新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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軽空母の『嗅覚』

『もう……ダメ……みた……す』

 

 私の腕の中で、『彼女』は苦笑いを浮かべて呻き声を上げた。

 

 その顔、そして全身には無数の火傷に大小様々な裂傷が刻まれ、そこから血が止めどなく溢れ出ている。その背中に背負う艤装からは甲高い金属音と共に無数の煙と火花が飛び散り、艤装としての機能が完全に失われていた。艤装がただの重しとなった『彼女』の身体は、まるで引き込まれるように(した)へと沈んでいこうとしている。

 

 『彼女』を抱きかかえるワタシ、苦渋に満ちた表情でそれを見据える艦娘たち。ワタシたち、そして敵であっても、助かる見込みはないと判断するだろう。それほどまで、『彼女』はボロボロだった。

 

 それでも、ワタシは沈めまいと『彼女』を抱き抱える腕に力を入れる。ワタシも助かる見込みが無いと判断している。恐らく、『彼女』も助からないと諦めているだろう。それでも、ワタシはその身体を離さなかった。頭では助からないと分かっていても、別の何か(・・)が決して諦めることが出来なかった。

 

 突然、ワタシは側の艦娘()に向けて喉がはち切れんばかりに声を上げる。自分が何を言おうとしたのか、何故かワタシの耳には聞こえなかった。それでも、その艦娘は歯を食い縛りながら力強く頷いた。

 

 

 それと同時に周りの艦娘達が一斉に動く。

 

 

 ある者は無線を駆使して通信を試み、ある者は腕のカタパルトから偵察機を発艦させ、ある者は砲門を構えながら周りに鋭い目線を走らせた。各々が安全の確保に全勢力を注いでくれる。今、新手の深海棲艦が現れてもある程度の対処は可能、これで周りの安全は確保された。

 

 

 後は、ワタシが『彼女』を連れて帰ればいい。ただ、それだけだ。

 

 

『金……ごぅ……さ……』

 

 不意に、腕の中で『彼女』が声を出した。すぐさま『彼女』の方を見る。『彼女』はおもむろに手を伸ばして私の頬に触れ、口を開いた。

 

 

 

『     』

 

 

 

 

 

 彼女が何と言ったのか理解できなかった、いや理解する()がなかった。何故なら、その瞬間に彼女が(・・・)ワタシの胸をおもいっきり突き飛ばしたからだ。

 

 

 

 突然の衝撃にワタシの体勢が崩れ、彼女の身体から腕が離れてしまう。何とか倒れないよう体勢を立て直すワタシの耳に、重たいモノ(・・)が水に落ちる音。

 

 すぐさま視線を上げると、目の前には大きな水柱――――の影に見えた、小さな手のひら。

 

 

 それを見た瞬間に喉元まで込み上げてくる言葉。それを抑え込む術も余裕も、今のワタシには無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたら、ボンヤリと霞む視界に白い天井が映った。そして何かを掴もうと天井に伸びる白く細長い腕、ワタシの腕。

 

 あまりの状況の変化に戸惑っているワタシの視界に人影が映った。

 

 

「お目覚めかい?」

 

 

 ポツリと聞こえた声。それは何処か聞き覚えのある、目まぐるしく変わる状況に対応できない頭でも、その声が誰か把握できるほど、馴染み深い声。

 

 

 

「……響デスカ?」

 

「ご名答。響だよ」

 

 ワタシの言葉に、響はそう返す。その飄々とした口調、そしてボンヤリと映る視界の中で彼女の癖である帽子の唾を掴んで下げることで、彼女であると分かった。

 

 

「ここは……何処デスカ」

 

「君の部屋だよ。昨日の朝、雪風に食堂に来るよう誘われたんだけど、前日に残しておいた艤装の整備があったからそれが終わり次第向かうことにしたんだ。そして整備も終わっていざ食堂に向かおうとしたら、廊下で君が倒れているのを見つけてね。すぐに皆を呼んで此処まで運んで、その後は皆で交代しながら番をしてたのさ。それで今、ちょうど私の時に目を覚ましたってわけ」

 

 淡々とした口調の説明は、廊下で倒れてから途切れた記憶と合致した。彼女の言葉通り、ワタシは廊下で倒れてから今まで意識を失っていたのだろう。それよりも、昨日の朝と言うことは……。

 

「……どのくらい経ちましたカ?」

 

「丸1日と半日ぐらいかな。因みに、今は2回目の番だよ」

 

 1日と半日、それだけ意識を失っていた。我ながら長過ぎだと思うし、それだけ意識を失っていたとなると執務も溜まっているだろう。今からそれを片付けると思うと……これもテートクが原因だ。

 

 

「北上の検診によると、疲労の蓄積による心身の衰弱が主な原因。そこに高ぶった感情と形振り構わない衝動が加わって倒れたらしいよ。ここ数日、ちゃんと休んでいたかい?」

 

 ワタシの考えを見透かしたのか、響はカルテらしい書類がまとめられたボードを手に呆れた顔を向けてきた。テートクも原因であると言い張ろうと思ったが、その鋭い視線にいたたまれなくなって黙って視線を逸らしながら身体を起こす。その視界の外で彼女の溜め息、そしてが何かを机に置く音が聞こえた。

 

 それを確認して、ワタシはどうしても聞きたかったことを口にした。

 

 

 

「響は……食堂のことを聞きましたカ?」

 

「聞いたよ。君が吹雪を殴ったことも」

 

 

 響の返答に、ワタシは身体中の血の気が引いていくのを感じる。しかし、頭では自分に対する非難の言葉が浮かんでいた。

 

 当たり前だ、あの時から1日以上経っているのだ。知らない方がおかしい。よくよく考えれば分かっていたことではないか。何でこんなバカな質問をしたのだろう。

 

 それと同時に、そんな質問をした理由も浮かんでいた。ワタシは、単に『味方』が欲しかったのだ。テートクの言葉に惑わされない、ワタシの傍に居てくれる艦娘を。

 

 

 しかし、それは彼女の言葉で脆くも崩れ去った。鎮守府(ここ)に、ワタシの味方はいないと、そう悟ったからだ。

 

 

 

 

「でも、君は『初代』と同じなんかじゃない」

 

 

 不意に聞こえた響の言葉。その言葉に、ワタシは顔を上げて彼女の顔をマジマジと見つめた。

 

 

 

「確かに、艦娘(わたし)たちは『人間』との決別なんて望んでないし、君はそれを目的に色々なことを強要した。でも、それはただ『人間との決別を図りたい』と言う願い(・・)であって、初代のような小汚い欲望や野望なんかとはまるで違う。あの時司令官が言ったのはそんな見方も出来るよ、ってだけ。言ってしまえば、ただの『屁理屈』さ。まぁ、君が彼に今まで言い続けてきたことも、そして私のこれも『屁理屈』と言われればそれで終わりだけどさ」

 

 響の淡々とした言葉。それは小さいながらも、しっかりと通る声で、ワタシの耳に届いてきた。その言葉はワタシにのしかかる重みを解く半面、別の重圧をかけてきた。

 

 

 何故なら、彼女はワタシの味方でもテートクの味方でもない。どちらにも加担しない、第三者目線の言葉だからだ。

 

 

「今回の……と言うよりも、今までの君と司令官の争いは、もう『理屈』ではどうにもならないんだ。『理屈』でどうにもならない状況だ。だから、互いに正論の皮を被った『屁理屈』をこね続け、それに押し負けた君が感情を爆発してしまったんだよ。知ってるかい? 水掛け論の必勝法は、いかに相手の感情(ボロ)を引き出せるか…………そら、ボロが出た」

 

 

 響は途中で言葉を切り、窘めるような表情でワタシの顔を覗き込んでくる。それに思わず顔を背けると、彼女そう言って苦笑いを浮かべた。

 

 

「まぁ、感情を露にすることが全て悪手って訳じゃないよ。理屈や屁理屈は楽に片が付く反面、使える場面は限られるから万能ではない。逆に、感情は理屈や屁理屈の前では悪手になってしまう反面、それらが通じない場合は非常に強力な理由となる。感情は使いようによっては自爆材にも、強力な理由(ぶき)にもなるのさ」

 

 そう言って肩を竦める響を、ワタシは黙って見つめ続けた。

 

「でも、私からすれば今回は司令官の方が酷いと思うよ。何故なら、彼は『鎮守府(ここ)のことをよく知らない』ことを武器にしたんだから。過去にここで何があったか、それが私たちにどれだけ傷を負わせたのか、君が今までどんな思い(・・・・・)で司令官代理をしてきたのか、司令官はそのほとんどを知らない。でも、彼はそれを逆手にとって、『無知』という免罪符で君にあんな酷いことを言ったんだ。たぶん、彼は自分の言葉で君が傷つくことを知って、それが免罪符になると踏んでいた(・・・・・)と思うよ。誰かの入れ知恵かもしれないけど」

 

 

 つまり、響の言葉はこうだ。彼は傍から見ても相当酷い言葉を投げかけた。しかし、それは彼が着任して間もないために『よく知らなかった』から、誤って(・・・)そんな言葉を投げかけてしまった。これは一概に彼を責められない、もしくは仕方がない(・・・・・)ことなのだ。

 

 

 そう、傍から映るかもしれない。テートクはそうなると分かっていた上で、敢えてその間違いを犯したのだと、彼女は言っているのだ。

 

 やはり人間は汚い。だが、周りの艦娘たちが彼の思惑をそこまで理解しているのかは分からないし、何よりその術中に嵌ってしまったのは紛れもなくワタシの過失だ。ワタシ自身にも責任がある。

 

 それに、皆の前で『感情』に突き動かされて吹雪を殴ってしまった。これはワタシでも弁論の仕様もなく、艦娘たちに最悪の印象を与えてしまった。恐らく、彼女たちの目には初代の再来として映っただろう。

 

 

 これらを踏まえて、改めてワタシは味方がもう居ないことを再確認できてしまった。それはつまり、こういうことを表している。

 

 

 

「ワタシの居場所、もう無いんデスネ」

 

 

 ポツリと漏れた言葉。それは小さな小さな呟きであった。しかし、ワタシはそう呟いた後、響は帽子の唾を下げながらこう言った。

 

 

「なら、確かめてみるかい?」

 

 

 響の消え入りそうな小さな問いかけ。その瞬間、コンコンとドアがノックされた。

 

 

「いいよ」

 

 部屋の主であるワタシを差し置いて響が許可を下す。それを受けて、ノックした人物がドアを開けて入ってきた。

 

 

 

 

 ワタシを術中に嵌め、鎮守府から全ての居場所を奪った男―――テートクだ。

 

 

 部屋に入ってきた彼はワタシを見て一瞬表情が強ばるも、すぐに表情を引き締めて近付いてきた。

 

 

「いつ起きたんだ?」

 

「ついさっきだよ」

 

 テートクが響に問いかけ、彼女は何事もないように返す。それを受けたテートクは、響からワタシに視線を変えた。彼と目が合うと思った瞬間、ワタシの視線は彼から外れ、シーツを握り締める己の手に注がれた。

 

 

 

「気分はどうだ?」

 

 

 遠慮気味にテートクが問い掛けてくる。しかし、ワタシは答えなかった。いや、正確には答えられなかったのだ。

 

「まだ、優れないみたいだな」

 

 頭上からテートクの声が聞こえる。少しの凄味も威圧するような重厚感もない、普通の声色だ。でも、ワタシの耳には、この世で最も恐ろしい言葉のように聞こえた。

 

 

「響、席を外してくれるか?」

 

一向に応えないワタシを尻目に、テートクは響にそう言った。その瞬間、ワタシは視線をそう言われた響に向ける。テートクとワタシ、二つの視線に晒された彼女は少しも考えることなくこう答えた。

 

 

「分かったよ」

 

「ひびッ!?」

 

 予想外の答えに思わず声が出るも、彼女はまるで聞こえてないかのように反応しない。テートクに向けて敬礼をし、ワタシを一瞥することなく部屋から出て行こうとする。

 

「金剛」

 

 その後ろ姿をワタシが呆然と見つめる中、彼女はドアノブに手を掛けた時に思い出したように声を上げた。

 

 

 

「さっきまで私が言っていたことは信じなくていい。だけど司令官の言葉は、今だけ(・・・)は、どうか信じてほしい」

 

 

 こちらを振り返すことなくそう言い残し、響は部屋から出て行った。あとに残されたワタシ、そしてテートクは一言も発することなく、彼女が出て行った扉を見続けため、しばらく部屋は沈黙に包まれた。

 

 

「金剛」

 

 その沈黙を破ったのは、テートクだった。その言葉にワタシはビクッと身を震わせ、彼と目を合わせない様、視線を自分のシーツに移した。

 

 

「こっちを向いてくれないと、話が出来ないんだが」

 

 頭上から、彼の声が聞こえる。しかし、それでもワタシは顔を上げることが出来なかった。現実では昨日のことだが、ワタシの意識ではつい先ほど激しい言い争うを演じながらその術中に嵌め、1日にしてワタシの立場を陥れた人間の顔を、どうして見れるだろうか。絶対、見れるわけがない。

 

 

「まぁいい。正確には話じゃなく、事後報告(・・・・)だからな」

 

 いつまでも経っても反応しないワタシに、テートクはそんな言葉をかけてくる。話ではなく事後報告、と言うよりも、私への断罪と言った方が正しいだろう。あれだけのことをやらかしたのだ、何も罪に問われない方がおかしい。

 

 

 

「先ず、昨日付けでお前を秘書官の任から解いた。これからは俺と秘書艦に志願した日替わりの艦娘、そして補助の大淀で執務を行うことになった」

 

 

 テートクの口から零れた言葉。妥当な判断だ。なにせワタシは秘書官に任命されただけ、それだけの艦娘だ。『テートク代理』なんて言い張ったが、そんな役職はない。勝手に言い張って、勝手に鎮守府を運営していただけだ。それ以下は無数に存在するだろうが、それ以上は絶対にない。

 

 秘書艦を日替わり制にしたのは、恐らく今後ワタシのような艦娘を出さないための対策だろう。大淀は主にテートクが執務をこなせるようになるまで補助に就かせ、彼が執務に慣れてくれば別のことをさせる。最終的には彼の一本化にするのが目的だろう。

 

 最終的には鎮守府の全てのことを彼が掌握することになる。本来、それが普通なのだ。しかし、ワタシには今目の前でそう話すテートクが、何故か初代(あのおとこ)と重なって見えた。でも、今のワタシではどうすることも出来ない。

 

 

「そして、今後は他の鎮守府や大本営とも連携を取る予定だ。あくまで予定だから今後色々と混乱するかもしれない、そこから正式な支援を取り付けられるかは分からないが、今後のことを考えてもここで関係を修復する。状況的に安全であると判断すればだが、あちらから送られる人員も受け入れるつもりだ」

 

 

 大本営との関係修復。いつものワタシなら、この言葉を聞いた瞬間彼を殴り飛ばしていただろう。しかし、今はそんな気持ちが一切湧いてこない。むしろ興味が湧かない、今まで散々食い下がったモノがどうでもいいように感じていた。

 

 

 そんな気持ちになっているワタシに、彼は今後の鎮守府の体制で変わった点を教えてくれた。

 

 

 先ず、出撃について。これは艦娘たちの希望を元にスケジュールを組み、月の8日は半日、その内4日は終日の休暇を設けることとなった。まだ調整中ではあるが、これが安定すれば艦娘一人一人にかかる負担を抑えた上で、全艦娘が十分な休息をとれるようになるのだとか。

 

 次に、食事について。これは出撃を控えた者のみが燃料と弾薬を補給、その日出撃がない者や出撃を終えた者、そして夕食は全艦娘が食堂で出される食事をとることになった。これも調整中ではあるが、安定すれば資材の消費を抑えることが可能となり、艦娘たちの士気も維持が出来るだとか。因みに、艦娘たちが食べる食事は、間宮と10人程度の週替わり当番制を設けて対応するらしい。

 

 そして、先ほど述べた秘書艦の交代制。その内容は先ほど彼が言っていた通りなのだが、他の二つとはある点で違っていることにワタシは気付いた。

 

 

 それは、既に施行(・・)されていること。他の二つは調整中にあるにもかかわらず、何故かこれだけは今、現在進行形で機能しているということだ。

 

 

「何故、秘書艦だけは既に動いているのデスカ?」

 

 無意識の内にポツリと零れた言葉。それによって、テートクの話は途切れた。話を途中で途切れさせられた彼であったが、その顔に不満げな表情を浮かべることはなく、淡々とした口調でこう言った。

 

 

 

「艦娘たちが、お前を秘書艦の座から降ろして欲しい。そう言ったからだ」

 

 

 その言葉を聞いて、ワタシは少しも驚かなかった。だって、今まで散々思い知らされてきたことではないか。ワタシの味方は、居場所はもう存在しない。分かっていたことだ、今更絶望なんてしない。ただの事実として受け入れられ、何かが吹っ切れた。

 

 

 そして、それは同時に鎮守府への『存在意義』が消えたことを表していた。

 

 

 

 

 

「解体してくだサーイ」

 

 

 ポツリと、ワタシは呟いた。普段よりも少しトーンが低いがそれ以外は普段と変わらない、いつも通りの口調で。

 

 返答はない。ワタシはいつも通りの顔でテートクを見上げる。先ほどまでは絶対に見られないと思っていたのに、吹っ切れたせいかその感情すら感じなくなっていた。その日、ワタシは初めてテートクと視線を交わした。

 

 

 彼は食堂と同じように憮然とした表情をしていた。しかし、その唇は固く結ばれ、その目に焦りが見えた。

 

 

「解体してくだサイ、テートク。ワタシは上司である貴方に逆らったんデスヨ? 上司への反抗は軍規違反、そして今までワタシが犯してきた罪は山よりも高く海よりも深いはずデース。だから極刑に、あなた達で言う死刑にしてくだサイ。解体が生ぬるいなら、今から単艦で出撃してきましょうカ? 装備も全て降ろして、必要最低限の燃料だけ補給して、深海棲艦の餌食になってきましょうカ?」

 

 

 再び、ワタシはそう言った。しかし、彼は一言も発しない。

 

 

「どうしました、何故何も言わないんデス? あなたはこれが目的なんでショ? ワタシを陥れて鎮守府を掌握する、それは達成したんデスヨ。あとはどうするか、邪魔な奴を始末すればいいんデス。ほら、何か言ったらどうデス? 何で何も言わないんデスカ? 何で黙っているんデスカ? 何で何も言い返さないんダヨ? 言いたいことがないんデスカ? 何か言ってみろヨ……言えヨ、言えって言ってるダロ!! ナァ!! 言え―――」

 

 

 いつの間にか怒号に変わっていたワタシの言葉が途切れる。それは、テートクがおもむろにポケットに手を突っ込み、折りたたまれた紙を差し出してきたからだ。

 

 

「What?」

 

 ワタシは差し出された紙、そして差し出してきたテートクを一瞥しそう言った。しかし、彼は頑なに口を開こうとせず、ただ紙を差し出すだけ。彼が何も言うつもりは無いと判断し、ワタシは差し出してきた紙を受け取って中を開いた。

 

 

 それは手紙だった。それも、書いては消してを繰り返したのかその紙は所々黒く汚れており、水滴が落ちたかのように灰色の斑点が付いている。そんな紙の中央に、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『金剛さんを解体しないでください』

 

 

 その一文を読んで、ワタシの思考は停止した。

 

 

「それ、ついさっき駆逐艦から貰った嘆願書だ。それだけじゃない。執務室に行けば、それと同じものが山ほどある」

 

 ふと聞こえたテートクの言葉。それに思わず彼を見る。そこには先ほどの憮然とした表情ではなく、力無い苦笑いが浮かんでいた。

 

 

「確かに、艦娘たちはお前を秘書艦から降ろすよう言った。でも、それと同時に解体処分にしないことも言ってきた。そして、ついさっきをもってお前以外の艦娘全員が嘆願書(これ)を渡してきた。この意味、分かるか?」

 

 テートクが問い掛けてきた。しかし、ワタシは頷くことが出来ない。嘆願書が示す意味の前に、まずこれの存在自体が理解出来ないから、その意味まで考える余裕がないのだ。

 

艦娘たち(あいつら)は、お前のことを少しも恨んでない。これ以上負担をかけないために秘書艦を降ろさせ、軍規違反で解体されないように、こうして嘆願書を持ってきた。つまり、金剛を助けようとしているんだよ。だから解体しないし、俺も元々解体する気もない。まぁ、俺が言っても説得力ないかもしれないけどさ。でも――――」

 

 

 そこで言葉を切ったテートクはその場で膝を折って座ってるワタシと同じ目線になり、シーツを握るワタシの手に触れ、こう言った。

 

 

 

 

「俺のことは信じなくてもいい。でも、艦娘たち(あいつら)のことを、あいつらがやってきたことを、信じてやってほしい」

 

 

 真っ直ぐ、片時も目線を外すことなく彼はワタシを見据えてそう言い切った。その言葉、その表情、その視線に、止まっていた思考が動き出す。そして、たどり着いた言葉を吐いた。

 

 

 

 

 

「どう信じればいいんデスカ?」

 

 

 その言葉が零れた瞬間、テートクの表情から光が消えた。そして何か言いたげに口をモゴモゴしているのを尻目に、ワタシは淡々と言葉を吐き出す。

 

 

「響はテートクを、テートクは艦娘を信じろと、そして互いに自分のことは信じなくてもいい、と言いましタ。響の言葉を信じるならあなたを、あなたの言葉を信じるなら艦娘たちを信じることになりマス。でも、あなたの言う艦娘たちには響も含まれていますが、あの子には自分の言葉を信じる必要はないと言われましタ。でも、あなたの言葉を信じるにはあの子を信じなければならないんデス。あなたたちのどちらを信じても、どちらも信じることが出来ないんデス。どうすれば……どうすればいいんデスカ?」

 

 

 テートクと響は、互いに自分を信じなくてもいいから艦娘を、テートクを信じろと言っている。どちらか片方を信じても、どちらも信じても、結果はどちらも信じるな、と言うことになる。つまり、二人が言っていることは矛盾している。それは答えがない問題を渡されて答えを導き出せと言われていることと同じ、不可能(・・・)なのだ。

 

 

 だから、ワタシはテートクに問いかけた。この答えのない問題を解く方法を、テートクや艦娘たち両方を(・・・)信じることが出来る方法を知っているのであれば。

 

 

 

「……残念だが、それに答えることは出来ない。問いかけておいた手前、すまなかった」

 

 

 しかし、彼はその問いに答えず、代わりに謝ってきた。その姿を見たワタシは、彼から手にある嘆願書に視線を落とした。

 

 

「最後に、お前の処分についてだ。合議の結果、無期限の謹慎処分だ。それが解けるまで、出撃や演習に参加すること、そして鎮守府の敷地外に出ることは禁止だ。取り消しのタイミングについては、客観的に可能でないと判断しない限り、お前の意見を尊重した上で決める。だから……」

 

 

 そこで、テートクは何故か言葉を切った。ほんの一瞬沈黙が生まれるも、それは彼がいきなり立ち上がったことで破られ、嘆願書に移っていたワタシの視線が再び彼に注がれる。

 

 

「十分に頭が冷えて、通常の任務に就いても何ら支障がないと判断したら、傍にいた艦娘にでも言ってくれ」

 

 

 それだけ言って、彼はクルリと背を向けてドアに近付いていく。その後ろ姿をワタシはずっと見つめていたが、やがて視界は薄い膜でも張られてしまったかのようにぼやけてしまう。

 

 そして、ドアが閉まった。その瞬間、ワタシの口から小さな泣き声が漏れる。一度漏れた泣き声は洪水のように止めどなく溢れていき、視界をぼやかしていたものは無数の涙となり、頬を伝って嘆願書に落ち始めた。

 

 

 

 溢れてくる涙が枯れ切った時、手にあった嘆願書は黒ずみと灰色の斑点で文字が滲んで読めなくなっていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「『休んでくれ』なんて、俺の口から言えねぇよな」

 

 金剛の部屋を出て執務室に向かう途中、俺はそうため息を溢した。

 

 

 大淀や今日の秘書艦である榛名と一緒にある程度書類を捌いたとき、気分転換がてらに金剛の様子を見に行ったら目を覚ましててびっくりしちまったよ。なんとか表面上は取り繕ったけども、バレていたんだろうなぁ。

 

 そして、番をしていた響に席を外させて金剛に今の鎮守府の現状、そして彼女の処分を言い渡した。現状について話しているとき、彼女はあまり聞いていなかったんだろうな。無理ないよな、今まで自分が敷いてきた体制をまるっと変えてしまったんだから、面白いわけがない。

 

 

 それにアイツ(・・・)の予想通り、金剛は解体を申し出てきた。たぶん、この状況の鎮守府で過ごす自分が耐えられなかったと思うが、その前に聞いてきた質問から見るに自分以外の艦娘たちが俺側についてしまったと勘違いしたんだろう。打つ手が思い付かずに一言も発せなかった俺に怒号を浴びせたのも、俺がそのことを隠しているとでも思ったんだろうな。実際は違ったんだが、あの時は本当に危なかった。部屋に行く前に嘆願書を受け取らなかったらどうなっていたか……。

 

 と言うか嘆願書、この嘆願書だ。

 

 会ってきて分かったが、今、金剛に必要なのは十分な休息と一人になるための時間だ。一応、禁止しているのは鎮守府の敷地外ってだけで鎮守府内は自由に歩けるものの、他の艦娘と顔を会わせることを避けるだろう。そこに無理に艦娘たちが会いに行けば、それが今の精神状態の金剛にどんな影響を及ぼすか分からない。恐らく、良い影響を与えないのは確かだ。

 

 でも、嘆願書なら直接会わなくても言葉が伝わるし、金剛が処分しない限りはずっと残るため彼女に時間的余裕を与えられる。そして書かれている言葉が変わらないから、さっきの俺と響のようにどちらの言葉が本当か嘘か分からなくなることはない。つまり、金剛のペースで艦娘たちの言葉と向き合うことが出来るのだ。

 

 

 初めて持ってこられた時は驚いたが、ここまで読んだのは流石第3艦隊旗艦(・・・・・・)と言うべきか。

 

 

 

「司令官?」

 

 

 そんなことを思っていると、後ろから声を掛けられた。振り返ると、小さな土鍋とお椀を乗せた盆を持った吹雪が立っていた。しかし、その背中には華奢な彼女には不釣り合いな武骨い艤装を背負っている。

 

 

「ご苦労さん、吹雪。それは金剛の分か?」

 

「お疲れ様です。はい、帰投した時に響ちゃんから金剛さんが目を覚ましたと聞いたので、艤装も外さずに来ちゃいました。あ、第3艦隊(・・・・)の戦果報告は後で必ず行くので、今は見逃してもらえませんか?」

 

 そう言って、吹雪は苦笑いを浮かべる。しかし、俺は苦笑いを浮かべる彼女の目が、赤く充血しているのを見逃さなかった。

 

「構わない。別に吹雪じゃなくても他の奴に報告させていいんだぞ?」

 

「いいえ、大丈夫です。報告も私の役目ですし、あまり長居をするのもあの人に悪いですから。では、失礼します」

 

 そう言って吹雪はクルリと背を向けると、逃げるように走り出した。しかし、その足は俺が彼女の腕を掴んだことによって止まる。

 

 

「……俺が言うのもなんだが、お前だけが背負う必要は無い。俺だけじゃない、皆背負う覚悟だ。だから――――」

 

 

「司令官」

 

 

 俺の言葉は、吹雪の一言によって遮られてしまう。俺が黙ったのを確認して彼女は再びこちらに向き直り、涙が浮かぶ顔のままこう言った。

 

 

 

 

 

「覚悟じゃないんです。背負いたい(・・・・・)んですよ。私は、あの人を」

 

 

 それだけ言うと、吹雪は一礼をして今度こそ走っていった。その後ろ姿を、俺はただ見つめることしか出来ない。やがて彼女の後ろ姿が見えなくなる。それを確認してから、俺は執務室へと歩き出した。

 

 

 

「司令官」

 

 

 再び声を掛けられる。それは先ほどの吹雪の同じ言葉であったが、関西訛り(・・・・)の効いた独特なイントネーションで発せられたため、振り返るよりも前に誰であるかが分かった。

 

 

「龍驤か」

 

「そうやで」

 

 振り返った先には、少し離れた場所からいつもの柔和な笑みを浮かべた龍驤が手招きしていた。なんだろ、口調も相まってきな臭さが尋常じゃないんだが。

 

 

 

 

「何か用か?」

 

 

「急ぎの話があるんや。付き合ってくれへん?」

 

 そう言って、再び笑みをこぼす龍驤。しかし、その笑みにはいつもと違い言い知れぬ威圧感があり、思わず腰が引けてしまった。その様子を見てか、龍驤はクルリと背を向けると、手でついてこいと合図をしながら歩き出してしまう。

 

 

 その後ろ姿、そして言葉の重圧に無視できないと判断し、俺はその後を追った。


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