死体探偵   作:チャーシューメン

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 今回はいつもにも増して嫌な話です。
 注意してください。
 そそわはこちら→http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/213/1482160330
 ※置いてあるのは同じです。


アジテーション・ホワイト ④

 虹色の光の煌めきは、正に迸る神の雷と呼ぶに相応しい。不規則に輝きながら回転する焔の剣が、博麗神社の境内を縦横無尽に駆け巡る。

 ペンデュラム・エンシェントエディションから漏れ行く儚げな極光をバリアのように展開しても、流星雨のように降り注ぐ圧倒的な死の光の前には所詮やわな薄布に過ぎなかった。

 次々に飛来する夢想封印の光球を、弾幕を展開して逸らし、地を跳ね回って必死に回避を行う。

 視界は一面のオーロラ、地面が抉れ弾け飛ぶ音が耳を劈く。鼻を突くオゾン臭、破れた唇から滲む血の味。激しく振動する五体全てが、全身全霊の警告を発し続けている。

 その時の博麗霊夢の攻撃には全くもって容赦というものが無かった。前回対峙した時とは違う、私への敵意と害意に満ちた攻撃の嵐。しかもそれだけではない。その攻撃には我が身すら省みぬ執念が込められている。

 隣に八雲紫が居なかったなら、私は瞬く間に塵と化して居ただろう。

「霊夢! どういうつもりなの!」

 隙間を展開して光球を防御しつつ、紫が叫んだ。その声にいつもの余裕の色は無い。さしもの八雲紫も、博麗の巫女の全力攻撃を前にして涼しい顔は出来ぬようだ。

「己が役割を完うするまで!」

 紫の訴えにも霊夢は耳を貸さない。次々と生み出される光球を私達へ向けて投げ付けつつ、己は夢想天生で私達の攻撃を受け付けぬ。私の退魔針を札で薙ぎ払い、紫の繰り出す隙間を御幣で叩き潰して、私達を猛追してくる。その様は、まるで戦車だ。博麗の巫女がこれ程の力を持っているとは……。

 端無く、防御幕の隙間を突破した光球が私の眼前に迫った。咄嗟に小傘の十手で打ち据え、逸らす。巨大な衝撃が右半身を貫き、一瞬、感覚が麻痺した。鋼の焼ける臭いが脳に突き刺さり、気が遠くなる。頭を振ってなんとか正気を保った。

 ぼやけ始めた視界の端、散乱する光の帯の合間に、霊夢の姿が見える。

 いや。

 あれは残像だ。

 視線を下に向けると、地を縫った霊夢が肉迫していた。突き出される御幣が轟々と音を立てて空を斬り裂く。

 死が頰に触れる。

 避けられない。

「ぐっ……!」

 微かな衝撃と共に、霊夢の得物が私の身体を貫くのが見えた。

 だが、勝利の笑みの代わりに霊夢が浮かべた表情は、驚愕だった。

 見やると、小さな亜空間が私の体表面を覆っていた。八雲紫の隙間だ。寸前、私を致命傷から守ってくれたらしい。

 隙間ごと私の身体を貫く霊夢の御幣を逃さぬよう、強く握り締める。息が触れそうなこの距離、私は霊夢に語り掛けた。

「私如きに拘わっている場合なのか。そんな暇があるのなら、あの事故の犯人を探せ」

「だから、している」

「なんだと?」

「あの事故を起こしたのはあんただろう。証拠もある」

「……馬鹿な」

「霊夢、貴女何を言っているの」

 八雲紫も困惑している。

「私は博麗の巫女よ。幻想郷に害為す者は排除する。それが私の役割……!」

 途端、霊夢の体が激しく振動し始める。その身体全体から溢れ出る極光に、私は包まれてしまった。

 叫ぶ紫の声が、オーロラの幕向こうから響く。

「ナズーリン!」

 私は、見た。

 極光の帯の超えたその先。

 無縁塚の掘っ立て小屋の中で見た、あの光景。地べたを這いずる黒い影、流れ行く血の大河。顔を黒く塗り潰された得体の知れぬ連中、奴らの担ぐ神輿、輝く博麗の紋章。黄昏に赤く染まる空、飛び行く無数の渡り鳥達。

 何処かから子どもの泣き声が聞こえる。助けを求めるように、誰かに縋るように泣いている。

 今なら分かる。

 これは。

 これは。

 紛れもなく、博麗霊夢その人の声……。

 嗚呼、と私は声を上げた。自覚する、それは恐怖に上ずっていた。

 私の身体が先端から黒い影に侵食されている。そして、ようやく私は理解した。地べたを這いずり回るあの黒い影達、あれはこの呪いの中に飲み込まれた者達の成れの果てなのだと。

 嫌だ。

 嫌悪と恐怖に敗北して、私は声の限り叫んでいた。望まぬ初夜を迎えた生娘のように身体を震わせ、踠いて、足掻いて、泣き叫んでみても、何も変わらず、ただ運命に組み伏せられるのみ。黒い影が私の身体を食らいつくさんと駆け巡る。

 私もこの光景の一部となるのか。この光の帯の中で、永遠に狂った夢を見続けるのか。

 封印される……この夢想に。

「……頭に来るわね」

 カシャリ。

 幻想郷に似つかわしくない、無機質な機械音が響いた。

 それは外の世界に居た私にはある意味馴染みの深い音、カメラのシャッター音だ。

 途端、黄昏の光景は吹き飛び、極光の幕は宙に散乱して消え去った。

 私の身体を喰らっていた影の牙も、たちまち朝日に溶け消えてしまう。私は安堵の息を吐いた。幻想とはなんと恐ろしく、なんと儚いものか。

「私の新聞を利用して、博麗の巫女まで動かそうとするなんて……まったく、くさくさするわ」

 いつの間にか現れた姫海棠はたてが、苛立ち混じりに言葉を吐き捨てた。彼女は折り畳み式携帯電話に付属したカメラをこちらに向けている。以前、対峙した時にも苦しめられたのだが、あのカメラには弾幕を掻き消す力があった。それで夢想封印の光を消したようだ。

 私は呆然とする霊夢の腕を打って御幣を落とし、一歩下がって距離を取った。

「はたて……すまん、助かった」

 はたては相変わらず私を一瞥しただけで何も言わない。

 代わりに、側に立つ八雲紫に食って掛かった。

「八雲紫。あんた、巫女の教育が足りてないんじゃないの? あっさり奴らの計略に引っかかるなんて」

「貴女……姫海棠はたてね。あの『花果子念報』の」

「そ。巫女を騙すのに利用された『花果子念報』の、姫海棠はたてさんよ」

「……騙す? 騙すって、どういう事よ」

 霊夢が眉根を寄せてはたてを睨んだ。殺気はそのままであるが、先程には無かった困惑と躊躇が混じっている。

 はたてはそんな霊夢を小馬鹿にするようにフッと息を吐いた。

「博麗の巫女ってのは脳味噌空っぽでも務まるもんなのね」

「なんですって?」

「そこの小鼠があの土砂崩れを引き起こしたなんて、あんた本気で考えてるのかしら?」

「そうよ、証拠だってある」

「あんたの言う証拠ってのはこれかしら」

 はたてが取り出したのは、自らが作成した新聞、『花果子念報』だった。一面に大きく私の写真が載っている。死体探偵姿で一本杉の前に立つ、どこかで見覚えのある写真だ。

 ……一本杉。

 なるほど、そういう事か……。

「死体探偵が事故の前に一本杉辺りに居た。だからそいつが犯人だ、なんてイマドキ小学生でも言わないわよ」

「それだけじゃない。発破に使った爆弾と同じ物がこいつの小屋から見つかったと書いてある。他にもある」

「この新聞にだけ、ね」

「里の皆だってそう言っている」

「あんたの言う皆ってのは、一体何処の何奴を指してるのよ。顔の見えない棒人間? それとも、このデマを広めているアジテーター共かしら」

「あ、アジテーターですって?」紫が驚きの声を上げた。「一体、里で何が起こっているの?」

 はたてはヤレヤレと首を振った。

「妖怪の賢者も地に落ちたものね。あんたが大事に守ってきた里は、今や流言飛語が飛び交い、私刑の横行する無法地帯になりつつある」はたての指先が私を捉えた。「そしてその槍玉に挙げられているのが、そこの小鼠、死体探偵ってワケよ!」

「なんですって……!」

 紫は驚愕と嫌悪に顔を歪め、ワナワナと震えた。

 はたては混乱して目を瞬かせる霊夢に、『花果子念報』を突き付ける。

「博麗霊夢。こんな薄っぺらな扇動にまんまと乗せられるなんて、あんたちょっと自覚が足りないんじゃないの? そんなんで本当に博麗の巫女が務まるのかしらね!」

 霊夢は少し詰まったが、その口を開けてやり返した。

「そのデマを流した張本人が、よくも言える」

 だが、その的外れの言葉では、はたてを倒すにはまるで足りぬ。

「だからさ。あんたの目が節穴だって言うの。そこの小鼠ならとっくのとうに気づいている事実に、あんたはまだ気付いてないみたいね」

「事実……?」

「霊夢」はたての望み通り、私は口を挟んだ。「その新聞は偽造されたものだ」

「偽造ですって?」

「よく見ろ。その写真は先日、射命丸文の『文々。新聞』に載ったものとまるきり同じだ。誇り高き烏天狗が、競合相手の盗用などすると思うか? つまり、誰かが意図的に情報操作を行っていると言う事だ。誰か……言うまでも無い、あの事故の真犯人がな」

 霊夢ははたての手から新聞を引っ手繰ると、写真に目を落とし、ぶるぶると震えた。そうしていたかと思うと、気合い一閃、偽造新聞を引き裂き打ち捨て足蹴にし、矢のようなスピードで駆け出して行ってしまった。

「どうやら、私の留守を狙われたようね。やってくれるわ……どう落とし前を付けさせてやろうかしら」

 八雲紫は怒りに震えながらも、にやりと笑みを浮かべた。それは、まさに悪鬼のような表情と表現する他無い。開いた隙間にずるりと体を滑り込ませるようにして、彼女もまた何処かへ消えて行った。里へ行くのか、それとも他の賢者達を問い質しに行くのか……。だがどちらにせよ、紫の行動に効果はあまり期待出来ないだろう。敵もそれを想定して動いているからだ。対応策を準備しているに決まっている。八雲紫は幻想郷最強の妖怪であるが故に。

「何故、私を助けた」

 残ったはたてに、私は問いかけた。

「別に……私の新聞を利用されたのが気に入らなかっただけよ。それに今の状況も気に喰わないし」

 携帯を弄りつつ、はたては気の無い声で言った。

「里の様子はそんなに酷いのか」

「さあ。自分の目で確かめてみたらどうかしら。尤も、今その格好で里へ降りれば、黒烏の群れに白い烏を放り込むようなものでしょうけれども」

 ……相当に酷いようだな。無理もない。あの事故では数百の命が奪われているのだ。人間たちが情緒不安定になり、その不安と不満の捌け口を探しはじめる事も予想出来た事である。

 だが、私は心配などしていない。

「はたて。君も賢者達に利用されっぱなしにするつもりは無いだろう? 私に協力してくれないか」

「まさかあんた、このまま調査を続けるつもり?」

「ああ」

「あんた自身が槍玉に挙げられているのよ?」

 はたては驚いているが、何も不思議な事はない。命蓮寺には星と聖がいる。人心の荒んだ今この時こそ、我々の戴く真理とその教えとが力を持つのだ。里の事は彼女たちに任せておけば心配無い。部下たちが少し心配だが、まあ置いてきた賢将がなんとかしてくれるだろう。

「今、優先すべき事は、奴らの次の凶行を止める事だ。君の念写なら奴等の動向が分かるんじゃないのか」

 姫海棠はたては念写により遠隔地の情報を得ることが出来る。『花果子念報』の念は、念写の念。その力を用いて新聞を作っているのだ。

 だが、はたては首を振った。

「無理ね」

「何故。君はその力で賢者達の動きを探って来たんじゃないのか」

 はたては弄っていた携帯電話のボタンを強く押し込んだ。カシャリ。擬似的なシャッター音が響き渡る。撮った写真を見せつけるように、私へと携帯の画面を突き付けてきた。

「見て。画面が真っ暗でしょう。奴らは私の能力に対して妨害を行っている。念写だけじゃ大した情報は取れないし、取れたとしても時間が掛るわ。私は一人じゃない。協力者の力が無ければ……」

「なんだ、これは」

「え?」

 はたてが不思議そうな顔をする。

 はたてが行った念写には、明確に像が写し出されていた。

「何故、写真が……」

 自分で撮った写真を見て、はたてが驚いている。

「待て。はたて。もう一度よく見せてくれ、これはまさか……」

 写し出された写真。

 光差す畳の間の上に無造作に広げられた新聞紙。その上にポツリと置かれている物体にはどことなく見覚えがあった。束ねられた円筒状の物体達で、脇に置かれた機械時計から伸びる幾筋ものコードが、不味そうなスパゲティのように絡まっている。

 外界の資料で見る、時限式爆弾の姿形によく似ていた。

 

 

「これは凄いぞ! ちょっと値が張るが……今の世なら必須だぞ」

 通りがかったマミゾウは、ふとそちらに目を向けた。

 寒空の下、男がみかん箱の上に立ち、興奮した面持ちで聴衆相手に語りかけている。だがどうやら、このところ頻発している扇動者共の演説では無いらしい。

 興味を覚えたマミゾウは、人だかりをヒョイと掻き分けて、男の前に進み出た。

「ちょいと。今度は何の話じゃ?」

「ああ。この新薬は凄いぞ。なんと不安を取り除く薬なんだ」

 男は「抗鬱薬」と書かれた薬を取り出して言う。

「ほう? それはまた現代医学的な……」

 包装に書かれている発売元には「兎角同盟製薬」とある。なるほど、とマミゾウは思った。これは兎妖怪の行商が持ち込んだ品であろう。ということは、噂に聞く永遠亭の天才医師の処方に違いない。その効能は疑うべくもないが……。

「近頃は何かと物騒だろう。あの付喪神の事件に神隠し、土砂崩れの事件と異変続きだ。おまけに最近、世界の終わりが近いという噂で不安で眠れないし、汗も止まらず目眩や頭痛に悩まされていたんだが、それらが一気に解消された。いやあ、これなら世界の終わりも怖くない!」

 周囲を見回してみると、既に幾人かが同じ薬を持っているのが見えた。男が用意したサクラかとも思ったが、兎妖怪の臭いはしない。彼女たちの回し者というわけでもないらしい。純粋に薬の信奉者なのだろう。

「同じ症状に悩まされていたら、薬売りに聞いてみると良いぜ」

 男は異常な目付きでそう勧めてくるのである。

「そ、そうか。儂は不安に悩まされていないから大丈夫じゃ」

 不気味さを覚えたマミゾウは、その人だかりからそそくさと離れた。

 人間の里では抗鬱薬が蔓延しているらしい。医師が処方するならまだしも、向精神薬を行商から買い付けて素人判断で服用するなど、どう考えても健全ではない。

 里の人間は明らかに情緒不安定になっている。

 それは、不安と不満を焚き付ける扇動者達のせいだけではないらしい。極限状態で発露される人間の弱さ、それが表面化し始めているのだ。賢者達とやらは、何を思ってこのような事態を引き起こしているのか……。

 煙管をふかし大路を行くマミゾウの耳に、今度は怒号が飛び込んできた。

「やめろ、やめてくれ! なんだってこんな事をするんだ!」

 男が必死に叫ぶ声と、年端の行かぬ少女が泣き叫ぶ声が木霊する。

 何事かとマミゾウは走った。

 通りの中心に居を構える大きな商屋の前に、黒山の人だかりが出来ている。人混みを掻き分けて最前列に躍り出ると、木槌を片手に大勢の人足達が商屋敷に乗り込んで行くのが見えた。

「な、何をしているんじゃ、あやつらは」

 隣に立つ野次馬の一人を問い詰めると、彼は興奮しながらぺちゃくちゃと喋りくさった。

「打ち壊しですよ、打ち壊し!」

「打ち壊しじゃと?」

「ええ、ええ。ついに有志が突入したんです。この商屋は前々から噂があったんですよ、例の死体探偵と繋がりがあるって! ホラ、あの死体探偵ですよ、先日の土砂崩れの事件を引き起こしたって言う!」

「な……」

 マミゾウは、絶句した。

 既にそこまでの憎悪が死体探偵に向けられているのか。そして関わりがあるというだけで排斥されるほど、事態は進んでいるというのか。

「いやぁ、怖いですねぇ。でもあの憎っくき死体探偵に加担したんなら、自業自得だと私は思いますね!」

 もう分別のつきそうな歳の青年でさえも、このような物言いをする。悪い噂の早まるのは、炎が走るよりも早い。無思慮な憎悪が広まるのは、きっとそれよりも。

 木槌の打ち付ける大きな音が響いた。その音に、野次馬達が歓声を上げる。

 マミゾウは目眩がする思いだった。木槌の一打ち毎に歓声を上げるその様は、まるで獲物に群がる牙獣である。人間の品性や品格など、どぶに投げ捨ててしまったかのよう。

「やめなさい!」

 人混みの向こう側から進み出た少年が凛々しい声を上げた。青い法被に身を包み、頭に捻じり鉢巻きを巻いている。自警団の一人か。

 彼は屋敷の打ち壊しに掛る人足の一人に飛びかかると、声を張り上げた。

「あなた達にこんな行いをする権利はありません! 事件の調査は自警団に任せて下さい!」

 だが、悲しいかな、まだまだ若く身体の小さい彼は、屈強な人足に簡単にはねのけられてしまった。

「小僧、邪魔するんじゃねえ!」

「早まった真似はやめて下さい! 里の平和は我々自警団が守りますから!」

 かじりつく少年を、人足達は払い除けて足蹴にした。

「何言ってやがる! その自警団自体があの死体探偵とつるんでるんじゃねぇか!」

「そうだ、お前達なんかに任せておけるか! 俺達が里を守るんだ!」

「とっとと失せろ、小僧!」

 凄まじい形相の人足達を前にして、若い彼にもう一度飛びかかっていく気力は無かった。傷ついた六角十手を握りしめ、唇を噛んで悔しさに身体を震わせている。

 門前に引き出された店主の男とその家族や使用人と思しき人々は、呆然と自分達の家が打ち壊される様を眺めているしかないようだった。年端の行かぬ少女が、ただひたすらに泣いている。マミゾウはその少女に見覚えがあった。あれはあの時の、あの壺の少女……。

 怒号と、打音と、歓声と、泣き声と。怒りと、憎悪と、悲しみと無力感とが交錯する。

 見ていられない。

 マミゾウは力を使おうとしたが、はたと気付いた。妖力を使う、そんな事をすれば逆に商屋の一家の名を更に貶める結果となるだろう。きっと迫害は加速する。

 ならば、自分は指を咥えて見ているしかないのか。人間以上の、妖の力を持った身の上で。人に恐怖される存在のはずの自分が、人の憎悪に恐怖している。これでは何のための妖怪なのだか分からない。何のための自分自身なのかさえも。マミゾウの中で燃えたぎる侠が、マミゾウ自身を焦がすかのように責め立てていた。

 その時、沈鬱なる弦の響きが観衆の耳を打った。聞いているだけで身体から力が剥がれ落ちて行くような、深い眠りに誘われるようなこの音色と感覚。マミゾウも知っている。

 見上げると、今、正に打ち壊されようとしている屋敷の屋根の上に、仁王立ちしてヴァイオリンを掻き鳴らすルナサ・プリズムリバーの姿があった。

 ルナサの音には気分を沈静化させる作用がある。その力を全開にしているのか、憎悪に猛る人足達も、熱狂に踊っていた群衆達も、瞬く間に目を虚ろにし始めた。人足は力なく木槌を取り落とし、群衆達は潮が引くように無言のまま消え去って行った。

 その様を見届けると、ルナサは屋根から屋根へ跳んで行ってしまった。どうやらルナサは、里の各地で起こる暴力事件の沈静化を図っているようだ。あの事故に責任を感じているのだろう。

 マミゾウは商屋の一家に近づくと、彼らに同情した一般人を装い、しばらく命蓮寺に間借りしてはどうかと勧めた。聖白蓮はこの自体を予見していたのか、実は既に命蓮寺の方では受け入れ体制が整っている。

 呆然としながらも、ここに居ては危険だと判断したのか、商屋の主は家族を引っ張って命蓮寺へ向かって歩いて行った。

「マミゾウ」

 声のしたほうを振り返ると、陰鬱な表情の雲居一輪と寅丸星がいた。二人とも袈裟姿をしている。布教に回っていたのか。

「見てたよ。まずい事になって来たわね……」

「じゃが、おヌシらにとっては信者獲得の好機じゃろう」

「そんな言い方……」

 イラつきが口に出ている。これではただの八つ当たりだった。マミゾウは慌てて言い繕った。

「古今東西、宗教家のやるべき事は同じじゃて。恥じる事はない。こうなった今だからこそ、人の心に平穏を与えられるのは宗教だけじゃろう。ワシはそれを手伝う事は出来んが」

「そうですよ、一輪。今、私達が揺らぐわけには行きません。信者獲得、大いに結構ではないですか。行わぬ善より行う偽善とも言います。仮に我々の行いが偽善であったとしても、それが誰かの救いに繋がるのなら構わないでしょう」

 星は静かにそう言うが、一輪の顔色は晴れない。

「でも……ナズーリン、大丈夫かしら」

「一輪。彼女なら心配要りませんよ。それより、急いで地蔵を建てましょう。今、人々の心に必要なものは、不安に負けぬ強い信仰の力なのです」

 そう言う星の顔は、いつもの柔和さが消えて、厳しくも力強い顔をしていた。

――優しいだけじゃ、正義にはなれない。

 ナズーリンの言葉が蘇る。

 星こそは、彼女の語る正義の化身そのものなのではないか。ふと、マミゾウはそう思った。

 

 

 人々の心は荒んでいる。あちこちで暴力を伴った事件が発生し、不満と恐怖が渦巻く里。

 ルナサが鬱のメロディを覚えたのは、今、この時の為だ。取り返しの付かない事件が発生する前に、人々からその情念を削ぎ落とす。妹から託された、ルナサの役割である。騒霊が騒がしい間は、人里は平和でなければならないから。

 今日だけでもう何件目だろうか。庄屋に押しかけていた人々を鬱の音色で沈静化した後、ルナサは川縁に座って一息ついていた。

 流石のルナサも疲労を覚えていた。力を使いすぎている。本来、この役割はメルランとリリカ、三人で行うべきものなのだが、二人はまだそれが出来る状態ではない。あの事件で傷ついたのは何も人間達だけではないのだ。それに出来たとしても、ルナサは妹達にこの役割を行わせるつもりはなかった。この行為は賢者達との敵対行動に他ならないからだ。

「ルナサ」

 座ったまま声の方へ振り向くと、ナズーリンが立っていた。外の世界から戻って来たのだろうか。しかしまずいことに、死体探偵姿のままである。

「ナズーリン! 今、その姿はまずいわ、早く人目の無い所へ……」

「そんなことはどうだっていい」

 ナズーリンはいつになく強い口調で差し伸べたルナサの手を払うと、懐から陶器の欠片を取り出した。それは、出立の前にルナサが彼女に与えた物だ。

「これには君の血液が付着していた。そうだな?」

「……ええ」

「鑑定結果が出た。心して聞いてくれ」

 ナズーリンは言葉を切った。

 ルナサは息を飲んで、彼女の言葉の続きを待った。

 ナズーリンは深呼吸すると、意を決したように口を開いた。

「君とあのトランペットの少年は、遺伝的に兄弟だったと分かった」

 予想していた答え。それでも、ルナサの胸がズキリと傷んだ。

「それだけじゃない。君の兄弟は他にも居た。君に会う前に死んでしまっているが……。はっきり言おう。賢者達によって、君の兄弟のクローンが量産されている」

 それも、ルナサは予想していた事だった。予想はしていたが……胸の内から怒りが沸々とこみ上げてくる。震える手で、ルナサはヴァイオリンを掻き鳴らした。自らの衝動を抑えるために。

「ありがとう、ナズーリン」憂鬱を奏でながら、ルナサは静かに言った。「でも、お願いがあるの。この事、妹達には黙っていて貰えないかしら」

 ナズーリンは何も言わなかった。代わりに、懐から一枚の写真を取り出してルナサに示した。

「それは……」

「外の世界の博麗神社で見つけた」

 それは、ルナサ達三姉妹に加え、レイラの写った写真だった。

 どうやらナズーリンは、ルナサの予想よりも多くの事実を知っているようだ。

「ルナサ。単刀直入に聞こう。君は賢者達の一員なのか」

 しばし逡巡したが、

「そうよ」

 演奏を止め、ルナサはゆっくりと頷いた。

「正確にはその写真に写っている少女が賢者達の一人だったの。私は彼女の付き人。大魔法使い、レイラ・プリズムリバーのね」

「大魔法使い……」

「私達騒霊三姉妹は彼女の魔力で創られたのよ。生き別れたレイラの実の姉妹を模してね。だからレイラは私の妹であると同時に、母親でもある。私達三人を創り出したくらいよ。その力は推して知るべしでしょう」

「その力を賢者達に利用されたというわけか」

「レイラはとうの昔に他界していると言うのに……!」

 ルナサは拳を地面に打ち付けた。衝撃で地面が抉れる。

 あのトランペットの少年は、レイラのクローンにされていたのだ。レイラの魔力を利用する為に。

 死してなおその力に縋るとは、あさましいにも程がある。あまつさえ造り出したその少年を自らの手で殺害するなど……。どれだけ命を冒涜すれば気が済むというのか、奴等は。

「妹達はレイラが賢者達であった事実を知らないでしょう。実を言えば、私もよく覚えてはいない。その頃の私達はまだ存在が確立していない、不安定な状態だったから」

「君は土砂崩れの計画を知っていたのか」

 ルナサは首を振った。

「そんなわけ、無い。知っていたら止めているわ。私の命に代えても……」

「だが、賢者達の一員だったんだろう」

「そうだけど……」

 ナズーリンを見やる。

 彼女は珍しく厳しい顔をしている。なぜだか、焦っているようにも見えた。

「君は次の攻撃場所を知っているんじゃないのか。ルナサ」

「いいえ。知らないわ」

「嘘を吐くんじゃない。賢者達の一員だったのなら、知っているだろう」

「ナ、ナズーリン?」

「答えろ、ルナサ!」

 ルナサの胸倉を掴んで、ナズーリンは怒鳴った。

「お、落ち着いて。何を言っているの、ナズーリン。貴女らしくないわ」

「里に爆弾を仕掛けられて、落ち着いていられるか!」

「ば……」

 爆弾。

 その言葉で、あの土砂崩れの地獄絵図が脳裏に蘇り、ルナサは息が詰まった。

「知らないのか、本当に!」

 ナズーリンの怒号に、ルナサは必死で首を振った。

「くそ……ならルナサ、君も探せ!」

 ナズーリンはルナサを突き飛ばすようにして放すと、そのまま走って行ってしまった。

 爆弾……。

 賢者達はもう一度土砂崩れの悲劇を起こそうと言うのか。どれだけの血を吸えば、奴らの欲望は満足すると言うのか。

 ルナサの胸の内に黒い感情が湧き上がる。自覚している。それは、殺意だ。三姉妹の内で、ルナサは騒霊現象の破壊を司っていた。奴等をこのままには出来ない、絶対に。

 ヴァイオリンを打ち捨てると、ルナサも立ち上がった。

 

 

「ナズーリン、これは罠よ。意図的に私へ情報をリークしているんだわ。私達をおびき出す為に」

 はたてはそう言っていたが、そんな事は分かっている。だが、それでも探さない訳にはいかない。

 奴等が爆弾を仕掛けたのは十中八九、里の何処かだろう。恐らく奴等の目的は、おびき出した私達をまとめて爆殺するか、その現場に立ち会わせる事で爆破の罪を私達になすりつける事だろう。その為には里が一番都合が良い。里の人間達に被害が出れば、それだけ憎悪も私たちに向くというものだからだ。

 私達に出来るのは、奴らの予想よりも早く爆弾を見つけ出し処理することしかない。

 それしかないが、しかし……。

「何処だ、何処にある……!」

 ペンデュラムもロッドも全く反応しないのである。部下も放って探させているが、手掛かりが少なすぎた。里の屋根から屋根へ飛び移りながら、幻視を使って探索を続ける。せわしなく働く五感とは裏腹に、焦りだけが募って行く。

 上空を見やると、はたてが旋回しているのが見える。彼女も探しあぐねているらしい。

 時計がセットされていたのは正午丁度である。太陽は既に高い。もう時間が無かった。

 はたての写真には円筒形の物体が十本以上写っていた。あれが外の世界から調達したプラスチック爆弾だとすれば、里の一画を吹き飛ばすくらいの威力はあるだろう。仕掛けられた場所によっては甚大な被害が出る。それだけは避けなければならない。

 その時、私の服の谷間から赤い光が漏れていることに気付いた。

 ペンデュラム・エンシェントエディションが反応している。だが、辺りを見回してみても、近くに霊夢はいない。

 赤い光が導くその先は、寺子屋だった。まさか、再び上白沢慧音の暗殺を意図しているのか? とにかく私は、急いでそこへ向かうしか無かった。

 今日は休日だからか、寺子屋に人の気配は無い。火急の用なので土足のまま上がり込み、戸を引き放って教室の一つ一つを素早く見回って行く。

 果たして、一番奥の教室にそれは在った。

 時計仕掛けの時限爆弾と、その隣に無造作に置かれた、血に飢えた陰陽玉。縁側から差し込む光を受けて、不気味に輝いている。

 何故、こんな所に陰陽玉が……。

 考えている暇は無い、時計にはもう残りが少なかった。私は急いで駆け寄って、爆弾に手を伸ばした。

「なっ……」

 途端、陰陽玉から極光の帯が吹き出した。

 オーロラは寺子屋の天井をブチ抜き、猛り狂う龍となって空へ駆け上る。衝撃が体を突き抜けるが、姿勢を低くし、畳の目に足の指を引っかけて堪えた。

 私がペンデュラムを構えてオーロラの幕へ干渉しようとしたその時。

 

 りぃん。

 

 耳障りなその音が耳を打った。

「四万十!」

 私が瞳を開いて振り返ったその時、既に奴、青いレインコートの妖が放った攻撃が眼前に迫っていた。

 極光を受けて輝く、無数の光の粒。これは水散弾だ。

 この攻撃への対処法は既に考えてある。聖から習った肉体強化法術を一点集中して使えば、威力の低いこの散弾など物の数ではない。交差した腕に術を一極集中で掛け、陰に体を隠して散弾をやり過ごした。

「小鼠! 陰陽玉は渡さん!」

「今はそれどころじゃない! 爆弾が!」

 聞く耳は無し。四万十が突撃してくる。その指先から発せられる水の本流が、鋭利な刃を形造った。

 甘い。妖夢の神速の踏み込みに比べれば甘いにも程がある。私はロッドで難なくその攻撃を受け止めた。

 が、私のロッドにぶち当たった瞬間、水の剣は鞭のように形を変え、私の右腕を絡め取りギリギリと締め上げて来た。さらに水流は小さな水の龍に姿を変え、右腕の筋繊維を食らいつくそうと刹那に暴れまわる。手刀で水鞭を断ち切り、回転して龍を振りほどいた時には、眼前に奴の指先が突き付けられていた。

「詰みだ、小鼠」

「どうかな」

 私も左手の退魔針を奴の脇腹に突き付けていた。斜め上の方向、そのまま心臓を一突きできる位置だ。

 しかし、四万十は嘲笑った。

「お前に私を殺せるのか、仏道に縛られるお前に。見ていたぞ。先日の落盤事故の折、お前はあの土蜘蛛を殺せなかっただろう」

「何……」

「あれに力を与えたのは、私達さ」

「女を土蜘蛛にしたのは、貴様らだったのか……!」

 左腕が動かぬ。いつの間にか、小さな水の龍が絡みついている。奴の言葉に注意を向けたその隙を突かれたのか。

「勘違いするな。私達は切っ掛けを与えただけだ。妖怪を作ったのは、差別をした人間達さ」

 力を込めた奴の指先がぶるぶると震える。

 息を飲む、その瞬間。

 縁側のほうから突っ込んできた黒い翼の天使が、四万十に強烈な飛び蹴りを喰らわせて、弾き飛ばした。

 姫海棠はたてだ。虹の柱を見て、こちらへ急行して来たらしい。

「爆弾を!」

 私は光の龍に向かってペンデュラムを投げつけた。光の幕が干渉しあって一瞬、掻き消えたその向こう。正にその時、時計の短針が中天を指そうとしていた。

「だめだ、爆発する……!」

 私は叫んだ、その叫び声が消えた。

 見える。

 周囲からかき集められた圧縮空気の檻が、時限式爆弾の周囲を囲んでいる。同時に、檻の中で凄まじい破壊光が迸った。強烈な光の放射に、全てが色を失くして視界がモノクロになる。

 檻の中では行き場を失くした光が出口を求めて猛り狂っていた。圧力に空気の檻が悲鳴を上げる。次の瞬間、脆くも破れさった堤の一点に、猛る光が殺到する。上部の一点、即ち姫海棠はたてがあえて開いた、天上に至る道へと。

 爆弾の炎の大部分は、檻の上部に開けられた穴から上空へと逃げた。逃しきれなかった余波が私達を襲うが、それは大した事はない。精々教室の障子が破壊される程度である。

 爆発によって生じた炎は、丁度光の龍が開けた大穴を通ったらしい。寺子屋は延焼せずに済んだ。

 色を取り戻した視界に、私はほっと胸を撫で下ろした。

「はたて。またもや助けられたな」

「別に……あんたの為にやったわけじゃないし。ただ奴らの思い通りになるのはムカつくってだけよ」

 プイ、とそっぽを向いてそう言う。私はちょっと笑ってしまった。なんだ、はたてにも可愛い所があるじゃあないか、なかなか。

 それにしても、咄嗟に不燃性の空気だけを掻き集めるとは、姫海棠はたての機転と器用さには恐れ入った。射命丸文にも匹敵するというのは、はたての大言ではないだろう。

 ふと見回すと、あの血に飢えた陰陽玉の姿が無い。爆発に巻き込まれて粉微塵になってしまったのだろうか。それとも……。

「ナズーリン!」

 縁側からルナサが駆け寄って来た。あの光の龍と吹き上がる爆炎を見て、慌てて駆けつけたのだろう。

「爆弾は処理出来たの?」

「ああ、はたてのおかげでな」

「そいつは……」

 倒れ伏す四万十に目を向けて、ルナサが問う。

「賢者達の手先さ」

 はっ、と気付く。ルナサの瞳に漆黒の炎が宿っている。

 その指先から無造作に撃ち出された光の刃を、小傘の仕込みロッドで受け止めた。

「何故邪魔するの、ナズーリン?」

 ルナサの声色は平静そのものだった。私はそれを不気味に感じた。正気で殺戮を行う、底知れぬその闇。忘れかけていたが、ルナサもまた妖なのだ。

「ルナサ……君こそ何故、倒れた敵を害そうとする」

「止めを刺さなければ、害虫は何度でも沸いて出るわ。根絶やしにしなければ……」

「こいつには聞かなければならない事がある」

「殺したほうが早いわ」

「駄目だ、ルナサ」

「……忘れていたわ。貴女、仏教徒だったわね。不殺の誓いがあるというわけかしら。でも……」

 ルナサの金色の瞳が私を射る。

「それでこの先、どうやってこいつらと戦って行くつもりなのかしら。こいつらは隙あらば私達を殺そうとしてくる、敵なのよ?」

 私は返す言葉を持たなかった。

 敵を虐殺する覚悟があるのか。

 それはいつか、私が星に発した問いである。その問いの答えは、今はまだ、私自身の中にも無かった。

 動揺する私の隙を突いて、ルナサが第二刃を放った。

 私は咄嗟にそれに体当たりして、倒れ伏す四万十から逸した。刃が肩の肉に食い込み、滴る血が教室の畳を濡らす。遅れて、鋭い痛みが肩口を走り抜けた。

「ナズーリン……どうして貴女、そこまでするの……?」

 ルナサが困惑し、首を傾げている。

 それは、私にも分からなかった。私は破戒をしている、仏教徒を名乗る資格の無い身。そして憎むべき仏敵を討ち滅ぼす事、それ自体は教義の中でも正当化されている。なのに、何故。

 ただ、思う。きっと星も私と同じようにしただろう。それだけが、私の中に確信としてあるのだ。

「野次馬共が集まってきたわよ。遊んでる場合?」

 私達の攻防を冷ややかな目で見守っていたはたてが、ざわめきの広がる縁側の方に顔を向けた。

 その時、私の背後から伸びた手が、はたての方へ向いた。

「は!」

 一瞬の出来事だった。

 四万十の指先から発射された水爆弾が、はたてを直撃する。虚を突かれたはたては無防備にそれを食らってしまった。

「はたて!」

 はたては声も無く吹き飛ばされ、教室の床の間に叩きつけられた。

「は。はは、やったぞ、大金星だ! あの姫海棠はたてを倒すなんて! 小鼠、お前のおかげだな!」

 起き上がった満身創痍の四万十が歓声を上げる。

「貴様……!」

 ルナサが刃を振るうが、四万十は私をルナサのほうへ押し出し、盾にした。躊躇したルナサの刃が空を切る。

 入れ違いに放たれた水爆弾が、私の眼前で爆裂した。咄嗟に小傘のロッドでガードするが、重い衝撃が身体の芯を揺さぶり、私の身体は木の葉のように吹き飛ばされ、ルナサもろとも教室の柱に叩きつけられた。

 その隙に、四万十は天井の大穴から上空へと飛び上がって行った。

「は、あはは、仏教様様だな! 礼を言うぞ、小鼠!」

 狂ったような四万十の高笑いを残して。

 いきり立ったルナサは、覆いかぶさった私の身体を跳ね除けると、四万十を追って天井の穴から飛び出して行った。

 体の節々が悲鳴を上げている。ルナサの刃と小傘のロッド、そして先程使っていた肉体強化術のお陰で、私はなんとか五体と意識を保っている。

 だが、はたては。

「は、はたて……」

 起き上がる気力も無い私は、地を這ってはたてににじり寄った。

 爆弾を放った四万十自体が弱っていたからだろう、はたては辛うじて息をしていた。が、その吐息は弱々しく、今にも消え去りそうである。水爆弾の直撃を無防備に受けたはたては、全身がズタボロになって、一目で重体と分かる状態だった。出血も酷い。早く医者に診せなければ、命が危うい事は明白だ。

「はたて、すまん……私のせいだ……」

 激しい後悔に襲われる。

 あの時、四万十に止めを刺しておけば、はたては……。

 

 

 オーロラの龍が現れた事は、マミゾウ達もすぐに気付いた。

「何? あれ……」

 一輪が不安そうに眉をひそめている。

「まさか、また奴らか?」

「……行きましょう!」

 いち早く駆け出したのは、寅丸星だった。マミゾウと一輪はその背を追うようにして駆けた。

 その直後、耳を裂く爆裂音とともに、今度は炎の柱が上がった。

 一体、何が起こっているのか。

 マミゾウ達が龍の現れた現場、即ち里の寺子屋へとたどり着いた時には、既に寺子屋の周りに野次馬達が山のように集まっていた。

「あっ!」

 半壊した寺子屋から、死体探偵姿のナズーリンが出てきた。その腕には、血だるまになった少女を抱えている。あれは鴉天狗の姫海棠はたて。何故、鴉天狗がこんな場所に、そして何故、あんな重傷を負っているのか?

 ナズーリンは何も言わず、よろよろと弱々しい足取りで歩き始めた。その足跡には血が混じる。ナズーリンも相当の怪我をしているようだ。

「死体探偵……あれは死体探偵だぞ」

「なんか怪我してない? 今度は何をやったって言うの……?」

「寺子屋が壊れてる……慧音先生は無事なのか?」

 人間達に動揺が走っている。

「ナズーリンのあの怪我……それにあの格好……! ま、まずいんじゃないの、星……!」

 一輪が不安げに言うが、星は厳しい顔で押し黙っていた。

「星ったら!」

 一輪に急かされても、寅丸星は何故かナズーリンに駆け寄ろうとしなかった。

 はたてを抱えたナズーリンは押し黙ったまま、詰めかけた人波を裂いてよろよろ歩いて行く。さながら、海を割る聖者のように。人間達はその異様さに肝を冷やし、沈黙のまま道を開けていた。

 丁度、立ち尽くすマミゾウ達の前を通りかかった頃。

 不意に群衆の間から放たれた飛礫が、ナズーリンの顔を打った。その拍子に、目深に被ったフードが剥がれ、彼女の顔と耳とが露わになってしまった。

「あ! あいつ、幻想郷縁起で見たことがある! 確か、命蓮寺の……」

「あの耳、間違いない! あいつは妖鼠のナズーリンだ!」

 周囲の人間達が熱を帯び始める。

 その時、ナズーリンの視線がマミゾウ達を射抜いた。

 こめかみから血を流し、満身創痍の姿でしかし、その瞳は鈍く輝いていた。

「死体探偵の正体は、妖怪だったのか!」

「やっぱりあの事故は妖怪が起こしたんじゃないか!」

「畜生、妖怪野郎が!」

 群衆が怒号を上げ、我先にとナズーリンに向かって石を投げつけ始めた。飛礫が彼女の身体を容赦無く打ち据えて行く。飛び交う憎悪の石は、すぐに視界を覆うほどになった。

 それでも彼女は黙ったまま、はたてを守るように抱きかかえて歩いて行くだけだった。

「な、なんて事……!」

 ナズーリンをかばうべく飛び出そうとした一輪を、星の鉾が制した。

「一輪。命蓮寺に戻りますよ」

 まさかの台詞に、マミゾウも一輪も愕然とした。

「ちょっと、星! まさかあいつを見殺しにするって言うの?」

 確かに、今手助けを行えば、群衆の怒りは命蓮寺へも向くだろう。それは星達が最も恐れる、聖白蓮の再封印という結果を招いてしまうのかもしれない。だから今、ナズーリンを見捨てる……理に適ってはいるが……。

 だがそれは、ナズーリンを完全に命蓮寺から切り離す事を意味するのではないのか?

 そしてそれは、かつて聖白蓮を見殺しにした行為と全く同じ所業なのではないのか?

「そんな事出来るわけないじゃない! 私は行くわ!」

「黙りなさい。戻るのです」

「ちょっと、離してよ!」

 暴れる一輪を引きずって、星は群衆から離れて行った。

 なんという事だ。

 まさか、寅丸星がナズーリンを見捨てるとは……。千年以上も同じ時を過ごして来たという同志を、こうも簡単に切り捨てられるものなのだろうか。そこまでして守るべきものなのか、命蓮寺は……聖白蓮は。

 マミゾウは、ナズーリンの背を見つめた。

 飛礫の飛び交う中、力無い足取りで、大路を歩むその姿。まるで石積みの道を背に行く苦行者のようだ。

 妖怪に直接立ち向かう度胸なぞ、この群衆にはあるまい。こいつらは呪いの言葉とともに石を投げつける事くらいしか出来やしないのだ。だが、それは精神攻撃に弱い妖怪にとって、致命的なダメージを与えるだろう。

 命蓮寺が死体探偵を、ナズーリンを切り捨てた事もすぐに広まるだろう。そうすれば、彼女に庇護はなくなる。醜悪な有象無象共が彼女を狙い始めるかもしれない。

 マミゾウは煙管を取り出した。火を点ける気にはなれなかった。ただ煙管を力いっぱい噛み締める。胸の内にくすぶる侠の炎の責め立てから逃れるように。

 最早出来る事は何も無い。手を貸そうにも、それすらも拒まれては。

 あの一瞬。ナズーリンの瞳は明確にマミゾウ達を拒絶していたのだ。

「自己犠牲のつもりか、小鼠……」

 気に入らない。何もかも。

 いたたまれなくなったマミゾウは、醜悪な蛮行を為す人々の群れから抜け出そうと、悍ましい熱気に背を向けた。

 途端、すれ違った男と肩をぶつけてしまった。

 神経がささくれだっていたマミゾウは、詫びもせずに立ち去ろうとしたが、男が物を落とすのを見てしまい、仕方無く立ち止まってそれを拾った。

「おヌシ。落としたぞ」

 声を掛けると、黒い着物を着たその男が振り返った。マミゾウはそいつの顔に見覚えがあった。少し前に薬の宣伝をしていた男だ。例の抗鬱薬の影響なのか、血色があまり良くない。口の周りに蓄えた髭も相まって、不健康を絵に描いたような顔色をしている。

「あ。これはどうも、すみません」

 落とし物を受け取ると、男はペコペコと頭を下げた。

「いやあ最近、不安で不安で。そのせいか、色々な事に気が回らなくなってしまって……」

「気をつけろよ」

 早くこの不愉快な喧騒から逃れたいマミゾウは、適当にあしらった。

「ありがとうございます。でも……ああ、不安だなぁ。こんな大事な物を落としちゃうなんて……最近、失敗続きだしなぁ……」

 顔色の悪い男が、拾い物を確かめるように軽く振った。

 

 りぃん。

 

 揺れた拍子に鳴り響く甲高い音が、なぜだか無性に神経を逆撫でして、マミゾウは思わず振り返った。

 男が手にしたそのペンデュラムは、ほのかに赤く輝いていた。

 


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