新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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込められた『想い』

「今日、執務しなくていいわよ」

 

「はい?」

 

 

 唐突に言い渡された言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げた。俺の前に居るのは本日の秘書艦である加賀、そして彼女に控える非番の隼鷹だ。この組み合わせは珍しい……と言うか先日のことを考えれば大分気まずい組み合わせに見えるだろうが、こうなったのには理由がある。

 

 

 それはあの日の午後、二人揃って執務室にやってきた時だ。

 

 

『すみませんでした』

 

 

 執務室に現れた隼鷹は真っ先にそう言って頭を下げてきた。気にしてない、と言ったが、彼女はその後も何かと理由を付けて頭を下げてくる。その表情は硬く、申し訳ないと言う思いが嫌でも感じられた。そこまで気に病まなくてもいいんだけど、これが彼女の素なのだろう。

 

 一緒に謝りに来た加賀も複雑そうだった。こうなってしまった原因が自分にあると分かっているからか、そんな顔にもなる。そんな割と気まずい空気を払拭しようと、俺はお願いした。

 

 

『なら、これから()加賀の傍に居てくれ』

 

 

 そう言うと、隼鷹も加賀も驚いた顔を向けてくるので、俺はニッコリと微笑みかける。すると二人は俺を、そして互いを見合う。しばらくの沈黙の後、加賀は恥ずかしそうに、隼鷹は嬉しそうにこう言ってきた。

 

 

『ありがとうございます』

 

 

 その時、隼鷹が浮かべていた笑顔は多分本物(・・)なんだろうな。加賀も恥ずかしそうではあったが、その表情に不快感は無かったから少なくとも嫌ではないだろう。

 

 

 とまぁ、そんなこんなで隼鷹は加賀と一緒に居ることが多くなり、同時に話す姿も見られるようになった。その様子はまだぎこちないが、両者ともよく笑顔を溢すから関係自体は上手く行っているようで一安心。その分、隼鷹があまり顔を合わせてくれなくなったが……まぁ二人が良好な関係を築けているならそれでいい。

 

 だから、後ろに隼鷹が居るのは分かる。だけど、加賀の発言が分からない。そしてこの状況―――――今日の執務がまとめられたファイルを渡しに来たであろう加賀が何故か渡さず、その言葉をぶつけてきたこの状況が。

 

 

「どういうこと?」

 

「言葉通りです。今日は執務をしなくていいの、要は『非番』よ」

 

 

 加賀の言葉に、俺は首を傾げた。今日は元々執務をする予定だった……と言うか、提督()に非番なんて無いだろうよ。戦闘をするわけでもないし、艦隊を指揮するわけでもない。ただ書類を捌いて、艦娘たちのコンディションを管理するだけだ。負担が無いとは言えないけど、艦娘に比べたら微々たるモノだぞ。

 

 

「だからと言って、ずっと働きっぱなしは良くないでしょう。働いた分はちゃんと休まないと駄目。幸い、急ぎのモノは昨日の内に済ませたし、資材だって大本営からの支援と遠征組のお蔭で十分と言えるわ。今日くらい、休んだって支障無いわよ」

 

 

 うん、まぁ、そうかもしれないんだけど。多少は資材に余裕も出てきたし、急ぎの書類も昨日粗方捌いたから心配ないとは思うんだ。でも、だからと言って安心は出来ないし、何より俺自身がもっと早く執務を捌けるようにならないといけないんだよ。

 

 

「体調管理も提督の立派な仕事よ。それに貴方が倒れて真っ先に迷惑を被るのは私たちなんだから、それも含めて休んでって言ってるの」

 

「……そうか?」

 

「そうよ。それに、周りに『休め休め』と煩く言うなら、先ず自分が休まないと説得力ないわよ?」

 

 

 何処か聞いた……と言うか、言った覚えのある屁理屈をぶつけられ、思わず顔をひきつらせてしまう。まさか自分がそれを言われる立場になるとは、もうちょっと自戒しよう。

 

 

「ともかく、今日は一日お休みなさい。部屋でゆっくり休むも良し、他の子達と触れ合うも良し、静かなところでボケっとするのも良し。ゆっくり羽を伸ばしてきなさい」

 

 

 加賀はそう言い、ファイルを開き目を通し始めた。その姿を見て、俺は一日非番を貰った自分の姿を思い浮かべいた。

 

 

 

 部屋でゆっくりする――――ベットでゴロゴロしてる自分、その横でギラついた目を向けてくる榛名。

 

 

 他の艦娘と触れ合う――――いろんな子と話そうとする自分、その横でべったり抱き付いてくる榛名と俺たちを白い目で見る艦娘たち。

 

 

 静かなところでボケっとする―――木陰のベンチに腰を下ろす自分、その横で膝枕をしてくださいと鼻息を荒くしながらせがんでくる榛名。

 

 

 

「どうしよう……どのパターンでも某戦艦娘が居るんだが」

 

「その某戦艦娘なら、今日出撃で夜まで鎮守府に居ないわよ」

 

 

 全てのパターンに出現する某戦艦娘に戦慄する俺に、加賀がそう言いながらファイルを見せてきた。そこには、榛名の今日のスケジュールが記載されており、朝は哨戒から昼は遠方海域の偵察と、今日は殆ど一日鎮守府に居ないとあった。それを見てホッと胸を撫で下ろした俺は悪くない。

 

 

「『今日』と言う日に非番を思いついた隼鷹に感謝しなさい」

 

「ちょ、加賀さ」

 

 

 加賀の言葉に後ろの隼鷹が声を上げるも、俺が顔を向けたことで気まずそうな顔になる。相変わらず目を合わせてくれない。

 

 

「そ、その……提督が休みだと確実に榛名さんがベッタリくっつくだろうなって……避けた方が良いかな、って思いまして……余計でした?」

 

「いやいやいや、そんなことないそんなことない!!」

 

 

 申し訳なさそうな隼鷹に少し大げさに手を振り、お礼を言う。榛名には悪いけど、本音を言えば凄いありがたい。アイツも俺のことを考えてああいうことをしてる筈……だよね? 俺のことを思ってだよね? 決して邪な考えとかないよね? いや前に垣間見えたけども。

 

 そんな俺の言葉に隼鷹は一瞬呆けた顔になるも、そう言って顔を背けた。背けた先で胸を撫で下ろしていたけど、自分がやったことが不安だったのかな。まぁ、やっちゃった後に自身無さげな顔をされてもねぇ……筋は通ってるし、俺も助かるし、もうちょい自信持っても良いんだけどなぁ。一応言っておくか。

 

 

「別に間違ってないんだから、もうちょい自信持って良いんだぞ?」

 

「貴方も人のこと言えないでしょ」

 

 

 そう言ったら加賀からジト目と鋭い突っ込みをもらう。いや、そんなことは…………すみません、すっごいブーメランでした。で、でも『ブーメランだって分かるからこそ言える』ってのもある筈……え、説得力? 皆無です、すみません。

 

 

「そういうわけで今日は一日休み、それでいいわね?」

 

「あ、はい」

 

 

 その剣幕と低い声で言われたらもうそう言うしかないよね。あれ、俺提督だよね? 上司だよね? 何で部下の言うこと聞いてるんだろ……今更か。うん、今更だ。もう『今更』で納得する自分が居る。悲しくはないけどすごく空しい。

 

 

「じゃあ、そろそろ行くわ。ゆっくり休んでね」

 

「あぁ、分かった。隼鷹も、気ぃ遣ってくれてありがとうな」

 

「え、あ、は、はい!!」

 

 

 俺の言葉に隼鷹が素っ頓狂な声を出し、加賀と共に出て行く。自分に声をかけられるとは思わなかったのだろうか、でもその後加賀と共に出て行く彼女の顔に笑顔が浮かんでいた。これも『素』なのかね、良いことだ。

 

 

 さて、隼鷹たちの好意でいきなり暇になったわけだが、ぶっちゃけ何をしたらいいのか分からん。休むと言っても大淀との『一休み』ぐらいだし、それも執務室内で完結していたからあまり外に出たことも無かったな……あぁ、この気持ち、多分艦娘(みんな)味わったんだな。自戒しないと。

 

 まぁ、せっかくの休みだ。加賀の言葉通り、鎮守府をブラブラさせてもらおう。艦娘と直に触れ合えるいい機会だ。と、言った感じで状況を前向きに捉えつつ、様々な場所に足を延ばすべく自室を出た。

 

 

 自室を出て廊下を歩いていると、窓の向こうで演習組が訓練に励む姿が見える。前に俺が顔を出した演習は海上での操舵訓練、模擬戦などの実戦を想定したモノだったが、その訓練、及び実戦に耐えうるだけの肉体づくりも立派な演習だ。うちの演習内容は、午前はトレーニングを中心とした身体づくり、午後は実践を想定した海上訓練となっている。肉体は常に鍛え続けないと衰えてくるモノだから、俺も暇を見つけてやるのもいいな。最近、肉が付き出したし。

 

 そんな、提督諸君が一度は危惧するであろう悩みを漏らしつつ、更に歩を進める。その道中で艦娘に会わなかった。非番組は俺と同じように外をブラブラしているのか、それとも部屋でゴロゴロしているのか、ちょっと知りたくなったけど突然俺が部屋に押し掛けるなんかしたら大問題になるからやらないでおこう。

 

 

 とまぁ、本当に当ても無くブラブラ歩いていると、窓の向こうに一人の艦娘を見つけた。彼女は日陰にあるベンチに腰を下ろし、本らしきものを読んでいる。確か、彼女を含めた艦隊は非番だったな。その筈なんだが、恰好は出撃の時も変わらないのね。いや、まぁ、試食会の準備の時も同じ格好だったけどさ。

 

 そんなことを考えながら、彼女のいるベンチを目的地として、彼女が腰を下ろしているベンチに向かう。外に出てベンチに近付くと、その艦娘の身体がピクリと動き、本から近づいてくる俺に視線を向けた。その瞬間、彼女は驚いた顔を向けるも、俺は構わず声をかけた。

 

 

 

「食堂以外で会うのは初めてかな、ハチ」

 

「お、お久しぶりです……提督」

 

 

 俺の言葉に目をパチクリしながらそう答えたのは、潜水艦隊の一員である伊8ことハチだ。あの日以降、ハチを見るのはほぼ食堂だったから食堂以外で、こうやって外で出会うのは初めてだ。あの日以来会話も出来なかったしな。

 

 

「横、良いか?」

 

 

 俺が横に座っていいかと聞くと、ハチはまだ驚いた顔のまま頷き座れるスペースを作ってくれた。俺が座るスペース以上に距離がある気もするが、そこは気にしない気にしない。断りを入れつつ腰を下ろし、一息ついた。その間、ハチは顔を前に向けながらもチラチラと盗みしてくる。

 

 

「いつも此処にいるのか?」

 

「あ、いや、今日はたまたまいい天気だったので……いつもは部屋に居ます」

 

「そうか、今日はいい天気だからなぁ」

 

 

 なるべく柔らかく接するも、たどだどしいハチ。緊張している、と言うよりも怖がっているな。そりゃそうか、今まで恐怖の存在だった提督がすぐ横に居るんだから。このまま話していいのかな?

 

 

「提督は……何故こんなところに?」

 

 

 そう思っていたら、未だにたどたどしいハチからそう質問される。それに、あまり緊張させないよう視線を外しながら同時に大きく伸びをする。

 

 

「加賀に今日は休めって言われたんだよ。それも昨日じゃなくて今日、ついさっき部屋の前で。もう、ポカンだよ。その後色々と言ったんだけど、最後は淡々とした口調の低い声にあの剣幕で言い含められたってわけ。あれ出されちゃ勝てねぇわ」

 

「あぁ、なるほど……」

 

 

 俺の言葉に、何処か納得した様に苦笑いを浮かべるハチ。視線を外したからか、その表情は先ほどよりも柔らかい。まぁ、まだ引きつってはいるんだけど。

 

 

「んで、ハチはいつも(それ)を読んでるのか?」

 

「え、えぇ……まぁ、読んではいますね」

 

 

 俺の質問に何処か含んだ言い方のハチ。少しだけ視線を向けると、それだけで彼女は俺から視線を外してしまう。そのことにちょっとだけ心が痛むも、それは彼女が手にしている本を見たら消え去った。

 

 

「手書き……自作の本か?」

 

 

 ハチが持つ本――――と言うか、鉛筆で書かれたらしき丸文字がビッシリの紙をひと纏めにして、外を厚紙で覆い紐で綴じられただけのモノだが、その厚さはかなりある。全部手書きだとすると、その文字数は相当のモノだ。それに、殆どのページの端は折れたり鉛筆の汚れが付いていたり。相当読み込んでいることが窺える。

 

 

「自作……と言えば自作ですね。中身は違いますけど」

 

 

 俺の言葉に、ハチは何処か恥ずかしそうに答える。またもや含んだ言い方だったが、それよりも俺は彼女が持つ本の中身に既視感を覚えた。

 

 

「コレ、あの小説だよな?」

 

「知ってるんですか!!」

 

 

 ポツリと零れた俺の言葉に、今までのたどたどしさが嘘のようにハチが叫び顔を近づけてきた。その勢いに思わずたじろぐと、ハチも我に返って恥ずかしそうな顔でスルスルと離れた。ほんの少し、沈黙が支配する。

 

 

 

「あの小説、好きなのか?」

 

「……はい、とっても」

 

 

 沈黙を破った俺の言葉に、ハチは小さな声で同調する。その際、本を持つ彼女の手に力が籠ったのを見逃さなかった。

 

 

「初めて買ってもらった本で、私が本の虫になったきっかけなんです。何回読み返したか分からない、読み返す度に幸せな気持ちにしてくれる、思い出がいっぱい詰まった話です。此処に来た時も持ってきたんですが一番最初の提督に没収されて、そのまま処分されちゃったみたいで……」

 

 

 そう語るハチの表情は暗い。初めて会った時のように、悲壮感に満ち溢れている。そして、彼女はそこから俺に笑顔を向けた。相変わらず、その笑顔は影が掛かっていた。

 

 

「提督のおかげで自由に過ごす時間と余裕が増えたんで、あの話と気持ちを思い出そうと書き始めたんです。最後に読んだのが大分前なんで、結構あやふやなところが多いのがアレですけど」

 

 

 そこで言葉を切ったハチは、手に持つ本を愛おしそうに撫でる。その表情は未だに悲しそうだった。だから、思わずこう言ってしまった。

 

 

 

 

「その本、探そうか?」

 

 

 そう言った。その言葉に、ハチは勢いよく顔を上げ、驚いた表情を向けてくる。真っ直ぐ向けられる視線に、思わず目を逸らしながら俺は言葉を続けた。

 

 

「多分、大本営からの支援に組み込めば、手に入れるのは難しくないはず。もしくは街に出かけて本を探せば……」

 

「有難いですけど、遠慮しておきます」

 

 

 俺の言葉に、ハチは苦笑いを浮かべてそう言った。そして、そのまま俺から視線を外し、空を見上げながら再び口を開いた。

 

 

「提督を信じていないわけじゃないんですけど、大本営はまだちょっと信じ切れなくて。それに、提督のお休みを潰してしまうのも悪いですし、私だけ外出するのも皆に不公平です。かと言って、全員が外出しだすと提督や大淀さん、その日の秘書艦が更に忙しくなります。私の我が儘一つで、それだけの迷惑をかけてしまうのは忍びないです。それに……」

 

 

 そこで言葉を切ったハチは手にしていた本を持ち上げ、表紙を見せてくる。そこには、中身にあった丸文字でその小説のタイトルと『絶対に思い出す!』と言う一文が書いてあった。

 

 

 

「『大好き』だからこそ、なるべく自分の力で思い出したいんです」

 

 

 そう言ってはにかむハチ。そこに今まであった悲壮感は無く、力強い決意が見てとれる。多分初めて、彼女の本当の笑顔を見た。

 

 

 

「って、言った手前なんですけど……覚えている内容があれば教えてもらえますか?」

 

「あぁ、お安い御用だ」

 

 

 申し訳なさそうなハチに、俺も笑いかける。今日初めて互いに笑みを浮かべ、向かい合うことが出来た。多分、気が抜けたのだろう、その時ハチの手からスルリと何かが滑り落ちたのだ。

 

 

「あっ」

 

 

 ハチが小さく声を溢しそれに手を伸ばすも、彼女の手をすり抜けて俺の足元に落ちる。俺は足元のそれに手を伸ばし、一瞬固まった。

 

 それは小さな押し花があしらわれたしおりだ。ハチが書いている本に挟まっていた、所々鉛筆の汚れが付いており、大分使い込まれているのが分かる。そんな普通のしおりに俺が目を奪われてしまったのは、そのしおりにあしらわれた押し花だ。

 

 

 そこにあったのは、花弁が少ない四本のバラだ。それも、赤、ピンク、青、黄色の四色。近すぎず、遠すぎない。しおり全体にバランスよく配置されたバラたち。

 

 

 

 そして、それらが一体()を表しているのか、分かってしまったから固まったのだ。

 

 

 

「すみません」

 

 

 固まっている俺の視界から、ハチの手が伸びてきてしおりを持ち去る。それに思わず顔を上げると、今日見た中で一番と言って良いほど悲しそうな顔をしたハチが映った。その目が一瞬光ったのは、多分見間違いじゃない。

 

 

 

 

 

「提督は、バラの花言葉を知っていますか?」

 

「え、っと……確か、『あなたを愛しています』だったっけ?」

 

 

 唐突に、ハチが問いかけてきた。その問いに、俺はすぐさま頭を働かせ、答えを出した。確か、バラの花束を贈るのが一種の求愛と言うかプロポーズになるって聞いたことがある。その答えに、ハチは頷きつつも何故か苦笑いを浮かべた。

 

 

「ええ、そうです。でも、それは『赤』色の花言葉です。バラって色によって花言葉が違うんですよ、知っていました?」

 

「いや……知らなかった」

 

 

 再び投げかけられた問いに、俺は首を横に振った。それにハチは先ほど手に取ったしおりを取り出し、そこにあしらわれた押し花の一つ、『赤いバラ』を指差した。

 

 

「先ずは赤。正確にこの色は『濃紅』と言って、花言葉は『内気、恥ずかしさ』です。次にピンク、花言葉は『感謝、幸福』、青は『夢が叶う、奇跡』、最後に黄色は……『友情、平和』です」

 

 

 一つ一つを指差しながら、ハチは説明してくれた。その説明、そして説明している際の彼女の顔を、俺は黙って見つめる。彼女が持つしおり、そしてそこにあしらわれ4本のバラ、その花言葉、それら全てをひっくるめたモノの先に、彼女が込めた想いがしかと見えたから。

 

 

 

それ(・・)、俺に出来ることがあるか?」

 

 

 しおりの説明を終え、そのまま黙ってしまったハチにそう声をかける。俺の言葉にハチは顔を上げなかった。ただしおりを握り締め、血が出るのではないかと思うほど唇を噛み締めるだけ。その姿を前に、俺は黙って彼女の返答を待った。

 

 

 そう問いかけ、黙って待つことが、今の彼女たち(・・・・)にとって『必要なこと』だと思ったから。

 

 

 

 だが、()その言葉を聞くことは出来なかった。

 

 

 ハチが顔を上げた瞬間、後ろでガシャンと何かが落ちる音がしたからだ。

 

 

 反射的に俺たちは音の方を見る。しかし、そこに人影は無かった。ただ、離れたところに誰かが落としたらしき何かの道具が地面一杯に散乱していただけだ。

 

 地面を見て、すぐに辺りに目を走らせる。すると、道具が散乱している場所からすぐそばにある建物の角、そこに消えていく黒髪が一瞬だけ見えた。流石に黒髪だけじゃ判断は付かない。

 

 

「……誰だ?」

 

「さ、さぁ……でも、あの散乱しているのって」

 

 

 俺の言葉にハチも同調するも、地面に散乱しているモノに見覚えがあるらしい。その言葉に、俺たちは散乱している場所に近付いた。

 

 

 近づいた俺の目に映ったのは、地面に散乱した色とりどりの鉛筆とクレヨン、様々な色に染まった無数の消しゴム、そしてクレヨンや鉛筆で汚れている使い込まれたスケッチブックだった。先ほどの人物の持ち物だと思うが、これだけモノを持っている奴に心当たりはない。

 

 

 

 

「これ……潮ちゃんの?」

 

「潮の?」

 

 

 横のハチが漏らした言葉に思わず聞き返すと、ハチも顎に手を置きながら考え込む。

 

 

「確か、北上さんからリハビリの一環として絵を描くよう言われて、最近描き始めた筈です。私もたまに部屋から彼女が絵を描いているのを見たことがありますから、多分間違いないかと」

 

「あぁ、そう言えば北上から聞いてたな」

 

 

 ハチの説明に、北上からの報告を思い出す。にしても、リハビリに絵……か。応急処置以外の医療は素人だから分からないが、絵って結構細かい作業だからリハビリにちょうどいいのかもしれないな。でも、リハビリにしては道具が充実しているな。

 

 

「……こういうのって、見ていいのか?」

 

「どうなんでしょう……」

 

 

 スケッチブックを手に取り、俺とハチは困惑した。絶対、俺に見られたくはないだろう。北上からリハビリの報告でかねがね良好だとも聞いているからわざわざ確認する必要はないんだけど……気になってしまうのは人間の(さが)か。ハチもスケッチブックに目をやっている、やっぱり気になるよな。

 

 

「すまん、潮」

 

 

 好奇心に勝てず、聞こえないであろう潮に謝ってスケッチブックを開く。そして中を見た瞬間、言葉を失った。

 

 

 

 

 そこにあったのは、色鉛筆やクレヨンで書かれた工廠とその向こうに広がる海原。それも、もの凄く上手い。とても色鉛筆だけで書いたとは思えないほどの完成度だ。絵の知識なんて皆無だが、それでも凄いと分かる。むしろ、『凄い』以外の言葉が見つからない。

 

 

「綺麗……」

 

 

 横のハチもそう零した。その目はスケッチブックに注がれている。多分、今のも無意識の内に溢したモノだろう。その言葉に俺も何度も頷き、更にページをめくった。

 

 

 スケッチブックには様々な風景画が描かれていた。どれもこれも、『凄い』と『綺麗』の二言でしか表せない自分のボキャブラリーの無さが嫌になる程、素晴らしいモノばかり。そんな俺を横目にハチが溢したのが『まるで目で見た風景を切り取ってそのまま貼り付けた様な絵』だ。流石は本の虫。

 

 

 しかし、めくっていく中であることに気付いた。

 

 

 

「全部、風景画だな」

 

「ええ、それ以外は無いですね」

 

 

 スケッチブックにある絵はどれもこれも素晴らしいのだが、全て建物や山、海などの風景画だけなのだ。辛うじて違うモノと言えるのは一種類の花だけで、艦娘は愚か鳥などの動物も描かれていない。敢えてそう言ったモノを排除した、そんな印象を抱いた。それと同時に、俺は描かれている花に既視感を感じ始めた。

 

 

 

「花も『ミヤコワスレ』ばかりですね」

 

「『ミヤコワスレ』?」

 

「日本に昔からある花で、とある帝が島流しにされた時にこの花を見ると都を忘れられる、と歌ったことが名前の由来です。花言葉も『しばしの慰め、分かれ』だった筈ですね。でも、何でこの花だけ……?」

 

 

 ポツリと漏らしたハチの言葉に聞き返すと、ハチは簡単に説明してくれた。その説明を受けても、既視感が何であるかを突き止めることは出来ない。そんなモヤモヤを残したまま、次のページをめくった。

 

 

「ここが最後ですね。そして、この花は……」

 

 

 次のページには、先ほどハチが教えてくれたミヤコワスレと違う種類の花の二本、互いに寄り添うように描かれていた。ミヤコワスレよりも赤みが強い、そこが違うだけであとはそっくりな花だ。色が付いてなかったら、同じものだと思い込んだだろう。

 

 

 

「多分、『ヒロハノハナカンザシ』……かな?」

 

「どんな花だ?」

 

 

 再びハチの口から飛び出した聞いたことのない花に、自分の学の無さを痛感しつつも説明を乞うた。それに、ハチはミヤコワスレ同様、噛み砕いて説明をしてくれる。そしてその説明で、ようやく既視感の正体が分かった。

 

 

「……そうか、なるほど」

 

「どうしたんですか?」

 

 

 勝手に納得した俺に不思議そうなハチは不思議そうな顔を向けてくる。俺は納得した理由を話すと、彼女も複雑な表情を浮かべながら納得した様に何度も頷いた。そうなると、先ずは散乱しているヤツを届ける必要があるな

 

 

「ごめん、拾うの手伝ってく―――」

 

「あ、あの、提督!!」

 

 

 そう言って地面に散乱した鉛筆やクレヨンを拾い集め始めると、唐突にハチが大声を上げた。手を止めて顔を上げると、そこには先ほどの悲痛な表情をしたハチが立っている。その口はモゴモゴ動いており、まるで喉に出掛かった言葉をどうするか迷っているようであった。

 

 

 しかし、それもすぐに終わった。

 

 

 

 

「私たちを……あの子(・・・)を……どうか、どうか助けて下さい……」

 

 

 それは今日、いや今まで聞いた中で一番弱弱しく、そして彼女の悲痛な想いが目一杯に込められた言葉だった。その言葉、そして悲痛な表情のハチに、俺の身体はいつの間にか動いていた。

 

 

 あの子(・・・)と同じようにハチの前に立ち、あの子(・・・)と同じように膝を折ってハチと同じ目線になり、あの子(・・・)と同じようにハチの目を真っ直ぐ見据えた。

 

 

 

「その願い、絶対に叶えてやる」

 

 

 そう言い切った。すると、あの子(・・・)と同じようにハチの目が大きく見開き、口元が微かに緩んだ。

 

 

 

「だから、ちょっとだけ力を貸してくれ」

 

 

 その直後、苦笑いを溢しながらそう付け加えて手を差し出す。すると、あの子(・・・)と同じだった筈のハチの口許が完全に緩んだ。その瞳に大粒の涙を浮かべ、その顔を可笑しそうに歪め、少しだけ震えている手で俺の手を取った。

 

 

 俺はその手を握ると、ハチは震えながらも力強く握り返してくる。しかし、その直後に今度はハチが握りしめてきた。一回ではない、何度も何度も。だから、その度に握り返してやった。

 

 

 その行為、そしてその延長線上が彼女たち潜水艦にとって『安心』、もしくはそれ以上(・・・・)のことを意味すると知るのは、もう少し先のことだ。


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