新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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艦娘たちの『お願い』

「しょ……や?」

 

「あ、初夜の場合は『遥南(はるな)』でしたね。間違えてしまいました」

 

 俺の呟きに、榛名……いや、遥南? どっちだ? ……もうどっちでもいいや。ともかく彼女は申し訳なさそうに肩をすくめながらそう言ってくる。しかしそんな言葉と裏腹に彼女は既に上着を脱ぎ終え、その豊かな胸部装甲を覆うサラシへと手が掛かっていた。

 

 これをどう表現していいのか。取り敢えず、思い浮かんだのが『やる気満々』だ。

 

 

 ……ウン、待ッテ。ヨーク考エルンダ。『初夜』ノ意味ヲ、モウ一度考エテミヨウ。

 

 

 「初夜」―――――夫婦となった男女が過ごす初めての夜。或るいは戌の刻。現在の午後8時ごろ。宵の口。また、その時刻に行う読経、等々。

 

 その中でこの状況に合う意味は何だろう。いや、間違いなく一番初めのヤツだ。それしか考えられない。では、今度はそれについて考えてみよう。

 

 「夫婦となった男女が過ごす初めての夜」――――

 

 まず、親類に8帖間ぐらいのダブルサイズの布団と2組の枕、そしてティッシュが置かれた部屋に肌着で放り込まれる。放り込まれた二人はしばらく布団の上で向かい合って正座し、視線を逸らしながらしばらく無言でいるしかない。

 

 長くはない時間が経つと、やがてどちらかが意を決した様に己の肌着を肌蹴させて生まれたままの姿となり、いそいそと布団に入る。片方は相方の行動、そして生まれたままの姿を前に頬を赤らめて視線を逸らすも恥じらいながらも同じような姿になって布団に入り込む。

 

 

 そして、そのまま……

 

 

 

 

 

 

 

「二人仲良く寝落ちするんですね、分かります」

 

「私は昨日たっぷり寝たので大丈夫です!!」

 

 必死の現実逃避の末導き出した答えは、目を輝かせた遥南(そう名乗っているから)の力強い一言によって粉砕されてしまう。いや、むしろそんな時間からことに及ぼうとしていること自体がおかしいんですがそれは。

 

 しかも時間帯的に誰かが通るかもしれないじゃん!! この光景見られたら俺の提督人生は愚か社会的生命が絶たれる!!

 

「たとえ楓さんが社会的に落ちぶれようとも、この私が御支さえするので安心してください!!」

 

「いやそう言う問題じゃないからこれ!!」

 

 俺の言葉に遥南は更に目を輝かせてそんなことをのたまってくる。いや、何でさっきよりも目の輝きが増してるんだよ!! あとその発言やめて!! 何か怖いからやめて!!

 

「てか、まず何で俺とお前が夫婦になってんだよ!! そんなこと決めた身に覚えはねぇぞ!!」

 

「何言ってるんですか? つい先日、契りを交わしたばかりではないですかぁ」

 

 俺の疑問に遥南はおかしそうに笑う。そして、彼女はその笑顔のまま自らの胸部装甲を守っていたサラシを一気に解き放った。その瞬間、俺の目の前に彼女の豊かな胸部装甲が――――――

 

 

 

「見てない!! 俺は何も見てないぞォォ!!」

 

 とっさに両手で顔を覆い、目を固く瞑ることで何とか直視を避けることに成功した。よし、このまま何も見ずに説得すれば切り抜けられるぞ!!

 

「楓さん」

 

 しかし、次に聞こえたのは冷え切った遥南の声。その瞬間、両手首を掴まれて力任せに横にずらされる。突然のことに思わず目を開くと、目の前には無表情で見つめ返してくる彼女の顔があった。

 

 

 

 

 

 

 

「女性の身体を目の前にして、顔を覆うのは失礼じゃありませんか?」

 

 囁くように吐き出された言葉。その言葉と感情が読めない表情に背筋に寒気が走るのを感じた。このまま反抗したらただでは済まない、そう本能が察知した。

 

「流石の私でも傷付きますよ?」

 

「あ、はい。すみません」

 

 念を押す様な彼女の言葉に、俺はそう言いながら素直に頷く。それに遥南は満足そうに笑みを浮かべて頷いた。

 

「ようやく、ちゃんと目を見て話してくれましたね」

 

 俺が真正面に向き合ったことがそんなに嬉しいのか、先ほどよりも遥南の声色が若干高い。いや、真正面に向き合ったと言うか、そこしか見れないと言うか……もし視線を外せば俺の中で何かが壊れる気がして視線を外せないだけなんだが。

 

 

「では、まず定番の口づけですね」

 

 そう呟いた遥南は目を閉じた。そして、少し唇を尖らせて、ゆっくりと近づいてくる。抵抗しようにも先ほどの視線で牙を抜かれて出来ず、尚且つ視線が彼女の顔以外に向けられない俺はだんだん近づいてくる彼女の顔を見ることしか出来ない。ヤバい……このままじゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの~」

 

 そんな危機的状況の中で、か細い声が聞こえた。俺と遥南は咄嗟に声の聞こえた方―――扉の方に目を向ける。

 

 

 そこにはドアの陰から半身を出してこちらを覗き込む割烹着姿の艦娘―――――間宮だ。

 

 

 その顔やドアを掴む手は真っ赤に染まり、直視できないとばかりに半分だけ開いた目をあちらこちらに飛び交わせている。ドアの陰から紙の束が入ったファイルが見える。多分、さっき頼んだモノを渡しに来たのだろう。そして、この光景に遭遇してしまったのだ。

 

 

 

 同時に、俺の社会的生命が失われた瞬間でもあった。

 

 

 

「な、何をして……いるの?」

 

「見ての通り、楓さんとの『初夜』ですよ」

 

「ま、まだお昼間なんだけど……」

 

 精一杯絞り出した間宮の言葉に、遥南は何故か自慢げにそう応える。そして、若干論点が外れたツッコミをかます間宮。違う間宮、そこじゃないんだツッコむのは。

 

「楓さんとの私の間に、時間など関係ないのです!!」

 

「せ、せめてドアに鍵ぐらい閉めてやってくださいよぉ……」

 

「むしろ間宮さんはノックをして開けて下さいよ」

 

「そ、それは……」

 

 遥南の鋭いツッコミに、更に顔を赤らめて口ごもる間宮。あぁ、そう言えば鍵閉めてなかったわ。でも当然だよ、だってこんなことになるなんて思わなかったんだからな!!

 

 

「と、ともかく!! そ、その……提督と榛名さんは……『そう言う関係』?」

 

「はい、私と楓さんは『真名を交わし合った仲』です」

 

 間宮の問いに、遥南は自信たっぷりと言った表情でそう返す。てか、『真名を交換し合った仲』? それに一体何の関係が?

 

 

「そ、そうなの……なら、し、仕方がないわね……」

 

 遥南の言葉に間宮は手に持ったファイルで顔を覆い、そのまま俺の方を向き直った。と言うか仕方がないって何? この状況を容認しちゃったの?

 

「そ、その……頼まれていたモノが出来たので持ってきたのですが……で、出直してきますね……ご、ごゆっくり!!」

 

 叫ぶようにそう言い放った間宮はドアの陰に引っ込む。そのまま廊下を走る音が聞こえ、やがて消えてしまった。残された俺と遥南はしばし間宮が消えて行ったドアに視線を注ぐ。

 

 

 と言うか、ようやくこの状況に至った経緯が分かった。

 

 

 

 

 

「『真名を伝える』ことに、『夫婦になる』って意味があるのか」

 

「本当に知らなかったんですか? これ、必須な知識ですよ?」

 

 俺の問いに、遥南は少し残念そうに呟く。うん、本当に知らなかった。でも必須ってことは学校で教えられたのかもしれない。そんな記憶、これっぽっちもないけどな。

 

「私でよろしければお教えしましょうか?」

 

 ようやく頭が追い付いたことに若干の達成感を感じていると、残念そうな表情の遥南がそう問いかけてきた。このまま『真名』の持つ意味を知らずに艦娘たちと接していくのは危険だ。まして、今回みたいなことがあるかもしれないし、そのリスクを摘み取れるのであればここで聞いた方がいいな。

 

「頼む」

 

「……分かりました」

 

 俺の言葉に遥南は拘束していた俺の両手首を開放し、溜め息をこぼしながら語り出した。

 

 

 『真名』とは、遥南たちが艦娘になる前の名前、つまり人間時代の名前のことを指す。そして、この真名は艦艇時代の記憶を受け継いだ度合いに限らず、艦娘全員が覚えており、そして共通の認識を持っているのが特徴だ。その理由は確かではないが、解体された際に後の生活に支障が起きないように覚えているのではないか、と言う見解が通説となっている。

 

 その中で一番重要なのが、真名を口にするケースだ。普段俺が見ているように、艦娘たちは真名ではなく艦艇の名前で呼び合っている。つまり、普段は艦艇の名前で呼び合い、真名を呼ぶのは極めて特別な事でない限りは呼ぶことはないのだ。そのため、姉妹艦ですら互いの真名を知っているのは珍しいことだとか。それほど、真名は他者に認知されることがないらしい。

 

 しかし、それは裏を返せば真名を知ることや聞くこと、教えることには多大なる意味があることを示している。

 

 真名を知ることはその艦娘の全てを知っていると言っても過言ではないらしく、艦娘にとって自身が特別な存在であると言う証になるのだとか。そして、聞くこと、教えることは相手に対して絶対的な信頼、または忠誠を寄せていることを伝えることであり、更にはこんな意味も含まれている。

 

 

 

「プロポーズ?」

 

「はい、『ケッコンカッコカリ』のです」

 

 俺が首をかしげるのを見て、遥南は頭を抱えながら話を続けた。

 

 

 『ケッコンカッコカリ』とは、提督と練度が最大までなった艦娘との間に交わす特別な契約みたいなモノで、そこで固く結ばれた絆が艦娘に更なる力を与えるのだとか。その効果は艦娘の更なる練度や火力や回避などなど身体能力の著しい向上、そして何よりも艦娘自身のモチベーションの向上が期待できる。

 

 しかし、やはり一番はカッコカリと謂えども提督と言う大切な人と結ばれたと言う事実であろうか。

 

 

 そんな艦娘にとって己の力、そして大切な人と絆を示す『ケッコンカッコカリ』の条件が、提督が大本営から送られてくる指輪を送ること、そして提督との間に絶対の信頼を向けることを示す『真名』を交わすことなのだ。

 

 つまり、艦娘に『真名』を聞いたり教えたりすることは、その子にプロポーズをしていることと同義なのだとか。そして、そこで『真名』を、提督の場合は本名を伝えるのは、プロポーズを受ける事になるらしい。

 

 

 ……いや、何でこんなこと知らなかったの俺。めちゃくちゃ重要事項じゃねぇか。

 

 

「因みに、『ケッコン』後は互いを『真名』、もしくは本名で呼び合うのが普通だったりします。これは他の艦娘に『ケッコン』していると言う事実をそれとなく伝えるためです」

 

 最後にサラリとすごいことを囁いた遥南。さっき、間宮が狼狽えていたのはこれが原因だったって訳か。

 

「そっか、ありがとう」

 

「いえ……大丈夫です」

 

 長々と説明してくれた遥南――いや、榛名か。ともかく彼女にお礼を述べると、彼女は苦笑いを浮かべていた。肩を竦めている辺り、よほど俺が『真名』の意味を知らなかったことがショックだったのだろう。

 

 当たり前か、俺は『真名』の意味を知らずに本名を伝える、つまり榛名のプロポーズを受けちまったわけだ。これは互いのすれ違いが産み出した状況であり、俺にその意志が無かったことを表している。ある意味、この状況を抜け出せる糸口を見つけたことになるからなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、別に良いんですけどね」

 

 え、なんて? って問い掛ける前に榛名が再び両手首を拘束して顔を近づけてくる。待て!! この話は互いのすれ違いで終わったハズだろ!!

 

「うぉい!! 今回はお前の勘違いだって分かっただろうが!!」

 

「そんなもの、後回しで構いません!! 楓さんとの絆を育めばどうとでもなりますから!! 今は『絆』と言う種を芽吹かせることが大事なんです!!」

 

 艦娘にとって『真名』の重要性を話した後になんてこと言いやがる!! さっきまでのしんみりとした雰囲気を返せ!!

 

 

 榛名の暴挙に抵抗しようといた時、何かを思いっきり叩き付けた様な凄まじい音が鼓膜を叩いた。突然のことに俺や榛名は動きを止め、同時に音の方を向く。

 

 

 

 

「お楽しみ中のところ悪いんだけど、ちょ~っといいかしらぁ?」

 

 そんな甘ったるい声色で問いかけてきたのは、完璧な笑顔を浮かべて扉の前で仁王立ちしている曙。いや、完璧な笑顔なんだけど、その後ろに般若っぽいモノが見えたのは気のせいかな?

 

 そしてよく見ると、彼女の足元のカーペットに靴底の痕がくっきりと見える。恐らく、曙がその場で足を振り下ろした際に出来た痕だろう。さっきの音もその時のものと思われる。そんな明らかにご機嫌斜めな曙に、榛名は何事もなかったかのように涼しい顔を向けた。

 

 

「曙ちゃん、どうかしたの?」

 

「いやぁね? 吹雪にそこのクソ提督を探してほしいって頼まれたのよ。何処かの誰かさんに執務室(・・・)に行くよう言われたらしいけど、一向に来ないからってね。そして見つけたらこの光景よ。地団太も踏みたくなるわよね?」

 

 榛名の問いに曙は柔和な口調で応えるも、やはり言葉の節々に棘、と言うか黒い何かを感じる。てか、何処かの誰かさんに執務室に行くよう言われたってのは……。

 

 

「榛名―――」

 

「今日は来客が多くて大変ですね~。『初夜』はまた今度にしましょうか」

 

 俺がジト目を向けるよりも前に立ち上がった榛名は散らばっていた衣類を素早く回収して、そそくさと出て行こうとする。しかし、その前に曙が立ち塞がった。

 

「待ちなさい、『初夜』ってどういう意味よ」

 

「文字通りの意味ですよ? 榛名と提督はそう言う関係です」

 

「違う!!」

 

 榛名の爆弾発言にすぐさま反論するも、当の曙は般若を従えた視線を榛名から俺へと移す。明らかに疑っているな。でも、俺と榛名には何もないぞ!! それを証明する何かを見せないと……。と、そんなことを考えていると、不意に榛名が曙にズイッと近づき、その耳元で何かを囁いた。

 

 

 

「ッ!? ば、バカなこ―――」

 

「では、失礼しますね~」

 

 榛名が囁いた瞬間、曙が弾かれた様に後ろに飛び退き、悪態をつこうとする。そこに出来た一瞬の隙を突いて、榛名は曙の脇をすり抜けて廊下に躍り出た。彼女はすぐさま捕まえようとする曙の手を余裕の笑みで躱すと、手をヒラヒラとさせながら歩いて行ってしまった。

 

 残されたのは突然のことについていけてない俺と、真っ赤な顔で榛名が消えた廊下を睨み付ける曙。やがて、廊下に向けられていた視線が動き、俺に注がれる。

 

 

「違う!!」

 

「まだ何も言ってないんだけど」

 

 向けられた視線の鋭さに思わず叫んでしまった。いや、確かに何も言ってないけど目が語ってるんだもの。『本当に榛名とは何もないんだろうね?』って。取り敢えずここで変に目を逸らすと疑われかねないから逸らさないでおく。

 

 

「……まぁいいわ」

 

 俺と曙の無言の見つめ合いは、そう言って視線を逸らした曙によって終わりを告げた。何とか、信じてもらったみたいだな。

 

 

「で、榛名さんとは本当にそう言う仲じゃないのね?」

 

 と思ったら払拭できていなかったようだ。くそ、榛名のヤツ……とんでもない爆弾を投下していきやがって。

 

「あれは榛名の勘違いだ。そんな仲じゃねぇよ」

 

「そ、そう……」

 

 改めて否定すると、曙はそう呟いてプイッと視線を逸らしてしまう。あれ、さっきまで背後に般若を従えていたあの勢いは何処に行ったんだ? それに心なしか顔が赤い気が。

 

「顔赤いぞ? どうした?」

 

「え!? い、いや、その……さ、さっきのことなんだけど……」

 

 俺の問いに明らかに狼狽える曙。さっきのこと? はて、何かあった……。

 

 

 

 

 

 

 ―――――「曙、お前の真名ってなんだ?」――――――

 

 

 頭の中にこの言葉が浮かんだ瞬間、俺の前身と言う全身から血の気が引いた。

 

 そう言えばついさっき曙に『真名』を聞いたんだった。それってつまり曙にプロポーズしたってことじゃねぇか!! ヤベェよ!! 色々とヤバい!! 何んとなく思い付きで聞いちまったからそんな深いことまで考えてねぇよ!!

 

 てか、これって倫理的にもヤバい!! 曙みたいな子供にプロポーズとかヤバいだろ!! 確実に憲兵にしょっ引かれる!! 俺はロリコンじゃねぇ!!

 

「え、えっと……その……」

 

 頭の中で憲兵の魔の手から逃れる方法を模索している前で、曙は身体をモジモジトさせながら視線を泳がせている。

 

 てか、これって曙さんに素直に言えばいいのか? 俺が無知でした、そう言う意味で言ったわけではありません、って。そうすれば曙に他意が無くて純粋に名前を聞いただけだってことも伝わるし、曙の証言で憲兵にしょっ引かれることもない。これだ、これしかねぇ!!

 

 

 

「わ、私の真―――」

 

「すいませんでしたァァァァ!!!!!」

 

 

 意を決した様な曙の言葉を遮るために吠える様に声を上げ、その場に土下座する。

 

 

「あの時調子乗って真名を聞いたんだけど、実はその意味を知らなかったんだ!! ただ、純粋に『曙』以外の名前が無いのかって思っただけで、決してプロポーズとかが目的で聞いたわけじゃないから!! 曙をからかおうなんてことも考えてない!! でも、今回の行動は軽率、お前の提督として有るまじき行動だった。本当に申し訳ない!! もし、これで嫌な想いをしたなら謝る、提督とかそんなの関係なしに全力で謝る!! 今、俺はどんな暴言だって受け入れる覚悟だ!! 今ここで気の済むまで暴言や罵倒を吐いてくれてもいい!! だから、本当に何も他意はなかったんだ!! 信じてくれ!!」

 

 

 口に任せてそこまで言い切って、俺は額をカーペットにこれでもかと擦り付けながら曙に頭を下げる。頭を下げる俺の頭上では息を呑むのが聞こえ、しばし無言が続いた。

 

 そして、次に聞こえたのは呆れた様な溜め息であった。

 

 

「……分かった、信じる」

 

「ほ、本と―――」

 

「顔上げたら許さないわよ」

 

 曙の言葉思わず顔を上げそうになるも、次に降り注いだ冷え切った言葉にすぐさま額を床に擦り付ける作業に戻る。そんな俺の姿を見てか、またもや頭上からため息が聞こえた。

 

 

「一つ、約束よ。今後、こういう軽はずみな言動はしないこと。分かった?」

 

 何処か疲れた様な声色の曙。今回の件で、大分考えさせてしまったか。今後、気を付けないと。

 

 

「あぁ、分かった……ありがとうな」

 

「べ、別に良いわよ……たいしたことでもないし。私が出るまで顔上げちゃダメだからね」

 

 俺の言葉に口ごもった曙の声が聞こえ、それはカーペットを踏みしめる足音に変わる。多分曙が部屋から出て行こうとしているのだろうが、出るまで顔を上げるなって言われている手前それを確認することはできない。

 

 

「あ、曙ちゃん?」

 

「ふ、吹雪!?」

 

 突然聞こえた第三者、と言うか吹雪の登場に思わず顔を上げそうになるも、曙の言葉を思い出して何とか堪える。吹雪の声色から察するに、ドアの陰にでも隠れていたのだろうか?

 

「い、いつからそこに……」

 

「えっと、曙ちゃんが顔を上げるなって言ったところから……と言うか大丈夫? 顔、耳まで真っ赤だよ?」

 

「ッ!? だ、大丈夫よ!!」

 

 吹雪の指摘に曙の叫び声、そしてドタドタと走っていく足音。それはどんどん遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

 

「あの、司令官?」

 

「曙は行ったか?」

 

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 

 吹雪の言葉を受けて、俺はようやく顔を上げる。そこには苦笑いを浮かべている吹雪だけで、曙の姿は何処にもなかった。やはり走っていったのは曙だったか。

 

「えっと、何があったんですか?」

 

「俺の軽率な行動で曙に迷惑をかけちまってな。頭下げてたんだよ」

 

「……司令官が艦娘相手に頭を下げるなんて聞いたことないですよ」

 

 俺の言葉に苦笑いを浮かべながらそう呟く吹雪。いや、上官だろうとも非があることは謝るのが筋だろう。まぁ、目的は曙の誤解を解くためと憲兵にしょっ引かれた時の対策だけどよ。

 

「それよりも、俺を探して走り回っていたんだっけ? 手間かけさせて悪かったな」

 

「いえ、いきなり訪ねたのは私の方ですし」

 

 苦笑いを浮かべてそう言った吹雪は、すぐさま表情を引き締めて背筋を伸ばし、足を揃えて直立して軍人らしくビシッとした敬礼をする。

 

「特Ⅰ型駆逐艦、吹雪型1番艦の吹雪です。今回、司令官にお話があり、訪ねさせていただきました」

 

「あぁ、榛名と曙から聞いている。まぁ、その内の一人にかどわかされたけどな」

 

 俺の言葉に敬礼しながらも表情を崩す吹雪。しかし、すぐさま表情を引き締めて俺を見つめ返した。冗談を言ってる余裕はないってことか。

 

「で、話ってなんだ?」

 

 そんなピリッとした空気を感じて表情を引き締めた俺が問いかける。吹雪は俺の問いを受けて一つ深呼吸し、意を決した様に口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現在、秘書艦兼提督代理を務めている金剛型戦艦1番艦、金剛。彼女を、その座から引きずり降ろしていただきたいのです」

 


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