花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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※下ネタ成分が多めです。読んで頂く際には、御注意を御願い致します。


鳳翔の店にて

 鳳翔の店は、今日もそれなりに人が入って居た。長門と陸奥、そして野獣が並んでカウンター席に腰掛けて、喧しく言い合いながらも酒を飲み交わしている。あの面子で並んでいると言う事は、長門と陸奥は、今日の野獣の秘書艦だったのだろう。あとは、ビスマルクやグラーフ、プリンツの三人が、野獣達の近くのテーブル席に陣取っていた。

 

 談笑の声も響くが、馬鹿騒ぎと言うほどのものでは無い。暖かく、心地よい賑やかさだ。落ち着いた雰囲気なのに、肩の力が自然と抜けるような気安さで満ちている。それはやはり、この場を仕切る鳳翔の人柄に拠るものも大きいだろう。彼女在っての場所である。此処は鎮守府の中でも、食堂と並んで人気の高い場所だ。天龍は摩耶と共に、テーブル席の一つに腰掛けていた。鳳翔の作ってくれる料理に舌鼓を打ちつつ、機嫌の良さそうな摩耶と共に酒盃を重ねていく。

 

 お猪口を口元に持っていく途中で、天龍はチラリと腕時計を見遣る。少年提督も、今日の執務を終わらせた頃だろう。そう言えば、今日のアイツの秘書艦は、……愛宕か。天龍は視線を手元に戻して、お猪口を傾ける。熱い液体を嚥下してから、ゆっくりと鼻から息を吐き出した。愛宕。その名前から脳裏に思い浮かぶのは、ゆるふわ系とでも言うべき、柔らかい雰囲気で笑顔を浮かべたグラマラスな美女だ。ただ、その笑顔の裏側に、強烈な厭世観を秘めていることを天龍は察している。他の艦娘達はどうかは知らないが、時折、愛宕の微笑みから垣間見える“濁り”のようなものを、天龍は敏感に感じていた。

 

 あの愛宕がどうやら“少年提督が召還した艦娘では無い”らしいという事も、何となく察してはいる。ついでに言えば、天龍の姉妹艦娘である龍田だってそうだ。前の騒動の時に、最後の最後まで少年提督が彼女達を傍に置いていた事を見ても、あの二人と少年提督との間には、縁と言うか因縁と言うか、天龍も知らない何かそういうものが在るのだろう。ただ、その過去を根掘り葉掘り聞くつもりは無い。天龍にとって、愛宕や龍田が大事な仲間である事に変わりはないからだ。掛け替えの無い戦友だ。いつか、愛宕や龍田本人が話してくれる時がくるまでは、首を突っ込まずに黙っていれば良いと思っていた。

 

「……なぁ」

 

 そんな事を頭の隅の方で考えていると、不意に声を掛けられた。「ん?」と視線を上げると、摩耶と眼が合う。

 

「今日の彼の秘書艦は、確か……」

 

「あぁ、愛宕だったな」

 

 そう答えた天龍の言葉を聞いて、難しい貌になった摩耶は、少しだけ言葉を選ぶように黙る。しかし、すぐに天龍を見詰めて来た。

 

「お前は、彼に二番目に召ばれた艦なんだよな?」

 

 摩耶は、少々潜ませた声で言う。天龍は「おう」と短く応えながら、徳利からお猪口に酒を注ぐ。透明な液体が満たされたそれを手に持ちつつ、視線を返す。摩耶は、また天龍の方を横目で見遣った。それを見た天龍は、軽く鼻から息を吐き出して、肩を竦める。摩耶の仕種を見た天龍は、摩耶が何を聞きたいのかを察した。「最初に謝っとくけどよ……」先程の摩耶と同じく声を僅かに潜ませて、天龍はワザと摩耶から視線を外した。

 

「俺は古株だが、愛宕については詳しくは知らねぇよ」

 

「……そうか」 摩耶も短く応えて、自分の杯に酒を注いだ。

 

「姉妹艦の誰かなら知ってるんじゃねぇのか?」

 

「あぁ。知ってるんだろうが、教えてくれねぇ」

 

「なるほどな……」 

 

 天龍は難しい貌になってから、杯を空ける。それに摩耶も続いて、軽く笑った。

 

「お前の眼つきを見たら、何か知ってるんじゃねぇのかと思ったんだけどな」

 

「俺はそういう事に、進んで首を突っ込むタイプじゃないんでな」

 

「へぇ。アレコレと詮索するタイプだと思ってたぜ」

 

「こういう事に関しちゃ、俺は待つタイプだ」

 

「……辛抱強いよな、お前」

 

「そりゃあ、世界水準超えてるからな」

 

 唇の端を持ち上げて、冗談めかして天龍が言う。摩耶も、小さく喉を鳴らすようにして笑った。同時だったろうか。「おい摩耶ァ!!」と。カウンター席の方から声がした。野獣の声だった。「あぁ?」と、眉をハの字にした摩耶が顔を向ける。天龍もそれに倣い、カウンター席の方へと向き直る。すると、野獣が身体を捻って、面白がるような表情を浮かべて此方を見ていた。鳳翔も此方を見ている。

 

「何だよ? 絡んでくるんじゃねぇよ」 摩耶は面倒そうに応える。野獣は半笑いを浮かべたままだ。

 

「いやぁ、今度から通販商品のラインナップに、お前をモチーフにした品を加えようと思ってるんだけどさぁ!(犠牲者の選定)」

 

「ふざけんな」

 

「まま、そう怒んないでよ。ちょっと試作品だけ作って来たんだけど、……確認してかない?」

 

「何でもう作ってんだよ!?」 摩耶が叫ぶ。

 

「此方になります。ご確認下さい(提出)」

 

 野獣はすっとぼけた様な真面目な声音で言うついでに、まるで商品サンプルを手渡す営業マンみたいな改まった態度になる。そして席の隣に置いてあった、かなり大きめの鞄から何かを取り出した。

 

「今日ご紹介する商品は、摩耶にゃん!!(仮)」

 

 キャリーバッグみたいな大きさのあるその鞄から取り出されたそれは、デフォルメされた摩耶の姿をしたヌイグルミだった。勝気そうな表情をしており、摩耶らしさがよく表現されている。もこもこふわふわとした丸っこい形をしている事もあって、中々に可愛らしい。

 

「へぇ、良いじゃねぇか(暢気)」 天龍は素直な感想を述べる。カウンターの向こうでは、鳳翔も優しげに微笑んでいる。一方で、摩耶の方は照れているのに不味そうな貌で、野獣の持つヌイグルミを睨むように見ていた。野獣は鼻を鳴らし、勝ち誇ったように唇の端を持ち上げて見せる。

 

「どうだよ?(誇らしげ)」

 

「クソが……。ノーコメントだ」

 

 摩耶は憮然として言い放ち、野獣から視線を外した。そして椅子に座りなおして、杯を手に持って酒を呑み直そうとした。その時だった。野獣が手に持っていた『摩耶ヌイグルミ』が突然、『にゃにゃーん♪』と物凄く可愛らしい声を上げたからだ。しかも、ちゃんと摩耶の声だった。「うぶふゅ……ッ! ゲホ……ッ!!」摩耶本人も、飲みかけていた酒で激しく噎せ帰っている。

 

「小さい子供達にも人気が出るように、おしゃべり機能も搭載してあるから安心!」

 

 ゲホゲホしていた摩耶が席から立ち上がり、野獣に向き直る。

 

「ふざけんなよテメェ(憤怒)」

 

 野獣の方は肩を竦めて面白がるような貌だ。

 

「じゃあ、おしゃべり機能の代りに、おしゃぶり機能ならOK? OK牧場?」

 

「そんな嫌な予感しかしない機能なんざ必要無ぇんだよ!!(断固)」

 

「うそだよ(半笑い)」

 

 野獣は何処と無く優しい笑顔を浮かべながら、手に持った『摩耶ヌイグルミ』を軽く揺らして見せる。すると再び、『摩耶ヌイグルミ』は『にゃにゃーん♪』と声を上げた後で、『アタシは摩耶にゃんってんだ! よろしくにゃん!!』と、やはり物凄く可愛らしい声で自己紹介してくれた。きっとあのヌイグルミの声も、普段から集めていた摩耶の音声データを野獣が加工したものに違い無い。しかも喋るだけでなく、手を振ったり頭をペコリと下げたりしてくれる。コミカルで愛くるしい仕種だった。あれだけ自然な感じで動かして喋らせられる辺り、野獣の持つ無駄な技術力の高さが窺える。

 

 近くの席に居た長門やビスマルクは衝撃を受けたような貌で『摩耶ヌイグルミ』を凝視していた。あの2人はあれで結構可愛いもの好きなところがあるからだろう。陸奥と、それからグラーフも興味深そうに視線を注いでいるし、俯きがちに杯を傾ける天龍は、さっきから笑いを堪えていた。優しくこの場を見守ってくれているのは鳳翔だけだ。摩耶はヌイグルミの可愛らしさと、野獣への苛立ちの狭間で苦悩状態にあるのか。肩を震わせて顔を片手で押さえつつ、天井を仰いだ。

 

「くっそ……、どう腹立てて良いのか分からねぇ……」

 

「どうしたの? 何を怒ってるの摩耶にゃん?」

 

「どうしたじゃねぇ! つーか摩耶にゃんって呼ぶな!!」

 

「いいだろお前、前にも中庭で猫に向って『にゃにゃにゃーーん♪』って言ってたダルルォ!?(突きつける真実)」

 

 天龍は軽く吹き出しそうになって、俯く。

 

「そのネタは二度と掘り返すんじゃねぇって言っただろうが!!(半泣き) 良いか!? 次に言って見ろ!! マジで許さねぇからな!!」

 

「分かってる分かってる、任しとけって♪」 

 

 野獣が茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。

 

「だから“振り”とかじゃねぇんだよ!! 止めろっつってんだ!!」

 

『そんな怒らないで欲しいにゃん……』

 

 野獣に代り、ブチギレ寸前の摩耶に応えたのは、野獣の手の中に居る摩耶にゃんだった。野獣は手に持った摩耶にゃんに向き直り、「ねぇ~、ちょっとカリカリし過ぎだよねぇ~?(女子トーク)」と、腹話術みたいな事を始めた。

 

『摩耶にゃん知ってるよ。摩耶は言葉遣いも乱暴で、ちょっと怖いところもあるけど、本当は優しくて気配りも出来る女の子なんだにゃん』 

 

「そうだよ(肯定)。思わず猫に話かけちゃうくらい少女チックで、可愛いものに眼が無い乙女なんだよね(事実確認)」

 

 そんな出来の悪い野獣の腹話術劇を横目に聞きながら、摩耶は歯軋りをしながら頭を抱えて椅子に座りなおした。「殺してぇ^~……(マジトーン)」と小声で漏らしてから杯を傾けた。こめかみに青筋を立てている摩耶と眼が合いそうになった天龍が、すっと視線を上げた時だ。野獣が似合わないニヒルな笑みを浮かべつつ、頷いて見せた。

 

「俺は何時だって、摩耶のことを見てるにゃん(熟知先輩)」

 

「クソが……! きめぇんだよ!」 

 

 赤い貌をした摩耶が叫ぶものの、「まぁ、お前らの命を預かる身としては、当たり前だよなぁ?(職責)」と、野獣の方は肩を竦めつつ、芝居がかった穏やかな口調で言う。

 

「俺も“提督”だし、お前らの力になるからさ。何でも相談に乗ってあげるにゃん?」

 

 白々しく言葉を続けるついでに、カウンター席に座ったままで身体の向きを変えた。胡散臭い野獣の様子を半眼で見つつ、ビールをコップに注ごうとしていたビスマルクの方へと。天龍を含む他の者達も、その視線を追う。野獣と眼が合ったビスマルクは、ギクッとしたような貌になって眼を逸らす。そして、その動揺を誤魔化すかのようにビールを呷ろうとした。そんなビスマルクを見て、野獣が肩を竦める。

 

「なぁビスマルク。悩み事とか無いの?(半笑い) 例えば、『グラーフとちょっとキャラが被ってる』とかさぁ(具体例)」

 

 その野獣の言葉に、テーブル席に腰掛けているグラーフが「えっ(素)」と声を上げて、野獣とビスマルクを見比べた。一方で、グラーフと同じテーブル席に付いているビスマルクは、やれやれと首を緩く振りながら、「ふぅ……」と溜息を漏らした。ついでに、ゆったりとした仕種で再びビールを呷ってから野獣に視線だけを向ける。

 

「そんな訳無いでしょ。私は『クールビューティなお姉さん枠』だけど、グラーフは『美人だけど愛嬌のある困ったちゃん枠』だもの。被ってなんて無いわ」

 

 ビスマルクは迷いも無く言い切った。グラーフが難しい貌になってビスマルクを見詰めている。同じテーブル席にいるプリンツは、視線を泳がせながらモゴモゴと口の中を噛んでいた。ちょっと居心地が悪そうだ。長門と陸奥も、どう指摘すべきかと一瞬悩んだようだが、結局何も言わずに酒を呷るに留まった。天龍の眼の前に居る摩耶が声を潜めて「……逆だよな?」と聞いてくるが、天龍は「どうだろうな……」と、言葉を濁す。野獣の方も予想外の言葉が帰って来た所為で、「あっ、そっかぁ……(取り損ねたパス)」と、上手くレスポンスできずに居る。

 

「そうなのか……?」 

 

 釈然としない貌をしたグラーフが、プリンツに聞く。

 

「いや、あの……」 

 

 プリンツは困ったような、“私に聞かれても……”みたいな貌だ。そんなグラーフとプリンツの遣りとりを横目に、野獣はカウンター席に座ったままで足を組み、鼻を鳴らした。

 

「じゃあ他には無いの? 何か面白いの?」

 

「無いわよ。それに何よ面白いのって……」

 

 ビスマルクは野獣と視線を合わせずに応える。

 

「おい野獣。人の悩みを面白がって聞きだそうとするな」

 

 野獣の隣のカウンター座っていた長門が、苦い貌でその無遠慮さを諫める。「そうわよ(便乗)」と、長門の隣の陸奥も頷いて続く。しかし、野獣は半笑いのままで「別に面白がってなんかないんだよなぁ…」と、首を緩く振って見せる。その白々しい言い草に、天龍は鼻を鳴らす。鬱陶しそうな貌の摩耶も、野獣を睨むように見ていた。カウンターの向こうで食器を片している鳳翔は、穏やかな微苦笑を浮かべている。

 

 ただ鳳翔は、自分の店で騒ぎを大きくしてばかりの野獣を、迷惑そうだとか、嫌悪感を顕わに睨んでいるとか、そんな風では無い。野獣が周りを賑やかす“意味”のようなものを、鳳翔なりに感じ取っているのだろう。まぁ、ビールを片手に半笑いの野獣の行動に、何処まで深い意味や理由があるのかなんて考えるのも面倒だ。天龍はまた鼻を鳴らして、杯を傾ける。野獣の方も缶ビールを呷ってから、長門と陸奥を順番に見た。

 

「ほら、ビスマルクみたいな大人のレディーは、やっぱりストレスも多いだろうからね?(露骨なヨイショ)。やっぱり優秀な分、悩みも大きくなると思うんですけど(名推理)」

 

 野獣の言葉に、杯を片手にそっぽを向いているビスマルクがピクッと反応したのを天龍は見逃さなかった。野獣だって気付いている筈だ。だからだろう。「出撃したら大活躍だし、強いし、ナイスバディーだし、それに美人だしなぁ!(連撃ヨイショ)」と、野獣が更に言葉を続ける。

 

 そんな野獣の褒め殺しに、ビスマルクの方はニヤけるのを必死に我慢しようとしている。むにむにと唇を動かして頻りに瞬きをしたりするだけで無く、そわそわと肩を動かして貧乏ゆすりまで始めた。同席しているプリンツとグラーフが心配そうな貌になる勢いだ。マジでチョロイが、野獣の言っている事はあながち間違いでも無い。事実として、出撃したビスマルクは、戦場海域で大きく活躍する事も多い。以前、轟沈寸前まで行ったグラーフを守り庇いながら戦い抜くだけでなく、曳航して帰って来るという目覚ましい働きを見せている。ビスマルクの強さを疑う者は、この鎮守府には誰も居ない。野獣が冗談めかして言う言葉の裏側にも、ビスマルクに対する確かな賞賛が窺える。

 

「うわ凄いよぉ……(ワザとらしい感歎表現)。いやぁ、もう褒めるとこしか無いですね。何だコレは……、たまげたなぁ……(しつこいヨイショ)」

 

 普段から“褒めて褒めてオーラ”というか“構って構ってオーラ”を纏っているビスマルクにとっても、ここまでストレートに褒められまくると照れるのだろう。赤い顔をしたビスマルクはとうとう、店の中だというのに艦娘装束の帽子を召還し、ぎゅぎゅぎゅーと深く被ってしまった。それを見た鳳翔が、見守るようにしてくすりと微笑んだ。続いて、プリンツやグラーフも、可笑しそうに小さく笑う。長門や陸奥も軽く笑みを零して、摩耶と眼を見合わせた天龍も、笑みを浮かべようとした時だ。

 

「あっ、そうだ!(反抗戦)。そういやお前さぁ、アイツからパクった手袋返したかぁ?(狙い澄ました一撃)」

 

 その野獣の問いに、俯いていたビスマルクが椅子から転げ落ちた。全員の視線がビスマルクに向く。さっきまでの騒がしさが何処かに飛んで行ってしまった。鳳翔の店が静まり返る。不穏な静寂に包まれた中。ビスマルクは椅子に座りなおしてから、深呼吸をした。そして一つ咳払いをしつつ、被っていた帽子を脱いで額に滲んだ脂汗を指で拭った。

 

「にゃ、な、何のことかしら……? 身に覚えが、その、無いんだけど……」

 

 ビスマルクは顔を盛大に引き攣らせて野獣の方に向き直り、余裕のある笑みを返そうとしたようだ。しかし、盛大に失敗している。あんなに頬を強張らせておいて、優雅に笑っているつもりなのか。ビスマルクは、何とかしてとぼけようとしたに違い無い。しかし、野獣は容赦無かった。

 

「お前が一人でエンジョイ(意味深)してる時に使ってる奴だよ?(鋭利な真実)」

 

 その言葉に、アホみたいに深刻な貌になったビスマルクが、眼を泳がせながら「すぅぅぅ……」と、歯の隙間から息を吸い込んだ。釈明の為の言葉を、必死に頭の中に探しているのだろう。鳳翔がハラハラした様子で、そんなビスマルクを見守っている。

 

「あのー。あれは、パクッたって言うか、その……、拾ったって言うか……。まぁ、手が滑ったって言うか……(しどろもどろ)」

 

 ビスマルクが歯切れ悪く言葉を紡ぎ始めると、ぶつぎれなビスマルクの言葉を聞いていた野獣が、携帯端末を海パンから取り出した。それを片手で手早く操作して、カウンター席に置いた。天龍が少し首を伸ばしてみてみると、端末では何らかの音声ファイルが再生された。

 

 “えっ、あぁ。ビスマルクさんですか? はい。凄く格好いいですよね”

 

 それは少年提督の声だった。

 

 “ビスマルクさんはいつも僕に気を遣って下さるので、申し訳なく思いつつも感謝しています。秘書艦をしていただくと、いつも仮眠を取る様に時間を作って勧めてくれて、僕も甘えてしまうんです。僕自身、それで気が緩んでしまうのかもしれません。ビスマルクさんが秘書艦の日は決まって、いつも手袋を一つなくしてしまうんです。仮眠から醒めてから気付くのですが、だらしなくて、ビスマルクさんに笑われてしまいますね”

 

 そこでまでで、携帯端末からの音声が途切れる。ビスマルクが「ぅンンンンンンン……(苦悶)」と、顔を歪ませて項垂れ、低く呻いた。プリンツと摩耶は、「えぇ……(困惑)」と言った貌である。天龍も同じような貌をしている事だろう。ただ、長門と陸奥が神妙な、それでいて僅かな悲哀を滲ませた貌をしていた。まるで、罪を犯した咎人にも、どうにもならない理由や酌量の余地を見出しているかのような貌だった。グラーフも似た様な様子だった。大丈夫かよコイツら……、と。天龍が引きつつも、横目で長門達を見ていると、野獣が軽く息をついた。

 

「滑ったのは“手”じゃなくて、“良識”や“良心”が滑っちゃった感じなんだ、じゃあ?(逃れられぬカルマ)」

 

「すぅぅぅうぅぅ……(無言のまま息を吸う音)」

 

 ビスマルクは俯きがちに眼を泳がせながらも、まだ言葉を返さない。

 

「どう? (何か釈明出来る言葉は)出そう?」

 

「ぅ、その……、み……」

 

「み?」

 

「み、……み、見逃して、くれないかしら……(降伏)」

 

 血を吐くみたいに、搾り出すような声で言葉を紡いだビスマルクに、カウンター席に腰掛けたままの野獣はゆったりと向き直り、足を組みながら首を傾けた。

 

「クールビューティなビスマルクお姉さんは、悪い事をした自覚はあるけど罰は受けたくないって感じなんだ、じゃあ?」

 

「そ、そういう言い方をされると、何だか私がロクでも無い奴みたいになっちゃう……;;」

 

「いや、気持ちは分かるぞ。ビスマルク。私には、いや……、“私達”には分かる」

 

 半泣きになったビスマルクに、厳かささえ感じさせる落ち着いた声で言葉を掛けたのは、馬鹿みたいに真剣な貌をした長門だ。ついでに、長門の言葉に続いて、神妙な貌をして深く頷いて見せたのは陸奥とグラーフだ。表情を歪めたプリンツが「参ったなぁ……」みたいな貌で、グラーフとビスマルク、そして長門と陸奥を見比べている。摩耶が不可解なものを見る貌で、長門達を順番に見遣った。絡まれても面倒だ。天龍は無言のままで酒を呷って、沈黙を選ぶ。摩耶と同じく、ツッコまない。

 

 長門は杯の酒をグビリとやってから口元を手の甲でグイッと拭って、音も無くカウンター席から立ち上がった。続いて、陸奥も立ち上がる。二人は穏やかでありながらも、何処か信念のようなものを感じさせる笑顔を浮かべながら、テーブル席に座るビスマルクに歩み寄って手を差し伸べた。突然の二人の行動を、鳳翔が固唾を飲んで見守っている。グラーフも立ち上がり、ビスマルクの傍に立つ。いきなりの事に、プリンツは怯えたような貌で慌ててテーブル席から立って、「えっ!? えっ!? 何っ!? こわい!!」と、長門達を順番に見比べながら天龍の方へと後ずさって来た。ついでに、しがみつかれた。そりゃ、あんな集団のすぐ傍に居れば怖いだろう。

 

 天龍は、よしよしとプリンツの肩を撫でてやりつつ、摩耶の方を見た。摩耶も何とも言えない貌だった。ただ、仲間達に囲まれたビスマルクの方は長門の手を取って立ち上がり、「貴女達……」と、何処か感動したような顔だ。長門は、穏やかな笑みを崩さずに、頷きを返した。

 

「……ビスマルク。今度、その手袋を私にも貸してくれないか?(熱を帯びた言葉)」

 

「次は、私もお願いするわ(予約)」 陸奥がウィンクした。

 

「……私にも頼む(困ったちゃん)」 グラーフは、ビスマルクの肩を優しく叩いた。

 

「合点承知の助よ(力強い頷き)」 ビスマルクも長門達を順に見てから、爽やかに頷く。

 

「やっぱり変態ばっかじゃねぇかこの鎮守府ィ!!(厳重注意)」 

 

 野獣は言いながら、呑んでいた缶ビールを乱暴にテーブルに置いた。それからクソデカ溜息を吐き出しつつ額を手で押さえ、ゆるゆると首を振った。そうして、真面目な表情を浮かべながら、全員を見回す。その雰囲気に、天龍は酒を呑みつつも顔を野獣の方へと向ける。野獣は一拍置いて、深く頷いた。

 

「風紀も乱れようとしとるだに、ここは一つ、そういうセルフエンジョイ(意味深)は申告制にしねぇか?(究極の一手)」

 

 野獣の言葉に、長門やビスマルク達が互いに顔を見合わせてから、野獣の方へと向き直った。それに食器を片そうとしていた鳳翔もピタリと動きを止めて、カウンター越しの野獣を真顔で凝視している。天龍も摩耶と顔を見合わせた。摩耶は、「どういうこったよ?」みたいな貌だった。そんな天龍達の傍に居たプリンツは、困惑したように表情を歪めて「あ、あの……」と、恐る恐ると言った感じで野獣に声を掛けた。

 

「し、申告制っていうのは、えぇと……、そういうプライベートな行為(意味深)も、きょ、許可が必要になるんですか?」

 

「おっ、そうだな!(優秀な生徒を褒める先生並感)」

 

「へぇぇぇえええ~……っ!?」 泣きそうな貌で叫んだプリンツに続いて、狼狽したような貌の鳳翔は、カウンターの向こうで視線を泳がせつつ、唇をぎゅうぎゅうと噛み始めた。

 

「ざっけんなッ!!(憤怒)」

 

 摩耶がテーブル席から猛然と立ち上がり、「ふざけるなよ貴様!(迫真)」と、長門達も憤然として続き、野獣に向き直る。野獣の方は肩を竦めて涼しい貌だ。

 

「まぁこういう施策も、鎮守府の風紀の為には多少はね?(訳知り顔先輩)」

 

「何が多少だよ……。悪法も良いトコだろ」

 

「大丈夫だって、ヘーキヘーキ!(根拠の無い楽観)。申請書の書き方も簡単にしとくからさ。パパッと書いて終わりッ! もうすげーよ、簡単だから」

 

 テーブル席に座ったままの天龍は、冷静に言葉を返して酒を呷った。野獣はヒラヒラと手を振って見せる。

 

「ついでに申請状況は、艦娘囀線で逐次報告していくゾ。誰がナニをしてるのか、一目でチェック出来るようにしとくから、安心!!」

 

「この人あたまおかしい……(小声)」

 

 天龍の隣で、頭を抱えたプリンツがボソッと零した。もっともな意見だ。

 

「何が安心なの?(殺意)」

 

 真顔で野獣に訊いた陸奥に、野獣は自信ありげな力強い笑みを浮かべた。

 

「まぁ、プレイヤーズギルドみたいな感じでぇ……。その日の回数とか、申請内容、あとは、エンジョイ時間の内訳と、オカズの公表っすね」

 

「管理され過ぎィ!!」 ビスマルクが悲鳴を上げる。

 

「もう公開処刑じゃないか……(震え声)」

 

 グラーフだって戦慄したような貌で肩を震わせている。

 

「でも、こういうデータが一目で分かるとモチベも上がるだろ? “君も、ライバル達に差をつけろ!”って感じでぇ……」

 

「なる訳ねぇだろ!! いい加減にしろ!!!」

 

 摩耶が赤い貌をして叫ぶ。

 

「そういうのは、ちょっと……、やめませんか? やめましょうよ……」

 

 絶望する寸前みたいな貌の鳳翔も、掠れた震え声で野獣に懇願した。野獣はそんな鳳翔に向き直り、優しく微笑んで見せた。

 

「大丈夫だって鳳翔、安心しろよ~。俺もやるんだからさ?」

 

「やらんで良い!! 貴様の自家発電の報告など死ぬほど要らんわ!!」

 

 長門がテーブルを叩いて吼えた。野獣が不思議そうな貌になった。

 

「“野獣は今日、全裸で931回か……、アイツも頑張ってるな!”みたいな感じで、こう、艦隊の士気も上がるだルルォォオ?」

 

「上がるワケあるか!! 逆に沈み込むわ!! それに仕事もせずにナニをしとるんだその回数と状況は!!」

 

「と言うかイキ過ぎィ!! 入院不可避ですよ……」 

 

 プリンツが疲れた様な貌でツッコんだ時だ。何かに気付いたような貌になったグラーフが、作戦会議の時の貌になってから、すっ……と挙手をした。明らかに酔いが回って来ている赤い貌だが、その眼差しだけはやけに真剣だった。少しの沈黙の後。グラーフは、野獣に問う。

 

「逆に言えば、……admiralの状況も、私達は知る事が出来るのか?」

 

 全員がハッとしたような貌でグラーフの方を見てから、野獣の方を見た。野獣はもったいぶるように、「そうだよ(本質の発露)。ホラホラ、イメージしてみてホラ」と、胡散臭さしか無い笑みを浮かべてゆっくりとグラーフに頷いた。

 

「アイツが性への目覚めを経験したのが、お前だったらどうするよ? えっ? 朝まで“好き好きおねえちゃん”コースか?」

 

 野獣の言葉に何を想像したのか。やや遠くを見る眼になっているグラーフは、ほっこりとした笑みを零しつつ、んぅふ^ーー……と、大変満足そうに鼻から息を吐きだした。

 

「それは……、とても味わい深いものがあるな……(万感)」

 

 そんな通報一歩手前の発言に、野獣はやれやれと首を緩く振った。

 

「やっぱりビスマルクとキャラが被りつつあるじゃないか……(呆れ)」

 

「えっ?」 

 

 素の貌になったグラーフが声を上げて、それに対してビスマルクも「えっ?」と、グラーフと野獣を見た。野獣は二人の方は見ずに、また缶ビールを呷ろうとしたが、どうやら中身が空になったようだ。「まぁ、流石にそういう一人プレイ(意味深)を徹底管理するっていうのは、冗談として置いておくとしてだな……(本題)」と、野獣は言いながら、カウンター席越しに追加の缶ビールを鳳翔に頼みつつ、足を組み変えた。そして、傍に置いてあった『摩耶にゃん』を再び手に持って、長門達に視線を巡らせる。

 

「お前らが暴走して、アイツとの間で間違いと言うか悲劇が起こらないように、俺も色々と考えてたワケだよ?(求道者先輩)」

 

「嘘つけよ。適当な理由つけて面白がってるだけだろ……」

 

 天龍は眉間に皺を寄せながら言いつつ、椅子に座ったままで足を組んだ。ついでに野獣の方へと身体を向き直らせて、鼻を鳴らした。「違い無ぇ……」と天龍に続いた摩耶も、不機嫌そうな貌で野獣を睨んでいる。多分、『摩耶にゃん』ヌイグルミを手に持っているから、摩耶の中で不快指数がグングン上がっているのだろう。

 

 対して、さっきまでの申告制の話が冗談だと分かって、野獣への缶ビールを用意していた鳳翔は明らかにホッとした貌で眼を閉じて、一つ息をついている。プリンツも似た様な様子だ。あの話題について大きなリアクションを取ること事態、結構な墓穴を掘っている事に二人は気付いているのかいないのか。鳳翔の店は、何だか妙な雰囲気のままだ。落ち着かない。そんな中でも、半笑いの野獣はムカつくほど自然体だ。

 

「人格を育んだ結果だし、そういう感情も理解出来るからさ(クソデカ理解心)」

 

 其処まで言った野獣は鳳翔から缶ビールを受け取って、プシュッと片手で器用に空けた。缶ビールを片手に、もう片手に『摩耶にゃん』を装備して真面目な貌になった野獣が、再び長門達に視線を巡らせる。

 

「その衝動を解消する為に、あるリフレッシュアイテムを用意したから(優しさ)」

 

 缶ビールを置いた野獣は、空いたその手でカウンター席の下へと手を伸ばす。床に置いてある鞄から、また何かを取り出したのだ。そして、ソレをカウンター席の上にドンと置いた。かなりデカイ。何だアレ。一瞬、ダンベルか何かかと思ったが、全然違った。綺麗な肌色をしている。お尻だ。尻のオブジェだった。しかも、何だか淡い微光を纏っている。全員が言葉を失う。天龍は頭が痛くなった。

 

「どうだよ?(誇らしげ)」

 

「何がだよ……(困惑) つーか、何だよソレ?」

 

 うぇぇ……、みたいな貌の天龍が、ドン引きながら訊く。すると、野獣の手に持った『摩耶にゃん』が、可愛らしく小首を傾げた。

 

『……見て分からないの?』

 

「急に言葉遣いが辛辣になったなオイ」

 

 天龍が『摩耶にゃん』を半眼で睨みつつ言う。そんな天龍を見ていた野獣は、「やっぱり天龍は、お馬鹿さんだねぇ(暴言)」と、手に持った『摩耶にゃん』と顔を見合わせて苦笑を漏らした。

 

『ねぇ。やっぱりお馬鹿さんだね(暴言)』

 

「おい、野獣。後でそのヌイグルミ寄越せよ。サンドバックにしてやるからよ」

 

 半ギレの天龍にも涼しい貌で、野獣は出来の悪い腹話術みたいな格好で天龍に向き直る。すると『摩耶にゃん』も、天龍や長門達の方を見た。

 

『簡単に説明すると、このお尻の彫像は、触れるだけで精神安定の効果があるように、術式儀礼を施してあるにゃん。ちなみに、少年提督の実寸大の大きさをしているのにゃん』

 

「そうそう。青葉が撮った写真とか、アイツの生体データからサイズを割り出して、かなりリアルに近付きましたよ^~(職人技)」

 

『本物と変わらない特殊な素材を使ってるし、柔らかさとかも凄いんだにゃん。しっとりして、すべすべつやつや☆』

 

 野獣と『摩耶にゃん』が、出来の悪い腹話術を続けていると、長門と陸奥、ビスマルクとグラーフ、ついでにプリンツの五人が、無言のままで挙ってカウンター席に詰め寄って行った。ちょっと恥ずかしげで伏目がちになった鳳翔だって、カウンター席の向こうで、もうチラチラチラチラと、せわしなく尻オブジェへと視線を送っている。見るからに興味津々だ。摩耶も一旦席を立ち上がりかけたが、天龍の「お前もかよ……(驚愕)」みたいな視線に気付いて、咳払いをしつつ座りなおした。

 

 血走った眼をした長門達の進軍を止めるべく、野獣は「はいストップストップ!」と、制止するように声を掛けた。尻オブジェを置いたカウンター席から少し離れた所で、長門達がそろって足を止めた。ニヤリと笑った野獣と『摩耶にゃん』が、言葉を続ける。

 

「アイツに対する極端なスキンシップをさ、これからは自重するって約束してくれるなら、これを触らせてあげるよ?(悪魔の囁き)」

 

『迸る熱いパトスを、このオブジェにぶつけると良いにゃん』

 

「ちょっと待て。お前の言い草だと、まるで私達が飢えた肉食獣みたいじゃないか(憤怒)」

 

「実際そうだから、この『お尻』で我慢しろって言ってんだYO!!」

 

『そうにゃん(便乗)』

 

 大人しく野獣達の言葉を聞いていた長門が腕を組み、不満そうに漏らした。しかし、長門の視線はカウンター席の『尻オブジェ』を熱くロックオンしている。と言うか、摩耶を含めて集まっている奴が全員そうだ。大丈夫かよ……。再びそんな不安を感じつつ、天龍は場の流れを見守っている。今の店の雰囲気の所為か。さっきから酒を呑んでいるのに、酔ってこない。天龍が不味そうな貌で酒盃を重ねながら、一つ息を吐き出したときだ。長門が一つ咳払いしてから、視線を泳がせた。

 

「彼に過激なスキンシップをしたような記憶は、ちょっと身に覚えが無いが……(すっとぼけ)。その、なんだ。これからは気を付けよう」

 

「そ、そうわね(便乗)。彼に嫌われちゃうのは嫌だし……」

 

 陸奥も視線を泳がせながら、歯切れ悪く言葉を紡いだ。まぁ、あの二人は前科と言うか、反省すべき過去があるので大人しく野獣の言葉に頷いた。少々居心地が悪そうにそわそわしているビスマルクにしたって、ついさっきまで吊るし上げを食らっていた身である。ただ、グラーフだけは何だか釈然としない様な貌だが、取り敢えずと言った感じで反論もせずに黙っている。さっきからもじもじとしている鳳翔とプリンツの二人は、多分もう野獣の話に意識を割いていない。『尻オブジェ』が気になって仕方が無い様だ。

 

「よし! じゃあお前らを信じてやるか! しょうがねぇなぁ〜(悟空)」

 

 野獣は面白がる様に言って、ワザとらしい優しい笑みを浮かべて見せた。

 

「じゃあちょっとジャンケンで順番を見決めてくれるかな? 勝った順で触って行って、どうぞ(客捌き先輩)」

 

 この野獣の言葉に目の色を変えた長門達は、迫真の掛け声と共にジャンケンを行った。普段はお淑やかで、穏やかな表情を絶やさない鳳翔も、戦士の貌になっていた。参加していないのは、ちょっと離れたテーブル席で勝負の行方を見守っている天龍と摩耶だけだ。「いやまぁ、なんつーか……、無理すんなよ?  参加したかったらして来いよ」と、天龍は向かいに座っている摩耶へと気遣わしげに視線を向ける。摩耶は「うっせぇなぁ!」と赤い貌で天龍を睨んで来た。天龍は肩を竦めて軽く笑った。その時には、もう向こうで勝負がついていた。

 

 どうやら、一番は鳳翔だった様だ。カウンター席に置かれたショタ尻オブジェを前に、真っ赤な貌をした鳳翔が、両掌を前に向ける格好で、ふー……、んふー……、と息を荒くしていた。しかし、途中で猛烈な恥ずかしさに襲われたのだろう。オブジェに触れる寸前に深く俯いて、「あの! 私は、や、やっぱり後で……!」と、順を譲った。次は、陸奥の番だった。唇の端をペロッと舐めた陸奥の眼はえらくマジで、艶姒な笑みを浮かべてオブジェに近づいた。

 

「あっ、おい陸奥! 興奮し過ぎてお前の尻から火花が散ってるゾ! あっつ! オナラか何か?」

 

『爆発しそうにゃん』

 

「しないわよ!!!」 陸奥がキレた。

 

 ただ、キレつつも陸奥は両の掌で、そっとオブジェに触れた。次の瞬間には、怒りに染まっていた陸奥の表情が、慈しみに満ちた微笑みに変わった。「はぁ^〜〜……、あふぅぁ〜^、あっ、あららぁ^〜……んぅ^〜、ハッ……ハリケ^〜ン……(意味不明)」 陸奥は蕩けた声で言いながらオブジェを撫でくり回して、数秒後には卒倒した。傍に居た長門に支えられた陸奥の貌は半アヘだったが、とても幸せそうだった。凄い効果だ。と言うか、あかんヤツだろ、あのアイテム……。何かの呪いのアイテムかよ……。若干の恐怖を感じたのは天龍だけでなく、顔を引き攣らせている摩耶も感じた筈だ。

 

 しかし、次にオブジェの前へと歩みでたグラーフは、既に覚悟を決めた様な、凛然とした貌をしていた。困ったちゃん全開だが、本人は大真面目だ。ゴクリと唾を飲み込み、グラーフもオブジェに触れた。途端に、「あぁ^〜〜」と、官能的な声を漏らしたグラーフが、脚と言うか身体全体をガクガクと痙攣させ始めた。さっきまでの姫騎士の様なキリッとした表情も、アカン感じに弛緩している。そんなグラーフを仲間として支えようとする絆と、早く自分もオブジェに触れたいと言う熱いスケベ心を胸に、ビスマルクとプリンツが乱入した。「グラーフ! 負けては駄目よ!(?)」「助太刀します!(?)」 二人は、グラーフの両脇を固めると言うか、横から割り込むみたいにオブジェに手を伸ばした。その2秒後には、「ぉほぉぉ^〜〜」「んぉふぅぅ^〜〜」二人も身体を痙攣させながら、顔から色んな液体を漏らしながら三人仲良く崩れ落ちる。酷い有り様だった。

 

 オブジェの傍に居た鳳翔は、怯えたように「はわわわ……」と肩を震わせている。摩耶も「やべぇよ……やべぇよ……」と、慄いていた。天龍もそう思う。ことを仕掛けた野獣の方は、摩耶にゃんを片手に携帯端末のカメラ回しているので、艦娘の肉体に悪影響は無いのだろうが、割とマジで危険なアイテム(尻オブジェ)である事は間違い無い。こうなってくると天龍の出る幕では無い。少年提督に助けを求めるべきか。天龍が携帯端末を取り出した時だった。半アヘ状態の陸奥をそっと床に寝かせた長門が、オブジェの前で仁王立ちしていた。それに気づいた天龍の脳裏に、分かりやすい未来と言うか、お約束な展開と言うか、そういう景色が見えた気がした。思わず、「あっ……(察し)」みたいな気分になったのは、天龍や摩耶だけでは無かった様だ。

 

 悲壮な貌をした鳳翔が、長門のスカートの端を摘んでふるふると首を振っていた。その必死な瞳には、これから起ころうとする悲劇を何とか回避しようとする健気さがあった。天龍や摩耶も、「もう止めときませんか……? 止めましょうよ……?(説得)」みたいな言葉を掛けようとした時だ。長門が鳳翔へと振り返り、ふっ、と口許を緩めて見せた。

 

「この私が、こんな可愛らしいお尻に負けると思うか?」

 

 こんなタイミングで、無駄にイケメンな笑みを浮かべた長門に、鳳翔はちょっと気まずそうな貌になってから「あの、は、はい……」と即答した。「ふっ……」と、長門は肩の力が抜けた、自然体な笑みを浮かべて見せた。笑って誤魔化そうとしたんだろう。長門の気持ちはもう、あの尻オブジェに捕まっている。多分、もう何を言っても無駄だ。天龍と摩耶も顔見合わせ、何も言わずに目を逸らした。悲しそうな貌になった鳳翔も、摘んでいた長門のスカートをそっと手放した。長門は別に深い意味も無い筈なのに、意味深な微笑みを鳳翔に返して、尻オブジェに向き直る。野獣がカメラを向けている。一つ深呼吸して表情を引き締めた長門は、そんな野獣に向き直り宣言する。

 

「この長門……、こんなオブジェには絶対に負けんぞ!(円を成す運命)」

 

「あくしろよ(無情)」

 

 野獣は興味無さそうに手をヒラヒラと振った。

 

「行くぞ!」

 

 ハラハラとした貌で長門を見守る鳳翔を横目に、長門は躊躇い無く、オブジェを両手で鷲掴みにした。助平心全開な手つきだった。「ヌッ!!!!(垣間見る悟りの境地)」次の瞬間には、長門は身体をビクンッと硬直させた。天龍は、もう試合終了だと思った。だが、違った。長門は、そのまま動かなくなった。静寂が満ちる。天龍や摩耶達の位置からは、艶やかな美しい黒髪に隠れて長門の表情は見えない。そのまま、息苦しさすら感じる緊張が続いた。10秒……。20秒……。肉体に害は無いとは言え、流石に心配になったのか。野獣は手にしていた摩耶にゃんをテーブルに置いて、動きを見せない長門に近付く。そして、僅かに身を引いて、眼を見開いた。

 

「し、しんでる……(驚愕)」

 

「んなワケねぇだろ!! どう見ても呼吸してんじゃねぇか!!」

 

 摩耶が立ち上がって叫んだ。天龍も憮然とした貌で野獣を睨む。ただ、長門の様子がおかしい事に変わりない。幸せそうな貌で倒れ伏す陸奥やビスマルク、グラーフやプリンツを足元に、長門はオブジェをむんずと掴んだままで、彫像のように佇んでいる。エライ光景である。摩耶と天龍は席を立ち、微動だにしない長門へと歩み寄る。それに続いて、鳳翔も、恐る恐ると言った感じで近付いた。天龍が長門の貌を覗き込んでみると、菩薩の様な安らかな貌だった。どうやら大丈夫そうだ。野獣が軽く笑った。

 

「おい長門ァ! しっかりしろぉ! はい返事ィ!!(呼び戻す自我)」

 

「あの、長門さん…、長門さん!」 鳳翔も長門を呼ぶ。

 

「あぁ……。すまない。どうやら、意識が違う世界へと旅立っていたようだ」

 

 野獣と鳳翔の呼び声に、ようやく長門が反応を返す。曇りも無く、澄み渡るような穏やかな貌の長門は、まるで揉み解すように尻オブジェを撫で回しつつ、鳳翔に頷きを返して見せた。

 

「もう私は、何も要らん……(涅槃寂聴)」

 

 いや、やっぱり大丈夫じゃなさそうだった。そう言葉を漏らした長門の眼は、遥か彼方のおねショタ時空を望んでいた。穢れない瞳の癖に、其処から見遣る景色が煩悩に塗れていて、これもうわかんねぇなぁ……。天龍の傍に居た摩耶も、困ったような貌で頭を掻いていた。

 

「それはまぁ、良いんだけどよ。ちょっと……、医務室に行こうぜ?」

 

 天龍がおずおずと声を掛けると、長門はゆるゆると首を振った。

 

「いや……、私はもう、此処を一歩も動かんぞ……(天啓的使命感)」

 

「あ、あの……、それはちょっと……」 眉尻を下げた鳳翔が、かなり困った声で言う。

 

 尻オブジェと一緒に、それを撫でて揉み続ける長門が店に居続けたら、そりゃ具合も悪いだろう。

 

 

 結局その後。長門にもとうとう限界が訪れた。立ったままで気絶したのだ。天龍と摩耶は、陸奥やビスマルクを医務室に運ぶことになったし、事を大きくした野獣も少々思うところがあったのか、店の片づけやら長門達への精神精査など、取り合えずは尻拭いをキッチリとこなしてくれた。まさか摩耶と呑みに来て草臥れ儲けする事になるとは思わなかった。そしてその次の日の長門達は、もう無茶苦茶に元気と言うか、絶好超だった。演習、出撃においても、長門、陸奥、それにビスマルクとグラーフの4人の活躍は凄まじいものがあった。

 

 彼女達に訊いてみたところ、あの夜の出来事はあまり覚えていないのだと言う。野獣に訊いても、記憶操作系の施術を行ったワケではないから、あの『尻オブジェ』のちゃんとした効能なのだろうが、もう二度とつき合わされたくないというのが正直なところだ。天龍は少年提督に、あの4人の急激な活躍に関して聞かれたこともあったが、「さぁな……」と、すっとぼけておいた。摩耶も鳳翔も、あの夜の事に関しては口を噤んでいる。もしもあの夜。鳳翔の店に、他にも金剛や加賀が居たらと思うと、それだけで胸が焼けてくる。人数が少なくて本当に良かった。まぁ、しかし。ああいう馬鹿騒ぎが出来るのも、この鎮守府の良いところなのかもしれない。天龍はそう思うことにしている。

 




今回も最後まで読んで下さり、有難う御座います! 更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
次回の目処もまだまだ立っておりませんので、このまま短編集という形を続けさせて頂きたいと思います。
今回も内容の薄い、頭の悪い話ではありましたが、皆様の御暇潰しにでもなっていれば幸いです。
いつも暖かく支えて下さり、本当に有難う御座います!

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