新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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提督の『理由』

『まぁ、強いて言えば、『何もないから』こそ、『周りがよう見えてしまう』ことやな』

 

 

 真っ暗な空間の中で聞こえたのは、龍驤の言葉。それと同時に浮かぶのは彼女の顔。

 

 

 その顔は笑っている。『苦笑い』と言う顔だが、確かに笑っている。だが、その笑顔の中にある目は、笑っていない。

 

 

 その目は何処か遠くを見つめる様な、何かから目を背けるような、そんな虚ろな目をしている。その視線の先に何があるのかは分からない。もしくは、その視線以外の場所に何があるかも分からない。

 

 

 次の瞬間、その姿は溶ける様に消えてしまう。それが綺麗さっぱり消え去った後、何かが浮かんでくる。

 

 

 それは笑みを浮かべる吹雪。下手くそな笑みだ。頬が引きつっている。無理をしているのが丸分かりだ。それもすぐに消えてしまい、また新しいのが浮かんでくる。

 

 

 今度は金剛だ。ベットから上半身を起こし、手元を凝視している。その手には俺が渡した駆逐艦の嘆願書が。それを穴が開くほど見つめている。そこでその姿も消えてしまい、またもや新しいのが浮かんでくる。

 

 

 それは雪風。直立不動のまま、黙って俺を見据えてくる。その顔に表情はない、まるで龍驤と別れた後に会った時、一瞬だけ見たあの表情だ。

 

 

 いや、それか。俺は以前にも同じ表情を見た。それは何時だ。着任してからか? それとも大本営から帰って来てからか?

 

 

 否、その時じゃない。

 

 

 あれは、確か大本営。元帥の言葉を聞いて、思わず身体が動いたとき。元帥の横に控えていた艦娘――――大和が向けてきたものにそっくりだ。

 

 

 

 本当の『兵器』の目に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楓さん!!」

 

 

 雷の様に響き渡る大声。それによって真っ黒だった空間は溶ける様に消えていき、やがてそれはぼんやりと霞む天井に変わった。

 

 

 何が起こったのか―――そんな言葉が頭の中一杯に広がり、思考回路をせき止める。鼓膜を直接叩かれたような感覚と痛み、そして服を掴まれる感覚。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 再び、声が聞こえた。霞む視界のまま声の方を見ると、ぼんやりとした輪郭しか見えないが、誰かがこちらを見つめている。

 

 右に七三分けされた黒髪と金の留め具、こちらを見つめる大きな橙色の瞳。それらの特徴、そして時間と共にはっきりしていく視界によって、落ち着き始めた頭の中に一人の艦娘の名前が浮かんだ。

 

 

 

「榛名……?」

 

 

「はい、『遥南』は此処に」

 

 

 そう問いかけると、柔らかい声色で声の主は返してくる。やがて、霞んでいた視界はクリアになり、声の主―――――柔らかい笑みを浮かべた榛名が見えた。それと同時に、見慣れた天井と窓から差し込む日差し。

 

 

 ここは間違えなく俺の部屋だ。でも、何でいきなりここに? まだ執務室にいるはずじゃ……。

 

 

 ……そうだ、龍驤と話した後、俺は榛名の勧めで寝たんだった。

 

 雪風と別れた後、執務室に戻った俺に榛名が顔色が悪いって言われて、すぐに休むよう言われたんだ。その時は龍驤との話で時間を食った分を取り戻そうと、大丈夫だ、って言ったんだが、断固として引かない榛名に押し負け、渋々飯と風呂を済ませて寝たんだよな。

 

 まぁ、確かに龍驤との話でちょっと気分が悪かったのは認めるけど、個人的にはとっとと休めなんて言われるほどでもなかったんだけどなぁ……まぁ押し負けた手前何言っても遅いんだけどさ。

 

 てか、窓から日差しが入るってことは今は朝か。寝たのは8時前だったから大体……どんだけ寝てたんだよ、俺。

 

 

「それより大丈夫ですか? 随分うなされていましたし……汗、凄いですよ?」

 

 

 現在の状況を確認する俺に、榛名はそう問いかけながら表情を曇らせた。そして、いつもの服の袖を掴んだ手を伸ばして俺の額に触れる。彼女の言葉から察するに、汗を拭っているのだろう。そして、どうやら俺はうなされていたらしい。

 

 

 多分、あの夢のせいだろうな。でも、所詮は夢。気にする必要もないし、たかが夢で榛名を心配させるのも提督(・・)としてマズイ。

 

 

「変な夢を見ただけだ。心配ないよ」

 

「本当ですか? 何かあったら遠慮なく『遥南』に言ってくださいね」

 

 視線を外しながら答えると、榛名は少し明るい声色でそう言った。追及しないでくれるのは有り難いな。それに何かあったら遠慮なく言ってくれとは、頼もしいことを言ってくれる。なら、さっそく(・・・・)その言葉に甘えさせてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんでそんなところにいるんだ?」

 

 

 そう、彼女に問いかける。すると榛名は答えることなく、ただニッコリと微笑みかけてきた。おい、何か言えよ。

 

 

 そして、俺の言うそんなところ――――――一人用のベットの上、正確にはその上の掛布団の下。ベットの端と寝間着の俺の間に入り込み、そして抱き枕の如く俺に抱き付いているこの状況を。キッチリ説明しろ。

 

 

 

「起床時間になっても楓さんが起きてこないので、『遥南』が起こしに来ました」

 

 微笑んだまま、しれっと言ってのける榛名。彼女の言葉に時計を見ると、確かに起床時間を過ぎていた。起こしに来た、というのは本当だろう。てか、なんで『遥南』の方で呼ばせようとしてくるんだ。

 

 

「起こしに来たなら普通(・・)に起こせばいいだろ? なんでわざわざベットに潜りこんで、添い寝する必要がある?」

 

「それこそ、楓さんがうなされていたからですよ。『遥南』に何か出来ることはないかと考えた結果、楓さんを抱きしめるという方法にたどり着きました」

 

 俺の問いに、微笑む榛名は俺の身体に回している腕に力を入れて更に身体を密着させてくる。ほう、うなされていたから心配になって添い寝した、と。俺のことを思っての行動か、それなら有り難いな。

 

 

 

 

 

 

 

「あわよくばそのまま既成事実を――――」

 

 

「そっちが目的だろうがぁ!!」

 

 

 大声と共に柔らかい微笑みから怪しい(・・・)笑みに変わった榛名をベットから叩きだそうとする。しかし、ガッチリと俺の身体に密着しているためにビクともしない。

 

「甘いですよ楓さん。貴方が遥南を叩きだそうとすることは昨日の時点から予測済みです!!」

 

「んなこと誇らしげに言ってんじゃねぇ!! てか離れろ!! 誰かに見られたらまた誤解される!!」

 

「既に知れ渡っていますから大丈夫です。だ・か・ら、安心してしましょう(・・・・・)!!」

 

 

 得意満面の笑みでそう宣言する榛名。いや、それのどこが安心できるんですか!! てか知れ渡ってるって、榛名との『ケッコンカッコカリ』のことか、それが誤解だってことかどっちだ? いや、もう榛名の行動から前者だろう。

 

 もうその時点で既に誤解されてるんですがそれは!!

 

 

「朝からお熱いことで……」

 

 ふと、ドアの方から呆れた声が聞こえてくる。抱き付く榛名を引き剥がしながらその方を見ると、そこに居たのはドアにもたれかかりながらこちらを見つめる北上。気だるげな表情ではあるが、その目はいつもよりも冷めているような気がした。

 

 

「違う!! 誤解だ!!」

 

「あぁ、いいよいいよ。別に提督と榛名さんが『そういう関係』でも、あたしは気にしないよ~」

 

 

 俺の悲痛の叫びを適当にあしらう北上。しかし、何故かその言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわつくのを感じた。突然のことに身体が一瞬強張る俺を尻目に、北上はいやらしい笑みを向けてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夕べはお楽しみでしたね?」

 

「やめろォ!!」

 

 確実に誤解しているであろう……てか、誤解だって分かった(・・・・)上での言葉に、間髪入れずに大声で否定する。寝起きで大声を上げたため、少し痛んだ。てか、さっき身体が強張ったのは……って、今はどうでもいいんだよ。

 

 

 北上の言葉に榛名は榛名で否定もせずに「キャッ」と言って紅潮させた頬に手を当ててやがるし……お前さっき『起こしに来た』って言ったよな? さっさと否定しろよ!!

 

 

「榛名は起こしに来ただけだ!! 『そんなこと』は一切やってない!!」

 

「そんな隠さなくてもいいってぇ……周りにはあたしから言っておくからさぁ? あ、これ今日のヤツね。じゃあ、後はごゆっくりどーぞ」

 

 必死の弁論にも北上はいやらしい笑みを浮かべて何処からか取り出したファイルを床に置き、ドアの向こうに消えてしまう。何のファイル……今日の予定か、今日は北上が秘書艦だったな。

 

 って、待て。周りになんて言うつもりだ? いや、もうそのいやらしい笑みで絶対ロクなこと言わないってのは分かってるんだけどさ!!

 

 

「待―――」

 

 

「夕べはお楽しみ……へぇ~?」

 

 

 出て行った北上に声を掛けようとした言葉は、ドアの向こうから返ってくる北上ではない声にかき消されてします。同時に、背筋に寒気が走った。そして、俺の目は北上と入れ替わる様に入ってきた、その声を発したであろう人物に注がれる。

 

 

 

 

 

「あ、曙……」

 

 

「これは一体、どういうことかしらぁ?」

 

 そこにいたのは、素敵な笑みを浮かべる曙。そう、笑みを浮かべてはいるのだ。だが、その周りからはどす黒いオーラのようなものが漂ってるような気がする。一瞬、その背後に般若が見えたのは気のせいか、気のせいだと信じたい。

 

 

「榛名さん? 私はクソ提督を起こしてくるように(・・・・・・・・・)、って頼んだんだけど?」

 

 

 般若を従えているであろう笑顔の曙はそんな言葉を零す。そして、その言葉に何故か胸の奥がざわつく。何だ、この感覚は……。しかし、その思考も引き剥がされまいと力を込めてくる榛名の迎撃で消え去った。

 

 

「楓さんがうなされていたので、起こすよりも先ずこっちが必要かなと思いまして」

 

「……なら、もううなされていないから離れても大丈夫よね?」

 

 

 何とか引き剥がそうと躍起になる俺を尻目に、榛名は完璧な笑顔で答える。彼女の言葉に眉を歪めながら笑顔を崩さない曙はベットに近付き、俺から榛名を引き剥がそうとする。しかし、ぴったりとくっついている……と言うか、徐々に俺を抱きしめる力を強くする榛名は一向に離れない。

 

 

「すみません、引っ張るの止めてくれませんかぁぁぁぁああ?」

 

「コイツにくっつく必要はもうないでしょぉぉぉおお? だから、とっとと離れなぁさぁぁいぃぃよぉぉぉおお」

 

「まだです、『遥南』のお役目はまだ終わっていません。だから、引っ張らないで下さぁぁぁいぃぃぃぃよぉぉぉおお」

 

 

 顔を赤くさせながら引きつった笑顔で榛名を引っ張る曙、そしてその手に落ちまいと更に抱きしめる力を強める榛名。それを目の前で見せつけられながら、榛名を引き剥がそうと躍起になる俺。

 

 

 なんだこの光景。なんだこの状況。まったく、何なんだよ一体。そう心の中で愚痴を溢しながら、顔を背けて溜め息を溢した。

 

 

 

 

「『提督』?」

 

 

 ふと、榛名の声が聞こえる。その瞬間、またもや胸の奥がざわつく。そして、ようやくその原因に気付いた。

 

 

 俺は『提督』と言う言葉に反応しているのだ。

 

 

「クソ『提督』?」

 

 

 次に聞こえるのは曙の声。ざわつきのためワンテンポ遅れた後、声の方を振り向く。そこには、今まで剥がす剥がされまいとしていた二人が、キョトンとした顔で俺を見つめていた。

 

 

 しかし、次の瞬間その二つの表情は、不満げなモノと満足げな笑顔に変わった。

 

 

 

「何わ――――」

 

お役目(・・・)が終わったみたいですね」

 

 不満げな曙の言葉を、満足げな笑顔の榛名が遮る。そう言って、彼女は断固として動かなかったベットから這い出し、いまだ固まっている曙を脇を抜けてドアの方に近付く。

 

 

「ちょ!?」

 

「では、失礼します」

 

 

 硬直から解放された曙が声を上げるも、榛名は含んだ笑みを残して出て行ってしまった。俺の部屋に残されたのは、榛名が出て行ったドアを見つめて固まる俺と曙。

 

 

 しばし、沈黙が流れる。

 

 

「……そういうことか」

 

「何が?」

 

 沈黙を破ったのは、何故かそんな言葉を零しながら疲れた様に頭を抱える曙。その言葉に未だ追いついていない俺は疑問を投げかけるも、彼女はただ黙って俺の顔を見つめるだけで何も返してくれない。

 

 

 またもや、沈黙が流れる。

 

 

「……あんたは知らなくていいわ」

 

 それも、ため息と共に零れた曙の言葉によって破られる。そう零した曙は俺の傍から離れ、北上が置いていったファイルを手に取り、差し出してきた。

 

 

「取り敢えず、寝坊してるんだからさっさと準備しなさい。待ってるから(・・・・・・)

 

 

 差し出されたファイルを受け取ると、そう言い残して曙は慌ただしく出て行ってしまった。一人残された俺はファイルを片手にボケっと曙が出て行ったドアを見つめる。

 

 

 そして、その視線は手にあるファイル。正確にはそこに表記された『提督用』の二文字に注がれた。

 

 

 

 

『新米だろうがなんだろうが君は提督、ウチら(・・・)の提督や』

 

 

 ふと、昨日の龍驤の言葉が浮かんだ。その瞬間、胸を握り潰される圧迫感が襲ってきた。

 

 

 

 そうだ、俺は提督だ。ここの鎮守府の、ここの艦娘たちの提督。『新米』だろうが、提督は提督だ。『新米』なんて理由はもう通用しない。

 

 それに今までは金剛と言う『提督代理』がいた。が、今はいない。昨日、俺の手で解任した。今、此処に俺と同階級のヤツはいない。

 

 

 当たり前のことだ、俺が『提督』なのだから。

 

 

 『提督の役目は、部下の統括、鎮守府の運営、戦線指揮、海域の防衛、維持、って具合にたくさんあるけど、一番大切なのは『責任を負う』ことや』

 

 

 再び浮かんだ龍驤の言葉。それが、提督の役割。

 

 この鎮守府を運営、管理し、部下である艦娘たちの統括、戦闘指揮、海域の防衛、維持、そして近隣住民の安全を確保、強いては鎮守府の安全の確保等々、その数は多い。

 

 そんな提督の役割で、一番大切なのは『責任を負う』こと。ここの鎮守府で起こる全てのことに、例えそれがどんな些細なことでも、誰かが傷つくことでも、誰かを斬り捨てることになろうとも、その全てを背負わなくてはならない。

 

 

 当たり前のことだ、俺が『提督』なのだから。

 

 

 

 今更、気付かされた。『提督(その言葉)』の重みに。そして、もう逃げられないことに。

 

 

 もし逃げれば龍驤の言葉通り、『捨てられる』だろう。そしてそれは、今まで失踪してしまった提督、強いては初代と同等と言うことになる。

 

 失踪してしまった提督たちはまだ良い。だが、初代と同等なんて死んでもごめんだ。吹雪を傷付けてまで守り抜こうとしたんだ、こんなところで諦めて堪るか。

 

 

 しかし、そのために俺はそれだけのことをやらなければならない。『初代と同等にならない』ために、それだけのことをしなくちゃならない。昨日、今日のことでいっぱいいっぱいの俺が、更にそれらのことをやらなければならない。

 

 

 

 龍驤(おまえ)の言った通り、しんどいよ。今にも潰れそうだ。酷だよ。

 

 

 

「何考えてんだ」

 

 

 口から飛び出した言葉。それは怒鳴り声に近かった。それも、頭の中にあった思考を無理やり断ち切るため。それでも、まだ思考は拭い切れなかった。それを考えないように、ベッドにファイルを放り出して手早く着替え始めた。

 

 着替えている間、何も考えなかった。しかし、時折視界に入るファイルがその感情を無理やり掘り起こしてくる。だから、着替え終わった瞬間、ファイルを引っ掴んでドアを開けた。

 

 

 廊下には誰もいなかった。それを確認し、俺は部屋を後にした。

 

 

 今、艦娘に会うのは不味い。と言うか、単純に艦娘と会いたくない。その理由は何となく分かる。

 

 

 『怖い』のだ。『提督』として彼女たちと向き合うのが。『初代と同等になりなくたい』なんて、吹雪を傷付けた理由で『提督』の役割を背負い込むことが。

 

 

 そんな『我が儘』で、彼女たちの前に『提督』として出て行くのが、たまらなく怖いのだ。

 

 

 そんな感情を持ったまま、廊下を進んでいく。幸いなことに、誰ともすれ違わない。俺の部屋が建物の隅の方であることに加え、出撃や演習などの準備で工廠や演習場に出払っているためだろう。普通なら不満の一つでも出るところだが、今は有り難かった。

 

 

 やがて、目的の場所――――食堂が見えてくる。それを見つけた瞬間、無意識に早歩きになる。早く、あそこに入りたい。そんな言葉が頭を過り、俺の手は扉に触れた。

 

 

 

 

 

 

 ――――『食堂』に艦娘はいないのか?―――――

 

 

 扉に触れた瞬間、そんな言葉が頭を過った。同時に、扉を開けようとした手が止まる。

 

 

 よくよく考えれば分かったことだ。昨日からの新体制で艦娘全員が出撃や演習などに駆り出されず、少なくはない人数が非番になっている。そんな彼女たちが朝食の後すぐに部屋に帰るだろうか? 何人かは食堂に留まらないだろうか?

 

 隼鷹の言葉通り、ここには娯楽がない。なら、何人かは多分……いや、確実にいるだろう。

 

 

 そんな中に入るのか? こんな感情(この)まま入るのか? それを見せない様、勘付かれない様に、取り繕って入るのか? 出来るのか(・・・・・)? 俺に。

 

 

 

 『提督』としての価値(・・)が無い、俺なんかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 ふと、後ろから声が聞こえた。同時に、扉に触れる手の上に誰かの手が重なる。その手は俺よりも一回りも小さいながらも、俺の手を優しく包み込んでくる。

 

 

 

 

「しれぇ」

 

 

 再び同じ声。その言葉に、俺の首はゆっくりと動かす。自分の手を包み込んでくる手から腕、肩、そして顔に。手の、声の主の顔に視線を向ける。

 

 

 

 そこには、今まで見たことのないような柔らかい表情で佇む雪風。

 

 まるで、赤ん坊を見つめる母のような、子供を見つめる父のような、大切なモノを見つめるような。それらの言葉では全てを表現できないほど、本当に柔らかい表情を浮かべていたのだ。

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 再び、雪風の口が動く。呟くように言葉を零した彼女は目を閉じ、同時に俺の手を包み込む手に力を入れる。

 

 

 俺の半分ほどの、包み込むというよりも添えられたと言った方が正しいほど、本当に小さな手だ。でも、感じるのは手全体を包み込まれているような温かさ。まるで彼女の手で包み込めない部分を、その温かさが補っているような、そんな感じだ。

 

 

 閉じられていた雪風の目が開かれる。その目は呆然と彼女を見つめる俺の視線と重なり、やがて笑みに変わった。

 

 

 その瞬間、彼女の手は俺の手を()に押し出していた。

 

 

 

 

「おっはようございまーす!!」

 

 

 扉が開かれた食堂に雪風の声が響き渡る。同時に、俺の手を包み込んでいた彼女の手が離れ、そしてその身体も俺の横を通り抜ける。目の前の扉が開かれたことに頭が追い付いた頃に見えたのは、カウンターに向かうその後ろ姿だけであった。

 

 

 

 それと同時に、食堂に居た艦娘たちの視線が俺に注がれるのも見えた。

 

 

 

 中に居たのは、天龍と長門だ。皆が皆、唖然とした表情で俺を、正確には飛び込んできた雪風、そして扉の前でボケっと突っ立っている俺へと視線が動いたのだ。雪風が向かったカウンターの奥でも、彼女たちと同じような顔の間宮が見える。

 

 

 

 今、俺は一身に艦娘たちの視線を浴びている。その事実を落とし込んだ瞬間、あの圧迫感が襲ってきた。

 

 

 同時にそれを悟られない様、視線を下げる。そして、いつまでも食堂の前に突っ立っているわけにもいかないため、そのまま歩き出した。

 

 

 少しの間、食堂は俺と雪風の足音しか聞こえなかった。しかし、それもすぐに別の音、俺を呼ぶ声によって破られる。

 

 

 

「『提督』よォ」

 

 

 またあの言葉にざわつく。声からして、天龍だろうか。そう思って視線を上げると、天龍が近づいて来るのが見えた。その顔には、少し不満そうな表情。それを見た瞬間、圧迫感が強くなった。

 

 

 

「どうした?」

 

「それ、今日のだろ? 見せてくれよ」

 

 なるべく心中を悟られない様、取り繕う俺に、天龍がそう言って手を差し出してくる。彼女が言っているのは、俺の手にあるファイルだ。そう理解して、俺は特に何も考えずにファイルを手渡す。

 

 

 天龍は手渡したファイルを開き、中をパラパラとめくる。それはとあるページで止まり、何故か彼女は溜め息を溢した。

 

 

「また遠征かよ……」

 

 

「え?」

 

 不満げな天龍の呟きに、思わず声が出る。それを受けた天龍の顔は不満げなモノから意地悪いモノに変わり、何故か詰め寄ってきた。

 

 

「なぁ~、たまには出撃させてくれよぉ。資材が無いのは分かってっけど……それも昨日届いたんだろ? なら、少しぐらい遠征が減っても問題ないよな? 遠征ばっかじゃ腕がなまっちまうからさぁ? な、な? たまには良いだろ?」

 

 

「我が儘は慎め、天龍」

 

 

 言葉を捲し立てて詰め寄る天龍に思わず後ずさると、彼女の背後から鋭い声が聞こえる。すると、天龍はまた不満げな顔を浮かべ、後ろを振り返った。

 

 

「んだよ長門ォ、別に良いだろ?」

 

「『良くない』から、口を挟んでいるのだ。それは艦娘(わたし)たちの意見を元に提督たちが組んだモノ、お前の一人の言葉で変えられたら堪ったもんじゃない。それでも強行するのであれば、不満の鎮静化に走り回ることになるぞ? あと―――」

 

 

 天龍の言葉に呆れた様に返すのは、いつの間にか近づいてきた長門だった。彼女は困ったように頭を抱え、そしてあの言葉を零す。

 

 それによる圧迫感を感じるよりも前に、前触れもなく鋭くなった長門の視線に身が強張った。

 

 

ファイル(それ)は本来、提督と秘書艦しか触れられない重要な書類だ。今回は天龍だから良かったが、もしそれが艦娘に擬態した深海棲艦だったとしたらどうする? それだけで私たちは劣勢に立たされていただろう。今回は頼み込んだ天龍が悪いが、安易に手渡した『提督』も駄目だぞ。今後は謹んでくれ」

 

 

 長門の言葉、その意味に俺は更に圧迫感を覚える。そして、それはすぐに羞恥心へと変わった。

 

 

 俺の手にあるファイルは艦娘たちの予定、つまり今日一日の行動パターンが記されている。もし、これが敵の手に渡ったら、それこそ攻め込まれるチャンスを与えてしまう。深海棲艦が擬態するのかは分からないが、最悪のケースを想定するのは当たり前のことだ。それなのに、俺はたった今その危険を犯してしまった。

 

 

「……すまん」

 

「いや、今後気を付けてくれるのならいい。それとは別で、一つ進言しよう」

 

 

 俺が頭を下げると長門はそう言って表情を和らげ、次に真剣な顔を向けてくる。

 

 

「現在、我が鎮守府は電波探信儀―――所謂『電探』が不足している。なので、今後の装備開発は電探を優先的に開発してみてはどうだろうか? 勿論、言い出した私が細かい指示は出そう、君や秘書艦に負担はかけないさ。どうだろうか?」

 

「それは我が儘に入らないんですかぁ? 長門さーん?」

 

 

 長門の言葉に、天龍が嫌味ったらしくそう問いかける。それに長門は小さく笑い、小馬鹿にしたような顔を天龍に向けた。

 

「言っただろ? これは『進言』だと。私は鎮守府のためを思って進言したのだ。私利私欲に走ったお前と一緒にしないでもらいたいな」

 

「ほぉ、言ってくれるじゃねぇか?」

 

 

 長門の言葉に、天龍は楽しそうに笑みを浮かべる。そのまま、二人の応酬が始まるかと思ったが、それは一つの大きな咳払いによって阻まれた。

 

 

 

 

「いい加減、そいつ放してもらって良いかしら? そいつが食べ終わらないと、私たちが終われないんだけど?」

 

 

 その声を発したのは、カウンターから身を乗り出して不満げな顔を見せつけてくる曙。何故かカウンターの向こう側―――厨房に居て、何故かいつもの制服の上にはエプロンを纏っている。

 

 

「わりぃわりぃ」

 

「すまなかったな」

 

 

 曙の言葉に、長門と天龍はそう言って俺の前から退き、カウンターへの道を作る。二人があっさりと引いたことに若干驚きつつも、何故かもの凄い剣幕でこちらを睨んでくる曙の視線に狼狽えながらも進んでいく。

 

 

 

「……おー怖い怖い。流石、あの時啖呵を切っただけあるなぁ……な? 長門さんよ」

 

 

「そうだな。今日の朝もソワソワして落ち着きがなかったし、食堂から飛び出した時の顔と言ったら……まぁ、エプロンを置きに帰ってきた時が一番笑ったが」

 

 

「そこの二人!! うるさいわよ!!」

 

 

 背後でボソボソと喋る長門と天龍。そこに曙の怒号が飛ぶ。それに二人は飛び上がるどころか、更に声を押し殺して笑っている。何だこれ、なんて思いながらカウンターの前に立った。

 

 

「いつまで待たせる(・・・・)のよ、全く」

 

 

 カウンターに立った俺に、エプロン姿の曙がふくれっ面を向けてくる。それを前にして、俺は頭に浮かんだ疑問を口にした。

 

 

 

「なんでエプロン着てんだ?」

 

 

「はぁ?」

 

 

 俺の疑問に、曙は一瞬唖然とした顔を浮かべ、次に頭を抱えながら溜め息を溢した。

 

 

 

 

「間宮さんの手伝いをするって、一昨日言ったじゃでしょ? まさか、もう忘れたの?」

 

 

 曙の言葉に、一昨日の記憶が蘇る。

 

 

 それは、倒れた金剛を部屋に運び終わってからのこと。食堂で宣言していた通り、今後の体制へと移行するために金剛を除いた全艦娘に希望を取って、出撃や遠征、非番、食堂当番の人員振り分けをしていた時だ。

 

 

『間宮さんだけ毎日食堂じゃ大変でしょ? どうせ出撃できないんだし、私は間宮さんの手伝いをするわ』

 

 

 そう言って、曙は全ての日程に食堂当番のチェックを入れた希望書を持ってきたのだ。

 

 確かに、食堂では間宮と何人かの人員で回すと、後に人数も10人程度と決まった。しかし、今まで料理はおろか食事に触れてこなかった艦娘たちにいきなり調理をしろ、って言ってもそう簡単に出来る訳もない。少なくとも、彼女たちが慣れるまでは間宮に負担がかかるだろう。

 

 一応、間宮本人は大丈夫だと言ってはいたが、それでも心配なモノは心配である。せめて間宮の補佐役が一人いれば……と思っていた所の提案だったので、渡りに船と言わんばかりにそれを呑んだ。まぁ、流石に非番の日を作らせたが。

 

 そんな感じで曙は間宮と同じ調理当番に配属された。しかし、昨日は一昨日の試食会で作ったおかずが余っており、ご飯を炊くだけで調理らしい調理は無かった。

 

 

 そして、そのおかずもご飯も、昨日の内に綺麗さっぱり無くなり、調理当番制は今日から本格的に始まるんだったよな。

 

 

「『やっと役に立てる』なんて言って、凄く張り切ってましたからねぇ」

 

「間宮さん!!」

 

 いつの間にやら曙の横に立っていた間宮が可笑しそうに笑みを浮かべ、それに顔を赤くした曙が噛み付く。しかし、俺は噛み付かれた間宮の言葉に疑問を持った。

 

 

 

「『役に立てる』? 誰の?」

 

「誰って、それは……」

 

「そんなの『提督』に決まってるじゃないですか」

 

 

 俺の疑問に言いよどむ曙の代わりと言いたげに、間宮が即答する。その言葉に更に顔を真っ赤にした曙が間宮に詰めよるも、彼女は涼しい笑顔でそれをあしらう。

 

 

 しかし、俺はそれよりも間宮が発したあの言葉による圧迫感を堪えるのに必死だった。

 

 

 

「だ、だって……クソ提督のおかげだし」

 

 

 ボソリと漏らした曙の言葉。その言葉に、俺は今日一番のざわつきを感じた。しかし、そこに圧迫感は無かった。何故なら、それよりも引っかかった言葉があったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソ提督の『おかげ』?」

 

 

 無意識の内に漏れた言葉。それは、曙や間宮に聞こえていたのだろう。何故なら、彼女たちがキョトンとした顔を向けてきたからだ。そこでも、二人の表情は分かれた。

 

 

 困惑した表情と、真剣な表情に。

 

 

 

 

 

「まさか、提督はご自分の選択が間違っていると思っていますか?」

 

 

 訝し気な顔で問いかけられた間宮の言葉。ぶっちゃけ、図星だった。俺がここに着任して、今の今まで胸中に秘めていたこと。まさに、心のうちに秘めていた不安を的中されたと言っていいだろう。そんな疑問、もとい不安を、間宮によって暴露されたのだ。

 

 

 思わず彼女の顔を見る。そこには真剣な表情が。しかし、その表情は何処か寂しげであった。

 

 

 

「提督は、食堂(ここ)でのあの子達の顔を見ましたか?」

 

 

 続けて投げかけられた問い。それは普段よりも低い声色だった。発したのは、やはり真剣な表情の間宮。横の曙は困惑した顔で俺や間宮を交互に見る。

 

 

「もし、そこまで注意して見ていないのなら、今日の昼、もしくは夜の時にしっかり見て下さい。そこに、貴方がやってきたことの『結果』があります。そこに、貴方の求める答え(もの)が、きっとある筈です」

 

 

 間宮の言葉。その意味は分かった。

 

 

 俺が精力的にやったこと、特に『食事の改善』については、食堂に顔を出す艦娘の顔を見れば一目瞭然だ。そこで見せる艦娘たちの表情が、そっくりそのまま俺が今までやってきたことの結果に繋がる。

 

 

 でも、そう理解しただけ(・・)だ。それを信じようと、彼女の言葉をそっくりそのまま信じようという気持ちを、何故か持てなかった。彼女の言葉を、そして今の今まで食堂(ここ)で見た光景を信じられないわけではない。いや、信じたい(・・・・)のだ。

 

 

 でも、信じられないのだ。それを確定付ける、確固たる証拠が無いから。

 

 

「……もし、『それ』が信じられないのなら、言わせていただきます」

 

 

 不意にそう言葉を零した間宮。そう零した彼女は俺に頭を下げていた。横に立っていた曙も驚いた顔をしている。そんな俺たちを尻目に、間宮は力強く言い切った。

 

 

 

 

 

 

「『ありがとうございます』」

 

 

 

 それだけ。間宮の口から零れたのは、その一言だけであった。しかし、それを聞いた俺の胸中から、今まで俺を苦しめてきた圧迫感が、すっと消えるのを感じた。

 

 

 

「提督の『おかげ』で、私は自らの役割を全うすることが出来るようになりました。『給糧艦』と言う、『戦闘面以外で艦娘(あの子)たちを支える』役割を、ようやく全うすることが出来るようになったんです。それがあの子達にどんな影響を与えることになるのであろうと、少なくとも(・・・・・)、私は貴方に救われました。貴方の行いで、給糧艦である私は、役立たずだった(・・・・・・・)私は救われました。最低でも、貴方は『私を救ってくれた』という結果があります。それだけは、覚えておいてください」

 

 

 そこで言葉を切る間宮。彼女は笑みを浮かべていた。今まで見たことのない、満足げな笑みを。

 

 

「私も一緒よ」

 

 

 次に聞こえたのは、曙の声。その方を向くと、彼女は苦笑いを浮かべていた。

 

 

「私も、艦娘としての力を失いながらも、こうして皆の役に立とうと動いている。でも、それって提督(あんた)の許可を得ないと出来ないことよ。でも、あんたがここに置いてくれた。それはつまり、あんたが居てくれた(・・・・・)から、私はこうして動けるのよ」

 

 

 そう言って、曙は苦笑いを浮かべる。その顔に悲壮感はない。代わりに何があるのかは分からなかったが、少なくとも悲壮感(それ)は無かった。

 

 

 

「んなこと悩んでたのかよ?」

 

 

 次に聞こえたのは、天龍の声。振り向くと、彼女と長門は呆れたような表情を浮かべている。

 

 

「お前、俺が何処ぞの馬の骨とも分からない奴に、あんなこと頼むと思うか?」

 

「少なくとも、私は提督『だから』電探について進言したんだ。そうでなければ、相談せずに勝手に開発していた所だぞ」

 

「長門さん、それ立派な軍規違反よ?」

 

 

 天龍と長門、そして長門の発言に突っ込む曙。そんなやり取りが目の前で繰り広げられる。その光景に、俺は一言も発せずに、ただ茫然と見つめるしか出来なかった。

 

 

 

 

『提督としてまだまだ未熟な君に、ついてきてくれる子達がちゃんとおるんや』

 

 

 ふと、浮かんだ龍驤の言葉。その言葉が指す存在を、俺は信じられなかった。いや、存在すること自体は信じてはいた。が、それに見合うだけの価値が自分にあると、到底思えなかったのだ。

 

 

 でも、今こうして目の前にその存在がいる。いてくれる。俺を『提督』と呼んでくれる。こんな未熟で優柔不断で、結局のところ我が儘でしか動けない俺についてきてくれる。

 

 

 そして、あの時の様に、俺が立ち止まった時は誰かが後ろから押してくれる。今、目の前にいる。ちゃんといる。いてくれる(・・・・・)んだ。

 

 

 

 

 

 

「言ったでしょう?」

 

 

 不意に聞こえた言葉。その方を振り向くと、あの柔らかい笑みを浮かべた雪風が立っていた。

 

 

 

 

「『大丈夫だ』、って」

 

 

 雪風のその言葉。それを聞いた瞬間、顔の筋肉が緩まるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

また(・・)、笑ってるの?」

 

 

 不意に聞こえた曙の言葉。その方を見ると、そこに居た艦娘たちの殆どがキョトンとした顔をしている。唯一、その中で一人だけ、曙だけは苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

「提督の笑顔……初めて見ましたね」

 

「そうなんですか? 私は2回目だけど」

 

「それよりもどうしたのだ? 私のジョークがそんなに面白かったか?」

 

「いや、それは有り得ねぇから」

 

 

 俺の顔を見ながらそんなことを話し始める間宮に曙、長門、天龍。その言葉に、思わず顔に手を当てる。手で触って分かる通り、顔が緩んでいた。そうと分かった瞬間、何とか取り繕おうと手で顔の筋肉を引き上げる。

 

 

 しかし、それも次の瞬間には俺の顔を離れ、笑みを浮かべたまま頬を掻いていた。

 

 

 

 

「と言うか、皆さん時間は大丈夫なんですか?」 

 

 

 ポツリと聞こえた雪風の一言。その言葉に、全員の視線が食堂の時計に注がれる。そして、それを見た何人かの顔色が一気に変わる。勿論、その中に俺もいる。

 

 

 

「ヤベェ!? もうこんな時間かよ!! あ、近いうちにちゃんと出撃させてくれよな!!」

 

「くっ、長居しすぎたな……提督、取り敢えず電探の件は任せておけ」

 

 

 そう言って、天龍と長門は慌ただしく食堂から出て行く。そう声を掛けられた俺も、彼女たちと同じように食堂の外へと続く扉に駆け出した。

 

 

「ちょ!? 朝ご飯はどうするのよ!!」

 

「時間ないから昼にまとめて食べるわ!! だから、ちょっと多めにしてくれると助かる!!」

 

 

 後ろから聞こえる曙の言葉に、振り向かずにそう答える。振り向かなかった理由は、単に時間がなかったことに加え、自分が浮かべている顔を見られたくなかったからだ。

 

 

 何せ、緩んだ顔が一向に戻ってくれないんだ。多分、今の俺は今までで一番だらしなく弛んでいるだろう。そんな顔を、そう易々と人に見せるわけにはいかない。今はまだ未熟だからと理由を付けても、これからのことを考えると、そうも言ってられないんだよ。

 

 

 それに何となくと言うか。ようやくと言うか、俺がここの提督をやる『理由』みたいなモンが出来た。

 

 

 今の俺は未熟だ。『提督』なんて肩書を背負うほど、立派な人間じゃねぇ。多分、運営面的に言えば、金剛や大淀の方が適任だろう。俺はせいぜい、飯作りが上手いことが取り柄ってだけ。

 

 でも、そんな俺を『提督』と呼んでくれる奴らがいる。そう言って、ついてきて、時には押してくれる、正確にはケツを蹴り飛ばされるが、とにかくそんな奴らが居るんだ。数は少なくても、ちゃんとそこに居る、居てくれる。

 

 

 

 そんな奴らに、俺は応えなくちゃならない。いや、応えたい、応えたいんだ。

 

 

 周りから見たら、どう見えるだろうか。我が儘に見えるだろうか? しょうもないだろうか? いや、そんなことはどうでもいいんだよ。

 

 

 これは艦娘が『人間』か『兵器』かを決めるのと同じ、周りがどうこう言おうが、結局それを決めるのは艦娘自身だ。それと同じで、結局決めるのは自分自身だ。

 

 

 

 だから、俺は決めた。『アイツらに応える』ことが、俺の『理由』だと。


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