死体探偵   作:チャーシューメン

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 ※置いてあるのは同じです。



ザット・イズ・ワイ 上

「このままだと死ぬわよ、彼女」

 言い難い事だけれども、と前置きした上で八意永琳が放った鏑矢は、五里霧中を疾走し唸りを上げた。

 私は固唾を飲み下して、言葉を絞り出した。

「何故だ、妖怪は人間よりも頑丈なはずだ」

 問い掛けに、永琳はその患者――ベッドの上で眠り続ける姫海棠はたての腕を取った。その手に巻かれた包帯には痛々しい血が滲む。

「……外界でも力を失わなかったらしいわね、彼女」

 はたての手首に指を当て脈を取りながら、永琳は脈絡無くそう呟く。彼女が何を考えているのか、その挙動、その顔色から察する事は難しい。

 若干訝しみながらも、私は頷いた。

「ああ」岡崎の大学にて、四万十を圧倒した姫海棠はたての姿が、遠い過去のように思い出される。「だが、それがどうした」

「貴女の頭の傷も、治るまでに時間がかかったわね」はたての腕をそっと毛布の中に戻した永琳は、憂うように息を吐いた。「聞いた話では、妖怪の癖に熱病にかかったこともあるとか」

「何が言いたい」

 濡れたように光るその長い睫毛の合間から放たれた流し目は、心を震わすのに十分な鋭利さと美しさを兼ね備えていた。私は刮目し、呼吸が止まる。正しく神を射抜かれた心地がした。彼女の前では私はただの鼠に過ぎない……直感がそう叫んだのだ。

 こいつは一体、何者だ?

 本当にただの医者なのか?

 脳裏を掠めるその疑念、私の最後のプライドだった。

 だが永琳は私の畏れなど一顧だにせず、目を伏せ首を振り額に手を当てた。まるでただの女の振りをしたのだ。

「症状だけ述べましょう。彼女の妖力は著しく低下している。損傷した肉体の修復に回すだけの力が無いのよ。それが、彼女が目を覚まさない原因」

「医者の癖に、なんとか出来ないのか」

 はたてが死ぬなど受け入れられない。覚えず、言葉に棘を仕込んでしまった。彼女には何ら過失は無い事、頭では分かっていたのに。その素振りに根拠無き反感を覚えてしまったからだろうか。

 高度な医学知識を有する永琳と言い、不可思議なあの蓬莱山輝夜と言い、永遠亭の連中は只者では無い。賢者達の一員なのではないか、先日抱いたその疑念が頭を駆け巡っている。

 はたてを此処に置いておくのは危険なのではないか?

 しかし、今の私には他に打てる手立てが無かった。彼女達を信じる事しか出来ないのだ。

「……すまん。言い過ぎた。しかし、他に頼れる医者がいないんだ」

「私の本業は薬剤師なのだけれど、それは置いておくとして」

 その手の筋違いな責めには慣れているのだろう、永琳は気にした風もなかった。

「いくら私でも、この症状には薬の作りようがないわ」

「そんな……」

「材料が無ければね」

「! 作れるのか、特効薬を」

 二つ折にした白い紙片を私へと放り投げて、八意永琳は背を向けた。

「出来るだけ急いで集めて来て頂戴。わがまま娘が気紛れを起こさないうちに、ね」

 

 

 射命丸文を捕まえるのには骨が折れた。何せ、あの射命丸である。その速度は幻想郷最速、恐らく一日の平均移動距離でもトップだろう。文字通り、毎日毎日幻想郷中を飛び回っているのだから。

 博麗神社近くの茶屋にて茶を飲んでいた射命丸は、私を見つけるとにやにやと腹の立つ笑顔を浮かべた。

「おや。ナズーリンさん、どうしたのですか。そんなにやつれた顔をして」

「ちょっと、な」

 いくらダウジングで位置が分かると言っても、小鼠にはキツい追跡行だったからな。

 射命丸は小鳥の様に首を傾げた。

「しかも何です、後ろの方は。まさか私は白昼夢でも見ているのでしょうか、確かに最近忙しくしていましたが」

「何よ、人を幽霊みたいに」

 私の後ろで姫らしからぬ大欠伸をかましていた蓬莱山輝夜は、射命丸の嫌味を受けて口を尖らせた。そういえば、射命丸は輝夜とも親しいようだ。流石新聞記者、顔が広い。

「この引き篭もりを外に連れ出すなんて。ナズーリンさん、一体どんな魔法を使ったのです?」

「それは私の方が知りたいくらいだ。ついでに退治する魔法もあるとなお良い」

 私が永遠亭を出て射命丸の追跡を始めると、いつの間にか輝夜が後ろに着いて来ていたのだ。永琳から忠告を受けていたのだが甲斐は無く、無事、わがまま娘が気紛れを起こしてくれたようだ。

 私と射命丸が揃って微妙な視線を向けていると、輝夜は手をひらひらと振った。

「ああ。私の事は気にせず、勝手にやっちゃって頂戴な」

 一体何時注文をしたのか、団子なんて齧りながら。マイペースにも程がある。何なんだこいつは。

 私は咳払いを一つしてから、射命丸にはたての事を話した。

「そうですか。はたてがねぇ」

 表面上は平静そのものだが、射命丸も動揺したようだ。声から抑揚が消え、平板のようになっている。

「非常に危険な状態らしい」

「まったく。あれくらいの怪我で、情けない事です」声の動揺を自覚したのか、射命丸は湯飲みをあおって胡麻化すと、殊更おどけて言った。「それで? 私に一体、何の用でしょうか。新聞記者の私に薬を作れとでも?」

「薬の材料を調達してほしい」

「材料、ですか。それは探偵の貴女のほうが向いているのではないかと思うのですが」

「少し特殊な材料だ。天狗の羽根、それが必要らしい」

「羽根……ですか」射命丸は眉を顰めた。「本当にそれが薬の材料になるのですか?」

 私は頷いた。

 要は栄養剤と同じだ。八意永琳はそう言っていた。はたては妖力が足りず傷を修復することが出来ないのだから、それを補ってやればいい、確かに単純な論理だ。はたては天狗であるため、同じ種類の妖力が必要になるという寸法だろう。有名な天狗の羽団扇を見ても分かるように、天狗の羽根はそれ自体強力な通力を宿すと言われる。妖力の媒介としては十分だろう。

「力の強い天狗の羽根が良いという。つまり、出来るだけ妖力の込もった羽根が必要だという事だ。射命丸、天狗達に提供を募ってくれないか」

 射命丸はしばし瞑目した。言の葉の流れは断ち切られ、辺りには輝夜が団子を咀嚼するもっちゃもっちゃという音だけが響いていた。……マイペースにも程があるぞ、輝夜。

「残念ですが」やっと開いた射命丸の口から出たのは、信じられない言葉だった。「はたてに羽根を提供する天狗などいないと思いますよ」

「な、何故だ。はたては意識不明の重体なんだぞ」

 私の抗議に、射命丸は首を振った。

「お察しの通り、天狗の羽根は通力を持つ。つまり羽根を与えるという事は、妖力を分け与える事に他なりません。一時的にとはいえ、わざわざ自分の力を減らすような事を誰が好んでやりましょうや」

「馬鹿な。同族だろう? それくらい……」

「かく言う私とてお断りですよ。無様な未熟者の為に、せっかく集めた妖力を消費するなんてね」

 私は二の句が継げなかった。

 忘れかけていたが、妖怪は基本的に自分勝手で、他人を思いやるなどという心は存在しない。射命丸が特別非情だというわけではない。妖怪とはそういう存在なのだ。高度な社会を築いている天狗といえどもそれは例外ではないらしい。

 私が憮然としていると、射命丸は飲み終えた茶器の中にじゃらりと小銭を落として立ち上がった。

「まあ、やるだけはやってみましょう。期待せずに待っていて下さい」

 夜闇のように黒い翼を開いて、射命丸は飛び立って行った。

「まー薄情ねえ。いやあよねえ、妖怪って。手前勝手でさあ」

 手前勝手に団子をぱくつきながら、わがまま姫が何か言っている。

 イライラして、私は輝夜の口に運ばれる団子の串を掴んで止めた。

「君は一体、何故私に着いて来るんだ」

「まあまあ。いいじゃないの、そんなの」

「良くない」

 輝夜は笑みの煙で撒こうとしているが、そうは問屋が卸さない。永遠亭の中心人物にして、「やんごとなき身分」らしい輝夜を危険に晒す訳にはいかない。

「私と一緒に行動すれば、君にまで汚名がつくぞ。君は姫なんだろう? もっと自覚を持て」

 さらに言えば、こいつが賢者達の一員であるとも限らない。

「あらあら。私を思いやってくれるの? 自分勝手な妖怪の癖に」ころころと珠が転がるように笑う輝夜。「まるで人間みたい。……姫海棠はたてもそうなのかしら?」

 私が眉を顰めた隙に、輝夜は口から団子に齧りついた。そのまま横にスライドして団子を根こそぎ口の中に放り込むと、もっちもっちと忙しなく頬を動かした。

 前々から思っていたがこいつ、姫にしては全体的に言動が下品だ。

「まあ私、これでも結構役に立つのよ? それに探偵なんて娯楽小説でしか見たことないし、興味あるじゃない。私は安楽椅子探偵のほうが好きだけどね」

 大体そのような事を言っていた。口の中の団子が凄まじいまでの自己主張を繰り返していたので、ほとんど聞き取れず、半分以上私の推測なのだが。

 仕方が無いので、輝夜を伴ったまま、私は次の目的地に向かった。

 永琳から渡された紙片に書かれている素材は全部で三つ。二つ目の「博麗の巫女の血」を得るべく、私たちは博麗神社へとやって来た。

「お断りよ、そんなの」

 博麗霊夢には取り付く島も無かった。

「しかしこのままでは、はたてが……」

「あいつがあの土砂崩れを起こさなかったなんて証拠は無いじゃない。私は……犯人の利益になるような事は絶対にしたくない」

「はたてはあの事件の犯人じゃない。それは君も分かっているだろう」

「分からないわ」

「馬鹿を言って」

「分からないのよ……何も。私だって考えてる。でも分からない。今はまだ、何も……」

「霊夢……」

「今の私に出来る事は、誰にも協力しないことだけだわ」

 苦悩の表情で首を振る。霊夢は未だ疑心暗鬼の最中のようだ。何を信じるべきか分からないのだろう。情報は錯綜し、「自警団を名乗る男」は見つからず、里では扇動者達や「死の自警団」達が跳梁跋扈している。戦うべきものも、守るべきものさえも見失うこの迷宮。苛立ちと焦燥が募った霊夢は、芯から憔悴しているように見えた。

 霊夢は拒絶するように背を向けると、参拝客もほったらかしにして、裏へ引っ込んでしまった。

「なによ」輝夜はがっかりした顔で言う。「博麗神社ってのはもっと寂れてるもんだって聞いてたけど、けっこう人がいるじゃない。当てが外れたなー」

「……そう言えば。こんなに人がいるのは珍しいな」

 博麗神社には多数の人が詰めかけて、御鈴を鳴らして参拝していた。人がいるのも珍しいが、それをほったらかしにする霊夢も珍しい。普段は血に飢えた狼のように参拝客を待ち伏せしているというのに。

 しかし、霊夢から血液の提供を受けられなかった以上、どうするか。

 私は胸にぶら下げたペンデュラム・エンシェントエディションを見つめた。これを使うしかないのか……。

「何よ、シケた顔して」

 人が悩んでいるというのに、輝夜ときたら能天気に髪を梳っている。私の声に怒気が混じるのも仕方が無いというもの。

「君と同じさ。当てが外れたんだ、がっかりもするだろう」

「ああ、さっき言ってた、霊夢の血ね。あんたもあんなまだるっこしいやり方してないで、無理やり採っちゃえばいいじゃない」

「馬鹿を言え。私は暴漢じゃない、そんなこと出来るか。それに霊夢と敵対する気は無いんだ」

「ふーん。だからそんなシケた顔してるんだ」

「どうやって調達するかを考えているんだ」

「って言うか、もう採っちゃったけど」

「え」

 輝夜はいつの間に取り出したのか、小さな注射器を左右に振った。

「い、いつの間に!」

「さっき話してる間に。びっくりした? 私ってば実は、一通りの医療術は押さえてるの。採血なんて目を瞑っても出来るのよ? あはは、いつもイナバで練習してた経験が生きたわ」

 いや、驚いたのは医療術云々よりも、いつどうやって霊夢に気づかれず採血したのかなんだが……。

 輝夜が差し出したスピッツには、ごく微量の赤い液体が入っている。ペンデュラムが微かに反応した。どうやら本当に霊夢の血を採ったらしい。早業にも程があるというか、一体どんな魔法を使ったんだ。

「こ、これ、大丈夫なのか?」

「ちょっとしか採ってないし、ちゃんと処置しといたから大丈夫よ。そんなに心配ならあとでイナバに様子見に行かせようか?」

「いやこれ、犯罪なんじゃ……」

「幻想郷に法律なんてあったんだっけ? まあ博麗神社は治外法権でしょ」

 治外法権ってそういう意味だったかな……?

 かんらかんらと音を立てて笑う輝夜に押し切られる形で、私は霊夢の血が詰まったスピッツを懐に収めた。まあ、はたてを助けるためだ。許せ、霊夢よ。心の中で謝罪を済ませ、謝礼の代わりに賽銭を多めに投げ入れた後、私たちは次の目的地へ足を向けた。

「まだ行くのー? そろそろ私、疲れちゃったんだけど。お茶にしましょうよー」

 さっき団子を散々食っておいて、このわがまま姫は……。

「なら着いて来なきゃいいだろう」

「今し方大活躍した輝夜ちゃんにいう言葉? それ」

「分かった分かった。だが次で最後だ、手早く済ませよう。はたてが待っている」

「次は何を集めるのかしら」

「最後の材料は竹の花らしい」

「竹の花……」

 竹の花は非常に珍しい。種類によっては百年に一度しか開花しないとも言われている。実は私もあまりお目にかかった事が無い。遠い昔に実を齧った事が有るような気がするくらいだ。

「今年は開花年じゃ無いだろうが、当てはあるんだ」

「当て、ねぇ……」

 その当てとは勿論、風見幽香である。フラワーマスターの異名を持つ彼女の力を借りれば、竹の開花を拝めるかもしれない。

 私達は向日葵の咲き誇る太陽の畑へと分け入った。最初、此処へ侵入するときには死を覚悟したものだが、今となっては酒宴の席での笑い話である。風見幽香は非常に紳士的かつ超越的であり、此方が非礼を働かない限り全く危険は無い。……先日のアレは、此方が非礼を働いたが故であるからして。

 中央にある煉瓦造りの小さな家、そのノッカーを叩くと、風見幽香が顔を出した。いの一番に先日の布都の無道を平謝りすると、風見幽香は世にも優雅に微笑んだ。その笑みは相変わらず神か仏のようで、この上なく傲慢にして、比類なき慈愛に満ち溢れていた。

「お茶にしましょう」

 青空の下で広げたテーブルクロスが白く輝いている。私たちは席を囲み、幽香の淹れた紅茶のその芳醇な香りを楽しんだ。

 輝夜は呆然とした様子で茶を啜っていた。先程までの自由奔放振りは鳴りを潜め、妙にしおらしくなっている。何だか気持ちが悪い。風見幽香の存在感に気圧されているのだろうか。

「今日はどうしたのかしら?」

 ティースプーンを優雅に躍らせながら、風見幽香が小夜鳴の様に美しい声で言う。

 私は手短に用件を伝えると、幽香は野薔薇の様に美しく静かに微笑んだ。私の全てを見透かして、児戯だと笑っている……そう感じる。だが不思議と、反感は湧かなかった。慣れたせいかもしれない。この風見幽香にとっては、何もかもが児戯に過ぎないのであろう。妖怪を生かすも殺すも、彼女にとっては些細な事に過ぎないのだ。だからこそ、はたての治療に力を貸してくれる。私はそう踏んでいた。

 幽香は徐に茶へ口を付けると、歌うように言った。

「貴女の望みを叶えてあげる事は、出来ないわ」

 意外な返答に、私はしばし呆然としてしまった。次の言葉を絞り出すのに、たっぷり一分はかかってしまったろう。

「何故だ。君にとっては簡単な事だろう?」

「何故なら。それは私が行う必要が無いからよ。そうでしょう? 永遠を支配するお姫様」

 微風のような視線が、蓬莱山輝夜を捉えていた。

 普段の落ち着きないにやけ面は時の彼方へと飛び去ってしまった。輝夜の表したもう一つの顔は、月のように妖しく、しかし美しい。月の姫君、そう噂されるのも納得してしまう程に。

「会うのは初めてね。風見幽香さん。まずはお礼を言っておくわ。いつも美しい花、ありがとう。貴女から買ったお花は、今も私の自慢の庭を彩ってくれているわ」

「あら、嬉しいわ。大事にしてくれて」

「でも、想像もしなかったわ。まさか、ウチの永琳みたいなのが他にも居るとはね……。恐ろしいわ。世界は広いのね。私は井の中の蛙だったみたい。良いものね、外の世界へ出るのも。人は誰かと触れ合ってこそ生きる意味がある。月に居た頃に嫌というほど思い知らされた事。その為に私は、地上に降りてきたって言うのにね」

「だからこそ、でしょう。でも、闇に閉じ篭り心を殺しても、安らぎは訪れないわ」

「……もしかしたら。私の欲しいものを与えてくれるのは、貴女なのかもしれない」

 そう言い終えると、輝夜は茶に口を付けた。その佇まいは冷たく研ぎ澄まされた刃のようで、私は何故か、死刑執行直前の囚人を連想して、言いようの無い胸騒ぎを覚えた。

 何をする気だ、輝夜……。

 私が身構えていると、いきなり輝夜は頭を垂れた。

「私を人間にしてくださらない?」

 予想外の言葉に、私はまたもや唖然としたが、幽香はやはり超然とした笑みを浮かべて、言った。

「……貴女の望みを叶えてあげる事は、出来ないわ」

 それを聞いた輝夜は、舌をちょっと出して笑った。

「残念」

 そうして、輝夜は席を立った。

「行きましょう、死体探偵さん。竹の花は私が持っているわ」

 帰途、輝夜は手にしたすすきの穂を振り回しながら、上機嫌に鼻歌を歌っていた。

 立ち入った話とは思いつつも、私は聞かずにはいられなかった。

「君は、本当に月人なのか」

「そうよ。名乗ってるじゃない、月の姫君だって」

「しかし、本当にあの月の……」

「降りてきたのはずっと前だけどね」

 人間では有り得ず、妖怪とも少し違うとは思っていたが、まさか本当に月の民だったとは。しかしこれで、八意永琳が幻想郷では場違いな程に高度な医療技術を持つ事が納得できる。

「月の都の奴等は、みんながみんな神様みたいな奴等よ。生きながらにして死んでいる、そこに在りながらもいないような奴等。それに嫌気して、私は地上に降りてきた」

「人間に憧れていたのか」

 その気持ちは、少しだけ分かる気がする。

「だからさ。羨ましいの、貴女が」

「私が?」

 彼女の言を確かめようと言葉を重ねるも、一層高くなった鼻歌に掻き消されて。そよぐ輝夜の長い黒髪が、美しくも儚げに輝いていた。

 いつの間にか、陽が山の向こうに落ちかけている。

 永遠亭に戻った輝夜は、自室から竹の花を持ち出して、私へと託してくれた。見た目は稲の花に似ていて、黄色みを帯びた小さな花が沢山付いている。輝夜の持っていたそれはみずみずしい程に新鮮なのだが、不思議と生気は無い。輝夜の術とやらで保存しているらしいが、一体どんな術なのだろうか。

 はたての病室には、永琳と射命丸が待っていた。

「ナズーリンさん。なんとか集まりましたよ」

 射命丸は白い手拭いに包んだ黒い羽根を一枚、私の方へ示した。紛うことなき天狗の羽根だ。強大な妖力が込められているのを感じる。

 私はほっと胸を撫で下ろした。

「よかった。これで薬を作れるだろう」

「まったく、集めるのが大変でした。これは貸しですよ」

「分かっている」

 集めた材料を渡すと、永琳は頷いた。

「十分ね。すぐに調剤するわ」

 そう言って永琳は足早に部屋を出ていった。

「まったく、永琳にはしてやられたわ」

 いつものにやけ面に戻った輝夜は、口を尖らせて文句を言い始めた。

「何がだ?」

「気を引くような事言って、私をあんたに同行させてさ。私のコレクションを出させるのが目的だったのよ」

 ……気を引くような事、言ってたか?

「あーあ、お気に入りだったのになぁ。これじゃ来年の七夕に飾るものが無くて困っちゃう。まったく、永琳は情け容赦無いわ」不意に輝夜は、射命丸の胸を突いた。「それに比べて、あんたは結構優しいのねぇ。本当、意外だわ」

「な、何がです?」

 珍しく、射命丸が動揺している。

「あの羽根。あんたの羽根でしょ」

「何を馬鹿な。何で私が、はたてなんかの為に」

「あの娘。かなりの力を持っているわね。そんな娘に妖力を提供できるほど力のある天狗は、あんたしかいないでしょ」

「む……」

 図星を突かれて返す言葉が無いのか。射命丸は頭を抱えてしまった。

 射命丸もはたてが心配だったようだ。まあ、あれだけ毎日病室を訪れているのだからな。妖怪は基本的に自分勝手で非情だと言えど、やはり絆や情を感じる事が出来るのだ。

 しかし、照れずに素直になればいいのに。なんとなく微笑ましく思って、私も少し笑ってしまった。なんだか、久し振りに笑った気がする。

「でも」ぽつりと、輝夜が言った。「その優しさは少し、間違っている気がする」

 その言葉を訝しく思う間も無く、調剤を終えた永琳が戻ってきた。永琳は慌ただしく処置を始め、私達は外へ放り出されてしまった。

 

 

 翌早朝、はたての病室に向かうと、扉の前に射命丸が立っていた。

「おや、ナズーリンさん。お早いですね」

「君こそ。はたてが心配だったのか?」

「まさか。朝刊を配るついでに寄っただけですよ」

 その割には新聞を持っていない。何と言うか、あの射命丸にしては本当に意外である。

「なんですかその生温かい笑顔は、気持ち悪い」

「今の君ほどじゃあない」

「そんな事言うと新聞にある事無い事書いちゃいますよ」

「私はある事ある事言いふらしてやってもいいんだが」

「口の減らない小鼠ですよ、まったく」

 馬鹿話をしながら開けた扉の先。

 朝の爽やかな光を浴びて、窓辺に佇む一つのシルエット、特徴的なそのツインテール。

 はたてだ。

 はたては全身に巻いた包帯をゆっくり剥がしていた。

「目が覚めたのか、はたて。良かった……」

 振り返るはたて。

 駆け寄ろうとした私を止めたのは、包帯の隙間から覗く、彼女の鋭い眼光だった。憎悪と憤怒が燃え盛るその輝きは、真っ直ぐに射命丸を射抜いていた。

 微風に包帯を棚引かせ。

 はたては射命丸へ向けて何かを放った。

 それは、紅く色付いた葉団扇だった。

「射命丸文。あんたに決闘を申し込むわ」

 葉団扇は射命丸の胸に当たると、くるくると舞いながら床へと落ちた。

 それを拾って、射命丸は困ったように微笑んだ。

 

 


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