死体探偵   作:チャーシューメン

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 正義のためになら全てを犠牲にしてもいい、らしいですね。

 そそわはこちら→http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/211/1460863730
 ※置いてあるのは同じです。


ファイト・フォー・ジャスティス 上

 参ったな。とうとう降ってきてしまった。雨に濡れる鼠なんて、ありきたりすぎて洒落にもなりゃしない。私は慌てて近くの木陰に駆け込んだ。

 ここ最近ぐずついた天気が続いていたのだが、少しずつ雲は薄くなっていたのに。この分なら大丈夫だと高を括ってロッドを握った、あの時の自分がうらめしい。雨の下で探しものなんてするもんじゃない。身も心も滅入るばかりだろうに。

 見上げた空は分厚い雲で覆われており、降り注ぐ冷たい雨で視界が白く濁る。そろそろ日も落ち始めようかという頃合い、私は少し焦っていた。夜闇が恐ろしい訳ではないが、明かりが無くなるのは面倒だ。この雨では提灯も使えない。懐中電灯でも持って来れば良かった。

 木にもたれて溜め息を吐いていると、尻尾の賢将がキイキイと鳴いた。

 見ると、その手に折り畳み傘を持っている。籠の中に入れていたのか。

「でかした、賢将」

 ケバケバしい桃色の傘を開いて、私は再び雨中の人になった。

 片手でロッドを構え、林の中の小道を歩いて行く。

 長いロッドに小雨が当たって弾け、それが雑音となって私の感覚を乱している。ダウジングは繊細な技術だ。この雨の中では精度が格段に落ちてしまう。本来ならば、こんなシチュエーションでは使わないのだが。

 だが、この悪条件を冒してでも、捜索を急ぐ理由がある。

 私は努めてロッドに神経を集中させながら、同時に周囲を注意深く観察していた。わずかの痕跡も見落とさないように。

 秋の長雨がただでさえ低い気温を一層冷たいものにしている。寒がりの賢将が文句を言わないので不思議に思ったが、自分だけちゃっかりレインコートなぞ着込んでいやがった。まったく、大将を敬わない賢将である。溜め息を吐くしかない。

 やがて小道は、霧に包まれた湖に突き当たった。

 静寂の中で、音もなく波打つ湖面。珍しく、誰もいないようだ。普段は妖精などがたむろする、割と賑やかな場所なのであるが。

 ここは霧の湖と呼ばれる。日中は霧が出ていて、視界の悪い場所だ。

 目をこらすと、霧の向こうにぼんやりと西洋風の館が建っているのが見える。あれは紅魔館と呼ばれる、恐るべき吸血鬼レミリア・スカーレットの住まう悪魔の館だ。触らぬ神に祟りなしと言う。私は湖の外周を紅魔館とは反対の方角へ歩いた。

 やがて、湖に注ぐ小さな川のほとりで、ゆっくりとロッドが開いた。

 さっと辺りに視線を走らせる。

 水辺の一点に、夥しい量の血液がぶちまけられていた。

 その血だまりに近づいて観察を行うと、血液は新しくない事が分かった。ここ最近の降り続いた雨に打たれて流性を残してはいるが、既に固まり掛けている。付近には他にも血の跡が点々としており、さらには破れた服の切れ端も散見される。どうやら、ここで捕り物があったようだ。

 ……何やらキナ臭くなってきたな。

 里の自警団を名乗る男に依頼されたのは、商屋から金品を強奪した盗賊の捜索であった。

 盗賊は里から脱出したが、逃げる途中で怪我をしている。盗まれた金品の返還は勿論、その男に公正な裁きを与えたいので、生かして連れてきて欲しい。あの怪我では妖怪にやられてしまうかもしれない。一刻も早く見つけ出してくれ。

 その男はそう言った。

 だが。

 たかが物盗りの捕縛に、ここまで派手な流血が必要なのだろうか? おまけにここは里の外、霧の湖である。年がら年中妖怪共が跳梁跋扈し、近くには悪魔の館もあるこの場所で、自警団が一体何をしていたと言うのか?

 しかも、私は自警団の中にその男の姿を見掛けた事が無かった。

 何かが裏で動いている。

 異変とは違う、何かが。

 鼠の危機察知本能が警鐘を鳴らしていた。

 その時。視線を感じた私は仕込みロッドを構え、振り向いた。

 私の背後、距離を取るようにして。少女が二人、相合傘で立っていた。

 一人は赤いマントの襟に深く表情を埋め、責めるようにくねった眉と、じとりとした赤い瞳を私に向けている。もう一人は、赤みがかった長い黒色の髪を揺らし、赤いマントの少女の陰に隠れるようにしながら、怯えた目をしていた。

 その少女達が妖である事はすぐに分かった。耳と尻尾丸出しの私を見ても物怖じしない事に加え、長い髪の方には獣耳があったからだ。

 しかし、妙に存在感が薄いというか、妖怪としての気迫に欠けている。人型をしている事から有象無象共よりかは力がありそうだが、私と同じく、弱小妖怪なのかもしれない。

「君達は誰だ?」

 私が問うと、赤マントの方が声を上げた。

「あんたこそ。小鼠がこんな所で何やってんのよ」

「私はナズーリン。毘沙門天の遣いだ。故あって、人探しをしている」

「人探しぃ? 死体探偵のあんたが?」

 彼女達は私を知っているらしい。

「私に何か用かい」

「小鼠なんかに用はないしぃ」

 赤マントの少女はプイとそっぽを向くが、引っ込み思案の獣耳の方がその袖をクイクイと引っ張っている。

「何よ、影狼」

「蛮奇ちゃん。この人、探偵なんでしょ? 頼んでみたら?」

「えーっ、小鼠にぃ?」

 あからさまに嫌そうな顔をするマント少女。顔を半分以上マントの中に埋めているというのに、やたらと表情豊かである。

「私に依頼があるのか」

 獣耳はコクリとかわいく頷いた。

「はい。私は今泉影狼、こっちは赤蛮奇ちゃん」

 今泉影狼に赤蛮奇。少し前に起きた付喪神騒動の際に暴れ、博麗の巫女に退治された妖怪だと聞く。種族は確か、狼女に飛頭蛮。飛頭蛮は三国志の頃から記録のある伝統的な妖怪であるし、狼女は言わずもがなである。

 私は首を振った。

「残念だが、私は君達の食料探しには協力しない。そう決めている」

「私達は人喰いじゃあないしぃ」

 軽い調子で赤蛮奇が言う。その簡単さは、彼女がそれを誇りにしている事を示していた。

「私達の友達に人魚の娘がいるんですが、最近、その娘が姿を見せなくて。それを探して欲しいんです」

「失せもの探しならぬ、失せ妖怪探しか」

 なんとまあ、珍しい事もあるものだ。妖怪が妖怪を探すなんてね。自分勝手な木っ端妖怪にしては、珍しく仲間意識が強い。

 赤蛮奇達と知り合いの人魚と言えば、先の異変で同様に退治された、わかさぎ姫であろう。彼女は霧の湖を住処としていると言う。だから影狼達は今、ここにいるのか。

「人間にやられるようなヤワな娘じゃないのですが。最近、様子がおかしかったもので……」

「失踪の兆候があったのかい?」

 私が聞くと、影狼は少し考え込んでから言った。

「そういうのはなかったですけど……何か、ウキウキ楽しそうにしていましたね」

「ウキウキね」ピンと来た。「駆け落ちだろ。男が出来たんだよ」

「男ぉ?」

 赤蛮奇は軽く体を振って、困惑しているようだ。

「あの姫に限って、そんな事無いと思うけどなぁ」

「いやいや、大人しそうな奴に限って、そういう思い切った事をしでかすもんさ」

 したり顔で私が言うと、赤蛮奇はうむむと唸った。

「大体分かった。しかし今、別の急ぎの案件を抱えている。ついでになってしまうが」

「構いません」

「依頼を受ける代わりに、と言ってはなんだが、教えてくれ。ここで起こった事件について、君達は何か知らないかい?」

「事件?」

 二人共首を傾げていたが、やがて私の足元の血痕に気付くと、揃って眉を顰めた。

「蛮奇ちゃん、人間の里に住んでるんじゃなかった? 何か知らないの?」

「いや……何も知らないしぃ」

 赤蛮奇は青ざめて首を振った。

「そうか……」

 地の者ですら知らないとなれば、いよいよもってキナ臭い。

 私は二人と別れ、川を遡った。相変わらず、片手でロッドを握りしめながら。

 二人は二人で、湖を探すと言う。

 あの血痕は川に向かっていた。追われた盗賊は、川に飛び込んだのだ。そしてそれは、追手も分かっていたはず。追手達は湖を探したのだろう。それにも関わらず、私に捜索の依頼が来ている。つまり、湖にはいないはずなのだ。

 問題は、あの量の血を失った盗賊が、果たしてどこまで動けるかというところである。

 私はダウジングを行いながら、部下の鼠達を調査に走らせていた。その間も私は川を遡り続け、妖怪の山に入ろうかという頃合い。一匹の部下の報告を聞いて、私は自分の耳を疑った。

 血の河が現れたと言うのだ。

 血の河。脳裏に浮かぶのは、無縁塚で度々起こる、あの怪異である。

 急いで報告の場所に向かうと、成る程、支流の一つが赤く染まっている。水面一杯に積もった紅葉の赤で。

 慌て者の部下を怒鳴りつけてやろうかと思ったが、ふと、その川の水から、血の臭いがする事に気付いた。鼠の鋭敏な嗅覚を持ってすら、ギリギリ感じ取れるほど僅かではあるが。

 私はロッドを構え、川縁を慎重に歩く。

 途端、ロッドが大きく反応した。

 しかし。ロッドに頼るまでもなかった。

 眼前にはぽっかりと口を開けた洞窟があり……そしてその前。一匹の人魚が水の中から顔を出していた。

 その顔には敵意がみなぎり、暗黒の意志で歪んでいる。

「待て!」

 叫ぶと同時に、私は傘を放り投げ、その場から飛び退いていた。一瞬後、私の立っていた場所にキラリと光る鋭利な刃――よく研がれた魚の鱗だ――が突き刺さり、地面を抉った。

 続くニ弾、三弾を転がるようにして避け、そのまま手近な岩陰に飛び込み身を隠した。

「何故、私を攻撃する!」

 返答の代わりに、身を隠した大岩が激しく振動した。岩ごと砕こうと言うのか、構わず撃ち込んでいるらしい。正気を失ったのか、それとも元から力ずくな性格なのか……。人魚は温厚な種族のはずなのだが。

 堪らず岩から躍り出ると、待ち構えた鱗弾の津波が私へと殺到する。

 逃げてばかりでは能が無い。

 私はロッドをプロペラのように回転させると、撃ち込まれた弾を全て弾き返し防御した。小傘のロッドは、鱗弾如きにやられはしない。

 必殺の攻撃を防がれた人魚はハッと息を飲み、続く弾丸を撃ち込もうと慌てて構えをとった。

「お前はわかさぎ姫だろう! 今泉影狼と赤蛮奇が君を探しているぞ!」

「えっ……」

 その人魚……わかさぎ姫は友人の名を聞くと、表情を少しだけ柔らかくした。

「あっ!」

 その隙を見逃す私ではない。牽制に退魔針を投げ付け、同時に姿勢を低くし降りしきる小雨を切って駆け出す。わかさぎ姫が防御に回っている間に、私は洞窟の中へ滑り込んでいた。

 ぬめる岩肌に足を取られそうになりつつも、私は洞窟内を走った。川の流れが入り込んでいるその洞窟はひんやりとして、吐き出す息が白くなる。ゆらゆらと揺れる水光の乱反射の中を、最奥まで駆け抜けた。

 そこに、件の盗賊はいた。

 ボロボロの着物を纏い、壁にもたれかかるようにして座っている。身体のあちこちに包帯が巻かれ、そこから滲む血が地面を伝い、川に入り込んでいた。

 一目で死んでいると分かった。

 遅かったのだ。

「彼は渡さないわ!」

 追いついたわかさぎ姫は再び構えを取ったが、私の後ろに彼がいる事に気付き、攻撃を躊躇った。

 私は首を振った。

「わかさぎ姫」

「お前らなんかに、この人は絶対渡さないんだから!」

「姫」

「表に出なさい! 勝負よ! 私は絶対、負けないんだから!」

「死んでるんだ!」

 私が一喝すると、わかさぎ姫は眉を顰めた。

「何言ってるのよ」

「もう遅い。もうこの男は死んでいる」

「嘘よ……」

「死んでいる。もう君に笑いかける事は無い。脈を取ってみろ、鼓動を聞け」

「脈なんて、そんなの……」

「人間はそれがなければ生きては行けない」

「嘘よ!」

 わかさぎ姫は水から上がると、這いずって彼の傍に寄り添った。

 わかさぎ姫は彼が死んだ事に気付いていなかった。はぐれ妖怪や低位妖怪には良くある事だ。幻想に生きる妖の理と、現実に生きる人間の理との違い。それを認識する事が出来ないのである。妖怪にしてみれば浅い傷でも、人間にとっては致命傷になり得る。彼は血を流しすぎたのだ。

「ねえ、嘘でしょ? 元気になるよね? ねえ……」

 わかさぎ姫は、もはや物言えぬ彼に向かって、懸命に話し掛けている。

 硬直の様子等から見て、彼が死んだのはここ二、三日といったところだろう。しかし包帯は真新しい。わかさぎ姫は彼が死んだ後も介抱し続けたのだ。いつか回復すると信じて。

 重傷を負った盗賊を湖で助け、追手から匿っていたのは、わかさぎ姫だったのだ。

「嘘よ……こんなの……」

 ようやく彼の死をさとったのか、わかさぎ姫はさめざめと涙を流した。

 愛別離苦。

 別れは、いつだって辛い。

「幸せ者だな」

 そう感じる。

「最期に看取ってくれる人がいて……」

 ありがとう。彼の穏やかな死に顔が、わかさぎ姫にそう語りかけているような気がした。

「人はいつか死ぬ。君は良くやった。これは仕方の無い事なんだ」

 慰めにもならない言葉を吐くくらいしか、私に出来る事は無い。今までもたくさん目にしてきた。人間と妖の恋は、いつだって不幸なのだ。

 何故、人は誰かに惹かれるのか。何故、人は誰かを愛するのか。

 苦しみは消えることはない。思うままにならない事のほうが多い、それが人の世だろう。それは幻想に生きる我々も、変わることはない。

 だが思う。誰かのために涙を流すことが出来るのは、きっと素敵な事なのだろう。たとえその事で、生に苦しみが満ち溢れたとしても。

 泣きじゃくるわかさぎ姫を前に、私はただただ臍を噛むしかなかった。

 端無く。わかさぎ姫は涙でぐしゃぐしゃになった顔で私を見上げ、ぽかんと言った。

「何の光?」

「え?」

 わかさぎ姫の視線に導かれ、自分の胸元に目をやった私は、絶句した。

 胸元にぶら下げたナズーリンペンデュラム・エンシェントエディションが、赤い輝きを放っていた。

「まさか」

 ペンデュラムが反応しているのか?

 私の驚愕を糧にしたかのように、赤光は一際強さを増した。私は目を見開き、呆然とその光を見つめていた。

 ぬらぬらと濡れる岩壁が迸る赤光に炙られ、苦悶に脈動する龍の体内の如く蠢いている。赤光は弱まる事を知らず、輝く光の奔流の中に、私達は為す術もなく飲み込まれていた。

 赤々とした光、しかしそれは、熱を持たない冷たい光。死んだ太陽。

 得体の知れない力に引きずられ、私は一歩、踏み出していた。

 一歩。

 一歩。

 踏み出す度に、光は徐々に強まってゆく。

 私は抗う術を持たなかった。まるで魔法の糸に操られる自動人形のように、私は彼の身体に手を掛けた。

 ぼろりと、それが彼の衣の中から剝がれ落ち、地面を転がった。鮮血の流れの中に。

 今更ながらに違和感を覚える。何故、既に死んだ彼の体から血が流れ出していたのか? 何故、彼は追われていたのか? 何故、私は彼の捜索を依頼されたのか?

 渦巻く疑念と赤光の中。

 血溜まりの中に手を伸ばし、私はそれを手にした。

 血に飢えた妖のように禍々しい気配を放つ、紅白の陰陽玉を。

 

 


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