死体探偵   作:チャーシューメン

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 ナズさん早くも仕事サボリ始めるの巻。
 そそわはこちら→http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/210/1453738284
 ※置いてあるのは同じです。



アート・ワールド

 

「くそ、このポンコツめ」

 のっけから悪言で申し訳ない。

 しかし、滅多に悪口を言わないことで有名なこのナズーリン様が言っているのだから、相当な理由があるのだとご理解頂けないだろうか。

 と言うのも、探し屋を始める際に新調したこのナズーリンペンデュラム・エンシェントエディション、これが全く役に立たないのである。今も依頼を遂行すべくダウジングを行っていたのだが、素っ頓狂な方向を指し示し、止む無く導かれて来てみれば、何処ぞの屋敷の敷地内。こんな所に死体が埋まって居ようはずも無いではないか。この寒空の下、温厚な私が頭に血を昇らせている事情も分かって頂けるだろう。貰いものをそのまま使おうとしたのが間違いだったのだろうか。いや、きっと貰った相手自体が悪かったに違いない、胡散臭いあの隙間女め。

 屋敷の広い庭の中でぽつりと立ち尽くしているのもなんである。仕事は明日に回す事にして、私は意図せず訪れてしまったその庭を歩き、体を温める事にした。

 とにかく広い屋敷だ。枯山水の庭園でここまで広いのは初めて見る。しかし、丁寧に刈り込まれた植木が緑の道を作っており、見るべきものに迷うことは無い。自然と足が弾んだ。朱色の太鼓橋を渡ると、下には敷き詰めた白砂。水を使わずに水を表現する枯山水ならではだ。船に見立てた岩が浮かぶのも面白い。ぐるりと目玉を回せば、向こうの苔生した大岩には、見事な仏が彫られている。まるで刀で切り出したかのように荒削りだが、それだけに力強い存在感を放っていた。右手に宝塔、左手にはネズミを持つ、筋骨隆々の堂々たる威容。これは毘沙門天だ。こんな所にも我々の像があるというのは、少し鼻が高いな。

 坂を登ると、二階建ての小さな茶室がある。私は少し冒険心を起こして、その茶室の二階へと登ってみる事にした。秋も深まろうという頃合いである。私は期待に胸を膨らませていたのだ。

 靴を脱いで、備え付けられた木製の階段を上がる。冷たい木の感触が足の裏を刺激して気持ち良い。一段一段体重を移す度に、ギシリギシリと小気味良い音がした。中に入ると、仄かな光差す四畳半の畳の間。床の間には見事な水墨画の掛け軸が飾ってある。作者は分からないが、水面で遊ぶ二羽の鶴が美しく幻想的だ。私は矢も盾もたまらず、三面を閉じていた雨戸を開け放った。

 一面、紅の海である。

 庭一杯に植えられた桜紅葉達が、私に向かって一斉に自己主張をしている。我は此処に在り。情熱的な赤を纏うその手を空へ向け、そう叫ぶのである。ふわりと風が吹く度に、さわさわと紅葉達が手を叩き、拍手喝采雨霰。爽やかな風に乗ってくるくると舞い上がる桜紅葉の葉の一つが、私の髪の間にすとりとおさまった。何とも洒落たかんざしだ。

 この庭は、この場所に立つ人の為に、全てを計算して造られている。なんと素晴らしい眺めであろうか。有頂天とはかくの如き気分に違いない。私は先程までのイライラも忘れ、ただただ美しい赤の津波を眺めて目を細めた。この庭を造り上げた職人は間違いなく天才だ。今度は主の星も連れて来てやろう。あいつは花見が好きだからな。

 ふと、紅の海の向こうに、巨大な樹が聳え立つのが見えた。他の桜達と同じように紅葉しているが、その大きさ、枝振りの見事さは、此処からでも見て取れる。すっかり楽しくなってしまった私は、テーマパークでも見て回るような気軽さで、その大樹の元へと向かった。

 近くに寄ってみると、その巨大さは想像以上だった。大人二、三十人がぐるりと手を回してもまだ余るだろう。枝振りは力強く、まさに見事だと言う他無いのだが、

「……何だか嫌な感じだな、そう思わないかい、賢将」

 尻尾の先に括り付けた籠の中で、賢将もこくこくと頷いた。同じ不穏を感じたらしい。

 この桜の樹から、どうにも禍々しい感じがするのである。しかもこの禍々しさは、今迄感じた事が無いような、寒々しさと寂しさを伴っていた。これには何か謂れが、それも凄惨な謂れがある、私の直感がそう告げている。そう……ロッドが微かに反応するのである。

 これは、この妖木は、この見事な庭にはあまりにも似つかわしくない。

「燃やしちゃおうかな」

 私は思わずそう呟いていた。

 その時、一陣の風が吹き、賢将がキィと鳴いた。

 振り返った私の眼前で、白刃が火花を散らして止まった。反射的に構えたロッドで、敵の斬撃を受け止めたのだ。一瞬遅れて、鋼と鋼がぶつかり合う、耳障りな悲鳴が庭を駆け抜ける。敵はギリギリと体重を掛け、刃を押し込もうとするが、私のロッドは長い。大地に突き刺してしまえば、それ以上押し込む事は叶わないのだ。

 体勢に余裕が出来た私は、蹴りを放って下手人を遠ざけた。下手人はその銀髪を振り乱し、大きな半透明の靄のようなものを自分の体にまとわりつかせている。あれは、半霊と呼ばれるものだ。

「知った顔だな」

 命蓮寺の説法や博麗神社の花見で見かけた事がある。名を確か、魂魄妖夢と言う。半人半霊という特殊な種族の少女で、いつでも眠たげな表情をした半人前の剣士だ。

 しかし、その半人前の少女剣士は今、両眼をくわりと見開き、長物を上段に構え、私の隙を窺っている。放つ殺気は只ならぬ。いつも宴会でご機嫌になる、酔っ払いのへべれけ少女という印象しか無かったのだが、この変化には正直、肝を冷やした。

「その鉄杖、業物とお見受けする。決着の前に是非、銘を教えてはもらえまいか」

 静かな声で妖夢が言う。少女らしいか細い声だが、ドスが効いて聞くものを威圧するような声色である。

「ナズーリンロッド、タタラカスタム」

 私がそう答えると、妖夢はほんの少しだけ表情を緩めた。

「多々良? ……そうか、あの。成る程、合点がいった。道理でこの楼観剣でも斬れぬ訳だ」

「待て!」

 妖夢の顔から再び感情が抜け落ちるその前に、私は鋭く叫んだ。この威圧感、出来れば戦いたくない相手だ。会話で逃げる隙を作るしかない。

「何故、私を攻撃する」

 その問い掛けに、妖夢は首を捻った。

「何故? おかしな奴だな。勝手に人の庭に入り込み、あまつさえ放火をしようとしている輩。叩き切られても文句は言えまい。世が世なら、市中引き回しの上、打首獄門だぞ」

「人の家? ……あっ」

 そうか、言われてみれば。

 ここは歌人達の魂が行き着く先、音に聞こえし白玉楼に違いない。妖夢はこの白玉楼の主人、西行寺幽々子の護衛だったはず。この見事な庭を見て直ぐに思い至らなかったのは、我が身の不覚と言う他無い。

 白玉楼は冥界に位置している。本来は結界に阻まれ往き来が出来ない筈だが、この頃その結界も薄まっているらしい。ポンコツペンデュラムに導かれ、いつの間にか迷い込んでしまったのだろう。

「その桜には」妖夢の瞳が赤熱を帯びたように光を発する。「指一本、触れさせない」

 この気迫。これで半人前とは、剣の道のなんと遼遠なことよ。

 上段に構える妖夢の左手が、僅かに力を抜いていた。確か、妖夢は二刀使いであったはず。長物を受けさせた後、腰に差したもう一つの獲物で私を突くつもりだろう。果たして避けられるか。額を冷たい汗が流れた。

 どうする。

 どうする、ナズーリン。

 キィ。背中で賢将が声を上げる。

 分かっている。無意味な自問だ。答えなど、端から決まっている。無益な殺生など、我が道には要らぬ。

 私はフッと息を吐いた。

 瞬間、妖夢が踏み込んだ。上段からの振り下ろしは正に神速。受けるロッドごと、私の体が傾く。この一撃で両断されなかったロッドは、流石小傘と言うべきだろう。しかし妖夢がその隙を逃すはずも無い。ゆるく構えた左手が素早く腰に伸び、もう一つの獲物を抜刀する。

 必殺の白刃はしかし、私の眼前ギリギリで止まった。

 妖夢の目は、舞い上がり行く桜紅葉の葉を眺めていた。あの洒落たかんざしを、私が空へ飛ばしたのだ。

 舞い行く桜紅葉は蒼い空を昇り行き、やがて巻き起こった紅の風に飲まれた。私も妖夢も、その光景に目を奪われていた。真の芸術は、人の心から邪念を奪うものだ。

「この素晴らしい庭を、我らの血で汚すつもりかい? そんな事、お前の主も望むまい」

 私の言葉に、妖夢は笑った。少女らしい、思わず抱きしめたくなるような、そんな笑みだった。

「違いない」

 それでも、妖夢は刀を引かなかった。私はそれに感心した。この少女は真に剣士である。剣士たろうとしている。

「西行妖を燃やすと言ったな」

 あの桜の名であろう。これほど見事ならば、銘がついていて然るべきだ。

「あれはその」私の歯切れが悪いのは、仕方がない事だろう。「言葉の、綾だ。君にとって大切なものなんだろう、燃やしたりはしないさ。誓ってもいい」

「何に誓う」

「……我が主に懸けて」

 その言葉でようやく妖夢は刀を収めた。

 今の今まで鬼面のような顔をしていたのに、もういつもの眠たげな表情に戻っている。気の抜き方が激しい奴だ。案外、気性が荒いのかもしれない。

 私もようやくロッドを下ろし、息をつくことが出来た。それでついつい、文句が口を突いて出てしまう。

「まったく……お茶目な冗談も理解出来ないとは」

「そんなの、分かりませんよ」

「こんな見事な庭を燃やそうとする馬鹿が居るわけなかろう。人類にとっての損失だぞ」

「え、そ、そ、そうですかぁ? いやぁ……」

 妖夢は真っ赤にさせた顔をだらし無く弛緩させ、もじもじと身を捩った。おでんのはんぺんみたいにデロンデロンになっている。気色悪い。何でこいつが照れているんだ。

「それで? 今日はどんなご用事なんです?」

「いや、用事は無いよ。探し物をしていたら、道に迷ってここまで来てしまっただけさ」

「迷う?」

 私のロッドを改めて見直し、妖夢は得心がいった顔をした。

「ああ。ナズーリンさん、貴女でしたか。今、巷で有名な死体探偵っていうのは」

「……悪評って奴には翼でも付いてるのかね」

「それなら此処に迷い込むのも頷けます。此処は冥界ですからね。死人なんかもう、ありふれてますんで。むしろ名物と言っても良いくらいです」

「嫌な名物だなぁ」

 なんたら饅頭とか、なんたら最中だとか。言葉にすると激しく不穏なそれを連想して、私は頭を掻いた。

「この後は何かご予定でも?」

「いや。仕事が無いと言ったら嘘になるが。こんな素晴らしい庭園を見た後では、やる気になれん仕事だからな」

「なら、お茶でも如何です? 庭を眺めながらの一杯、なかなか風流ですよ」

 妖夢は、それはもう満面の笑みだ。

 正直、惹かれる提案ではあるのだが……。

「君はなんでそんなニヤついてるんだい。お茶は欲しいが、ちょっと怖いぞ」

 妖夢ときたら、はしゃぎ回る仔犬のように楽しげなのである。さっきまで私を斬り捨てようとしていた癖に。

「いやもう、嬉しくて」

「嬉しい?」

「こんなに庭を褒めてくれる人、初めてですから。庭師冥利に尽きるってものです」

「え?」

 え。

「えッ! き、き、き、君がこの庭を造ったのかい?」

 思わず、素っ頓狂な声を出してしまった。

「そうですよ、白玉楼の専属庭師とはこの私の事です!」

 えっへん、と妖夢は胸を張った。

 まさか。

 なんということだ。

「そんな眠たそうな顔してる癖に……」

「別に眠くないですけど」

 信じられない。

 しかしよくよく考えてみれば。自らも歌人であり、芸術にうるさそうなあの西行寺幽々子が、常に傍らに侍らせているくらいの少女なのである。その芸術的才能も折り紙付きと言ってよいのかもしれない。

 私達は例の茶屋の二階に上り、温かい玄米茶をいただきながら、風流な庭を眺めた。そよ風が吹いて、私の髪を揺らす。いつも剣を使って手入れしてるんですよ、こう、えいやってね、あの仏像も剣で彫ったんです。妖夢が身振りを交えて嬉しそうに語るその声もまた心地良く。いくら眺めていても飽きない。まるで時間が止まったかのようだ。

「……君、剣士じゃなくて、庭師に専念したらどうだい?」

 だから、ついついそんな詮無いことを言ってしまうのも、仕方の無いことだろう。

 妖夢はもちろん、首を振った。

「剣は、私の道ですから」

 人の世の、なんとままならぬ事よ。しかしそれもまた、世の定めと言うものなのかもしれない。

 世界はそれでいいのだ。

 毒があるから、美しい。

 あの悍ましいまでに美しき西行妖を戴く、この白玉楼のように。

 こういう日には、久しぶりにチーズを肴に一杯やりたくなる。窓から見える極上の芸術を前に今日の晩酌を考える私は、自分でも呆れ返るほどに欲深い鼠だった。

 


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