死体探偵   作:チャーシューメン

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 決してサボっていたわけではないのですが……。

 そそわはこちら→http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/216/1500288659
 ※置いてあるのは同じです。



メイク・ミー・アン・オファー、アイ・キャント・リフューズ

「……しかし、闇雲に攻撃したところで効果は見込めぬ。本丸に打撃を与えん事にはな。そこで作戦じゃ。良いか? 今は北風、こちらが風上じゃ」

「つまり、火計か」

「察しが良いな。今日は空気が乾いておる、こちらから火を点ければあっという間に燃え広がって、ここらを一帯を丸焦げとするのに半刻もかからんじゃろう。風下に居る奴めは煙に巻かれて混乱するはずじゃ。そこを討つ」

「ふむ……しかし、相手が相手だ。煙程度で乱れるものか?」

「そこで女史の出番じゃ。まず女史が風下から炎を点ける。それを消火しようと奴が出て来た隙に、我が反対の風上側から火を点けるのじゃ。つまり、挟み撃ちの形になる。聞けば、奴は草花に異常な執着を見せると言うではないか。自分の畑が燃やされたら、必死に消火にあたるじゃろう。消火に気を取られた奴は、後ろから突如として襲いかかる炎に不意打ちをされるわけじゃ。どうじゃ? 憎き妖怪に成敗を加え、この悪魔の畑も焼き払える、おまけに極悪妖怪を打ち破った我らの名声もうなぎ登りという、一石三鳥の作戦じゃ」

「なるほどな。非の打ち所のない完璧なプランだ。火計に秀でたかの諸葛亮といえど、このような策は思いつくまい」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

「ただ。一つだけ言わせてもらって良いか?」

「なんじゃ?」

 布都はその童顔を弾ませて、ニコニコと無邪気に笑っている。

 私は万感の思いを込めて言った。

「君……馬鹿だろ」

 

 

 

 豊聡耳神子から正式に依頼を受けたのは、その日の朝だった。

「実は今、神霊廟の防火対策の強化を計画していてな」

 薄暗い霊堂の応接間。相変わらず覇気の薄れた穏やかな、悪くいえば力無い声で神子が言う。軽やかなその動作や挙動を観察するに、体調を崩している訳ではなさそうなのだが。普段は殺しても死ななそうなあの聖徳王がずっとこの調子では、なんとなく薄気味悪いものがある。

 物憂げに笏を振りつつ口を動かす神子の姿は、まるで只の少女でしかない。とは言え、吐かれるその言葉は只の少女のそれではなく、多分に政治的意味を含んでいるのだが。

「知っての通り、この神霊廟は私の導きに従って里人が創り上げた街だ」

 隙間妖怪の間隙の縫って創り上げられた街、神霊廟。

 その建築は神子の仙術によるものではない。神子に付き従う里人達の手によって、この街は形作られたと言う。人の手で石を積み、人の手で道を敷いたのだ。実際に城壁建築に立ち会ったという上白沢慧音が言っていたのだから間違い無い。

「石造りでこの上なく堅牢ではあるが、その工期は私自身も驚くほどに短い。だがもちろん、一朝一夕に出来た訳ではない。建築期間中の工人達の仮住まい、所謂『最初の集落地』が街の南側にあるのだが、なにぶん仮のものであるからして、防火対策が行き届いていないのだ。早い話が、あの一画は木造建築になっているのだよ」

 神霊廟の南側にそのような集落地がある事は私も知っていた。基本的に灰と白とで形作られたこの街の中では目立つ区画だ。

 とは言え、木造住宅など里では当たり前である。

「私が見たところ、住宅密集度もそう高くはない。危険視するほどでもない事だとは思うが」

「私は里の混乱を懸念している。念には念を入れておきたい。ここ神霊廟は、その為の場所なのだからな」

 神子はそう言って溜め息を吐いた。

 里の状況を鑑みればその憂いも分からなくはないのだが、私は神子の口振りに多少の違和感を覚えた。

 考えてみれば、住宅を軒並み石造りにするなど、通常の防火対策のレベルを超えているような気もする。乾燥地帯ならいざ知らず、ここは湿潤な日本である。また、先に述べた通り、神霊廟は住宅の密集度合いも低い。確かに四方を高い城壁に囲まれた神霊廟で火の手が回れば逃げ場は無いが、そのような大火など組織的に火を放たなければ難しいだろう。

 ……まさか、戦争でもするつもりなのか神子は、そんな馬鹿な。脳裏を掠めた馬鹿な考えにすぐさま唾を吐いた。

「出資者がそう言うのなら、私に文句は無い」

 私は今、神霊廟に世話になっている身。その最高権力者からの正式な依頼とあれば、断る選択肢などあり得ない。あり得ないのだが……。

「しかし、防火対策か……」私は首をひねった。「私が役に立てるものかな」

 私はしがない死体探偵であるからして。

 神子はほろほろと朗らかに笑い、手にした笏と射抜くような瞳とを私へ向けた。翼を広げた木菟が音も無く獲物に襲いかかる時の、そんな優雅さと恐ろしさとがそこにある。多少調子を崩していても、聖徳王は聖徳王であった。

「謙遜する必要は無い。君の事は聞き及んでいる。外の世界の科学魔法に精通していると聞く」

「ま、まあ、ずっと眠っていた君達よりかは、それなりにな」

 スマホぐらいなら使えるし……。

「この神霊廟は仙道と風水に従って造られた街。だが私は別の種類の力も取り込んで行こうと考えている。優れた力とは、別の種類の力とも共存出来るものだと言うのが私の持論だ」

「科学や仏道をも取り込むつもりか」

「吝かでは無いよ。君がどう思っているかは別として、私は君を好いているぞ」

 神子はそう言って涼やかな笑みを浮かべる。

 なんとも嬉しくない愛の告白である。せめて背後の打算くらいは隠そうとして欲しいものだ。

「治安面は布都に任せている。彼女と協力して、計画を練ってほしい」

 神子が笏を振って示すと、部屋の隅に控えていた物部布都が、腕を開いた大仰なポーズをとって言った。

「よろしく頼むぞ、ナズーリン女史!」

「あ、ああ」

 私は少し気後れしてしまった。正直言って、物部布都が苦手だったのだ。心綺楼異変の時などに命蓮寺へやたら突っかかって来た印象が強いのもあるが、それだけではない。こいつは底が知れないところがあるのだ。

 とは言え、物部布都が智者である事は間違い無い。こいつはあの蓬莱山輝夜と同じく、死の自警団の存在を予言していたのだ。

 布都は偉そうに腕組みしながら、自信満々の声色で言う。

「既に女史も気付いている事とは思うが、この神霊廟は既に防火に優れた設計となっておる。故に今、この神霊廟で真っ先に対策すべきは、人為的な放火じゃろう」

「確かに。人の出入りが激しい事は、それだけリスクがあるとも言えるだろうからな」

 あの賢者達の標的が人間と妖怪の不和を煽る事であるのならば、この神霊廟とて標的に成り得るのだ。

「もちろん我等も対策を講じておる。要所に水場を設け、住民には定期的に防災教育を施しておるのじゃ。火薬や油などの危険物保管庫付近の警備にも抜かりはないぞ。しかもそれだけではない。相当数の警邏隊に加え、市街には間諜も放っておる」

「そ、そんな事まで」

「しかし、どれだけしても足りないのが対策というもの。故にナズーリン女史、お主の蓄えた外の世界の智慧とやらを拝借したい」

「……この身の及ぶ限りは」

 慇懃に礼をする布都の言葉ぶりは理路整然としていて、流石は行政を担う者だと私は感心したものだった。……その時は。

 

 

 

「それがなんで太陽の畑に放火するって話になるんだよ。馬鹿だろ君は、馬鹿だろ」

「あのう、ナズーリン女史。ちょっと手を引いてもらってよいかの? 前が見えねぇので」

「知るか!」

 この大馬鹿野郎は、おもむろに太陽の畑へやって来たかと思うと、いきなり火をつけようとしやがったのだ。

 案の定、あっと言う間にバレてしまって、風見幽香の剛拳を顔面にめり込むほど喰らった布都である。自業自得だ。むしろ鉄拳制裁だけで済ませるなんて幽香は優しい。これが妖夢だったら今頃その童顔が真っ二つだぞ。

 大体、この馬鹿はなんでいきなり放火しようなんて思ったのか。確かに悪名轟く風見幽香ではあるが、具体的にどういう悪事を行ったなどという話は聞かない。と言うか私は幽香と面識があるが、彼女は無差別に人を襲う類の妖怪ではない。迷子になった人間の少女を保護していたことだってあるのだ。

「いやー、あの花の妖怪があんなに恐ろしいとはのー。『次やったら肉骨粉にするわよ』なーんて笑顔で言われた時には我、危うく失禁するところだったぞ」

 顔に綺麗な丸い青あざを作った布都が、悪意たっぷりに物真似しながら軽口を叩いている。前々からちょっと思っていたが、やっぱりこいつ、馬鹿だ。

 ……だがまあ確かに、あれには肝が冷えた。いつの間にか笑顔の幽香が後ろに立っていた時には思わず上の句まで詠んでしまったぞ、辞世の句を。賢将なんか恐怖のあまり気絶してしまったくらいだ。流石幽香、極悪妖怪と噂されるだけはある。

「流石の我もしばらくちょっかい出したくないぞ、あそこには。いやはや、なかなかの防火対策じゃな、太陽の畑も」

「斬新だな、鉄拳の事を防火対策って呼ぶのは」

「参った参った。あの花の妖怪を倒すにはもっと準備が必要じゃなー」

「あのな。目的が変わってないか? 神霊廟の防火対策をするんだろ?」

「そうじゃよ?」

「それがなんで放火になるんだよ!」

「ほっほ、知れた事」歩きながら振り返った布都が、かんらかんらと音を立てて笑う。「一番の防火対策、それ即ち、我等に敵対する妖怪を倒す事に他ならんじゃろーが!」

 お、ま、え、が! その敵を作ってるんだろーが!

 あまりのムカつきに声を出すのも忘れてしまう。キリキリと痛む胃を抱えて、私は深く溜め息を吐いた。

 なんて破茶滅茶な奴なんだ、こいつは。力技にも程がある。神子が私を同行させたのも、こいつのお守り役に暇そうなネズミを捕まえただけってことかい。まったく……。

 この馬鹿と一緒にいるくらいなら、無縁塚の不毛な探索を続けるほうがマシである。今すぐこいつを置いて帰りたい気分だが、神子との契約の手前、そうも行かない。というか、こいつを一人にしたら何をしでかすか分からなくて怖い。

「さぁて」

 私のゲッソリ顔なんかおかまいなしで、ムカつくほどに良い笑顔の布都である。能天気にスキップなんてしやがって、まったく腹が立つ。

「お次の目標はここじゃ!」

「……おい。おいおい、まさか……」

 開けた森の向こう、日差し照るというのに薄く霧立ち込める湖の畔。

 正面に聳えるは、周囲から悪目立ちしている真紅の館。

 布都がドヤ顔で案内したのは、泣く子も黙る悪魔の館、紅魔館であった。

 流石の私もこれには慌てた。

「まさか君、紅魔館にちょっかい出す気じゃないだろうな? やめておけ、吸血鬼に殺されるぞ」

 何せ、紅魔館に住まうのはあの恐るべき吸血鬼、レミリア・スカーレットだ。その危険度は折り紙付きである。幻想郷に危険地帯は数あれど、その中でもトップクラスの危険度を誇る、文字通りの悪魔の館。『門を潜るのに鍵は要らぬ、死の覚悟一つあれば良い』とは、その門番の言。

「大丈夫大丈夫、今は昼じゃ。聞けばその吸血鬼とやら、お天道様の下では動けぬと言うではないか」

「そんなの向こうだって分かってるんだから、対策立ててるに決まってるだろ」

「まーなんとかなるじゃろ」

「お前……レミリア・スカーレットの噂を知らんのか?」

「もちろん知っておるぞ。あれじゃろ、月に行ってバシュッゴオオオしたとか言う」

「違う、なんだそりゃ? レミリア・スカーレットと言えば、幻想郷全部を敵に回してなお生き長らえている、正真正銘の化け物じゃないか」

 私は恐るべき吸血鬼が引き起こした二度の異変について、布都に掻い摘んで説明した。外界にいたレミリア・スカーレットが自ら幻想郷に飛び込んで来た事。幻想郷の魑魅魍魎全てを相手にしてなお戦い抜き、一度は幻想郷全土を手中に収めかけた事。退治された後にも紅霧異変を引き起こし、幻想郷全土を混乱の坩堝へと陥れた事。

 夜王レミリアとの交戦経験を持つ妖は口を揃えて言う。曰く、「奴は本物の魔王だ」と。八雲紫や西行寺幽々子といった実力者達が束になっても、その侵攻を止める事が出来なかったらしい。実際、紫にその事を尋ねた時には、酷く不機嫌そうな顔で証言を拒まれてしまった。それだけでもレミリアの実力は推して知るべしと言った所だ。

「此処へ来る前の話だから、私もよくは知らん。しかし、君もよくやるスペルカードルールの弾幕ごっこは、あの不死者の王を退治する為に考案されたという話だぞ」

 ルールのあるお遊びでなければ退治する事が出来ない、それ程の脅威。スペルカードルールの存在こそが、その脅威を逆説的に裏付けているのである。

「眠れる獅子の尾を自ら踏む事は無い、触らぬ神に祟り無しだ」

「女史がそれほど恐れるとは、本物なんじゃな。これは腕が鳴るのー」

「私の話、聞いてたかい? あの吸血鬼は本当に危ないんだって」

「それ程の極悪妖怪ならば尚の事、我等が民の為に成敗する必要があるな!」

 またもや鳥のように手を開いてポーズを決める布都。

 そうか、薄々感じてたけどこいつ、人の話を聞かない手合なのか……。

 私は手もみしながら声を落として言った。

「いいかい? レミリア・スカーレットにちょっかいを出すのはやめておけ」今気付いたが、イエスマンがよくやるもみ手ってのはアレなんだな、ごまするためにやってるんじゃなくて、自分の感情を抑えるためにやってるんだな。「君一人だけの事じゃあない、神子や神霊廟にも累が及ぶ事になるんだ。民に迷惑が掛るのは君も本意じゃないだろう?」

「リスクを恐れて必要な手を打たぬのは無能のやることよ」

 やっぱりこいつ、人の話に耳を貸さない。その上、無駄に自信家だなんて厄介すぎる。嗚呼、頭痛がしてきた……。

「あのな。君一人であの馬鹿デカい屋敷の連中を全部倒せるわけないだろう?」

「ほっほ。それなら、これを使うかの」

 布都が懐から取り出したのは、拳より少し大きいくらいの丸い玉だ。茶色っぽい色をして、頭からちょろりと細い線が伸びている。

 どう見ても、爆弾の類である。

「こいつを二、三個投げ込めば、あの屋敷にも風穴が開くじゃろう。不健康なもやし妖怪に日光浴させてやろうぞ」

 私が金切り声を張り上げるのも仕方ない、良識ある諸兄らならばそのように判断して頂けると信じている。

「阿呆か、吸血鬼より君の方がよっぽど危険人物じゃないか! いきなり爆破しようとするなんてそんなの、あの賢者共と変わらん所業だろうが!」

「だからやっておるんじゃろ」

「なんだと?」

「あ、それ」

「あっ」

 布都が指を鳴らすと、爆弾の導火線に火が付いた。

 本気か、こいつ。

「な、何やってんだ、早く消せ!」

 私の必死の制止も虚しいだけだった。布都は無造作に爆弾を振りかぶり、妙に美しい投球フォームを取る。

「せーの!」

 布都の掛け声と共に、その指先から恐るべき炸薬の塊が放たれた。

 同時に、その頭上から大量の水が降って来て、布都の体を包む。布都の蛮行を止めるべく飛び掛かっていた私もろとも、ずぶ濡れになってしまった。

 濡れた視線を走らせると、爆弾は地面に転がっていた。水を被って勢いを殺されたのだろう。私は息を吐いた。一安心である。

「何やってんだ、まったく」

 呆れ声を上げたのは、馴染みのある声。柄杓を手にして眉を顰める水兵服姿の少女、船幽霊の村紗水蜜である。

「キャプテンか、助かったよ」

 村紗は霧の湖増水事件の折、紅魔側と繋がりを持ったと聞く。今日も紅魔館に遊びに来ていたのだろうか。

 キャプテン・ムラサは私を責める様に柄杓を突きつけてきた。

「ナズーリン。神霊廟の奴等とつるんでるとは聞いてたけど、いつから爆弾魔の片棒を担ぐ様になったワケ?」

「め、面目無い」

「色々噂になってんだからさぁ、これ以上疑われない様にしときなよ。まぁた聖に迷惑かかっちゃうでしょうが」

「返す言葉が無いよ」

「……まあ、それを言っちゃったら、今の私達も同じか」

 村紗が顔を曇らせ、柄杓で背中を掻いている。星の事を言っているのだろう。

 寅丸星は、純然たるテロリスト集団「死の自警団」を保護している。その不可解な行動に不満を持つ者も多いはずだ。村紗の顔色を見れば分かる、命蓮寺内でも相当の不和が広がっているらしい。

「キャプテン、聖達は……」

 言いかけた時、私の視界の端を何かが横切った。

 皿だ。

 いくつものそれが回転しながら宙を舞い、一直線に村紗へと襲いかかった。

 しかし村紗は事も無げにそれらを叩き割ると、背に負った大きな碇へと手を伸ばした。

「やる気かい、変態教団の馬鹿道士」

「ふっ、中々やるではないか、邪教の使徒よ」

 皿を投げ付けた布都は、次弾を構えて高らかに笑った。

「しかし此処で会ったが百年目、あの邸に篭る陰気な吸血鬼諸共、この物部布都が成敗してくれようぞ!」

 もうホントこいつ、なんなの?

 私は布都の頭を掴んで、強引に頭を下げさせた。「何をする、女史!」なんて言って布都がもがいたが、もちろん無視だ。

「すまん、村紗」私はもう、平身低頭するしかない。「この馬鹿にはよく言って聞かせておく。だから紅魔館側には伏せておいてくれないか。レミリア・スカーレットと敵対する気は無いんだ」

「いいけど、お嬢にはとっくに全部丸聞こえだよ?」

「えっ」

 村紗が指差した方向に、真っ赤なパラソルが見えた。その下に佇む、小さな背中を向けた影一つ。フリルの付いたドレスの裾を大胆に捲し上げ、保冷ケースを椅子がわりに大きく足を開いて座っている。手にした帽子を団扇代わり扇ぐその背の向こう側には、不釣り合いなほど大きな釣竿が揺れていた。

 この強大な妖気……まさか、レミリア・スカーレット?

「な、なんで吸血鬼が釣りなんかしてんだ?」

 考えるよりも先に口が動いてしまう、自分の愚かしさを呪っても時すでに遅し。霜柱のように細く冷たい声が響いて来た。耳朶奥から心を揺さぶるその声色、正に悪魔と呼ぶに相応しい旋律。

「……クックック。嬉しいなァ。久し振りだよ、我が紅魔館に対してカチコミを仕掛けるような無謀な輩は」

 手にした竿を置き、くつくつと笑いながら立ち上がった。その何気ない仕草に、私の瞳は釘付けになってしまう。幼女と言っても過言ではないようなあどけないその容姿に、不相応なまでの妖力が漲る。鼠の本能が告げている、目の前の存在は自分とは格が違う、違いすぎると。

 レミリアはゆっくりと振り返ると、その真紅の双眸でこちらを捉えた。私は思わず一歩下がって、仕込みロッドを構えた。そうせざるを得ないような迫力が、レミリアにはあった。

「滅多に無いお客様だ。私直々にもてなしてやろう。ね、眠れる獅子の尾を踏んだ事、存分に後悔するがよい……」

 レミリアの口角がきゅっとつり上がり、私の背に冷めたい汗が流れたその時。

 いつの間にかその背後に回った布都が、パラソルの柄をインサイドで蹴倒した。

 大きなパラソルは音を立てて横になり、そうすると必然的にレミリアが日光に晒される事になる。

「ギャー!」先程の威厳は何処へやら、レミリアは可愛い叫び声を上げながら、地面をのたうち回った。「あァっつい! 灰になるー!」

 キャーキャー叫びながらぷすぷすと煙を上げて転げ回る姿は、何と言うかその……ちょっと可愛い。

「なんじゃ。てんで弱っちいではないか、この吸血鬼とやら。警戒して損したのう」

 懐手しながら布都が声を立てて笑う。背後から不意打ちしておいてこの態度、清々しいほどのクズっぷりである。

 だけど村紗なんかもっとひどい。転げ回るレミリアを見て大爆笑している。友達じゃなかったのか、お前。助けてやれよ。

「お、おい、何やってんだ!」

 流石の私もどうして良いか分からず、転げ回るレミリアと高笑いする布都とを交互に見つつオロオロとするしかなかった。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花じゃな、女史よ。ろくに日光も浴びず引き篭ってばかりおるもやし妖怪なんぞ、所詮この程度よ。亡霊の屠自古でさえ日光浴が日課じゃぞ」

「あ。後ろ」

「うん?」

 布都が振り返るのを待っていたかのように飛んできたジャイアンパンチが、その顔面に突き刺さった。

 拳を放ったのは、立ち上がったレミリアだ。携帯用の日傘をさして、日光から身を守っている。まあそりゃ、対策の一つや二つ、当然しているよな……。

「覚えておけ、エセ仙人。私はもやし妖怪じゃあない。もやしは我が親友、パチュリー・ノーレッジの二つ名だ」

 きゅうと可愛らしい声を上げて、布都は倒れてしまった。ちょっとスカっとしたのは、秘密だ。

 布都をのしたレミリアは、何事も無かったかのように表情を優雅に整え、その瞳を再び私へと向けた。

「おい、小鼠」

「あ……」

 少し呆気に取られていた私だが、闘争を防ぐ為には言い訳をしなければならないと思い立ち、慌てて口を開いた。

「す、すまない。この馬鹿が暴走して……」

「いや……」なぜだかレミリアはプイとそっぽを向いてしまった。「もういい。私ゃ恐竜釣りで忙しいんだ」

「……え、恐竜?」

 馬鹿みたいに鸚鵡返しする私に対し、レミリアは背を向けたまま、鬱陶しそうに手を払った。なぜか、その顔は少し上気しているように見える。

 消えろ、という事だろうか。願ったり叶ったりだ。

 私は気絶した布都を負ぶって、一目散に来た道を引き返した。恐るべき吸血鬼の姿が木立の陰で見えなくなった所で、ようやく私は歩く速度を落とす事が出来た。

 まったく……この馬鹿の所為で、危ない所だった。これ以上、この馬鹿に振り回されては堪らない。私は寝息を立てる布都を負ぶったまま、急いで神霊廟へと取って返した。

 それにしても、恐竜釣りってなんだろう。何かの隠語だろうか?

 

 

 

 神霊廟へと通じる街道を渡ると、今や見慣れた高き城壁が見えてくる。私は衛兵に会釈しつつ、開かれた門を潜った。

 既に太陽も高い。南門付近は多くの人々で賑わっていた。「最初の集落地」である南区画は商店街となっており、実を言うとこの神霊廟で一番活気のある区画でもある。

 道の向こうには、先に神子が居を構える霊堂が聳えている。南門から真っ直ぐに伸びるこの広い街道、左右には沢山の屋台が道に張り出していて、商人達が声を張り上げていた。荷車を引いた出稼ぎ達も多い。

 ここ神霊廟に人が集まりやすいのは、里に比べて、他所者を忌避する感覚が希薄だからなのだろう。妖を禁忌とする里は、実を言うと外部の人間への差別意識が強いのである。里外の集落の人間は里で商売することが難しかったのだ。神霊廟はその受け皿になった形なのである。この街が急速に発展を遂げている背景には、神子の威光だけでなく、そのような生臭い理由もあった。

 余所見をしながら歩いていたからだろうか。覚えず、向こうから歩いて来た男と軽くぶつかってしまった。慌てて振り返り謝ると、麻衣を着たその男は「こちらこそ」とにこやかに笑い歩いて行った。その背を見送って、私は頭を掻いた。ここのところ、私はどうも抜けている。

「挨拶する必要なぞない」

 いつの間にか目覚めていた布都が、私の耳元に口を寄せ、こしょこしょと喋った。

「ふん、貴族様の論理かい」こそばゆさと不快さが入り混じって、私の声にも棘が混じる。「反吐が出るな」

「勘違いしているようじゃが、我は貴族ではない。為政者なのじゃ。それは我の矜持でもある」

「それでよくも民を疎かにするような台詞を吐ける」

「疎かになどしておらんよ。単に必要無いから言ったのじゃ。あれは木偶じゃよ」

「ここで宗教論議を始める気か? 道教ではどうだか知らんが、仏道では衆生が悟りを得うる」

「分からん奴じゃな。あれは非情じゃ」

「……非情?」

 非情だから挨拶不要とはこれいかに。そんな輩に礼を尽くす必要など無いと、そう言いたいのだろうか。

 しかし仏道用語で非情と言えば、有情の対になる言葉である。有情、生きとし生けるものの対とはつまり、山河大地などの無生物に他ならない。仏道を忌み嫌う布都が仏道用語を使うとも思えないが

……。

「よっ、と」

 布都は私の背から飛び降りると、すこし腫れたその顔を歪ませて笑った。目の周りに綺麗な青痣が付いてパンダみたいになっている。

「迷惑かけたな、女史。ここのところ寝不足だったのでのう。お陰で元気になったぞ」

 まったく、口の減らない奴である。

 腕をぐるぐると回すと、布都は声を弾ませた。

「さぁ、次へ行こうぞ、女史」

「まだやる気か、君は。見上げた心意気だな、まったく。もう少しお休みいただいても構わないのだがね、私は」

「ほっほ。我は割とわーかほりっくなのじゃ」

「へえ。君みたいなのを飛鳥時代ではそう呼ぶのかい。現代じゃ過激派とか暴走特急とかって呼ぶんだ、覚えておくといい」

「うむ、心得たぞ」

「おい、本当に分かってるのか?」

「もちろんじゃ、我とて空気は読める方じゃ。お次は女史の意向もきっちり汲んでおいてやったぞ。次の目標は邪教徒達の総本山、あの憎き命蓮寺じゃ! どうじゃ、これなら女史も賛成してくれるじゃろう?」

 こいつ、言うに事欠いて……。

「それで私が応と言うとでも思ったのかい、君は」

 私が声を荒げると、布都はキョトンとして首を傾げた。

「何故じゃ? 今は女史も奴等と敵対しておるではないか。それとも、昔の仲間を攻撃するのは嫌なのか?」

「敵対云々が問題じゃあないだろうが。いきなり闇討ちってのが問題なんだ。そんなの只のテロリストだろうが」

「じゃが、向こうはその『いきなり』だとか『闇討ち』だとかをやってきかねん輩を囲っておるんじゃぞ? ……いや」布都は首を振り勿体振ると、溜めていた言葉を吐き出した。「より正確に言おうかの。あの邪教徒供は既に、お主の言う『てろりすと』の一員ではないか」

 私は言葉に詰まってしまった。

 星がテロリスト集団を匿っているのは確かだ。死の自警団、奴等は一方的な論理を振りかざし、何の罪も無い一般市民を虐殺する過激派、私欲と大義を履き違えた輩だ。彼等の境遇には同情するが、その行為は決して是認出来ない。その犯罪者集団に協力をしている今の命蓮寺は非難を浴びて当然、寧ろ同罪と言って過言ではない。

「奴等の活動の先手を打ってそれを阻止する、これは『てろりずむ』とやらになるのかのう? 我には正当防衛としか思えないのじゃがな」

 私は反論する言葉を持たなかった。唇を噛み、布都の追求の視線から逃れるように顔を背けた。

 理屈無き害意に晒された時、我々はどのように立ち向かうべきなのか。私には、布都の提示した答えを否定することが出来ない。

 一体、星は何を考えているのだろうか。この論理を賢者達に使われれば、簡単に窮地に立たされてしまうと云うのに。しかも、「死の自警団」自体が奴らの息がかかった組織である可能性もあるのだ。そうなれば、獅子身中の虫。ただでさえ、信者の中に奴らの刺客が紛れ込んでいるというのに……。

「聞き捨てなりませんね」

 懐かしい声がして振り返ると、袈裟姿の寅丸星が仁王立ちをしていた。背の高い星の陰に隠れるようにして、顔を石にした雲居一輪の姿もある。

「星……」

 どうやら、また神霊廟へ布教しに来ていたらしい。今はそんな事をしている場合なのか、星……。

 寅丸星は鉾を鳴らし、神を穿つ眼力を持って、私と布都とを睨んだ。

「日々道に努め励む我々に対し、かような悪評をあげつらい、その名声を落としめんと画策する。古の老子が唱えた無為とは、そのような醜悪な行いを肯定するものではなかったはずです」

「出たな、寅丸星!」物部布都は邪悪に嘲笑う。「説着寅丸、寅丸就到。自らの悪評に聞き耳を立てておるとは、悪を成している自覚がある証拠。これ以上罪を重ねる前に、己の在りようを見つめ直してはどうじゃ、邪教徒よ!」

「その言葉、そのままそちらへお返し致しましょう。声高に他者の悪評を叫ぶのは、自らの正義に自信が無い裏返しではないですか」

「ハッ、よくも言いよる。その物言いこそ……って、な、なんじゃ女史、押すでない」

「星……!」

 私は子供じみた言い争いをする布都を押しのけ、星へ対峙した。

「どういうつもりだ、星」

「ナズーリン。貴女こそ、どういうつもりでしょうか。このような理を理解せぬ輩に協力するとは。仏道を捨てるだけでは飽き足らず、大恩ある毘沙門天様にまで牙を剥くつもりですか? 人を喰らう化物に戻り、知性までもかなぐり捨てようというのですか、貴女は」

「そんな事はどうでも良い。何故、過激派連中を保護した! 確かに奴等の境遇には同情を感じるだろう、だがその行いは決して許されるものではない。今は奴等に肯定的な世論も、直に手の平を返すだろう。怨嗟が聖を襲うぞ……!」

 傍らの一輪は気まずそうに目を逸したが、星の顔には小波一つ立たぬ。腹の立つほど涼しい顔をしている。

「何かと思えば下らぬ事です」

 吐き捨てる、星。

 私の言葉にも怒気が混じった。

「もう一度聖を封印するつもりか、星!」

「ならば彼らを虐殺する事が正義なのですか、ナズーリン。それが貴女の求める仏道だとでも?」

「それは……」

「一切衆生は全て悟りを得うる。人も妖も、僧侶も咎人も、そこには垣根など無い。それこそが仏道であるはずです。我々はそれを実践し、道を誤った人々に正しい教えを受ける機会を提供しただけに過ぎません」

「詭弁じゃな」

 言葉に喘ぐ私に代わり、布都が横槍を入れた。

 布都は袂から一枚の紙切れを取り出すと、星の足元へと投げ付けた。それは射命丸文の「文々。新聞」だった。その紙面の内容は、私も把握している。「死の自警団」の活動を報道する記事……。

「今朝もまた、人が死んだ。奴等によって殺されたのじゃ。貴様らは殺生をしておらぬと言いたいのじゃろうが、それは通らぬ。支援をする者が居なければ奴等とて活動は出来まい。貴様等邪教徒共が殺したも同じ事よ」

「それこそ、詭弁でしょう。我々は平等に慈善活動を行っているだけです。貴女方は物事を勝手に解釈してこじつけているに過ぎません」

「ほう、こじつけか。なるほど一理ある、そうかもしれんな。ところで知っておるか? 今日、奴等の犠牲となってしまった男は、実はこの神霊廟で商売に励んでおった者なのじゃ」布都の瞳に藍色の炎が燃え上がる。「もしや奴等への支援にかこつけて、お主らが商売敵の邪魔をしておるのではないか……どうせこじつけるのならば、ついでにそう邪推を加えてみようかのう?」

 本気で怒っているのか、布都の眼力は只ならぬ。今にも火花飛び、嵐巻き起こりそうな程に。

「謂れのない誹謗中傷ですね。困ったものです」

 だが星は、涼しい顔をして言い切った。

 私は眉を顰めざるを得なかった。そしてそれは、傍らの一輪も同じ様だった。

 まさかこいつの面の皮がここまで厚いとは思わなかった。かつて聖を見捨てた事を悔い続けていたあの頃の星とは、まるで別人のようだ。私はイライラしてしまって、強く拳を固めた。

「分からんのか、星。確かに布都の意見はこじつけかもしれん。だが、そう見られても仕方のない業を君達は背負っているんだ」

「貴女方がどのように穿って物を見ようと、それは貴女方の勝手でしょう。しかし、ゆめゆめ忘れぬよう。貴女方が我々に対し行った批判は、そのまま貴女方自身へも当てはまるのです」

 星は鉾を私へ突き付け、初めて感情的に声を荒げた。

「凄惨な事件を引き起こしたこの死体探偵を囲い、あまつさえその活動を野放しにしている事です。一体、どれほどの数の罪なき命が奪われたか、貴女方は理解しているのですか。そして私は見た。この憎むべき咎人は、先日も罪なき一般人を殺めたのです。この死体探偵を保護する貴女方こそ、真に糾弾されるべきなのではないですか!」

 金色の瞳をらんらんと輝かせ、炎のように言葉を吐くその姿、はるか昔に見た未熟な頃の星そのものである。思考を放棄して退化してしまったのか、こいつは。

「私への批判で論をずらすな、星。今は君達の……」

「それはこちらの台詞です。私達の行いを批判する事で、貴女方の所業を正当化する事は出来ません」

「話を聞け、星!」

「哀れですよ、ナズーリン。自らの道を見失った貴女は。これ以上、醜態を晒すのはおやめなさい」

 こいつ……!

「問答はこれまでです。この幻想郷のために、貴女方が最善の道を選択することを我々は祈っております」

 字面とは裏腹の呪詛と皮肉を吐き捨てて、寅丸星は背を向けた。

 いつの間にか集まった数多の聴衆達を掻き分け、肩を大きく左右に揺らしながら、寅丸星は道の果てへと消えて行く。躊躇いながらもその背を追う一輪が、何故だか哀れに見えた。

「なんじゃあの虎は。人の話を全く聞かんではないか。最初から最後まで自分の言説をぶちかましただけじゃったぞ。あそこまで頭の固い奴はさしもの我も初めて見たな。まったく、屠自古の馬鹿を上回る頑固者がおるとは、世界は広いのう。あんなのがご本尊とは、仏道ってのはやっぱり邪教じゃな、お主もそう思わんか? ナズーリン女史。……あれ、ナズーリン女史?」

 

 

 

「……しかし、闇雲に攻撃したところで効果は見込めない。的確に急所へ打撃を与えん事にはな。そこで作戦だ。良いか? 今は北風、こちらが風上だ」

「つまり、火計じゃな」

「察しが良いな。今日は空気が乾いている、要所に上手く火を点ければあっという間に燃え広がって、目標を丸焦げとするのに半刻もかからんだろう。風下に居る奴ばらめは煙に巻かれて混乱するはず」

「ふむ……しかし、相手は完全防火仕様という話じゃ。そう上手くいくものかの?」

「そう。命蓮寺は延焼に強く出来ているから、一点突破が必要になる。そこで君の出番だ。まず君が外の門で小火を起こす。それを消火しようと奴等が出て来た隙に、私が反対側から侵入して宝物庫の中から火を点ける。つまり、挟み撃ちの形になるな。いくら怠惰な奴等でも、自分の寺が燃やされたら必死に消火にあたるだろう。消火に気を取られた奴らは、後ろから侵入した私に気付かず、気付いたときには宝物庫が丸焼けになっているという寸法だ。どうだ? あの馬鹿虎に成敗を加え、『死の自警団』への資金流入も止める、おまけに極悪妖怪寺にお灸を据えた我々の名声もうなぎ登りという、一石三鳥の作戦だろう」

「なるほどのう。非の打ち所のない完璧なぷらんじゃ。火計に秀でたかの陸遜といえど、このような策は思いつくまい」

「そうだろう、そうだろう」

「ただ。一つだけ言わせてもらって良いかの?」

「なんだい」

 月明かりの下、私は準備したマッチと石油缶の確認をしながら生返事した。

 布都は童顔を困惑に歪ませ、恐る恐るその言葉を口にした。

「頭でも打ったか? 女史よ」

「別に打ってない」

「えー。じゃあ何でいきなり命蓮寺を燃やそうとしだしてるの、女史は……」

「決まってるだろ。あの無思慮頑迷の大馬鹿虎にお灸を据えてやるためだッ!」

 星の奴……前々から馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、あそこまで短慮だとは思わなかった。下劣な策謀で信者を得ようとするなど言語道断。その的外れの策略のために聖を、命蓮寺を危険に晒してどうする。我等千年の苦境を忘れたのか。その上、間接的に虐殺の片棒を担ぐなど、仏教徒にあるまじき行為だ。奴に私の破戒を咎める資格は無い。いや寧ろ、奴の破戒をこそ可及的速やかに糾弾する必要がある。

 そうだ。

 それこそが、今の星には必要なのだ!

「ちょちょちょ、待つのじゃ女史よ。理論が飛躍してはおらんか?」

 この期に及んで、布都はまだ尻込みしていやがる。

「どこも飛躍などしてはいない。今の奴は仏道の風上にも置けぬ」

「うむ」

「道を外した馬鹿者には仏罰を加えてやる、それが毘沙門天の使者たる我が勤め」

「うむ」

「寺の宝物庫を燃やしてやる!」

「さっぱり分からん」

 布都はしきりに首を捻っている。理解力の低い奴だ、まったく。

「どうどう、落ち着くのじゃ、女史よ。なんかヤケになっておらぬか?」

「なってない!」

「なら、なんで自分の寺の宝物庫を燃やすんじゃ? なんかこう、支離滅裂に思えるんじゃが」

「馬鹿を言うな、私は毘沙門天の使者だぞ、これは正義の為の戦いだ!」

「うむ」

「命蓮寺一派に経済的打撃を与え、テロリスト供へ資金が流れるのを阻止する!」

「うむ」

「あいつら、私が必死に稼いだ金を無駄使いしてやがるんだ。あの宝物庫なんて聖が馬鹿みたいに買い漁った使いもしない収納グッズで一杯なんだぞ、もう我慢ならん!」

「私怨ではないか」

「何を言う、蓄財など仏道にある者がする行為ではない! それを断罪するのが私の役目だ!」

「えー……」

「大丈夫だ。今、宝物庫内に誰もいないことは部下が確認している。私の目的は奴等の財を奪うことだけだ。君が気に病むような事は起きない」

「別に邪教徒や妖怪共が何人死のうと我は気にせんが、しかしなあ。女史の部下とやらも呆れ顔じゃぞ?」

 尻尾の籠の中で賢将がジト目をしている。この私に文句を付けるなんて、えらくなったなぁ賢将……?

 私が一睨みすると、キィと小さく鳴いて籠の中に隠れてしまった。軟弱者め。

「賢将は文句が無いみたいだが?」

「えー……女史、けっこう強引じゃな」

「まだぐだぐだ言うのか、君は」

 単純明快・理路整然・明朗快活たる私の論を聞いてもなお、懐手しながら布都は渋い顔をしている。

 と、言うか。

「大体。君が先に火計を仕掛けようと言い出したんだろう」

「う、うむ。まあ、そうなんじゃがの」

「怖気づいたのか、物部の」

「いや、ただこれ、単なるお主の暴走のような気がして」

「なんだ、自分の都合でさんざん人を引っ張り回しといて、私の都合は聞けないってのか、君は」

「いや、うーん。それを言われるとのう……」

「なら四の五の言うな、やるぞ!」

「お、おう」

 寺の門は無用心にも開け放たれている。人心乱れるこのご時世、無用心にも程がある。もしも今みたいに悪意を持った輩が入ってきたらどうするつもりなんだ、一体。……いや、私は正義の味方だがな?

 やはり、怠惰にだらけきった寺の奴等には喝を入れる必要がある。決意も新たに、私は石油の入った小さな缶を抱え、門を跨いだ。

 途端、飛び出してきた木の板に鼻を強か打ち付けて、面食らった私は尻餅をついてしまった。

「な……」

 見上げると、縄で吊るされた木製の看板がゆらりゆらりと揺れている。

「大丈夫か? 女史よ。鼻血が出ておるぞ」

 布都がけらけら笑い声を上げている。

 私が唖然としていると、布都はその看板に近寄って声をあげた。

「何か書いてあるようじゃな。なになに……。『貴女の浅はかな行動なんて全部まるっとお見通しです。寅丸星』……じゃって」

 あまりのムカツキに、一瞬気が遠のいた。

 なんて嫌味な虎なんだ!

「門を開け放しておいたのは罠のようじゃな。こりゃ駄目じゃの、こっちの行動が読まれておる。今日は出直したほうがよさそうじゃぞ、女史よ」

「上等じゃないか……」

「えっ」

「計画変更だ、このまま正面突破してやる!」

「ちょ、女史?」

「来い、布都!」

 私は跳ね起きると、宝物庫へと突撃した。

 寺の門を突破し、石畳の参道を外れ、宝物庫への最短ルートの砂利道を選んで足を踏み出す。

 一瞬の浮遊感の後、目の前が夜空に輝く月で満たされた。気付けば私は、暗い穴蔵の中で仰向けになっていた。

「女史……大丈夫か?」

 穴縁から布都がこちらを見下ろしている。

 ……どうやら落とし穴にはまったらしい。こ、こんな古典的なトラップに引っかかるなんて。羞恥で顔が火照ってくる。

 許さんぞ、あの陰湿な虎め……! ああそうかい、落とし穴があるのなら、空を飛んでいくまでだ!

 私は飛翔術を使い穴から飛び出すと、宝物庫へ向かって速度を上げた。

「あ、女史、そっちは……」

 布都の言葉が聞こえるか聞こえないかの内に、私は空中に張り巡らされていた縄に引っかかり、墜落した。ご丁寧に、空中の縄は黒色に染められていて、視認しにくくなっていたのだ。

「女史……」

 またもや私を見下ろす布都の目が、可愛そうなものを見る目になっている。こいつにそんな目をされるのは非常に心外である。

「あの。こう言ってはなんじゃがの。女史、遊ばれておるぞ?」

 私は小傘のロッドを取り出して構えると、深呼吸した。

「ふん。トラップがあるなら、探知すればいいだけだ」

「しっかり引っかかってから言われてものう」

「うるさい!」

「いやでも本当、もうやめんか? 女史よ

 布都も賢将もうんざりした顔をしているが、知った事か。

「ここまで虚仮にされて引き下がれるか、突撃あるのみだ!」

「……もしかして、女史ってけっこう短気?」

 私は全神経を集中して、得意のダウジングを行った。探知能力を全開だ、今の私には半径二十メートル以内のあらゆる事象が詳細に感知出来る。布都が眠そうにあくびするのも分かるし、ぬえが寝室でいびきをかいているのも聞こえる。布都が下手くそな鼻歌を歌っているのも、響子がそれを寝言で山彦しているのも、布都が何もない所で転びそうになっているのだって……って言うかうるさいな、布都。

 布都を叩いて静かにさせてから、私はこの上なく注意深く慎重にゆっくりと進んだ。

 そして、目的の宝物庫に着いた。

「罠、無かったのう」

「なんで……」

「完全に手の平の上じゃな」

「ば、馬鹿にしやがって……!」

「やりおるのー。なかなかのとらっぷ上手じゃ、虎だけに」

 布都が人の神経を逆なでする痛恨の駄洒落を言った途端、その顔面に巨大な拳がめりこんだ。私はその攻撃を回避しつつ、心の中で拍手喝采せざるを得なかった。

 宝物庫の屋根上には、雲居一輪が仁王立ちしている。その周囲に侍る雲状の不定形妖怪は、見越し入道の雲山である。入道使いの一輪が使役する強力な妖怪、なのだが、正直どっちが使役されているのか分からない。雲山はおっちょこちょいの代名詞たる一輪の実質的なお目付け役でもあるのだ。

「まさか本当に来るとは。ナズーリン」

 浮かない顔の一輪がもごもごと口を開いた。

「私の行動を見抜いていた癖に、あの馬鹿虎はお留守かい。ふん、ものぐさな奴め」

「あんたの気持ちも分からなくはないけど……」

「一輪。悪いがそこを退いてもらう」

「それは……出来ないわ」

「悪いが義は私の方にある。テロリスト共に活動資金を与える訳には行かん」

「でも、姐さんの言いつけを破る事は出来ない」

 どうやら、聖も星に賛同しているようだ。何を考えている、二人とも……。

 躊躇いがちに鉄輪を構える一輪。雲山もその不定形の体を変形させて、拳を形作った。

 一輪と雲山のコンビを正面から打ち破る事は、幻想郷に数多ひしめく猛者達といえども簡単には行かないだろう。あの聖でさえも苦戦する、それだけの練度が二人にはあるのだ。この私が二人に敵う道理があるはずもない。

 しかし、それは正面から戦った場合の話だ。私の目的は宝物庫の破壊である。一輪達と戦う事ではないのだ。

 私は見を低くして構え、息を吐いた。戦いの開始である。

 退魔針を投げつけると、一輪は鉄輪を飛ばしてそれを弾き飛ばした。同時に放たれる雲山の右ストレートを、小傘のロッドで受け止める。かなりの衝撃で、身体強化術を使っていなければ、ガードの上からでもノックアウトされていただろう。流石に連打を受ければ意識を保てる自信が無い。足を動かし続けた。

 雲山の拳の雨を掻い潜りつつ、私はわざと地面に弾幕を張って、派手に土煙を巻き上げた。一輪が私を見失った隙に突撃を仕掛けると、狙い通り。それを嫌った一輪が真上に飛んだ。

 宝物庫の屋根に仁王立ちした私は、待っていましたとばかりに、挑発の弾幕を軽く張る。

「あまいわ!」

 一輪が拳を下に突き出すと、その動きをトレースした雲山が強烈な振り下ろしを繰り出した。私の張った弾幕は、その拳圧の前では微風にも等しい。簡単に掻き消され、その威力を弱める事すら出来なかった。

 だがもちろん、これは私の狙い通りである。その拳をギリギリまで引きつけて、ひらりと回避した。

「あっ」

 鋼の塊すら粉々にする雲山のパンチである。

 宝物庫一つをペシャンコにするなど、訳無かった。

 爆音を上げて蔵が崩壊する様はまさに痛快、一輪と雲山の慌てぶりはまさに愉快。

「あああ、たたた大変、どどど、どうしよう! 姐さんに叱られる!」

 もうもうと煙を上げる宝物庫を前に、一輪は頭を抱え、雲山はオロオロとその辺を行ったり来たりしている。

「相変わらずおっちょこちょいだな、君は」

「ず、ずるいじゃないナズーリン、騙したのね!」

「何も騙してない。君が勝手に宝物庫をぺしゃんこにしたんだろ」

「ううう……」

「普段真面目に修行してないから、そういうことになるんだ、まったく」

 がっくりと項垂れる一輪。冷静になってみると、ちょっと気の毒だったかな。

 何はともあれ、任務完了である。今回の勝負は私の勝ちと言えるだろう。最後の守りをおっちょこちょいの一輪に任せるなんて、星め、まったく詰めが甘い。思い知ったか、馬鹿虎め。

 私は上機嫌で宝物庫を後にした。

 ふと、その肩を掴まれる。

 振り返ると、一輪がヤケクソの笑みを浮かべている後ろで、雲山がパキパキと拳を鳴らしている。

「ところでナズーリン。考えなしに突っ込んで来たみたいだけど、宝物庫を破壊した後はどうするつもりだったの?」

「……そう言えば、そこまで考えていなかったな」

 私が苦笑いするのと、その顔面に雲山のジャイアンパンチが突き刺さったのとは、全く同時だったに違いない。

 

 

 

「女史、目の周りが大熊猫みたいになっておるぞ」

「……うるさいな。君だって同じだろ」

 かんらかんらと脳天気に笑う布都の声が耳に障る。目の周りに丸い青あざを二つこしらえたその姿は、パンダと言うよりキョンシーみたいだ。まあ、私も似たようなものなのだが。

 天道は私の気分などお構いなし、空はムカつく程にいい天気だ。私は神霊廟の城壁の上に座って、街並みを眺めていた。

 結局あの後、私は一輪と取引して命蓮寺から脱出した。取引の内容はもちろん、宝物庫を破壊したのが一輪ではなく私にするというものだ。まあ半分は正しいのだし、戒律には触れないだろう。かなり微妙ではあるが。

 その代わりに、命蓮寺を攻撃したテロリストとして、私の悪名は一層高まる事になった。加えて、布都が直前にあちこちで放火未遂をしていた事もあり、神霊廟の評判まで落ちてしまった。「土砂崩れを起こしたテロリストを匿う邪教集団」だと、星の執拗な追求にさらされている。完全に潔白だと言い切れなくなってしまったので、私としては沈黙しているしかない。

 私の迂闊な行動に協力者達はお冠で、今も青娥と射命丸に散々小言を言われてきたところだ。青娥は「なんで私を誘ってくれなかったの」と見当違いな非難をしてくるし、射命丸は射命丸で「これは貸しです」と一方的に自分ルールを押しつけて来て閉口した。しっかり記事にしておいて貸しも何も無いと思うのだが、全面的に私が悪いので、貝になるしかなかった。賢将にも小言を言われた上にチーズを奪われるし、踏んだり蹴ったりである。

 ぼんやりと白い街並みを眺めていると、ただただ溜め息が出た。

 冷静になって考えてみると、なんであんな浅はかな事をしたんだろうと思う。だが一方で、私は正しい事をしたとも思うのだ。少なくとも、『死の自警団』への資金流入を止めたのはもっと評価されるべきじゃないかな、どうかな。

「なんじゃ、元気無いのう」

 言いながら、布都が隣に座ってきた。昨日の今日で、元気な奴だ。

「鼠は意外とデリケートな生き物なんだ、君とは違ってな」

「はっはっは。疫病を運ぶ悪魔がでりけぇととは、悪い冗談じゃな」

「鼠は善良だぜ、少なくとも、君みたいに放火はしないからな」

「……真面目な話、女史の置かれている境遇が難しい事は分かっておる。黄昏れたくなる気持ちもな」

 遠い目で街を見下ろしながら、布都が言う。その時の布都は、なんとなく雰囲気が神子に似ていると感じた。自分達の街を見るその眼差しの奥には、私には踏み込めない何かがある。そういうところが、こいつらの嫌なところだ。どこまで本気なのか分からない、底が読めないんだ。

「そういうときには、とりあえず体を動かすのが一番なんじゃ」

「斬新だな、放火するのを体を動かすって呼ぶのは」

「でもまあ、いい気分転換になったじゃろ?」

「何ちょっといい話で終わらせようとしてんだ。君が好き勝手やっただけだろ」

「それを言うなら女史もじゃろ?」

 私が口を噤むしかないのを見て、布都は懐手してころころと笑う。憎たらしい笑顔だ、まったく。

「そうそう。女史が無様に落ちたあの穴の中で」

「まだ蒸し返すのかい、趣味が悪いな」

「すまんすまん、その穴の中でじゃな」布都は懐をごそごそと探ると、一枚の書状を差し出して来た。「これを拾ったんじゃ。これは女史の私物か?」

 しわくちゃになったその書状には、『ナズーリンさん、いつもありがとう』と書かれている。

 私は少し、躊躇って。

「……それは私の大切な物だ。すまない、助かる」

「なんのなんの」

 布都の手から書状を受け取ると、私の胸にじわりと渋いものが広がった。それは後ろめたさから来るものだと、私は自覚していた。

 

 


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