新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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見続けた『姿』

「はい、これ」

 

 

 何処か気の抜けた北上さんの言葉と共に目の前にスケッチブックが差し出される。それに私―――――潮は手を伸ばすことなく、ただただ差し出されたそれをまじまじと見つめた。

 

 所々土や鉛筆などの汚れや折り曲げた跡、濡れた跡などが付いている。それは私が付けたモノであり、それ以外に真新しいモノは無い。正真正銘、私のスケッチブックだ。だから、差し出されたそれを受け取らない理由は無い。だけど、受け取らなかった。いや、受け取れなかった。

 

何故なら、それはあの時落としてしまい、そして今の今まで探し続けた末に見つからなかったモノだから。何故それを彼女が持っていたのか、分からなかったから。

 

 

「腕、疲れるんだけど」

 

「あ、す、すみません」

 

 

 スケッチブックに注がれていた視線の外から、不満げな北上さんの声が聞こえる。その言葉に顔を上げ、少しだけ不満そうに顔を歪める彼女に頭を下げてスケッチブックを受け取った。

 

 触れた際に感じた表紙の凹凸、画用紙の荒さ、スケッチブック自体の重さが『私のモノである』と訴えかけてくる。でも、何故これを彼女が持っていたのか、その疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

 

 

「ど、何処でこれを……」

 

 

 その疑問を解消すべく、北上さんに問いかける。その言葉に、彼女は何か言いたげな目を向けてくる。『分かってるんでしょ?』―――そんな問いを投げかけてくるような目だった。その通り、私の中にはその問いに対しての答えが一つあった。それも、十中八九それだろうと言えるものがあった。

 

 でも、口にしなかった。それは、十中(そこ)にある『二』もしくは『一』であってくれと願ったから。

 

 

「提督が持ってきてくれたの」

 

 

 だけど、返ってきた答えは『八九』だ。予想通りだったから、驚きもしなかった。その名を聞いた瞬間、背筋に凄まじい悪寒を感じる、全身から血の気が引いて体温が一気に下がる、目眩と共に呼吸が乱れる、微かな震えに呼応するように心臓の鼓動が早くなる、その場で悲鳴を上げて手にあるスケッチブックを放り投げそうになる。

 

 

 全てが全て、予想通り(・・・・)だ。

 

 

「そう……ですか……」

 

 

 それら全てを抑え込んで、作り笑いを浮かべる。なるべく平静を装うべく、声の震えを抑え込むべく。お腹に力を込めて、文字通り腹の底から絞り出すように言葉を吐き出した。その言葉、そして私が浮かべているであろう表情に、北上さんはしばらく黙って見つめてくる。

 

 

 その瞳に、私の顔が映った。今にも泣きそうな程、酷い顔をしている。でも、北上さんは特に何も言わず身体を預けていた椅子ごと私に背を向けた。

 

 

「そう言うコトだから、お礼言っとくんだよ」

 

「……はい」

 

 

 その言葉に、私は再度同じような声を出す。北上さんが背を向けて手にしたファイルに目を通している分、表情までは取り繕う必要は無かったから、幾分か楽だった。

 

 

 『提督』――――先日、ばったりと出会ってしまった存在。最初は怖そうな上司、次に私にトラウマを刻み込んだ(そんざい)、逆らってはいけない(そんざい)、理不尽を押し付けてくる(そんざい)、痛みを与えてくる、恐怖を植え付けてくる、それによって周りを子達を壊していく(そんざい)。此処まで様々に形を変えつつも、その度に重圧を与え続けてきた(そんざい)は、少なくとも私が生きてきて、艦娘として動き出して、今日までは居なかったと思う。

 

 そんな恐怖と理不尽の象徴、害悪とも言うべき男はいつの間にか消え、その座に金剛さんが座っていた。その後、すぐに彼女は鎮守府内に居る人間たち全てを追放、そして大本営からやってきた人間をも追い返し、それら全てとの決別を宣言した。

 

 

 その時、彼女が大いに振るい、そして人間たちに突き付けたのが、艦娘が持つ『力』だった。

 

 

 火砲、艤装、生命力、艦隊に所属する艦娘の数、そして深海棲艦に対抗出来る唯一の存在、人類に牙を剥いたと言う他に類を見ない強烈なメッセージ性、自分たちと同じような不満を持つ艦娘たちが呼応するリスクなど、それらと人類の運命を天秤に掛け、人間たちに突き付けた末に呑ませた。

 

 更に、その後大本営からやってくる男たちを次々と失踪させた。あれだけ理不尽を強いられた最初の時から考えられない程あっさりと、簡単に失踪させたのだ。それだけの力を金剛さんは持っていた。いや、金剛さんだけではない。龍驤さんや隼鷹さん、皆持っているのだ。艦娘(みんな)持っているのだ。その姿を見て、私は気付いた。

 

 艦娘には力がある。深海棲艦に対抗できる力が、それを持つ唯一の存在なのだ。それは戦艦から駆逐艦問わず、私にだってあるのだ。それが何故、深海棲艦に対抗出来ず艦娘(わたし)たちに助けを求める人間(そんざい)に従っているのだ、理不尽を強いられているのだ、仲間が傷付けられるのをただ黙って見つめているのだ、自らに降りかかる火の粉を払わないのだ。

 

 

 『艦娘は人間にだけ力を振るってはいけない』―――――そんな馬鹿げたこと、そしてその理由が、一体何処にあるのだ。

 

 

 そのことに気付いてしまってから、私の男に対する態度は一変した。

 

 

 罵詈雑言を、拒絶を、負の感情を、憎悪と嫌悪が入り混じった殺意のような、いや『殺意』を、それら全てを容赦なくぶつけるようになった。出会い頭に噛み付き、殴りかかり、挙句の果てには支離滅裂な理由を押し付け、躊躇なく砲門を向けるようになった。慈悲や同情、それら全ての感情を消した、ただ無機物を見るような目を向けるようになった。

 

 

 それは、今まで受けてきた理不尽や恐怖の裏返し。それらが怖いから、それらを受ける前に先ずこっちからやってやる、と言う子供みたいな発想だ。相手からすればただの理不尽、子供の我が儘、批判されるべき行動だ。

 

 でも、それをするしかなかった。何故なら、排除しなければならないからだ。(それ)が周りに暴力や理不尽を振りまく前に、どんな手を使ってでもその脅威を取り除かなければならないからだ。それが正しいか正しくないかはどうでも良い。私に、そして周りに危害を加えなければそれでいい。それだけのためだ。それだけのためにやらなければならない。

 

 

 例え、それが私自身が忌み嫌った理不尽であろうと、守ろうとした人から『子供(ガキ)の我が儘』と罵られようと。私はそれをしなければならない。

 

 

 

 

「おーい」

 

 

 不意に聞こえた北上さんの言葉。それに弾かれるように顔を上げると、真顔の北上さんが一枚の紙を私に差し出していた。深い思考の海から引っ張り上げられ、そして目の前に写真を差し出されている状況に反応出来ない私に、彼女は「ん」と言って手にある紙を軽く揺らすのみ。それが「受け取れ」と言う意味だと分かり、特に考えもせずそれを受け取る。そして、その紙を目を通した。

 

 それは演習参加の通達。それを、私は良く知っている。何故なら、今現在にも私が受け取っているリハビリ(・・・・)の内容を記したモノだからだ。しかし、その通達は私に向けられたモノではない。その根拠は、いつも私の名が描かれている筈の欄に、別の名前が書かれていたから。

 

 

 

 『綾波型駆逐艦8番艦 曙』と。

 

 

 

「あの事件の後、曙が砲門を出せなくなったのは知っているでしょ?」

 

 

 視界の外から聞こえた北上さんの声に、私はただ頷いた。それが失礼なことだと分かっていた。だけど、どうしても目の前に映る通達から、正確にはそこに記された名前から目が離せなかった。

 

 

「それで最近はもっぱら間宮さんの手伝いをやってたわけなんだけど、流石にいつまでも出撃しないわけにはいかない、ってことになったらしくてねぇ……ついさっき、提督があたしのところに話を持ってきたの。んで―――」

 

「許可したんですか?」

 

 

 北上さんの話を断ち切る様に、私は質問を投げかけた。今まで釘付けになっていた報告書から目を離し、北上さんに視線を向けながら、淡々とした口調で。それを受けて、北上さんは横目で私を見たと思ったらすぐに目を逸らした。

 

 

「そうだよぉ」

 

「何でですか!?」

 

 

 いつの間にか、そう怒鳴っていた。それは無意識の内。でも何故そう怒鳴ってしまったのか、その理由は分かっていた。対して、北上さんは特に驚く様子も無く、逸らした視線を再び向けてきた。いや、先ほどよりも冷えに冷え切った刃物ような鋭い視線を向けてきた。

 

 

「曙は過度な負荷で腕の神経が断裂したとか、誰かさん(・・・・)みたいに手や腕が吹き飛ばされた訳じゃない。ただ、砲門が出せなくなっただけ。その腕自体に後遺症はなく何不自由なく動かせる、つまり身体的問題は無いってこと。これはあの子が普通に生活している時点で証明済み。んで、問題がある砲門に関しては、あの子が砲門を出してくれないと診ることが出来ない、診れなければ対策を打つことも出来ない……要はお手上げ状態ってわけ。となれば、ここは完治の為に少しでも無理をしてもらわないといけない。無理(リハビリ)をしたあんたなら、分かるよね? だから、許可した」

 

「それでもし砲門が暴発したらどうするんですか!?」

 

 

 一切の感情を押し殺した淡々とした口調で北上さん。その説明が終わった瞬間、間髪入れずに質問をぶつけた。先ほどよりも大きな声で、先ほどよりも強い口調で。なのに、北上さんは身じろぎもたじろぎもせず、ただ視線を向けてくるだけだ。

 

 

「初めは燃料だけの補給だから暴発の危険はないよ。安定して砲門が出せて、且つコントロールが出来るようになってから砲撃訓練に撃つ予定。だから大丈夫」

 

「訓練中に深海棲艦が攻めてきたどうするんですか!?」

 

「哨戒隊が居るんだよ? 鎮守府(ここ)に攻めてくるわけないじゃない……て、言いたいところだけど、前例があるからね。だから、曙の訓練中には一艦隊分の艦娘も同伴する予定。万が一、敵さんが攻めてきても退避は出来る。こっちも前例(・・)があるし、何よりあの時よりも状況は段違いでしょ。だから問題ない」

 

「せ、潜水艦は!?」

 

「訓練中海上への出口は封鎖する、潜水艦が侵入することは先ず不可能。破壊すれば速攻で分かるから対処できる。陸に上がるバカもいないだろうし、仮にいたらその場で八つ裂きにすればいい」

 

「でも……でもぉ!!」

 

 

 ぶつけた質問を北上さんは少しも表情を変えることなく次々に論破していく。しかし、それでも私の頭は考え続ける。何処かに問題点がある筈だ、何処かに綻びがある筈だ、何処かに見えないモノが、見落としが、穴がある筈だ。それを見つけねば、それを見つけて提示しなければ、そしてやめさせなければならない。だって――――

 

 

 

 

「『提督』が気に入らないんでしょ?」

 

 

 北上さんの言葉。それは抑揚も無く、迫力も無く、重圧も無い。そんな言葉を、彼女は私に投げつけた。それはまるで、ごみをゴミ箱に向けて投げ入れるような、そんな適当で、ぶっきらぼうで、興味すら向けない。そんな投げつけ方だった。

 

 

「これを提案したのが『提督』で、『提督』の提案が受け入れられて、『提督』の思い通りに進んでいるこの状況が気に入らないんでしょ?」

 

 

 再び投げつけられた言葉(ごみ)。今度はちゃんと狙いを澄して、(ゴミ箱)に入るように。

 

 

「どうなの?」

 

 

 投げかけてきた言葉。今度は入らない(・・・・)ようちゃんと狙いを澄して、投げかけてきた質問(白紙)だ。

 

 

 それを本音を書いて(汚して)言葉(ごみ)にして投げ返してみろと。

 

 

「もし……」

 

 

 それを受け取って、私は口を開いた。投げかけられた質問を汚すために。

 

 

「もし、あの男が別の目的を持っていたらどうするんですか? あの時と同じ無防備な状況を、今度は自分の手で作り出そうとしていたらどうするんですか? 大本営に反旗を翻そうとか、深海棲艦に繋がっているとかそう言うのじゃない。今までずっと、誰にも言わずにひた隠しにしている目的のため、その状況を作り出したとしたらどうするんですか? それを達成するために艦娘たちを召集し、甚大な被害を与えようとしていたらどうするんですか? もし―――――」

 

 

 そこで言葉を切り、顔を上げる。目の前に、北上さんは立っていなかった。代わりに居たのは提督(・・)。馬乗りの状態で私を逃げられなくし、何度も何度も拳を振り降ろしてくるあの提督だ。

 

 痛みで感覚が殆ど消えた腕で顔を庇うも、振り下ろされる衝撃が腕を伝って顔にのしかかる。そこに容赦はない。本当に私を殺そう(・・・)としている、そんな恐怖を植え付けてくるほどの衝撃。そして同時に、耳に嫌と言うほど焼き付いた言葉、提督の声だ。

 

 それは泣き叫ぶような声だった。それは怒り狂っている声だった。ただ己の感情を拳に乗せ、それでもあり余っている感情の全てを吐き出そうとしているような、そんな声だった。だが、その声に乗せられ、私目掛け投げつけられた言葉は、全て同じ(・・)だった。

 

 

 

 

 

 『お前らが居なければ良かった』

 

 

 

「『この世から艦娘たちを失くす』――――これが貴方(・・)の目的だったら、どうするんですか?」

 

 

 そう、投げかけた。絶対に外すまいと狙いを澄まし、受け止めやすいようにゆっくりと。目の前の人物に、『提督』に投げかけた。

 

 

 あの日、連れて行かれたあの日、提督の部屋で散々にぶつけられた言葉。これを知っているのは、私だけではない。同じ目に遭った人はたくさんいる、少なくとも金剛さんは知っている筈だ。だから提督が消えた後に残っている人間たちを追放して、その大元である大本営と手を切ったのだ。

 

 

 今度も一緒だ。既に金剛さんが、誰かが動き出している、その筈だ。どうだ、図星だろう。提督の目的は既に知れ渡っているのだ。露見しているのだ。何人はもう動き出してる、提督を排除しようと動き出している。だから提督はもう消える、確実に消えるのだ。

 

 私の言葉(これ)はその始まり、私はスターターだ。誰が提督を排除するか、そんなレースの火蓋を切った。たった今、目の前で切った。後は、誰かがゴールするまで待てばいいのだ。それだけで終わる、終わらせることが出来るのだ。

 

 さぁ、どうする? 一度始まったレースはもう止まらない。私も誰かも艦娘たち(ギャラリー)も、誰も止まらないし、止まらせないし、止められない。ただ一直線にゴール目掛けて走るだけだ、提督目掛けて襲い掛かるだけだ、提督(ゴミ)を排除するだけだ。

 

 

 

 さぁ、どうする?

 

 

 

 

 

 

 

「なわけないじゃん」

 

 

 しかし、提督はそう言った。いや、それは提督の声ではなく、北上さんの声だ。その瞬間、目の前に立っていた提督の姿が消え去り、代わりに北上さんが現れた。相変わらず冷え切った視線を向けながら、私を見つめている。その姿を見た瞬間、あれだけ沸き上がっていた熱が急激に引いていった。

 

 

「す、すみません……」

 

 

 冷えた頭で考えて、先ず北上さんに謝った。しかし、彼女は特に反応することなく、ただ黙って私を見つめ続けた。その場に流れる沈黙。だけど、何故だろう。私はこの空気を、この沈黙を知っているような、そんな違和感があった。

 

 

 

「じゃあもし私がそう企んでいたら、どうするの?」

 

 

 次に聞こえた北上さんの言葉。それは質問だ。しかし、私にはその意味が理解できず、呆けた顔を彼女に向けることしか出来なかった。それを見て、ほんの少しだけ北上さんの表情が歪む。

 

 

「言ったじゃん、『艦娘を失くす』のがあたしの目的だって。もしそれが本当だったらどうするの?」

 

「え、いや……そ、それは北上さんに言ったんじゃなくて――――」

 

「誰でもいいよ、そんなこと。あたしが聞いているのは、もし誰かがそう企んでいたらどうするか、ってこと。答えて」

 

 

 私の弁明を掻き消す様に北上さんが再び質問を投げかける。気のせいか、その語気が少しだけ荒くなっているような気がした。そしてまた、私はこの状況にもあの違和感を感じた。その違和感を確かめるため、私はふと北上さんの顔を見る。

 

 

 

 その瞬間、凄まじいほどの寒気が全身を走った。

 

 

 突然のことに顔を下げる。しかし寒気は止まらず、むしろ酷くなっていく。寒気に続いて、全身から血の気が瞬く間に引き、冷凍庫に小一時間放置されたのかと思うほど低い体温にまで一瞬にして下がった。激しい目眩と共に呼吸が不規則に、酷くなり、尋常ではない震えに呼応するように心臓の鼓動が早鐘を打った。

 

 

 それは、『提督』の名を聞いた時と同じ現象だ。しかし、その度合いはケタ違いだ。先ほどの取り繕う笑みも、頭を上げることも出来ない。ただ、その場に立っているだけで精一杯なのだ。それが、ただ北上さんの顔を見ただけでそうなってしまった。

 

 

 

 いや、本当に北上さんなのか?

 

 

 

「何で何も言わないの(・・・・・・・)?」

 

 

 再び聞こえた北上さんの声。その声に、弾かれた様に顔を上げる。微かに、本当に微かにだが、彼女の他に別の声が重なって聞こえた気がしたから。故に顔を上げ、北上さんを見た。

 

 

 そして、それは間違いではないことを思い知らされた。

 

 

「そう企んでいるのが分かっているでしょ? だったら未然に防ぐとか、防げなかったら現場に立って少しでも被害を抑えようと、そう言えば(・・・)いいじゃん。何が起こるか事前に分かっているなら、どう動けばいいか、どう周りを動かせばいいか、少なくとも艦娘の中で一番分かっている筈でしょ。なのに、何で何も言わないの? 何で何もしないの? 現場に来ない、離れた場所に居る。離れた場所で馬鹿みたいに罵っているだけ。何で他人任せなの? 何で自分が動こうとしないの? そんなの、自分から蚊帳の外に逃げ込んで、安全圏から野次を飛ばしているだけじゃん」

 

 

 容赦なく投げつけられる言葉。それは言葉(ゴミ)なんかじゃない、罵声()だ。

 

 私目掛けて、容赦なくそれをぶつけられているのだ。顔に当たろうが、お腹に当たろうが、心臓の真上に当たろうが、そのせいで私が倒れてたところで止むような、そんな生半可なモノではない。

 

 だけど、それではない。別の声が重なって聞こえた理由は、これではないのだ。ではその理由は何か、それは北上さんの顔に重なる別の顔だ。

 

 

「あの日、提督にどんなことをされたのか凡そは理解してる。そのせいで男が怖くなったのも、その裏返しに攻撃的になったのも全部、全部知ってる。あんたが何に怯えている(・・・・・・・)のかも、それに対してどうしたいのかも、全部。でもね――――」

 

 

 

 そう罵声をぶつけてくる北上さんの顔に、曙ちゃんの顔が重なって見えたからだ。

 

 

「それはこじつけ。全く別の理由をあたかもその理由である様に仕立て上げている、ただそれだけ。それ以下でもそれ以上でもない、全く意味の無いモノ。それは在りもしない理由を無理やりひねり出し、それを馬鹿みたいに掲げて相手を糾弾しているのと同じだ。それはあの時―――――()に砲撃された時と同じだ」

 

 

 『私に砲撃された時と同じ』―――――これは幻聴だ。目の前に彼女は居ない。聞こえるのは北上さんの声だけだ。

 

 『曙ちゃんの顔』――――これは幻覚だ。目の前に彼女は居ない、居るのは北上さんだけ。それ以外に人は居ない、居ない筈だ。

 

 

 なのに、目を開けば彼女の顔が見える。耳を澄ませば彼女の声が聞こえる。それは段々ハッキリと、段々大きくなっていく。

 

 まるで北上さんを飲み込み、彼女のみ(・・・・)になろうとしているような、そんな気がした。いや、そうなると確信(・・)した。

 

 

「本当は()から逃げているだけでしょ? ()を守るために空回りして、それを目の前で全否定されて、挙句の果てには砲撃されて、あんたのやってきた事全てを否定した()が怖いんでしょ? また否定されるんじゃないかって、また砲撃されるんじゃないかって、それが嫌なだけでしょ? だから標的を提督に変えて、()に会いたくない理由をでっちあげて、それをデカデカと掲げて大股で歩いていきたいだけでしょ? 誰も非難されない大弾幕が欲しいだけでしょ? それに()を使いたいだけでしょ?」

 

 

 やめて……そんなことない、そんなわけない、そんなはずない。私がそんな事、曙ちゃんを利用しようなんてこと考えるはずがない。絶対に、絶対にない。

 

 

「私は……私はただ貴女(・・)を守りたいだけで……」

 

「なら、どうやって()を守るの? そんなに離れていて、あんただけ安全圏に居て守れるの? そうやって顔も向けず、声もかけず、背を向けて耳や目を塞いでいるだけで守れるの? 全く別の場所に向けて野次を飛ばすだけで守れるの? それで、『本当』に()を守れると思っているの?」

 

 

 その言葉に、私は今自分が曙ちゃんに背を向け、耳や目を固く塞いでいることに気付いた。だけど、身体が動かない。どれだけ力を入れても、神経が焼き切れるかと思うほど命令しても、頑なに動かない。

 

 このままだと、曙ちゃんの言葉を肯定することになってしまう。そんなので曙ちゃんを守れるなんて微塵も思ってないのにそれを肯定することになってしまう。

 

 

 確かに私は臆病だ。いつも誰かの、曙ちゃんの背に隠れて、その後ろで他人の顔色を窺ったりしている臆病者だ。一人になったらただその場に塞ぎ込んで助けを待つことしか出来ない、弱い存在だ。

 

 確かに私は卑怯だ。いつも曙ちゃんの背後に、いや隣でも前でもいい。その近くに居さえすれば、周りはどうでもいいと思う卑怯者だ。そこを守るためなら他人を蹴落とすことも厭わない、もしかしたらそのために彼女自身を利用したかもしれない、姑息な小心者だ。

 

 

 でも、一度であって『彼女を利用しよう』と考えて動いたことはない。いつもあったのは『彼女を守りたい』、『彼女の傍に居る』、この二つだ。これしか、本当にこれしかないのだ。

 

 

「そんなことぉ……す、するわけ、ないよぉ……」

 

 

 その言葉を否定するも、私の口から零れた声は非常に弱弱しい泣き声であった。しかもその声が、曙ちゃんの言葉を肯定しているようにも聞こえてしまう。違うのに、そんな気も無いのに。

 

 

「なら、あんたは何処まで()を守ってくれるの? 何かあっても知らないふりなの? 気に留めてくれるの? 様子を見に来てくれるの? 恐る恐る近づいてくれるの? 真っ先に近付いてくれるの? 手を取って引いてくれるの? 引っ張ってくれるの? 一緒に逃げてくれるの?」

 

 

 今まで刺々しかった曙ちゃんの口調が少しだけ和らぐ。それは先ほどの刺々しい言葉ではない、何処か自身無さげ、手を差し伸べているような、そんな印象を与えてきた。

 

 それに、私は思わず手を伸ばした。知らないふりなんてしない。真っ先に近付いて、今伸ばしている手で貴女の手を取って、一緒に逃げる。絶対にそうする。だってそれが貴女を守ることだから。貴女の傍に居ることだから。

 

 

「敵の攻撃から守ってくれるの? 庇ってくれるの? 代わりに傷付いてくれるの? ()の代わりに――――」

 

 

 そこで言葉を切った曙ちゃんは、柔らかい笑顔を向けていた。それを見て、今まで無意識の内に伸びていた手が止まる。それを気にすることなく、曙ちゃんはこう言い切った。

 

 

 

 

 

 

「沈んでくれるの?」

 

 

 

 その瞬間、私の顔が、身体が、医務室全体が突然の突風に襲われた。前髪が巻き上げられる感覚がある、視界には突風にさらわれた無数の紙が蛇のように曲がりくねって舞い踊り、そして風に揺られながらゆっくりと落ちていく。

 

 目の前の曙ちゃんは、微動だにしない。同じく、私も微動だにしない。私は曙ちゃんを、彼女は私を黙って見つめている。いや、彼女は時折視線を別の場所にやっている。

 

 

 

 それは私と彼女の間に現れた、黒光りする砲門だ。しかも、それは私の腕(・・・)から現れ、その先を曙ちゃんに向けているのだ。

 

 

「……()? 何でそんなものを向け――――」

 

「曙ちゃんの真似は止めて下さい」

 

 

 狼狽えた様にそう言葉を零す曙ちゃんに――――――いや、彼女の口調を真似している北上さんに冷たく言い放つ。すると、先ほどの提督同様曙ちゃんの姿が消え去り、彼女が立っていた場所に何処か疲れた表情の彼女が現れた。

 

 

「何であたし(・・・)はそんなもんを向けられているのかねぇ?」

 

 

 私の言葉に、いつもの口調でそう問いかけながら肩を竦める北上さん。その姿を見て、私は自分が落ち着いていることに少し驚いていた。

 

 何せ、今の今まで胸中を渦巻いていた感情が、自分の言ってること、やってること、言われたこと、罵倒されたことの全てでグチャグチャになっていたからだ。でも一言、曙ちゃんの真似をした北上さんの一言が、それら全てを消し去る程の『新たな感情』を呼び起こした。

 

 

 

 

「曙ちゃんは、そんなこと言いません」

 

 

 少しの沈黙の後、何か言おうとしたらしき北上さんを遮って、力強くそう言い切った。その言葉に、彼女は少しだけ目を見開き、私をじっと見つめてくる。そこに感情が見えず他の人ならすぐに目を逸らしただろう。が、私は逸らすことなくじっと見つめ返した。

 

 

 ここで目を逸らしたら今しがた自分が言い放った言葉を否定してしまう、そう思ったから。

 

 

「何でそう言い切れるの? 曙から直接聞いたわけでもないのに、誰かがそう言ってたわけでもないのに。ただあんたがそう言ってるだけ、根拠もない。なのに、何でそう勝手に決めつけられるの?」

 

 

 その声色は、先ほどの罵声をぶつける時と同じだ。でも、私は臆さなかった。臆す理由が無かった、臆さない理由があった。そう決めつけられる(・・・・・・・)理由があった。

 

 

 

「曙ちゃんは素直じゃなくて、強情で、意地っ張りで、プライドが高くて、言葉の節々に棘があって、それを直そうともせず、逆に煽ることもある、言葉で人を傷付けることもある、手を出すこともある。でも……」

 

 

 そこで言葉を切り、一歩踏み出す。それと同時に砲門を下げ、北上さんに詰め寄った。目の前に近付いたのに少しも微動だにしない彼女の目を真っ直ぐ見つめ、睨み付ける様に、噛み付くようにこう言った。

 

 

 

 

 

「『私のために犠牲になって』なんて言葉、絶対に言いません」

 

 

 今までの中で一番力強く、そして間違っているなど微塵も思ってない私の言葉に、北上さんの表情が少しだけ動いた。それは強張ったわけでもなく、しわが刻まれた訳でもなく、悲しそうに目尻が下がるモノだった。

 

 

「彼女は前世でたくさんの嘘や裏切り、理不尽に見舞われました。人一番それを経験して、誰よりもその辛さを知っている。だから誰かがそれを味わう姿を見たくないんです、誰かが自分と同じ目に遭うことが許せないんです。だからどんな状況でも、どんな立場でも、自分が被害者(・・・)だろうが加害者(・・・)だろうが、自分が正しいと思ったことを最後まで貫き通すんです。そのためなら自分を犠牲にするも厭わない、本当に優しい子なんです。誰かが犠牲になるなら先ず自分が手を挙げる、理不尽を押し付けられても無理やり納得させてしまう、そんな堅固な意志と優しい心を持った、本当に凄い子なんです。そんな彼女が、誰かを犠牲にしてまで自分が幸せになろう、なんて絶対に言いません」

 

 

 言葉を吐きだすごとに下を向いていく私に、北上さんはただ悲しそうな表情を向けてきた。何故、そんな表情を向けてくるか疑問だったが、今の私に気を遣う余裕なんて無い。

 

 

「前から見てきたんです。誰よりも長く、誰よりも一番近くで見てきたんです。だから分かるんです、多分本人以上に分かるんです。ずっと見てましたもん、ずっとそばに居ましたもん。ずっとあの子の後ろ姿を、その背中から見てましたもん。だから――――」

 

 

 そう言って、私は再び顔を上げた。少しだけ霞んだ視界のまま、北上さんを見つめた。その時、北上さんがどんな顔をしていたか、分からない。

 

 

「さっきの言葉、どうか訂正してください。お願いします」

 

 

 そう言って、頭を下げた。私が頭を下げることに、何の意味があるのか分からない。だけど、今の私にはそれぐらいしか出来ない。だから、頭を下げた。無意味だろうと、ただの出しゃばりだろうと、頭を下げた。

 

 

 それが、曙ちゃんを守ることだったから。

 

 

 

 

 

「ちゃんと見えてんじゃん(・・・・・・・)

 

 

 そんな私の耳に、ポツリとそう聞こえた。それに思わず頭を上げると、何処か申し訳なさそうな顔をした北上さんが。先ほどの感情の見えない視線を向けてきた人とは思えないほど、いつもの彼女に戻っていた。

 

 

「実はね、さっき言ってた曙の訓練の件? アレ、嘘なんだよねぇ」

 

「はぁ!?」

 

 

 突然の爆弾発言に、思わず声を上げてしまった。それに、北上さんはちゃっかり耳栓をしつつとぼけた顔を向けてくる。

 

 

「提督が話を持ってきた、ってだけだよ? 本人が言ってきたならいざ知らず、他人が提案したモノなら当事者も合意の上じゃないとねぇ? まさかぁ、提督が持ってきただけであたしが許可出すわけないじゃんよぉ」

 

「え、え?」

 

 

 先ほどの張りつめた空気からの落差が激しく、いまいち状況が掴めてない私の背中をケラケラ笑いながらバシバシ叩いてくる北上さん。その、さっきと変わり過ぎじゃありませんか、そう言おうとした瞬間、彼女の顔が真剣な面持ちに変わるのを見た。

 

 

「まぁ、茶番は置いといて本題(・・)に移るよ。提督が話を持ってきたのは本当で、内容も曙がどうやったら砲門を出せるようになるか、だ。あたしはそれに一枚噛んでくれって話を持ち掛けられたのよ」

 

 

 テンションがコロコロと変わる北上さんについていけず、かと言ってここで口を挟むのもアレだ、と私は追いついていない頭で考えた末、ただ黙ってその話に耳を傾けることにした。

 

 

「あんたが……まぁリハビリするようになってから、一度曙が提督に解体を希望したらしいんだけど、その理由は砲門が出せなくなったから。つまり、あの子が砲門を出せなくなったのはあんたがリハビリに入ってすぐらしいのよ。と、言うことは? あの子の砲門はあんたの存在が少なからず影響しているかもしれない、ってことになる。んで、あんたたちはあの日以降顔を会わせてないんだろ? そこで、もしかしたら顔を会わせれば砲門が出るようになるかもしれない、ってことになったわけ。だから、曙のために協力してほしいのよ」

 

 

 そう言って北上さんが差し出してきたのが、私のスケッチブックだ。その時、私は心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。まさか北上さんはあの絵のことを知ったのかもしれない、と。

 

 

「リハビリにいいかも、って軽い気持ちで渡したけど、あんたすっごい上手いじゃん。花ばっかりだけど、素人目のあたしから見ても凄いと思うよ。だから、今度からは花じゃなくて人物画にしてほしいの。ほら、人物画なら花より複雑で一つ上のリハビリとして良いのかもしれない、って思われやすいでしょ? そして、何より被写体と長時間一緒に居られる、此処大事。要するに……」

 

「曙ちゃんを被写体にして、長時間一緒に居て欲しいってことですか?」

 

 

 自らの真意を悟られていないと安心しつつ、今までの話の流れを察して導き出した答えを口にすると、北上さんがにんまりと笑いかけてきた。

 

 

「曙の場合は、多分あんたを傷付けた自責からくる精神的な問題だろう。だからこういうのでよく言われる何気ない会話や触れ合いって、負担が少なくて一番効果が良いのよ。そこに、元々親しかった人と話が出来ればもっと効果的でしょ? だから、あんたには曙の治療に協力してほしいの。いや……」

 

 

 そこで言葉を切った北上さんは、真っ直ぐ視線を向けてくる。

 

 

 

あんたにしか(・・・・・・)、出来ない事なの」

 

 

 そう言われた。その瞬間、胸の奥がキュッと締め付けられた。それは苦しさよりも、むしろ暖かさがあった。それを知ってか知らずか、北上さんはまた表情を崩して軽い調子に戻った。

 

 

「あんただって、久しぶりに話したいでしょ? それであの子の治療になるんだから、こっちとしてもお願いしたいわけよ。仮に曙があんたを受け入れなくても、周りにとってその事実は重要だよ。周りからすれば仲良くしてもらうのに越したことは無いからね、外堀から埋めていくのもありだ。まぁ、少なくとも納得はするさ」

 

 最後の方になるにつれて明るかった北上さんの口調が消えていった。何事かと彼女の顔を見ると、そこに在ったのは薄暗く、何処へ向けられているのか分からない目をした北上さんだ。しかし、その顔はいつもの表情に変わっていた。

 

 

「と、言うわけで、この話乗ってくれない? まぁ、提督が提案してきた話だから、色々と言いたいことは在ると思うけど、あたしからもお願いするからさ。これが上手くいけばあたしも患者が減って楽になるし、曙も戦線に復帰できるし、あんたもあの子と仲直りするチャンスだ。これほどお得な話は無いと思うんだけど……どう?」

 

 

 少し困った表情で、私に手を合わせてお願いしてくる北上さん。その姿を、その言葉を受けて、私が出す答えは分かり切っている。勿論、一つだけだ。

 

 

「こちらこそ、ぜひ協力させてください」

 

 

 そう言って、力強く頭を下げた。願っても無い申し出だ。これを手放す気も、理由もない。そして何より、今一番必要な形で、曙ちゃんを守り、そして助けることが出来る。乗るしかない。その答えに、北上さんはまた笑顔を向けてきた。

 

 

「うん、ありがとう。じゃあ、あんたの設定を教えるよ。先ず、あんたは提督に解体申請を出しそれを受理された。残された解体されるその日まで、仲間の顔をスケッチブックに残すために人物画を書き始めた。んで、解体される日が近くになって、人物画の最後の一人ってことであんた自身が曙を呼んだ、ってことになる予定」

 

「わ、私が呼び出したってことにするんですか?」

 

「大丈夫、そう伝えるのはあんたの心の準備が出来てからだ。それまではなるべく近づけないようにするけど、万が一、やってきたらそこは上手く切り返してね。勿論、予定通りでも設定は崩さないように」

 

 

 やるとは言ったが、結構緻密な作戦であることを教えられて少しだけ自信がなくなりかける。しかし、ポンと肩に手を置かれ、顔を上げると先ほどの笑顔を、子供を見るような柔らかい笑顔を向けていた。

 

 

 

「あんたはちゃんと見えてる。だから、大丈夫さ」

 

 

 そう言って、北上さんは私から目を離し、何処か遠くを見つめるような顔をした。それは先ほどの何処を見ているのか分からない目ではなく、誰かを見つめるような、悲し気な目であった。


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