死体探偵   作:チャーシューメン

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 桃の匂い 染み付いて むせる

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 ※置いてあるのは同じです。



アンインテンショナル・シンズ

 

 

 人間が死ぬという事には、様々な原因があるものだ。病や事故、寿命。恋の病なんてロマンチックな死因もあるし、時には人間同士で殺し合う事もある。

 外の世界では、その同胞同士の殺し合いが人口減の大きな理由になった時期もある。人間の数は多いが、この宇宙全体から見ればちっぽけなものであるというのに、勝手知ったる少ない同胞と何故争うのか。世は正に無常である。

 しかし、殊この幻想郷に限って言えば、人死にの大きな理由の一つに、妖怪による被害が挙げられる。

 妖怪は人を殺すものであるのだ。

 それを好むと、好まざるとに関わらず。

 

 

 今宵も私は、例によって死体を探していた。

 今回の依頼は、至極簡単に思えた。探す必要が無いからだ。場所が特定されていたのである。

 ふらりと出かけて行った少年が、いつまで経っても帰らないと言う。集落の人間は皆、口を揃えて言った。きっとあの道を通ったのだ、と。

 妖怪の山へと続く幾つもの道筋の中の、一際草深い荒れた道。この道は、地元の人間達から人死の出る道と恐れられている。妖精や妖怪に惑わされ、崖から落ちて死ぬらしい。

 私に依頼が来たのはその為で、地元の人間は怖がって捜索に行かないのだ。みな我が身が惜しいのである。なら、私は死んでもいいって事かい……そう突っ込んでやりたくなるが、その通り、死んだって構わないから私に頼んだのだろう。その為の死体探偵なのだから。だから私は、黙ってロッドを握りしめるのだ。

 月の下、件の荒れ道を歩いていると、ふと、甘い香りが漂ってきた。

 桃の香だ。

 この時期に旬を迎える黄桃のような柔らかな香りではなく、白桃のそれを煮詰めたような、脳が痺れる程の甘い甘い香りである。

 興味を惹かれて、私は匂いの元を追い求めた。草を掻き分け、道無き道へと入り込む。少し汗が吹き出てきた頃になって、私は険しい岩場に囲まれた隠し湯を見つけた。これは想定外のお宝だぞと、胸を躍らせて近寄る。しかし、そこには先客がいた。

 それは、我が目を疑うほどに美しい女性だった。

 月光を浴びるしなやかな肢体。しっとりと湯に濡れるきめ細やかな肌は、私の視線をすら滑らかに受け止めて、妖艶に揺らめいている。藍色の髪から滴り落ちる雫が、球雷のようにきらきらと弾けて、一糸纏わぬ姿だというのに華やかですらあった。湯煙が彼女のナイトドレス。長い睫毛を瞬かせ、湯面に映った月を眺めるその表情は、まるでラファエロの名画からそのまま抜け出して来たかのよう。

 ふと気付くと、私の足元には彼女が脱ぎ捨てたのであろう桃色の羽衣が畳まれて置かれていた。伝説の通り、天女というものは湯浴みが好きらしい。何とも無防備な事だ。

 私の存在に気付いたのか、彼女はきゃっ、と声を上げた。

「だ、誰ですか!」

 その慌て様がなんだか少し可笑しくて、苦笑しながら私は言った。

「邪魔して済まなかったな。私は出歯亀じゃないよ。隠し湯を見つけたと思ったんだが、先客がいたとはね」

 私の足元にある羽衣を認めて、彼女は慌てたらしい。

「か、返して下さい! 私の羽衣!」

「私は泥棒じゃない。取ったりしないよ」

 恐る恐る近づいて、私の足元から羽衣を奪うと、彼女は急いで岩陰に隠れた。別に倒錯趣味も無いので、彼女が服を着る間、私は手近の岩に腰掛け、湯面に揺蕩う月を眺めていた。良い湯、良い風情である。私も仕事が無ければなあ。

 やがて桃色の羽衣を纏った彼女、永江衣玖がバツの悪そうな顔で姿を現し、私と同じように向かいの岩にちょこんと腰掛けた。

 そよぐ風に乗る、桃の香。どうやらこれは衣玖の香りだったようだ。天女ってのは、妙な体質を持っているものだな。

「良さげな湯だな。隠し湯ってのには、憧れてたんだ」

「はあ」

 声を掛けると、衣玖はぼんやりと頷いた。

「今日はツイてる。こんなお宝の他に、空飛ぶレアアイテムさんにもお目に掛かれるとはね」

 竜宮の使いと称される妖怪である永江衣玖は、普段は雲の波間を漂って滅多に人前に姿を現さず、かつてはその姿形を知る者すら少なかったらしい。しかし、天狗の新聞にその姿を激写されてからというもの、その類い稀な美しさが評判を呼び、一気に有名になった。人里にはファンクラブまであるという。会員であるぬえからしつっこく勧誘を受けたので知っている。

「少し聞きたい事があるんだが」

 私がそう言うと、衣玖はおもむろに立ち上がり、私の前に跪いて言った。

「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!」

 私はと言えば、目をしばたかせて眉をくねらすしかない。

「……何を言っているんだい、君は」

「あ、あのような様を見られては、おヨメにもらっていただくしか……」

「ヨメとな」

 ああ……あれか。そう言えば、羽衣伝説ってのにはそういう話もあったな。

「いや別に、羽衣は取ってないだろう。勝手にやってくれよ」

「そうはいきません!」

 ずい、と衣玖が顔を近付けてくる。一層強くなる桃の香。むせる。

「殿方にあられもない姿を見られるなど、乙女の恥。この上は契りを結んでいただくしかありません! むしろ据え膳食わねば武士の恥とも言います、さあ。さあさあさあ!」

 鼻息荒くまくしたてるのである。

 ……まったく。

「私も女なんだが」

「えっ」

「見りゃ分かるだろう、スカート履いてるじゃないか」

「男の娘なのかと……」

「何処をどう捻ればそういう考えが浮かんで来るんだい」

 まあ、少年に間違えられるのはよくある事なのだがな、腹立たしい事に。

 衣玖は、腐った。

「そんなぁ……せっかく背が低くて可愛い旦那様が出来ると思ったのに……」

 こいつ、ショタコンか。

「児童淫行はやめておけよ? 君にとっても相手にとっても不幸でしかないぞ」

「な、何言ってるんですか、そんなことしませんよ!」

「あれなのか? 水浴びってのは、天女にとって婚活の一種なのかい?」

 まるで獲物が巣に掛かるのを待ち受ける毒蜘蛛のようだな。

「ちちち、違いますよ、滅相もありません!」

 両手を振って否定する衣玖だが、その大袈裟な身振りは逆効果だ。今度ぬえに教えてやろう、天女が婚活してるって。

「まあ君が婚活しようが児童淫行でしょっぴかれようが、私には関係ないんだが」

「ちょっ、ホント、その噂流すのだけはやめて下さいね。ただでさえ縁遠いと言うのに、ますます殿方が遠のいてしまいます……」

 自虐的にそう言うと、衣玖はしょんぼりと肩をすくめた。

 縁遠い、か。少し分かる気もする。衣玖は美しすぎるのだ。

「そりゃ気の毒にな。だが、そんな事はどうでもいいんだ、興味がない。言ったろ、ちょっと聞きたい事があるんだ」

 私が名乗ると、衣玖は眉をひそめた。

「もしかして。貴女があの有名な、死体探偵ですか?」

「汚名ってのは風に乗るのが得意らしいな。天界にまで届いてるとはね」

「そうですか、貴女が……。こんなに夜遅くまでお仕事なんて、大変ですね」

「最近、少し金欠気味でね」

 ……まさか食事代が宿代と別だとは思わなかった。まったく夜雀の奴、やってくれる。

 私は件の少年を見掛けなかったか衣玖に尋ねた。

「年の頃は十四、五歳と言った所だ。君のストライクゾーンからは少し外れてるかな?」

「いや、ホント、もう許してください……」

「とにかく、見なかったかい? この近くの道を通ったと思うんだが」

 衣玖は首を振った。

「いいえ。すみません、残念ですが、見た事も聞いた事もありません」

「なら、何か変わったことは無かったかい?」

「変わった事、ですか。……あ」

 ポンと手を打つ衣玖。

「ちょっと前まで、お昼にここで湯浴みをしていたんですけど、近頃なんだか視線を感じるようになって。怖かったんですよね。それで最近は夜に湯浴みをしていたんですけれど」

 ……なるほど。

 何故少年が、人死にが出ると恐れられる道へ立ち入ったのか疑問だったが、そういう事だったのか。

 恐らく少年は出歯亀をしていたのだ。衣玖に恋をしていたのかもしれない。衣玖の美しさならば、少年一人を虜にするくらい造作もないだろう。

「ありがとう。とても参考になったよ」

「そうですか? でしたら、良いのですが」

 衣玖は姿勢を正し、急に真面目な顔になって言った。

「ナズーリンさん。貴女が例の死体探偵であるのならば、近々、またお会いするかもしれません。私は龍神さまのお言葉をしかるべき方にお伝えする役割を担っておりますので」

「龍神が? 私に何か用ってのかい?」

 いつも「噛み付く」だとか引き合いに出していたから、怒ったのかな。

「それは今現在では私にも分かりませんが、幻想郷には貴女のような役割を持った方が必要だと仰っておられました。今後、お力をお借りする事もあるかもしれません。その時は、どうぞよしなに」

 そう言うと、衣玖は別れの挨拶をし、ふよふよと浮かび上がった。

 私は隠し湯に後ろ髪を引かれつつも、ロッドを握り直し、元の道を歩き出した。

 空には月と、そよ風の様にゆったりと飛ぶ、衣玖の小さな後ろ姿。それにしても、龍神が私に何の用だろうか。毘沙門天に対する文句や苦情でも延々と聞かされるのだろうか、辟易するなあ。そんな事をぼんやり考えつつも、私の視線は衣玖の美しい姿形についつい引き寄せられてしまう。あれは天然の芸術だ。人を引き寄せ畏怖させる力がある。男が寄り付かないと言っていたのも、

「あっ」

 と思った時には遅かった。

 自分の発した声が上から聞こえる。足を踏み外した私の身体は、重力に従って自由落下を始めていた。

 しかし、軽い衝撃と共に、落下は途中で止まった。

 握りしめた小傘のロッドが、崖にしがみつく古木に引っかかったのだ。全体重が掛かった右腕に走る痛みに堪えながら、私は宙ぶらりんのまま息を吐いた。

 飛翔術を使う間も無かった。あのまま落ちていたら、いくら妖の身であろうと、危なかったかもしれない。またも小傘のロッドに救われたようだ。

 飛翔術を使い、私はゆっくりと崖下に降りた。

 そこには、件の少年が横たわっていた。

 彼だけではない。

 人死にの出る道、そう恐れられるのも納得出来る程の数の犠牲者が、そこに眠っていた。その殆どは有象無象共にきれいに食害され、骨だけになっていたが。

 私は、夜空を見上げた。

 暗黒の海を泳ぎゆく、美しき天女の後ろ姿。緋色に輝くその様は神々しさすら覚えるほどであり、漂う死臭とは別世界の出来事のようだ。

 地べたに転がる彼らは、私と同じように、彼女の美しい姿に目を奪われていたのだ。だから崖に気づかず、足を踏み外して転落死した。

 衣玖は気付いていないのだろう。自らの人間離れした美しさのせいで、誰かが死んでいるなどという事は。

 殺意なんてある訳が無い。

 だがそれでも、人は死ぬ。

 私はそれを責めるつもりは無いし、誰もそれを責める資格は無いと思う。仮に衣玖がこの事実を知ったとしても、気に病む必要すら無いだろう。彼女には何の罪も無いのだから。

 所詮、この世は苦輪の海。

 我々は生まれ落ちたその時から、誰かを殺め、誰かに殺められる宿命を背負わされている。世は正に、無常である。

 だが見てくれ。この少年の死に様を。

 穏やかな顔で、幸せそうに死んでいる。空を泳ぐ想い人の姿を、もはや閉じられることの無いその瞳に映して。

 叶わぬ恋に生き、叶わぬ恋に死ぬ。なんと羨ましい人生だろうか。

 私の中の女は、彼の死に様に若干の嫉妬心を抱いて立ち尽くしていたが、私の中の死体探偵は、彼の損傷の様子を冷静に分析して、青娥に応援を要請する判断を下していた。

 私は溜め息を一つ吐き、彼を小屋へと運ぶべく、小鼠達を集めた。

 仕事はするさ。

 たとえこの世界が無常であっても、我々はそれに付き合っていかなければならないのだから。

 

 


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