死体探偵   作:チャーシューメン

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 サボタージュシリーズ第二弾。


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 ※置いてあるのは同じです。


スマイル、オンリー・フォー・ユー

 

 私は三日に一度は星鼠亭に立ち寄る事にしている。新しい依頼が無いか、確かめる為だ。

 星鼠亭は人里にある。と言っても、その外れも外れ、辛うじて里の内側に建っていると言えなくもない、そんな場所である。そこは、人里と林の境界。必然的に人通りは少ない。

 なんでそんな所に建っているのかと言うと、安かったからだ。いや安いなんてもんじゃない、タダ同然だった。好んで里の外れに住もうなんて奴はいないからだろう。里の外れ近くに住むという事は、妖怪の近くに住むという事と同義なのである。

 もちろんその分、建物は狭く安普請である。五坪程の敷地に建てられた板張りの小屋。塗装もされていない壁は、侵食により所々腐っている。私の掘っ建て小屋よりも酷い有様なのだ。しかし、別に毎日寝泊まりするわけでもなし、里での活動拠点が欲しかっただけの私にはそれで十分である。

 初めてあの建物を紹介された時は、中に鼠がわんさか居て、紹介した大家の方が腰を抜かしていたっけ。お前たち、こんな所でサボってたのか。あの時はその言葉を飲み込むのに必死だったな。

 まあ、そんな隅っこに建っているお陰で、命蓮寺や私の掘っ建て小屋からアクセスはしやすい。里の門をくぐり、ほんの少し歩けばすぐ見えてくる。ほら、もう見えた。大きな看板には、雲山の大きな字で『星鼠亭』。必要以上に力強いが、気に入っている。

 星鼠亭の建物は昔、煙草か何かの小売店だったらしく、小さな売り台が備え付けられている。

 その中に、人影があった。

「……何をしてるんだい」

「ふにゃっ?」

 居眠りしていた寅丸星が寝惚けて奇声を上げる。大きく伸びをしてから、目を擦りつつこちらに顔を向けた。頭に蓮の花の冠を乗せ、右手には鉾を持つ毘沙門天スタイルをしている。所謂、他所行きの格好だ。

 星は虎の妖獣に過ぎないのだが、毘沙門天の代理として命蓮寺の本尊となり、しかもその役を見事にこなしている。

「おお、ナズナズではないですか。おや? 今日はいつもと違う格好ですね。イメチェンですか?」

「変装してるんだ。君もここに来る時は変装してから来いと言ったろう、星」

「そうでしたっけ?」

「命蓮寺のご本尊が死体探偵の片棒を担いでる、なんて噂が立ったらどうするんだ」

「まあ、それもまた良いではないですか。本当の事ですし」

 のほほんと笑う星を見て、ため息が出た。

 脳天気な虎坊主は無視して、私は投書箱を開けた。一通、入っている。

「私は貴女のしている事を恥ずかしい事だとは思いませんが」

 存外、星はしつこい。

「私だってそうだ。必要とされるからやっている。しかし世間はそうは見ない。それは君が一番良く分かっているはずではないかな。また聖を魔界に封印するつもりかい?」

「そんな事にはなりませんよ」

 封書を開けて、中の便箋を取り出し、広げてみる。

 『ナズーリンさん、いつもありがとう』

「……なんだい、これは」

「驚きました?」

 星はニコニコ笑って私を見ている。星が書いて入れたのだろう。発想が可愛らしい事は認めるが、お互い大人である。もう少し別の労い方というのがあるだろうに。

「そうさな、一緒に小判でも入れておいてくれれば、もっとびっくりしたかな」

「なるほど。次回、考慮しましょう」

 星の手紙を懐にしまって、私は売り台に肘を預けた。

「で? こんな所で、何しているんだい?」

「お店番です」

 星は満面の笑みで返すが、

「嘘つけ。どうせ買い出しついでにこっそり買った甘味でも喰ってたんだろう」

 私に言い当てられて、すぐに目が泳ぎ始めた。

「そそそ、そんな事ありませんよ! 私は頑張っているナズナズの為に、少しでも何かできる事はないかと思ってですね……」

「毘沙門天の化身が嘘なんかついて良いと思ってるのか。報告しちゃうぞ」

「うう……。す、すみません……。焼きたてのお団子の匂いには勝てなくて……」

 シュンとして俯く星。こいつの嘘は子どもと同じレベルである。そして言い訳とやり込められ方まで同じくらい幼い。微笑ましいと言えなくもないが、毘沙門天にはもっと威厳が必要だろう。

「しかしナズーリン、用事があるのは本当です」

「なんだい? 今度は何宝塔を失くしたんだ? 団子宝塔か、あんみつ宝塔か?」

「ちちち、違いますよ、宝塔ならちゃんと此処に在りますし……って、あれ……」

 真っ青になって周りをキョロキョロし始める星。

 私が溜め息を吐いてしまうのも、仕方がない事だと思わないかい?

「後ろだ、後ろ」

「えっ……あ、ああ。嫌だなぁ、分かってましたよ。冗談ですよ、冗談」

 振り返って宝塔を手に取り、心底ほっとした様に星は言う。分かりやすい奴である。

「あっ、そうだ。ナズナズ、アメちゃん食べます?」

 誤魔化す様に言いながら、ポケットをごそごそやって取り出したのは、虎柄の包み紙に包まれたキャンディである。

 人呼んで、寅丸キャンディ。

 体中の産毛がゾォっと逆立った。

「き、君はまたそれを配ってるのかい、危険だからやめろと言っただろう!」

 寅丸キャンディは妖怪の脳細胞とプライドを蕩かす恐るべき劇薬である。食べると脳の幸福中枢がこれでもかと刺激され、どんなクールな妖怪も強制的に破顔するという一品だ。一口舐めたぬえがヨダレを垂らしながらアヘ顔ダブルピースしていたのを目撃した事がある。あな恐ろしや。

「えー、そうですか? 響子とかこころとか、特にぬえには好評だったんですけどねぇ」

 ぬえ……。

「わ、私はいらん、絶対にいらんからな!」

「そんなぁ……。折角ナズナズに食べて貰おうと思ったのに」

 星は悲しそうな顔でキャンディをポケットにしまい、私はほっと胸を撫で下ろした。

 しかし、興味が無いと言ったら嘘になる。凶悪と名高い花の妖怪辺りに食べさせたら、一体どうなるのだろう……。非常に気になるところだ。自分で食べるつもりは毛頭無いが。

「しかし、そんなアメを配りにここまで来たのかい。酔狂だな」

「あっ、と」私が言うと、星はポンと手を叩いた。「そうでした、用事があるんでした、ストンと忘れてました」

「本当に用事があったのか」

「ええ、これです」

 またもやポケットから取り出したのは、皺くちゃになった紙切れだった。

 表面には「温泉宿一泊ペアチケット」とある。

「とあるツテで手に入れたんです。一緒に行きましょうよ、ナズナズ」

 星は満面の笑みである。こいつのナチュラルフェイスは笑顔だ。無表情の方が珍しい。

 しかし、温泉か。何とも甘美な響きであるが。

「いや、君の良い人と行ってきたまえよ」

 こういうのはそういう人と行くべきものではなかろうか。

「ええ、だからナズナズと行こうかと」

 星はあっけらかんとそう言い放つ。私は頭を抱えた。

 星はもう本当に、そういう所が駄目だ、駄目駄目だ。体格に恵まれ、しかも万人受けのするキリリと凛々しくも丸く可愛らしい顔立ちをしていると言うのに。いくら仏教徒で出家者と言えども、今時分、独身を貫く者など少ないだろう。というか、星が代理を務めている毘沙門天も妻帯者であるし。

「君は、アレだなぁ。君はホントに……アレだなぁ」

 朴念仁にも程がある。

「ナズナズも温泉、好きだったでしょう? これから行きましょうよ」

「おいおい、しかも今から行くのかよ。私はこれから仕事があるんだが」

「依頼なんて無かったじゃないですか」

「溜まってるのが有るんだよ」

「サボりましょう」

「あぁ?」

 何を言い出すんだ、こいつは。

「今日くらい、いいじゃないですか」

 ニコニコ。星は太陽の様に笑っている。

「あのな、君や聖達の無駄遣いのせいで、命蓮寺の家計は火の車だってこと、ちゃんと理解してるのかい?」

「それはそれ、これはこれです」

「いやいやいや。私の労働の理由を無かったことにしないでくれよ」

「ナズーリン、今日、貴女は労働をしてはいけない日と定めます。毘沙門天の名において!」

「職権乱用だぞ、それは」

「とにかく行きましょう」

 崩れぬ笑顔で優しく威圧してくる。本当に星はしつこい。と言うか、一度こうだと決めたら絶対に曲げようとしない奴なのだ。柔和な見た目によらず、頑固なのである。

 私はもう、溜め息を吐くしかない。

「君は人の話を聞かないなぁ」

「そうですか? 多聞天の化身としては聞き捨てなりませんね。温泉につかりながら、ゆっくりと議論しましょう」

「私の都合はお構い無しかい」

「だってほら、ナズーリン、見てくださいよ」

 星の滑らかで白く華奢な指が、天を指す。

 釣られて、私は空を見上げてしまった。

 突き抜けるような、雲ひとつない蒼天。飛び出せば、何処までも行けそう……そんな気を起こさせる。

 私は一瞬、自分の身体の重さを忘れてしまった。

「こんなにも空が青いんです。だから、ねえ、一緒に行きましょう、ナズーリン」

 売り台をひらりと軽やかに飛び越え、星は私の手を取って歩き出した。重さを忘れた私の足は、そんな星へと付き従ってしまう。私の心は一瞬で仕事の重責を放棄してしまったのだ。

「まったく、君と言う奴は」頬が緩むのを自覚する、少し熱を帯びるのも。「毘沙門天信仰の御利益を、サボタージュにするつもりかい」

「素敵な御利益じゃないですか」

「ヤバいな、信仰しちゃいそうだよ」

 腕を引く星の強引さを、ほんの少しだけ心地良いと思ったのは、口が裂けても言えやしない。

 やれ団子が美味かったやら、しまった鉾を忘れて来たやら、私達は取り留めの無い会話をしながら件の温泉宿に向かった。(もちろん、繋いだ手はすぐに放したとも。恥ずかしいだろう)

 目的の宿は、妖怪の山の麓に最近出来た温泉街の中にある。何でも、地中から巨大な宝船が現れた際に湯が噴き出したそうで、効能は皮膚疾患と美肌に金欠と謳っている。巨大な宝船……我等が命蓮寺所有の聖輦船の事だな。つまり我々にも縁がある街なのである。

 その温泉街は人も妖怪も両方相手にしており、道行く影には明らかな人外も多いのだが、人間達は恐れる風でもなく、普通に接している。効能に美肌を謳っているせいか、若い娘も多い。何でも、街の人間は妖怪達と条約を交わしているらしく、妖怪は温泉客を絶対に襲わない約束になっているらしい。このような中立地帯は各地に結構あったりする。狭い幻想郷、人間は怖い相手とも逞しく付き合わなければならないのだろう。

 この温泉街、実は今、人里でかなり話題になっている。何でも、かの聖徳王が宿泊し大層気に入ったそうで、聖徳王の名の下、人里からの安全な通行路が整備されたのである。もちろん、妖怪はその途上で人間を襲う事を禁止されているし、人間も妖怪や妖精を挑発、調伏する事が禁止されている。このルールはかなり徹底されていて、人間側の聖徳王もさる事ながら、妖怪側にも相当な実力者がパトロンに付いている事が伺える。

「やあ、キンモクセイの甘い香りがしますね」

「秋咲きのバラも見事だな。花の温泉郷とはよく言ったものだ」

 温泉郷は至る所に四季の花が飾られ、甘い香りと湯の香りが混ざり、独特の空気を作り出している。空気が変われば気分も変わるというもの。歩いているだけで夢見心地だ。なるほど、これなら妖怪も人を襲う気分にはならないな。

 空には天狗が気ままに飛び交い、川には妖精達が石投げ遊び。河童の土産物屋を冷やかすのは人間の娘達だ。里では見られない光景であるが、なかなか様になっている。聖徳王、あの色情魔も、たまには粋な計らいをするじゃあないか。

「なんでも、今日の宿には名物があるらしいですよ。確か、かにチーズまんとか」

「えぇ? なんだその組み合わせは」

「ナズナズ、チーズ好きでしょう? 楽しみですねぇ」

「残念だが、私はチーズなんて色の薄いものは好かん」

「あっ!」

 星が指さした先には、蒸かし煙を撒き散らす、温泉まんじゅう屋が。

「おまんじゅうですよ、おまんじゅう」

 だらり、よだれを垂らしながら、ハングリタイガーが顔をとろけさせている。

「かにチーズまんはないのか」

 中身は普通の餡子のようである。

「一個買っていきましょうよぉ」

「かにチーズまんが食べられなくなるぞ」

「別腹ですよ」

 一個と言いつつ、星は三個も買った。

「ナズナズも一個、どうです?」

「いや、私はいいよ。かにチーズまんが食べられなくなるからな」

 しかもその三個を瞬く間に平らげてしまった。惚れ惚れするほどの食べっぷりに、見ている私のお腹もぐぅと鳴る。

「ああ、ここですよ、ここ」

 星が立ち止まったのは、温泉郷の中でも一際小さな民宿だった。しかし、軒先は綺麗に掃除され、飾られた花の手入れも行き届いている。何より、少し外れにあって喧騒から離れているというのが良い。

「ここが、かにチーズまんか」

 八目鰻と書かれた提灯の隣にはためく、カニとチーズのかわいいイラストがついた幟。好印象である。

 民宿を経営しているのは何と響子と夜雀で、秋から冬の間に不定期に宿を開いているらしい。そんな適当な経営で大丈夫かと思うが、彼女達「鳥獣戯楽」が開いているコンサートの客をターゲットにしているので問題ないと言う。

「なるほど、ツテってのはこれか」

「まあ、そんなところです」

 この宿は妖精や弱小妖怪達を給仕に雇っているようで、狼女や蛍の妖怪が割烹着姿でちょこまかと可愛く走り回っていた。しかし、私達を部屋へ案内した人魚の給仕が、びたんびたんと飛び跳ねながら廊下を進む様には、流石の星も微妙な顔をしていた。

 荷物を置いて人心地ついた私達は、早速温泉へと向かった。

 宿の小ささに似合わず、岩造りの露天風呂は広々としていて、しかも面した谷を一望出来ると来た。秋の赤く色付く美しい木々を見ながら、日本酒を片手に早風呂なんて洒落ている。

 しかし、温泉は何と混浴だった。なるほど、「鳥獣戯楽」のアイドル二人と混浴出来る(かもしれない)宿なら、客もわんさか集まろう。夜雀も体を張っているなぁ。

「いやあ、良いところですねぇ」

 湯に浸かり、だらしなく弛緩した顔で星が言う。体に巻いたバスタオルから豊満な胸が溢れて大売り出し状態になっている。男の客が居なくて良かった、こいつはそういうの、本当に気にしない奴だからな。まあ、誰も見ていないので、小言を言うのはやめにしよう。時間も少し早いからか、幸い客も少なく、温泉は貸し切り状態だったのだ。しかし、星の奴、また成長したんじゃなかろうか。一体いつまで成長するつもりだ、こいつは。

 温泉は私好みの熱めの湯。体の芯から疲れと穢れが染み出して行くようだ。浮かべられたバラの花弁が甘い香りを放ち、天にも昇る心地である。空には気の早い白月が顔を出していて、羨ましそうに私達を眺めていた。

 湯に浮かべたお盆の上のお銚子をとり、お猪口に一献、注ぐ。美味い。後味のすっきりとした辛口の日本酒は、夜雀に勧められたもの。小鳥の癖に、なかなか物が分かっている。嗚呼、私、駄目になってしまいそうだなぁ。

「私にも下さい」

 星が言う。

「おいおい、戒律はいいのか」

「般若湯ですよぅ」

「まったく……」

 星が酒をせがむのは珍しい。私は少し意外に思いながらも、お猪口に酒を注いでやった。

 星はそれを呷ると、空を見上げた。

「ねえ、ナズーリン」

 吐き出す息が、白く溶けた。

 その様子に、私は思わず居住まいを正した。

「貴女は仏教を信じていますか」

「何だい、藪から棒に」

「仏教の正しさを、心の底から信じられていますか」

 笑顔ではない。表情が抜け落ちている。

「私は毘沙門天の弟子だぞ」

 答えにならない答えで返す、それしか出来なかった。

 星がやけにしつこく私を誘ったのは、この問いを発せんが為だったのか。

「私はですね、聖を尊敬しています。彼女のようになりたいなぁと、そう思うんですよ。彼女は私の目標なんです。彼女を追って仏道に入り、彼女を追って修行して。かつての私は、彼女の歩いた道をなぞっているだけでした。今も、ひょっとしたら」

「毘沙門天が聞いたら怒るぞ。何で俺を目標にしないんだ、ってな」

「でもそれって」私の茶化しも、今の星には通じなかった。「仏教を信仰していると言えるんでしょうか。貴女はどう思いますか、ナズーリン」

 視線は天に預けたまま。星は涅槃に至ったかのような、静かな顔をしている。その後ろに、後光が差す。幻ではない。それは智慧の光だ。

「さあな。私には分からん」

 私は光から目を背けた。

 私は、卑怯で矮小な鼠だ。

「貴女は仏教など信じていない、そう思っているんじゃないですか」

 背に投げかけられた言葉から逃げるように、私は湯から上がった。星は静かに私の後に従う。

 浴衣に着替え、私達は部屋に戻った。

 沈黙が私を責め続ける。

 淹れた茶を飲み干しても、味がしなかった。私は動揺しているのだ。星に言われた事は図星だった。私は本当は、仏教など信じていない。

 仏教の境地は、言わば諦めであろう。欲を捨て、全てを諦め、あるがままを受け入れて、心の平穏を手に入れる。結局の所、それが悟りと呼ばれるものではないのか。

 だが、涅槃に至り入定する事が、果たして正しい事なのだろうか。

 この世界はままならぬ。

 聖は妖怪にも信仰と安らぎを与え、人間との架け橋となるべく尽力した。その結果、彼女は魔界に封印される事となった。他ならぬ人間の手によって。

 私が探してきた迷子たちもそうだ。理不尽に死を与えられ、打ち捨てられた者。悲劇によって形造られ、それ故生まれ落ちる事すら叶わなかった者。

 遠い未来に衆生を救うと言われる弥勒菩薩は、何故彼らを救わなかったのか。彼らに救う価値など無いと、そう切り捨てるつもりなのか。そんな冷酷が許されるというのか。

 毘沙門天。私を救ってくれた光を、私は追った。それが正義だと信じた。

 しかし、現実が変わる事は無かった。

 聖は封印されても己を曲げず、布教に尽力し続けている。星は毘沙門天の代理として、彼女を崇める人々に心の安らぎを与え続けている。燐や青娥だって、迷える魂に行き場を与えている。

 現実を救い続ける彼女達こそが、本当の正義なのではないか。

 私の、私が信じたあの光は、こんなにも鈍く冷たいものだったと言うのか。

「そうだよ、星。君の推測は正しい。私は仏教なんざ、これっぽっちも信じちゃいない」

 私は絞り出すように、そう告白した。

 湯から出て時間が経ち、体は冷え切っている。だが、頭は熱を帯び、感情は昂っていた。

「信仰は誰も救わない。少なくとも、私を救ってはくれなかった」

 私は笑った。乾いた笑いだった。

「いつもと立場が逆だな。毘沙門天に報告するかい? そうすれば、私は確実に破門される。小煩い鼠を消す事が出来るぞ」

 何という皮肉だ。毘沙門天の弟子を名乗る私が、誰よりも彼を信じていないなんて。

 私の言葉が終わるのを根気よく待っていた星は、静かに微笑んだ。

「貴女が天道を追い求めてその身を焦がしている事、私は知っています。死体探偵、その使命と汚名に潰されそうになっている事も。理想と現実の著しい乖離、貴女がそれにたった一人で立ち向かっている事だって。ねえ、ナズーリン。私も貴女と同じです。毘沙門天様を恨んだこともありました。聖が封印された時。私達の寺から信徒が離れ、私と貴女の二人ぼっちになった時。戦争が起こった時、飢饉が起こった時。二人で必死に山のような数の死者を弔い続けたあの時。いつもいつでも、私を助けてくれる味方はいませんでした。ナズーリン、貴女以外には」

 その時の星の笑みは、私が憎悪し恋焦がれる、あの毘沙門天のそれと同じに見えた。私は畏怖さえ覚えて、獣を超え人を超え、仏神の境地に至ろうとしている友に、目を見張った。

「私にとって、正義の味方は貴女です。貴女だけなんです。だから、ねえ、ナズーリン。負けないで下さい。きっと貴女の苦しみが、他の誰かの救いに繋がっているんです。その迷いや苦しみを貴女一人で抱えきれない時には、私が半分支えてあげます。今までもずっと、そうして来たように。例え貴女がそれを望まなくなったとしても、勝手に半分こしちゃいますから」

 微笑みながら、星はポロポロと涙を零した。何故泣いているのか、私には理解が出来ない。きっと未来永劫理解出来ないのかもしれない。だが、ほんの少しだけ、胸が軽くなった気がする。ほんの少し、鼠一匹分くらい……。

 彼女は優しすぎる。正義は冷酷でなければならない。星は毘沙門天にはなれないだろう。

 きっと彼女は、それ以上のものにしかなれないのだ。

「私もまだまだ精進が足りませんね。心の底から、教えに帰依する事が出来ません。私に出来るのは、誰かを信じる事くらいです。聖を、命蓮寺のみんなを、貴女を」

「帰依か。本当の意味でそれが出来るのは、悟りを開いた者だけだろう。君も私も、それには遠いようだ」

「そういう意味では、私達は仏道の途上にいるのでしょう」

「強引なこじつけだな」

「貴女に」涙を拭いた星は、また太陽のように微笑んだ。「遠くへ行って欲しくないんですよ。今は、まだ」

 それは、私だって同じさ。

 その言葉を、口にする事が出来なかった。私は星のようにはなれない。せめて笑いかけようにも、視界が滲んで上手くいかない。

「なあ、あれ、くれよ。今朝のさ」

 目頭を押さえて、私は星にせがんだ。

「キャンディ、ですか?」

「ああ」

 ポケットから、虎柄の包み紙を二つ。

「いいんですか? ナズナズ。かにチーズまん、食べられなくなっちゃいますよ」

「別腹さ」

「じゃあ私も、別腹です」

 二人揃って、キャンディを口に入れる。

 ふやけた顔で、星が笑った。

「甘いですねぇ」

「ああ、甘いなぁ」

 

 







 数秒後、そこにはアヘ顔ダブルピースをキメる、ナズの姿が!

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