早く立ち上がり、そのまま一気に加速した。彼女が突き進む後にはその身体から流れる水が糸のように海面に落ちていき、彼女が突き進むその先には先程よりも更に大きな浮きが一つ。

 

 その浮きの上には、大きな的。弓道や射的、射撃訓練に用いられるあの的だ。それ目掛けて、曙は更に速度を上げて突っ込んでいく。それと同時に、彼女は片腕を大きく後ろに振り上げた。

 

 

 そして、再び耳を劈くようなモーター音が鳴り響き、大きな水しぶきが彼女と的の間に上がる。それと同時に振り上げられていた彼女の腕が前に、的に突き出される。片手で突き出した腕を支え、腰を低く保ち、上体を支える足に力を入れる。その姿はまさに砲撃体勢だ。

 

 

 彼女と的の間はまだ水しぶきで遮られている。それが全て落ち切る、それが砲撃の合図だ。的からすれば、遮っていた水しぶきが落ち切ると同時に砲撃されることになる。これがもし実戦で、的が深海棲艦だったら、今この時ここで命運が尽きたと言っても良い。あとはただ、水しぶきが落ちると同時に砲撃されるのを待つだけだ。

 

 

 

 だが、次に来るべき砲撃音は、何時まで経っても来ない。

 

 

 

 既に水しぶきは落ち切った。的からも曙が、曙からも的が視認できる。後は砲撃するだけなのだ。なのに、砲撃はない。砲撃は疎か、的目掛けて突き出された曙の腕には何もない。ただ、彼女の小さく華奢な腕を的に差し出してるだけなのだ。目前でただ腕を差し出している艦娘がいる、これがもし実戦だったら逆に彼女の命運が尽きていただろう。勿論、これは演習なので彼女が砲撃されることはなく、腕を突き出した姿で固まる曙と的が波に揺られるだけだ。

 

 

 日差しもそこまで強くない青々とした空の下、そんなのんびりとした空気の中で続いた傍から見たら何とも間抜けな光景は、唐突に終わりを告げた。

 

 

 

「あぁ!! もう!!」

 

 

 

 そう声を荒げたのは、腕を突き出していた曙だ。いや、それよりも前からその身体がプルプルと震えており、その顔は赤みがかり、その頬は大きく膨らんでいたのだが。ともかく、そう叫んだ曙は前かがみになる程両腕を思いっきり振り下ろし、そこから上体を逸らしつつ何故か片足を上げた。

 

 

 

「な、ん、で、出、な、い、の、よぉ!!」

 

 

 そんな恨み言を一言一言噛み潰す様に吐きながら、あろうことか的を足蹴し始めた。勿論、蹴り倒すとか、吹き飛ばすとかそんな威力ではなく、あくまで小突く程度だ。だが、小突かれている的からすれば自分ではどうすることも出来ないことで罵られ、挙句の果てに足蹴にされているのだ。それはただのはた迷惑な八つ当たり、理不尽の極み。何故か、心が痛くなった。

 

 

 そんな姿を離れたところで見つめる潮は手で顔を覆いながらため息を溢していた。恐らく、こんな光景を何度も見ているのだろう。だが、覆っていた手が離れて彼女の顔が現れると、何故かそこに驚愕の表情が浮かんでいた。だが、それもすぐさま気まずそうなモノに変わる。其のモノは、「やっちゃった」と言いたげな表情だ。

 

 

 一体何があったのだろうか、何を見たのだろうか。その理由の全てを、()は知っている。

 

 

 

「あーけーぼーのぉー?」

 

 

 手をメガホン代わりにして、俺は彼女の名を口にする。すると、あれだけ騒ぎながら的を足蹴していたその動きが、錆び付いた機械のように鈍くなり、やがて止まった。しばらくその姿のまま波に揺られていたが、やがて少しずつだが錆び付いたネジが回る様にぎこちない動きで顔を向けてきた。

 

 

 その顔に浮かんでいたのは、一言では言い表せない色々な感情が入り混じった表情だ。そんな曙、そしてまた頭を抱えている潮を手招きして呼び寄せる。二人の表情は「行きたくない」という心情がヒシヒシと伝わってくるものの、素直に近づいてきてくれた。

 

 

「……いつからぁ?」

 

「初めから」

 

 

 引き吊る顔のまま問い掛けてくる曙にそう返すと、その表情が更に歪んだ。それは嫌悪か、どちらかと言えば羞恥の方が強いように見える。因みに、俺が演習場にやって来たのはついさっき、見たのも今しがた終わった何回目(・・・)かの航行演習のみだ。曙は言葉通り、一回目(・・・)から見ていたと勘違いしているようだが、灸を据える意味でも訂正する必要はない。

 

 

「当たりたいって気持ちは分かるけど、何も的に当たらなくても」

 

「あー!! あー!! うるさいうるさい!!」

 

 

 ジト目を向けつつもらした俺の苦言を、曙は声を張り上げながら赤くなった顔を背けて手で耳を抑えてしまう。何も聞きたくない、何も聞こえない、と言いたげな……いや、聞き飽きたから改めて言うな、って意味合いの方が強いか。そんな彼女の気持ちを代弁するように足の艤装は先ほどよりも更に激しい音を上げ、背中の艤装からは白い煙がモリモリと立ち上っている。

 

 何と言うか、分かりやすいと言うか、『心』が重要故にその一部である『感情』も艤装は代弁するんだなぁ。本人はそれに気づいていないようだけど、いや気付く余裕が無いんだろうな。

 

 

 そんなことを思いながら曙を観察していると、横目に潮の姿が見えた。その顔はムスッとしており何処か不満そう、多分俺と曙のやり取りを見たからだろう。ふと、俺の視線に気付いたのか俺たちに向けられていた視線が逸らされる。

 

 

「毎回こうなのか?」

 

「……今回だけです」

 

 

 逸らされたことにショックを受けつつも取り繕って声をかけるが、逸らされた視線のまま素っ気なく返されたことで少しだけ気持ちがブルーになった。前半部分の妙な間は何だったのだろうか、それを聞くのは野暮か。うん、野暮ってことにしとこう。その方がスムーズに事が進む。

 

 それに表面上では相も変わらず頑なな態度だけど、顔を会わせた途端噛み付かれていた今までを考えれば劇的な変化だ。それに、その原因も一応は聞かせてもらったし。

 

 

『その……しょ、諸事情(・・・)でまだ提督の顔を見ることが出来ません。すみません』

 

 

 以前、曙を伴ってやって来た潮が語った理由だ。明らかにはぐらかしたもので、そしてやはり顔を見てくれなかったのだが、それを曙ではなく潮の口から伝え、その後彼女が頭を下げてきた。つまり『誠意』を見せてくれたのだ。これは今までのことを考えればとてつもない進歩であり、彼女の心情を考えれば無理をしていることだろう。

 

 なので、俺は深く詮索することなく受け入れることにした。焦らず、慌てず、自分のペースで近づいてきてくれれば良い、と言って。多分、それが彼女に対する俺なりの『誠意』だ。

 

 

「どうぞ」

 

 

 そんなことを思っていると、潮の声と共に視界の外から一枚の紙を差し出される。それは、曙の演習結果をまとめた報告書だ。これを差し出してくるってことは、何故俺がここに現れたのかが分かったみたいだ。

 

 念のため言っておくが、俺がここに来たのはこの報告書を貰うためだ。ちゃんと大淀には説明しているし、主な通信も変わってもらっている。これを受け取って帰ってから、改めて二人と一休みするつもりだ。だから、これはちゃんとした執務であり、サボりとかそう言うのでは断じてない。

 

 

「いつもは私が執務室に持っていくのに、今日はどういう風の吹き回しですか?」

 

「たまには自分の目で見るのも大切だろ?」

 

 

 そんな言い訳を見透かしたのか潮が鋭い指摘を飛ばしてくるも、こちらも用意していた言葉で打ち返す。絶対そこを突っ込まれると思っていたよ。そして、それを聞いて更に嫌そうな表情になるのも分かっていたから驚かない。

 

 彼女の言葉通り、俺はいつもは執務室で曙の担当艦である潮から報告書を受け取っており、今日みたいに演習場に顔を出してまで報告書を貰いに来たことはない。そして再度言うが、これを口実にサボっているわけでもない。と言うのも、俺があらかじめ用意していた言葉はただの言い訳ではなく、俺がここにやってきた正真正銘の理由だからだ。

 

 

 そしてその要因の一つは潮から離れた視線の先、今しがた潮から手渡された報告書である。

 

 

「毎回思うんだけど、ここまで細かく書く必要あるのか?」

 

「何言ってるんですか? 人の形をした艦娘だからこそ、ここまで書かなくちゃいけないんです」

 

 

 俺の言葉に潮は呆れた口調でそう返す。何故こんなことを言うのか、それは毎回彼女が持ってくる報告書には曙の動きは勿論、その視線の向きや反転のタイミング、現れたモノを認知し、対応するまでの時間、更には次々と移り変わる思考の流れと、明らかに見るだけじゃ分からないだろうと言いたくなるほどの膨大なデータが記されているからだ。それも、余白を塗りつぶす様に寸分の隙間も無くビッシリと書き尽くされている。初めてそれを見た時、俺の頭が停止したのは仕方がないってことにしてほしい。

 

 

「昔に比べ今の姿は的が小さく、且つ私たち駆逐艦は素早く動けるので戦場におけて非常に柔軟で迅速な対応が出来ます。しかし、昔ほど多くの砲も乗組員による全方位を網羅する視野もなく、且つ身体が小さいためにダメージコントロールが難しいんです。故に、発見が遅れれば沈む確率が昔とは比べ物にならないほど跳ね上がります。更に言えば私たちは昔と違って思考と感情があり、それは表情として外に現れます。外に現れるのであれば、対峙する敵に見られ、次の行動が予測される危険性もありますし、それに付け込まれて戦況をひっくり返されることもあります。人の形をした私たちが抱えるリスクを少しでも減らすため、その一挙手一投足だけでなく視線の向きから目まぐるしく変わる状況への順応、そして表情の変化に伴う思考や感情までを事細かに書かないといけないんです」

 

 

 潮の口から流水の如く現れた、彼女が事細かに記す理由。簡単に言えば、艦娘は人の形をしているためにその動きは『人間の出来る範囲』に限定されてしまい、且つ思考と感情を人間と同じように持っているというリスクも背負っているってことだ。そう考えると、大本営が艦娘を兵器として扱う理由も何となくだが分かる気がする。分かっただけで共感はしないけどな。

 

 因みに、これを初めて聞かされたのは潮ではなく、彼女からの報告書を見てげんなりしていた俺にニヤニヤと意地悪そうな笑みを向けてきた大淀だ。その説明は非常に分かりやすく丁寧であったが、言葉の節々から馬鹿にされている感がヒシヒシと伝わってきたのがどうも腑に落ちない。

 

 とまぁ、そこまでは分かっている。だけど、そこまで分かっている上で『事細かく書き過ぎじゃない?』と思ってしまうのだ。そう思いながらその報告書に、正確にはその初めの方に目を向けた。

 

 

 

 『今日はなかなかベッドから起きてこず、起こしに行ったらもの凄い不機嫌そうな顔を向けられた。昨日夜遅くまで起きていたに違いない』

 

 『食堂にて、間宮さんと何やら楽しげに話してる。新しいメニューの事だろうか。とても楽しそう』

 

 『演習前、艤装を受け取りに行くと工廠の妖精さんに怒られていた。艤装の清掃を怠っていたらしく、小さな妖精さんと同じぐらい小さくなっている』

 

 

 そこまで読んで、思わず目を抑える。あぁ、やっぱりかぁ……と、心の中で呟きつつ今度は下の方、最後に書かれたであろう文章を見る。

 

 

『突然提督に名前を呼ばれ、珍しく慌てている。私だとそこまでならないのに、ずるい』

 

 

 

「何が『ずるい』んで―――」

 

 

 そう漏らした瞬間、いきなり手にしていた報告書をひったくられる。犯人は潮、彼女はひったくった報告書にある最後の文章をあっという間にペンで塗りつぶし、その後何事も無かったかのように再び差し出してきた。しばらく、潮にジト目を向ける。潮は顔ごと逸らしながら涼しい顔をしているが、その頬が引きつり、額に汗が滲んでいるからな。

 

 そして、俺が言っている『書き過ぎ』と言うのはまさにこの部分、明らかに演習ではない時のことを記していることだ。一応、演習前後の彼女の様子を知ることも大事であると分かって……いや、このことを指摘した際、潮にもの凄い剣幕で言い含められたために理解させられ、必要だってことも分からされている。

 

 だけどね? そこに個人的な感情を載せるのはどうかと思うわけですよぉ。それも大体報告書の半分近くを占めてて、たまにこっちがメインじゃないの? っていう時もあるんですよぉ。もっと言えば、今みたいにそれを無自覚で書いちゃっていることが多いんですよぉ。

 

 まぁ、潮は気持ちを言葉ではなく絵や文字として吐き出していたから、元々積極的に想いを表に出す様なタイプじゃないのだろう。いや、多分あのリハビリのお蔭で吐き出し方を覚えたから気を抜くと吐き出しちゃうようになったと言ったところか。こちらとしてはその方が有り難い。でも、限度ってものがあるよね?

 

 

 

「……何、どうしたの?」

 

 

 そんな俺たちに、ようやく再起動を果たした曙が訝し気に見てくる。そうだよな、いきなり俺に声を掛けられて混乱して、ようやく立ち直ったと思ったら自分の担当艦が汗を流しながら俺に報告書を差し出し、差し出された報告書を受け取りもせずに俺が担当艦にジト目を向けていたらそんな顔にもなる。

 

 

「ううん、何でもないよ」

 

「いや、明らかに何かあった雰囲気なんだけど……」

 

 

 そんな曙に、潮は笑顔でそう言った。だが、曙は尚も訝し気な表情のままだ。実は潮、演習の結果はこの報告書の他に曙に渡す専用のものを用意している。本来であれば報告書をコピー或いは複写して渡せば済むのだが、これだけ個人的なことが書いているのを知られたくないのだとか。だから、今目の前にある報告書を曙は目にしたことが無い、故にそこに何が書かれているのか知らないのだ。

 

 隠さなければならないことをわざわざ書くなって言いたいが、これも潮のペースに任せた方がいいか。ミサンガに込めた願い同様、こう言ったものはあいつ自身から伝えた方が良いだろう。

 

 

「いや、何でもないさ。それよりも、ほれ」

 

 

 潮と同じ言葉を吐いた後、俺は差し出された報告書を受け取りつつ、もう片方の手をポケットに突っ込んだ。目的のモノはすぐに見つかり、掴んだそれを引き抜いて二人に見せる。

 

 

「そ、それは……」

 

 

 それを見てそう漏らしたのは潮だ。その顔は先ほどまでの不機嫌さは何処へやら、代わりに目を大きく見開き、紅潮した頬を緩ませ、口角を少しだけ上げた、嬉しいと言う感情を目一杯表現した、年相応な子供っぽい笑顔だ。

 

 対して、何も発しなかった曙の表情は真顔である。真顔と言うよりも少しだけ冷めた、潮とは対照的にそこまで嬉しくなさそうな顔だった。そんな表情のまま曙は俺に視線を変え、口を開いた。

 

 

 

「……ただの甘味券でしょ」

 

 

 冷めた口調で語る彼女の言葉通り、俺が出したのは甘味券だ。まぁ、『甘味券』なんて銘打っているが、元々は間宮アイス券。ただアイス券の裏に手書きで『甘味』と書いただけの、何ともみすぼらしい券だけど。

 

 そして、これは演習や出撃において優れた成績を出した艦娘に手渡されるご褒美であり、これを食堂に持っていけば好きな甘味と交換できる。勿論アイスとも交換できるので、正しくはご褒美の種類が増えたことになる。つまり間宮アイス券の上位互換だ。

 

 まぁ、これは新メニューとして色んな甘味が増えたことで洋菓子や和菓子など艦娘の好みが多様化し、アイス自体の需要が低くなったため、対応として取り入れたのだが。また、その分好みに対応するために間宮の負担が増えたのだが、本人は了承済みだ。同時に、ご褒美をあげる対象を絞ったことで、負担の軽減と艦娘たちのモチベーションの上昇に成功したわけだ。

 

 

 そんな、艦娘たちにとっては夢のような代物に何故か喜びもせずに冷めた様子の曙。まぁ、この甘味券を発案したのが彼女なのだから、そりゃ自分の発案したモノを自慢げに差し出されればこんな顔にもなろう。

 

 

 というわけで、更に言葉を付け加えた。

 

 

 

「これで、潮に試作品をご馳走してくれ」

 

 

 俺の言葉に、冷めていた曙の表情が強張る。横の潮は面喰らった顔で曙に視線を向けていた。その姿を見て、俺は手にしていた券を曙に差し出す。

 

 

「間宮からお前が新しいメニューの開発を買って出たって聞いたからさ。演習で世話になってるんだ、お礼にご馳走したらどうだ?」

 

 

 そう、俺がわざわざ演習場にやってきたのはこの甘味券を渡しに来たのだ。いつもであれば報告書を提出しに来た潮に渡すって形になるが、何かそれだと味気ないと言うか、やっぱり直接渡す方が気分的にも良いだろうって思ってのことだ。勿論、今まで連ねた理由も込みだが一番はこれである。だが、当初は二人に甘味券を渡すだけで、曙の新メニューをなんて微塵も思ってなかった。

 

 そこに、先ほど見た曙の態度だ。勿論しょうがないとは思うが、それでも的に当たり散らすのは考えものだろう。なので予定変更、曙が奮闘している試作品を食べてもらうことにする。これなら曙にはちょっとした罰だが、甘味を食べれることに加え、俺や間宮以外に試作品の味見をしてもらえる。また、潮には甘味を味わえることに加え、普通なら食べることの出来ないモノを食べれるチャンスだ。十分ご褒美だろう。

 

 

 因みに、曙が買って出たことは何故かニヤニヤと笑う間宮から教えてもらった。

 

 

『そう言えば、曙ちゃんが新しいメニューの開発を買って出てくれましたよ。どうも食べさせたい人が居るようで、今まで見たことないほど張り切っていましたよぉ? 良かったですね、提督』

 

 

 何が良いのか分からないが、それほど張り切っているなら大丈夫だろう。厨房を任せられると間宮からのお墨付きももらっているほどだ、心配ないさ。それに食べさせたい人がいるなら、尚更だ。

 

 

「…………」

 

 

 そんな俺の言葉に、曙の強張らせていた顔が一転し、一切の感情が抜け落ちていた。冷めたと言うか、熱を一切感じない表情で俺を見ている。横の潮は、そんな彼女を見てオロオロしている。予想していた反応からかけ離れている様子に俺は首を捻った。あれ、何か様子がおかしい。だってさ、

 

 

 

 

「食べさせたい人って潮のことだろ?」

 

「うん、そうよ」

 

 

 俺の言葉に、曙はその表情のまま肯定する。そして脚の艤装を動かして海面を移動してコンクリートの地面に上陸、そして何故か無言のまま歩を進め、俺の傍で止まった。それにつられて潮も同じように上陸し、曙から数歩離れたところで止まる。そんな二人の様子に更に首を傾げた俺の目に、大きく振り上げられた曙の手が映った。

 

 

「あがァァア!!」

 

 

 その腕は勢いよく俺の腰に叩き付けられる。それに盛大に悲鳴を上げる俺の手から彼女は鮮やかに甘味券を抜き取った。その間、僅か数秒。潮の目には、手を振り上げていた曙、悲鳴を上げる俺、そして片手に甘味券を掲げる曙、という光景がまるで写真のように見えただろう。

 

 腰に突き刺さった衝撃と激痛、そして曙の行動に頭が混乱する中、視界の中では俺に背を向け潮に近付き、乱暴にその手を取る曙の姿、そしていきなり手を掴まれて驚く潮の顔があった。

 

 

「行くわよ潮!! あんたのために用意したんだから、ありがたく味わいなさい!! そしてそこの馬鹿!! あんたには後で無理矢理にでも味わわせてやるから覚悟しなさい!!」

 

「え? あ、ちょ」

 

 

 今までにないほどの大声で罵声を浴びせつつ、潮を引っ張っていく曙。それに引っ張られながら曙、そして痛みに悶絶する俺を交互に見て困惑する潮。そんな二人の姿が段々遠くなっていくのを、俺は痛みを堪えながら見送った。二人の姿が見えなくなってから、しばらく俺はその場に膝をついて痛みにもがき苦しんだ。そして、ようやく痛みが引き始めたところでよろよろと立ち上がる。そして、何故曙にぶっ叩かれたのかを考えた。

 

 やっぱり、食べさせたい人が潮だってバラしたのが不味かったかな。そうだよな、隠していたかどうかは分からないけど、本人の目の前でバラされちゃ堪ったもんじゃない。でも、何でわざわざ俺にも食わせるって言ったんだ? 俺が味見するのは大前提だろうに。

 

 

 

 そんな思考に没頭していたためか、背後から忍び寄る気配に気付けなかった。

 

 

 

「隙あり、なの!!」

 

「え、いッ!?」

 

 

 突然、そんな言葉と共に腰の辺りに強い衝撃が襲った。突然のことに前のめりに倒れそうになるも、腹筋に力を入れて何とか一歩二歩と踏み出したところで耐えた。そう、耐えた。衝撃を受けた瞬間腰の奥の方でピシッと音がしたけど、何とか耐えた。腰の辺りに何かが抱き付き、その体重の全てを腰で受け止めたけど、何とか耐えた。

 

 

「お? 流石に女の子一人は支えられたのね? ただの柔らかい装甲だと思ってたけど、下にはちゃんと筋肉があるのー」

 

 

 再び声が聞こえ、衝撃を受けた腰にはいつの間にか何か柔らかいモノが押し付けられた感触、そして腹回りをぐるりと一周する締め付けが有り、次に執務で少しだけ緩くなった腹回りをつつかれる感触があった。立て続けに現れた感触、背後から聞こえた何とも間の抜けた声、そして視線を腹回りに向けた際に見えた、後ろから回されへその辺りでガッチリ握りしめられた2本の細い腕、

 

 その声、そしてそんなことをする、そして今見えているその腕が誰か、俺はすぐに分かった。

 

 

 

「イ、イク!! 駄目だって!!」

 

 

 だが、その名前を発したのは俺ではない。俺の背後から聞こえた息を切らした少女の声だ。それに思わず振り返ると、遠くの方からこちらへかけてくる水着姿の少女。水兵帽と金髪を揺らし、ずれたメガネも直さずに、水着に白いニーハイソックスと言う何とも目のやり場に困る格好で一目散に駆け寄ってくるのは伊8ことハチだ。

 

 すると、俺の腰に回されていた腕がモゾモゾと動き、視線を向けると腹の後ろからひょっこり顔を出した、これまた水着姿の少女。薄紫色の髪に透き通るような赤い瞳を携えた少女、伊19ことイクだ。彼女は俺の視線に気付いていないのか、意地悪な笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

「ちゃんとお仕事終わらせたから大丈夫なのー。それに、提督はイクに優しいのー」

 

「そうだな、そんなことをしなければ優しい提督なんだけど?」

 

 

 上から聞こえた俺の言葉に、イクは弾かれた様に顔を上げ俺と目が合う。しかし、次に現れたのは申し訳なさそうな視線でもなく、先ほどの笑みからもっと意地悪いと言うか、小悪魔と言う言葉が似合う笑みを向けてきた。

 

 

「帰投したのー」

 

「……お疲れさん」

 

 

 悪びれる様子もなく笑顔を向けてくるイクを見て怒りが呆れに変わり、労いの言葉と共にその頭に手を伸ばす。だが、俺の手が触れる前にイクは俺から離れ、2、3歩ほど後ろに下がったところで敬礼した。その直後、追いついたハチは息を整えることなくイクの隣で同じく敬礼する。

 

 

「せ、潜水艦隊、き、帰投、しま、したぁ」

 

「呼吸を整えてからでいいよ。取り敢えず、二人ともお疲れさん」

 

 

 呼吸と発声が混同しているハチにそう促しつつ、二人の身体を見る。見た所、怪我は見受けられない。シフトの関係上今日はほぼ連続で出撃するんだが、補給と休憩を十分に取らせれば大丈夫か。そんなことを考えていると、突然イクが身を庇う様に両手を胸に当て、身体を捩る。

 

 

「提督、さっきからイクたちの身体を舐めまわす様に見ているけど……時間と場所を弁えるのー」

 

「損傷が無いか見てただけだ。そこ、ハチも真に受けない」

 

「え、あ、その、ま、真に受けたわけじゃ……」

 

 

 身体を庇いながらそう言うイクの顔には小悪魔っぽい笑みが浮かんでおり、彼女自体は冗談であると分かって言ってるのだ。だが、横のハチは真に受けたのか顔を赤くしてイクと同じように身体を庇った。そこを突っ込むとハチは慌てた様に手をバタバタさせ、その様子を面白そうにイクが見ている。

 

 

 そんな二人を見て、俺は初めて彼女たちに出会った時を思い出していた。

 

 

 先ず、ハチ。初めて会ったのは食堂。あの時は俺の不用意な発言で泣かせてしまった。その翌日、俺の頼みで朝から食堂に来て、試食会の準備を手伝ってもらった。その時は、やはりぎこちない態度ではあったが、イムヤと一緒に作業をする彼女は少しだけ楽しそうであった。

 

 試食会も終わり、金剛が倒れたことで新しい体制を確立させてからも潜水艦隊の一員として頑張ってもらう日々。そして先日、半ば押し付けでもらった非番でばったり顔を会わせ、そこで彼女からお願いをされたのだ。それ以降、顔を合わせればたまにあちらから声をかけてくれるようになった。勿論、まだ緊張していたり、申し訳なさそうではあるが、それでも初めて会った時から考えればもの凄い変化だ

 

 因みに、曙や潮に渡したミサンガにあるドライフラワーの作り方は彼女から教えてもらった。また、材料である花は出撃の間に探してきてもらった。

 

 

 そして、イク。初めて会ったのは食堂で、ハチ同様泣かせてしまった。その後の試食会の準備ではゴーヤとペアを組ませて手伝いをしてもらっていたが、いつの間にかイムヤの傍に居てその手を握っていた。その時は普通に言葉を交わしてくれたが、試食会以後は顔を会わせても声をかけてくることは無かった。

 

 だが、彼女の態度が一変したのはハチのお願いを聞いてからだ。いや、初めて今の態度で絡まれた時はびっくりした。何せ、間宮とメニューについて相談していた時にいきなり背後から抱き付かれ、危うく間宮ごと倒れそうになったからだ。因みに言っておくと、その時驚いた間宮から容赦ないビンタを喰らって彼女を倒さなかっただけで、俺自体は倒れた。その時に腰に違和感を覚えもした。

 

 まぁ、俺の身体はどうでもいい。ともかく不意打ちで押し倒された俺は何が何だか分からず、ただ抱き付いてきたイクを唖然とした顔で見るだけだった。そんな俺に、イクはケースに入れられたミヤコワスレとヒロハノハナカンザシの花を見せつけてくる。それを見て、ハチに頼んでいたのに何故イクが、と混乱する俺だったが、後からやってきたハチから出撃の際に見つけて持ち帰ったと説明を受け何とか理解した。

 

 それを踏まえて抱き付いてきた理由を聞くと、単純に持ち帰ったことを報告しに来ただけだと言われた。取り敢えず頼んだモノを持ち帰ってくれたことに感謝しつつ、何故抱き付く必要があったのかを更に問いかけたら、イクは少しも悪びれることなく笑顔でこう言った。

 

 

『提督は優しいから、何しても怒らないのー』

 

 

 イクの言葉に、俺は面喰らった。言葉の意味が理解できなかったわけではないが、ただその理由に驚いたのだ。いや、怒らないわけじゃないんだぞ? 金剛には面と向かって怒鳴って手を上げそうになったし北上に関しては実際に襟首を掴んだ。言い争いではあるが加賀にも怒鳴った。ただ公衆の面前で大声を上げていないだけで、怒ると言うか怒鳴りはしてるんだぞ。

 

 それをオブラートに包んで伝えるも、イクは悪びれることなくただ『提督は優しい』と言うだけだ。何度言ってもその言葉は変わらないため、その日は説得を諦めて今後は抱き付くのをやめろと釘を刺すに留めた。だが、今の通りその釘が役に立ったためしはなく、毎日のように背後から抱き付かれることを繰り返しているわけだ。

 

 その度に注意するも、イクは悪びれる様子もない。埒が明かないと何度か怒ろうと思ったが、その度に彼女は笑顔から一転して泣きそうな顔になる。その顔を、そして初めて見た際に泣き崩れる彼女の姿を見たため強く言えずに注意でとどまってしまうのも、この状況を作っている原因なんだろうな。

 

 

 まぁ、それは別に良いのだ。その度に腰にダメージを蓄積させるだけだから良いんだよ。もっと問題なのは、イクの言動だ。

 

 

「でも、大分身体が弛んでいるのね。今度、イクと運動するの!!」

 

「だから、俺は何百メートルも潜れないって。そしてハチさん、変なこと想像しない」

 

「………っぁ」

 

 

 小悪魔っぽい笑み、というか艶っぽい笑みと言うか、そんな表情を浮かべ、何故か腕を使って己の胸を強調させながらそんなことを言うイク、そして先ほどよりも更に顔を赤くして黙り込むハチのそれぞれに突っ込みを入れる。その言葉にハチは反応せず、イクはことさら意地悪い表情で強調した胸を俺に向けてきた。

 

 

 このように、イクは何故か言葉の節々に変な想像をさせるようなことを言い、そしてあからさまに己の武器を向けてくるのだ。因みに、彼女が言った『運動』とは『潜水』の事だ。決してハチが想像している事ではない。そこだけは言っておく。

 

 でもね、分かるよ。初めて見た時だって先ず目が行ったのはそこだよ。何ともまぁご立派なモノをお持ちだって、とてつもない武器を持ってる危険な存在だって思ったよ。前に目の前で曝け出された某金剛型戦艦3番艦さんと互角に渡り合えるぐらいあると思うよ。そこは男の(さが)として認めるよ。

 

 でもね、出会うたびに抱き付かれてるの。その度にそのご立派なモノが押し付けられるのよ。一度や二度ならまぁラッキーとか思うけど何度も何度も繰り返されるとねぇ? 飽きたわけじゃないけど、そんな安売りされても、って思うわけですよ。もっと言えば、俺はその件に関して辟易してるんだよ。某金剛型戦艦3番艦さんによってさ。

 

 だからちゃんと注意したいんだけど、これただのセクハラにしかならないから出来ないんですよ。注意する代わりに、安売りするようなモノじゃない、もっと自分を大切にしなさい、って二人に自分が持っているモノの価値が大きいことを知ってくれって言いたいんですよ。でも、それを言ったらおしまい(・・・・)というか、無事で帰ってこれない気がするんですよ。

 

 

 それにさ、お前ら……って、あれ?

 

 

 

「イムヤとゴーヤはどうした?」

 

 

 ふと、今この場に居ない二人の名前を口にした。潜水艦隊はイクとハチ、そしてイムヤとゴーヤの4人だ。もし帰投したのなら、他の2人も今ここに居るはずなんだけど。食堂の時に見た様子から、二人だけで補給しに行ったと言うのは考えづらい。そんな俺の言葉に、イクの顔から笑顔が消え去り、ハチの顔には悲痛な表情が浮かんだ。

 

 

 

「実は帰投の途中に敵の奇襲を受けまして、イムヤが大破しました」

 

「たいッ、にゅ、入渠は!?」

 

「帰投してすぐゴーヤがドックに連れて行ったので大丈夫です。ただ、時間がかかるので次の出撃に間に合うかどうか……」

 

「そ、そうか」

 

 

 イムヤ大破の報告に始めは肝を冷やしたが、無事に帰ってきたようで安心したよ。ただ、ハチの言う通り大破の入渠は時間がかかるが、彼女たちはこの後も出撃が控えてる。此処は修復材を使うべきか、はたまた出撃の時間をずらすか。どっちがいいだろう。

 

 

「そこで、提督にお願いなの」

 

 

 ふと、考え事をしていた俺に今までと打って変わって落ち着いたイクの声が聞こえ、同時に腕に抱き付かれる感触が。腕の方を見ると、苦笑いを浮かべたイクが居た。

 

 

 

「この後の出撃、取り止めにしてほしいの」

 

 

 そう言って、イクは俺の腕に抱き付く力を強めた。そのことに、俺は黙って彼女を見る。それに対してイクは片時も目を逸らすことなく、更に言葉を続けた。

 

 

「今朝なんだけど、イムヤの様子がおかしかったの。何処かフラフラしてて、動くたびに顔をしかめていたから、体調が悪かったんだと思う。だから今日は休もうって言ったんだけど聞かなくて、そのまま出撃しちゃって。その時もフラフラしていつもはしないミスを何回もしてたから、出撃中に悪化したんだと思うの。そして、帰りの奇襲で大破して……だから、今日はもう休ませて欲しいの」

 

 

 淡々と語られつつもその節々に滲む重い空気を感じながら、俺は話を聞き続けた。と言うのも、俺も今朝執務室にやってきたイムヤの様子を見て、同じ印象を持ち、同じことを言って、同じように断られたからだ。だけど、俺はそれでも出撃させたのは、それ以上に彼女の目が出撃させろと訴えてきたからだ。

 

 その剣幕に押されてしまい、俺は無理をしない事を条件に出撃を許可したわけだが、聞き届けられなかったようだ。いや、奇襲だからイムヤに非はない、むしろ良く無事で帰ってきてくれた。逆に、体調不良を分かっていながら出撃させた俺に非がある。謝っておかないといけない。

 

 

「そのこと、イムヤたちは了承したのか?」

 

「言い出しっぺがゴーヤだから大丈夫だけど、イムヤはまだなのね」

 

 

 ゴーヤが分かっているならいいな。まぁイムヤが知らないのは仕方がないし、知っていたら絶対に反対していただろうな。因みに俺も彼女たちの意見に賛成だ。だが、取り止めた分を何処かで補わなければいけないのが問題か。

 

 

「分かった、今日の出撃は取り止めだ。ただその分を明日の午前中に回すが大丈夫か? 無理なら他の日にするけど」

 

「私たちの中ではそうする予定でしたので、問題ありません」

 

 

 俺の言葉に、ハチは不安そうな顔から安心した様にホッと胸を撫で下ろしそう答えてきた。彼女たちの中でそこまで決まっているなら、後は大淀と予定を調節するだけか。大淀も俺と一緒に休ませようとしていたから、多分大丈夫だろう。

 

 

「やっぱり、提督は優しいのー」

 

「分かったから、取り敢えず離れてくれ」

 

 

 俺の言葉にイクはそう言って抱き付いてくる力を更に強めてくる。いい加減腕が疲れてきたので離れるよう促しながら彼女に手を伸ばすが、触れるよりも前に彼女から離れてくれた。離れてなお、笑みを浮かべている彼女を見つつ、俺は今から自分がすべきことを考えた。

 

 

「取り敢えず、先ずは大淀に相談を……」

 

「大淀さんは問題ないそうですよ。そして予定は彼女が調整しておくらしいので、提督はイムヤちゃんにこのことを伝えて欲しいそうです。さぁ、では一緒に行きましょう」

 

 

 不意に聞こえた声、そして腕を掴まれ引っ張られる。突然のそれに俺は何とか踏ん張って引っ張られないようする。

 

 

「どうしたんですか? 提督」

 

 

 すると、またもや声が聞こえた。それは引っ張られる腕の方から聞こえ、同時に引っ張られる力が強くなった。それに流されない様、視線を動かす。

 

 

 先ず映ったのはポカンと口を開けているイク、そしてハチだ。何かを見て驚いてる彼女たちの視線は俺の横に注がれてる。そのまま視線を横にずらしていき、俺の真横---腕が引っ張られている方に辿り着いた。

 

 

 そこには、各艦隊の資料が挟まったファイルを片手に持ち、もう片方の手で俺の腕を掴み、引っ張られる方へと身体を向けつつ、満面の笑みを浮かべた顔だけを俺に向けている艦娘が。

 

 

 

 今日の秘書艦である、金剛型戦艦3番艦の榛名だ。

 

 

 

「……いつからいた?」

 

「イクちゃんに抱き付かれたところからです」

 

「行くって何処へ?」

 

「イムヤちゃんの所ですよ」

 

「あぁ、そう……何でいるの?」

 

「『提督と運動する』と聞いて」

 

「よし、じゃあドックに行くか」

 

 

 動き出す前に前段を片付け、後はドックに行くだけにしてくれた非常に優秀な秘書艦様は最後の質問に何故か自慢げに親指を立ててきたので、スルーすることにした。いや、そこは建前でも『大淀と相談したことを伝えに来た』とか言ってくれよ。

 

 

 その後、俺はイクとハチにそのまま休むよう言い、何故か急かしてくる榛名に引っ張られるようにドックに向かった。


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