新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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司令官の『我が儘』

「これで終わりっと」

 

 そう言って、私は一息つくために手首を掴んで左右に揺れるように大きく伸びをする。肩や背中周りの筋肉を十分に伸ばし、ポキポキと言う軽快な音が鳴らなくなるまでそれを続け、一気に脱力する。

 

 こうすると使う使わないに限らず肩や背中周り全ての筋肉や関節を解すことが出来る。毎日のように資材取集で身体を酷使しているため、こういう体操やストレッチは慣れたモノだ。まぁ、今回はオリョクルでも出撃でもないんだけどさ。

 

 

 そんなことをぼやく私の前には、ボウルの中で小山のように鎮座している粗めに潰れたジャガイモ。大体10分ぐらい、ひたすらゆで上がったジャガイモをマッシャーで潰した成果だ。

 

 

 司令官の号令によって始まった試食会に向けての調理。

 

 

 私たち潜水艦は、二手に分かれて野菜の水洗いとジャガイモの皮むきに始まり、人参、玉ねぎ、茄子、蓮根、牛蒡、アスパラガス等の皮をひたすら剥き、或る程度溜まったらそれを切る担当である吹雪たちの元に持っていく、これを野菜がなくなるまで何度も繰り返した。

 

 それが終わると、次は間宮さんから受け取った茹でたジャガイモをひたすらマッシャーで潰す作業、そして切る担当への応援を申し付けられた。私とハチはジャガイモを潰す作業を担当し、今の今までひたすらジャガイモを潰していたわけだ。量が量だったため、ここまでで大体一時間ぐらいかかったかしら。

 

 

「さ~て、続けますよぉ」

 

 同じように伸びをしていたハチは何処か気の抜けた声色でそう言い、再びマッシャーを手に取りジャガイモを潰し始めた。彼女も私と同じぐらい潰し終えているが、それでも作業を続けるには理由がある。

 

 潰す作業を申し付けられた際、司令官にジャガイモの形が残るモノと残らないモノの2種類を作って自分の所に持ってくるように言われた。それを受けて私たちは分担して作ることにしたのだが、彼女が形が残らない方をやると言いだしたのだ。私もそこまで拘りもなかったので了承し、私は形が残る方を、彼女は形が残らない方をやることとなった。

 

 しかし、やはり残らない分時間も労力も必要になるわけで、彼女よりも先に作業を終えてしまうと何処か申し訳ない気持ちが芽生えてくる。

 

「手伝おうか?」

 

「ううん、大丈夫」

 

 そんな罪悪感からハチに手助けを申し出るも、笑顔で断られてしまった。その言葉に何も言えない私を尻目に、ハチは鼻歌を歌いながらそれに合わせてジャガイモを潰していく。リズミカルにジャガイモを潰していくハチを見て、私は思わず口を開いた。

 

 

 

 

 

「楽しいの?」

 

「うん、と~っても」

 

 訝し気な私の言葉に、ハチは気の抜けた声で答えた。その際に向けられた顔には、ここ最近見られなかった満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

「ここ最近……と言うか、配属されてから殆どオリョクル漬けの毎日だったからさ。金剛さんのおかげで非番を貰ってはいるけど、寝る以外に何をしたらいいのか分からなくて正直若干持て余していた所なんだよね。だから、久しぶりにいつもと違うことが出来て、ハチは楽しんだよぉ」

 

 笑顔でそう応えるハチの言葉に、私はボウル一杯のジャガイモ、そして所々潰れたジャガイモが付いているマッシャーに目を落とした。

 

 

 金剛さんから貰った非番の日、私はその時間を自室で休むか工廠に赴いて艤装の整備に費やしていた。最も、整備をするのは出撃の際に不具合を感じた時ぐらいで、殆どは自室で休んでいたんだけど。しかし寝付けない時もあるわけで、私の場合は外に出れば出撃を控えている艦娘に嫌味を言われるかもしれないと思いひたすらベットに寝転がってボーっとしていた。

 

 確かにあの眠るに眠れない時間は案外と辛い。贅沢な悩みだとは思うが必要ないと言うわけでもなく、一度眠ったら朝までなんてザラだ。何より他の艦娘は出撃していると考える分、罪悪感がのしかかってくる。私以外は部屋で休む他は外に出るのだが、やはり感じることは同じだったようで。そう言う時間をどう過ごすか苦心していたのだ。

 

 それにハチは無類の読書家である。ここに配属された時も両手いっぱいに本を抱えていたし、時間があれば何処からともなく本を取り出して読みふける、何処でも読書をする姿を指摘された際に「読書は大人の嗜みだよ?」と満面の笑みで相手を嗜めたほどだ。本の虫なんて可愛いもので、活字中毒ならぬ読書中毒と言っても良いだろう。

 

 しかし、それが初代に見つかった際『兵器が読書とは生意気だ』なんて理由で殴られて、持っていた本を全て没収されてしまったのだ。

 

 大好きな読書を、そして鎮守府に持ち込むほど大好きな本を奪われ、取り返そうとすれば怒鳴られ、殴られる。営倉に引っ張っていかれそうになったのを必死に止めた時の表情は忘れたくても忘れられない。初代が居なくなってから没収された本を探したのだけど処分されていたようで、その日以降彼女が本を手にすることは無かった。同時に彼女の笑顔も減った。

 

 そしてようやく手に入れた時間も、本が無ければ意味がない。これは彼女にとって死活問題だっただろう。

 

 

 そんなハチが『楽しい』と言って、笑顔を浮かべた。読書以外で、ここまでの笑顔を見せたのは少なくとも私の記憶にはない。むしろ、読書よりもいい笑顔かもしれない。

 

 

 

 

 

「イムヤも、楽しいでしょ?」

 

 その笑顔のまま、ハチはそう問いかけてくる。首を傾げて覗き込むように見つめてくるその顔に、私の口許は自然と綻んでいた。

 

「ま、暇つぶしにはちょうどいいかもね。じゃ、これ持っていくわ」

 

 そう言ってハチに笑いかけ、私はボウルを手に取って彼女の横を離れる。そして、私たちから少し離れた流し台に立つ司令官に目を向けた。

 

 

 司令官は額に汗を浮かべながらも真剣な顔つきで、胴体はあるであろう大きな肉の塊に包丁を入れている最中だ。その周りには大小様々な肉の塊、薄切りやブロック状などのカットされた精肉、そして所どころ肉片が残る骨が転がっている。肉の下ごしらえと言っていたが、傍から見れば肉の解体、成形に近い。そして彼がどれだけ肉を捌いたのか、付けている白い手袋やエプロンの染まり具合が物語っていた。

 

 そんな汗みずくになりながら作業をする司令官の元に、粗目に潰したジャガイモを持っていこうと足を踏み出した。

 

 

 

「イムヤさ~ん」

 

 その瞬間、背後から名前を呼ばれる。振り返ると、厨房と食堂を繋ぐカウンターに身を乗り出している雪風。先ほど涎を垂らしながら眠りこけていた駆逐艦様は、今度は性懲りもなく厨房にでも入り込もうとしているのかしら。

 

 

 

 なんて、冗談めいた言葉は口に出ることなく引っ込んだ。

 

「ちょっと、しれぇの様子を見てきてくれませんかぁ?」

 

 普段の彼女の口調とそう変わらない。だが、その表情は違う。いつも能天気にニコニコ浮かべている笑顔でも、不満げに眉を潜めて頬を膨らませる顔でも、涎を垂らしながら幸せそうに寝息を立てる寝顔でもない。

 

 

 

 

 

 

 真顔――――――何の感情も感じない、完璧な真顔。『無』表情と言ってもいいかもしれない。その顔で、じっと司令官を見つめているのだ。

 

 

 喜怒哀楽を感じない、まるでそれらの感情を欠落してしまったかのような表情。それでじっと司令官を、釘を刺されたかのように視線を動かさず、ただただ司令官を見続けてる。

 

 その表情を見た瞬間、私の背筋に冷たいモノが走った。

 

 

「雪風の勘違いかもしれないのですが、朝お説教を受けた時と今のしれぇの顔が違うんですよねぇ」

 

 固まっている私を尻目に、雪風はその表情のまま首を捻る。無表情のまま首をかしげるその姿は違和感しか感じられなかった。

 

 

「朝はスゴい自信満々だったのに、今は何処か思い詰めているような……迷っているような……そんな気がします。本当は雪風が行きたいのですが出入り禁止を言い渡されているので、代わりに行ってきてもらえませんか?」

 

「わ、分かったわ」

 

 雪風の言葉に、私は自分でも驚くほど上擦った声で了承した。背筋の冷たいモノはすでに消えたのだが、その感覚がいつまで経っても消えずに私の精神を締め付けてくる。それほどまでに、彼女の表情は異常だった。

 

 

 そんな雪風から逃げるように急ぎ足で司令官の元に向かう。その途中、雪風から少し離れた瞬間に両手に鋭い痛みを感じた。

 

 見ると、異様に紅潮した手とそこに深々と刻まれたボウルの淵の痕。恐らく、無意識のうちにボウルを握りしめてしまったのだろう。痛みを伴うほど握りしめたのに、それを忘れるほど雪風の表情が衝撃だったのだろうか。それを悟った時、無意識のうちに震えた。

 

 

 

「大丈夫か?」

 

 ふと、前から声が聞こえ、反射的に頭を上げると心配そうにこちらを覗き込んでくる司令官。彼と目が合った瞬間、一瞬頭の中が真っ白になった。しかし、すぐさま記憶の中から彼への用事を掘り起こす。

 

 

「何でもない。それより、潰し終わったから確認お願い」

 

 勘付かれないようなるべく平静を装ってそう言い、顔を隠す様に手に持ったボウルを司令官に突き付ける。いきなり突き付けられた司令官は「うぉ」っと声を出すも、何も言わずにボウルの中身をチェックし始めた。

 

 チェックしている司令官になるべく気付かれない様、ボウルの端から見えるその顔を観察してみる。

 

 目を細めてボウルの中身に目を走らせる司令官。そこに先ほど雪風が言っていた、思い詰めているような、迷っているような感じは無い。至って普通の表情だ。彼女の言葉通り、勘違いだろう。

 

 

「……俺の顔を見つめてどうした?」

 

 そんなことを思いながら見ていると、司令官がそう言って困惑した顔になる。って言うか、バレた!? あんなに視界に注意したのに……。ともかく何とか誤魔化さなくっちゃ。

 

「え、あ、その、な、何か司令官の顔がおかしいなぁって思って……」

 

 咄嗟に頭に浮かんだ言葉をよく考えもせずに口に出す。今、勘違いだろうと結論付けた言葉を思わず吐きだしてしまい、しまった、と心の中で舌打ちをする。しかし、その感情はすぐさま消え去った。

 

 

 

 目の前にある司令官の顔がガラリと変わったからだ。

 

 

 普通の表情が一瞬強張り、すぐさま取り繕ろう(・・・・・)と引きつったような笑みに変わり、やがてその笑みも消えて疲れたような表情になる。そして、その表情のまま力ない目を私に向けてきたのだ。そこで、私は感じた。

 

 

 

 

 『思い詰めているような』、『迷っているような』表情だ、と。

 

 

「聞いていいか?」

 

 ふと、呟くように発せられた司令官の声。私は目の前の人物の変わりように状況が掴み切れず、考える間もなく首を縦に振った。

 

 

「資材以外の食事を禁止された時、なんて言われたんだ?」

 

 司令官の口から発せられた言葉。一瞬、私はその言葉の意味が理解できなかった。しかし聞こえてはいたので、聞き取れたその言葉を自分の中で咀嚼していく。その意味を理解出来た時、私の胸は腹の底から湧き出てくる嫌悪感で一杯だった。

 

 

 彼……いや、司令官はまたもやトラウマを抉ってきたのだ。それも潜水艦だけでなく、鎮守府に居る全ての艦娘がトラウマであると答えるであろうその質問を。

 

 

「……何で教えなきゃいけないの?」

 

「教えたくないのは重々承知している。でも、どうしても聞いておきたいんだ」

 

 嫌悪感を微塵も隠さない私の問いかけに、司令官は申し訳なさそうに肩を竦めるも引き下がる様子はない。むしろ、言い終わるとこれが誠意だと言いたげに頭を下げてきた。下げる際に見えた彼の表情は、『不安』そのものだ。

 

 

 彼は分かった上で聞いているのか。その言葉の意味を、重みを、そして私たちが抱えている問題を。いや、分かっていない(・・・・・・・)からこそ、聞いているのか。

 

 

 今の私のように、ここの艦娘は初代の蛮行を話すことを嫌う。そして今までの噂や昨今の行動を見る限り、彼はこの鎮守府のことをそこまで把握していないだろう。せいぜいこんなことがあったようだ、みたいなことぐらいしか知らず、その時一体どんな言葉を投げつけられ、どんな仕打ちを受け、それで私たちがどんな感情を持った、なんてことまでは知らない筈だ。

 

 

 当たり前だ。それを知ってるのは艦娘(わたし)たちだけであり、それをつい先日着任したばかりの彼に話す筈がない。まして、トラウマを植え付けた初代、そしてその後着任する度に雲隠れした今までの司令官たちの後続なんかに、だ。

 

 

 しかも、司令官は着任翌日に入渠ドックに押し入ったと聞いた。それ以降も、雪風の弱みを握った、榛名さんに伽を強要した、そして金剛さんを脅迫した等々と、彼がここに着任してから様々な事件を起こしたことが、そこからあの男は大本営の命令で私たちを沈めに来た、大本営ではなく深海棲艦からのスパイだ、なんて根も葉もない噂が、そしてそれを鵜呑みにした潮が彼を砲撃し、曙の誤射で傷ついたことも聞いていた。

 

 それに、私たちは落ち込みも怒りもしなかった。どうせ今までと同様すぐに雲隠れするだろう、そう結論付けていた。期待なんて以ての外、落胆も絶望も、彼に噛み付いた潮のように憤怒するのも無駄。

 

 

 ただ新しい『人間』がやってきて、同じように勝手に消えるのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。

 

 

 しかし、彼は今、目の前で料理を――――艦娘たちの『食事』を作っている。いや、今目の前にある食材は全て彼が大本営に召集された際に取り付けた支援によるもの。更に、あまり思い出したくはないが演習時に襲撃された時も生身のまま戦場に飛び込み、文字通り最前線で負傷した艦娘たちの避難を買って出たらしい。

 

 そして何よりも、昨日初めて会った私の目を真っ直ぐ見て、初代が行った蛮行は絶対にしないと言い切ったこと。

 

 

 今まで周りから協力もされず、慣れ合いすらなく、むしろ今までの後続と言うだけの理由で目の敵にされながらも、彼はここまでのことをしたのだ。

 

 

 着任して間もない、更にどの艦娘からも歓迎されない。むしろ潮のように噛み付かれた、敵意を向けられたこともあるだろう。その理由を聞こうにも、ここの艦娘は誰も教えてくれない。ここがどのような状況であったのかを把握しても、彼が向き合わなければならないのはその状況の中で傷つき、心身ともにボロボロにされた艦娘たち。いくら状況を知ってもそれは外聞なわけで、そんな前提条件(・・・・)だけではあまり意味を成さない。

 

 

 彼が必要としているのは、その状況を過ごし、傷付き、打ちのめされ、絶望する気力すら失った艦娘たちの感情だ。

 

 

 それを手に入れるために、彼はこうして料理をしているのだろうか。いや、そうなのだろう。そうでなければ、誰一人協力者がいない状況でここまでのことをするハズがない。むしろ、ここまでやっている彼を見て見ぬフリをしている私たちは何なのだろか。

 

 今までの後続だから、なんて理由で彼を今までと同じだと勝手に決めつけ、協力は疎かロクに会話すらせず、同じ空間に居ることさえ避け続けている。彼の悪い話だけに焦点を当てて、彼がやってきてくれたことには目も暮れず、挙句の果てには根も葉もない噂を立て、それを理由に砲門を向ける始末。

 

 彼は司令官であり、艦娘を束ねる存在だ。私たちは彼に従う義務があるのに、私たちは従わない。明確な理由があるわけでもなく、ただ今までの奴らと同じだろう、と言う推測だけで従わないのだ。明確な理由もない理不尽を強いられながらもこちらを理解しようと手を伸ばす彼を、私たちは掴める距離にあるのにも関わらず掴もうとしない。

 

 そんなの、ただの我が儘だ。そして、そんな我が儘に振り回され、それを一人で耐えている司令官。彼は簡単には掴まれないと分かっていながらも、今も必死に手を伸ばし続けている。昨日会った私に限らず、1mmでも掴んでくれる可能性があるのなら、彼は全力で手を伸ばすだろう。

 

 

 そんなの、まるで私…………いや、私以上(・・)じゃないか。

 

 

 

「今後、こういうことは私以外の子に聞かないで。それが守れるのなら教える」

 

 絞り出すようにそう言葉を吐き出す。それに司令官はパッと顔を上げ、マジマジと私の顔を見つめてくる。

 

 見つめてくるその表情は歓喜でも悲壮でも困惑でも驚愕でもない、言ってしまえば今まであげた感情全てが混ざり合った、とでも言えよう。それほどまでに、彼は複雑な表情をしていた。その表情から目を逸らし、私は目を閉じて記憶を掘り起こしにかかる。

 

 司令官が求めた記憶は大分昔、ここに配属された当初の頃だ。しかし、記憶と言うモノは強い印象を受ける以外は段々と遡っていくことでしか思い出すことはなく、從って配属されてから今までの出来事を総ざらいしなくてはならない。故に、配属された頃にたどり着くまで思い出したくもない過去を見続けることになるのだ。まぁ、ぼやけている記憶もあるから全てを見ずに済むのは有り難いことかもしれない。

 

 

 そんなことを考えながら、記憶を遡り続けること少し。ようやく目的の記憶にたどり着いた。昔だったせいでぼんやりしているところがあるから、一つ一つゆっくり確認していこう。

 

 

「えっと、禁止された時……と言うか、私が配属された時は既に禁止されていたわね。確か、教えられたのは執務室で初めて司令官に挨拶をした時……だったかしら」

 

 頭の中で整理された記憶を繋ぎ合わせるように言葉を紡ぐ。朧げなところは前後の会話を元に再現しているため状況がちょっと違うかもしれないが、そこは気にしない。そして、初代が言い放った言葉を一つ一つ繋ぎ合わせていく。

 

 

「確か、初めは歓迎するみたいなことを言われて、その後は鎮守府の説明と担当する任務の大まかな内容を教えられて……鎮守府の説明の中に『補給』以外を食事を禁止することを言われたわ。そして、粗方の説明が終わってから質問があるか聞かれて、食事の禁止について理由を聞いたら初代は高笑いしながら答えたの。確か……」

 

 そこで言葉を切った。頭の中でその言葉を思い出した際に激しい嫌悪感を覚えたからだ。それを、1、2回深呼吸をすることで何とか沈める。そして、目を開いて司令官を真っ直ぐ見据え、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『兵器が生きる(・・・)必要はない。ただ、俺の命令に従って動けば(・・・)それでいい』」

 

 

 兵器は生きているのではない。ただ『動いている』、何の感情も思考も持たず、ただ敵である深海棲艦を撃滅する兵器。使い手(・・・)である俺の命令を忠実に守り、死ね(すてる)と言われればその場で果てるのみ。ただそれだけの存在。

 

 そして、艦娘は資材を食べれば生きられる……いや、それを『生きられる』なんて言えるのか?

 

 燃料や弾薬だけを補給すれば、それで『動ける』のだ。致命傷を負おうが、手足をもがれようが、入渠ドックに入ってしまえば以前と変わりなく『動ける』のだ。そんなお前たちが『生きている』、なんて言えるのか?

 

 

 

 ―――ただの『兵器』が、軽々しく『生きる』と言う言葉を使うな。―――

 

 

 

「『故に、資材以外の食事を禁止する』……って」

 

 

 そう言い切った時、私は目の前にある司令官の表情が一気に変わるのを見た。

 

 

 不安げだった表情は解けるように消え去った。そして一瞬だけ現れた憤怒。それ以降は司令官が顔を背けたことで見ることは叶わなかった。

 

「そっか、ありがとう」

 

 それだけ言うと司令官は軽く頭を下げ、踵を返して離れて行ってしまう。って言うか……それだけ? こっちはトラウマを抉り倒したと言うのに、それを「ありがとう」の一言で済ますの?

 

 あまりにも素っ気無い反応に、私は呆けた顔でその後ろ姿を眺めることしか出来ない。そんな私を尻目に、彼は今まで作業をしていた流し台を離れ、同じように作業をしている他の艦娘たちに近付いていった。それに気付いた彼女たちはやっている作業を中止して司令官に向き直る。

 

 

 そして、皆一様に顔を強張らせた。

 

 

「あの……どうされました?」

 

 顔を強張らせた一人――――吹雪がおずおずと言った感じで司令官に問いかけた。しかし、彼はそれに応えることはなく、その場で大きく深呼吸をし始める。1回、2回と、回数はどんどん続き、比例するようにその音が大きくなる。吸い込み、吐き出す空気の量が増えていってるのだろうか。その様子に吹雪は疎か他の艦娘たちも何も言えずにただその様子を見守っていた。

 

 

 やがて、呼吸が段々と小さくなっていき、微かに聞こえるまでの大きさになる。その時、司令官はゆっくりと顔を上げ、目の前で固まっている吹雪たちを見回す。

 

 

 

 

「すまないが、今からレシピを変更する」

 

「はぁ!?」

 

 司令官の一言。それにいち早く反応したのは曙であった。

 

「く、クソ提督!! ここまで作っておいて今更レシピを変えるなんてどういうつもり!? まさか一から作り直しとか言わないわよね!?」

 

「大丈夫。変えるのはこれからの工程だから、安心してくれ」

 

 血相変えて詰め寄る曙を司令官は宥めるようにそう言う。しかしこれからの工程と言っても、何処を変えるのだろうか。そう思って、私は近くにあった司令官のレシピと今現在の進み具合を比べてみる。

 

 ほとんどの料理は既に下ごしらえが済んでおり、あとは鍋やフライパンで火を通すために焼くか煮込むか、火を通さないものは盛り付けるところまできている。ここから変えることが出来るのって、せいぜい火を通す具材ぐらいだけど。

 

 

 

「レシピに書かれている資材だが、全て無しにする」

 

 

 そう、司令官が言葉を発した。同時に、その場にいた全ての艦娘たちの目が彼に注がれる。その視線を受けても、彼は微動だにしなかった。

 

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 次に声を出したのは曙。彼女は、訳が分からないと言いたげな顔で司令官を見つめていた。

 

「さっき、あんたはいきなり食事が変わることで起こる身体への影響を考慮して資材を入れるって言ったわよね? なのに、なんで土壇場になって入れないなんて言い出すの? その言葉、言い換えれば私たちの身体への影響なんてどうでもよくなったって、ことになるわよ? そうなの?」

 

「違う」

 

 曙の言葉に、司令官は低い声で即答する。それを受けた曙の眉が若干緩み、何処か心配そうな表情へと変わった。

 

「じゃあ、何でいきなり変えるの? それを教えてくれないと、私たちは分からないわ」

 

 子供に話しかけるような優しい声色で、曙は問いかける。それに、先ほどは即答した司令官であったが今度は何も言わずに顔を背けた。彼女たちから顔を背けることは彼の後ろに立つ私の方に顔を向けるのと同じことで、私からは苦渋に満ちた表情が見えた。

 

「言えないようなこと?」

 

 その様子に、曙は先ほどよりも優しい声色で再度問いかける。それに司令官はビクッと身体を震わせ、そして目線を下に向ける。その顔にはあの『迷っているような』表情が浮かんでいた。

 

 

提督(・・)?」

 

 再び、曙が口を開いた。今度は声色だけでなく、言葉さえも変えている。そして、声色は微かにだが震えているような気がした。

 

 

「俺の……」

 

 司令官が小さく声を発した。か細く、今にも消え入りそうな声。それと同時に彼はゆっくりと顔を曙たちに向ける。あの表情のままだ。

 

 

 

 

 

 

 

「我が儘だ」

 

 

 喉から絞り出すように、司令官がその言葉を吐いた。先ほどよりもさらにか細く、一つでも音を立てればそれで掻き消されそうなほど、小さな言葉。その声色は、今まで聞いたことのないほど弱弱しく、少しでも反論すれば泣き出してしまいそうなほど弱く、そして脆い。

 

 

 それを聞いた誰もが何も言わないでおこう、そう思ったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 一人を除いて。

 

 

「我が儘……ですか?」

 

 そう声を発したのは、先ほどからずっと黙っていた吹雪であった。その言葉は何故か重く、そして明らかな怒気を孕んでいた。

 

 

「今まで一緒に(・・・)決めてきたことを、ここで引っくり返しちゃうんですか? それも貴方の『我が儘』で、いともたやすく白紙に戻しちゃうんですか? その程度のことだったんですか? 提督、言ってましたよねぇ? これしか方法がないって、言ってましたよねぇ? やるしかないって、言ってましたよねぇ!!」

 

 語気がどんどん荒くなっていき、最後にそう叫んだ吹雪は突然走り出した。向かうは司令官、彼に向ける顔には明らかな憤怒が、そして後ろに振り上げられた手は拳を作っている。

 

 吹雪の行動に数秒遅れて曙や榛名さんたちが吹雪の取り押さえようと手を伸ばすも、数秒のブランクは吹雪と彼女たちに手を伸ばすだけでは間に合わない距離を生み、吹雪を取り押さえることは出来ない。その手を振り切った吹雪は司令官目掛けて拳を振り上げ、そのまま突進する。

 

 

 猛然と距離を詰める吹雪に、司令官は石のようにその場から動かない。殴られることを覚悟したのか、はたまた目の前に向けられた憤怒で足が竦み上がているのか分からない。ただ、このままでは確実に吹雪の拳を受けるだろう、と言うことは確信できた。

 

 

 

 

 

「止めてください」

 

 司令官に拳が届く寸前、今まで聞いたことのないような冷え切った声が聞こえてきた。同時に今まさに拳を振り下ろそうとしていた吹雪の動きが止まる。そして、またもや私の背筋に冷たいモノが走った。

 

 

「雪風……ちゃん」

 

「それ以上近づくと、身の保証(・・・・)はありません」

 

 憤怒の表情のまま、吹雪は忌々し気に言葉を零す。すると、今度は名前を呼ばれた雪風の声が聞こえ、同時に司令官の陰から飛び出て、吹雪に向けられる黒い砲身が見えた。司令官と吹雪の間に雪風が割り込んで、そして吹雪に砲門を向けているのだろう。

 

 

「そこ、退いてくれない? これは、私と提督の問題なの」

 

「お二人の問題を雪風は知りません。でも、しれぇに危害を加えようとするなら別です」

 

 言葉の節々に棘を抱えた吹雪の言葉に、雪風は一切動じずに返事をする。いや、動じていないのだろうか? そして、今あの子はどんな表情をしているのだろうか?

 

 声色だけを聞くと、『感情』が一切感じられない。そして憤怒の表情で若干尻込みしている吹雪の顔を見るに、恐らく『あの表情』なのかもしれない。

 

 

「それに雪風は言いましたよ? 『それ以上近づくと、身の保証はありません』、と」

 

「語尾が疑問形でない辺り、本気なんだろうね……」

 

 雪風の『最後通告』とでもいう言葉に、吹雪は顔を引きつらせながらも軽口を叩く。そして、彼女は今まで浮かべていた憤怒の表情を消し、握っていた拳はゆっくり解けてダラリと力なく垂れた。

 

 

「提督、一つ聞いてもいいですか?」

 

 不意に吹雪がそう言って、司令官に顔を向ける。そこには先ほどの憤怒の表情は無く、真面目な話をする際に彼女が浮かべる真剣な表情であった。

 

 

 

 

「その判断は、私のお願い(・・・)を叶えてくれますか?」

 

 そう、吹雪は司令官に問いかける。その言葉の意味を理解できた者はいない。ただ、吹雪は今回の試食会に一枚噛んでいると言うことは分かった。そして、何かとても大事なお願いを司令官に頼んでいるのだろう、と言うことも。

 

 

「あぁ、大丈夫だ」

 

 その言葉に数秒遅れて、司令官は声を漏らした。まだ弱弱しくはあるが、それでも先ほどとは比べ物にならないほど芯の通った言葉だった。それを受けた、吹雪は苦笑いを浮かべた。

 

 

「そうですか」

 

 それだけ言って吹雪は司令官に頭を下げると、クルリと踵を返して他の艦娘たちの方を向き直る。そして、手を上げてパンパン、と軽く叩いた。

 

 

「はい、皆さん動いてくださいねー!! もう時間もありませんから、ほら早く早く!! ラストスパートですよー!!」

 

 先ほどとは打って変わって明るい声でそう呼びかける。その変わりように目を丸くする一同であったが、時間がないと執拗に急かしてくる吹雪に圧し負けて、それぞれ自分の作業に戻っていった。

 

「イムヤ」

 

「ひゃい!?」

 

 突然名前を呼ばれて飛び上がる。急いで声の方に顔を向けると、驚いた顔の司令官が立っていた。私が顔を向けたのを見て、その顔を苦笑に変えて小さなザルを手渡してきた。そのザルの中には、均一の大きさに切られた細かいハム。

 

「それと輪切りにして水気を切った胡瓜をボウルに入れてあえてくれ。味付けはマヨネーズと塩コショウで量はレシピに書いてあるが、お前の好みで調整してくれ」

 

「あ、はい」

 

 いきなり手渡されたハムを受け取り、上の空で聞いていた司令官の指示に反射的に答える。それを受けた司令官はすぐに踵を返し、自身の作業に戻っていく。その後ろ姿、そしてついさっき誰にも見せようとしなかったあの表情が頭に浮かび、思わず駆け寄ろうとした。

 

 

「待ってください」

 

 そんな私を止めたのは、そう言って私の肩を掴んだ雪風だ。また無表情かと思って恐る恐る顔を向けるも、その予想に反して彼女は苦笑いを浮かべた。

 

 

「今は、そっとしておいてもらえませんか?」

 

 その表情とは裏腹に、その言葉には重みがあった。理由もない者を文句も言わせずに従わせるほどの、重みを。その表情、そしてその重みに私は声を出せずにただ頷いた。それを見た雪風は肩から手を離し、苦笑いのまま頭を下げた。

 

 

「さて、では雪風もそろそろ他の艦娘(みなさん)を起こさないと行けませんね。しれぇに断りもなく厨房に入ってしまいましたし、これは是が非でも全員引っ張ってこなくてはいけませんよ!!」

 

 そう言って、雪風はいつもの笑顔(・・・・・・)を浮かべて食堂へと続く道へと向かって歩き始めた。その後ろ姿に、私は思わず手を伸ばした。

 

 

 しかし、その手は雪風に届かなかった。後ろで私が手を伸ばしたことに彼女が気付く様子はなく、そのまま鼻歌交じりで食堂へと続く通路に消えて行った。

 

 段々と小さくなっていくその姿を見て、いつの間にか口が動いていた。

 

 

 

「雪風にとって、司令官ってどんな存在なのかしら?」

 

「イムヤー」

 

 そう呟いた時に後ろから名前を呼ばれ、振り返るとボウルを抱えてこちらに手を振るハチ。彼女の抱えるボウルには潰したジャガイモとあめ色になるまで炒めた玉ねぎとひき肉。かく言う私も、司令官から頼まれたモノがある。時間的にも余裕はない。このことは、聞こうと思えばいつでも聞けるから今はいいか。

 

「時間ないよー? 早くやろー」

 

「分かったわー」

 

 声を上げるハチにそう返し、私もボウルを手に取って彼女の元に向かった。


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