新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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episode4 変化
提督の『相談事』


 目の前、正確には視界の左右に見えるのは白い山。その形は縦長の長方形をしているものが殆どで、その中のいくつかは蛇行し若干傾いている。何故その形を保っていられるのか疑問に思うほどの傾き具合のモノもある。

 

 もし仮にそれに触れようものなら、その瞬間それは白い濁流となって襲ってくること間違い無しだ。

 

「ここ、間違ってますよ」

 

 そんな何処ぞの斜塔よろしく素晴らしきバランス感覚でそびえ立つ山を両脇に抱える俺に、そんな言葉と共に横から一枚の紙が置かれる。

 

 それは俺がさっき確認した書類。書き殴りに近い俺の文字の上、誰がどう見ても『綺麗』と思うであろう綺麗な文字が淡々と羅列してあった。その文字が赤ペンで、そして資料がテストであれば、目も当てられない点数だっただろうな。

 

 そんなどうでもいい考えを溜め息共に吐き出す。そして、その書類から両脇の山―――もとい書類の山を見て、更に深い溜め息を吐いた。

 

 

 

「多すぎね?」

 

「この程度で何言ってるんですか……」

 

 そう漏らす俺の前、書類を差し出す黒髪に眼鏡をかけた少女―――大淀は、『何言ってるんだこいつ……』と言いたげな目を向けてくる。その視線に晒されながら彼女から書類を受け取り、脇にあるペンを手に取ってお手本を見てなぞる様にその指示に従って書類を直していく。

 

 

「まだまだあるんですから、頑張ってくださいよ、提督(・・)?」

 

 

 そんな俺の姿を見て、大淀は呆れた声でそう言うと自身も目の前の書類にペンを走らせる。このやり取りも、何度目だろうか。少なくとも、『数えることを放棄した』程だけは言っておこう。

 

 

 つい先日、龍驤が言った『提督』の役割。それは、『部下の統括』、『鎮守府の運営』、『戦線指揮』、『海域の防衛、維持』等だ。 しかし、学校卒業後すぐにここに放り込まれた俺にそれら全てをこなせる力量も器量もなく、やろうとすれば数日でパンクすることは目に見えていた。

 

 故に、後者の『戦線指揮』と『海域の防衛、維持』に関しては各艦隊の旗艦に一任し、その報告を上げさせることで俺を頂点とした情報の一本化体制……と、言う名の半ば丸投げ状態とし、俺自身は前者である『部下の統括』と『鎮守府の運営』を大淀のフォローを受けながら担う体制を作り出した。

 

 その中で、俺がメインで担当するのは『鎮守府の運営』、具体的に言えば『必要物資』を申請する書類の製作と、『部下の統括』、こちらも具体的に言えば艦娘たちのスケジュール組みと各艦隊への大まかな指示だ。

 

 今、俺が書いている書類はまさに前者。各艦隊の旗艦からの戦果及び消費資材の報告書、そして間宮からの食材に関する補充物資の報告書から資材やバケツ、食材などのその他必要物資の数を算出し、大本営、主に朽木中将宛てに送る用の書類を製作している最中だ。

 

 最も、必要物資の算出自体は大淀が担当し、俺は彼女が出した物資数を元に書類を製作して正式な書類の証である印を押すだけ。しかも、それを大淀がチェックしてミスがあれば訂正する。二度手間ではあるが、書類の不備で資材が来ない事態になるよりかはマシだと言う大淀の提案でこうなった。

 

 そして、それを書く俺の横に積み上がっている書類の山は後者、艦娘たちから集めた出撃や非番、食事当番などの希望を取った書類だ。それを元にここ数日の出撃記録と戦果、そして入渠頻度を参照しつつ人員編成を組む。それを配布し何か問題があった場合はそれを考慮しつつ再編成、再配布。なるべく艦娘たちの希望通りの組み合わせを作る様心がけるのが大事だ。勿論、全てが上手くいく筈もなく、誰かに負担が偏る場合は希望の優先や間宮アイス券の配布などで不満を和らげるなど、絶妙なバランスを維持する必要がある。

 

 更に、出撃している各艦隊への指示――――と言うよりも、実際の戦闘指揮は各旗艦に一任しているため、俺が出すのは被害報告を考慮して『進撃』するか『撤退』するかの判断のみだ。それを秘書艦を介した無線通信で行っている。本来、艦隊との通信に関しては大淀の役割なのだが、物資算出と書類チェックのため俺と共に執務室に缶詰、代わりに秘書艦が各艦隊とのパイプ役を担っている状態だ。

 

 そのため、今執務室に俺と大淀しかいない。今日の秘書艦である榛名は、恐らく先ほど帰投した第2艦隊の被害報告を受けるために母港にいる。傷ついた艦娘の入渠を優先させるための措置だが、パイプ役である彼女が執務室を離れるのはそれだけ俺からの指示が遅れることになる。仮に指示が飛ばせない時は、必ず撤退するよう旗艦に言ってあるため無理に被害を出すことはないと思う。

 

 

 まぁ、ぶっちゃけこれらは今のところ机上の空論に近い。『言うは易し』と言う言葉もあるように、これだけ明確に問題が見えても対処するには俺自身のスペックが足りない、こうして大淀からミスの指摘を連発するなどの失態を犯しているし、何より各艦隊にリスクを背負わせている。足を引っ張っていると分かっている手前、非常に申し訳なく思う。

 

 

 だが、この件に関して大淀から『今はとにかく執務に慣れて下さい』と言われた。下手に背伸びして大きなミスをするよりも、今はとにかく慣れるまで『経験』積むことがを大事である、と。甘えだってのは分かってるし、いつまでも甘えていられるほど呑気なつもりは無い。早急に執務をこなせるようにならなければ。

 

 

 

 と、気持ちを新たにした時、執務室の扉をノックする音が聞こえた。

 

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 そう言って扉を開けたのは榛名。その手には第2艦隊の被害報告が記されたファイルを持っている。彼女は一礼して部屋に入り、扉を閉めるとこちらに振り向いて敬礼する。

 

 

「秘書艦榛名、母港より戻りました。こちら、第2艦隊の被害報告です。そして第2艦隊旗艦龍田より、軽巡洋艦天龍が大破のため高速修復材の使用を希望しています。如何されますか?」

 

「すぐに手配してくれ!!」

 

 俺が思わず叫ぶと榛名は驚いた顔をするも一礼して執務室を出て行った。それよりも天龍の容態だ。まさか敵艦に単騎突入したんじゃないだろうな。いや、そんな死に急ぐヤツじゃない筈だ。急いでファイルを開け、戦果を確かめる。

 

 どうやら天龍は戦艦の砲撃から龍田を庇って大破したようだった。そのおかげで天龍以外に被害は無し……か。それを知るとともに安堵の息が零れた。因みに、後に提出された報告書では天龍大破後に戦艦以下残っていた敵艦を悉く沈めた龍田がMVPだったのは関係ない話だ。

 

 

 

「なんでバケツ使ったんですか?」

 

 

 ふと、そんな声が聞こえてきた。ファイルから視線を上げると、書類に走らせていたペンを止めた大淀が半眼で見つめてきていた。眉をひそめ、口は口角が下がっているのを見るにご立腹そうだ。

 

 

「第2艦隊の帰投をもって本日の出撃は終わりましたから、天龍さん以後入渠する子はいませんし増えることもありません。ドックを開ける必要が無い以上、バケツを使うことはないと思うのですが?」

 

「え、いや……き、旗艦を守って大破だ。失態による大破なら長時間入渠だが、旗艦庇保の大破なら名誉モンだ」

 

「被害報告見る前に許可出してましたけど」

 

 

 俺の言葉に大淀は白い眼と共にそんなことを言ってくる。そ、そう言うこと突っ込まないでくれるかな? 結果的にはそうなったんだから良いだろ。

 

 

「そうですか。なら、それで誰か(・・)がまた一から算出結果を出すハメになったのは、別によろしいんですね?」

 

「……すみませんでした」

 

 大淀の嫌味ったらしい言葉に、俺はぐうの音も出ずすぐさま額を床に擦り付ける作業に移る。これはもう謝罪するしかないですよ、もう……ん? それってもれなく製作した書類(・・・・・・)も書き直しになるんですよね?

 

 

「以後、気を付けます」

 

「別にいいですよ。そろそろ、『一休み』しましょうか」

 

 

 自らにも降りかかる事実を噛み締めた上でもう一度頭を下げると、そんな言葉と共に椅子が床を引きずる音が。その言葉に思わず頭を上げると、執務室にある戸棚に近付く大淀の後ろ姿が見えた。

 

 彼女は今まで何があるか知らないために近付かなかった戸棚に勝手知ったる顔で開け、中からティーセットを取り出し始める。その姿を見て、思わず口が動いた。

 

 

「紅茶じゃなくていいぞ?」

 

「何で貴方に出さなきゃいけないんですか?」

 

「え、あ、はい……」

 

 大淀の鋭い言葉と視線に引き下がる。って、そうじゃねぇよ。何でいきなりそんなこと言い出したんだよ。執務を始めて数週間だぞ? んなこと、今まで一度も言わなかったじゃねぇか。

 

 

「私がやりたくなったんですよ。今まで(・・・)、ずっとやっていましたから」

 

 

 俺の言葉に、大淀はこちらを振り向きもせずそんなことを言った。彼女の言葉、正確には『今まで』と言う言葉に、俺は思わず押し黙ってしまう。その言葉に中にある、一人の存在が見えたからだ。

 

 そんな俺を尻目に大淀は手早くカップの準備を整え、ポットを抱えて部屋を出て行く。お湯を沸かしに食堂辺りにでも行ったのだろうか。ここから食堂って無駄に遠いし、執務室に『一休み』用の設備でも整えた方がいいかな。

 

 ふとこれも検討しながら、大淀が帰ってくる間に出来る限りの書類を片付ける。少しして、ノックとともに開けられた扉から大淀が入ってきた。

 

 

「先ほど、食堂に行ったら間宮さんから言伝を預かりました。何でも提督に相談したいことがあるので、今日の執務後に食堂に来て欲しいそうです」

 

「あ……あぁ、分かった」

 

 入ってきて早々そんな言葉を大淀が言うので、特に考えもせずそう答えた。それを受けた彼女は俺に一礼し、先ほど用意したカップに向かい手早く用意を始める。

 

 

 やがて、執務室は香ばしい香りが漂い始めた。

 

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 大淀がそう言ってカップを差し出してくる。宣言通り紅茶ではなく、真っ黒に染まるブラックコーヒー。それを受け取り、少し冷ましてから一口飲んだ。

 

 

「美味い」

 

 

 一口飲んで、素直に感想……と言うか独り言を溢す。いや、コーヒーの良し悪しなんて分からないんだが、取り敢えず美味い。それしか言えない。香りが良いとか、コクがあるとか、そんなボキャブラリー持ってねぇよ。

 

 

「そうですか」

 

 大淀が溢したのはそれだけ。カップを傾けながら横目で彼女を見ると、澄ました顔で同じようにカップを傾けている。しかし、その顔にほんの少しだけ、ほんの少しだけ柔らかな表情が見えた。

 

 

「何で今までやってきたんだ?」

 

 

 その表情に思わずそう問いかけた、いや、かけてしまったと言った方が正しい、行ってしまえばそれは失態だ。何故なら、彼女の動きが止まり、その顔に暗い影が掛かったからだ。

 

 

「すまん、忘れてくれ」

 

 

 

 地雷を踏んだことを察して、すぐさま謝罪と共に質問を撤回する。しかし、大淀はそれに応えることなく、ただ手に持つカップを見つめている。その横顔に掛かる影はドンドン暗くなっていく。

 

 

「……大よ――」

 

 

 

「『代わり』に……なりたかったから」

 

 

 俺の言葉を遮る様に、大淀はゆっくりと声を漏らした。彼女は俺を見ていない。ただカップを、カップを握る自身の手に視線を落としている。しかし、その顔が弾かれた様に僅かに上がる。

 

 

「いえ、違います。ただ、あの人を休ませるための口実です。周りには十分な休息を取らせるよう配慮しているくせに自分は一向に休もうとしないし食事もまともに取らなかったので、その時間を確保するために私が言い出したんです。自分が休まないのに、疲労が駄々漏れで、なのに虚勢を張って、限界など当の昔に越えているのが誰でも分かる顔なのに、そんな人から休め休めと言われても説得力がないから――そんな理由で無理矢理休ませました。それだけです」

 

 流水のようにペラペラと言葉を吐きだした大淀。その声は抑揚がなく、淡々と語られるものの、何処か『焦り』を感じさせた。まるで、ポロリと溢した言葉を別の言葉で取り繕ろうとしているように。

 

 

 大淀はそのままカップの残りを一息に飲み干す。飲み干すその顔には深いシワが刻まれており、俺に聞こえるほど喉を鳴らして飲み干した。まるで、飲み干すと同時に喉の奥からあるモノを無理矢理流し込んだように。

 

 

 

空のカップを両手に、一息ついた大淀は視線をカップから窓から見える青い空に向ける。

 

 

 

「それが、あの顔が緩まる唯一の時間でしたから」

 

 

 ポツリと零れた言葉。念を押すような、その言葉が本当であると俺に、自分に言い聞かせるような、そんな言葉だ。

 

 

 大淀は立ち上がってポットに駆け寄り残ったお湯でカップを濯ぎ始める。俺に背を向けたことが、これ以上の追求を拒むことを示していた。

 

 

 彼女の表情は見えない。しかし、そこにどのような感情が浮かんでいるのか、何となく想像がついた。それと同時に、とある言葉(・・・・・)が込み上げてくる。

 

 

 俺はそれを飲み込むように、大淀と同じようにコーヒーを飲み干した。その言葉が、今この場において不適切であり、その言葉だけ(・・)ではただ彼女を傷付けるだけだと悟ったからだ。

 

 

 それ以降、俺たちの間に会話は交わされることなく、互いのカップを片付けた後はただ黙って執務に戻った。

 

 少しして、バケツの手配を終えた榛名が執務室に帰ってきた。彼女は入るなり部屋の空気を感じ取ったのか一瞬顔を強張らせるも、すぐに表情を戻して何事も無かったかのように報告を上げてくれた。正直、この状況の説明を求められても絶対に出来なかったので、その対応は有り難い。

 

 そんな重い空気のまま時は進み、時計の短針が「6」を過ぎ、窓から差し込んでいた夕日が徐々に消えていく。やがて、俺が書き上げた書類に目を走らせていた大淀が小さなため息と共にそれを傍の山に重ねた。

 

 

「はい、OKです。これで、本日の執務は終わりました。お疲れ様です」

 

「お疲れさん」

 

「お疲れ様です」

 

 

 大淀の言葉に、俺と榛名は伸びをしながら口々にねぎらいの言葉を述べる。大きく伸びをする俺の背中や腰は、ポキポキと軽快な音を立てる。

 

 

「提督、ご飯に行きましょう」

 

 そんな言葉と共に、榛名が俺の腕を掴んでグイグイ引っ張ってくる。大体、執務が終わるのは夕食の時間帯になることが多いため、執務後はその日の秘書艦と一緒に飯を食いに行くことが多い。そのため、このお誘いは慣れたモノだ。しかし、俺はその言葉に応える前に、別の場所に顔を向けた。

 

 

 

「大淀、一緒に来ないか?」

 

 

「は?」

 

 

 俺の言葉に、大淀は書類の後片付けをしながら訝し気な顔を向けてくる。予想通りの反応か……前触れも無しに言われれば無理もないか。

 

 と言うのも、これまで俺は大淀と夕食を食べに行ったことが無い、正確に言えば食べる時間が一緒になったことすらないのだ。日替わりの秘書艦とは違い毎日のように顔を会わせて執務をしているのに何故そのようになるのかは、『明日の執務の準備』にある。

 

 明日に向けた準備とは、主に本日の進捗状況と各艦隊から上がった報告書をまとめ、そして明日行う執務内容の大まかな目安を立てることだ。とは言っても、これは提督(おれ)と秘書艦が行うことであり、鎮守府の経理を担う大淀は違った内容を纏めているだろう。しかし、内容に違いはあれどそれに費やされる時間はほぼ同じと言って良い。

 

 俺の場合は割と時間かかるため、先に飯と風呂を済ませて後は寝るだけってなった時にそれを行っている。対して大淀は俺と逆で、執務終了直後にそれらを片付けてしまうのだ。そのタイミングのズレが、夕食時間が一緒にならない要因となっているわけ。

 

 

 以前その理由を本人に聞いたら、ご飯を食べた後にまた執務室に戻ってくるのが面倒くさい、との事だった。面倒なことは先にやるタイプか、それで執務に支障がないなら別に問題ない。しかし、この前俺が飯より先に片付けようとしたらその日に限って先に食堂に行ってしまったのは何故なのか。偶々だろうか?

 

 ……もしかしたら、大淀は俺と飯を食うのが嫌だから敢えて時間をずらしているんじゃないか……なんて、被害妄想みたいなことを思ったが杞憂であって欲しい。そう願ってのお誘いでもある。

 

 

「何故ですか?」

 

「『何となく』だ。それに雪風から聞いたけど、お前いつも一人で食ってんだろ? たまには誰かと食うのも悪くないぞ」

 

「……そうですよ。良い気分転換になりますし、榛名もご一緒したいです」

 

「榛名さんは言葉と表情を一致させて下さい」

 

 心底残念そうな顔でお誘いの言葉を吐きだす榛名に、呆れ顔の大淀が突っ込む。榛名、誘うならもっと明るい顔をしろよ。てか、お前秘書艦の時いつも一緒に食ってるだろ、むしろ秘書艦でない時も殆ど一緒だろうが。少しぐらい自重してくれませんかね。

 

 

「すぐに慣れますから、大丈夫です」

 

「いや、そういう問題じゃないですから」

 

 

 何故か胸を張ってそう宣言する榛名に、大淀が突っ込む。大淀が言いたいことを言ってくれたので、俺は榛名に白い眼を向ける。しかし、彼女は俺に視線に気付かず(多分フリ)、俺の腕から手を離すとすぐに大淀の腕を掴んだ。

 

 

「ちょっと、私はまだ行くとは――」

 

「細かいことは良いですから、さっそく行きましょう!!」

 

 いきなり腕を掴まれた大淀は抗議の声を上げるも、それを遮る様に元気よく声を上げた榛名は大淀と俺を引っ張りながら執務室を出て行く。大淀は何度も抗議の声を上げながら抵抗するも、戦艦である榛名の腕力に勝つことは出来ずズルズルと引き摺られていく。因みに、俺は初めから勝てないと分かっているので引っ張られるがままだ。

 

 

「悪い、何か奢るからさ」

 

 尚も抵抗を続ける大淀に俺はこっそり声をかけた。その言葉に大淀は抵抗を続けながらムスッとした顔を俺に向けてくる。不満を隠そうともしない彼女に、俺は小さく苦笑いを浮かべて軽く頭を下げる代わりに会釈をする。

 

 何回目かの会釈で大淀は表情を不満げなモノから何処か諦めたようなモノに変え、小さくため息を溢した。

 

 

「……分かりました。ちゃんとついていきますから、離して下さい」

 

 

 何処か投げやり気味な大淀の言葉に、榛名は彼女に小さく笑いかけながらその手を離した。離された大淀は掴まれていた場所を軽く摩り始める。いくら頑丈な艦娘だろうと、戦艦の腕力で掴まれれば痛いよな。そんなことを思いながら、視線を榛名に向ける。

 

 

「ついでに俺の手も離してくれるとありがたいんだけど」

 

「すぐに『慣れます』から、大丈夫です」

 

 

 俺の言葉にニコッと笑いかけながらそんなことを言う榛名。いや、それに『慣れた』ら……何か色々と駄目になる気がするんですけど。お願いですから離してくれませんか?

 

 そんな言葉も空しく、俺は食堂につくまでずっと榛名に引っ張られることとなる。そして、背後から何か痛いモノを見るような目を向けられているような気がしたのはどうでもいいことだ。

 

 

 

 

相変わらず(・・・・・)、ね」

 

 

 そんなこんなで食堂についた俺たちに刺々しい言葉をかけてきたのは、カウンターを挟んで対峙する曙。

 

 学生っぽいいつもの制服の上に白いエプロン、そして頭に薄黄色の三角巾、と言う調理実習真っただ中の学生染みた格好もこの数週間で見慣れたものだ。そんな彼女は何故か眉をヒクヒクさせながら白い眼を向けてくる。

 

 

「いや、離れろって言ってんだけどな? 一向に離れてくれないんだよ」

 

「離れる理由がありませんから、榛名は大丈夫です!!」

 

「クソ提督が『離れろ』って言っ……このやり取りも何回目よ。取り敢えず、茶番は良いからさっさと離れなさい。数はあんたたち二人と大淀さんの三人ね」

 

 

 そう言って俺に抱き付く榛名、そして何故か俺にも白い眼を向けながら曙はそう言って奥に引っ込む。曙の言葉に、榛名は渋々と言った顔で俺の腕から離れた。ようやく腕を解放された俺は強張った筋肉をほぐすために軽く肩を回すと、ポキポキと軽快な音が鳴った。

 

 

「何回目って……いつもそんなことやってるんですか?」

 

 

 後ろから少し遠慮気味に大淀が問いかけてくる。振り返ると若干引き気味な顔の大淀。うん、そんな顔になる気持ちも分かるよ。でも、悲しいことに榛名が一緒だとこれが『いつも』なんだ。しかも、それを見る周りの艦娘たちは何も言ってこない、ただ呆れたような目を向けてくるだけなんだ。

 

 でも、これはこれでマシになった方だ。初めの頃は、俺と同じ空間にいること自体嫌だったのか、入ってくると同時に艦娘たちが出て行く、途中のヤツは飯を食うスピードが上がる程だったんだぞ。それが、今は俺が入ると早々に出て行く艦娘はいない、入ってきた際に俺(とベッタリくっつく榛名)を変な目で見て、ヒソヒソ話をするぐらいだ。傍から見ればどんぐりの背比べみたいな差かもしれないが、それでも変化は変化だって胸張って言える。

 

 

 ポジティブに捉えるんだ。そうしないと、此処ではやっていけないって感じたからな。

 

 

「はい、お待ちどおさま」

 

 

 心中で俺自身に慰めの言葉をかけていると、そんな曙の言葉と共に三人分の食事が乗ったトレイが出てくる。その上には、白いご飯とみそ汁、漬物のラインナップ。そして、中央に鎮座するのはユラユラと白い湯気を立ち昇らせるきつね色のコロッケだ。

 

 現在、食堂のメニューは日ごとに替わる定食、所謂『日替わり定食』しか設けていない。そして、その日替わり定食も固定されたラインナップにメインの大皿が一つ付く一汁一菜形式を採用している。一応、ご飯とみそ汁はお代わりはある程度自由にしているが、それでも戦場に立つ艦娘たちの働きと比べると非常に質素なモノだ。

 

 本当は何種類かのメニューを設けて利用する艦娘が好きなモノを選べる様にしたかったが、当番制の施行が始まってまだ日が浅いこと、そして当番である艦娘たちの調理経験が少ないことを考慮して、先ずは一つの料理をしっかり作ることで『慣れる』ことを最優先にした。これには少なからず反発があると思ったが意外にも反発は無く、むしろ賛同する声が多かったのは驚いたな。

 

 

 と言うか、コロッケか……。

 

 

「何考え込んでるんですか? 食べるなら早くしてください」

 

「あ、いや……二人は先に席を取っておいてくれないか? すぐに行くから」

 

 

 いつの間にか自身のトレイを持っていた大淀に、そして自分と俺の二人分のトレイを持つ榛名にそう言って開いている席を指さす。俺の言葉に二人は首を傾げながら顔を見合わせるも、言葉通りに先に席を取りに行ってくれた。その後ろ姿を見送りながら、今度は曙に振り返る。

 

 

「どうしたの?」

 

「『ソース』って何処ある?」

 

 

 不思議そうな顔の曙にそう問いかけると、彼女の顔に若干シワが刻まれる。あぁ、分かっていたことだけど、不満がありありと伝わってくるな。

 

 

「何? あたしの味付けじゃ不満だって言いたいの?」

 

「違う違う……ガキの頃から『コロッケにはソース』って決まってたんだよ。だからさぁ、お願いっ」

 

 

 明らかに不機嫌な曙に、顔の前で手を合わせて頭を下げる。俺の行動に言葉は返ってこなかったが、代わりにため息が返ってきた。

 

 

「待ってなさい」

 

 そう言って、再び曙は奥に引っ込むも、すぐに帰ってくる。その手には、横に突き出す長細い口の付いた赤い蓋のプラスチック容器、『ソース』と言えば誰もが思い浮かぶあのビジュアルそのものがあった。

 

 

「ほら、ご希望のモノよ。もし味に不満があるなら……今度はちゃんと言ってよね」

 

「すまん。なら、いつも美味い飯をありがとうな」

 

 

 ムスッとした顔でソースを差し出してくる曙からそれを受け取り、そう言ってカウンターを離れる。後ろで何か声が聞こえた様な気がして、振り返ったがこちらに背を向けて奥に引っ込む曙の後ろ姿しかない。その耳が赤いように見えたが、それを聞く前に曙は奥に行ってしまった。

 

 

 取り敢えず、俺は大淀と榛名が座る席に向かう。席に近付いて分かったが、彼女たちはまだ食事に手を付けていないことに気付いた。先に食っても良いんだがなぁ。

 

 

「提督と一緒に食べたかったので」

 

「誘われた手前、待たないと失礼ですから」

 

 

 俺の呟きが聞こえたのか、二人が同時にそう言った。まぁ、二人が良いなら別に良いんだけどよ。そんなことを思いながら榛名の横、大淀の向かい側に腰を下ろした。

 

 

「で、それが先に行かせた理由ですか。何ですそれ?」

 

「あぁ、ソースだよ」

 

「かけるんですか? コロッケに?」

 

 俺の手にあるモノに興味を持ったらしき大淀の問いに素直に答えると、彼女は興味深そうにソースを見つめながらさらに問いかけてくる。そんなに珍しいか? てか、多分食ったことないんだな。

 

「普通だろ? 何なら食うか?」

 

「え?」

 

 俺はそう言いながら自分のコロッケにソースをかける。大淀の好みが分からないから普段よりも大分少なめだ。かけ終わった皿を大淀の前に差し出す。

 

 彼女は差し出された皿を見つめ、そして何故か俺に視線を向けてきた。その顔は嫌悪と言うよりも、驚愕に近い。

 

 

「いいんですか?」

 

「あぁ、構わないぞ。さっき奢るって言ったし」

 

 大淀の問いかけにそう答えると、大淀はおっかなびっくりと言った顔で箸を手に取り、俺が差し出したコロッケに箸を入れた。彼女はソースが半分ほどかかった箇所をゆっくりと切り離し、それを摘まんで口に含んだ。

 

 

 その瞬間、彼女の表情が変わる。一瞬、真顔になり、そして次の瞬間にそれはほどける様に消えていった。何度か咀嚼するごとに、彼女の表情はどんどん変わっていく。

 

 

 それは、『一休み』の時に浮かべていた柔らかい表情(モノ)に似ていた。

 

 

「美味いか?」

 

「ッ、ふ、普通ですよ、普通」

 

 

 俺が問いかけると、大淀はスイッチが切り替わるように一瞬で顔を強張らせた。しかし、その要所要所には隠しきれないあの表情が窺える。それを見て、俺は思わず小さな笑みを浮かべた。

 

 

 

「やっと―――」

 

 

 

「榛名にも食べさせて下さい!!」

 

 

 俺の言葉を遮ったのは、俺の横に座っていた榛名。彼女は身を乗り出す勢い箸を大淀の前にあるコロッケに伸ばす。その迫力に思わず大きく仰け反り、それを回避する。

 

 

 その瞬間、俺の手からソースが離れてしまった。

 

 

 ソースの容器はクルクルと縦回転で俺の前へ飛んでいく。その口からは管の様にソースが飛び出し、弧を描きながら辺り一帯にまき散らされる。

 

 

 

 

「きゃぁ!?」

 

 

 俺の前方から悲鳴が上がる。次の瞬間、カランと容器が床に落ちる音が。その音に食堂に居た艦娘たちの視線が俺たちに集まる。しかし、俺の目には前方しか見えていなかった。

 

 

 

 

「大淀!?」

 

 思わず声を上げ、蹴り倒す勢いで立ち上がり前に座る大淀に駆け寄る。隣に座っていた榛名も、顔面蒼白で同じように駆け寄ってくる。対して、大淀は顔の前で腕を交差させ、固く目を瞑っていた。

 

 

「すみません!! おおお、お怪我はありませんか!?」

 

「だ、大丈夫です。幸い、容器自体は当たっていませんから」

 

「な、ならいいけど。でも……」

 

 叫び声に近い榛名の問いに少し上擦った声で答えた大淀の様子にホッとするも、言葉を切ると同時に顔をしかめて彼女の全身に目を向ける。

 

 

 と言うのも、大淀の身体には大量のソースを浴びているのだ。制服はおろか、顔や頭にも結構な量が付いている。

 

 制服は特に酷く、肩からスカートにかけて一直線にベッタリと付いており、早く措置をしなければシミになってしまう恐れがあった。

 

 

「大淀、今すぐ服を脱げ!!」

 

「いきなり何言うんですか!?」

 

 

 思わず飛び出た言葉に大淀は顔を真っ赤にして叫ぶ。あ、いや、そういうことじゃなくて、早く洗濯しないといけないからって意味だから。なんてことはどうでもいい。今は何をすれば……。

 

 

「何やってんのよ、もう」

 

 

 突然、後ろから飛んできた呆れ声。振り向くと、バケツとモップを抱えた曙とタオルを手に持つ間宮が小走りで近づいてくる。彼女たちは俺を押しのけて大淀に駆け寄り、間宮は持ってきたタオルを大淀に手渡した。

 

 

「こりゃ、派手にやりましたねぇ……大淀さんはそれ持ってお風呂へ、汚れた服は脱衣所に放り込んでおいていいから先ずは身体に付いたソースを落としてね。提督は床のソースの掃除、榛名さんは大淀さんの着替えを用意して汚れた制服を回収してここに持ってきてください」

 

 驚くほど落ち着いた声で間宮が指示を飛ばしてくる。その落ち着き様にポカンとしていると、曙に尻を小突かれてそのままモップを押し付けられたことでようやく頭が追い付いた。他の二人も間宮に急かされたことで我に返り、各々間宮の指示に従って動き出した。

 

 

 その指示を出した間宮は、何事かと騒ぎ始めた艦娘たちを諫めるために慌ただしく走り回っている。そのおかげか、艦娘たちはこちらに目を向けながらもいそいそと自分の席に座っていく。本来あの役回りって俺なんじゃないかな?

 

 

「ほら、さっさと動く」

 

 

 そんな姿を見ていたら、また曙に小突かれてしまう。その言葉に俺は渋い顔をしながらも、いそいそと床に広がるソースをモップで拭く作業に戻る。しばらくして、大体ソースを拭い取った頃に間宮が苦笑いを浮かべながら近づいてきた。

 

 

「取り敢えず、此処にいた子たちは説明しました。ソースも綺麗に拭き取れましたし、後は榛名さんが制服を持ってくるだけですね……にしても、やっちゃいましたねぇ?」

 

「す、すまん……」

 

 苦笑いを浮かべながらそんなことを言ってくる間宮。その言葉と視線に居た堪れなくなり、素直に謝罪する。それを受けた間宮は小さくため息を溢した。そんな俺たちの姿に曙が口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「でも、何でいきなりソースなんか言い出したの? あんた、これまで(・・・・)コロッケだった時、そんなこと一言も言わなかったくせに……」

 

「あぁ、あれは……その……」

 

 

 曙の疑問に、俺はそう返しながら頬を掻く。まぁ、確かに、今までもコロッケがメニューに出ることはあったが、その時俺はソースを所望しなかった。それなのに、今日(・・)に限っていきなりソースを所望したのだ。勿論、曙に言った理由が嘘じゃない。単純にコロッケにソースは最強の組み合わせだと思ってる。

 

 

 

 ただ、今日はもう一つ理由があったんだ。

 

 

 

「なぁ間宮。確か、俺に相談があるんだよな? それにかこつけて、俺からも一つ良いか?」

 

「え、ええ、別に構いませんよ」

 

 

 俺の言葉に、間宮は不思議そうな顔を浮かべ、曙は何事かと顔を近づけてくる。本当は間宮だけに相談するつもりだったが、この際いいか。

 

 

 

「実はな―――――――」


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